自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

里の道、浦の道/房総半島サイクリング(前編)(Sep-2018)

 夕暮れの、東の海もいいものだ、と思った。
 もうなにもさえぎるもののない大海原は太平洋。ハワイ諸島アメリカ大陸か、そこへたどり着くまでの果てしのない海。
 外房の海である。
 赤みがかった空は西の大地の上、海はせいぜい防波堤や止められた漁船や波間から覗く岩礁が赤く染まる程度で、海と空はその奥行きのどこまでも青い。青いまま暮れてゆき、色濃さを増す。赤に染まることなく、青から濃紺へ、やがて漆黒へと変わりゆくさまは、潔さを感じる。昼の未練がましさもなく、夜の図々しさもない。
 夕暮れの、東の海もいいものだ。

 

 

 旅は、千葉県のJR久留里線から始めた。
 手持ちの18きっぷ最終回。
 朝7時24分の上総亀山ゆきは、越谷を始発で出てきて、ぎりぎり乗れる列車だ。
 ステンレスのピカピカした車両はディーゼルエンジンで走る気動車で、軽快に走る。前回僕が乗った久留里線にさかのぼると、キハ37とかキハ38とかいう国鉄時代からの古参車両で、鈍重なエンジンでもっさりと加速して走った。比べてみたらまるで電車みたいだ。
 それもあって、どんどん駅を進む気がする。新型気動車への置き換えが完了したとき、あるいはダイヤも高速に改正したのだろうか。
 途中で車内改札が始まった。同じ車両には十余名の乗客がいた。そのひとりひとりの改札を遠目に見ていると、おそらくふたりの乗客以外はみな、18きっぷだった。きっぱーは、誰もが互いのテリトリーに浸食しないよう、微妙な距離感を保ちつつロングシートに座ったり、ドア脇や乗務員室前に立ったりしていた。
 30分余りで上総亀山ゆき列車は久留里駅に着いた。僕はここで降りる。他に降車客は多くなかった。僕が乗っていたいちばん後ろの車両からは誰も降りなかった。きっぱーはみな、終点まで乗り通すことが目的なんだ。乗り通し派にとって、なにしろこの上総亀山ゆきを逃すと、次の上総亀山ゆきは驚くことに6時間後、清水トンネルを越える上越線よりも少ない。関東の、首都圏にほど近い路線なのに、まるで吾妻線の大前ゆきのようだ。だからみな早起きをしてこの列車に集まってくる。
 久留里駅前で自転車を組み上げ、ガーミンの電源を入れてこれから走る道を表示させた。

 

 

(本日のマップ)

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GPSログ

 

 結局、秋雨前線に最後まで翻弄された。
 最初は伊豆の天城峠に行こうかと考えた。あるいは新潟の頸城──先々週考えてルートまでできあがっていたところ。しかしいずれも初めから雨だったので早々にあきらめて、晴れマークを探した。長野県が晴れる。そうだ高ボッチ高原に行ってみようと思った。移動時間が長くなるから距離は短め、それでも相当な標高差を上らなくちゃならないから余計なルートは組み入れず、高ボッチ高原だけに徹した。押したって時間に余裕があるようにしなきゃ、と。しかし週半ばに長野県も雨に突然変わった。何の前ぶれもなく。同時に雨に変わったのが群馬と栃木だった。結果、全国で見ても晴れマークは関東のひと握りしか残らなかった。そのひとつ、茨城県にターゲットを絞り、鵜の岬から花貫渓谷をめぐり大津港、五浦海岸へ出る、北茨城地方をめぐるコースを考えた。が、これも前日になって傘マークが現れ始めた。直前まで情報収集したりして、けっこうルートに愛着が湧いてきたので、あきらめきれなかった。また好転もするんじゃないかって考えてた。しかし雨はより確実なものへ変化していく。ようやくあきらめの気持に転じたのち、残るのは千葉と神奈川。18きっぷで神奈川じゃメリット薄いな、房総になったのはその程度の理由だった。
 久留里の井戸、素掘りのトンネル、外房海岸線の小集落、そんな旅のカードを並べて、ルートを引いた。

