自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

都夫良野・丹沢湖・西丹沢(Jul-2019)

 開成かいせいという駅で降りた。神奈川県開成町、駅は小田急小田原線。小さな町である。町には駅がひとつだけあって、今までは小田原ゆきの急行に乗っていれば通過する駅だった。列車の窓から、動体視力の優れている日ならば駅名標を読むことができた。その通過駅が、昨年のダイヤ改正から停車駅になった。
 いつものように新松田から走るつもりでいたのだけど、乗った電車が急行だったから、これまで降りたことのない新たな急行停車駅で降りるのもいいなと思った。ルートは、地図を見ながら多少修正すればどうせすぐに戻ることができる。

 

 急行小田原ゆきの追加された停車駅は、さすがにそうしただけあってそこそこ人は降りた。でもびっくりするほどじゃない。自転車を抱えてゆっくり降り、他の乗降客がおおよそはけてから改札に向かえば、人もまばらな駅だった。でもこれは土曜日の朝8時過ぎだからなのだろう。平日の同じ時間はきっと多くの人の乗り降りがあるに違いない。じゃなきゃ急行の速達性を削いでまでわざわざ停車駅にする理由も見当たらないのだから。
 駅前には大きなマンションが立ち並んで、すぐに住宅街が続いていた。小さなロータリーは行政施設があるくらいで、コンビニもなかった。県道なんかが通っている反対の口に降りればまた違うんだろうけど、こちら側は店もない。でも駅前ロータリーがパチンコ屋ばかりという僕のところよりは余程いい。静かな駅前だ。その一角にはかつてのロマンスカー3100形NSEの先頭車両が保存されていた。なぜこのまちのこの駅前でロマンスカーなのかわからなかったけれど、そばで見れば懐かしかった。ロマンスカーにはほとんど乗ったことがないが、乗車経験のある数少ない形式。NSE、HiSE、EXE、MSE。NSEを見送り自転車で走りだすと、線路沿いの踏切をMSEが通過していった。

 

f:id:nonsugarcafe:20190713082556j:plain

f:id:nonsugarcafe:20190713082948j:plain

 

 

 今日は西丹沢エリアと丹沢湖である。行きたい場所だったけどこれまで行かずにいた。それはこのエリアで行きたい場所を突き詰めていくと行けない場所ばかりだから。丹沢湖が通り道ならいいのだけど、それが目的じゃつまらない。目的地を考えるなら、たとえば犬越路隧道。前後を結ぶ県道76号は山北藤野線といい、現在分断県道になっている。これを犬越路隧道を含む犬越路林道がつないでいて、物理的には貫通している。数少ない県西地区と藤野・相模湖地区を結ぶルートだけに交通路としての魅力を感じる。あるいは秦野はだの峠林道。その名の通り秦野峠を越える林道で、丹沢湖から県道710号に接続し、松田町のやどりぎに至ることができる。ユーシンブルーという絶妙なキーワードで興味を引くユーシン渓谷へは玄倉くろくら林道で向かう。これらの道が、名前や経路や行き先を見るだけでワクワクするのに、走ることができない。秦野峠林道も玄倉林道も現在通行止めだ。通行止めになっていない林道も、神奈川県は二輪・自転車を含む一般車両の通行は原則禁止としている。通行止めとしていない道は、走ってしまえば走れるわけで、僕自身三廻部みくるべ尺里ひさり、箱根の黒白・明神こくびゃく・みょうじん明星みょうじょうに行ったことはあるけれど、通行禁止を知らなかったから通過したとか、意図しているときは良心と葛藤したりしているのだ。良心に勝てないときにはどうしても足が向かない。
 そんなわけで、「行っても丹沢湖だけじゃなあ……」という思いが強く、これまで出かけることがなかった。それら魅力的な場所を目の前にして、丹沢湖だけってなると半減な気がしてならなくて、いつかいつかと待ち続けていたのだ。でもどうしたって状況が変わることはないし、そうなると丹沢湖周辺に行くことすらなくなってしまう。だから割り切って──つまり丹沢湖から先、各所へ向かう素敵な道たちをあきらめて──、丹沢湖をぐるっと回って楽しめそうなルートを走ることにした。

 

(本日のルート)

 

