自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

秋深し会津旅2Days - 4(Nov-2019)

その3から続く

 

 午前6時30分。
 外は霧に覆われていた。それもあたり一面重苦しい灰色で、先はほとんど見えず、スキー場で厚い雲に巻かれてしまったときのようだ。目の前の国道を走る車のヘッドライトが直前にならないと見えてこない。そんな状況だからうかつに横断なんてしたらはね飛ばされてしまいそう。この濃霧は10メートル先すらあやふやにしている。そして、寒い。
 しかしそれよりも驚いたのは今立っているこの場所の変貌ぶりだ。ひと晩を過ごしたネットカフェから出ると、そこは何ひとつないただの広場だった。きちんというならここは駐車場なのだけど、それがここに来たときの記憶と合致しない。わずかばかりの駐車車両と、一角にあるファミリーマートだけがここに存在するものだ。まるでこの霧が何もかもを変えてしまったような、魔法やイリュージョンがあっても不思議じゃない光景だった。
 とにかく、昨日はとんだ夜だった。

 

 

 旅のスタートは会津田島だった。そこから奥会津をめぐるべく国道400号を走り、昭和村から金山町へ抜けた。金山町に出ると今度はJR只見線に沿って走り、会津若松を目指した。国道400号の風景、只見線や只見川の風景、いろんな奥会津の側面を楽しめた一日だった。加えて紅葉。さまざまな彩りがほぼ全行程にわたり目を楽しませてくれたのは、季節にうまい具合にはまったのに加えて、快晴の空だったことも大きい。一日の時間を目いっぱい使った。
 旅の友はうっちぃ(@ucchii_da)さん。先週の栃木県北、川治・黒部・土呂部・湯西川の紅葉を一緒に楽しんだのに続いての今週である。
 もともと先週の栃木県北のとき、同時に提示していた計画案だった。選べない、どちらもいい、どちらでもいい、となって出した結論が栃木県北。紅葉の状況を推測し選んだ結果だった──栃木県北のルートのほうが標高が高かったからだ。だからといって、選ばれなかったから行かないと捨てるのももったいない話だった。僕自身も魅力を感じていたし、季節だってうってつけだった。そこでもう一方のルートはいかがでした? 興味があればこのルートもご一緒しませんかと送ったことがきっかけだった。
 快諾してくれ、そこから話はトントンと進んでいった。何しろ切り出したのが金曜日だ。それが明日行きましょうとなったのだ。
 夜、翌日に向けた準備をするなかで、「一日で帰ってしまうのがもったいないですね」という会話が起点となり、計画は泊りがけサイクリングへと急きょなだれ込んだ。翌日六十里越をしたいという話から、会津若松に宿泊する前提で一日目を走った。
 しかしながらうっちぃさんから「会津若松周辺の宿はネットでは全滅」と事前に知らされていた。でもネット外確保の部屋や当日キャンセルだってあるだろうし、飛び込みで行くことにして旅に出た。前夜妻には「帰ってくるしか選択肢がなくなることない? 迎えに行ける準備しておいたほうがいいかな」といわれた。なんとも答えられなかった僕は語尾を濁すほかなかった。
 一日目の旅が終りに近づき、会津坂下あいづばんげから会津若松に向かうなかで夜の闇が覆いかぶさってきた。行程は、映画でいえばエンドロールだ。あとは会津若松市内に入って今夜の宿を確保すればいい。暮れゆく一日の物憂げな移り変わりにたかぶることなく心をそっと浸していた。
 阿賀川を越えると会津若松市に入る。市内中心部の街の明かりが一枚の皿に散りばめられた光の粒となって見えた。そのなかへ飛び込んでいくがごとく坂を下った。たちまち、車が行列を作る。僕らも停止を余儀なくされる。そしてそこからのろのろ進む市の中心部への渋滞が始まった。
 17時を過ぎ、まさにそういう時間だ。会津若松市といえば会津地方の中心都市であり、僕らが走っている国道49号といえばここで最も規模の大きな国道である。僕らにとってみればけっこうな距離を走ってきた一日だったので、疲労がそれなりにたまっていた。渋滞で止められボトルネックの信号を待ち、そうするあいだも特に会話はしなかった。車の列が流れれば進み、止まれば止まる。それに合わせて機械的に自転車を進めていた。
