自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

桜・菜の花・いすみ鉄道サイクリング(Apr-2019)

 暖かい。暖かくなった。僕の待ち望んでいた春が来た。出かけるのにふさわしい。こんな日だから出かけよう。
 車に自転車を無造作に積み込んだ。自転車一台だからバラしもせずそのまま、後ろの席を全部倒して。窓を開けて走るにはまだ少し肌寒い。6時台に出られれば良かっただろうになあ、残念ながらもう7時半をまわっている。だって昨日は熱海峠からさった峠へと走ってきたのだ。帰りの電車からずっと、全身どっかしらの筋肉疲労で楽な姿勢がないほどで(僕にはハードだった……)、帰って23時には寝たというのに、やっぱり起きることができなかったのだ。
 途中ファミリーマートでパンとホットコーヒーを買い、これが朝ごはん。三郷から首都高に乗った。
 日曜日の朝は車がすいていていい。首都高の小菅も両国も箱崎も、あれだけふだん渋滞する場所をストレスなく通過できた。日曜日であればたいていそうだ。湾岸線に入ってお台場から羽田空港近辺も、交通量は多いものの速度が落ちることもない。そのまま神奈川県に突入し、川崎・浮島で左に右に方向感覚を失いそうなループをまわってアクアラインに入った。アクアラインを渡って千葉県に入る。木更津で高速を降りた。出口の料金所で「日曜夕方、川崎方面渋滞予想あり」と電光板に表示されているもんだから、そのようすが思わず頭に浮かぶ。わずか15キロばかりの洋上の道にいつも1時間や2時間要する強烈な渋滞。加えて周辺高速や一般道から、その入口までつながる渋滞も足して考えるとやれやれと思う。今こんなにすいているのに。行きはよいよい、帰りは……とはまさにだ。
 高速を降りてからは窓を全開にした。車の外気温計はすでに18度を示していて、日差しも受けているから車内は温室のようだった。風が入ってくる。もう肌寒さはなかった。心地いい。車を運転するのだって気分がいい。春だな、やっと春だ。もう寒い日は来ないで欲しいって祈った。

 

 大多喜に向かっていた。そこで車を置くつもりでいた。
 本当はもう少し手前、木更津や市原、高滝湖あたりに車を置いて走りだしたかったのだけど、いかんせん時間が遅かった。久留里線に沿って走り、上総亀山から上総中野に出て今度はいすみ鉄道に沿って走る。大原まで走りきったら、サイクルトレインを実施しているいすみ鉄道にそのまま乗って(これは乗りたい!)、もう一度上総中野へ。そこから今度は小湊鉄道に沿って走って戻って来られたらいいなと思い描いていた。でもそのルートで走ると百キロに近い距離になってしまうのだ。房総半島って大きいんだってあらためて思う。横断するわけでもないのに。時間もそうだけど、身体もついていかないんじゃないか? だって昨日こんなにまで疲労したのかってほど、いろんな箇所から悲鳴が聞こえるんだから。
 しかしながら大多喜まで来ると今度は道のりが遠いのだ。これだけ順調に流れてきても10時を過ぎていた。帰りの渋滞を考えると15時には戻ってこないといけないと思う。そうなると限られた範囲でのサイクリングにしないと現実的じゃない。サイクルトレインは今日の目玉に取っておきたいし、そうすると大原発の列車が13時30分か14時40分、厳密に大多喜のまちを15時には出発しようと思ったら13時30分発が最終だ。
 ──いすみ鉄道だけに絞ろう。

 

 ルートは作ってきていたけど、さすがに大原までそのとおりのライン・ルートで走ると逆に時間を持て余すし、見どころも大してあるわけじゃない。大多喜から大原は地方の国道を走るだけだ。大型のスーパーやドラッグストア、ホームセンター、パチンコ店、ファストフードのドライブスルー、そんなロードサイド・ビッグストアが立ち並ぶ風景を見るためにアクアラインを越えてきたわけじゃない。
 とりあえず大原とは反対方向、終着の上総中野まで行ってみよう。そこからいすみ鉄道に全線沿って走るならいいんじゃないか。
 僕は手もとに持ってきていたいすみ鉄道の時刻表を見た。見ると少しあとの時間で上総中野ゆきの下り列車が大多喜を出る。
 ──列車を追いかけて、いっそ鉄道の写真を撮ることをメインにしようか。
 そんな考えに切り替わっていた。

