最長時間普通列車の旅 - 飯田線
飯田線である。
これまで乗ったことがなかった。
まあ鉄道全線に乗ったり最長片道きっぷを作ったりってほど積極的じゃないし、日本の鉄道のせいぜい10分の1くらいしか乗ったことがないと思うんだけど、それでもこの有名路線に今まで乗ったことがないか、と思う。たまたま、選ばなかっただけ。
いよいよ乗ろうと思った。
思い返してみると、区間利用、部分利用さえしたことがない。輪行を含めても。
自転車で岡崎から伊那街道を全線走ろうと2日間かけたときも、結局上諏訪まで走ったので飯田線に乗ることがなかった。あるいは高遠・伊那をサイクリングしたときも権兵衛峠を越えて奈良井から塩尻まで走っちゃったから、飯田線には乗らず終い。鉄道旅をしていても、中央線の岡谷で、あるいは東海道線の豊橋で、今まで何度も目にしてきたのに、素通りしてたってこと。
気合いがいるのだ──。
何せ全線通しの列車は3本。乗り継ぎをしても普通列車利用なら結局は通しの列車に吸収されたりするので、これに乗るかどうかという気持の問題だったりする。
通しの列車で7時間近く乗る必要がある。それはわかっていたので、気合いを込めてから具体的なダイヤを調べていった。上諏訪9時22分発、豊橋16時16分着。6時間54分の旅。およそ7時間がどんな時間なのか、想像もつかなかった。
それに、ちょっと調べてみただけなのだけど、この列車は今、最長時間普通列車なんじゃないのか?
僕は情報収集力が乏しいので絶対的裏付けを得られていないんだけど、本来最長普通列車であるJR北海道の滝川発釧路行きが現在、台風被害による不通区間によって分断され区間運転になってしまっている。次点だったJR西日本・岡山発下関行きは、やがて始発が糸崎になり、この春終着が岩国になって、すっかりありがちな普通列車になってしまった。結果、現在の最長普通列車はJR西日本の敦賀発播州赤穂行きらしい。
ただこの列車は確かに距離で見れば最長距離走破列車なのだけど、この270キロ余りを4時間で走る。時間という切り口で見たら飯田線の通し列車に比べるにもおよばないのだ。まあ列車種別でいえば『新快速』っていう高速列車だしね。時間で見ると僕の調べた限りJR北海道の旭川発稚内行き6時間04分(間違えてたらゴメンナサイ)。夏休みになると臨時で東京から大垣まで走るムーンライトながらも、夜行列車だけどこの区間を6時間40分で走り切ってしまうのだ。
飯田線6時間54分、恐ろしい列車だ。
乗るなら発駅の上諏訪から乗りたい。でもこれに乗るには高尾6時14分の松本行きに乗らないとならなくて、この列車を輪行ではときどき使うのだけど、じつは輪行だから乗れる列車だったりする。最寄りの東武線の初電に乗るとJR武蔵野線の初電には間に合わず、高尾のこの時間にはたどり着けないのだ。輪行で乗れているのは、武蔵野線の南越谷まで走ってしまうから。これを歩くってのはさすがに現実的じゃないんで、乗れない限りはあきらめるしかない。今回実現したのは、家族が車で東川口へ送ってくれたから。頭は下げてみるものである。
JR東海の313系、3両編成。始発駅、上諏訪駅で乗り込んだ。同業(いわゆる乗り鉄)多数。さあ今日の旅を始めよう。
上諏訪停車中に後続の特急あずさを二本待ちうけ、岡谷での停車時間で後続の八王子からの普通列車を接続した。それと松本方面からの上り列車と交換し、さらにいよいよ飯田線という辰野でも、塩尻からの旧線経由の列車と接続した。
あずさからの乗り換え客を乗せた上諏訪の時点で多くの席が埋まっていた。クロスシートのどちらかには着席があって、岡谷から乗って来た客は相席をするかあきらめて立った。やっぱり混むんだ飯田線は、そう思った。もっともおそらく半数は同業者で、そのせいも少なからずあるはず。僕や彼らにとってはこの上諏訪9時22分発豊橋行きと、逆方向の豊橋10時42分発岡谷行きが唯一、明るい時間中に走破できる直通列車だから。他の列車はあるいはここまで混雑していないかもしれない。
