自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

秋深し会津旅2Days - 1(Nov-2019)

 なんだか一日で帰ってしまうのがもったいないですね、泊まれば六十里越にも行けそうな場所ですし──。
 準備に頭を巡らせていた仕事からの帰り道だった。帰りの通勤電車は三連休を前にした金曜日のせいかいつもより華やいだ雰囲気で充ちていた。19時過ぎの電車は少しばかり混んでいて、誰もが太陽のもとで一日干したシーツをしまうときのような表情をしていた。「華金」はかつての一週間が終った打ち上げムード、飲み明かしムードから、週末の計画に思いをはせる「華」に変わっていた。誰もがまっすぐ帰り週末を迎える。定時退社後の電車はポジティブな混雑で埋められていた。
 そんな車内で僕はうっちぃさんからのLINEを受け取った。

 

 約一年ぶりに会い、栃木県北の紅葉を見てまわったのが先週、そのときの旅の計画として提案していたもうひとつが奥会津の国道400号をたどるルートだった。ふたつを見たうっちぃさんはどっちも興味がわきすぎて選べないといい、どちらでもいいといった。結果、栃木県北にしようと僕が独断で──これでも紅葉の進んでゆく状況と標高の高さから考えたのだ──選んだ。
 会津の国道400号も行きます? 今朝そう連絡した。うっちぃさんもせっかく興味を持ってくれて、それに僕自身が強い関心を持っている国道400号という道だけに、そのままポイと捨ててしまうわけにもいかなかった。
「行きます。いつでもいいです。何なら今週だって」
 そう返事が来た。来週以降の予定として組み入れることになるだろうと思っていた僕はあわてて、紅葉やら道路の状況やらとお天気を見てお昼までに連絡します、と返した。
 もともとひとり旅が好きだった。誰にも邪魔されず、気を使わず、旅をするという孤高の行為、まさに深夜ドラマのオープニング・ナレーションのように。自分のペースで事を進めるのが好きだった。好きというよりそれが染みついたスタイルだったし、いちばんの自然体だった。彼も僕もそうだったことで互いの旅に対する理解は早かったし深かった。自分の旅を計画するときに情報を集めるといつだって僕は彼のブログやツイートに行きつき、彼は僕のブログやツイートにぶち当たっていた。彼のブログは僕が行きたい場所と僕が行った場所とであふれていたし、彼にとっての僕のブログもそうだった。
 一緒に旅をするようになった。自転車という道具を携え、待ち合わせ、電車に乗り、いろいろな場所に出かけて行った。行きませんかと声をかけられれば僕は百パーセント答えた。僕は僕で面白そうなルートが出来上がるたびに行きましょうと誘った。そうやって一緒に旅をしながらも、互いのひとり旅は常に尊重していた。ひとり旅の意味をお互いよく知っていたし、その重さは簡単に動かせるようなものじゃなかった。あるいは鹿島神宮香取神宮にある要石かなめいしのように、はなから動くことはないであろう重さに違いなかった。一緒に旅をするようになったからこそ、その重要性もあらためて気づいた。次に一緒に旅をするときは、まず互いのひとり旅の話題で時間は満たされた。
 だから少しばかり悩んだ。今週でもいいというその答えが、うっちぃさんという実体を百パーセントあらわしていると思えなくて、自信がなかった。僕は金曜日の仕事のすき間にスマートフォンでちらちらと状況を確認した。紅葉はまさにこの週末のようだし、天気も上々だった。僕は三連休とはいかず月曜日には仕事が入っていたので、その心づもりで天気予報を見た。今は10日先まで見ることができるのだからありがたい。予報は来週末よりまさに今週末だった。来週末の予報なんて多少のあいまいさは加味していると頭に置いたって、今週末を選ばせるものだった。そして今週末のなかでも選ぶべきは明日の土曜日だった。
 悩みつつ、僕はお昼休みに「明日が最適なようです」と返した。語尾に「もちろん、来週末でも大丈夫そうです」と、含みを残した。今日の明日でもあったし、先週一緒に走りまた今週も──そういう印象を持つんじゃないか、それを忌避するんじゃないかと思う部分があったからだ。ひとりの時間も大切なんじゃないかと気を使う必要があったからだ。先週が一緒の旅なら今週はひとりでいたいのではないかと思ったからだ。
 でも状況と、そこからできる判断は率直に伝えるべきだと僕は思ってそう返した。それは最初に「今週でも」といってくれていることよりも、彼がノォなら「ノォ」とはっきりいってくれる人だとわかっていたからだ。その点を信頼するなら、変に余計な勘繰りを入れるよりも事実と状況をストレートに伝えるほうが吉であるはずだ。
「いいですね、明日にしましょう」
 返事が来た。僕は何ひとつできていない用意に──しかしながら気分よく──急きょせまられることになった。ちょうど、昼休みを終えるチャイムが鳴った。