 

 久留里の井戸水を汲んだのは、初めてだったかもしれない。
 町のなかに何箇所か、あふれんばかりに湧き出ているのは知っていたものの、わざわざ立ち止まることがなかったり、休憩の機会があってもボトルがいっぱいだったりしたんだろう。
 僕はいくつかある井戸のうちのひとつ、国道沿い藤平酒造の前にある水をボトルに満たした。

 

 素掘りのトンネルは、筒森つつもり地区、葛藤くずふじ地区にあるものを訪ねることにしていた。ただ詳しく調べる時間を作れず、その道がどんな道なのかもよくわからなかった。行ってみたら廃道かもしれない。それはそのときに考えよう。
 そこへ行くには、JR久留里線に沿った国道410号で上総亀山経由で向かう方法のほか、筒森地区へ直接出られる、まんなかの丘陵部を抜ける道を見つけた。グーグルマップで道を見つつGPSiesでルートを引くと、すんなり一本のルートになったので、これをガーミンに組み込んだ。見た感じ近道だった。しめしめと思った。
 その近道・・へ向かうため、西へ進路を変える国道410号を離れて路地のような道へ入った。

 

 車の往来もなくなったので、ボトルの水を飲む。
 ──ん? 温泉?
 なんだか味がある。においかもしれない。温泉のお湯のような感触だ。もちろん冷たい水ではあるのだけど、そんな味かにおいがついてくる。
 水質的には問題ないはず(君津市観光課:「一般開放されている井戸(久留里地区)の水質検査結果を公開します」)。

 

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 引いたルートをたどっていくと徐々に道は細くなっていき、勾配もきつくなってきた。丘陵部を抜ける近道・・ルートなんだから、多少はやむを得ない。
 が、しばらく進んで現れたのは、黄色に白帯のひし形の標識──林道だった。思わず声が出る。
「マジで? 林道?」
 ここが林道の起点だった。

 

 いや、僕は千葉県の林道が大好きだ。手つかずの道たちとその圧倒的な数に、ひとつひとつ訪れることを好んでやまない。
 でも、だ。基本的に林道を訪ねるときは下調べをする。ざっとのときもあればきっちり調べるときもある。そもそも通行可能か不能か。不能でも(最小限の良識のうえで)ゲートをくぐってしまえば通れる道なのか、そもそも無理なのか。舗装状況、ガレ、最近は動物も気にするようになった。山梨、長野、群馬、栃木、福島……かつて僕が訪ねた林道でも、いまや熊などが道まで出てくるゆえ、二の足を踏む状況に変貌していることも少なくなかった。とりあえず千葉県に熊はいない、今回調べたわけじゃなく、事前情報として頭にインプットされているもの。
 だからいくら好きだといっても、下調べなしに林道へ入るのはちゅうちょをともなうのだ。
 でも、戻るなら国道410号。出発した久留里の中心まで戻ることになりそう。
 ──まあルートが素直に引けたわけだし、北向地蔵ってのもあるみたいだ。観光地なんじゃね?
 裏付けにもならない根拠を持ちだして、そのまま進むことにした。
「なぁにしてんの?」
 林道の標識の前で立ち止まっていた僕の脇に、軽トラが横づけで止まり、運転していたオッチャンが話しかけてきた。「どこ行くん?」
 僕は筒森という地名もパッと出てこず、出てきたとしてもこのオッチャンに通じるとも思えず、林道を指差して「この先へ行こうと思ってるのですが」といった。
「ヤマビルに気をつけろぉ」
 とオッチャンはいった。
「そうなんですか?」
「ヤマビル、たくさんいるから」
 僕は少しひるんで「わかりました……」とスローに答え、空に覆いかぶさる枝を見てつい首をすくめた。

 