辰野で乗務員がJR東海に交代した。ここまでは中央本線だったので、ここから実質の飯田線の旅が始まる。
ひと駅ごとに走っては止まる。それこそ首都圏の私鉄のような駅間だ。これはもともと飯田線が私鉄だったためで、戦前、途中天竜峡までの区間は伊那電気鉄道という鉄道路線だった。1キロ余りするともう次の駅に着く。
首都圏の私鉄ならば、そんな駅間の各駅停車に乗るなんてことがまずなくて、各社覚え切れないほどの種別を持つ優等列車に乗る。快速だとか急行だとか特急だとか、準特急とか快速急行とか快速特急とか、そういうのに必ずといっていいほど乗る。だから僕にとってもこの短い駅間に
──7時間もかかるわけだ。
列車は伊那市に着いた。
ここまでで少しずつ地元の区間利用客が下車し、ようやくみなどこかの席に収まった。
前の方の向かい合わせにした席に陣取った男女グループで宴会が始まった。そういえば彼らは乗ってきたとき座ることができず、でもそのときすでにおのおのが缶ビールを持ちプルタブを開けていた。これが呑み鉄か? ここまで来て上手い具合に彼ら向けの座席が確保でき、あらためて宴は幕を切って落とされたようだ。シャンパンのコルクが勢いよく抜かれた、小気味よい音が車内に響いた。
列車は相変わらず距離の短い駅間をひとつひとつこなしていく。扉は半自動扱いで、乗降客がいない限り扉を開けるボタンは押されることがないから、駅に止まると空調の音だけが静かにうなっていた。宴会組は2ボックスの8人プラスアルファいるようだけど、静かにしゃべりながら飲んでいるので、その声が車内を埋めるということもなかった。扉は開かないから、当然ながら閉める音もないわけで、タイミングも良くわからないまま列車は動き出す。
僕は家で入れてきたコーヒーを飲みながら車窓を見ていた。
天竜川に沿う田園風景である。
東を南アルプスに、西を中央アルプスに囲まれた峡谷地形ながら、平野部はその多くが田んぼに埋められていた。ときどきそば畑があいだに姿を見せた。そばは今ちょうど花を咲かせていた。真っ白な小さな花が稲の区画のあいだに見られた。両アルプスの雄大な山々は、景色全体が白く霞んで見ることができない。
とはいえ一面が田畑に覆われているばかりじゃなかった。人家が連なりまちが点在していた。ガソリンスタンドや商店やコンビニ、行政の施設、大型商業施設なんかもあらわれた。それは並行して国道153号が走っているからだった。僕がかつて自転車で北上した伊那街道だった。まさに窓から見えるあの道だ。数年前に見た風景を、今僕は逆の立場から見ている。
その風景が途切れることがない。つまりこのあたりは人も途切れることなくいて、生活の
ただし列車の乗降客はほとんどない。思い出したように降りる客がいて、乗る客がいる程度。何駅かに一度。つまりここの生活帯の人々はみな、自家用車で動いているんだろう。飯田線よりも国道153号が支えているんだろう。
そんな伊那路を飯田線の313系電車が南下していく。JR東海の規格化された高性能通勤型電車で、しっかり加速し確実に減速してキビキビと走っているが、いかんせんカーブが多い路線で速度も上がらない。駅間が近いこともあって、本数の少ない飯田線ゆえ列車交換さえほとんどないのに、時間をかけながら走っていく。最長時間普通列車が、その走りを見せている。
飯田着。
実に、3時間を要した。まったく変化することのない伊那路の風景のなかを、確実に3時間かけて走ってきた。時計は間違いなくそのぶん進んでいたし、宴会はシャンパンののち瓶ビールが開き(……瓶って! わざわざ持ってきたんだ)、ワインボトルが開いた。そのあと出てきた日本酒の瓶もキャップがスクリューされていた。
僕も3時間をしっかり感じていた。あっという間だったとも思わなかったし、変に長く感じることもなかった。ああ3時間走ったんだなと思うだけだった。景色は変わることがなかったけど不思議と飽きることもなかった。感動する絶景があったわけでもなく、でもなんだかとても楽しかった。
あるいは僕はこういうのがいちばん楽しいんじゃないかって思った。
