自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

東武日光線沿線ひたすら自転車旅(Dec-2019)

 自転車で鉄道線路沿いを走るのが好きだ。ここでも前、それに触れた気がする。──確かそのはず。忘れてる……、まあいいや。
 電車に乗って車窓を眺めていると、明らかに幹線道路とは違う道が並行して続いている。線路わきをぴったり並走することもあるし、少し距離を置いて付きつ離れつしながら進むこともある。畑の中にぽつんとある広い豪農の家をかわし、突然現れた緑深い雑木林の中を抜け、また車窓に戻ってくる。あるいは線路に沿っていた道が突然踏切で反対側へと渡ってしまう。そんな多くは路地や里道だ。車窓効果──額縁的な絵を引き立たせるスパイスと、窓ガラスというフィルターを通したうえでの想像力・妄想展開の相乗効果──はあるにせよ、ああ自転車で走ってみたい道だな、と想いにふけってしまうのだ。
 テレ東・土曜スペシャルで企画される福澤朗アナの『鉄道沿線ひたすら歩き旅』なんか見てしまうと、これを自転車でやりたいぞと思ってしまうわけだ。あの企画のうまみって道がないとか店がないとか宿がないとか、迷うとか間違えるといったトラブルやハプニングと、福澤アナはともかく(氏はなんという健脚なのだろう……)、別のゲストが疲労や痛みで歩けなくなってしまうドキュメンタリー展開にあるんだと思う。でも僕は風景ばかり見ている。風景だけじゃない、じっくり見てると、道の雰囲気、映っていない範囲の絵、その地のいわば空気感、そんなものまで画面を通して伝わってくる。線路沿いを行くことの素晴らしさ、それがすごくいい、それがとてもいい。
 手もとに東武のきっぷを1枚余していた。
 使わなきゃならない。12月末までだ。すでに12月に入ってしまって残る機会は少ない。と同時に12月は寒い。僕が東武のきっぷを使って輪行で出かける先って日光であったり鬼怒川であったりさらにその先の会津方面、あるいは足利、桐生といった方面。たいていは山のほうに入っていくことが多い。栃木、群馬、ときに福島の自然たる風景と道を楽しむために。でももう12月だ。山なんて寒い。
 ──あっ、とひらめく。ちょうどくだんのTVプログラムが放映されたあとでもあった。「東武日光線を、やるか」

 

 出かけてみた。そこで、いつも車窓に見ていた風景と、これまで見たことない風景と、一日かけていっぱいの風景を目にした。

 

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 新古河駅
 東武日光線伊勢崎線と分岐する東武動物公園駅が起点で、全線を沿って走るなら東武動物公園駅がふさわしいんだろう。でも新古河にした。まあいろいろ考えのおよぶところがあって、いちばんは東武日光線利根川を越える栗橋-新古河間に道がなく、利根川渡良瀬川の合流地点でもあるこの辺りは、迂回をするにも橋の少ない大河を越えることが難儀なせいだ。それに利根川までの区間は何度も線路沿いを走っているし、そこからつないだ利根川渡良瀬川をクリアするルートはいつも決まって走るルートでもあったから。
 決まって走るくらい、何べんも飽きるほど走っている。それは東武日光線沿線という点では一緒。その距離の長さもわかってる。だからそれも踏まえた。鉄道沿線の、きわきわを進むというの時間がかかる、、、、、、のだ。そしてたっぷりと時間をかけないと楽しくない、、、、、、、、、、、、、のだ。
 どこまで行くかは一日の日和と進み具合で決める。見たいところがあったら見る、止まる。入りたい道があったら入る。快走なんて求めちゃだめだ。スピードに乗って走っていると目についたものがあっても「ま、いいか」ってすっ飛ばしちゃう。そうしがちだ。あとになってのその後悔たるや、特にこの沿線旅に極まる。
 冬だな。寒い──。
 午前8時過ぎ。僕はウィンドブレーカーを脱げないまま、出発した。

 

 僕が何度も走る東武日光線沿線は、太平山だとか佐野だとか、前日光の山々に向かうアプローチだったり、日光や鬼怒川を目指すロングライドだったりするから、とにかくスマートに、スムースに駆け抜けることが第一義だった。いつだってこの区間は、今この目に見える渡良瀬遊水地の土手の上のサイクリングロードを走っていた。いい直せばこの区間は、土手の上のサイクリングロードしか、、走ったことがなかった。
 だからそこから何百メートルと離れていないのに、まるで新鮮だった。足尾銅山鉱毒問題に尽力した田中正造の霊とか(霊ってなんだ? 扉の閉ざされたただの物置小屋だった)、最近じつに地味に話題、、、、、の三県境とか(埼玉、栃木、群馬)、そんないちいちが目新しくて、カメラを置く台などあったものだから、「三県境ポーズ」などしてセルフタイマーで写真を撮ってみたりした。誰もいなかったから。

 

