自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

四万ブルーと共同浴場

 果てしなく続くブルーに見惚れていた。力を込めて見つめれば見つめるほどその深さに吸い込まれそうだった。風はまったくないくせに、この気温が立っているだけで体の熱を少しずつ奪っていく。それでも見ていた。いつものコンパクト・デジカメを持ってこなかったことを悔やんだ。スマートフォンのカメラで何カットもブルーを収めてみるものの、どれひとついいものはなかった。いいものってつまり、今僕がこの目で見て琴線を揺らす何かが映し込めてるかってことだ。だめだった。色、深み、美しさ──何ひとつ写し込めていなかった。あるいはコンデジを持ってきたところで無理だったに違いない。僕はあきらめて写真はほどほどに、目で見た光景を、心に響くゆらぎ、、、を、記憶に刻むよう専念した。

 

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 きれいな青が見たくなった。
 青が好きなんですかと問われてはいそうですと即答するつもりもないけど、じつは何度かそう聞かれる機会がこれまであった。思い返してみると周囲には青いものが多い気もする。そういえば自転車も青系統ばかりだった(しかしながら今乗っている自転車以外は色を選ぶことができたわけじゃない)。車も青系統が多いようだ(スバルに乗るようになってからは青系統ばかり選んでいる。すべてが自分の意思じゃないけど)。服は? 持ち物は? ──どうなんだろ、赤系黄色系緑系、もちろんふつうにあるし持っているけど、それらって色を気にして選ぶことがないものばかりかも。
 まあいい。
 発端は、どこか温泉にでも行きたい、だった。疲れてる? そうなのかもしれない。癒されたいのかもしれない。待て待て、そんなことを思うなんてどうかしてる。仕事も生活も生き方も、疲れるようなことなど何ひとつしてないって──。
 ともかく温泉に行く。理由はどうだっていい。意思で直球を投げ込めばいい。はやりの今ふうな温泉よりも、どこか古くからの温泉がいい。雪が降るかもしれないけど、気にすることはない。車は先月スノー・タイヤに履き替えている。雪の風景だって悪くない、むしろ歓迎するところだ。
 しばらく考えて、法師温泉四万しま温泉、沢渡温泉あたりが浮かんだ。群馬県だ。
 それと同時に「四万しまブルー」というキーワードを思い出した。
 きれいな青が見たくなった。

 

 詳しく知っているわけじゃなかった。キーワードとしてその言葉を耳にしたことがあっただけだ。だから調べてみた。
 四万ブルーは、四万温泉一帯を含め流れる四万川の水の透明度が放つ独特の青だった。特にその青は四万川ダムが作る人造湖、奥四万湖に極まる。奥四万湖の透明度は本州ナンバーワンを誇ったこともあるらしい。
 奥四万湖まで、いつか自転車で行ってみたいと思っていた。四万ブルーのキーワードとは別に、その地に魅力を感じ、カードとして手に持っていた。しかしながらそれを切れずにいた。アプローチとなる国道353号がこの奥四万湖で分断区間となり──分断の対面は新潟県上越国境の稲包山いなつつみさんをはさんだかつての三国スキー場付近──ルートがピストンになってしまうこと、そのピストンルートでは物語ストーリィを見いだせずにいたこと、じゃあどういうルートを組むと全体に物語を持たせることができるのか考えあぐねていたこと、あれやこれやと悩まされ、物語ある最高のルートを作れずにいたのだ。
 このさいサイクリングと最高のルートのことは忘れて、温泉に入るのに合わせてこの「青」を見てこよう。

 

 

 目の前にありながらあまりにも非現実的で、遠くて手を伸ばしても絶対に届くことはない、これまでの目に記憶のない青を実感した僕は、満足して車に戻り、奥四万湖から温泉街への坂道を下った。予報が外れて雪は降らなかった。道路にもそれ以外にも、雪はまったくなかった。雪はもう少しおあずけだった。
 分断国道353号の広い道から、温泉街の狭い道路へ入った。路線バスと対峙してしまい、すれ違うために広い場所まで何百メートルか車を下げざるを得ないほど、温泉街の道は細かった。

