自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

房総縦走曇天模様(Feb-2019)

 房総はかつての律令国時代の安房、上総、下総の「房」と「総」を取ったもので、房総三国という呼び名もあった。いってみればそもそも千葉県全域を網羅する総称である。しかし近年、房総半島という固有名詞のほうがむしろ耳にする機会も多く、房総といえば房総半島を指す略語としてなじんでさえいる。半島と本土との境界線はよくわからないんだけど、つまりは半島に含まれていない部分はもはや「房総外」ということか? そしてときにはかつての安房国の地域を限定しながら房総を語っていることだってある。テレビ、旅行誌紙、観光やウェブの情報等々。館山と白浜と千倉で房総の旅──とか。今は南房総市という名があるからかな。そうなると元来の「総」はどこへ行った?
 とはいえ、僕が房総というときも房総半島を意図して使っているし、逆に房総三国を意識して房総といったことなどない。
「千葉から海まで行こう」と僕はいった。そしてルートを引く。しろひ君は南房総の海岸線を走った以外は千葉県を走ったことがないという。僕は房総半島を走るときによく使う『内陸から海岸線に抜ける』というストーリー立てをベースに、自分でも楽しめるよう走ったことのない道も加え、それらを組み合わせて今回のルートを書き上げた。上総牛久や久留里を起点に考えることが多いこのルートだけど、今回は若いしろひ君と走るゆえ、あえて千葉駅スタートで考えてみた。
 ──千葉からスタートするなら、まさに房総三国縦断だな。
 抜けるのは外房、興津おきつの海。右上から左下へと斜めに伸びる房総半島を垂直に南下するので、半島を斬るように走る。
 ──でも興津って、上総興津だ……、安房に入っていないな。房総縦断などといっていいのか?
 いいじゃないの、房総半島縦断って意で──。
 自己完結、自己満足。まあ結果、何でもよしだ。

 

 計画ルートを見せると面白そうと彼は喜んだ。興津まで内陸で南下したのち、外房海岸線を北上するルート。太東灯台を見て太東駅にたどり着くものにした。

 

(計画ルート)

 

 駅前で自転車を組んだ。肌寒くて何度か身体が震えた。本当に暖かくなるのかなと首をかしげた。天気予報が、これまでの冬型の気圧配置は緩み、各地で軒並み10度を超えてくるでしょうといっていたからだ。せめて日が出てくれればそれだけで違うのに、そう思いながら僕は線路沿いの道を自転車を押して歩いた。
 待ち合わせは線路沿いにあるマクドナルドにしていた。僕は支柱に自転車をくくって店内に入った。まだしろひ君は来ていないよう。代り映えのしないソーセージマフィンセットをハッシュポテトとホットコーヒーで頼んで、窓際のカウンターに腰を据えた。しばらくして同じ道を自転車を押してやって来た彼の姿を認めた。一年半ぶり、見てわかるものだ。もっともこの道をロードバイクを押して歩く人も他に見当たらないから、脳が勝手に類推してそうだと決め付けたのかもしれないけど。
 まずは再会を喜んで、並んでモーニングを食べた。
 ルートの確認をする。外房興津の海まで南下したあとは海岸線を走る。海岸線はJR外房線に沿っているから、疲れたり飽きたりしたらそこで輪行しようと話した。

 

 

 しろひ君は僕よりも25歳くらい年下で、いってみれば息子みたいな年齢だ。そんな彼がまたなんで僕と走りたいというのか正直よくわからなかった。だからどういったルートを引くのがいいのか、とっかかりさえつかめなかった。年齢というフィルターは興味の視点を異なものにする。同じ道を走ったってそのとき感受するものは間違いなく違う。それは違わないとおかしい。
 一年半前に彼と一緒に走ったのは、今目の前にあるキャノンデールの自転車が納車され、じゃあ日光まで走ろうと出かけたときだ。それはルートにこだわりがあるわけじゃなく、新車をいろいろな局面で乗れればお試しくらいにはなるだろうと考えた程度だ。それから彼は榛名山ヒルクライムレースに出たり、赤城山ヒルクライムレースにエントリーするようになった(残念ながら台風で中止になったらしい)。なるほどアスリート指向の競い合うほうへ行ったんだな、って思ってた。
 自然なことだ。おそらく現在ロードバイクに乗る人は、大半がそうなのだから。速くなりたい、強くなりたいと考え、タイムを競い、平均速度を高める意識を持ち、いくつもの坂を上って標高を数値化する。外で飽き足らなければ家でローラー台に乗り、さらなる自己鍛錬を追求する。
 そういう指向性に対して僕に何ができるのかわからなかった。計測走行できる信号の少ないルーティングとか、アスリートが集まる練習名物の峠を盛り込むとか、数値化できるサンプルがたくさん蓄積された区間を適切な間隔で組み入れるとか、そういうことをするのがいいんだろうか。
 そのうち僕はわけがわからなくなり、引きかけの、目的なく迷走するルートの残骸をすべて捨てた。そして僕は自分がこの季節にいつも引くようなルートを作った。自分で走ったら楽しいだろうなって思うルートを作った。堂々めぐりの末、結局もとの発想に帰ってきた。