 僕が違和感を覚えたのは、渋滞中の車の後部座席の扉が開き、降りた女の子ふたりが歩道を歩き始めたことだった。そんな光景が渋滞のなかで二度三度と見られ、しばらくすると歩道を歩く人があふれるほどになった。
 ──混雑するショッピングモールでもあるのかな。
 いやそういう施設があったところで歩道をこれだけの人が歩くことってないはずだ。新規オープン直後とか、よほど話題のあるときでなければそんなことは皆無だ。
「なんか違いますねぇ、渋滞とは」
 と僕はうっちぃさんにいった。
 何らかのイベントだと気づいたのは、大きな交差点や歩道で人の流れを整理する警備員が立っているのを見つけたからだった。
「ありますね、なにかが」
 とうっちぃさんもいった。
 それが花火大会だとわかるのに時間はかからなかった。わかるやいなや歩道も車道も身動きが取れないほどの大混雑に巻き込まれた。僕らは自転車を降り、押して歩き始めた。もはや逃げ道もなかった。
 打ち上げは駅や中心地から離れた国道沿いの広場のようなところだったらしく、国道49号を離れて駅へ向かう道に入ったときには混雑を抜けていた。駅の裏手から回り込める路地を走る途中でドン!っと腹に響く大きな音が鳴った。一発目が上がった。
「花火大会だったとは……」
 僕がいうと、
「しかしこんな時期とは。いつも今ごろやるんですかねえ」
 とうっちぃさんがいった。確かにそうだ、もう11月に入った。日もとっぷり落ちたこの時間はもう寒い。夏の時季の印象を持っているから不思議な感じがした。もっとも隅田川花火大会の起源とされる両国の川開きが行われるまでは、空に華麗に映える冬のほうが適季でよく上げられたという話を聞いたこともある。
 そんな大きな音を背に受けながら、僕らは今日の目的地会津若松の駅に着いた。ウィンドブレーカーなしに立ち止まるともう震えがくるほどだった。
「さあ、宿ですね」
 といった。テレビ東京のロケ番組のごとく、「アポなし宿泊交渉」を決行するのだ。いちおうその前に、うっちぃさんがネットで再度検索、僕は駅の観光案内所に行ってみることにした。僕のLINEには「宿どうなった?」と妻からの連絡が入っていた。僕は「まさに今これから」と返信を入れ、みどりの窓口の脇にある観光案内所に行った。しかしもうロールカーテンが下りており、今日のサービスは終了していた。それに「当案内所では宿泊の案内・手配は行いません」と門前払いを宣言する張り紙があった。僕が外に戻ると、うっちぃさんが「やっぱりだめですね一軒もありません」といった。
 駅周辺で見つけてあるビジネスホテルは4軒あった。近い順に攻めることにする。1軒目、僕は自転車を置きヘルメットを取りフロントへ向かった。「すみません、予約はないのですが今日お部屋は開いていますでしょうか」「申し訳ございません、満室でございます」──即答だった。次、行きましょうとうっちぃさんにいう。駅前の人混みと車にまみえ、少しばかり道にも迷いながら2件目。「じゃあ僕が」とうっちぃさんが行った。しかし早々に戻り指で×印を示した。3軒目、少し離れたところまで走る。僕が臨む。フロントはチェックインの客で混雑していた。しばらく待たされたのち予約のない旨を伝える。「あいにく今日は予約でいっぱいです」という。そして4軒目。「本日は予約で満室になっております。申し訳ございません」と。──全滅であった。ツイッターでフォロワーさんが応援もしてくれていたのに。
「テレビのようにはいきませんね」と僕はうなだれた。
「なんだろうなあ、花火大会のせいかなあ」とうっちぃさんがいう。
「いやあ、花火は見終えたら帰るんじゃないですか?」
「そらそうですよね。長岡の花火大会ならともかく」
「もうネットカフェでかまわないですよ」そう僕はいった。
 今日の宿泊について話していたとき、うっちぃさんは会津若松は最悪ネットカフェもありますし、といっていた。
 うっちぃさんは泊まった経験があった。僕にその経験がなかったから、果たしてどういうところなのか実感がわかなかった。でもいろいろと周囲から聞こえてくる話から、なんとなくの想像はついた。すぐさまじゃあ行きましょうといわないのは、泊まったことのない僕を心配してのことかもしれなった。
「1軒あるんですよね? 寒くなってきたし、行きましょう」
「行きますか。──実はさっきの49号沿いなんですよ、そこ」