 

 ◆

 

  久我原駅総元ふさもと駅のあいだで線路沿いの細い道に出る。しかしそこに到達する前、遠くから軽快なディーゼルエンジンの音と、カタンカタンという乾いた踏轍音を耳にした。ぎりぎりの時間だとは思ったけれど、やっぱり僕の足じゃ遅かった。そのあと線路沿いに出るまでの距離、時間から考えると、“残念ながら”とか“ぎりぎり”とかじゃなく、ぜんぜん、、、、遅かった。
 線路にはわずかながら油のにおいがした。行った列車が残したんだろうか。そこには警報機も遮断機もない、古枕木を線路のあいだに埋めて道にしただけの踏切があった。クロスサイン、止まれみよ、──第四種踏切。車などほとんど来ないから静かだ。鳥が鳴いている。春だ。やわらかく降りてくる日差しにも音があるように思える。いうなれば静かという音。春の音。日なたぼっこには最適だ。僕は自転車を置き、踏切の柵に座った。寝っ転がったっていい。どうせ往来などないんだから。石まじりの荒れた簡易舗装路の上だからそうはしなかったけど。
 しばらく座って日なたぼっこしてから、あらためて走ることにした。まだここまで4キロしか走っていない。
 夷隅いすみ川を渡り国道に合流し、上総中野方向へ走った。線路からそう遠く離れていないので、国道から分けた一本道の先に小さな総元の駅をちらっと見ることができた。パステルブルーの駅舎はメルヘンチックだった。無人駅で入出路の雨風さえしのげればいいだけの大きさはまるで小屋だった。メルヘン小屋の駅舎を見送る。
 線路により近いところを求めて国道を離れた。夷隅川の支流、西畑川を渡ると、また踏切が現れた。線路は見通しのいい築堤の上を行き、ゆるやかなS字カーブを描いていた。桜の木が一本、そこにあった。満開の花をつけたそれは、見事で、もっさりと重そうだった。
 さっき上総中野へ向かっていった列車が戻ってくるんじゃないだろうか。ならばここで写真を撮るのも悪くないなと思った。列車の時間を調べるとそのとおりで、10分後に大原ゆきとしてやって来る。
 ときどき車が通過するくらいで人などまったくいない場所。いくつか点在している住宅のどこからか、AMラジオの音が聞こえてくる。いい場所だな……。すぐそばに神社があって、この石段の三段目に腰をおろして列車を待った。一本だけの桜の木が、存在感よりも孤独を感じさせた。それいいじゃん、って思う。

 

 自転車に乗る人の大半、花が好きなんだろうと思う。ことに桜に関しては。もっというと桜についていえば日本国民おおよそみんな好きなんだと思う。だからこんな事を書くと嫌われそうだけど、僕は正直、どうでもいい。
 花見もしないし、テレビの桜の開花予想や開花状況にも関心がない。だからそんな情報をTVで見ても頭のなかを素通りしてしまう。どこどこの桜につぼみがついた、いよいよ咲く、五分だ七分だ満開だっていうネットの情報やツイートのいちいちにも興味がわかない。
 桜が悪いんじゃない。ひとつも悪くない。だってこうして桜が咲いている場所に来ればきれいだと思うし、桜並木を通れば気分まで華やかになる。そっと咲いている桜に出合えば、癒される気分にさえなる。でもそれが好きとか嫌いとかにつながるわけでもないし、あえていうなら、好きじゃないにつながっているのは過剰なメディアやネットの取り扱いなんだと思う。そしてそれに群がる人ごみなんだと思う。桜を見て語るのがこの時季の最先端エッジ──そんなにわかでやかましげな雰囲気が、好きじゃない。

