自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

久留里から外房へ、細い道(Jan-2020)

 少しだけ日の当たる木更津駅の端のホームから久留里線ディーゼルが発車した。たった1両の気動車は座席が半分埋まった程度だった。内房線の線路から右にそれてゆき、広々とした田園のなかをたった1両の気動車が走る。電化していない久留里線は架線柱がないから、余計に景色が広く感じられるみたいだ。たった1両の気動車はステンレスボディの新しいもので、軽快に加速し、トルコンを使って進段していく。ある程度の速度まで上がると直結と呼ばれるトルコンを介さない駆動に切り替わるのだけど、音で感じている限り久留里線の線路では直結に入る機会があまりない。たいしたスピードは出さないみたいだ。
 そうやって上総かずさ路をことこと走った。
 途中の駅は大半が無人駅で、バスの運賃のように、駅に着くたびに運転士が精算した。スイカが使えない路線なのに内房線からそのまま乗り通してきてしまったとか、両替の仕方がよくわからないとか、さまざまな客の対応をやってのけ、ドアを開閉し、もちろん列車も走らせるワンオペだった。たった1両のワンマン列車。僕は休日お出かけパスを持っているから大丈夫、面倒をかけることはない。
 終点の久留里駅に着いた。たった1両の気動車は右のホームに追いやられ静かに止まった。左のホームに対向の上り列車が3両で入ってきたものだからひどくちっぽけに見えた。列車の並んだ駅のホームの空が広い。そして青かった。構内踏切を渡って駅係員に休日お出かけパスを見せると、はいどうぞと古びた改札口を手で示した。僕は輪行袋を抱えて改札を抜けた。

 

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 久留里駅まで来た大きな理由はない。上総の地図で見つけたいくつかの細い道、、、をたどって外房を目指して行こうと考えただけだから、起点は別にどこでもよかった。あえていうなら今日使ったきっぷが休日お出かけパスだったからだ。このきっぷには久留里線の上総亀山までの区間が含まれている、だったら久しぶりだし久留里線乗ろうかって具合だ。かつてのホリデー・パスだったら久留里線は含まれてなかったから、木更津を起点にしたかもしれない。まあそういうことだ、そのくらいのことだ。使えるなら使う、鉄道に乗るのもまた同様楽しいのだから。
 久留里は湧き水の町。駅前の水汲み場でボトルを満たし、東へ向かった。

 

(本日のルート)

 

 東へ、県道32号大多喜君津線で向かう。
 房総半島の内陸の地形は入り組みが激しい。この道はまず小湊鉄道の月崎に向かうのだけど、そこまででもゆるゆると坂を上りトンネルに入り出て下って小さな集落を抜ける、そしてまた上る。それを二度も繰り返す。わずか5,6キロのあいだに。
 僕が冬に房総半島に来るのは、多少なりとも暖かいだろうって思うから。じっさい寒い日だって少なくないし、埼玉県と変わらないときもそれなりにある。それでも自然と暖かいところを求める。そして暖かい日に恵まれることだってある。気候はやっぱり違う。そのせいかどうかわからないけど、苔が、この真冬のさなかと思えないほどのり面を覆い尽していた。

 

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 県道32号を月崎まで向かわず、その手前で右に折れる。地図を眺めつつ見つけた道は今日の第一弾。細い川沿いの集落をいくつかつなぎながら、上総大久保の駅の反対側に出る道である。
 その道に入った途端、「車両通行止」の立て看板が立てられていた。いきなり? ──そう思ったけど道もきれいだしとりあえず進んでみることにした。
 集落の路地といった風情だった。農家のように見えるけど、日の当たる広大な農地を持った明るさはなかった。細い川を挟みこむように両脇からせまる丘陵部の山肌が、農耕地の存在など感じさせなかった。あるいは家の裏側に広大な農耕地が広がっているのかもしれないけど、こちら側を向いている家々の表情はじめっと暗く淀んでいた。
 むしろ僕はその雰囲気を好み、楽しんでいた。この道を見つけ、ルートに選んだ時点でそういう期待値を持っていた。

 

 車両通行止の立て看板は道の入り口で見た以降は現れなかったけど、何百メートルか進む時点でこれかとわかる箇所に出くわした。

 

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 ぜい弱な路盤が完全に流れ出てしまっていた。道路をつかさどる薄っぺらなアスファルトの路面もろとも。まず間違いなく昨年の台風15号か19号のせいだろう。道路がまるで力のないガラスのように割れ、いとも簡単に流れてどこかへ行ってしまった。
 僕はしばらくこの光景を眺めていたが、これからどうするのか判断しなきゃならなかった。何とか進むか、戻って県道32号で迂回するかだ。迂回とはいえ、県道32号は月崎駅手前でヘアピン・カーブし上総大久保へ向かう。迂回というよりメイン道路であり、距離だってこの細い道より短いはずだ。
 でもどうしても僕は今日の興味の原点をあきらめきれなくて、ここを自転車を担いで越えることにした。