 

 1時間が過ぎて、また同じ場所に戻ってきた。車はさっきにも増して道路を埋め尽くしていた。もうふだんの渋滞ではないのが明らかだった。進まない車列ながら、どの車からもたかぶった興奮状態が漏れているのが伝わってきた。目の前で上がる花火は、渋滞の車の窓を開ければそこが観覧席だった。まるでドライブインシアターのごとき国道49号は、それでじゅうぶんだった。渋滞をさほど気に留めることもなく、誰もが上がる花火を見ていた。確かに澄んだ空に上がる花火は夏と違ってきれいだった。ピントも鮮明な4K映像のようだった。それを眺め、みな気分が高揚していた。イカした会話が開いた窓から聞こえてくる。あちこちの車から聞こえてくる。僕はこのなかに郡山ナンバーの日産マーチがいるに違いないと思った。朝からのあのテンションのまま、ここにやってきて花火を見ているに違いないと思った。5人乗ってぎゅうぎゅうのレンタカーは疲れを知らないイカした会話で満たされているはずだ。
 ごった返しているのは車だけじゃなかった。歩道も歩く人と自転車とで混乱していた。僕らはそんな歩道を自転車を押して歩いた。あれですとうっちぃさんが指をさす。ネットカフェが入る建物が見えた。そして大混乱の歩道を行く人はみな、そこを目指して歩いていることがわかった。
 そこは駐車場を開放し、花火大会のメイン会場になっていた。事務局のようなテントが隅に置かれ、お祭りのように屋台がずらりと並んだ。ここだけ切り取ってみればむしろお祭りがメインで、花火はその催しのひとつにさえ見えた。誰もが全方位的に会場内を歩き回り、どこよりも華やかだった。そして絶え間なく人が集まってきていた。
 ただ僕らはお祭りに来たわけでも花火を見に来たわけでもない。目的はネットカフェだ。
「状況を見てきます」とうっちぃさんがいう。さすがにネットカフェ未経験の僕では何をどう話せばいいかわからないだろうと汲んでくれたのだろう。
「はい、こんな状態ですから、入れるなら入っちゃいましょう。輪行袋に入れるのは……」僕は周囲を見回す。「もうこの辺で適当に詰め込むしかないですかね」
 ネットカフェの建物の全周囲がすでに自転車でいっぱいだった。しかも次から次へ自転車がやってきて、道にもはみ出して止めていく。もうそうやって止めるしかないのだ。ほかに置く場所などない。後ろに重ねて次々止められる自転車はまるでラグビースクラムのようで、建物に沿って初めから律儀に止めている自転車はどう見たってもう出すことすらできない。
 うっちぃさんが行って戻ってくるまでのあいだも自転車でやってきた十代若者たちがどんどんと建物の周りを埋めていく。城の外堀を埋めていく歩兵のようだ。僕とうっちぃさんの自転車がもはや身動き取れないほどになった。戻ってきたうっちぃさんが、
「オーケーです」
 といった。僕らは急いで輪行袋を取り出し、立てかける場所もない、やったこともないような狭いスペースのなかで輪行収納を始めた。自転車が次から次へ止められるとまるで取り囲まれているような気分になった。十代たちのイカした会話が充満し、ふたりはすっかり浮いた存在になった。もはや彼ら彼女らの会話は外来語のようだった。テンションがピークに達していることだけはわかった。プリクラ撮ろうぜとか誰彼が来ないけどもうカラオケ入っちまおうぜとかゲーセンで先やってっからとか、もう待ちきれないエネルギーだけがあふれていた。そんな状況に取り囲まれたなかで、自転車もホイールも荷物もどこかに立てかけることすらできないまま僕らはひたすら小さくなって輪行収納を続けた。たぶんふたりにとってこれまでで最も狭い、やりにくい場所での輪行収納に違いなかった。
 それでも自転車を肩に、自分のブースに入ってしまえば別の世界だった。自転車を放り込むと、打ち上げと作戦会議しましょうとうっちぃさんが声をかける。買い出しに行きましょうってことだ。
「ここ、途中外出もできるし持ち込みも可なんです」
「珍しいんですか? そういうの」何もわからない僕が尋ねる。
「僕もそう知っているわけじゃないけど、珍しいほうじゃないかなあ」
 入ってきた入り口から外に出ると、さっきにも増して自転車のスクラムは厚くなっていた。先頭の選手はつぶれそうだ。道路にはパトカーが来ていたが、駐車自転車とあふれる人波で進むこともなくじっと止まっていた。
 僕たちは祭りの屋台で広島焼と書かれた幕を見つけたのでそこでお好み焼をひとつずつ買った。見た目も大きかったが持つとずしりと重かった。それから敷地内にあるファミリーマートでビールとつまみを買った。花火が上がっておなかに響くほどの大きな音が届く。しかしここにいる人たちは花火をあまり見ていないようだった。
「広島の人は広島焼っていうと怒りますよ」
「そうみたいですね」
 ネットカフェに戻り静かなスペースが確保されるとようやく、平常心が取り戻せた気がした。僕は妻に「ホテルなかった。ネットカフェと相なった。眠れるだろうか」とLINEを送った。