 林道・怒田福野ぬだふくの線といった。
 道は舗装されていた。ただし舗装は掘れ、割れ、穴があいていた。枯れ枝や落石が路上に散乱していた。入り口にゲートやバリケードはなかったから、通行可能林道なのだろう。しかしこの路上を見る限り、車が通った痕跡は少なかった。
 気づくと思いのほかきつくて長い坂を上らされていた。
 そこで、とんでもない異臭が僕の鼻をついてきた。
 獣の臭いだ。
 きわめて強い、明らかな獣臭だった。ここまで強烈な臭いを感じた記憶はなかった。僕は身の毛が逆立った。
 そして激しい金属音が響いた。
 鹿だった。道から十メートルくらい離れた場所に、檻に入った鹿がいた。こいつが獣臭の正体だった。鹿は檻に体当たりを繰り返していた。金属音はその体当たりの音だった。殺気立った目をした鹿が、檻のあらゆる側面に、死に物狂いで体当たりする。激しい金属音がひと気のない森に響いた。何度も何度も、休むことなく、体当たりを繰り返す。暴狂した鹿に、檻に閉じ込められてるとはいえ、僕は恐怖を感じた。同時になぜこんなところに檻に入れられた鹿がいるのか理解ができなかった。とにかく早く去りたかった。鬼気と臭気に満ちたこの場所が、きわめて居心地の悪い場所でしかなかった。

 

 北向地蔵とはまた殺風景な場所にあった。十数段の階段を上った塚のような場所に小さな堂があった。この中に地蔵があるのだろうか。
 この北向地蔵を過ぎると、枯れ枝や落石の散乱がひどくなった。ダブルトラック状にハケていないところを見ると、ここより先はもう車も来ないのだと暗示した。


 のちも獣臭に何度も襲われた。おそらくこの強烈な臭いは鹿なのだろう。
 檻は、その鹿を取るための罠だと気づいた。この林道を走っていると、口の開いた檻がそこかしこにあったのだ。エサかなにかを求めてこの檻に入り込むやいなや、檻の口が力強く落ちて閉ざされるのだ。道には鹿・猪に注意と書かれた看板がいくつもあった。

 

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 ──後日談である。調べると、房総半島はキョンと呼ばれる中国・台湾原産の小さな鹿の大量繁殖、急激な増加に悩まされているらしい。農作物の被害、生活空間の侵食、交通事故、そしてヤマビルの大量発生。増殖ばかりが進み、駆除が進まず問題となっているそうだ。

 

 僕は小心者のうえ、人を襲う襲わないにかかわらず獣が苦手なので、小動物でさえ山道で出合うことを望まない。鹿と対峙などなったら平静ではいられない。前日光の林道でカモシカと対峙してしまったときも、かわいいなどとひとつも思えず、恐怖でずっと立ちすくんでいたし、静岡の林道で斜面の上を走る鹿と並走になったときも、あとでそれを誰かに話さずにはいられなかった。話して恐怖を分散して軽減を図るしかなかった。その先で出会った地元ロード乗りの女性に、鹿が山の斜面にいて並走していたのだと話した。すると、ここはよく見かけるんです、といった。そして「鹿がいるところにはヤマビルがいるので、夏になったら気をつけてくださいね」といった。

 

 林道・怒田福野線が、突然終った。
 起点にあったのと同じ、黄色に白帯のひし形の標識だった。「終点」と書いてあった。
 そこはただの広場に見えた。
 国道や県道の大きな道に突き当たったわけじゃない。
 周囲を小高い森の丘陵に囲まれた、野球場ひとつぶんくらいの平らな空間だった。草が伸びたい放題伸び、何があるわけじゃない。誰もいないし民家もない。電気も来ていない。あるのは僕の後ろにプツリと切れた林道・怒田福野線だけだ。
「えらいところに来ちまったか?」
 近道・・は、本当に近道なのか。
 ──えらいところに来てしまったか?