 

 

 だから休憩を取ったコンビニまででさえ彼を混乱させたかもしれない。いくつもの角を曲がり、選んだ道はまっすぐではなく込み入っていた。やがてどこかに入りこみ、やがて抜けだし、やがて突き当たった。こんなルートを地図もなく土地勘もなくただ後ろについて走ったら方向感覚すら失いそうだ。交差点のうちの何箇所かで、後ろから「右ですか? 左ですか?」と声がかかった。僕が次は右だの次は左だのいわなかったからだ。
 となるとこの先はさらに混乱させてしまうかもしれない。僕もいまだ走ったことのない、市原鶴舞インターチェンジから県道171号でアプローチする、鳳琳カントリークラブを経て伊藤大山へと向かう、市道125・70・223の各号道路だ。少なくとも僕はいちばんの楽しみで、ルートに組み込んだ。
 休憩を終えていよいよその道へ向かう。ここまでウィンドブレーカーを着ていたので写真もまったく撮っていない。僕はウィンドブレーカーを脱いだ。空は曇天。予報は朝から晴れマークが並んでいたのに、ここまでの2時間で一度も太陽が顔を出していなかった。

 

 県道171号に入ったときからすでにらしさ、、、がにじみ出ていた。市道に入るとそれはもう僕好みの房総の里道になった。ゴルフ場の看板と手もとの地図を頼りにしていけばそう迷うはずもなかったのだけど、じっさい何度か別の道に入りこんだりした。山の伏流水が沢になりやがて合わさって川になるところの本流がどれかわからないように、細枝のように分かれる道のどちらが本筋なのか迷った。でもそれもまたいい。まあ、少なくとも僕には。彼はどうだろう。一気に駆け抜けられず興をそがれているかもしれない。いちいち止まり、方向転換をし、枝のようなふたまたをもう一方へ入りなおす。僕はそのたびにごめんごめんという。
「今日はさ、ガチ林道は選んでないつもりだから、未舗装にはならないと思うから」
 徐々に細くなっていく道で僕は告げた。
「いつもナガさんってけっこうなところ、行っちゃいますよね」と彼が笑う。
「まあね。年じゅうじゃないけど」と僕は苦笑いした。
「タイヤとかどうしてるんですか? グラベル用のは」
「そんなのないよ。これで行っちゃってる」
 そういって自分の23cのスリックタイヤを指差した。
「そうなんですか? 自転車もこれ?」
「だってこれ一台しかないから」と僕はいった。「もっとも前はジオスのカーボンのあれだったわけで」
「そうなんすかあ。走れるもんなんですね」
「まあ、そこそこはね。深くなったり滑りやすくなったりすれば降りて押しゃいいし」
 僕はまさかねえと思いつつ、興味ある? と聞いてみた。するとあります、という。正直意外だった。へえと思った。
 ほどなくしてトンネルが現れた。手掘りのトンネルだった。房総の山中ではそう珍しくないけど、今日のルートに現れると思っていなかったので驚いた。
「ちょっと止まっていい?」と僕はいい、足を止めた。果たしてチバニアンの延長かどうか、掘割からトンネル側面にかけて地層がきれいに露出している。
「もちろんです! 写真撮りましょう」
 僕が止めた自転車に彼も自転車を並べると、背負っていたデイパックから静かにカメラを取りだした。それは重々しいニコンの一眼で、そのために彼はワンディなのにこんな大きな荷物を背負っていたのだ。僕がいつものコンデジで何枚か写すあいだ、彼はいろいろな構図をイメージして歩きまわり、何度かシャッターを切る。まるでそのようすは吉田さん(NHKドラマ10・トクサツガガガ)のようだ。