 

 時計を見て神社の石段から立ち上がった。ぼちぼち踏切近くへ歩いていく。時間だ。でもなかなか踏切は鳴りださない。遅れてるのかな? 音もしない。聞こえるのはどこかの家のラジオの音だけだ。あと、ミツバチの羽音。目の前に伸びている菜の花に蜜を集めに来ているみたいだ。
 踏切が鳴りだした。3分遅れくらいだろうか。上総中野、西畑──わずかふた駅ばかりで遅れを出してたら、大原に着くころにはどうなってしまうだろう。奥の切通しのカーブから黄色の車両が現れた。一両。踏切を通過し、制限速度45キロのS字カーブを走っていく。350型という気動車だと思う。踏切の鉦がやみ、遮断機が上がる。気動車はS字カーブの先へ、ゆっくり姿を消していった。

 

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 僕はカメラをポケットにしまい、現在地を確認した。線路のS字カーブがガーミンでも確認できる。
 ──もしかして東総元ひがしふさもとの桜のトンネルに間に合うんじゃないか?
 僕は地図上、S字に曲がっていくいすみ鉄道の線路に対し、直線的に延びる国道を見てそう思った。カーブの先に消えていった大原ゆきは、総元、久我原とふた駅止まってから東総元へ向かう。まっすぐ突っ走ればあるいは、などと思った。
 自転車を飛ばす。期待するような速度じゃないのはわかってるんだけど、僕なりに飛ばした。しばらく走ると並行していた夷隅川が離れ、いすみ鉄道の線路が近づいてきた。その先でゆるやかに、均等に曲がる右カーブが見える。線路に沿うように桜がカーブを演出する。満開の桜で真っ白だ。よし間に合ったか──。僕はどこでもいいからカーブをとらえられる場所を目指す。
 道路も線路に並行するように右にカーブを描いていた。その路肩には、もう詰めようもないほど車が路肩に並んでいた。そして人がみな道路を歩いてくる。ひとりふたりじゃなく、大勢。びっくりするほどの人の数。みな、止められた車のどれかの扉を開ける。それを見て僕は悟った。なるほど、もう列車が行ったあとだこれ、間に合わなかったんだ。
 僕は自転車を進める。駐車は東総元の駅近くまでつながっていた。そして人も続々と現れる。みな一様に、カメラ背面モニターで写した写真をチェックしている。国道の歩道から高い三脚と長い望遠レンズで線路を狙っている人もいる。こんなにいすみ鉄道の写真を撮っている人がいるのか、僕はそう驚いた。
 僕は東総元の駅に立ち寄ってみた。駅舎もない無人駅。桜の木が一本、そこに立っている。数人の人が残っているけれど、列車が出てからわずか数分、まるで閉園して電飾だけが点滅する遊園地か、マラソン大会が終了しアーチだけ残ったゴールのようだった。取り残されたような寂しさがあった。

 

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 ここまで来てしまったので、また上総中野まで坂を上って戻る気も起きず、駅や列車の見えるポイントに立ち寄りながら大原に向かっていくことにした。
 時刻表を見ると次の列車は大多喜発着なので、このまま張っていてもやっては来ない。大多喜よりさらに先に進もう。あとで戻ってきたときにいい絵になりそうなところがあるか、探しながら行こう。
 そう思いつつ走った線路沿いの道は想像した以上にいい道だった。線路に並行して景色はどこまでも素朴だった。東総元で見たようなカメラの砲列もなかった。そもそもカメラマンがひとりもいなかった。有名ポイントじゃなければ人はいないのかもしれない。
 大多喜の駅前には寄らず、先に進んだ。信号待ちのタイミングで時刻表を確認する。国吉の駅に行ってみようかと思う。確かあの駅は列車交換が多く行われる駅だ。予想どおり。12時01分に来る上りと12時05分に来る下りが交換する。これを狙おう。まだ時間はある。
 その前にもう一本、時刻表に下り列車を見つけた。時計を見るともうまもなくだ。何といいタイミングだろう。どこにする? そうだ、車で来るときに見た国道297号の跨線橋はどうだろう。線路と駅のホームが左右黄色い菜の花に覆われた、城見ヶ丘の駅だ。ガーミンを見て場所を確認すると大多喜の中心街からそれほど距離はない。間に合いそうだ。