 

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 きわめて局所的な平地と呼ぶべきか盆地と呼ぶべきか、この平らな空間に立っていることがストレスだった。厳然たる自然の光景が、いやに神経を逆なでしてくる。緊張感ばかり高まって変な汗をかく。異邦人的原住民かあるいは異星人がここで祭祀をやるのだといわれればそうにしか見えない場所だった。宮沢賢治ポラーノの広場がここなのだといわれても、そんな夢世界は残念ながら僕には描けなかった。どちらかといえば、取り囲まれ、原住民なら聞き取ることもままならない言語ですさまじい勢いのやり取りがあったのちに八つ裂きにされるか、異星人なら音も感触もない超波で脳をすべて読み取られたうえで記憶と知識をすべて破壊されるか、そんな事態にはうってつけの場所だ。ただそんなひと気は感じられない。むしろ現実に立ち返って、獣に囲まれる心配をしたほうがいいわけだが、幸い今この時点で獣臭はない。少し考える時間はありそうだ。

 

 残る頼りは、ガーミンに表示されている、近道・・として引いてきたルートだけだ。そこに進もうと思った。
 僕はここをポラーノの広場と呼ぶことにした。夢があるほうが少しでも気分が明るくなる。人々が集まってオーケストラに合わせて歌い、踊る、夢のような祭りが行われる、賢治ワールドのあの広場だと。
 ガーミンの線にならうように、ポラーノの広場の伸びた草のあいだを進んでいくと、どうやら道らしい痕跡を見ることができた。ダブルトラックの幅に敷かれた砂利が見られた。土砂に埋まってしまっているが、ダブルトラックの痕跡として丘陵部へ続いていて、坂道になっていた。幅2、3メートルの路盤が続いているように見えた。
 僕はこの近道・・ポラーノの広場を脱出することにした。林道・怒田福野線で久留里まで戻ることはどうしてもしたくなかった。

 

 土砂をかぶってはいるが、路盤はしっかりしているようだった。埋まった砂利が路盤として固めているのだろう。土砂かぶりが多い箇所はタイヤが埋まってハンドルを取られるけれど、意外にも乗って走れる道だった。
 坂を上る。おそらくそれほど斜度はない。けど、ずぶっ、ずぶっと土砂に埋まるタイヤで上っていくのはなかなか大変だ。
 今履いているタイヤにはいくつもの傷や穴があった。ここに異物が入り込んでパンクなどしなきゃいいなと思った。もうこのタイヤを使い続けるのは危ないからと、すでに注文は済ませてあった。8月の下旬に頼んだのにまだ来ない。9月上旬の納期だったのに、この前見たら10月上旬になっていた。アマゾン・プライムなのにだ。
「どうなってるんだ? 何のためのアマゾン・プライムなんだ!」
 と僕は眼下に広がるポラーノの広場に向かって大声でいった。もちろん誰も返事はしなかった。
 トンネルが現れた。
 もちろん素掘りだった。モルタルさえ吹きつけられていなかった。土がむき出しだった。素掘りのトンネルでもこんなのはほとんどない。南房総の畑林道にあっただろうか。
 トンネルは出口に向かって口径がどんどん狭くなっていった。原因は足もとの土砂だった。土砂はトンネル内の崩落か、洪水による流入かだが、おそらく後者だ。崩落ならこんなに柔らかい土砂ではなく岩石砂礫のはずだ。豪雨が来るたびに土砂が流れ込んで、地面のかさ・・が上がり、トンネル口径が狭くなっているのだろう。幸い、僕の身長ぶんは確保されているから大丈夫だ。
 ただ深い土砂でタイヤを取られ、乗って走ることがままならない。まるで砂浜でやるシクロクロス競技のようだ。

 

 もはやどこを走っているのかよくわからなくなった。景色は広がらず、うねるような道は方向感覚を失わせた。獣臭が相変わらず幾度となく漂い、罠として仕掛けられた檻もいくつも置かれていた。しかし罠は管理されているのだろうか。檻のなかにエサなど見受けられないし、錆びついた入り口の柵は作動してきちんと落ちるのか。何よりこの道に管理の人の行き来などあるんだろうか。
 木々や落石が路面を埋めているので、できる限り避けて、乗ったら乗ったでコントロールするしかなかった。しかしこれは枝じゃなくて幹だろうってほどの太さの木に乗りあげてしまったとき、わかっていたにもかかわらず、いよいよ転倒した。乗りあげた木から下りたところでコントロールすればよかったところを、下りた土砂がやわらかすぎてどうにもできなかった。やれやれ、久しぶりに転倒した。デュアルコントロールレバーが大きく曲がってしまった。