 

▽ 吉田さん@トクサツガガガ

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「すごいなそれ」
「こんなの持っているから、サドルバッグがこうなっちゃうわけですよ」と彼は笑った。彼のサドルには容量が大きくて定番の、オルトリーブのロールアップタイプが下がっていた。
「もともと輪行袋とか背中に入れてたんですけど、追い出さざるを得なくなっちゃって」
「なるほどねえ。趣味のほうで必要だから買ったの?」
「いえ、ただ単に風景が撮りたかったんで。風景はニコンがいちばんだって教えられて。人を撮るならニコンじゃないほうがいいみたいなんですけど」
 へえ、と僕は思う。走るばかりじゃないんだ、と彼の見方が変わる。
「こういうとこ、いいですねえ」シャッターを切りつつしろひ君がいう。
「それはよかった」僕は答えつつ、本当よかったと内心で思った。

 

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  カメラをデイパックに収めている彼の姿を見ていたら、林道に興味があるってのもあながち社交辞令じゃないかもしれないなって思った。

 

 僕らは市原市から大多喜町へ入った。山中にあった道は坂をぐんぐん下って、やがて視界の広がる田畑のなかに抜けた。いくつかの道と交差し、黄色と黒のとら模様の長い長い遮断棒が見えた。いすみ鉄道の踏切だ。
「ちょっと、休憩」と僕は声をかけた。
 駅は、西畑駅
「すごいっすねえ、超ローカルじゃないっすか」
「すごいでしょ」自転車を立てかける彼にそう答えるのだけど、肩でする呼吸が落ち着かなかった。左の大腿四頭筋がつりかけていた。
 背中のデイパックから一眼レフを取り出し、駅の外からホームからと構図を探してまわる彼の姿を見ていた。そして思わずしゃがんだ。なんかきつい。
 確かに房総の内陸に入れば入っただけ、起伏が激しくなって道は坂ばかりになる。それはわかっていた。房総半島はそういうものだ。でもこの疲れぶりは何だと考えるなら、僕のペースに無理があるとしか思えなかった。しろひ君に楽しんでもらうにはある程度のペースで走らないといけないと潜在的に思っているのか、ふだんひとりで走るのとは違う負荷がかかっているように感じた。
 ひと息ついてから僕も少し歩きまわる。雨よけ程度の小さな庇の下に待合ベンチがあって、列車を待つ人はいない。壁には時刻表が貼ってある。
「おっ! あと5分で来るよ」僕は直近の時間を見ていった。めったに列車に遭わないローカル線だから、なかなかラッキーかも、と付け加えた。
 苔むしたホームの端だの、雑草の生えかけた線路だの、それが描く急な左カーブだの、立ったり座ったり寝転んだりしながらフレームに収めていた彼は、今度は列車が入ったらどうなるかのアングルを探り始めたようだ。
「どっちから来るんですか?」
「向こうから」と僕は彼に向かって指をさした。もちろんホームにいる彼のその先の、上総中野方面を意図して。
 そして踏切が鳴り始める。天に向かいそうな長い長い遮断棒が降りてきた。彼はホームの先のレールが左カーブで消えていくその先を狙っているようだった。僕は踏切から、ホームに止まったところでも狙おうかなと思う。
 遠く汽笛が鳴った。が、それは僕の背で鳴った。えっ、とたじろぐ。そして180度向き直る。まだ姿は見えない。けれど間違いなく気動車のエンジン音が近づいてくるのが感じられた。
「ごめんっ! 間違えた。反対、こっちだわ」
 僕はそう大きな声で叫んだ。彼はどうしているだろう、しまったな。きっともう構図を決めてしまったに違いない。ホームでかなり小さくしゃがみこんでいるか寝そべっているだろうか。姿がよく見えない。怒られそうなミスだ。
 車両が見えた。S字カーブをゆっくりと曲がってくる。国鉄一般色で塗られている。
 キハ20だろうか。
 キハ20は、国鉄時代に全国を走っていた気動車キハ20系ではない。でもよく似ている。いすみ鉄道のキハ20は国鉄キハ20系によく似た、最新型ディーゼルカーだ。
 面白いことをする会社である。JRでもう本当に走れなくなった国鉄時代からの気動車を引き取ったのが始まりだろうか。それまで菜の花やムーミンとのタイアップで観光施策を打ち立てていたローカル鉄道に、大糸線に写真を撮りに出かけていたファンを呼び寄せることになった。これに右肩上がりの手ごたえを感じるとさらにもう一両、かつての国鉄気動車がやってきた。いずれも国鉄時代の塗色のまま走り、いすみ鉄道のウリはまぎれもなく『昭和』になった。ファンだけじゃなく懐かしむ人がたくさん訪れるようになった。しかし車両はもともとから老朽化していたうえ部品も少なかった。鉄道路線として日常の運行を営むにはどうしたって新造車が必要だ。現在鉄道気動車を作っているメーカーはみな『レールバス』と呼ばれる、バスのような折り戸と連続窓を使った、車体構造もバスに似通った製品をパッケージしている。色や微細な形こそ違えど、同じような車両が全国非電化路線で走っている。しかしこの車両を、いすみ鉄道は同社がJRから引き取った国鉄気動車・キハ52型のデザインで造るようメーカーに発注した──もちろん予算がないうえでの提案からメーカーとの折衝、設計や製造での試行錯誤、最後は双方の熱意でやりあげるプロジェクトXのような経緯があった。できあがったそれが350型。その系譜の最新車は塗装を国鉄一般色にし、車両番号にキハ20を付与した(型式としては300型らしい)。車両も機器も最新、しかしながら見た目は昭和の鉄道車両が今目の前にやってくる。『遊び』がここまで過ぎる会社って、相当面白い。
 キハ20は踏切でカメラを構えた僕の前をあっというまに過ぎた。