  新松田と開成は、酒匂さかわ川を挟んで対岸にある。開成で電車を降りた僕は、自転車で酒匂川右岸をさかのぼっていった。青々とした田んぼのなかを直線的に抜ける道は車通りも少なくて走りやすかった。路面が鮮やかで、中央線の白が際立っていた。田んぼの青とあいまってコントラスト強めの絵として目に入ってきた。でも全体的に風景は暗めだった。長い梅雨の合間、空に晴れ間はなく、ただ雨から逃れて来たというだけの、厚い雲に覆われた天気だった。
 道はやがて南足柄市に入り、酒匂川を渡って山北町に入り、また川を渡って南足柄市に入った。少しずつ坂道になり、それを上っていくごとに背の高い建物と住宅が減っていった。農家と田畑ばかりに囲まれるようになった。梅雨の後半に入りすっかり色濃くなった緑のなかをゆるゆると上ってゆく。

 

  山北で国道246号を横切り、今日ひとつの目的にしていた都夫良野つぶら地区に向かった。
 都夫良野──かつては交通情報で毎週末耳にしていた地名だった。東名高速にある都夫良野トンネルが、いつだって渋滞を引き起こし、それを聞いていた。酒匂川の谷あいを上る急勾配と、高速道路にしては急すぎる小半径カーブが、大幹線高速道路の交通量をさばききれなかった。全体的にどうしたって速度の落ちる区間だった。車列のなかで前後の速度が合わなくなれば、ブレーキランプが連鎖的に後続へつながっていった。伝言ゲームかあるいはバケツリレーのように。遠くから見ればLEDディスプレイを流れる文字のように。スピードの遅くなった車をかわしたい車が車線変更を繰り返すから、車線はもっと混乱した。そんなことでいろんな思惑の逃げ場がない二車線はいとも簡単に渋滞した。僕もかつては何度も車で足止めを食らい、激しい渋滞にため息をついた。それも今はむかしの話になった。東名高速は新上り線を造り、片側三車線の広い曲線の少ないルートで山々を貫いた。それに合わせてかつての上り線を下り線に転用し、右ルートとすることで、もともとの下り線だった左ルートと合わせて4車線になった。上下線ともキャパシティを大幅に上げた東名高速は、ここ都夫良野での渋滞を聞く機会がほぼなくなった。
 都夫良野地区へ向かう細い道は初めからきつい坂で、これを上っていった。しばらく行くと下から東名高速を望む場所に出た。けっこう上った場所だけに、東名高速とはずいぶん高いところを通っているんだなと実感しながら、それらの道を立ち止まって見上げてみる。新旧の路線が交差するさまは土木建築の造形美だった。デッキトラスの旧線の上を新線が大きく跨いでいる。向かう方角さえ異なる三本の道は編み込まれる繊維のより糸のようだ。旧線の二本は下り線の左ルートと右ルートで新線は上り線。それぞれが交差しカーブしていくようすをしばらく眺めていた。それからまた自転車に乗って急な坂を上ると今度は高速道路の上に出た。まったく違う方向へ行ってしまった上り線は見えないけれど、並んでトンネルに突入していく下り線の左ルートと右ルートを真上から眺めることができた。トンネルの入口には「都夫良野トンネル」と書いてあった。かつてその名をラジオでさんざん聞いた場所の上に、今僕はいる。
 都夫良野エリアの坂道は急だった。高速道路を越したあとも変わることはなかった。僕はとても上り切れず、息が続かなくなるとそのたびに自転車を降りて休んだ。何度も何度も立ち止まっては休憩した。道はつづら折が続き、曲がっても曲がっても急な坂があらわれるばかりだった。そうやって高速道路の長いトンネルが貫く山の上まで上がっていった。そうやって行きつ休みつを繰り返しながら進んだ。重苦しい曇り空は、やや湿度があるが気温が上がらないのが助かった。炎天下ならきっとさらにきつい上りだったはず。
 この道は誰ひとりとして会うことのない、寂しいところだった。車だって一台たりとすれ違わなかった。僕もこうして意図したルートを引いて来なければ通ることのない道だったろうし、地図を見なければこんなところにつづら折の道が続いているなど考えもしなかった。都夫良野地区はそんな場所だった。
 ようやく勾配が緩くなろうかというところに「都夫良野地蔵堂」と記された建物があらわれた。建物は雨戸がぴたりと閉ざされていて、奥には地蔵が並んでいるのが見えた。何度も休みながら上がってきたけれど、ここであらためて大休止することにした。自転車を置いて地蔵たちの顔を眺めて歩いた。どれも同じような顔をして、どれも赤い前掛けをしている。どれも静かで、動かずじっと口を結んでいた。どれかが語りだしそうな雰囲気はひとつもなかった。風雨にさらされたのだろう、前掛けはみな白く色あせはじめていた。雨が降れば、強かろうが弱かろうがそれをただじっと受けているに違いなかった。正面にある、締め切られた建物がお堂のようだ。ここもまた誰もいないのだろうか。雨戸のまんなかの一枚が格子戸になっていたので、なかを覗いてみたのだけど、よく見えかなった。雨戸や格子戸の前に、白い女性の乳房のようなものが掛けてある。いくつも並んでいるから、供えているようにもに見える。格子戸に向かってごめんくださいと声を出してみようかと思ったけどやめた。声が、どこかに消えてなくなってしまいそうな気がしたから。

