自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

秋、栃木県北紅葉めぐり/前編(Oct-2019)

 土呂部どろぶの紅葉を見に行きたかった。何年か前から話をしつつも実行に至ってないうっちぃ(@ucchii_da)さんと行きたかった。ひさしぶりの連絡を入れ、そして話はまとまった。紅葉前線を日々追いながら、行くならこの週末だと思っていた。ここしかないと決めていた。日程も押さえ、ルートも引いた。
 でも足が寸断されてしまった。輪行の足が。
 10月12日の台風19号は、東武鉄道の大動脈を断った。土砂が流れ込み路盤が流出し、日光線の線路は複数箇所で被害を受けた。
 東武鉄道は復旧に二週間の期間を見込んで発表した。これは大ダメージなはず。10月、日光観光はピークである。東武日光線も一年でいちばんの稼ぎ時。そのなかでも中旬から下旬のほぼピークゾーンにあたる二週間を運休せねばならないなんて。ああ。
 そして僕とうっちぃさんの土呂部ゆき計画も、これによって足元が揺らいだ。

 

 

「日光観光はなんでもふだんの三分の一くらいの印象らしいですよ。中禅寺湖のお土産屋のおばちゃんがテレビのインタビューでいってました」
 うっちぃさんはそういった。東武日光線は無事、三日前に全線で復旧した。僕にとってはぎりぎり、何とか間に合った印象だった。ニュースを聞いたとき、僕はよしとこぶしを握った。そして週末を迎え、僕らは打合せどおりの列車で待ち合わせた。車内で落ち合い、ボックスシートに収まり、計画した土呂部行はかくして始まった。
「止まったのは東武だけじゃないですか。道路も通行止めにはなっていないし観光地もひとつもダメージ受けてないのにね。行くことも見てまわることもいつもどおりにできたのに、一種の風評被害みたいなもんなんでしょうね」
 列車は僕が日光、鬼怒川、会津方面に向かうときに使ういつもの列車だ。そういわれると心なしかふだんよりもすいている気がしてくる。窓の外には倒れた稲や水の入ってしまった畑や泥で汚れたアスファルトや、線路に真新しいバラストや枕木が入れられているのを目にした。
 ルートはもともと鬼怒川公園駅をスタートに引いていたが、どこからでもいいやと思っていたのでそれをうっちぃさんに伝えた。鬼怒川温泉でもいいし、下今市からでもいいと。ただ下今市から鬼怒川温泉抜けるまでの国道って交通量多くて走りづらいですよね、などと話す。結局もともとの鬼怒川公園でいいでしょって話でまとまる。
「乗り換えは下今市で小一時間待つんですか?」
 という。会津田島ゆきの普通列車がその時間なのだ。
「いや、すぐあとにやってくる特急リバティが、実は下今市から先、座席指定なしで乗れるんですよ」
 と僕は答えた。以前、会津田島までこの特急に乗ったとき、それを知った。「座席が空いていたら座ってもいいらしいんです。もっとも鬼怒川までだったらすぐだから、立っていて何らかまわないですけどね」
 そうなんですかとうっちぃさんが驚く。ヤフーの乗り換え案内だと出ませんよねその乗り継ぎ、という。そう。特急列車の選択をしておかない限り、特急リバティへの乗り継ぎは出てこないし、特急列車の選択をしたらしたで、もっと手前から乗るように指示される。そのとおりなのだ。そうなんです、と僕は答えた。──でも今のまま出ないでくれていいな、と思う。知られて人が増えるのは面倒。
 乗り換えのため下今市で降りた。風が違った。寒い。これから向かう土呂部の最高地点の標高は1,200メートル。僕は事前にてんくら(てんきとくらす)で土呂部に近い高倉山を調べ、共有した。標高1,000メートルで12度、1,500メートルで8度──冬ですね、と僕がいい、冬ですね、とうっちぃさんがいった。しかしながら12度や8度の気温がどんなものか、もう忘れている。何を着ていけばいいのか、平地は判断に入れるのか、今朝最後まで悩んでいた。下今市は標高およそ400メートル、しかしながらすでに寒い。
 そんな空気のホームに、刺すようなまぶしさの白いLEDライトを点灯した特急リバティがホームに入ってきた。

 

 それでも緩やかな坂を上っていれば体が温まった。走りながら東武鬼怒川線の終着新藤原駅を見、定食屋「ハイセイコー食堂」を見、すでに店を開けている龍王峡のお土産屋を見た。道は国道121号会津西街道、心なしか車が少ない気がする。観光客三分の一理論なんでしょうか、僕はうっちぃさんに聞いてみた。有料道路、日塩にちえんもみじラインの電光板に紅葉見頃と出ている。そういう時季なのだ。車が、少ない気がした。
 並行する鬼怒川は濁流だった。泥水色をして、水量多く川を埋めていた。いまだに、だ。支流の男鹿川も分かれる小さな河川もみな、そうだった。そこかしこ、台風が、その後も続く大雨が、大地をえぐらんばかりに洗ったのだ。
 会津西街道を離れ、栗山地区へ向かう県道23号で坂を上る。トンネルあり、橋あり、ループ線あり、さまざまな方法を駆使して狭い斜面で標高を稼いでいく。崖から張り出し大きく湾曲した橋から、眼下に川治温泉のまちが一望できた。思わず橋の上で立ち止まった。野岩やがん鉄道の高架線が一直線に、目に見える風景を区画分けしていた。温泉街の建物が並ぶ。そして周囲の山は徐々に色づいていく。
 空が、明るくなり始めた。