 

 

  僕らは幻のごとく祭りの痕跡が何ひとつないネットカフェの駐車場で自転車を組み上げ、輪行袋をしまい、霧に包まれた会津若松の街を走った。日曜日の朝、幸い車は少なく、見通しが悪いなかをゆっくり走っていけばそれほど危ないこともなかった。ただ寒かった。息が白い。10分ばかり走って昨日ゴールとした駅に着いた。そこで再び輪行袋を出して自転車を収納する。
 昨日走って来た道を今日は列車でゆく。列車の終点会津川口まで輪行し、そこから六十里越を目指すルートを考えている。改札口にある案内に7時37分の会津川口ゆきを確認して、それから朝ご飯を調達しにニューデイズに寄った。駅舎内で改札口からみどりの窓口、待合室、おみやげ売り場、ニューデイズまでつながっているから霧の寒さからは逃れることができた。
「7時37分の次の列車見ました?」
 とうっちぃさんがいう。「13時07分って」
「5時間? 6時間?」僕も驚いて計算がぱっとできない。
「とんでもなくすごい路線ですね」
 改札口周辺は外気が入って寒いせいか、列車を待つほとんどの人が待合室のベンチに座っていた。待合室の角の高いところにTVがあり、NHKの7時のニュースが流れている。ラグビーワールドカップの決勝のようすを伝え、焼け落ちた首里城の映像を伝えていた。そんなニュースにみなあまり興味がないのか、スマートフォンを見ているか下を向いて寝ているようだった。立ち食いそばの店がすでに営業していて湯気を上げている。ふたりほど客がそばを食べていた。おみやげ売り場も店を開けた。
 そろそろホームへ行きますかといって待合室を出た。改札は自動改札で、しかしながらパスモは使えない。買っておいたきっぷを通してホームへ向かった。会津川口ゆきは4番線。跨線橋を渡っていく。ホームへ降りるともう霧も晴れていて、広い構内を見渡すことができた。何本もある留置線のひとつを使って車両の入れ替えをしている。いい天気になりそうだ。でも、寒い。
 南方から2両編成の気動車がゆっくりと、車体を揺らしながらポイントを渡って入ってきた。ゆっくりとホームに沿うと、向こう側の線路に止まっている喜多方ゆきの気動車とぴったり顔をそろえるようにして止まった。会津若松と表示していた方向幕が会津川口となった。駅の放送もなく、ガラガラガラとキハ40のアイドリング音が鳴るだけの静かな駅だった。

