自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

縁日? ここで?

 先日もみじロードのサイクリングの折、僕がオプションプランとして組み入れさせてもらった場所があった。もっともメインはもみじロードと館山北条海岸だったので、それらを外さずに行ける余裕があったらっていうオプショナルツアーだった。
 沢山さわやま不動堂とかじか橋。
 どんな場所か全く知らない。名前だって聞いたことないのだ。そこは観光名所として見聞があったとか地元の人の情報を得たとか、そんなんじゃない。ただ地図で見つけた、、、、、、、だけだ。
 さっぱり面白くないかもしれないし、朽ち果てて見られるものなど何もないかもしれない。じっさい僕にはよくある話だ。地図や情報があまりにも古かったりすると、道さえ寸断されてたどり着けないことだってある。地図上に文字を見つけて、その興味のままに赴くというのはそういうことだ。
 自分ひとりだったらいいんだけど、人を巻き添えにするのは楽しいはばかられる。
 みんなが関心がありそうな眼をしたら行こうかな、と思ってた。関心があればたどり着けなくても残念でも、「いや~期待はずれだったね」って笑っていえるから。

 

 

 結果、行くことになった。
 なんとなくの流れだった(これはよくない)。時間はちょうどいいくらいに余っていたし、ほかに立ち寄るところもない。北条海岸に早く着いて日没をじっと待っても寒いだけだ。
 そんな流れだから積極性はなかった。時間はあるようだし、ナガヤマが行くといって聞かないから仕方ない、ムードはそうだった。少し申し訳ないなという気持と、自分の期待値で僕は先頭を進んだ。

 

 南下していた県道88号から県道258号へ入り、1キロばかり行ったところで左に折れた。県道258号でさえセンターラインのない細い道路だった。これでこそ房総らしさ。林道級、ときに里道級の県道なんてごろごろある。しかし驚いたことに県道258号から沢山不動に向かう案内標識が出ていた。もちろんガーミンにルートは組み込んでいたけど、県道での案内標識でじゅうぶん役に立った。そこで左折。
 その道はまさに里の道で、ゆるゆると坂を上り始めた。県道に出ていた案内標識には900メートルとあったから、そう長いこと走らずに済むんだろう。
 すっかり苔むしたのり面を見ながら進むと、突然小さなつり橋になって道は終った。
 そのつり橋がかじか橋。振り返ると沢山不動堂があった。

 

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 もちろん誰もいなかった。殺風景で、もはや寂しさなど通り越している。ひとりだったら、暗くなったら、多かれ少なかれ不安に襲われるに違いない。
 かじか橋を途中まで渡ると、下に小さな滝が見えた。山岳地帯の渓流ならただの落差、、でしかないだろう、きっと滝などと呼ばない。ここには沢山七滝とか七ツ滝と称する滝があるようで(僕は沢山七滝と七ツ滝とは同じものだと思っているのだけど)、かじか橋の下に見えるこの滝はそのうちのひとつなのかもしれない。
 かじか橋から覗いた下流側、沢のほとりにあずまやらしきものが見えた。橋を渡った先から遊歩道が続いているように見えるので、行ってみることにした。
 古タイヤを鎖で吊るしたブランコがある。公園とでもいえばいいのか、広場というべきか。いずれにしてもそんな広さはない。プレイロットと呼ぶくらいしかできないけど、なぜこんなところにと思う。誰もやる人などいないであろう陰鬱。そしてこれきっと夜になるとひとりでに動くよね、そう思わせる妖気もあった。
 遊歩道の下り階段はずいぶん荒れ果てていて、枯葉や石や折れ枝がそこかしこに落ちていた。それらで埋め尽くされてるというほうが近かった。避けて歩くも踏んで歩くも歩きにくい。これが今年千葉県を襲ったふたつの台風によるものなのか、もともとこう荒れ果てているのかはわからなかった。ただこの荒廃感はなかなかない。好きな人ならきっと好むに違いない。
 あずまやの荒廃ぶりもかなりのものだった。ひとりだったら日暮れさえ恐ろしいなと思う。ベンチも柱も変色しカビが生えていた。あるいはもろくなっていて、力をかけたらばきっと音を立てるかもしれない。そして上から見た通り、沢のほとりだった。沢といっても濁り淀んでいた。透明度の高い清流ではない。
 沢の奥にはさっき上から眺めた滝があり、それは数段に分かれていた。この段数ですでに七ツ滝ぶんの何滝になるんだろうか。上を見上げると渡ってきたかじか橋が見える。
 気づいたら誰も下りてこなかったので、ここにいるのは僕ひとりだった。いやに音のしない場所だった。滝の音や沢の音くらいしてもいいのにと思ったけど、変に無音だった。かじか橋か、沢山不動堂のあたりにいるであろうみんなの話し声くらい聞こえてもよさそうだけど、何ひとつ聞こえなかった。僕はひとり取り残されている。
 あずまやには周辺案内図があって、沢山不動堂からかじか橋、それとこのあずまやをつなぐ遊歩道が描かれていた。文字の情報が明らかに少ない。「沢山不動」「東屋」「Zワンダー」しか文字が書いてない。Zワンダーって何だ? 書いてあるのはちょうど上のプレイロットのあたり。──Zワンダーって何なんだ?
 一帯が紅葉したらきれいなんだろうな。
 まったくしていないけど。周囲の葉は青々しているし、落ちるべき葉はもう落ちていた。でも明らかにモミジカエデがたくさんあるし、ポテンシャルは秘めているに違いない。
 僕は遊歩道を上がった。

 

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 もう戻れないかもしれないな、と思ったし、戻れてもみんなと会えないんじゃないかと感じた。でもそんなことはなかった。みんないたし、ふつうに会話をしていた。──この世がそう簡単にねじ曲がることはない。

 

 一帯の荒廃ぶりから想像がつかないほど、不動堂はきれいだった。不動堂の脇の建物は何だろう。庫裡くりか、あるいは籠堂こもりどうか、畳4畳ばかりの小さな小屋は、掃除の手がまめに入っているのか、畳の上にホコリも見られない。小さな本棚にマンガ本がぎっしり立ててあり(なぜ?)、その背表紙はじつにきれいだった。
 かじか橋とその一帯の荒廃ぶりと対照的な、手入れの行き届いた不動堂で手を合わせ、『沢山不動堂と七ツ滝』と書かれた説明板をカメラに収めた。帰ってからゆっくり読んでみようと思う。

 

 苔がいい雰囲気。帰り道、つい自転車を止める。

 

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 帰って説明板を読んでみた。
 むかしから「沢山のお不動さま」と親しまれているそこは、
「縁日は毎月二十八日、特に正月・六月の縁日には大護摩厳修ごんしゅうされ、遠近からの参詣人でにぎわう」
 とある。
 縁日? にぎわう?
 ここが? それって現在? 今? ナウ?
 本当なのかなぁ。あるいはむかし話じゃなくて? でもかつてのことであれば、
「かつて縁日は毎月二十八日……遠近からの参詣人でにぎわっていた」
 と書くはずだ。
 どうしたってここがにぎわっているようすが想像できない。
 道は細くて屋台が並ぶようなスペースも限られるし、人が毎月々にぎわうほど訪れたならこんなに荒廃もしないと思う。どうひいき目に見たって。可能性があるなら不動堂やそのわきの建物の手入れが行き届いていることから想像するくらいしかないのだけど、……う~ん、やっぱり難しい。

 

 だってどう見たってここは、ハイレベルな秘境だよ。

 

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