自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

里の道、浦の道/房総半島サイクリング(後編)(Sep-2018)

前編から続く

 

 海編、である。
 今日の旅のステージを「山/里の道」から「海/浦の道」へ切り替えよう。意識や旅との向き合いかただ。物語の転換点であり、大切なことだ。できるだけ明確に、スイッチを切り替えるように、パチンと。

 

 切り替えはわかりやすいほうがいい。
 僕は外房の海に出るとき、JR外房線(あるいは内房線)のガーダー橋の下をくぐる。
 僕にとって房総の内陸部から外房の海へと走るとき、このガーダー橋が具合がいい。ここを境に、海に出るんだという実感を強く持てる。ネクスト・ステージ。
 山から下りてきて、線路のガーダー橋をくぐる道は、外房線内房線にいくつかあって、房総の山から外房の海へ向かうルートの場合、そのどこかを通るようにしている。
 逆にいけないのは、外房線内房線)をまたいで越えてしまう道。線路がトンネルのなかにあって、その上の山を下ってくるというのは残念だ。だから僕は内陸から外房の海へ出るのに嶺岡中央林道は使わない。内房線がトンネルのなかにある山の上を走るこの道でやってくると、海ステージに入ったというスイッチの切り替えどころがないのだ。
 これから内陸、山に向かうんだというときは、嶺岡中央林道がいいね。海辺から一気に駆け上がって、まぢかの海が、しかしながらもうはるか眼下に見えるというのは山ステージに入ったんだってスイッチが切り替わる。物語の転換点だ。

 

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(本日のルート)

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GPSログ

 

 

 勝浦市内で遅めの昼食を済ませ、朝市の行われる路地を抜けて(しかし午後のこの時間じゃもう名残すらない)、漁港の前へ出た。路地にはかき氷を出すお店やこぎれいな魚料理屋や新しめの坦々麺屋があって、変わりつつ活気ある街になっているんだ。漁港に出ればこちらは変わらない風景にお目にかかれ、土曜日の午後はすっかり静かだ。
 勝浦の「浦」に面した街は広くない。海岸段丘の地形は急峻な丘陵部が海岸線までせまり、海に直接面した平地はわずかだ。街の背後には崖の上に百メートル級の丘陵部が取り囲むようにいる。
 これは勝浦だけに限ったことじゃなくて、外房の街の多くがそうだ。人は浦に面して街を作り港を作り、狭い平地をやりくりしている。小湊や鵜原や御宿、そうやって街が点在している。
 さらにそういった規模のある街とは別に、小集落が海岸線に点在する。街とは比較にならないほど小さい浦に、同じように港を作り集落を作って暮らしている。
 勝浦の漁港の端までせまった崖に掘られたトンネルを抜けると、そんな海岸線を結ぶ道が始まる。早速坂が現れた。

 

 急な坂道を止まりそうな速度で上っていると、それでもあっという間に勝浦の港と街が眼下に小さくなった。そして反対側にはなにひとつさえぎる物のない、ただ広いだけの海が広がった。驚くほど静かに見え、ため息が出そうな深い青色をしていた。
 陸続きの先に真っ白な塔が海に面して建っている。それが勝浦灯台
 道は入り組んだ地形に沿うように、そして標高を稼ぐためにも大きくう回をして勝浦灯台のもとへ向かう。せっかくなので灯台まで行ってみる。灯台への道は草が伸び放題で、かき分けながらでないと歩けない。車など入っていないんじゃないかと思う。そもそもこの灯台は今も使われているんだろうか。灯台は今、どんどん減っているのだとこの前ラジオで聴いた。入ることのできない重厚な門の向こうにある白亜は、目にもまぶしく、現役であるように思わせた。

 

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 道へ戻って先へ進もう。
 明治維新の折、五稜郭で抵抗する幕府軍を平定するため、援軍を送った熊本藩がこの海上座礁沈没し、多くの犠牲者を出すにいたった。その慰霊のために建てられたのが官軍塚。海を望む丘陵部の上にあるこれは、今走る道の延長上にあるのだけど、ここを通ると肝心の小さな浦の集落へ出られない。内陸へ向かう細い路地へ分岐し、急勾配を下りながら方向を180度変え、小さなトンネルをくぐる。官軍塚とその道はこのトンネルのはるか上にあり、立体交差する。複雑な地形ゆえ、道のつながりもとても難しいのだ。トンネルを抜けると小さな浦に出る。川津という漁村集落だ。

 

 以前このあたりを友人のUさんと走ったとき、「こういう町は夕方が早い」といった。なるほど言い得て妙だと気づかされた。この夕方は物理的な夕暮れじゃなく、生活の営みとしての夕方である。午後の2時3時になれば、仕事を終えた漁師がリラックスし酒を交わし、家々ではすでに夕餉ゆうげの湯気が立ち上り始める。道端の、ボールやなわとびやキックボードで遊ぶ子供たちも、まったりと、そろそろ帰ろうかといった雰囲気を醸し出したり。朝がきわめて早いぶん、生活サイクルが早め早めにシフトしているのかもしれない。