 

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 僕は古い小学校の前にいた。
 おそらく廃校なのだろうと思う。学校名の銘板が妙に新しく、立派だから疑ったが、いくらなんでもこの朽ちた木造校舎と、雑草に占領された校庭が現役ということはないだろう。
 学校は集落のまんなかに存在し、僕は舗装された道の上にいた。集落内の幹線路地だと思う。
 いつ、どこからここに出たのだろう。
 確か僕は長い長い、ガレた未舗装路をひたすら走っていた記憶がある。終りがないんじゃないかと思うほど長く感じていた。しかし途中から、この集落に出てきたところまで記憶が飛んでいる。ポラーノの広場から続いた道はどのように終焉を迎え、集落に出たのかあるいはこの集落につながる別の道に出たのか、消し去られてしまったように記憶がなかった。
 ただ、いずれにしても僕は自分で用意してきた近道・・からは外れていなかった。
 大丈夫だ。
 距離は9.55キロメートルと出ている。久留里駅を出発してから2時間が経っていた。10時半。これしか来ていないのか、と驚いた。
 先を急ごう。

 

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 近道の続きは、林道・大福山線だった。かつてこの道を走ったことがある。

 

cycletrip.jugem.jp


 5年も前か……。
 しかし走ったのは全線じゃない。養老渓谷の駅から別の林道でやって来て、ここへ合流しているようだ。過去のブログも取っておくと何かの足しにはなるみたいだ。
 なにしろ今日僕が近道・・のために引いたルートに、林道めぐりの意識は微塵もなかったから、林道の名前に記憶はあってもそこを走っているということにこの時点になって気づくという事態だった。
 今日のルートはこの大福山線をそのまま行く。後半は初走のはずだ。
 途中から道はダートになった。しかし道路幅員は広い。
 それは途中に巨大な産廃場があるためだった。山ひとつくり抜いて産廃場にしているような規模だった。東京ドーム何杯分といった表現でもするんだろうか。パワーショベルが斜面の途中途中にいて、巨大なダンプカーが廃棄物を運びこみ、それらすべてが機械的で無機質で、不気味なほどだった。道が広いのはこのダンプカーが大福山線を使うせいだった。大福山線は産廃場への入出路になっていた。道幅があるといっても林道で、ダンプがすれ違うことはできないから、ガードマンが通信距離の強烈に長い無線で連絡を取り合いながらダンプカーの行き来を管理していた。ダンプカーが来れば、僕は路肩によけて行き過ぎるのを待つほかなかった。異質な臭いだった。あたり一面に立ち込めていた。獣臭とは違うが、嫌な臭いでしかなかった。
 大福山線が終わり、県道にぶつかると、その入口で管理しているガードマンが、無線で「自転車一台、通過確認」と連絡していた。
 ここで久しぶりにガーミンを見ると、僕はルートを外していた。僕が引いたマゼンダ色の線はどこにもなかった。

 

 落胆した。
 どうやら大福山線から途中で分ける必要があったようだ。
 しかしこの産廃入出路を戻るのは嫌だ。ダンプと一緒にもう一度走りたいとは決して思わない。走ることをガードマンに管理されたくない。
 しかしここを戻らないということは、今日の本来の目的だった筒森・葛藤地区をあきらめることにほかならなかった。素掘りトンネルを見に行こうという意欲を捨てるしかなかった。
 自然と苦笑いが出た。
 もういいや。
 それよりすごい素掘りトンネルだったんじゃないか。
 僕はポラーノの広場がすでに、遠い記憶になってしまったように思えた。
「海だ──」
 そう、もうこのまま勝浦へ向かおう。

 

 僕は養老渓谷を経由して、そのまま勝浦の海を目指した。

 

後編へ続く