 

 わずか数分で跨線橋に着いた。車を運転していたときに見たとおり、駅を俯瞰する位置にあった。そこにはすでに三人のカメラマンが待機していた。跨線橋には落下物防止の高いフェンスがあり、みんなその金網と金網のすき間からレンズで狙うようだ。僕は邪魔にならないよう、あいているすき間のひとつに立った。
 いよいよ列車の到着まであと2分ともなると、どこからやってきたのか人が増えてきた。金網のすき間はすべて埋まった。車からでも見えたくらいだからわかりやすい場所なんだろうけど、東総元といい、いすみ鉄道沿線がこんなにも写真を撮る人であふれていることに驚いた。僕がいる跨線橋だけじゃない、その下の線路に沿った歩道にもいつの間にか砲列が並んでいた。
 列車が入ってくる。東総元では列車を逃して写真を撮ることができなかったから、最初のS字カーブの踏切以来だ。あのときは誰もおらず僕ひとりだった。今はレンズが周囲に並ぶ。僕だけ、ふだんのサイクリングで使っているコンパクト・デジタルカメラだから、ひどく見劣りする。踏切が鳴り、警笛を鳴らした黄色の気動車が入ってきた。一斉に一眼レフのシャッター音が高速で鳴る。それは強烈な音の嵐だった。テレビで記者会見を見ているときのよう、そんななかに僕がいるのは初めての経験だ。プロかアマチュアかさえもわからない。機材が見たことなくて、それが素人にも手に入れられるようなものなのかさえ、僕にはわからない。音もなく、デジタリィに連写画像を切り刻んでいくだけの僕のコンデジとは違う。僕は気後れを覚えた。ズレた機材で周囲から浮いた感。
 それでも僕は写した写真に満足した。ぎりぎりだったけどこの跨線橋へやってきてよかった。列車は大多喜の駅へ向けて走っていった。行ってしまうと、カメラマンたちは霧散した。僕ひとり、列車の走っていった余韻に浸っていた。駅のホームを見た。列車が出たあとのホームって、駅の大小にかかわらず独特の雰囲気があるものだ。僕は好きだ。それを眺め、感じ、楽しんだあと、自転車に戻ると周囲にはもう誰もいなかった。
 