 

 今日も変わることなく、早い夕方の訪れを感じさせた。僕はそのなかをゆく。すっかり片づけられて人通りもない漁港、買い物帰りの主婦の車、何年もそこにあるんじゃないかと思える子供の遊び道具……。そんななかを走る路地道は複雑で、曲がり角や突き当たりを間違えないように進んでいく。マウンテンバイクの形をした子供車に乗った少年が僕に並走してくる。僕が笑うと少年は何だよという顔をする。むきになってくるくるとペダルを回して抜かして行く。僕は愉快になる。僕が走っているのはそういう道だ。車はもちろん地元ナンバーばかりだ。観光などなく、この地区の営みだけがここにある。僕はそんな小集落をいくつも経る、浦から浦をつなぐ道をゆく。

 

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 御宿に着けばリゾートだ。内陸に逃げていた鉄道も国道もふたたび海岸線に出てきて、僕が走るような路地道も国道に吸収された。入り江は砂浜になり、ソテツが並ぶ。南国のようなムードのなか、リゾートホテルが何軒か建ち並んでいる。
 砂浜はたくさんのサーファーと、水遊びの客でにぎわっていた。さすがに海水浴はもうできないみたいだ。でもこれだけの人が砂浜に集うようすは、暑かった夏の名残を感じさせた。
 砂浜に立ち寄ってみた。自転車を立てかけ、腰をおろして見ていた。影は伸び、もう日も傾こうという時間になってきたのに、サーファーは波が来るのを待って浮かんでいるし、砂浜で遊ぶ人々は走ったりレジャーシートに寝転がったり波打ち際で足を水につけたりしていた。まったく帰ろうというふうではなかった。ビーチバレーは点数が行き来するシーソーゲームで盛り上がりの真っ最中だったし、まさに今肉が焼き上がったバーベキューのにおいもどこからか漂った。
 漁村集落とは逆転して、ここは時間が後ろにシフトしているみたいだ。彼ら彼女らの夕方はまだまだ先に違いない。

 

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 ソテツ並木が終わるとまた海岸段丘の坂を上る。勝浦のときと同じように、坂をぐんぐん上ってあっという間に御宿のリゾート海岸を俯瞰した。なんかこう、急激に周囲が変貌すると、まぢかに見下ろしているはずのリゾート海岸が幻のように映る。祭りのあとのように見える。でも海岸ではまだまだ祭りは続いている。サーファーは波を待ち、海岸の客は子供にボールを投げ犬にフリスビーを投げ裸足で波と追いかけっこをしている。ビーチバレーは次のゲームに入りバーベキューは次の食材を焼き始めるのだ。そんななか、西に望む房総半島の象徴的に連なる丘陵台地、その空はもう色づき始めていた。

 

 今日は、大原まで行ってみようと思う。

 

 

 途中、海を望めるちょっとした芝生に僕は自転車を投げ出し、誰もいない景色を眺めた。隆起と浸食を繰り返した段丘が見事な地層肌を見せ、海は海でどこまでも何もなかった。地球は丸いんじゃなく、海の向こうには終端・・があるのだといわれれば、何の疑いも持てない光景だった。段丘の崖はすっかり日が陰っていて、一日を終えようとしていた。
 さあ大原へ向かおう。

 

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 朱塗りのあざやかな堂が海に突き出すように建っているのが岩船地蔵尊。周囲はここまでいくつも通ってきた集落のように、漁村。入り組んだ路地のいちばん海へと飛び出したところに座していた。そこにいい具合に自販機があって、休憩。ドデカミンを買って路傍に座って飲んだ。
 国道に吸収され、また海へと分かれて、大原の町の中心に入った。
 現在のいすみ市であるここは、九十九里浜の南端、ここへ到達することはイコール海岸段丘の終りを意味する。海に沿って走っていくといよいよ大原漁港に出た。街が大きくなって、もう一集落と呼ぶにはふさわしくない。広がった住宅街の一端だ。並んだ白い漁船は夕暮れの日を受けてオレンジ色に光っていた。
 旅の終りが、切なくなった。ああ、終ってしまうと口をついた。思い直して、切なさを静かにしまって、走った。
 塩田川を渡って、夏の忘れもののような大原海水浴場の大きなゲートを過ぎると、もう海は見えなくなった。駅に向かうつもりで狭い路地に入り、方角に任せて走っていると、僕はどこへ帰ろうとしているのかわからなくなった。塀や生け垣のあいだを道を進んでいると、この先のどこかの家に帰るような気分だった。でもそんなはずもなく、僕は駅へ向かう。旅が終わろうとしていた。

 

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 また、旅に出よう。そうしよう。