三浦海岸から三崎へ、海岸沿いを歩く(Feb-2020)
ここは歩いてみたいと思っていた。
三浦半島の先端は、よく自転車で走ったことがあった。三浦海岸から剱崎を経て三崎へ。神奈川県道215号・上宮田金田三崎港線という道がちょうどそのルートをたどっている。三浦海岸から金田漁港を過ぎた
ここを走ると、新道旧道、あるいはちょっとした路地道を経由することはあれど、なかなか海辺へ降りてみることがない。地図で見ると海岸や漁港、その周辺に固まった集落がそこかしこに存在するのだけど、行ってみることがない。なぜならどこへ行っても同じ道へ戻ってこなくちゃならないからだ。そしてそのピストンルートはみな坂道で、高台の上を行く県道215号から標高それこそ0メートルの海辺まで出る道なのだ。下ってからその海岸べりをめぐって先へ進むことができるのならルート的に魅力を覚えるけど、行ったら同じ道で再び県道215号に戻らなきゃならないとなれば、なかなか行動に移れない。
そんなわけでかつて、場所をあえて三浦半島の先端に限定し、距離を走らず時間をたっぷりかけてその行き止まりのひとつひとつをたどってみた。
今、見返してみる。もう三年も前のことだった。
この旅はとても満足だった。細い道を下っていった行き止まりの海岸や漁港とその集落は、どれもこじんまりとして素朴な営みがあった。こうしてみると県道215号沿いというのはどこも華やかだ。交通量も多く、地の人観光客にかかわらず多くの行き来があるから、活気を感じるし勢いがある。そしてそれとはまさしく対照的だった。そこには確固たる行き止まりの海辺の集落の営みがあった。世界が完成され、他から邪魔されることのない純粋さが存在していた。分け隔てられた世界は、閉塞であり確立だった。その重みを感じた。同時にそこにいるだけで僕のなかの現実味がすべて解き放たれた。感情移入性の高い映画のように、透明なスクリーンをまたいで世界に引き込まれた。
それと同時に、僕はこの旅で大いなる不満を抱いた。道がない以上、戻るしかなかったからだ。自転車である以上、道路を走らざるを得なかった。だから行き止まりをひとつひとつ訪れるたび、もと来た道路をまるまる戻って、完全なる現実の世界に一度戻らなくちゃならなかった。
歩くしかないんだな、と思った。
◆
三浦海岸の駅のホームは真っ直ぐで、そこに京急の真っ赤な車両が規律よく止まった。広いうえ12両編成でも止まることのできる長いホームでは8両編成の快特でさえ小さく収まって見えた。金沢文庫以南に12両編成が入ることはないから、どの列車だってこうやって小さく見えるのだ。オフ・シーズンの今、降りる人は多くない。降車客がぱらぱらと、高架ホームからの下り階段に消えるとホームはひっそりとした。快特の三崎口ゆきは上り列車と交換するため、発車することなくじっとしていた。僕も発車を見送ることなく、改札口への階段を下りた。
駅前は暖冬と晴天のおかげで春めいていた。早咲きの、河津のようなピンク色した桜がすでに花開いていた。
駅から5分も歩くと海岸に出た。各方向の交通がひっきりなしに続く三浦海岸交差点、ドライブにオフ・シーズンはないみたいだ。
ここから金田の漁港を経て三崎の台地に上るまで県道215号を歩いていく。夏は車でいっぱいになる海岸の駐車場の外に、遊歩道のように歩いて行ける道が続いている。僕はここを歩いた。駐車場にはまったく車が止まっていなかった。遊歩道も犬の散歩をする地元の人が歩くだけだった。静かでいいと思った。海を隔てて、房総半島のごつごつした地形が間近に見える。おとといからの強い風のせいか、砂は風紋を描いていた。
道端に止めたバンがリアゲートを大きく開き、前でウィンドサーフィンの帆の準備をしていた。洋上にも、多くはないがいくつもの帆が波に乗り風を受けているのが見える。それはひとつひとつとても小粒に見えるのだけど、こうして帆を目の前で見るとじつに大きなものだった。色とりどりのペイントが満開の花のように華やいでいた。海と、取り巻く人々がみなポジティブでアグレッシブで、都会的で洗練されていた。僕が抱く三浦のイメージにも合致している。
砂浜が狭まりやがてなくなってしまうのが見えるところまで来ると、この遊歩道も終ってしまった。仕方なしにサーフショップの軒から抜ける路地を伝って県道に出た。ここからは県道で行く。
県道に歩道はなかった。