 

 たいていの日帰りサイクリングでの荷物は確立しているのだけど、着るものあるいは脱ぎ着するものが悩みどころだった。先週の栃木県北が想像以上に寒かったからだ。土呂部どろぶの峠でいびつに光りそうな尖った冷たい空気に体を震わせ、湯西川への下りで庭好きの老婆の水やりのようなゆっくりしかしながらじっくりと降る雨に凍えたからだ。冬の服を選ばなかった先週を思い出し、標高は低い場所ながらも冬の服を選ぶことにした。中に着るものを多少薄くすればいい、そう結論付けた帰りの電車の中で、漠然とした一泊サイクリングの提案を見た。
 家に帰りその話を妻にする。家庭の用事さえろくすぽ把握していない僕は、それを確かめる意味も含めて。
「天気はどうなの?」
「悪くない。土曜日がいちばんいいようだけど、日曜日だって悪いってわけじゃないだ」
「だったら行ってきたら? 私は土曜日の早朝、当たったエキストラの仕事があるのと、夜映画を見に行こうと思ってたくらいだから、予定は何もないよ」
 行ってくればという妻にていねいに礼をいう。それから泊まりの準備をして向かいますとうっちぃさんに連絡を入れると、返信が入った。「会津若松周辺の宿、見る限り全滅です。でもネット予約がすべてじゃないだろうし、当日キャンセルも出るだろうから、行ってその場で当たってみましょう」
 僕はそれを読んで、妻にそのまま告げた。
「場合によっては帰ってこなくちゃならないんじゃないの? そういうことだよね。──どこに行くの、そもそも」
会津。──泊まるところは会津若松周辺かな」
「夜、どこかまで迎えに行く?」
「にしても、どこまで戻ってこられるか。会津若松じゃ」
「郡山にはさすがに戻ってこられるでしょ。──でも映画見るし郡山まで行くのは難しいな。あとは鬼怒川のほうに出るとか?」
「まあ時間次第だよね。それによっちゃ家まで帰ってこられるかもしれないし」
 あいまいな返事しかできないから、あいまいなまま会話は終った。
 僕はこの季節の泊まりの荷物をまったく思い描けないまま、適当に引っ張り出した、しかしながらできうる限りの最小限の荷物を、大型サドルバッグに入れるかリュックで背負うか悩み、一度大型サドルバッグに入れて封をしてから思い直し、全部をリュックに入れ直した。

 

 