 

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 定刻を過ぎて会津若松を出た。何を待っていたのかはよくわからなかった。扉はずっと閉まっていたし(地方の路線はたいていそうだ)、きっかけもなかったから、急にエンジン回転数を上げ、駅を離れた印象を覚えた。ともかく会津川口に向けて出発した。
 只見線会津坂下までのあいだ、昨日僕らが走ったサイクリングのルートとは異なり会津盆地の南側をぐるっとひと回りするように走る。西若松を過ぎ、会津鉄道と分かれると町を離れ、列車は広い会津盆地の真ん中に投げ出された。昨日のようにすっきりとはいかないけれど、薄晴れのもと、会津の田園を抜けていく。
「晴れましたね」
 と僕はいった。早朝、ネットカフェを出た瞬間のあまりに深い霧に僕が心配の言葉を並べたとき、うっちぃさんは大丈夫、晴れますからといっていたのだ。
「でしょう」
 うっちぃさんは笑った。
 各ボックスにひとり、ふたり、四人で収まってるところもある。ロングシートも何人か。高校生と地元の年配者と僕らを含む観光客という構成だった。僕は朝ご飯にニューデイズで買ったサンドイッチを開けた。只見線は線路の質が低いのか、キハ40はある程度の速度まで達すると加速をやめてしまう。のんびりした速度で平らな盆地を行く。アイドリングの音と25メートルレールを刻むリズミカルな車輪の音がのどかさを演出している。駅に止まっても誰も立たず、ホームにも人がいなければ扉が開くことはない。止まっただけでまたエンジンを回して加速していくから、どの駅まで来ているのか、よくわからなくなる。
 そこそこにぬくぬくとした車内に、僕はまぶたが重くなった。ネットカフェでの眠りはやはり浅かったのか、それにローカル線独特の細いレールゆえのゆるい縦揺れが効果的に刺激したのか、僕はそのまま眠りに落ちた。
 会津坂下駅名標を見た気がした。列車交換があった気もした。でも僕の目は開かず、しっかり目が開いたのは会津坂本駅だった。昨日走った国道252号が並行していた。車内はいつのまにか客がいなくなっていた。いくつかのボックスにぽつぽつ人が残っているだけで、その客はみな観光客のようだった。別の線に乗り換えたみたいだった。
 窓の外は赤みを帯びてきていた。会津盆地まではまだ至っていない紅葉の域に列車が入ったようだ。只見川が見え、対岸の木々の彩りが徐々に増していく。平均速度が高くないのは変わらないながら、エンジンを常に回していることから、登坂に入っているのだと感じた。昨日駆け抜けてきた紅葉国道を、今度は列車で突入していく。

 

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 列車は第一只見川橋梁に近づくと、車内放送で案内ナレーションを流し、列車は減速した。只見川をゆっくりと渡る。昨日国道脇の高みのビューポイントから眺めた、只見線のアーチ橋だ。只見線も何度か只見川を渡るが、列車からも只見川の風景美を楽しむにはここがいちばんかもしれない。ちょうど渓谷のように切れ込み周囲の木々が紅葉に染まる。車内の少ない乗客からもため息が漏れた。僕は窓の上、ビューポイントを探してみたがわからなかった。きっとこの列車に何人もの人がレンズを向けているに違いない。
 そして僕が只見線を写真に収めためがね橋にも差しかかった。僕らが走った国道252号よりも一段高い場所を行く鉄道は、同じ場所の眺めをまったく異なものにした。
 ひと駅ひと駅、昨日のフィルムを逆再生するように進んだ。その逆再生に2時間の時間をかけ、ようやく会津川口駅に着いた。
 すべての客が只見川のすぐ脇にある華奢 きゃしゃなプラットホームに降り立った。構内踏切を渡って駅舎に入るローカル線の駅そのもので、僕が数年前にここから乗ったときと印象は何ら変わっていなかった。この先も、何本もある構内線路をポイントで束ね、一本の線路となって続いている。その下り本線の出発信号機が赤を現示していた。今ついているということは消えずにずっと赤を灯していたのきっと。2011年の新潟・福島豪雨によって分断された只見線は復旧が決まり、2021年の運転再開を目指している。通しで走ると4時間ほど要するこの秘境路線が10年越しでもうすぐ帰ってくる。消えることのなかった、しかしながら赤だけを現示し続けていた出発信号機に、また青が灯る。