街道歩きをしていると、そのたいていは大きな国道で、そこには歩道がついているのが常なんだけど、こういった地方の道を歩くと歩道がないこともある。ここもまたそう。
県道215号は三崎へ向かう主たる国道の134号に比べたら圧倒的に交通量は少ない。それでも車は走るし、大型車だって行き交う。それと自転車が多い。僕もかつてよく走ったというだけあって、自転車にとってみれば国道よりもここがメインルートだ。多いのは当たり前のこと。車線の左端を走るというルールの自転車ゆえ、ときに僕のすれすれを通っていく。車も恐ろしいのだけどそれもまた怖かった。三浦半島は走りなれた人が多く全般的に速度が高い。それが10人近い車列ともなるとかなりの脅威であることを知った。強者──例えば自転車から見れば車──に対しては意識を持つものの、弱者に対して意識を持つことは少ない。自分が走っていて怖くなければ歩行者がどう感じるかというのはわかりにくい。立場上それは仕方ないだろうし僕自身もそうだと思う。でもよくわかった。自転車に乗っていて、歩行者がいるときは速度を落としてじゅうぶんなマージンを取るようにしよう。一台であっても、怖いものは怖い。
金田漁港まで来た。むかしからここは独特の寂れ感をかもし出している。それよりすたれることもなければ栄えることもない不思議な場所だ。岸壁につけられた船と陸に引き揚げられた船、何台かの軽トラが無造作に止められ、わかめだか昆布だか、何か海藻が干してある。日曜日だからか動いているものはひとつもなく、人もひとりとしていなかった。静かな港、その向こうには東京湾と、隔てて房総半島が良く見えた。
金田漁港を過ぎると三崎の台地へ上る坂道がいよいよ始まった。幸いここに来て歩道が現れた。
県道は坂道とともに内陸に入ってしまう。できるなら海岸線の道を選びたかったが、そういう道はなかった。いくつもの地図を見比べた。国土地理院の地図にだけ唯一、人が歩けるだけの道の線を見たけれど、調べてみるとどうやら私道のようだった。だから歩きの今日も、丘の上のヤマザキYショップ──自転車乗りに最も知られた、そらで会話しても通じるコンビニ・商店のひとつだろう──までは県道215号で行くほかなかった。
何台もの自転車が、果敢に上りを攻めていた。
Yショップで県道から左に折れると、緑の台地が広がった。大根はまさに旬で、キャベツは今が育ち盛りのようだった。三浦の二大産品が、乾いた茶褐色の土を覆い尽していた。農家はみな総出で大根畑にいた。軽トラが畑の脇に何台も止められ、荷台をいっぱいにした車からどんどん走り去った。貯蔵倉庫では運搬用カートに大根がすき間なく積まれていた。横には空のパレットが乱雑に放置されている。放置されているのではなく、これから段ボールに詰めた大根を、このパレットに積んで出荷していくのかもしれない。その準備に置いてあるのかもしれない。
畑の中の道が独特のカーブで海へ向かっていた。実に美しい。軽トラ以外の車や、自転車もやって来ない。この先進んだところでどうせ行き止まりだからだ。
海が近くなると急な坂道になって台地を下り始めた。同時に道は狭まり、白い中央線は消え、舗装も貧弱になった。見通しの悪い細かな屈曲を経て、ここを曲がればいよいよ海に違いないというカーブミラーの先には間口漁港の漁村が広がった。大きくない港に通ずる狭い路地に家々が立ち並ぶ。釣りのメッカでもあるから船宿を経営している家もある。しかし時が止まったように、そして静まり返った町は、波に乗るウィンドサーフィンや刈り取りに大わらわの台地の農家とは全く異なる世界だった。歩いてきた延長線上にある場所とは思えないほどだ。
三年前に自転車でやってきた。そのときとまったく同じように感じ、町は作り置かれたセットのように変わらなかった。こういった感覚を覚えるのは、外房の海岸線に連なる漁村にも通じる。まさに異時空間──時代も場所も、どこかで
スラっと背の高い女性がひとり、入り江に沿って歩いていた。地元の女性かなと思って見ていたのだけど、何かを探すように歩いては、首から提げていた一眼レフで電柱の根元に咲いていた菜の花を接写していた。地べたに寝そべるようにして撮ったかと思うと、今度は大きく背伸びをして、家の軒を写していた。写真趣味でここにやって来たのかな。この漁村ならきっといい絵が撮れるに違いない。
