自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

秋深し会津旅2Days - 5(Nov-2019)

その4から続く

 

「ああなるほど炭酸水だ」
 ほのかな甘みと酸味を感じるのはそれが炭酸のせいなのかあるいは何かの成分によるものなのかわからなかった。僕の味覚は大したことないし怪しいから仕方がない。それでもきめの細やかなしかしそれなりに強さを感じる炭酸が口の中ではじけるのを感じた。強炭酸と銘打って売られている炭酸水とは別物で、同じ天然のゲロルシュタイナーに近い印象だった。
 美味しい。
 僕は朝、ボトルをお茶で満たしたことを少しばかり後悔した。今この水で満たせたらなと思った。うっちぃさんは物珍し気に口に含んでいるだけなので、話題性はともかくそれほど好みじゃないのかもしれない。僕は美味しいと思ってこの水をもうひと口飲んだ。
 炭酸泉の入浴はその効果ともども人気を集めていて、温泉施設やスポーツクラブなど取り入れているところも多くなってきている。それらは炭酸のお湯を人工的に作っているわけで、実際に天然の炭酸の温泉が湧くところは日本全国で見てもきわめて少ないらしい──確か10箇所前後だったような。つまりほとんどがゲロルシュタイナーではなくウィルキンソンの風呂に入っているということだ。ここは温泉ではなく湧き水だけど、ゆえにここも存在として希少なんだろうと思う。
 炭酸水は気が抜けると美味しくなく感じる場合もあるし、湧き水となればそれ特有の味を強く感じるだろうから、長時間入れておくボトルには不向きかもしれないな、そう何やかや理由付けしてボトルに入れることはあきらめた。でも本音は朝買ったお茶を捨てるのが惜しかったのかもしれない。
 大塩天然炭酸水。
 数年前に六十里越を走ってここを通ったときにも、湧き水の存在は認識していた。ただ具体的な場所を知らなかった(当時ガーミンはまだつけていなかった)し、炭酸泉だという詳細情報も知らなかった。ここも今ほどメジャーでなく情報も流通していなかった。単に存在として知っていただけだ。寄ろうとすれば地図に目を凝らしながら走らなきゃならないし、そのうえで道を脇にそれなきゃならないし、そこまでしてもなあという思いはあった。六十里越を新潟県側から越えて疲労がたまっていたのだ、きっと。興味は引き算し、余計な面倒を避けたのだきっと。
 今回は情報も得たし場所もウェイポイントとして埋めてきたので、うっちぃさんに「ちょっと寄り道しましょう」といって道を外れてきた。ただこの夏に事故があったとか、利用できなくなっている話も耳にしたので、飲めるのかどうかもわからず、見に行くだけ見に行ってみようと来てみた。そんな感じだったからボトルは止めた自転車に置いてきてしまった。
 もう少し飲みたいなという思いに後ろ髪を引かれつつ、
「さあ、じゃあ続き行きましょうか」
 といって自転車に戻った。

 

 会津川口まで輪行し、国道252号を走っている。これから只見を経て六十里越を越え、新潟県の小出に向かうのが今日のルート。県境までは只見線と只見川に沿って走る。鉄道・道路・河川の組み合わせは僕にとってのトリオ・ザ・ゴールデン(黄金の三つ編み)だ。
 ただ残念ながら只見線は走っていない。2011年、新潟・福島豪雨によって大きな被害を受けたこの区間は、そのときからずっと寸断されている。もう8年になる。線路こそ残るものの、ここを僕が走っても厳密な意味でのトリオにはならない。
 復旧はもうないものかと思っていた。復旧工費は80億円を超えるといわれている。只見線は収益を生まない赤字路線だ。運転をすればするほど費用のほうがかかる路線──しかも現在の営業係数は国鉄最大の赤字路線といわれた美幸線の1.5倍以上にもおよぶ──にそれだけの工費を出すメリットが僕にはわからなかった。このまま区間廃止もやむを得ないだろうという考えだった。豪雪地帯などで並行する道路が冬季規制を受け、地域交通を失う場合は赤字路線でも廃止は免れるという前提があるが、国道252号が通れなくなる只見から六十里越の区間は現在も運転されている。ならばなおのこと区間廃止はやむを得ないんじゃないかと思っていた。一日わずか3往復の路線が地域の交通を支えているといわれてもピンとこなかった。地元の人が使うのは、自家用車だ。
 しかしこの只見線の復旧が決まった。福島県とJRとで合意し、2021年の運転開始を目指し、現在復旧工事が行われている。
 是非には触れない。僕は地域住民でもないし当事者でもないから。結果を見れば只見線全線にわたってのトリオ・ザ・ゴールデンが2年後に復活することになった。
 特に橋梁を中心に、損壊した線路が見える。対して、並行して新たな橋梁がかけられたり、流出した路盤を埋め新たにバラストを入れたり、新たな枕木を入れなおしたりしている箇所も見られた。只見線は徐々に走れなくなったこの区間を埋めようとしている。