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 なるほど桜は今週末がピークなんだろう、もうどこもかしこも、桜の花が満開だった。風で散り始めてはいたけれど、じゅうぶんに見ごたえがあった。加えて菜の花で知られるいすみ鉄道の風景がある。このコラボレーションは季節感を表現するのに余りあるほどだろう。自転車で国道を走っていても右に左にそれが見える。春だから房総、春だしいすみ鉄道、という根拠もない直感的な動機でやってきた僕は、この人出に圧倒されるばかりだった。一週遅らせればよかったのかもしれない。きっと桜って一週間したら散るよね……。
 ずいぶん走って国吉駅に着いた。11時50分。まだ時間はあるけれどすでに駅には多くの人が集まっていた。乗るのだろうか、それとも駅で写真を撮るためか。
 僕も駅やホームのようすを見たり撮ったりしてみた。そうやってうろうろしているとロータリーに観光バスがやってきた。止まって扉が開く。なかからは一眼レフを提げた人が続々と降りてくる。いすみ鉄道の写真を撮るツアー? バス一台だからそれだけでかなりの人の数だ。僕はこの場を離れ、駅向こうの田んぼに移動して、遠目から眺めてみることにした。写真は、それだけの距離だと僕のコンデジじゃどれだけ寄って写せるかわからないけど。
 パチンコ屋の裏手からあぜ道に入り、踏切を渡るとすでにカメラを準備した人が5、6人いた。ここも有名スポットなのかな。ちらっと見まわすとやっぱりコンデジを使っている人などいない。三脚を立て脚立に乗っている人も、大きなカメラバッグをかたわらに置き、どんと座っている人も、楽しげに談笑するカップルも、みな大きなレンズのついた一眼レフだった。すでにシャッターを切る大きな音がときおり聞かれる。アングルを決め、露出とシャッター速度を定め、試写しているんだろう。
 上り列車が出ていくのが12時10分。撮り終えて12時15分にはここを出て、おそらく1時間もあれば大原に行けるんじゃないかと思う。ただし寄り道なんかしてちゃだめだ。途中に桜並木の土手が続くところがあったと思う。でも13時30分の列車に乗るのだ。サイクルトレインゆえ輪行の収納の必要はないにせよ、手回りきっぷを買ったりするし──それが窓口でないと買えない──、パスモで自動改札をくぐるわけじゃないのだ、それなりに時間がかかるって考えてたほうがいい。
 12時01分は過ぎた。およそ3分くらい遅れて、上り列車が入ってきた。往年の国鉄急行キハ28だった。おそらく後ろにつながれているのは大糸線からやってきたキハ52に違いない。タラコみたいな首都圏色一色に塗られている。
 脇の留置線に、これも国鉄時代の気動車、数年前まで久留里線を走っていたキハ30がいる。並んで見るといい絵だ。じっさい、これらの国鉄気動車たちのおかげでこうやっていすみ鉄道に人がやってくるようになったのだ。
 駅のホームは上りも下りも人でいっぱいだった。みな写真を撮ったりしているんだろう。ホームのたくさんの人たちと、囲まれる列車を見て、その活気になごんだ。
 停車時間がたっぷりあるから、まわりもみな思い思いにシャッターを切っている。さっきの城見ヶ丘でのカタパルト的重苦しさはなかった。一枚一枚、それが自由なタイミングで、じつにのどかな光景にさえ思えた。駅の活気、遠目に撮影するこの場のムード、全部含めて春のやわらかさを感じる。
 今度は背後から警笛が聞こえ、大原からの下り列車がやってきた。こちらは僕がさっきS字カーブで見送った、黄色の350型だった。僕も振り返ってカメラを構え、連写する。そして気動車が踏切を通過した瞬間、僕は思わずカメラの手を止めた。
 ──これ、乗れないじゃないか。
 やってきた列車は車内がいっぱいだった。座席はもちろん、前方、後方、手すりから吊革まで、乗客であふれていた。すぐに、いすみ鉄道サイクルトレインの説明にあった、「混雑により持ち込みをお断りすることがございます」という文面を思い出した。明らかにお断りされるであろうレベルの混雑だった。
 このあとの行程計画が脳内真っ白になる。やれやれ。それでも駅のホームで並んだ車両3本をカメラに収めた。

 

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 とにかく、大多喜に戻ろう。無理に離れた場所まで行かず、大多喜に近いところにいよう。
 僕は国吉駅までやって来た道をそのまま戻った。さっき目にしながら来た風景を、逆回しフィルムで見ているよう。同じ道を単純にピストンするルートを好まない僕には、じつに面白味のないルーティングになった。ひどい話だ、馬鹿馬鹿しい、季節を考えればわかっていたじゃないかと思う。そして代替案を考える。もう気分も冷めた、まだ早いけどこのまま車に戻って帰ろうとさえ思った。

 

 上総中野くらい行ってみよう。
 そうすることにした。

 

 