 土曜日。
 週末のこんなにいい天気っていつ以来だっけ、それを思い出せないほどの快晴だった。雲はひとつも浮かんでないし、雲になりそうな薄い筋すら一本もなかった。空全面に幼児が絵を描くときに選びそうな水色をべたっと単色で塗り、地面に近い部分に若干の白いグラデーションを付けただけの単純な青空だった。週末になるたびに雨ばかりで、降らないと狙った日でさえ重苦しい曇り空の日ばかりだったから、なんだか見慣れてなくて実感のわかない空だった。
 電車は混んでいた。先週とまったく同じ時間に、同じ車両で待ち合わせた。先週が日曜日で今週は土曜日だったから、高校生の数がそもそも違った。ただ途中で降りていく彼らを差し引いても、乗客が多かった。なにより車内のあちこちで見かける輪行袋の数に驚き、圧倒された。みんないったいどこへ向かうのだろう。多くは日光じゃないですか、とうっちぃさんと僕で推理した。紅葉のピークであること、その知名度、ここ二週間ほどのマスメディアでの取り上げようからそうしか判断できなかった。電車は埼玉県から群馬県に入り、栃木県に入った。先週は同じ窓から見ることのできなかった日光男体山が、まるでここにあるんじゃないかってほど間近に見えた。細部までくっきりととらえることができて、距離感を見失った。手を伸ばせば「薙」と呼ばれるいくつもの山体崩壊、いわゆる「崩れ」の筋を指でなぞれそうだった。もちろん筑波山だって赤城山だって、浅間山までも、視界をさえぎるものがなければ見えるほどだった。
「寒っ……」
 電車を鬼怒川線に乗り換えるため、先週と同じ下今市の駅で降りた。降りた瞬間、先週とまったく同じ言葉をまったく同じ言い方で繰り返した。寒かった。が、僕は先週と違い冬のサイクルウェアを着ているのだ。逆にインナーをヒートテック一枚にしたけど、羽織っているジャケットから考えれば、同じ言葉をより寒いなかでいっているに違いなかった。先週、下今市のホームに降りて寒いと感じた恰好は、結論でいえば峠まで上ったときに寒かったわけだ。今日はさらに気温が低い。まるで今日の寒さを予言するようで、少しだけ悲しい気持ちになった。
 大量の輪行袋は僕らの予想通り、大半はそのまま降りずに東武日光へ向かっていった。ただ二台、輪行袋下今市の駅のホームに降り立ったから、あの数の全員が全員だったわけじゃなかった。
 鬼怒川線を待つ人で下今市駅の狭いホームはあふれていた。乗り継ぐ列車は浅草からやってくる特急リバティ。下今市から先は特例区間で、座席指定を持っていなくても乗ることができるし、座席指定の乗客がいなければ座ることもできる。
「なんだか今日は混みそうですね」
 先週、特急リバティでの快適輪行を味わったうっちぃさんに、先にいっておく。こういう日だってあるのだ。
「紅葉もピークで天気もいいですし。なにより三連休初日ですから」
 とうっちぃさんはいった。そうだった忘れていた。僕は自分が休みじゃないことを勝手に世間一般にあてはめていた。
「乗ることさえ大変かもしれない」
 僕はホームの様相を見て半ばひとり言のようにいった。
 果たしてやってきた特急リバティはその通りだった。
 席を探すどころじゃなく、客室内に入ることさえ困難だった。デッキはいっぱいになり人であふれた。ホームの刺さるような乾燥した冷たい空気から、人いきれでむせ返る湿度と微妙な暑さを覚えるデッキで、人が通るたびによけながら立っているしかなかった。
 鬼怒川温泉で半分くらいの乗客が降り、ようやく座席を確保できた。指定券を持たない他の乗り継ぎ乗客も、大方席を確保できたようで、デッキにいる人はいなくなった。
「ようやくですね、落ち着きました」
 とうっちぃさんがいう。
「僕はもっとここで降りると思ってたんですよ。想像以上に客が残っています」
 列車はすぐにひとつ目の鬼怒川公園に着いた。しかしひとりも降りた雰囲気がない。「みんな、これだけいったいどこへ行くんだろう」