 

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 踏切がやみ、遮断棒が上がる。カーブのホームに止まった一両の気動車は、やがて軽快なエンジン音を高めて出発した。誰も降りず、誰も乗らなかった。急カーブの途中に造られた駅から、キハ20はカーブの先へ、すぐに消えて見えなくなった。
「いやあ撮り鉄みたいに楽しんじゃいましたよ」としろひ君はいった。僕は笑った。確かにそんな写真など撮ったことないだろう。

 

 ちなみにいすみ鉄道サイクルトレインもやっている。輪行代わりに使うことはないけど、旅ルートのセクションとして取り入れるのは楽しいと思った。僕が乗ったサイクルトレインは唯一ここだ。 

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 たっぷりの休憩になったはずなのに、道がゆるゆるとまた上り基調になると疲れが抜けていないことに気づいた。大腿四頭筋の脚つりだけは感覚がなくなったけど、それ以外のいろいろなところがくたびれている。だめだなあ今日は。自分のペースじゃないのか、気でも使っているのか、なんだかよくわからないけど、ともかくだめだ。
 平沢ダム、と文字が見える。左へ行ったところにある。ルートを引いたとき、地図でおおよその場所も把握していた。じっさいすぐだし、ルートもピストンにならず先で再び合流できる。じゅうぶん、立ち寄っていい場所だ。でも分岐の先のほんの坂道と、浮かんだ「まわり道」という意識が僕にハンドルを切らせなかった。
 こういうのっていつも後悔につながる。
 興味のある場所を見つけたときは、寄っておくべきだ。興味のある景色に出合ったときは、足を止めるべきだ。全体行程の時間や、疲労や残ライフ(自転車のための自身の体力の意)のバランスを考える必要があるなら、予定を変えて計画後半をカットすべきだ。なぜなら、途中で途切れたその先の旅は再訪の可能性があるけれど、全行程終えた旅の途中で立ち寄らなかった場所は、その行程にもう一度来る可能性が低いからだ。房総のこのあたりであればまた来る可能性もあるけれど、特に泊りがけで旅をする遠い地方であれば二度と訪れないことだってある。あるいは遠近かかわらずそういった場所も多い。教訓としていうならば近さ遠さにかかわらず、行きやすさ行きづらさにかかわらず、つねにそうやって行動すべきだ。
 小さな田舎集落の、地元治水に貢献する小さなダムを、ひとつ僕は見ることなく終えてしまった。見どころかそうでないかは別問題で、意識の問題。