僕も港を半周するようにまわり、いよいよ歩き旅ならではの道に入る。三年前の自転車ではここまできて引き返した場所だ。その道へどこから行くのか見当もつかなかったけど、防波堤に近づいてみるとその端の切れ目に肩幅程度の小さな階段が付けられているのを見つけ、これに違いないと歩を進めた。
その階段で防波堤を越えると、そこは道というわけじゃなく、きわめて自然な海岸だった。岩礁と、小砂利と砂が混じった砂地とが広がってる。地図で見た、徒歩道を意味する点線で引かれた道は、あるいはこの海岸線の好きなところと通れということだったのか。柵やロープで区切られた箇所も、セメントで平らに整備された道もどこにも見当たらない。
海の突端近く、岩礁の上に白い塔が立っている。間口港灯台。剱埼灯台がこの先の高台にあるからごく近いのだけど、この位置関係ながら意味があるんだろう。小さくて細身の灯台が岩礁の先に立っていて存在感がある。
そして岩礁と砂浜を繰り返すルートをたどっていくと、剱埼灯台が見えた。高台の上にその頭を覗かせていた。そこへ行ってみるとそれほど大きな灯台じゃないってわかるのだけど、この海岸線から高く見上げると大きく感じさせた。青空のもと、白さが余計際立って見えた。
今日は剱埼灯台には行かない。この海岸線で剱崎をぐるっとめぐるように歩いていく。今日は下から見上げるだけ。
「こんにちは~」
向こうから歩いてきた女の子が元気な声で僕に挨拶をした。小学生の低学年くらいだろうか。剱崎に遊びに来て海岸まで下りてみたのか、この辺の子ではないように見える。左手に派手な色のおもちゃのバケツを提げ、右手は何かを握っているのかぎゅっと指を閉じていた。僕も「こんにちは」といった。
「何か取ってるの?」そう僕は聞いてみた。このあたりで取るとしたら小さなカニだろうか。
「貝殻だよ」とその子はいった。
「へえ、探しながら拾ってるんだ。──でも落ちている貝殻はもう、割れてるのばかりでしょう」
「ううん、そんなことないよ」そういうと彼女は僕にバケツの中を見せた。それと同時に右手に握っていた貝殻をバケツの中に入れた。握っていたのも貝殻だった。「ほらちゃんと形そのまんまでしょ? それに巻貝だって割れてないよ。サザエだって見つけたんだから」
女の子は笑顔でまくしたてる。饒舌だ。
「すごいじゃない。みんなきれいだ」
そう僕がいうと、女の子はいっそう嬉しそうな顔を覗かせた。
「ねえ、写真撮らせてもらっていい?」
「うん、いいよ」
「じゃあさ、いちばんのお気に入りを手のひらに乗せてみてよ」
僕の言葉に女の子はよしって顔をして、バケツのなかを探し始めた。えっとね、すごいきれいなのがあるの、それが気に入ってるの、といいながら。なかなか見つからないのか、あれ? あれ? といいながら手を突っ込んで下からほじくり返す。なるほどトゲの立派なサザエもある。
「あった! これっ」
女の子は見つけるとそれを僕に見せた。
「なぁるほどきれいだ」
白と琥珀色の縞模様をした小さな巻貝だった。
僕はその貝を乗せた女の子の手のひらをカメラに収めた。
「ありがとう、きれいだね」
「うん。いいでしょ」
「まだ集めるの?」
「まだ集めるよ。もう少し探すの」
「そうなんだ。いいのが見つかるといいね」
「うん」
「気をつけてね」
「バイバイ」
女の子が行くと、それを追うように小さな男の子が歩いてきた。彼女の弟かもしれない。続いてお父さんとお母さんと思しきふたりとすれ違った。僕はみなそれぞれに「こんにちは」といった。お母さんがいぶかし気な視線を僕に送る。あるいは不審に見られたか。知らないおじさんと口を聞いちゃいけません、写真なんてもってのほか──女の子はそう怒られちゃうだろうか。
剱崎に自転車で来たことはあるが海に降りたことはなかった。ここと南南東にある房総半島
◆
岩礁と潮の入り組みが複雑だ。広い岩の海岸に海水が流れ込んでくるところがいくつもあり、そこはまるで川のよう。また満潮時にはこの海岸を潮が飲み込むのか、海水が雨上がりの水たまりのように残っていたりもする。
剱崎をあとに、海岸線を歩いていく。
ルートは持ってきたけれど、それにふさわしい道はない。岩礁が洗濯板みたいに広がっていて、とにかくその上を進んでいくだけだ。進路を自由に取ることに事欠かない。だからといって水辺すれすれをゆくと明らかに遠まわりになるし、広いとはいえ陸地側は三崎の台地が崖のように迫ってきている。自由に歩けばやがて潮の入り組みや流れ込みで行く手を阻まれるから、僕はできるだけ三崎の台地の崖に沿って歩いた。