 

 そしてその先は、まさに僕がルートを引いていたときから空想を描いていた道だった。静かで、誰もおらず、もちろん細く荒れた道だ。車など来ない。予想通りだ。弱々しく川が流れ、周囲は粗削りな岩々に囲まれていた。虫もいないしヘビも出ないだろう。房総半島を荒らしまわって問題になっているキョンやイノシシもその気配を感じさせない。冬眠中だろうか。
 集落はとっくに果てていて、軽トラックの幅程度であろうダブル・ドラックの細い道だけが続いている。「茂平の滝」と、観光地であるかのように立てられた看板があったが、水がちょろちょろ流れ落ちているだけだった。滝といえば滝なのだろうけど、華厳や那智のような迫力や、竜頭や白糸のような繊細さは微塵もなかった。しょぼくれていた。
 どこまで行っても枯れた草と常緑の木々しかなかった。最高にいい道だ。未舗装の可能性も思っていたけど、舗装路が続いている。
 道端に、投げ捨てられたみたいに軽トラが止まっている。一台かと思いきやまた一台。そのうちの一台の脇で、じいさんが猟銃を肩に山に目を凝らしていた。あるいは僕は本物の銃というものを見たのが初めてかもしれない。鉄としての重厚な造形は恰好良さもありながら冷徹さと不気味さも備えていた。
 しばらく走っていくとまたひとり、猟銃を肩にしたおじさんが山の斜面を見張っていた。何を狙うのですか──そう聞きたい欲に駆られたものの、場には少しだけ張った緊張感が、僕には車両通行止を突破してこの道に入り込んできた後ろめたさがあって、口を閉ざしてそのまま通り過ぎた。
 キョンかイノシシか。すると冬眠などしないのだろうか。
 坂を上って小さなトンネルに着いた。これを越え、下っていくと上総大久保に出るはずだ。

 

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 トンネルを越えた先の長い直線の、電柱の並びが印象的で、思わず足を止めて見入った。さらに下っていくと開放的な場所に出た。枯れ野のあいだを何本かの細い道が、直線ではなく何ともいえない幾何学的模様の曲線で走っていた。また足を止めた。つい見入る景色が次から次へと現れる。距離計8キロ。10時20分、1時間以上経っている。時速7キロ少々か──つい笑う。より早くより遠くへ、今日は何キロ走りアヴェ何キロだった、そんな現代ロードバイクブームの真逆を行っているようだ。笑う。
 ──たださすがにこのペースじゃ日が暮れちゃうことも心配しないと。

 

 すぐに上総大久保の駅だったのだけど、こじんまりと、無理な存在感も見せず、周囲に溶け込んだたたずまいに、つい見落として行き過ぎそうになった。その先に踏切を見つけたから立ち止まって戻れたようなものだ。小湊鉄道も非電化、架線柱のない線路は自然と混然となりがちだ。
 偶然そこに養老渓谷ゆきの列車が現れた。調べてきたわけでもないし計ったわけでもない。二、三時間に一本の路線は偶然というにもあまりにも奇跡的だ。ゆっくりと上総大久保の駅に進入し、止まり、乗降を行い、発車。久留里線のステンレス・ディーゼルのような強烈な加速はない。ゆっくり、少しずつ速度を上げて冬の木々のあいだへ消えていった。

 

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 本日次のテーマは県道172号大多喜里見線である。
 線籍はもちろん県道なのだけど、この道は今日のテーマの細い道、、、に間違いないと思っていた。
 県道81号から分かれたしばらくは白破線の中央線があるそこそこの幅員の道路だった。というもののやはり予想通りで、狭い丘陵地の枯れ野で野を焼く農夫の姿を見る頃になると中央線はなくなった。煙は高くたなびき、それを見届けるように道は杉を中心とした高木立の中へ入った。舗装され普通車であればすれ違いもできようというほどの道。昨年、この道と1番違いの県道173号を走り、やはり同様の楽しみを得た。期待値は間違っていなかった。
 ところでその県道173号を走ったときのルートとどこかで交差しているはずで、風景を記憶から呼び起こしながら走ったのだけど、結局わからずじまいだった。養老渓谷の畜産団地だけが共通のキーワードだった。
 道はセンターラインのない二車線幅のまま続き、高さ制限のあるトンネルやときに離合困難なまで狭まる場所もあった。房総は常緑の木々が多くここも同じ、背丈の高い薄暗い森のなかを、あまりカーブなども設けずに坂を上り下りする印象である。坂は全般的にきつめで、僕は足を止め休憩をはさみながら上っていく。これも昨年の台風の影響であろう、木々がなぎ倒れたり折れたり裂けたりしている。中途半端に折れかかったものは危険だからと切り倒したのだろう、真新しい切り株の木がなぎ倒れ、そのままになっているのもたくさんあった。それと電柱。数本にわたって電柱がなぎ倒れている箇所があった。今となってはコンクリートのただの棒と化したそれが崖下に重力のまま倒れ落ちようかという姿勢で、しかしながら周りの木々とつながっている電線に支えられ、斜めになった宙ぶらりんの状態で放置されている。道端には同じ位置に新たな電柱が立てられ、新しい電線が張られているからすでに対応はされているのだろう。取り残されし電柱。折れた大木と変わらない絵図。
 枯れ苔ののり面に沿って道は進む。