 

f:id:nonsugarcafe:20190713093550j:plain

f:id:nonsugarcafe:20190713094038j:plain

f:id:nonsugarcafe:20190713100348j:plain

f:id:nonsugarcafe:20190713100600j:plain

 

 下りに入ると途中に工事の警備員がいて、交通整理をしていた。道にそう行き来はないのだろう、退屈そうだった。途中のひとりが僕を止めた。
「今工事用車両が通過するので、少々待ってください」
 僕はハイと返事をし、自転車と一緒になるべく路肩に寄って通過を待った。やがて上ってきた車は、小さなダンプカーだった。普通免許で運転できるやつだ。当然だろうけどこの道の幅やつづら折から考えるなら、大型のダンプカーじゃ無理であることは確かだった。小さなダンプがせいぜいだ。ドライバーが僕に手を挙げた。僕は軽く頭を下げる。そして通り過ぎると警備員が赤灯を振って「お待たせしました、どうぞ」といった。久しぶりに工事車両と他の交通がかち合い、交通整理をしたって感じだった。そして眺望の開けたガードレールのない場所から、新東名のトンネルを掘る工事箇所がしっかり見えた。上り線の新造で渋滞は解消した都夫良野トンネルだったけど、またさらに新たなルートを建設している。

 

f:id:nonsugarcafe:20190716231131j:plain

f:id:nonsugarcafe:20190713102944j:plain

 

 

 丹沢湖ってこんな湖だったっけ──?
 そう思うのも無理はなかった。かつてここに来たのはまだ十代の頃で、車を運転して通過しただけだったのだから。その頃から犬越路林道に興味を持っていた僕は県道76号をさらに奥へ、中川温泉を過ぎても進んだ。県道は林道に変わり、古くてもろそうな犬越路隧道をくぐった。この頃から一般車両は通行禁止だと書いてあった。トンネルを出た先が荒れたダートで、少しずつ進みながら数キロばかり行くと、大きな崩落で行く手を阻まれてしまった。そこまでだった。車じゃどうしたって抜けることはできなかった。僕は道幅のあまりない林道の路上で、気を付けながら10回以上切り返して車を方向転換した。残念だったけど憧れた藤野に抜けることはできなかった。僕はもう一度犬越路隧道をくぐって丹沢湖に戻ってきた。
 だから二度、この湖を見ているに違いなかった。
 何十年も前のことで、まして通過点に過ぎない場所など記憶すらなくて当然だから、「こんな湖」も何もない。今さらながら僕は初訪の目線で左回りに湖をまわった。そういうルートにしてきたわけだけど、ここではそうする必要があった。湖の北岸の道が東から西への一方通行なのだ。自転車乗りが湖をまわるときはセオリーで左回りに進路を取ることが多いけれど、ここの場合は左回りに走るほかない。
 三保ダムによって堰き止められてできた人造湖である。県道76号を上ってくる途中、遠くに大きく構えたロックフィルダムを見た。見た目高さもあり、そのぶんの坂を上ってダムを越えてきたら、静かな湖が広がっていた。僕は5キロ少々走って湖の周囲をひとまわりする。走りつつ止まりつつ見ていると、この観光地の時間が止まっているような印象を受けた。懐かしいというか、あるいは取り残されたというか。道路や橋は新しくなっても、それ以外のものはきっと昭和のころからそのままだ。商店がコンビニに変わることはないだろうし、郵便局にはきっとできたときのまま、壁に打ち付けで「利殖の決定版 定額貯金」とあった。商店の前にあった公衆電話が緑なので、むしろそれが時代から先行しているように錯覚した。きっとこれから先もこのままなんだろう。悪くない。全然嫌いじゃない。
 僕はできる限り無心でまわるようにした。計画段階から気になる道たちが、しかしながら通行止めとなって分岐していくから。秦野峠林道が分かれ、ユーシン渓谷への玄倉林道が分かれた。西岸に出ると中川温泉からやがて犬越路林道へとつながる県道76号が湖岸に沿って上っていく。そして世附よづくと書かれた県道729号を分ける。県道729号は路線名を山北山中湖線といい、丹沢山塊を越えて山中湖の平野に出る県道だ。もちろんつながっていない分断県道で、地図から見る限り登山道はありそうだけど、自転車じゃ無理だ。それと世附から先、県道分断箇所に至る手前でそこから明神峠へ抜ける道を見ることができる。道路として描かれていて、完全につながっているのを見つけたから気になって仕方がない。しかし一昨年、明神峠に県道147号で向かったとき、峠から分かれる道に強固なゲートを見た記憶もかすかにあった。
 そんな道に想像を広げたら、そのまま走り抜けたくて仕方なくなってしまう。だから今日は丹沢湖を一周しに来たのだとそれだけを呪文か念仏のように唱え、思いをはせないように気を付けた。水の多くない、底の土が見える丹沢湖を眺めて走った。そうやって気を紛らわせていた。