洗濯板──そう、そんなふうにごつごつと、ヒダのように削られた岩がいちいち靴のつま先が引っ掛かって歩きづらい。進むスピードが極端に落ちた。
名無しの小山を横目に見ながら進んだ。もしかしてこの山はかつて三崎の台地から陸続きだったのかもしれないなと思う。僕は小山と半島のあいだの岩礁の上を歩いて進んだ。入り組む潮の流れによって長い時間かけて削られ、岩礁でつながる離れ小島になったのかもしれない。あるいは真逆で、かつては独立した島だったのだけど、隆起によって岩礁が現れつながったのかもしれない。
歩いていてもまったく道らしい道は現れない。岩礁の歩ける場所を選んで歩いているだけだから、あっているのか怪しくなってきた。確かにガーミンに入れてきたルートからは大きく外れていることはない。でもここがルートになるだろうと引いたに過ぎないから、そもそもあっているのか、そこを疑わなくちゃいけない。だんだんとわからなくなってきた。
僕が履いているのはふだん履きのタウンシューズで(歩き散策に出かけるときはいつもこれだ)、深い潮だまりや川のような流れ込みをそのまま歩くには向いていない。足を沈めてずぶ濡れになるか、ジャンプしてまたぐ必要があった。もちろん靴や靴下が濡れてしまうのは嫌だから、それらが現れるたびにジャンプした。
そんな今日のルート。
しばらく行くと標柱が立っていた。僕の進む方向には「江奈湾へ」と書かれ、僕が来た方向には「剱崎へ」と書かれている。つまりこれはここを歩く人たちへの道標であり、道標が立っているということはここをルートとして歩いていることが間違いじゃないとわかった。道標には「関東ふれあいの道」と書かれている。──その名はここ神奈川県だけじゃなく各都県いろいろな地で見たことがある。どのように定められたものかわからないのだけど、きっとハイカー向けに整備された道なんだろう。とはいえどの程度の整備なんだろう。いつだか自転車で林道サイクリングをしていたときに、横切るこの関東ふれあいの道を見かけたことがある。僕はその道にぎょっとした。道なの? 藪じゃないのこれ。歩くとか以前に入っていけないんじゃない? そう思えた。周囲を草に覆われ頭上には木の枝が覆いかぶさっていたから。人も歩いていないのか、踏みしめられたトラックも判然としなかった。いうなればどこが道のルートかよくわからなかった。もっともハイカーならばそのくらいは何の戸惑いもないかもしれない。
ただの
ようやく江奈湾の松輪漁港に出た。この2キロ弱に1時間を要した。
◆
再び県道215号。この道で江奈湾を半周まわる。この地区の唯一の幹線道路。車が走りロードバイクが走っていく。
湾を半周し、江奈のバス停を過ぎると県道は内陸に入って坂を上る。僕もそれに従って坂を上った。ここから毘沙門天浜までのあいだ、再び海岸線を行く道がない。
県道はもう何十年も前にバイパスができ、それはある程度の坂を上ると三崎の台地を貫くトンネルに入っていく。しかしながら毘沙門天浜に出たい僕は一度三崎の台地を上りきるほかなく、狭い旧道に進路を取った。
これがかつての県道とは考えにくい。畑や集落の中の路地だとしか思えない。センターラインなどないし場所によっては車のすれ違いも難しそうだ。ここがかつて県道であったことを示すものは、変わらずにあるバス路線くらいだろう。今もこの道を、三浦と三崎を剱崎経由で走る路線のルートになっている。この区間の運転手は大変だろうと思う。フルサイズのバスが路地の屈曲を見事に走っていく。
坂は急で、息を切らせながら上りきったら、畑の中の細い道に入った。高台から海を見下ろすように望む。洋上には伊豆大島が、白くかすんで横たわっているのが見えた。
せっかく上った坂を毘沙門天浜に向かってまた下り、海辺へと出た。そこは釣りを中心としたレジャー客でにぎわっていた。とはいっても駐車スペースという名の更地に止められた車はせいぜい10数台。浜で遊んだりしている子供もいて、簡易テントがいくつも張られていた。
横瀬島という小島を見つつ、また海岸線を行く。岩礁の上を歩くことはそれまでと変わらなかった。むしろ歩きにくさは増していた。台地の崖は岸ぎりぎりまでせまり、潮の入り組みもいっそう複雑に、奥にまで入り込んだ。そして見るからに深かった。岩礁の平坦は極めて狭く、進むほどに崖に追いやられていった。足場がいよいよ一歩分しかなくなると、仕方がないのでせり寄る崖の岩壁に手を這わせながら進んだ。ときには岩壁がマイナスの角度でそそり立ち、僕に覆いかぶさってくる。岩にほんの少し触れただけで、紺色のジャケットや脱いで手にかけていた黒のダッフルコートを真っ白にしてしまった。