 

 県道177号に合流し、このまま南下する。この道はちょうど、興津で外房の海へ出る。途中県道82号との重複区間を経ながら一本道だ。
「ここ右に曲がるよ」重複区間から海に向かう県道177号の分岐交差点で僕はいった。
「ここまできて、まったく『海』感がありませんね」
 いわれてみるとそうだ。途中コンビニで休んだとき、今日の全体行程を見直した。およそ65キロで海へ出る。コンビニにいたときが35キロだったから、あと半分ですね、などと話した。
 しかし僕の地図上の距離計はもう65キロを示している。なにより標高が100メートルを越えている。距離で多少の誤差こそあれ、この海を思わせる雰囲気がまったくないのはどうだ。
「ほんと同感だよ。でもさすがにもうすぐのはずなんだけどなあ」
 曲がった県道177号は500メートルばかり進んだところで突然落ちるように坂道になった。ピタゴラ装置の急傾斜にかかったボールのように、徐々に加速して転がり落ちるように、S字カーブを連ねて駆け下りた。
 JR外房線の踏切を渡った。そして国道128号旧道。そこは上総興津の駅前。海だ。海のまちだ。やっと着いた。そして突然、着いた。
 外房線の駅の周辺は、どうしてこうどこも『海』感が半端ないんだろう。海も浜もここからは望めない(近くにあるという雰囲気は感じる)のに、まちが海なんだ。夏になれば軒に浮き輪やビーチボールがかかるんだろう。水着にTシャツを羽織ってビーチサンダルで歩く人が往来するんだろう。走っているだけでそういう絵がレイヤーされるのだ。海なのだ。
「よーし、お昼!」と僕はいった。

 

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 昼に満足した。ラーメンを食べ、餃子をシェアした。餃子は大振りの、皮が厚めのもちもちしたタイプで、東武沿線にある珍来の餃子のよう。まちの中華系定食屋でテレビを見つつのんびりくつろいだ。
 店を出たが、晴れそうで晴れない。本当に一日曇天模様だ。天気予報にはおひさまマークしかないのに。小さな雲の絵ひとつないのだ。雨が降らないからよしとすべきところだろうけど、日が上らないのは寒い。ここまでウィンドブレーカーを羽織らずに走ってきたけど、さすがにもう無理だと判断して背中から取り出した。

 

 国道が海に臨む。ここからは外房の海を見ながら北上していく。
 鵜原から国道を離れた。海沿いの路地。外房海岸線にはこういった国道より沿岸にまちと路地がたくさんある。それぞれが趣深くって、何度も走り、それをここでも何度も書いてきた。
 ただこの鵜原から勝浦までのあいだで沿岸に出たのは初めてで、僕自身も新鮮だった。
「海、いいっすねえ」
「本当だねえ」僕は生まれてこのかた海なし県に住んでいるせいもあって、海に出ると格別のワクワク感があるし、海にいると何歳か若返ったような気持になる。当然だけど、それは気のせいである。
 外房海岸線の入り組んだ地形は海岸段丘で、崖となりむき出しになった岩肌がその層を鮮やかに見せているところも多い。ここもまさにそうだ。
 僕らは何度か立ち止まって、海沿いの風景を切り取っていった。

 

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 一度国道に合流する。僕がこの鵜原と勝浦のあいだの海沿いへこれまで入らなかったのは、距離がそれほどないからだ。国道から右折で離れ、また右折で戻るには、その面倒さとトレードオフする必要がある。そこまでして入ることをしなかった。かつうら海中公園に行くわけでもないし。
 でもいちいちこういうちいさなまちや集落を拾っていくのって悪くない。逆に北から南へやってくればいいんだろう。大原から鴨川、千倉へ向けて。そうすれば国道から左にするりと離れ、合流もスムーズにできる。
 勝浦のまちに入った。大きなホテル三日月が海に張り出すように建っている。
「どう、まだ走れる?」と僕はしろひ君に聞いた。
 計画行程は太東崎まで。まだまだ50キロの距離だ。
「大丈夫ですよ。走れます」
「あのさ──」と僕は言い出しにくいながら告げる。「けっこういっぱいいっぱいで。中断してもいい?」
「大丈夫ですか?」
「大丈夫なんだけど、ただ疲れがたまってるみたいで」
「わかりました。いいですよ。駅に向かいます?」
「いきなりもあれなんで、もうひと駅行こう。次の駅、御宿。そこでまた判断しよう」
「わかりました」
 食事を摂り、しっかり休んだものの、疲れがやっぱり取れない。脚がつるってことはなくなったけど、いろいろな筋肉が疲労していてどうしたってだるい。特に腕がひどい。どんなポジションであれ、ハンドルに手をかけるのもおっくうになってきた。