輪行が多いのも驚きです」
 浅草からもずいぶん乗ってきたのだろう、同じデッキにも僕らのほかにもう一台置いてあったし、車両前方の仕切り扉が開くと、前のデッキにも輪行袋が置いてあるのが見えた。それに通路の真ん中、自分が座っている席に寄せるような恰好で一台置いていある。一見ただの大きな荷物のようにも見えるけど、自転車だ。
「小径車ですね」
 とうっちぃさんがいった。
 東武鉄道の終点、新藤原駅でも降りた人はいなかった。
 ここから野岩やがん鉄道に入るため、乗務員の交代を行っているのが見える。僕は下今市まで飲んでいた缶コーヒーを、前のテーブルを引き出して置いた。
川治温泉でしょうか」
 と僕はいった。「でも行くとしたら川治ダムから川俣方面か、あるいは先週行った土呂部ですね」
 川治温泉に着く。降りる人のようすを見るが、ほとんどいない。輪行袋もひとつも降りなかった。予想が外れた。
「湯西川?」
 僕はなんとなく人が降りそうなイメージのある駅を挙げる。
「ああ、降りそうですね。自転車はどうなんだろう」
「先週僕らが行ったようなところへ逆ルートで行くとか、うっちぃさんが去年行ったみたいに川治ダムへ抜けるとか」
 その湯西川温泉では一般の観光客の装いの人が四分の一くらい降りただけだった。自転車は一台も降りなかった。みんなどこまで行くのだろう。残った乗客は、登山の恰好をした人もいるけれど自転車と合わせても半々くらい。あとは一般の観光客然としている。
「あれま、とすると次に人が降りそうなのは会津高原尾瀬口ですね」
 と僕がいってから、ふたりで「尾瀬か!」と顔を見合わせていった。
 そうはいったものの、
「でも自転車も尾瀬ですか?」
 と僕は疑問を持った。
「樹海ラインですよね。そんなに行く人いるのかなあ」
 とうっちぃさんがいう。うっちぃさんは過去二度ほど樹海ラインこと国道352号を走っている。一度はロードバイクで走ったが、その前は小径車であの道を走っている。
 小径車乗りだったうっちぃさんは手首を壊してからロードバイクに乗っているが、もともとはタイレルという折り畳み自転車でそれこそどこでも出かけてしまう人だった。樹海ラインも、日本国道最高地点の渋峠だって、津軽半島の竜飛崎だって、タイレルで出かけてしまう人だった。うっちぃさんのかつてのブログには小径車やタイレルのノウハウがぎっしり詰まっていて、それら記事を求めて今でも多くの人が集まってくる。
 野岩鉄道はその大半がトンネルなので、携帯電話もほとんど通じない。妻からのLINEの通知が届いたが内容を読むことができなかった。トンネルを出て明るくなったかと思うとすぐにまたトンネルに入る。たくさんのトンネルを越え、最後に長い長いトンネルの中で栃木と福島の県境を越える。会津高原尾瀬口に着いた。
 多くの人が席を立つかと思いきや半分くらいだった。意外に残ってみな会津田島に向かうのだ。満員の列車から二分の一が降り、そのあと五分の一が降りて三分の一が降りて、今二分の一が降りました。さて会津田島に向かう人はどれだけ残っているでしょう、って小学校の算数の分数の問題になりそうなどだと思った。小径車もここで席を立った。黄色のジャケットを着た髭の白いおじさんだった。僕らが自転車の恰好だと気付いたのか、
「おっ、ども」
 といった。そのあとに続いた青のジャケットの人も軽く会釈をしていった。僕らもそれぞれに軽く会釈をした。
「どこへ行くんだろう」
 とうっちぃさんがいう。
「樹海しかないんじゃないですか。まあ僕らが何年か前に行った中山峠から伊南村へ抜けるっていうのもあるとは思いますけど、そのくらいしか思いつかないですね」
「小径車で樹海ラインとはすごいなあ」
「それ、うっちぃさんがいいます?」
 僕はそういって笑った。
 駅の停車中にようやく、妻からのLINEの内容が読めた。「電車の時間を勘違いしちゃって、エキストラに行けなかった(顔文字)」とあった。