毘沙門洞窟を過ぎ、大きな湾が現れるとまた県道215号が現れて吸収される。湾は毘沙門湾。この
ここなどもう港から岩礁への出方さえよくわからなかった。関東ふれあいの道、いったいどれほどの人が歩いているんだろう、この程度の案内で迷うことはないんだろうか。
岩礁の難易度は変わらず高く、もはや平坦はほとんどなかった。ごつごつと岩を上ったり下ったり、ひとつひとつを越えていくしかなかった。いちばんの平坦は潮の流れ込んだ海水の下だった。そのルートを選ぶならもう長靴しかない。逆に長靴があれば行けるかもしれない。ハイカーはどうしているんだろう、さすがに長靴をはいたハイカーも見かけたことはない。となるとここでの最強は釣り人だ。
僕は靴を濡らしたくないから、できる限り潮から離れて崖のきわを進んだ。崖は相変わらず急峻に海辺へと迫り、ところによってマイナス角で覆いかぶさってくる。公園の子供の遊具のような、丸い土管を垂直に埋めた箇所があった。土管はセメントで埋められ、この上を一歩一歩歩けというのか。ただでさえ直径の狭い土管を踏み外したら海だ。土管のセメントが朽ちて抜け、足をかけられないものもあった。それはもう大きく飛ぶしかない。もう仕方ないと、最初の一歩から、スーパーマリオのゲームみたいに助走をつけて土管を飛んでいった。小さな土管の直径じゃブレーキなんて掛けられなくて、一度乗ったスピードのままリズミカルに、でも決して踏み外すことのないように飛んでいくよりなかった。スーパーマリオジャンプ──もうあと戻りのできない進み方を、土管だけじゃなく浅瀬、入り江、隆起した岩と岩のあいだで何度となく駆使して進んでいた。やがて通れずどうしようもなかったら戻ろうと常に意識はしていたけれど、みずからそれができない状況を作ってしまっていた。どうなったって進むしかない。
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次第に大きくなった城ケ島と、半島と島の高台同士を結んでいる城ケ島大橋が目の前に現れると、宮川湾もすぐそこだった。今日一日の釣りを終えたのか、荷物を手に釣り人が僕の前を歩いていく。複雑な岩礁の上を、器用にルートを選びながら行くので、僕もそれに従って歩くことにした。
足には靴ずれができてしまっていたし、何よりおなかがすいていた。海岸歩きはふだん平坦な舗装路しか歩かない僕にとって負担が大きかったし、難しい場所も多かった。足を痛め、体力を削ぐのも当然かもしれない。
年配夫婦のハイカーとすれ違った。山歩きのびしっと決まった恰好で、名の知れたザックを背負い、名の知れたトレッキングシューズを履いていた。二本のストックを突いている。僕が歩いてきた関東ふれあいの道を、逆に西側から攻めるのだろうか。ふと、この岩礁でストックは邪魔にならないんだろうか、といらぬ心配をした。かといってストックなしで歩ききれるだろうか、とも思う。ふたりは僕にこんにちはといった。僕もこんにちはと答えた。見る限りきっと山岳経験も豊富そうだ、余計な心配に過ぎないはず。
宮川湾内をぐるっとまわり、漁港の前に食堂があった。僕は吸い込まれるように立ち寄る。しかし店は混雑しているようだった。車が駐車場を埋め、店の前にはロードバイクも三台止められていた。そして玄関先でベンチに座った十人ほどのハイカーグループがいる。これはだめだな。僕は店頭の自販機でコーラを買って飲んだ。それを飲みながら思った。
「魚は別に欲しくないな」
僕はコーラを飲み干すと空き缶入れに入れ、そこをあとにした。
──食べるところを探そう。
店はマグロ丼ばかりだった。どこも海鮮ばかりだった。他が僕の目に入らないだけなのか? 僕は洋食屋に行きたくなっていた。しかしどれだけ探してもそんな店は見つからないし、グーグルマップで検索しても出てこなかった。海から離れようが、幹線道路沿いを歩こうが、マグロ丼ばかりだった。
ようやく見つけたガスト。決めた、ここにしよう。僕はここでハンバーグを食べることにする。ここで一日を終えることにしよう。
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(本日のマップ)