 

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 伊藤大山と浅間山の山腹を抜けると視界が広がった。眼下に町が小さく広がっているのは、方角からして大多喜の北部だろう。
 僕は町に向けて一直線に下っていった。

 

 

 外房へ向かうなら、交差する国道297号に入り大多喜の町なかで国道465号に移るのがセオリーだろう。でも今日は細い道をテーマに掲げたので国道を突っ切るように横切った。田園の中の道を、セオリーを外した道は若干の遠回りをしながらゆく。
 県道172号の高台から見ただだっ広さが、ここに来ると見通しのよさになっていた。枯れ野になった田園のなかを道がまっすぐ貫いている。その脇に無表情に並んだ電柱の姿が、またしても僕の足を止めた。

 

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 道をそれた高台の上に鉄道車両がぽつんと置かれているのが目に入った。僕はそこが何なのかも知らず、とはいえ後ろ髪を引かれるほどの興味はなかったけど、どういう場所なのかくらい見ておこうという何となしの興味だけでルートを外れた。丘の上まで長くはないのだけど急な坂を上り、ポッポの丘と書かれた高台に出た。僕の正面に地下鉄丸ノ内線の真っ赤な車両が居座っていた。
 見渡すと、千葉都市モノレールの懸垂型モノレールが地べたに置かれ、久留里線でかつて走っていた気動車が置かれていた。色塗りから銚子電鉄と思われる車両や、僕のまったく知らないおそらく地方私鉄の車両たちが脈絡なく置かれていた。なんだこれ、と思わず口をついた。
「113系がやってきました」そう書かれた小さな看板が、さらにもう一段上の丘に向かう階段路に掲げられていた。あまりに長かったらやめようと思いつつ、僕は自転車を置き、階段路を上っていった。

 