起伏のある旅──どこかにここぞとばかりの感動シーンが待っていたり、逆に退屈にただ移動しているだけの区間があったり、そういうメリハリと、決められた感動シーンでのドラマチック性とか──よりも、ただ淡々と進みそこにあるものが大きな変化もなく僕に入りこんでくる旅。生活があったり、自然があったり、当たり前に存在してそれが何もいわずに続いていく。盛り上がりは、ない。でも実はこういう旅が好きなんじゃないかって気付いた。
◆
飯田線の名前にもなっている中心駅のひとつ、飯田ですら1分停車したのみで、ひたすら効率よく走っている。
宴会組が静かに騒ぎ始めている。どうやら酒がないようだ。持ってきた酒の数々が瞬く間に消えていくようすはまさに酒豪軍団で、いよいよ底を尽きかけているようだ。大きな駅で停車時間があれば降りて買いに行こうと狙っている雰囲気が、これだけ離れていても伝わってくる。しかしながら飯田駅でも停車時間は1分だった。
僕にとってここから未知の区間に入っていく。自転車旅で走った伊那街道は天竜川を離れ、峠越えに向かうからだ。そのときの旅は岡崎から北上してきたので、峠越えののち飯田に下ってきて初めて飯田線に合流した。
飯田市内を循環バスのようなルートでわざわざ半周する飯田線は、市街地を抜けると再び天竜川沿いに戻り、南下を続けた。僕は今日の旅にあたって地図を見ているときに見つけた、県道1号にじつは惹かれていた。
県道1号は、長野、愛知、静岡各県で共通番号を有する主要地方道で、路線名を『飯田
三県のナンバー・ワン、県道1号がこんなところに存在しているなんて、誰が想像するだろう。
僕は今回の旅とは別に、この県道1号に強い興味を覚えた。伊那路での天竜川沿いを担ってきた国道153号に代わって、天竜川沿いを担う県道である。いつか自転車で走ってみたいって思った。
列車は天竜峡駅に着いた。僕はここまでのあいだ県道1号を探したものの、どれかよくわからなかった。2分停車。
そしてここから大嵐までの区間、飯田線の
3両編成の313系は車輪をきしませながら小さいカーブを左へ右へとこなしていく。左にせまる断崖と右に天竜川。断崖に路盤を確保できなかったであろうところをトンネルで貫いていく。そのトンネルも多数。出ては入り、入りは出て、また次のトンネルがすぐに見える。他に寄せ付けるもののない圧倒感。ここはおそらく、飯田線に乗っていくよりも、周辺からこの飯田線の線路の無理な張り付き具合を見るほうがすご味があるに違いないと思う。ただ残念ながらそんなことができる道路はないのだけど(僕が興味を持っている県道1号は、途中温田駅までは山中のルートを選んでいて、飯田線とは離れている)。飯田線はこの地形的に困難な天竜川河畔ルートに単身で挑んでいる。
乗客は、おそらく多くの誰もが天竜峡駅でスイッチが入り臨戦態勢で窓に張り付いているに違いない。もうこの区間に乗車しているのは明らかに飯田線を目的とした同業者だけだ。宴会組だけは別なよう。車窓にはそれほど関心がなく、飲むことと話すことに夢中だ。でも飯田を過ぎたあたりからばらばらとグループが解体し、席を離れて単身風景を見たり眠りに行ったりしているようだった。
驚くべきは、その秘境駅と呼ばれる駅で、いく人かが降り、いく人かが乗ってきたことだ。もちろん全員が同業者ではあるけど。
飯田線の秘境駅は、ただ列車本数が少ないだけじゃなく、「どこにも行き場がない」ことで知られている。かろうじて一本ホームにつながっている、人ひとりが通れるような崩れそうな階段を上ってけもの道のような山中に消えていくのか、それとも次の列車まで待つ場所もないようなホームの上で過ごすのか。しかしながらそれも日常的光景なのか、ひと駅ごとにホームに下りて降車客の乗車券回収を行う車掌も、ここで降りた客はどうせ18だろうと遠目に雑な確認をするだけで、すぐに列車に戻った。
絶景区間と呼ばれはするけれど、その風景も急峻な天竜の流れもほとんど見ることができない。多くがトンネルだからだ。切れ目切れ目でサブリミナルのように現れる風景を楽しいというかは人それぞれが決めればいいことだ。