 同じ道をたどるのも味気ないから、大多喜城に近い丘越えの道で行くことにした。線路からは離れるけど、線路近くばかりうろうろしていると同じ道ばかりになってしまう。最後に大多喜に帰るときだって同じ線路近くの道になるから、行きだけでも別の道にする。
 あとになって思えば、まちの北側から県道172号を経由し、伊藤大山をなめて月出からまわってくるのもありだった。想像だけでもいいルートだ。ただそうしなくてよかったのかもしれない。今の何の変哲もない丘越えでさえきつくてきつくて、自転車の調子でも悪いんじゃないか、ブレーキがこすれているんじゃないか、ホイールが曲がって入ってるんじゃないか、そんな余計なことばかり考えるほど、上れなかった。わずか標高百メートル少々の丘が苦しくて、本気でやめたくなるほど。自転車が重くて、身体が重くて、進まなかった。この状態で伊藤大山の200メートル超はしんどい。
 でも何が悪いわけじゃない。結果的に僕のポテンシャルがそんなものなのだ。自転車のせいにしても仕方がない。おそらくはたから見れば、あるいは数値的に分析すれば、ふだんと何も変わらない、、、、、、、、、、、のだ。
 百メートルそこらをなんとか上りきって、下りに転じるものの全然気分良く乗れなかった。漕がなくていいから漕がないわけだけど、疲労感ばかりで爽快感がない。だるくて、結果的にただ漕いでいないだけ、そんなふう。

 

 下りきって国道465号に突き当たると、そこは上総中野の駅の入口。そのまま僕は駅に立ち寄った。駅舎の改札口を通して向こうに黄色のキハが見える。それがまさに発車しようとするところだった。軽いエンジン音と、キハ20系のような外観は、350型。これおそらく国吉の駅で見たやつだ。満員で僕の目の前の踏切を通過した下り列車。僕に大原まで走ることをあきらめさせた列車。それが終着ここ上総中野まで来て、しばらくのちの今、上り列車として出発するのだろう。
 小湊鉄道との接続駅でもあるけれど、残念ながらそちらの車両はいない。そもそも小湊鉄道の上総中野までやってくる運用ってけっこう少なくて、休日5本しかない。ここに時間を決めずにやってきて、小湊鉄道の車両が見られたら、それはラッキーだ。超ラッキーといってもいい。さらに小湊鉄道いすみ鉄道の双方の車両が並ぶのは日に二度か三度しかないらしい。それが見たけりゃ、時間を調べ、狙いをつけて来ないことには無理だろうね。

 

 上総中野からひと駅目の西畑駅。ときどきここをサイクリングの経路にするので何度となく通った駅なのだけど、いい場所だ。無人駅、駅舎なし。カーブの途中に設けられたホームは当然弓なりで、静かな旅情をかき立てる。桜の木が一本、ホーム脇に立っていた。
 さらに線路に沿って進むと、次の総元駅とのちょうど中間あたりに長い直線区間がある。時計を見、ここで最後にまた列車を撮ってみようかなと思う。
 道路脇には空き地のようなスペースがあり、そこに車が何台も止まっていた。線路沿いに下りてみると、やはりすでにカメラを準備した人が数人、場所を決めていた。列車の通過までおよそ10分。よく見ると長い直線の先には満開の桜の木があり、まとめて長いレンズで抜くのかもしれない。この場にいる人はみな、それ用かどうかは知らないけど、とんでもなく大きなレンズのついたカメラを手にしている。直線の向こうのほうでも撮ろうとしている人が何人もいるようで、線路ばたに人影がたくさん見えた。ここも有名撮影場所なのかもしれない。
 通過時刻が近づくにつれ、車がやってきては人が増える。一日車で列車を追いかけているのだろうか。人が増えてからやってきた女性のふたり組は、「なんか向こうのほうがよくない?」と直線の先を指差していい、「移動しよっか」「間に合うかな」「大丈夫じゃない?」などと会話して、すぐに車で出ていった。
 ふと、僕は何をしているのだろうと思う。
 僕だって大多喜まで車で来たのだから、自転車など使わずそのまま車でまわったっていいわけだ。列車を追いかけてその写真を撮るのならむしろ車のほうが好都合だ。自転車のほうが小回りが利いて機動力があるなんてメリットが浮かびそうだけど、そんなのは都会だけの話だ。ここらあたりの土地なら車にかないっこない。ましてや僕の自転車の速度なんてスポーツ自転車の基準でさえないから、都会ですら機動力に欠けるだろう。列車を撮ったらさらにまた追いかけて、なんて芸当はできない。圧倒的に車のほうが機動力があるのは明白だ。目玉だった大原からのサイクルトレインにも乗らなかった今、列車を追いかけて列車写真ばかり撮っている今日、もはや自転車の意味っていったい何なんだ、と真剣に悩んだ。