 

 でも、自然はそんなことなどひとつもお構いなしに、色づく紅葉風景を演出していた。

 

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 只見駅まで、何とか走り切った。
 何とか。
 体調不良など感じられなかった。なのにいつ頃からか腕がしびれるような感覚を覚え、手も脚も力が入らなくなり、頭がぼーっとするようだった。前に進み続けることがしんどかった。寝不足? ネットカフェじゃ寝られなかったのか? それがないとはいい切れないけど、眠気に襲われているわけでもなかった。自転車を漕ぐあらゆる力が抜けているのと、前に進もうという意欲が欠け落ちてしまっていた。標高を見た。会津川口駅を出たときとさほど変わりがない。──そうなのか。口のなかでひとり言を噛み潰した。ここまで多少なりのアップダウンはあったけれど、それはほぼ同じ上昇量と下降量だったってことだ。その事実は僕をがっかりさせた。この先六十里越が待っているのだ。つまり今日の標高差はここ只見を出てから上らないとならないってことだ。そして今日という一日が不安になる。この力の入らない体は山越えと60キロという距離を走れるのだろうか。
「お昼にしましょうか」
 僕はうっちぃさんにいった。もうすぐ12時。悪くない時間だった。「それにここを出るとおそらく、入広瀬ってところまで何十キロもなにもないはずです」
 駅舎のなかに観光案内をする地域の人がいて、車でここに立ち寄ったおじさんが食事できる場所を聞いている。みな同じだ。
「行きましょう。ちょうどいいですよ」
 とうっちぃさんがいった。
 駅前の通りをまっすぐ進んだ。この道は、昨日朝出発してきた会津田島へもつながる国道289号だ。
 ゆっくり流すように走りながら僕は、25キロあたりからか体に力が入らず軽いしびれなんかも出てて走るのがつらかったという話をした。今この状態じゃ長いこの先を不安にさせますと。
「それ、米ですよ」
 とうっちぃさんがいった。「米、昨日から全然食べてないでしょう」
 思い返してみる。そうかもしれない。昨日の朝は輪行した列車のなかで買ってきたパンを食べた。昼は会津川口駅前の食堂で味噌ラーメン。夜は祭りの屋台で買った広島焼だった。今朝もニューデイズでサンドイッチを買って、コーヒーと一緒に食べた。
「うちの奥さんなら米食べてないからだって、即いいますね。米信者なんで」
 そういってうっちぃさんは笑った。
「そうなのかもしれませんね」
 確かにそんな気もしてくる。僕はともかく早く食べるところに落ち着きたいと、なんとかペダルを回し続けた。
「まあここまで来てしまえば、小出まで列車が走るんですよね。それだっていいわけですし」
 うっちぃさんがそういう。確かに。ここで只見線の不通区間は終ったのだから、列車に乗ってしまえばそのまま小出まで行くこともできるのだ。じっさいそうすることはなかろうけど、うっちぃさんは気配りでそういってくれている。
 前を走っていたうっちぃさんがこれかなといって立ち止まった。
「ここですね。さっき駅でおじさんが聞いていた店。──あれ? でも暖簾が出てない」
 扉に下がっている札が見えたので僕はそれが読めるところまで近づいた。
「本日貸し切りって書いてありますね」
「貸し切りかあ」
 うっちぃさんはそれじゃあだめですねといいすぐさまスマートフォンを取り出して別の店を探し始めた。「貸し切りの店を紹介しちゃだめですよねえ観光案内も」
 そしてここがありますけどどうです? と僕に画面を見せる。鮨の名を掲げているけれど、ソースカツ丼やカレー、定食もあるようだ。いいですね、行きましょうといって僕は場所を頭に入れた。
 通りすがり、純麗なる黄に染まった大きなイチョウの木を見てはっとする。

 

