2018夏・東北/Day3五所川原-八戸#1(Aug-2018)
竜飛崎を取るか三沢を取るか──。
昨日五所川原のホテルに投宿したとき、僕はサイクリングを続けるための材料をふたつ持っていた。どちらのルートにするか、それによって取るべき宿が決まる。
竜飛崎は6年前のリベンジといっていい。かつてこの地を訪れた僕は竜飛崎を目指していた。しかし弘前を出発して、五所川原に至るまでのどこかで輪行袋を落としてしまう。帰るために必要なもので、途中で入手できればいいものの、輪行袋など津軽地域じゃ弘前と青森でしか手に入らない、五所川原から先、竜飛崎に向かう途中など自転車店すらないという現実を知り、行程を変えざるを得なくなった。僕は青森へ向かうことにし、竜飛崎をあきらめたのがここ五所川原だった。今、ふたたびここから竜飛崎へ向かうことで、6年前にあきらめた竜泊ラインを走ることができるのだ(竜飛崎自体より道路である竜泊ラインのほうが僕の好奇心の原点である)。
三沢という目的地は、それに比べるとずいぶんスケールダウンと取れるけど、『駅そば』が目的である。廃線になって久しい十和田観光電鉄の三沢駅駅舎で、もうその改札口を通る人もいないのに、その駅そば屋だけが元気に営業している(駅舎はバスの営業所として利用されている)。僕は青森へ出かける人がいれば、「
僕は三沢に行きたいと思った。今は三沢に行くべき、と思った。
ホテルは八戸に取った。
(本日のマップ)
(GPSログ)
◆
「あらぁ~~~~」
朝、五所川原のホテルを出発し、まず浪岡を目指すため国道101号に乗った。ホテルで空にしたボトルを満たそうと、最初に見つけたセブンイレブンに寄り、冷蔵庫からジャスミン茶を取ってレジに行ったのである。レジ打ちの女性は僕を見るなりそういった。いらっしゃいませともいわずに、である。
「私のぉ、甥っ子がぁ、やってるんですぅそういうの。いやぁなんか嬉しいわぁ」
「そうなんですか」
さすがにスポーツ自転車に乗る人、ここでもそう珍しいことではないと思うのだけど……。じっさいけっこうすれ違うし。両手をあげてまで驚くとは意外ながら、まあそこは話の流れなので合わせておこうと思った。「それはなんだか私も嬉しいです」
「どこから走ってるんですか?」
「昨日、能代からここまで来ました。今日はこれから八戸へ行こうと思ってます」
「それはぁ大変っ! 暑いでしょう、今日は」
「まあそうですね。でも日は出てないですし、昨日のほうが暑かったかもしれないです」
「そぉお? 今日のほうがムシムシと暑いわよ。まあでも日が照ってると確かに暑いわよねえ」
僕はコンビニのレジで立ち話をするという事例を持ち合わせていなかったので、そこに長々いることに抵抗を覚えた。ちらっと振り返って後ろで待っている人がいないのを確認できるとひとまず安心した。
「呼びとめちゃってごめんなさいね。ありがとうございます、100円ですねえ」
僕は百円玉を渡す。袋はいらないです、と伝えた。
「ありがとうございましたぁ。気をつけて行ってらっしゃい」
「はい。ありがとうございます」
そんな一日の始まりだった。
引き続き、国道101号を行く。
八戸への道は、ここから浪岡、黒石を経て十和田湖へ向かう。十和田湖からは奥入瀬渓流に沿って下りながら十和田に出て、一度三沢に立ち寄る。目的の駅そばを食べられれば、あとはホテルを取った八戸へ向かう。極端な話、ここはもう輪行でもいいかもしれない。
五所川原から浪岡への国道101号を走っていると、この道は二度目なんじゃないかと思い始めた。6年前、行程変更をした僕は、青森に向かうため走っているはずだ。でもまったくもって記憶がない。なぜそれに気づいたかというと、この道しか青森へ向かう選択肢がないからだ。
りんご畑のなかを走っていると、今日は岩木山がよく見えた。昨日は雲に隠れてまったく見えなかったから、僕は嬉しくてちらちらと眺めながら走った。国道は徐々に坂道になる。
幹線道路の交通量に交じりながら、じっくり上った坂のピークはトンネルで迎えた。
はたして道はそのとおりだった。
下り坂に転じてペダルも漕がず快調に飛ばすと、国道101号に対して横に交わる国道7号の青看標識があらわれた。
僕は6年前にここを左に曲がった。まったく予定していなかったコースで、地図も持っていなかった。ただ、輪行袋を手に入れるためだけに、この道を走ってきた。輪行袋のためだけに、青森に向かって左折した。
今日は国道7号には入らない。まっすぐ越えてしばらく奥羽本線に沿って南下する。ちいさなプレハブ小屋の駅があった。大釈迦駅であった。重々しい名前に反してちいさくて何もない、なんてことのない駅だった。
大釈迦から浪岡の中心街まで県道285号、そこから県道13号に乗り換えて黒石へ向かう。黒石からは弘前からやってきて十和田湖を目指す国道102号に入る。昨日一日と、今日さっきまで付き合ってくれた101号の次の番号の国道だ。
浪岡や黒石なんて初訪だった。走っていると弘南鉄道や黒石焼そばなんてものが自然と気になってくる。でもあらゆるすべてをスルーした。今日のルートは本当にルートのみしか入っていない。そういった寄り道もあっただろうに、線しか引かなかった。どうせ今日は走らずに帰るんだろうって思ってたフシがあって、事前準備などいい加減だった。ポイントはなにひとつ入れ込んでいない。ルートから外れて楽しんでみてもいいけど、地理的情報がインプットされていないから、ただあてずっぽうになってしまう。今さらながら、そうルートから外れない場所であれば、いくつかピックアップしてポイント登録してくればよかったと思う。もったいないことをした、と思う。