 

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 川治ダムから黒部までの県道23号、ここは初。土呂部も川俣も行ったことがあるのに、たまたまながらすべて大笹牧場を経由していたからだ。
「ここを走っていたときは気分よくルンルンだったんですけどねえ。走りやすくて気持いい道で」
 うっちぃさんがかつてここから山王林道へ向かい、奥日光をまわって走ってきたときの話をしてくれる。山王林道が長くて想像以上に大変で、ひどく時間がかかったって話だ。同じような秋のころで、山王林道を下りる頃にはすっかり遅い時間になり、暗くなった奥日光からいろは坂日光市内までの30キロの下り坂は極寒に震えていたそう。
 その走りやすくて気持いい道は、ダイナミックなルーティングで僕をたちまち魅了した。行く手の、幾つか重なる山肌の高いところに橋が架かり、その先で山に突き刺さるようにトンネルに飛び込むのが見えた。僕は色めき立った。坂をゆっくり上りながら先の道を見つめた。目に届く光景の迫力は、強烈な引き潮のように僕を引き寄せた。この道が、そこに近づいていくことにワクワクした。いい。本当に気持いい。いや、うっちぃさんが感じる気持いいとは異なるかもしれないけれど、道の細かな造形にいちいち心躍る僕にとって、最高のロケーションだった。見上げる空には、雲が切れ始めそこから覗くさわやかな秋の青空があった。が、ここばかりは夏の強いコントラストの青空のほうが似合うと思った。
 ある程度上るとまた平坦基調になり、泥のような鬼怒川と並走した。ふだん、こんなに水量があることはないんだろうって、容易に想像ができた。泥水は端という端まで達しているし、川にかかる橋は水のかさ、、のせいでずいぶん低く見えた。
 紅葉は、標高を上げるごとに少しずつ進んでいった。緩やかながら確実に。寝そべった一次関数のように。

 

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 黒部ダムの築堤を走り、小っちゃな集落を抜け、二又分岐。青看標識には左・川俣、右・湯西川、土呂部とある。この青看、確かそんな古くない昔、湯西川の表記はなかったはず。
「山王林道行ったとき、ここの写真をツイートしました」
 とうっちぃさんがいった。
「覚えてます覚えてます。僕が、『右じゃないんですか?』とリプしました」
「そうですそうです。あと、『ここですね!』と同じ青看写真のリプが瞬時に来たり」
「それ、見ました!」
 もう数年前のやり取りなのになぜかふたりして鮮明に覚えていて、時間を飛び越えた記憶を共有して笑った。
 そしてここが県道249号・黒部西川線の起点。

 

 

 土呂部ダムはいつ来ても静かだ。水の流れは鈍く、淀んで緑色に濁った、住宅街の片隅にある汚らしい調整池みたいだ。ダムの基部は道路の反対側にあり、東電の発電用であるここは観光公開もしていないので、そこへのアプローチすらできない。ダムから落ちた先に向かう道もないから、このダムがどういう顔かたちをしているのか、誰も見ることがない。今日はこのダム湖に泥水が流れ込んで、淀んだ緑と混じりあったりグラデーションを作ったりしている。
 黒部を出て道は上り一辺倒でやってくるので、平坦基調に変わるここでたいていひと休みする。今日もそうした。体も温まったところに、青空さえ覗くから、若干の暑さも覚えた。
 しばらく平坦基調からゆるゆるとした上りで、土呂部の集落のなかを抜けていく。並んだ池は管理釣り場だろうか。キャンプ場の看板も見る。鳥居も見かけるので神社もあるよう。あとは民家。ちょっとした畑なんかがしばらく続く。広くはないけど牧草台地みたいな印象で、人っ子ひとり見かけないのに、妙な明るさを感じる。すすきが、少しばかりここには場違いな印象ながら、秋を演出していた。
 集落を過ぎるとまた山の中に入った。坂は急傾斜になり、ずっと沿っている土呂部川は渓流になった。さっきまで泥水だった土呂部川が、急に透き通った水に変わった。とすると台風、大雨による土砂流出は別の支流なのか。秋の土呂部川の清流は、僕が数年前に見た姿と変わらない風景だった。
 しかしながら周囲は小さな崩れをいくつも起こしていたし、土呂部川には倒木もいくつも見られた。路上には、たまたまそういったものがなくて済んだのか、撤去作業をしっかり行ったのかわからないけど、障害になるものはなかった。いずれにしても山は削られ水が出、荒れてしまったようすが見て取れた。
 路面を水が流れていた。かなりの水量が僕のほうへ向かって流れてきている。車輪は流れに浸かり、気を付けて路面を見ていかないと、穴が開いたり陥没したりしている。水の流れというのはアスファルトを簡単に破壊していく。流れの力で路面に傷をつけ、穴をあけ、下の路盤の砂利さえ流し運び去ってしまう。流れの中は縦に大きく傷が入り、路盤も流れ出していた。
 発端は山の斜面から道路に流れ出す、しみ出した沢のようだった。いちおうは路肩に溝があり、あるところで道路をくぐって土呂部川に流れ込むようにしているのだけど、なにひとつ機能していなかった。いわゆる洗い越しになってしまっている。
「横切るんじゃなく、縦に道路上を流れていく洗い越しって、なかなかないですね」
 とうっちぃさんがいった。
 洗い越しは何十メートルかにおよび、路面がぼろぼろに朽ちている箇所がいくつもあった。
 厳しい上りは続く。