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 米を食った。僕はソースカツ丼を食べ、うっちぃさんはカツカレーを食べた。1時間ばかりの昼休憩を取って外へ出ると、午前中よりも雲が厚いようで気温も若干下がっていた。肌寒い。とはいえここから上りなので上は着ずに行くことにする。
 只見川でいったいどれだけのダムを見ただろう。大半は水力発電のためのダムで、会津坂下からここに至るまでいくつものダムが連なって存在していた。阿賀川の支流で流域としては上流部にあたるのだろうけど、急流や深い渓谷がないのはこれらのせいだ。ダムに次ぐダムで川はダム湖が連なっているようなものだ。だからどこを取っても淀みばかり、まるで中流域から下流域のようだ。岩間を白い波が織りなす清流や、水の流れによって複雑に切れ込んだ渓谷や、滝や砂防ダムもない。豪雪地帯ゆえの水量と川全体の大きな落差ゆえこれだけの水力発電ダムを設けることができるのだろう。他の山岳地域であまり目にすることのない川の景観だ。
 只見ダムを過ぎ国道252号がダム湖に沿った大きな円弧を描いていくといよいよ日本有数の巨大ダム、田子倉ダムの堰堤が姿を現した。目の前に座するそれはあまりにも大きく、何度見直しても非現実的だ。都心でどれだけ高いタワー型ビルのコンクリートジャングルを見慣れても、それをはるかにしのぐ。
 重量式コンクリートダムの大きな一枚壁は無機質であるはずなのに、どことなしか人間味を感じさせた。それは長い年月にわたってここでじっと発電という業務をこなし、刻まれたしわ、、みたいなものに違いなかった。僕は数年前にもここを通っている。そのときは下りだったゆえパッと見て通り過ぎてしまったかもしれないけれど──下りってなぜかそういうもんだ──、そのときにもそう感じたし、今もまたそう思う。
 さてその想像を超えた大きさのあまり距離感を測れずにいるのだけど、しかしながらあの場所までにあの高さまで駆け上がらなくちゃいけないことが目の前にある現実である。ここまではいわばゆるゆると上ってきたに過ぎず、この田子倉ダムを正面に見たU字のカーブを皮切りに、つづら折と急激な斜度によって一気に上っていくことになる。
 その坂を上っていくと、つづら折のカーブをひとつずつこなすたびに、ここまで走ってきた只見川沿いの風景を俯瞰することになった。まるでドローンの急激な上昇みたいに。見下ろす角度がそのたびに変わり目くるめく展開を見せつける。鳥になったらこういう風景変化を日常的に見るのだろうか。あいにく高所恐怖症の僕は鳥になりたいと思ったことはただの一度もないのだけど。
 つづら折の終り、そこに短いトンネルがある。ここを境に田子倉湖側へと出るので只見の町の風景は最後である。僕はちらっと後ろを振り返ってみた。ずいぶん上った。そのぶん下のほうに見える只見川が、左向きに只見ダムに向かったあと弓なりに右カーブを描いているのがわかる。まるで地図を模式した地形を見ているようだった。地図が地形を模したにすぎないのに、地図ばかりが頭に入っていた僕にはそんな逆転現象が起きていた。そしてトンネルに入る。すぐに抜けると、田子倉ダムの堰堤と、ダム湖を一望する風景に一変した。

 

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 田子倉湖に沿った道は山肌を縫う巻き道で構成され、細かなアップダウンを繰り返した。急峻すぎて山肌に付き合い切れないとなると、今度はトンネルと橋梁で直線的に貫いた。道は人工物でありながらこの自然にまるで溶け込んでいた。それは田子倉ダムが一種の人間味を帯びているような風貌だったのと同じく、ただの無機質な道路が、自然界にはない白い色のガードレールが、この山の一部になっているように見えた。山は複雑な地形を形成し、ゆえに道はあらゆる方角から田子倉湖を望むことになった。
 そしてこれまでとはまったく異なる紅葉の風景が、大きな絵画のようにここに存在している。
 まるで別物だった。
 もちろん僕らは昨日からの旅路でさまざまな木々の色づきに、つど魅了されてきた。この時期を狙ってやってきたとはいえ、その迫力に期待値とかこうなるであろう事前想定を忘れてしまった。いい意味で裏切られ、その場その場で立ち止まり、風景を眺め、写真を撮ってきた。
 しかしここは明らかに格が違っていた。
 さっきくぐったきわめて短いトンネルは(田子倉第一トンネルという名前だった)、いわば只見と奥只見を明確に隔てていた。
 僕らの行動はそれまでと変わらなかった。みずからのペースで走り、みずからの意思で止まり、風景を眺め、写真を撮った。しかしながら明らかに個々の時間が増した。ここにある一段上のレイヤーは格別だった。
 思い返してみれば、昨日の食堂のお母さんは「そりゃ上のほうはすごいさ」といった。今朝只見線で会ったアテンダントは「向こう(六十里越のこと)はやっぱりすごいし、今日がいちばんいい」といった。ふたりとも、今年は色が悪いけどと注釈こそつけていたものの、絶賛すべき紅葉がここにはあった。
 大きな絵画というのはカメラに収められないものだ。どうやっても画角に入れられない。もちろんこういう場面での適切な構図や切り取るべき角度というのが写真のセオリーにはあるだろう。しかしながら僕はそんなものをひとつも知らないし、液晶を見ながらその答えを出すことなど当然できなかった。僕は力任せにシャッターを切るほかなかった。中に一枚くらい当たりが出るかもしれないと思って。
 ただ惜しまれるのは天気だった。今日は時間が過ぎるごとに雲が厚くなってきた。重苦しいグレイの空の下の紅葉を眺めるばかりになった。
「日の光に照らされる紅葉は断然映える」
 とうっちぃさんはいった。その通りだと思った。今ここで山々が日差しを浴びたらどんな光景になるのだろう。