「入っていいよ、ブルトレも機関車も」
 上ってきた丘の、そこにいた人はそのおじさんひとりだった。もともと下の広場にも人は少なく、にぎわっているとはいいがたかった。だからわざわざここまで上ってきたところで人がいないというのも不思議じゃない。
「ふだんは閉めてるんだけど、今日は俺がいるから中入っていいよ」
 おじさんは、その口ぶりから判断するならここのオーナーに違いなかった。
「ここはまた……」僕は思わずストレートに口にした。「なんでこんな鉄道車両を?」
「いやね、最初に一台置いたらキリなくなっちゃってさ。次から次へとこう引き取ってきちゃったわけよ」
久留里線とか、いすみ鉄道とかはまだわかるんですけど、それ以外は運んでくるだけでも大変なんじゃないですか? ここにあるJRの車両なんかにしたって」
「そうなんだよ。だいたい一両持ってくるのに五百万前後かかんの」
「でしょうねえ。それに、維持するだけでもお金かかるでしょう?」
「かかるよ。メンテしたり色塗ったり。あと税金も取られるし」
「固定資産税?」
「そう。こいつらそういう金額で引き取ってるから固定資産だっつうの、税務署が」
 話せば話すほどわからなくなってくる。ただ脈略なく廃車車両を引き取っちゃ置いているおじさんなのか。
「ともかくさ、せっかく来てくれたんだから中見てってよ。俺がいるときは中開けてるの」
 ありがとうございます、じゃあお言葉に甘えてと僕は24系ブルートレインに乗る。ドアに向かって階段とか用意されていないから、操車場の作業員がやるようにステップに足を乗せ手すりに手をかけ踏ん張って上った。
 懐かしい、というか僕には新鮮だった。オロネ24──開放A寝台をじっさいに目にしたのは初めてだったことに気づいた。現役で走っている車両からこういった静態保存まで含めても。僕が乗ったのはB寝台ばかりだし、静態保存されているような場所でも見るのは開放B寝台と個室A寝台ばかりだ。僕はひとつの座席に思わず座った。反対側の座席は寝台としてセットされていた。
 カビ臭い車内に放送が流れていた。鉄道に狂したおじさんが子供だましに自分で放送でもしているんだろうかと一瞬耳を覆いかけたけど、よく聞けば実録の車内放送だった。車掌が寝台特急あさかぜだといっている。おじさんが乗車して録音してきたものだろうか。放送は、途中事故があり到着が遅れる見込みと伝えていた。
 よくよく見ていくとおじさんの鉄道愛の深さが見えてくるのがわかった。まずこのブルートレイン、驚くほどきれいにしてあるのだ。もちろんこれだけ古い車両で、長年酷使されてきたのだから経年による汚れ壊れほころびは目につくのだけど、そうじゃない汚れはないのだ。きわめて掃除が行き届いている。一寝台一寝台、洗面所、トイレ、デッキ、開放してある車掌室もみな、掃除の手が入っている。もう一両のB寝台にも行ってみたがやはり同様だった。どこもきれいにしていた。鉄道文化むらに置かれた10系寝台車の無残な汚れぶりとは正反対だ。ここで泊ってもいいくらいに思う。このおじさんに僕からも鉄道話題をを提供すれば、その盛り上がり次第じゃあるいは車内にひと晩くらい泊めてくれるかもしれない。
 ひととおり見て車外に出てみる。やはりおじさんの愛が行き届いている。屋根もなく静態保存されている鉄道車両の多くは、塗装が焼け、やがて剥げていく。みすぼらしいほどに白みがかって粉を吹いたようになってしまう。が、このブルートレインたちはそこまで朽ちてはいない。青は青さを残し、白い帯は白かった。床下機器も黒い塗装が光るようだった。これが白みがかったらおじさんは塗装をするのだろうか、大変なコストだ。それから僕はまるで牽引機のようにつけられたDE10型ディーゼル機関車を見た。ベンガラと称された国鉄ディーゼル機関車のその朱色は目にまぶしいほどだった。僕は思わずDE10のステップに足をかけ手すりを取った。機関室に向かってエンジン横の肩幅ほどもない渡り板の上を歩く。その高みからは下の広場まで見通せて、最初に目についた塗装の効いた真っ赤な丸ノ内線が、不似合いな農村の丘で鮮やかさを放っているのが見えた。

 

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 いすみ市に入っていた。かつての岬町を走っている。
 県道を間借りしないとならないところだけそうして、あとはまた細い道をゆく。
 今度は農道のようだ。あるいはあぜ道のようだ。
 枯れ野の広がりがこれまでと違う。房総半島の丘陵部を抜けたのだろう。ダブルトラックの一車線路を走ると、犬の散歩をするじいさんなんかとすれ違う。おなかがすいてきた。何か食べよう。
 風が強い。朝、久留里を出て上総大久保から伊藤大山を走る頃は感じなかったのに、午後になって風が出て来たのか、外房近くに出てきたことで風が強いのかはわからなかった。なかなかの強さで吹いている。
 おなかがすいているのもあって進まない。
 あぜ道を走っていて見つけたカフェに入った。室内の暖かさにほっとした。外は寒かったんだと気づいた。
 ランチを頼んだ。それから窓の外どこまでも続く枯れ野原を見ていた。きっと夏は美しい田んぼの風景になるんだろう。店主にそうなのかと聞くと、そうだといった。でももっといいのは4月、田植え直前の水を張った田んぼの美しさですといった。
 飛び込んだカフェは、自然食の料理を供した。マクロビだった。と同時にひしおからこだわった醤油、味噌、自然発酵の食品と調味料だった。マクロビにありがちな物足りなさや味の不感にはとりわけ気を使ってるといった。じっさい僕には適度なボリュームでじゅうぶんな満足が得られた。なにより、美味しいマクロビだった。

 

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 僕は駅に向かっていた。
 昼食に至るまで吹かれた北東風にやられ、気力を落としたのが本音だった。本当なら太東灯台まで行こうかと思っていた。でも岬町から太東埼へ向かうあいだの道はもう細い道ではなかったし、位置する場所がまさに北東だった。暖房の効いた部屋でランチを食べ、冷たい北東風に真っ向挑んでいかなくたっていいだろうって思い始めた。食べ終えて、コーヒーをもらう頃にはもう駅を探していた。
 40キロ──。
 自転車に乗る人からすればわずかばかりにすぎない。でもいいじゃない、僕は満足できたし。それに太東埼に行って多くの観光客に会う必要もない。むしろそうなれば今日一日の印象を損なうだろう。それでも行きたかったってなれば、また来たらいい。
 駅に向かった。それにまだ外房線の旅が残ってるよ。輪行だってまだ旅の延長だからね。

 

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