 

 会津高原尾瀬口から先は会津鉄道、旧国鉄会津線を引き継いだ第三セクターである。古いうえに地方路線の扱いで、そのまま引き継いだ鉄道会社はいまだにレールが貧弱だ。最新の東武特急でさえ縦揺れを激しく起こし、速度が上げられずにいた。
 大川(阿賀川)沿いに走る車窓を、僕は見慣れていた。見慣れているといってもたいていは雪に埋まった風景だった。スキーをやっていたころ、このあたりのスキー場が好きで、並行する国道121号をしょっちゅう走っていたのだ。見慣れた感がするのは、きっと空の青さのせいだった。早朝からずっと快晴のこの空は、もう冬の青空なんだと今になって気づいた。ここの風景に雪がないだけのことだ。春や夏の空とは全く違う。秋の空だってもうどこかへ置き忘れてきたようだ。冬の色をしている。
 もうあと10分ばかりで終点の会津田島に着くが、僕は今日の旅をまだうまくイメージできない。ルートはここから北の国道400号をそのままトレースする。鉄道など一切通っていない、ただでさえ陸の孤島と呼ばれていた奥会津のなかでも、最も交通の不便な昭和村を縦断して、JR只見線が走り只見川が流れる会津金山町で、国道252号に突き当たって終る。国道400号自体はしばらく国道252号と重複したあとまた分かれ、磐越西線阿賀川が流れる西会津町まで行く。ここで国道49号に突き当たって本当の終点である。全二百数十キロに及ぶ茨城県水戸市からの国道400号の、会津金山町までの40キロ余りを切り出したのが今日のルートだ。
 昔からなぜかわからず惹かれていた国道400号という道路と、昭和村という辺境の地、つげ義春の漫画の舞台になったといわれる玉梨温泉や周辺の八町温泉、そして地図を見ると沿道に点在する、少なくない数の集落もどんなまちを形成しているのかに興味があった。もちろん季節柄、紅葉が楽しみというのがいちばんの推しだし、うっちぃさんにもそれを楽しんでもらえればと思っている。どちらかといえば僕の本質的関心はレアで偏狭趣味に値する。だからいちいち言葉にも出さないし、そもそもそこを走って感じることで興味を充足できる。サイクリングという一日を通じてそのまま体感できる。
 しかしながらこれだけの材料をそろえていて、国道400号というフィルムがどんな物語を展開するのか、イメージに至っていなかった。もちろんそれはそれで予告編なしで映画を見るようだから、ゼロ・スタートで楽しめるわけだけど。
 線路は田島の中心街に入るのに90度右へ進路を変える。この大きな橋の上のカーブに列車はゆっくり侵入していった。自動車ディーラー、コンビニエンスストア、スーパーマーケットからたくさんの一般家屋を、大きな回転をともないながら眺めた。車掌は到着の案内と乗り換え列車を放送している。車内はさながら浜松町を過ぎた新幹線のぞみのようになった。そして速度を落としてホームに入った。向かいには気動車が止まっている。会津若松行きの接続列車だ。
 終点。すべての乗客が順番に降ろされホームに立った。見まわしたが輪行袋はわれわれだけだった。あれだけいた輪行袋は途中のどこかで降りたのだ。どこだったのだろう。はっきりわかっているのは小径車のふたりが会津高原尾瀬口で降りたことくらいだ。
 降り立ったそこはやはり肌寒かった。下今市で乗り換えのために降りたホームの上とほとんど変わらなかった。過ぎた時間と昇った太陽と上がったであろう気温を差し引いてもきっと同じくらいなのだ。ずいぶんと北に来た。そうだ、ここはもう東北なのだ。
 乗客の三分の二くらいは気動車に乗り換えていった。会津田島で降りて一体何をするのかと思っていたけど、なるほど会津若松方面へさらに向かうのか。芦ノ牧や湯野上といった温泉だってあるし、湯野上温泉で降りれば大内宿にも行ける。塔のへつりだって紅葉がピークだろう。そうだそうだ、この先のほうがむしろ観光地ぞろいなのだ。
 僕らは改札を出て駅前ロータリーに出た。うっちぃさんのいう無駄に大きくてきれいな駅舎を出ると広いロータリー。朝から変わらない単色ベタ塗りの青空は、高い建物がないから余計広く見えた。うっちぃさんが「いいですよね、会津」といった。

 

f:id:nonsugarcafe:20191104233746j:plain

f:id:nonsugarcafe:20191104233757j:plain

 

 

 自転車を組み上げてガーミンのスイッチを入れる。そして今日走るべく国道400号のルートを表示させた。

 

(本日のルート)

 

 ★お世話になったうっちぃさんのブログ

cccgogo.blogspot.com

 

その2へ続く