 

 勝浦から御宿まで、国道を離れていつも走る海岸線の道を行く。漁港を抜け、道は勝浦灯台の建つ海岸段丘の高台へと一気に駆け上る。この坂が、まったく上れなかった。
 ──こんなに走れないのって、いつ以来だろう。
 ぜんぜん進まないので、しろひ君はどんどん先へ行ってしまう。もちろん僕は先に上っていいよと声をかけた。そしていちいち行く先で彼は僕を待ってくれる。勝浦の漁港と内湾を望む展望台で、「写真撮りましょう」とさりげなく休憩をはさんでくれる。なんだかむしろ行程コントロールをしてもらってるみたいで申し訳なくなった。
 勝浦灯台にも行く気力がなくなっていた。コンクリートの塀と頑丈な鉄の柵で遠くから柵越しに見るしかできないけれど、考えてみたら彼にとっては初訪なのだ、そのくらい寄ってもよかったかもしれない。
 官軍塚の坂を下り、段丘崖をくりぬいたトンネルをくぐって漁港へ出た。いつもここに来ると通る道で、いつも楽しい道。それなのに、どうしても「御宿、遠いなあ」とばかり考えが浮かぶ。ペダルを踏む気が起きない。
「雰囲気いいでしょ」と僕はいった。なんだか自分の声が取ってつけたような感じすらした。
「いいですね。こういうところいいです」と彼はいってくれた。

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 再び国道に合流した。だめだもう本当にライフが0に近い。ペダルを3回と回せない。漕いではフリー惰性で走るのを繰り返すばかり。御宿でもう一度判断、そう勝浦で彼にいったけど、「やめる」以外もはや僕にはなかった。このまま国道をまっすぐ行き、御宿駅に向かうことを告げる。「もう今日は無理だわ……ごめん」と僕はいった。彼は「いや自分もけっこう来ました。終わりましょう」という。確かに勝浦の丘は効いたけど、でも僕に気を利かせてくれたに違いない。
 御宿駅までの国道がひどく長く感じた。いったい何キロあるんだろう。そう思った。やっと駅への枝道が分岐する。「左ね」「オッケーです」そう確認し、国道を離れた。
「雨ですかこれ?」
 確かにさっきから身体に当たる気がしていた。よくよく見るとガーミンやライトの上に細かな水滴が落ちている。
「ほんとだねえ」
「いやこれ、終わるべきですよ、ちょうど」としろひ君がいう。
 僕は笑う。僕に、気を使っている。

 

 御宿駅に着いた。
 南国風の明るい駅舎がまぶしいほどの駅だ。しかしながら一日続きの曇天模様、小雨混じりのもとでは少し浮いたふうにも映る。
「いやあ楽しかったですよ」
「そう? 太東まで行けなくてごめんね。申し訳なかった」
「いや、自分もかなりもうきてるんすよ。ここで良かったです」
 輪行パックし改札を抜けた。跨線橋を渡って列車を待った。
「また行きたいです。自分じゃ考えつかない道ばかりなんで、めちゃめちゃ面白いです。下手すりゃ今までのサイクリングのナンバーワンですよ」
 どんなお世辞だろう、僕は苦笑いが出る。
「そりゃいい過ぎでしょ、渋峠にも乗鞍にもしまなみにもかないっこないって」
 と僕は彼がいった有数のスポットを挙げる。
「いやほんとに。手はじめに、西伊豆スカイライン連れてってください」
 千葉ゆきの普通列車が入ってきた。4両編成で短い。車両を選ばないと混んでいる。混み具合を見てあわててホームを移動した。
 自転車を置き、自分たちもようやく落ち着く。
「オッケー、じゃ近々行こう。西伊豆へ」
「ぜひ行きましょう」

 

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(本日のルート)