 

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 一次関数で深まっていく紅葉度数は、いよいよ頂点に近づいてきた。同時に道も頂点が見えつつある。残り標高100メートル、木々、山肌の色づきが鮮やかだ。すっかり顔を見せた青空が、鮮やかさを演出しているのは間違いなかった。深い。実に。
 ここの紅葉は黄色が主体だ。ときおり赤が混じる。道路を覆うトンネルのような木々も、その木々のすき間から垣間見る山々も、深い黄色を主体に染まっていた。
 僕はトンネルのような道路両側の木々を、天に向かって見上げた。するとその向こうの秋空が透けて見えた。日の光を受けて、キラキラと葉が輝いていた。
 やっぱり今日だった。今日で大正解だった。
 僕は実感した。
 もう少しで峠だ。タイヤが積もった枯葉を踏む音と僕自身の呼吸の音だけが聞こえた。僕は木々を見ながら、すき間から山々を見ながら、ときどき天を仰ぎながら、峠を目指した。

 

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 県道350号・栗山舘岩線は、田代山林道と呼んだほうがむしろ通りがいい。その分岐で足を止める。
「ここで、峠ですか?」
 すぐあとを上ってきたうっちぃさんも足を止め、そういった。
「この先たぶん100メートルくらいでピークなんですけど、まあここが峠のようなものです」
「この道は?」
舘岩村に行く県道です。ついこないだまで林道だったんですけど。──おととし中山峠を越えた日、前沢曲家集落に立ち寄ったの、覚えてます?」
「覚えてます」
「あそこに出る道です」
「ああ、あそこ……、そんな道があるんですか」
「ルート的にも僕もかなり興味ある道なんですけど、なんでも20キロくらいダートがあるらしいんですよ」
「それは長い」
「それよりずうっと通行止めで。ここ近年、正式に通れたっていう話を聞いたことがないです」
 道は開放されているが、かたわらに通行止めの看板が立ててある。
「紅葉、すごいですね。極まってる。これがあったからなんとか上りました」
「天気も晴れて、紅葉がより鮮やかですね。──じゃあ向こう側に開けた風景を見に行きますか」

 

 道のピークは百メートルもなかった。50メートルくらいだった。標高差にしたら5メートル上るか上らないかくらいだった。道は下りに転じ、その瞬間、これまで見てきた土呂部からの奥鬼怒方向の山々に代わって、湯西川・福島県境方向の山々が姿を見せた。それは恐ろしいほどの深い紅葉だった。美しかった。が、美しすぎた邪悪さ、、、さえ秘めているんじゃないかと疑った。それほどだった。吸い込まれそうだ。僕は足を止め、うっちぃさんも同時に足を止めていた。息をのみ言葉をのんだ。
 赤を中心にした中に、黄色や緑も織り交ぜていた。その色合い、配分、配置、織り交ぜ方は情熱のパッチワークだった。いや狂熱というべきか。色とりどりがちりばめられた山は熱かった。激情たる感情を持っているのが伝わってくる。色が、流れ動く。風で流されているのか、日の光の加減なのか、重く根付いた自然が染め上げた紅葉がそこにあった。
 ただ黙って、それぞれに写真を撮った。歩きまわり、木々のすき間を見つけてレンズを構えた。しかし色など映るはずもなかった。しょせんコンパクト・デジカメ、それを写真の心得も何ひとつない僕がシャッターを切っていく。目で見る色など一枚たりとも残ることはない。それでも僕はシャッターを切った。

 

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「寒くないですか?」
「寒いです」
 そう、寒かった。最初てっきり30キロかけて上ってきた汗が冷え始めたのだろうと思った。でもそれは違うとすぐにわかった。明らかに気温が低いのが感じ取れた。風が変わっている。空気が違う。峠を越え、分断されている空気の一方に入ったのか、それとも急に天候の何かが変わり始めたのかわからなかった。でも間違いなく寒い。空気が冷たい。
「寒いです」
 もう一度、僕はいった。

 

(本日のルート)

 

後編へ続く

 

 

★お世話になったうっちぃさんのブログ

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