 

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 仮の終着駅で降りた乗客はみな観光客で、外国人も含まれていた。大きなカメラを構え、キハ40を写真に収めている。わずかばかりの下車客の秘境駅へやってくるその情報源と興味と行動力にびっくりする。彼らはこの路線がここで終点ではなく、新潟県まで続く路線だということを知っているのだろうか。復旧し、4時間かけて小出まで向かう列車が走るようになったとき、またやってくるだろうか。
 僕は輪行袋を抱え、改札を出た。駅係員はおらず、きっぷは駅の回収ボックスに入れた。
「どちらまで行くんですか?」
 会津坂下あたりから乗っていたと思われる、車内で観光アテンダントのようなことをしていた女性が話しかけてきた。
「只見から六十里越へ向かうんです」
 とうっちぃさんが答えた。
「そうですか。──今週いちばんいいですよ」
「それはよかった」
「でも今年は色がね、残念ですけど」
「そうなんですか」
 昨日まったく同じことを、この駅前の食堂のお母さんがいった。うっちぃさんと僕は笑う。僕らにはじゅうぶんですけどね──そういって笑った昨日とまったく同じように。
「天気が今ひとつですけど、いちばんいい日ですから、どうぞ楽しんできてください」
 そういう彼女に僕らは礼をいい、駅前に出て自転車を組んだ。
 駅舎のなかにベンチと売店がある。列車を降りて改札口を抜けてきたときは何も感じなかったけれど、外から入りなおしたら強烈な懐かしさを覚えた。僕は数年前、小出をスタートして六十里越を走った日、ここ会津川口駅でサイクリングを終え、輪行した。昼食を食べずにここまで来たあの日、周囲で食事のできる店を見つけられなかった僕は、あの売店カップラーメンを買い、このベンチで食べた。
 先ほどのアテンダントの女性が売店の女性と話をしている。
「お湯はありますか?」
「ありますよ」
 数年前の会話を交わした女性だろうか。それがまた懐かしさを助長した。1時間以上の待ち時間で、走り続ければもっと先まで行けたその日、僕はここで走ることを終えて列車を待つことを選んだ。カップラーメンを昼食にし、3分で調理し10分かからずに食べた。あとの時間をベンチで過ごしたりホームに出てみたりした。あのとき食べたラーメンはなんだったっけか。
 僕は「数年前、ここまで走ってきてここでラーメンを買い、お湯をいただいてベンチで食べたんです」、そう売店の女性に声をかけてみようかと思ったが、やめた。仮に女性がその頃からいる人か、あるいはまさにその女性だったとしても、僕のことを覚えているわけではなかろうし、そもそも最近ここを始めた人かもしれない。かつてからいた人ならおそらく上手に会話を合わせてくれるに違いない、その頃いなかった人だとしてもきっと、「全然変わってないでしょう」などと会話を助けてくれるに違いない。いずれにしたって僕とは温度差のある会話になることに違いはない。僕はひとりで懐かしさを楽しむため、ベンチに腰を下ろしてみた。

 

 空は薄曇りだった。若松市内にいたときのように薄日が差し込んでくることがないので肌寒い。それでも走っていたら汗をかくだろうから、上着は脱ぐことにした。
「行きましょうか」
 うっちぃさんがいった。
「はい、オッケーです」
 僕らは六十里越を目指す。

 

★お世話になったうっちぃさんのブログ

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その5へ続く