 

 四万温泉には三つの共同浴場がある。そのうち駐車場のある御夢想の湯に立ち寄った。
 真新しくこぎれいで、聞くと2000年代に入って建て替えられたそう。入口の引き戸に手をかけるとストレスひとつなくするすると開き、中に入ると木とそれにしみ込んだ温泉の匂いに包まれた。短い廊下の先の暖簾をくぐるとそこがもう風呂場だった。入った片隅に脱衣用の棚があり、幾段かの階段を下りた先に湯舟があった。すでに湯に浸かる先客がひとり、彼は暖簾をくぐった僕に気づいて「こんにちは」といった。僕も「こんにちは」といった。
 階段を下りるとそこがもうすべてで、多少なりスペースはあるものの、洗い場という洗い場はない。シャワーもなければカランさえない。浴槽は、黒い大きなひとつの石をくり抜いたみたいな、まるで硯のようだった。黒光りして堅固さがあった。そこになみなみと満たされたお湯がときおり波打つようにへりからあふれ出た。みっつばかりある桶のひとつを手に(そのうちのひとつは先客がかけ湯に使ったのであろう、洗い場(?)に置かれていた)、先客に「お邪魔します」といってへりから静かに汲み湯をした。先客は大きく全身を伸ばしながら入っていたが、脚をたたむようにして石風呂の右に寄ってくれる。丁寧にかけ湯をし、静かにお湯に入った。
 おお、じつにいい。ああ満足──。
 言葉こそ漏れなかったけど(そのはずである)、そのとおりだった。いいお湯は奥四万湖で冷えた体を温めると同時に、疲れていて癒されたいと思う気持を満たした。これといった特徴を感じるものではないのだけど、やわらかさのあるお湯がゆっくり体を包んでくる。
 さらにひとりの客が暖簾をくぐった。階段の上の脱衣棚と下の風呂場とのあいだでまた挨拶が交わされる。同時に、この浴槽に三人は無理だ、と僕は思う。先客はじっくり浸かっているしでも僕ももう少し入っていたい。新客は階段を下りると桶をひとつ取り、風呂場にひとつだけある小さな椅子に腰かけ、浴槽からの汲み湯で全身を一度流してから、頭を洗い始めた。僕は追い出されずに済んだ。新客は寒いなかやってきて冷えた体にお湯が熱く感じるのか、お湯をかけるようすがどうにもあわただしかった。頭を洗い終えると体を洗い始めた。それもまた同様なのかあわただしい。新客がそうやって時間を費やしてくれたので、僕も入っていることができた。先客は微動だにせず、僕は新客がおおよそ洗い終えたと判断すると、温まる頃合いでもあったので風呂から上がった。
 いいお湯だった。
 四万温泉の三か所ある共同浴場は、無料である。

 

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 御夢想の湯の前には茅葺屋根の薬師堂があった。整然と切りそろえられた茅葺の端が美しく、小ぢんまりとしたたたずまいに毅然さがあった。僕はそこへお参りし、それから薬師堂の並びにあるカフェに入った。御夢想の湯を見下ろす窓際のカウンターに座り、コーヒーを頼んだ。それからふと食べたくなっておしるこを追加でお願いした。窓の外ではお父さんと男の子ふたりの親子連れが現れ、足湯に入ろうとしていた。足湯といってもあずまやのように屋根がつけられた場所にU字溝程度のお湯が満たされているだけだった。親子連れは楽しそうにはしゃぎながら足湯に入っていた。目の前の木にはここの店主がつけたのだろうか、巣箱があった。丸穴はきわめて小さく、きっととても小さな鳥を意識しているんだろう。そんな窓越しを眺めていたら、コーヒーとおしるこがやってきた。コーヒーの器がまた、深くきれいなブルーだった。

 

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