◆
東北自動車道の黒石インターを過ぎると、分離帯はなくなり車線が減った。そしてゆるやかに上り始めた。いよいよ山に入っていくんだなと思った。
頭上の青看に十和田湖の文字が初めてあらわれた。50キロと出ている。
──50キロ? 遠っ。
これからの上りに一瞬、不安を覚えた。
青看には奥入瀬渓谷が併記されている。こちらは51キロ。
とすると十和田湖というのは
頭のなかでおさらいしておく。今日の十和田湖までの行程のなかでピークに当たるのは
そんなわけで、70キロ地点/標高千メートル余りの御鼻部山展望台を目指せばいい。すでに30キロばかり来ている。十和田湖と書かれた距離表示に惑わされる必要はない。
トンネルに入った。ゆるい上りながら間違いなく山に入ってきているのだ。抜けた場所にコンビニがあった。ここでコンビニとはと少し驚きつつ、立ち寄った。十和田湖へ最後のコンビニじゃないかと思ったから。アイスコーヒーを買い、店を出て飲みながらこの先の道を眺めると、大きなダムが見えた。
そのダムは、
さらに右手の
◆
同じ国道102号であることが、信じられなかった。
しかし僕の好む道であることも間違いなかった。
黒石市内、東北自動車道のインターチェンジまでの高規格片側2車線中央分離帯ありは、そこから片側1車線対面通行となり、高規格のまま浅瀬石川ダムへ向かった。しかしダムを過ぎれば、みるみる国道の風格は消えてなくなっていった。
センターラインさえなくなり、場所によっては離合困難だ。
並行する浅瀬石川は美しい渓流になった。思わず何度も足を止める清らかさだった。やわらかい白波を編みながら流れていく清流は目に涼しく、優しかった。この川に沿って上っていける道はまるで林道みたいで、気分が良かった。車が、猛スピードで僕を追い越していく。もったいない、どうしてここを突っ走ってしまうの? そう心の奥でつぶやいた。そんなこというもんじゃない、と反面思いつつ、でもアクセルを強く踏み抜かして行く車のたび、何度もそうつぶやいた。
滝ノ沢峠とは、十和田湖南岸をまわって
嫌な予感がする。
もう10キロないはずだが。あと三百メートルも本当に上るのか?
広葉樹の森は、さらに深くなった。
見たこともない美しさだ。
そのなかを一本の道路が貫いている。
無駄に広さを確保していない。必要な幅、必要な規格で作られた国道102号。なんて美しいんだろう。
坂は、不安どおり容赦ない厳しさだった。僕は何度も足を止めた。でもそれでよかった。体力を使い果たしてしまったのもあるけど、この道が、止まりながらゆけといっていた。僕は坂の途中で足をつこうが、息絶えてペダルを止めようが、それで満足だった。余りある美しさに、そんなことはどうでもよかった。止ったらそこで休息した。風さえ入ってくることのない森は、葉が揺れることもなかった。
御鼻部山展望台は確かに標高千メートルだった。地図が間違っていたわけじゃなかった(正直、間違いに期待していた)。力尽きつつ、それでも展望台から十和田湖を眺めた。はるか眼下だった。
自分の琴線や嗜好が変化したのかな。
この十和田湖を見下ろす光景よりも、ここまでの森に包まれた道路のほうがよかった。もちろん展望台からの眺めは上って得た最高のものだけど、森の光景がそれを超えて感じるようになったのかもしれない。
「自転車で上ってきたの?」
からだを休めつつ、十和田湖を焦点なく眺めていたら、年配のご婦人がそう話しかけてきた。
「ええ」
「あらあ大変ねえ」
僕は自転車に戻り、補給用に持っていたはちみつを、ボトルのままどぼどぼと口のなかに流し込んだ。甘かった。とても、そして嬉しすぎるほど。それからボトルのジャスミン茶を飲んだ。少しずつからだが緩んで、少しずつ疲れが癒えていく気がした。
「ねえ本当に自転車で上ってきたのねえ。大変ねえ」
また、さっきの婦人がわざわざ寄ってきて僕にいう。涼しげで品のある恰好をしている。
「まあ、好きでやってるので」
とヨレヨレの恰好の僕は苦笑交じりに答えた。
「それにしてもよ。──今日はどこから来たの?」
「五所川原からです」
「あらそう。なら、近いわね」
──近い? 五所川原、近いか?
婦人はそれだけいうと行ってしまった。
僕は妙な引っかかりを胸の内に残すことになってしまった。近いってなんだ?
しばらくして駐車場を出ていった、練馬ナンバーの大きなシルバーのメルセデスの助手席に婦人の姿を認めた。閉め切った車内は適切な空調なのだろう、涼しげで快適そうだ。
確かに、練馬から比べれば近いか……。
下りの途中、七曲から見た十和田湖はじつにいい眺めだった。御鼻部山よりもいい眺めだった。車が一台と、カップルのオートバイが写真を撮っていた。
そしてさらに下る。
子ノ口は標高が四百数十メートルだった。
それを知ると、ずいぶんなところまで上ってしまったのだなと思う。もう少し考えて、上らずに済むルートを選べなかったものかと。
そしてここは、まかり間違うことなく、絶対的な観光地だった。
(Day3#2へつづく)