 

 四分の三周くらい回ったところで食事にすることにした。お昼には少し早かったけど、今ここを逃すとこの先食事をできるところなどなくなってしまうのがわかっていた。僕は湖畔の一軒の喫茶店に入った。

 

f:id:nonsugarcafe:20190713104248j:plain

f:id:nonsugarcafe:20190713112456j:plain

 

 時間の止められた喫茶店で時間の止められたミートソースを頼んだ。テーブルにはしみもくすみもなく床には塵ひとつ落ちていない。ドアのガラスも窓も指紋ひとつなく磨かれている。鋲打ち革張りの椅子は光るほどに拭かれ破れもない。テーブルの上には銀のトレイにタバスコと爪楊枝と紙ナプキンがあった。みな銀の部分は映り込むほどピカピカでガラスの部分は見通せるほど透明だった。BGMにはリチャード・クレーダーマンとポール・モーリアが繰り返し流れていた。どれもむかし僕がカセットテープで持っていた曲だった。イージー・リスニングを選んで聴く習慣があったわけではないのだけど、ひと揃えのなかにあった。おそらくジェット・ストリームで録音でもしたのだろう。BGMをずっと聴いていると、どこかに忘れてしまっていたカセットテープが出てきたような気分になった。そんな店で落ち着きながら、窓の外を見ていると、ロードに乗った三人組の集団走が高速で通過していった。それからしばらくののち今度はふたり組の男女が高速で走り抜けていった。もしかしたら丹沢湖は自転車練習によく使われる場所なんだろうか。また少しして男性ふたり組が走っていく。みな走ることに徹して景色にわき目も振らない。そんなようすをへえと思いながら窓から眺めていると、後ろでスパゲティの麺を炒める音がした。振り返ってみる必要もない。間違いない、スパゲティを炒めている。そしてフライパンは鉄だ。イタリアンでよく使われるアルミパンではない。音でわかる。
 麺が程よく炒められたミートソースが目の前に置かれると、独特の香ばしさが漂った。フォークは紙ナプキンでくるまれている。僕はねじり、、、を解いてフォークを手にした。
 スパゲティにミートソースを絡めながらくるくると丸めて食べていると、また三人組が駆け抜けていった。ディープリムのホイールの音が窓ガラス越しに届きそうなほど、スピードに乗っていた。またスパゲティをひと巻き口に運ぶと、また男女のふたり組が走り抜けた。次を口に運ぶ間もなく、ふたり組の男性が通過する。そういう場所なのだ、なんだか急に僕がここにいることは場違いに思えてきた。
 ミートソースを食べ終え、ホットコーヒーを注文した。お皿を下げてもらうと、後ろでは電動ミルで豆を挽く音が聞こえた。がりがりがりがりという音を僕は何をするでもなくただ聞いていた。相変わらずリチャード・クレーダーマンは鍵盤をしなやかにタッチし、ポール・モーリアはタクトを振っていた。三人組はもう3回4回とその姿を見る。男女のふたり組と男性のふたり組は周回を終えたのか後続での姿は見かけなくなった。代わりに現れた別の男性ふたり組がフレッシュな脚を披露していた。そんなのを眺めているうちにコーヒーが運ばれてきた。砂糖は琥珀色のガラスのシュガーポットに入って出された。サラサラのグラニュー糖に先の丸い小さなスプーンが埋まっていた。それには手を付けずブラックのままカップを口に運ぶ。そしてそのひと口にほっとしてカップをソーサーに置く。スターバックスタリーズのクセの強いコーヒーでもなくコンビニの味を濃くするためだけの深煎りとも違う、今じゃ無個性になった時間の止められた喫茶店のコーヒーだった。