 

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 そんなわけで一緒に走ったりそれぞれが写真を撮ったりしながら六十里越を目指していた。
 只見駅から新潟県を目指して運転している只見線は、田子倉ダムが近づくやすぐにトンネルに入ってしまい、この紅葉を共に楽しむ存在ではなくなってしまった。でもこの大絶景のなか、ごくわずかながら姿を見せる。かつての田子倉駅(2013年廃止)周辺である。いつの間にどうやって上ってきたのか、僕らが苦労して上ってきたこの標高までやってきて突如トンネルから姿を見せる。湖面からわずかばかりの高さの路盤は頼りなささえ感じ、その上の枕木もレールもずいぶん華奢に映るけれど、大きな運休に見舞われた記憶もあまりなく隠れた質実剛健さがある。そんなごくわずか顔を出す鉄路を取り巻くのがこの紅葉の山々だ。僕ははじめこの光景を女性的繊細な風景を感じていたけれど、ある面男性的な雄々しい風景にも見えてきた。そして見ているうちにどちらかさえよくわからなくなった。まして色とりどりの山があまりに静かにそこにあるものだから、まるで海の底なんじゃないかって錯覚するほどだった。走っていて僕はもはやここがどこなのかよくわからなくなってきた。
 そんな絶景を実感している人は多かった。このわずかな路線区間を、みずからのカメラに収めたいと集まってきている。ひとりふたりじゃなかった。かなりの数が只見線の写真を撮りに来ていた。人の顔にも幅広さがあった。かつて鉄道写真といえば男性固有の趣味分野だと思っていたしじっさい顔ぶれも似たり寄ったりだった。それが今はどうだ。デートのカップルもいれば親子連れもいる。指向ベクトルの異なる友人同士もいる。そしてここは都市部じゃないのだ。有名観光地ですらないのだ。アクセスが確保されず何時間も車を運転してこないとたどり着けないような最果てなのだ。
 鉄道、道路、湖、山、それを取り巻くこの季節の紅葉が、それだけさまざまな人を魅了するんだろう。道路のあちらこちらから、みずからの構図、みずからのアングルで只見線の線路を狙っていた。列車が来るのはまだ相当先だ。
 六十里越が近づいてきた。
「そろそろですか?」
 とうっちぃさんがいう。
「あの右カーブの先が六十里越トンネルですね。そのスノーシェッドからそのまま入る感じです」
 入口付近で止まれるような場所もないので、スノーシェッドからそのまま突入した。
 新潟県に入る。

 

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 14時50分。
 僕らは六十里越トンネルの新潟側坑口にいた。僕は二度目だったけどこの良さを再実感できたし、うっちぃさんは達成感に満ちていた。天気は良くないが、僕もうっちぃさんも何枚もの写真を撮った。僕が数年前ガラケーを使ってツイートをした場所だった。
 同時に僕はひそかに列車の時間が気になりだしていた。

 