 

 じつは車に自転車を載せてサイクリングに来ると、このジレンマに強く襲われることが少なくない。いやむしろ毎回といっていいほど。車は止める場所が限られるからその選別を地図を見ながら考えるのだけど、このあたりは止める場所がないから、もう少しサイクリングの距離を減らしたここに、とか、今回の寄りたい場所がこことそこなのだけど、車を置く場所を考えると両方まわるにはタフすぎるからどちらかをあきらめて、とか、そんな固有の悩みを考え始めた挙句、
「なんで自転車で走るんだ?」
 って疑問が湧いてくるのだ。なぜ行きたいところがあるのにあきらめるんだ? 全部車でまわれば済むことじゃないか、距離が長いとか坂がきついとか自転車のルートで悩んで決められないくらいなら、全部車で回っちゃえばいいじゃん──。
 そう悩むのだ。自転車で走る意味を見失うのだ。車でまわったって事が足りる、、、、、わけだから。僕にとって自転車は旅の道具、手段だから、「走るだけ」ってことに意味を見出しづらい。速くとか、強くとか、なりたいわけじゃない。だから僕が走る意味を見失いがちになるサイクリングロードは好まないし、上るためだけの坂道なんて選ぶことなどない。目的が旅だから、車で来ると、その先の目的をそのまま車に乗っていても達成できることがほとんど。そのときにこの強いジレンマに襲われ、苦しむのだ。

 

 踏切が鳴った。長い直線の向こうはどうやら坂道になっているようで、気動車は屋根から徐々にその姿を見せ始めた。いい演出だ、じつに。車両の全貌があらわになるかならないか、それと同時に付近一帯は連続する強烈なシャッター音に包まれた。
 列車は国吉駅で見た上り急行のキハ52とキハ28の編成。これが下り列車になって上総中野ゆきになったものだ。いってみればいすみ鉄道でいちばんの見ごたえを感じる車両でありその編成だ。これがやってきただけでもうれしい。最近の気動車とは異なり、重くガラガラいうエンジンを回しながら坂を上っていく。車両自体も重たいのか、車輪がレールの継ぎ目を刻む音も心なしか重く、大きく感じる。

 

 列車が去り踏切が開くと、カメラマンたちは一斉に引き揚げた。同時に車が次々と出て行き、空き地に止まっていた車はすっかりいなくなった。移動して、上総中野に追いかけるのか、東総元で早々にスタンバイするのか。いずれにしたって自転車じゃかなわない。
 この場所から眼下に望む田園風景がしみるほど素晴らしかった。僕は列車が去り、人が去ったあとのこの風景を、さらにコンデジに収めた。

 