 

 

 少しくらい晴れ間が出てくれてもいいのにと思うも、喫茶店を出ても天気は変わらず厚い雲だった。期待しちゃいけないんだった。今日は一日中曇、神奈川県地方は傘マークなく降水確率が低めだったのだから、この梅雨の折それだけでも感謝しなくちゃいけない。むしろ涼しくていいやって思いなおすことにして、残りの湖畔をめぐることにした。めぐるとはいっても、ここがロードの恰好の練習場所と知った僕は、湖畔にいることが場違いに思え、まずここを離れようと走った。走りはじめてすぐに三保ダムが見える。湖畔道路の分岐が見える。丹沢湖の出口、僕はそのまま県道76号の下り坂に入った。

 

 県道76号の下りと、分かれた町道は午前中に来た道の折り返しだ。町道は下って来た坂を上り返さなきゃならなかった。ブレーキをきつく握って来たぶん、ペダルを強く踏まなきゃならなかった。また同じ工事の警備員たちに顔を合わせるのが少し気恥ずかしかった。しかしながらさっきいた場所に誰もいなかった。小さなダンプが上ったり下りたりするようすもなかった。途中の平らな空地にハイエースが止まっていて、全開になった窓や開け放たれた扉から足が出ていた。どうやら彼らのお昼休みのようだった。いらぬ気恥かしさを気にせずよくなった僕はよしよしと坂を上った。
 午前中も通った三差路に出た。路面に、それぞれの行き先が書いてあるものだから、珍しくて覚えてた。「山北」「中川」「大野山」と書いてある。午前中は山北からやってきて中川へ下っていった。今は中川から上ってきてこれから大野山へ向かう。もう工事の場所も過ぎていて、人も車もいない。静かな三差路で僕は新たな方角へ進路を取った。
 この一帯は湯触ゆぶれと読むらしい。わかればなるほどと思うけど難読だ。茶畑が多く、それから森に入ると薄暗い夏木立のなかだ。午前中の都夫良野より斜面一段高いところを通っているのに、逆に眺望はほとんどなかった。どこまでも夏木立のなかだった。
 ──あれ? 雨か? そう思ったのはぽつぽつと身体に当たったからだった。それからいろいろと考える間もなく、しっかり降りはじめた。ざあざあと激しく落ちてくるわけじゃないのが救いだった。でもしとしとしとと絶え間なくしっかり降りはじめた。
 広い茶畑のなかを抜けているときはしっかり濡れた。でも背の高い木々のなかに入ると、まだ枝葉が濡れていないんだろう、雨が落ちてくることは少なかった。木々の葉が傘の役割をしてくれているのがわかる。しっかり雨を受ける音が高いところから聞こえてくる。
 雨は正直予想していなかった。時間別天気で見て終日降水確率は10%や20%だった。10%だろうか降るときは降るんだといわれればそうだし、外れてなどいないといえばもちろんなのだけど、他の地域の天気と比べて「降らないだろう確率」として見ている部分はあるのだから、残念な気分になった。とはいえ降り出してしまったものは仕方ないし、道としてはもう帰路でもあるのだから、このまま進むほか判断はなかった。
 深沢という集落に出ると、一帯を俯瞰するように景色が広がった。農家ばかりで多くは茶畑だった。ただの山の中で、海など当然だけど、川も街もどこにも見えなかった。山と畑と集落の家々と送電線しか見えなかった。どこかから煙が立ち上っていた。あらゆる緑はすっかり深く、夏の準備を終えて梅雨が明けるのを待っているようだった。最近、こういう風景を見てほっとするようになった気がする。まるでまんが日本昔ばなしの背景画のよう。絶景道路と呼ばれるダイナミックな有名景色もいいのだけど、ふつうにあってわざわざ見にくるのとは違う、こういう風景。別に懐かしさがあるわけじゃないのだ、こういうところで暮らしたことはないのだから。たぶん純粋に、いいと思うんだ。いいと思うようになったんだ。