 朝、僕は小出からの2本の時刻を調べていた。1本が14時25分発でもう1本が17時06分だった。あいだに短区間列車はあったものの、調べていたのはそのふたつだった。14時25分はもう過ぎている。そして17時06分が実に微妙な時間だった。
 そのあとの列車は調べていない。まだ帰ることはできるだろうけど、何時の列車になるかはわからなかった。
 僕はうっちぃさんにいった。
「小出を17時06分に出る列車を調べてあるんですけど、乗りますか? そのあとはまったく調べてないんですが」
「どのくらい距離があるんでしたっけ」
「40キロちょいです」
 ほんの少しだけ考えてから、うっちぃさんはいった。
「僕にかまわず行っちゃってください」
 もともと太陽は出ていなかったのに、この時間になってさらに暗さを増した気がした。風が肌寒い。日が出ていれば山の影で明確に気温が変わる時間だった。
「ほら、ナガさん明日仕事だし、僕は休みだからいつ帰ったっていいわけです。何ならもう一泊したって」
 あらたまっていわれると、僕はここまで一緒に走ってきたうっちぃさんと別々に走ることがとんでもなく寂しいことに思えた。昨日から一緒に走って楽しかったのだ。ここで急にそれぞれ走るという実感が、すぐには湧かなかった。
 天気のせいもあったかもしれない。急に暗く感じた空のせいもあったかもしれない。冷たくなった風のせいもあったかもしれない。
 うっちぃさんは何かをいってくれた。忘れてしまった。
 たぶん悩んでいたのはわずかばかりだったろうと思う。気づくまでほんの少しの時間だったろうと思う。
 そうだ僕らの旅はひとり旅が組み合わさってるだけなんだ。
 うっちぃさんも僕もひとり旅を好む。誰にも邪魔されず気を使わず旅をするという孤高の行為。僕らが一緒に走るときってひとり旅を並行しているだけなんだ。その延長にあるんだ。僕らがふたりで走ることは、1+1で2になるわけじゃない。1×2で2になるんだ。今日この旅だって1+1の旅ではないのだから、引き算で片いっぽうが失われてしまうわけじゃない。1がはぎ取られて寂しくなるわけじゃない。1×2で走ってきた旅なのだから、2÷2をしたってなにもなくならないんだ──。
「寒くなってきましたね。下りは間違いなく着たほうがいいですね」
 僕はリュックからウィンドブレーカーを出した。僕も着ますよとうっちぃさんも上着を出した。
「それじゃあまた会いましょう」
 下り基調だから駅で追いつけるような気もしますけどね、僕はそういって手を挙げた。うっちぃさんも手を挙げた。そしてクランクを半回転、回しただけであとはスピードに乗っていく下り坂に僕は身を任せた。

 

(本日のルート)

 

 

 後日譚。
 あの日うっちぃさんは小出駅の待合室で列車を待っていた僕に結局追いついた。まだ列車まで10分ほどあったので僕は急ぎ輪行しましょう、手伝いますといったのだが、着いたばかりで少しゆっくりしたい、次に乗りますといった。それから少し話をした。新潟側の紅葉もすごかったですねと彼がいい、ものすごく見ごたえありました、止まりませんでしたが何度も止まろうと思いましたと僕もいった。

 

「それよりもずいぶん自転車がいるんですね、この駅」
 というので僕も駅前に出てみると、3台の自転車が輪行収納していた。それとは別に2台の自転車がすでに改札をくぐっていた。
「気づきませんでした、本当ですね」
 どこからこんなに集まってきたのか、──確かに前の日も同じ会津田島行きに乗り合わせたたくさんの輪行袋がどこかへ消えてしまった。一緒の列車に乗り合わせた自転車がどこかへいなくなり、また集まるように同じ列車に戻る。
「そういえばさっき、まだ駅には自転車もまったくいなかったんですけど、僕が輪行収納していたらどうもおつかれさま~って、小径車が2台来たんです。黄色のジャケットとブルーのジャケットを着た人だったんで、それって……」
「ああ」とうっちぃさんもいう。「リバティに一緒に乗ってた……」
「そう、そんな気がしたんですよ。今はどこか行っちゃったんですけど。そうだとすると樹海ライン(国道352号)を越えてきたってことでしょうか」
「あり得ますね。小径車でも二日間の行程って考えるなら」
 すっかり暗くなった。列車の時間が近づいて、駅に車で送りにくる人も増えた。3台の輪行も収納を終えたようだった。
「そろそろホームに行きますね」
 僕は輪行袋を肩にかけた。
「また行きましょう」
「はい、また会いましょう」
 僕は改札をくぐり、跨線橋を渡ってホームへ向かった。

 

 のちに写真が送られてきた。もちろんそこには僕が一枚も撮らなかった六十里越の下りでの写真もふんだんに含まれていた。
「小径車二人組はやはりリバティに乗っていた人たちでした。予想通り桧枝岐で一泊し樹海ラインを越えて来たそうです。あのときいなかったのは一度駅に時間を調べにきたあと近くに飲みに行ってたそうです。めちゃめちゃお酒が好きなようで」
 そう締めくくられていた。

 

 

 ★この二日間の旅では本当にお世話になりました。写真も使わせていただきました。また行きましょう。

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