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 もう帰ろうと、大多喜に向かう道を走った。その途中で少しだけ寄り道しようかなとふと思い、久我原という駅に立ち寄ってみた。そもそもこの駅を知ったのは、何年か前の春、自転車仲間のUさんが計画してくれたいすみ小湊沿線サイクリングの折だった。そのときコースに組み入れてくれ、立ち寄った駅だ。そこはいすみ鉄道屈指の秘境駅だった。それから僕は、近くに来ることがあるとひとり立ち寄って、少しの時間を過ごしていくようになった。大学の最寄り駅と副駅名があるけれど、誰も利用などしない。学校まで里山2キロもあるのだ。道路からも離れているから静寂がこのうえない。ひと気もない。ひとりになりたいとき、ここの待合室に座りに来る。いすみ鉄道無人駅は数あれど、例えば西畑は交差点の角にあるし、総元や東総元は国道沿い、この駅と同等は類がない。
 そしていつものように、誰も来ない、なにもない、静寂だけがある時間をひとしきり楽しんで腰を上げた。45キロの速度制限標識の脇に桜の木が一本。これもまた存在感よりも孤独の美しさを見せてくれている。それを見ながら帰ろうとすると、駅にやってきたおじさんが声をかけてきた。
「よく、この場所見つけたね」
 僕は笑って、「この駅好きなんです。ときどきですけどやってくるんです」といった。
「帰っちゃうの? もう10分もしないで来るよ」
 おじさんはそういった。列車が来るらしい。
 話を聞くと、いすみ鉄道フェイスブック(初めのうち「ヘーブ……ク」としか聞こえず、語尾もはっきりしなかったので何のことやらよくわからなかった)のための写真を撮ってまわっているんだという。そういや黄色い、いすみ鉄道のブルゾンを着ている。
「俺はここは嫌いだ」
「そうですか。とても静かで、ひとりになれるんで大好きなのですが」
「いや、よくあるんよ、自殺が」という。「その奥の森ンなかで首吊ったり、その桜の木で吊ってたこともあったって」
「なるほど、人目にもつきにくいですしね」
「そのせいかどういうわけかわかんねえけどよ、急にシャッター下りなくなったり、カードのデータ全部ぶっ飛んだり、何度もあるわけよ」そういってごつい一眼レフを見せてくれた。
「お祓いしたり塩まいて清めたりもさんざんしてるんだ」
 それと動物も多いって話もしてくれた。運転士もこの区間は嫌がるそう。サルはまだいい、イノシシやシカは列車に突っ込んでくるし、最近はキョンも多くなったという。イノシシはそこらへんの土も掘り返しちゃうもんだから、なかにいるマムシなんかも這い出てきちゃって、面倒で困るといった。
「そのためにそこ、水仙植えてるわけよ」
 駅のまわりに広く水仙の花が咲いている。僕はてっきり水仙畑にして、これも集客の一環か、車窓風景の演出にするのかと思ってた。
水仙はさ、毒があるから動物が寄らなくなる。イノシシもシカもおかげでずいぶん減ったよ。食おうともしないからね」
「そうなんですか」
「人間はよ、ニラと間違って食って重大なことになっちまった例があったけど、動物は間違えねえし、おかげで寄り付かなくなってるよ」
 そうおじさんは笑った。それから、そろそろ来るぞといった。僕が隅のほうで小さくコンデジを構えると、そんなとこで撮ってねえで、ここ来て菜の花も入れて撮れって、桜も一緒に入んだろ、という。僕は笑って、じゃあとおじさんのいう位置に立った。
 そして列車が来た。ほかのカメラマンはひとりも来なかった。
 そういえばこの駅で列車が止まっているのを見るのは初めてだ。
 列車が駅に止まると、僕は場所を変え少し引いた位置に立ち、ホームと止まっている列車を撮った。おじさんは列車のアテンダントのおばさんと話をしている。もちろん乗る客も降りる客もなし。やがて列車は駅を出ていった。

 

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「いい写真撮れたかい?」
「はい、おかげさまで」
 確かに、おじさんに声を掛けられ、列車を待ってよかったかもしれない。
「青大将がいるわ」おじさんはそういって僕に来るように促す。「こんなところでとぐろ巻いて寝てるよ」
 なるほど駅名標の脇の立ち木の葉の上で、ぐるぐると何層にも巻いた蛇がじっとしていた。
「あったかくなったからな」
「春ですもんね」
 駅をあとに、一緒に坂道を下って歩く。おじさんは車に、僕は自転車に、戻る。
「また来てな、いすみ鉄道に」とおじさんはいう。
「ええ、また来ます」
「気ぃつけて」
「どうもありがとうございました」
 僕は軽く頭を下げて、ここをあとにした。

 

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(本日のマップ)