 

f:id:nonsugarcafe:20190713130539j:plain

f:id:nonsugarcafe:20190713130810j:plain

f:id:nonsugarcafe:20190713133609j:plain

 

 大野山というのがさらに背後にあるのだろう。ハイキングできるように道標が整えられていた。そのひとつの場所に小学生くらいの子供たちとそれを引率する何人かの大人がいた。こんにちは、というと引率者がこんにちはといった。するとあとを継ぐようにこんにちは、こんにちはと子どもたちが口々にいった。ふつうにいう子もいれば、あえて大げさに大きな声やだみ声でいう子もいた。久々に会った「人」だった。パーティーは、降りはじめた雨に途方に暮れているというよりは誰もが楽しんで笑っていた。
 しばらく走る大野山林道は、この大野山へのハイキングコースも兼ねているようだった。そこから何組かのハイカーに会った。挨拶をするとそのたび挨拶が返ってきた。
 さらにこの大野山林道も離れる。鋭角に道を折れ飛柿林道という道に入った。雨がやむことはなかった。まあいいや、この先の茶畑を過ぎればもう下り基調だろうとタカをくくった。滑らない程度にスピードに乗ってあとは山北から新松田へ抜けるだけだ。山北まで下れば10キロもない。そんな計算をしながら、杉林と茶畑が繰り返すなか坂を上る。そしてここでいよいよ上り切ったのだろうという場所に出た。斜面に続く茶畑、道はそのなかに下り坂で消えていた。さあ行こう、もう下りだろう。ヘルメットからも雨がしたたり始めていた。
 そう思った瞬間から、握ったブレーキを離せなくなった。──なんて坂だ。乗って下るのが怖いほど。僕はサドルのいちばん後ろに、さらに腰が大きくはみ出すように座り、ブレーキの気を抜かずにゆっくり下った。スピードなんて出すどころじゃないし快適に下れるなんてひとつもなかった。道の中央と路肩は苔で埋まっていたし、夏木立ももう傘の役目を通り越してしまい、路面まで雨が届いていた。結果、じゅうぶんすぎるウェットコンディションだった。そして長かった。これが上りじゃなくて本当によかった。こんな坂は上れないなと思った。僕のガーミンには斜度計がついていないからどのくらいの勾配なのかはわからない。たとえば由比からさった峠への上り、その入口の斜度が延々と続くならこんな感じだろうか。つくば道の、押して上った坂道が何キロも続くとこうなのだろうか。上りと下りじゃ感覚の比較もできないけど、とにかくすさまじい下りだった。気付くと、林道は県道に突き当たっていた。

 

f:id:nonsugarcafe:20190716231309j:plain

f:id:nonsugarcafe:20190713135520j:plain


 県道725号、この道で山北のまちなかへ向かう。路線名が玄倉山北線だということ知る。──玄倉? また興味がひとつ湧く。ユーシン渓谷の玄倉か。でも確かこの県道、この数キロ先で終点なんじゃなかったっけ? あるいはその数キロ先の終点も玄倉の一帯なのだろうか。それともユーシン渓谷近くに分断された県道725号が存在しているのか。気にすれば気にするほど、調べれば調べるほど小さな魅力がたくさん出てくる西丹沢は、興味の宝庫であることは間違いないみたいだ。
 やがて住宅と背の高い建物が増えてきた。山北のまちなかへ出て、旧道から国道246号へ。大幹線道路に入ってひっきりなしの車の列に入りこんだ。久しぶりの道路交通。左手の西丹沢の山々を眺める余裕はない。しっかり濡れた路面の、路側帯や横断歩道の白線だけは踏まないようにかわしながら走った。新松田の駅に着いてみたら、同じように雨に濡れたハイカーが何組もいた。今日の降水確率20%はどこも雨だったみたいだ。
 自転車をしまおう。帰ってジェット・ストリームを聴こう。