列車は大嵐に着いた。
ここから飯田線は天竜川や県道1号から離れ、山をひとつ越えた隣の集落、水窪へ向かう。この大嵐から佐久間までのあいだ、もともとは天竜川沿いを走っていた。佐久間ダムを建設するにあたり、静岡県側の断崖を走っていた飯田線は5キロにもなる大迂回のルート変更をした。並行する静岡県道288号はダム建設と同時に造られた道だったが、やがて廃道となった。現在天竜川・佐久間湖畔に残るのは県道1号のみである。
列車は、天竜川沿いに県道1号を残し、中央構造線を横断する長い長いトンネルに入った。
トンネルを抜けると水窪、日本最後の秘境といわれる秋葉街道(国道152号)と、水窪川に沿ったルートである。宿場町と街道のほのかな面影も残す町だけど、ダイヤは停車時間など持たず、車掌は事務的に時計を見て扉を閉める。
そして水窪川に沿って
飯田線は再びここで山に挑む。続いて静岡・愛知県境である。同時にこれまでずっとともにルートを取ってきた天竜川とも離れ、分水嶺を越える。愛知県に入ると豊川水系になる。奥三河山塊を源流とする
列車は峠を越えると、長い下り基調を抑速ブレーキを使いながら軽快に下って行った。三河川合、湯谷温泉、本長篠と少なくともこれまでの僕らのような乗客とは異なる、ふつうの乗客が乗ってきた。そして
名鉄パノラマスーパーと並ぶホームに入り、7時間におよぶ旅は終った。
不思議と、長いとは思わなかった。といって短かったなという感想を持ったわけでもない。7時間は7時間だった。飯田に着いたときの3時間と同じ気分だった。それと、淡々と旅をできたのもこのうえなくよかった。変に感動箇所やドラマ性があるより、僕はただ乗ってただ降りたこの旅にいい充実感を覚えた。7時間も休みなく走り続けてきた車両もまたご苦労で感慨深い。振り向いてみると、たくさんの乗客を降ろした313系は「回送」と表示していた。
豊橋、着。
宴会組の後談だが、飯田に着くあたりから空いてきた車内に思い思いに散っていたメンバーが、やがて愛知県に入ったころ少しずつの混雑とともに元のボックスに戻ってきた。かたまって最後まで飲み続け、話し続けていたメンバーのほかは自由に過ごしていたようだった。そのうちのひとりが「いやあ寝たなあ」といいながら、本長篠を出たころ戻ってきた。「どこにいたの? 後ろ?」と仲間に聞かれ、「そうそう、いちばん後ろ」と答えた。
そのようすが、あまりにも『謎解き』のクライマックスシーンようで──。
そう、西村京太郎シリーズで、すべての推理がつながり、アリバイトリックを解き明かすシーン。十津川警部と亀井刑事でもいい、花村乃里子でもかまわない。そのシーンに登場する、
僕はそれ以降、混雑する飯田線の車内で、『飯田線・天竜峡に消えた女』などと浮かんでしまって離れず、物語を作ることに没頭せざるを得なくなってしまった。彼はどうすれば、仲間から離れて飯田駅で飯田線を降り、天竜川の峡谷で女を殺したのち本長篠でもとの飯田線に戻ることができたのか。殺された女は誰で、彼やこの宴会組との関係は何なのか、そしてそもそも彼の動機は何だったのか。やがて飯田線に乗る前と、降りたあとの彼の行動まで想像し始める。
──あまりのリアリズムが面白すぎて、頭のなかで盛り上がってしまったそれは、気が向いたら文章遊びがてらシャレでこの物語を書いてみようかなと思った。
◆
豊橋駅で長い旅を終えた乗客たちは散った。
18きっぱーの僕は、上り東海道線ホームへ向かった。乗り通し組の大半はきっぱーだろうから、東海道線の上りか、下りの新快速米原行きに乗ったに違いない。新幹線には乗らないだろう。
豊橋から浜松、そしてまた乗り換えた。6両編成ながら列車は混んでいた。多くはジュビロ磐田とサンフレッチェ広島だった。そんな列車も磐田駅でずいぶん空いた。
車内が見通せるようになると、少し先の扉脇に立った三人を見つけた。宴会組のコアメンバーだった。きっぱーなのか? 新幹線に乗らなかったのか? そして彼ら彼女は立って飲んでいた。手にはアサヒスーパードライのロング缶が揺れていた。