 道は続かない。路地はくねくね行くし、すぐに突き当たる。線路沿いに一本ひたすら貫いた道ってじっさい少ないもので、それはルートを作るときから苦労した。地図で見ていても、どの道も太さが似たり寄ったりだから、どれが道なりルートでどれが分岐なのかわかりづらいし、トレースモードで引いているとどうやっても引いてくれない道がいくつもあった。そういうときはほかの地図と見比べて道があるのかどうか確認したり、あとは勢いだけで、直線モードに切り替えて線を引く。そんなふうに作ったルートだから舗装が途切れるなんてしょっちゅうで、把握しにくい分岐はいちいち確認しながら、最低限人の家の納屋に続いていないことだけは注意して進んだ。未舗装だったり、もはやあぜ道だったりするところを進んでいると踏切の警報機の音が聞こえてくる。自転車を降りて立ち止まるのだ。列車がやってきて一瞬で通り過ぎていく。それを眺めている。どこに続くかもわからない土かぶりの道やあぜ道だったり、ここ畑の中なんじゃないのって場所で通り過ぎる列車を眺めている。楽しいなあ──。
 列車を眺めているのは楽しい。立ち止まって見送るのもいいし、走りながらすれ違ったり、追い抜かされたりするのもいい。踏切の音が聞こえ、やがて列車が近づく音がする。そのときに線路が見えず、音と通過する気配だけが行き過ぎ、線路傍に出たときにはもう開放した踏切だけが見える、そうなるとひどく損した気分になる。残念な気持になる。それもある意味きわきわの線路伝いをゆく楽しみであり醍醐味。
 東武日光線はまた走る車両が多彩で楽しい。だから踏切が鳴り出すとなにが来るのだろうとワクワクする。
 踏切が鳴った。ちょうど、谷田川橋梁だ。古くから残っている東武線の橋梁によくある、ごくごく短いトラス橋。そのたもとの踏切が鳴っている。僕はルートを外れて踏切に駆け寄った。

 

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 新古河を出てから栃木まではおおよそ、田園の中を行く。起伏もなく、だだっ広く続く関東平野の北端を実感させる。時季が時季だから休耕中が多いのだけど、青々とした草が伸びている畑もある。ほうれん草? ニラ? 何だろう僕にはよくわからない。大半の休耕中の土地は水田なのか畑なのかさえ僕にはよくわからない。とにかく茶色くて平らで広い。大・関東平野だ。
 遠くに見え三毳山みかもやまから馬不入山うまいらずさん晃石山てるいしさん、太平山とつながる山々が赤茶色に染まっている。今年の紅葉は全体的に色が悪く葉も早く落ちるので今ひとつな感はあるのだろうけど──特に房総のもみじラインは残念だった──、この一帯はずいぶんいいように思う。先週、午前中だけ太平山を走ってみたのだけど、いい紅葉で何度も足を止めた。
 藤岡駅を過ぎると渡良瀬川を渡り、ここからいい線路沿いの道がなくなる。いちばん近いところを行く道が県道11号なんだけど、この道はいわば道路でいう東武日光線の役割を果たす幹線県道。交通量からみても趣に欠けるし、走りにくさもある。ダンプも行き交う道路で、踏切が鳴ったからと急に止まって道端で写真を撮っていることがふさわしいかと考えると、そういう道ではないと思う。だからしばらくのあいだ線路から離れた里道を行った。水路に沿った集落やだだっ広い田畑のあいだをジグザグ進み、それでも次の静和駅に近づくと、線路も近づいてきた。列車が走る音がする。車輪が刻む軽いジョイント音が高速で行き過ぎる。キーンという甲高いノイズがあるから、きっとスペーシアだなと思う。音でも何となくの分類がつく。スペーシアだけははっきりわかり、6050系は重々しい走行音でそれかなと思う。ただ300系とか350系とかいうかつての急行りょうもうだった車両が来ると区別がつかない。新栃木まで走っている10000系と20400型はなんとなくグルーピングできるけど、そのふたつは区別できない。新しい特急リバティの音はまだよくわかってない。あとJRの特急──むかしの成田エクスプレスだ──も。
 静和を過ぎて新大平下に向かうと、紅葉の山々がぐんと近づいてきた。同時にかつての大平町(現在は栃木市)に入ると急に都市化する。区画整理された住宅地にたくさんの家々が立ち並ぶ。日立といすゞ自動車の大工場があり、その系列会社が工業団地を形成し、そこで工業を支えて暮らす人々の町だ。大平町は最後まで他の市町村との合併をせずにいた。結局栃木市に入ったけど、もしかすると大平町だけでもやっていけたんだろうなって思う。そのくらい風景がガラッと変わり、栄えている。機能的に造られた町の中を走る。大平町といえばぶどうでもかなり有名ながら、今日走っているルートにぶどう畑は見られない。それを見るなら太平山に向かうルートになる。
 大平町から続く栃木市も大きな町だ。栃木駅に近づくと東武日光線は高架線になる。同時に、栃木での接続路線であるJR両毛線も、高架線になって近づいてくる。ちょうど両線が二又に、相対する円弧のように分かれていく高架線の下を通過した。栃木県三番目の都市、栃木市。見える高架線の立派な駅は、その中心駅、栃木駅だ。
 町の中心から少しずつ離れるように、グラデーションのように都市色が薄まっていく。同時に東武日光線も高架線から下りてきて地面を走る。新栃木駅
 栃木の中心街からは離れてしまったけれど、東武鉄道で見るならここが要衝だ。東武宇都宮線の起点でもあり、巨大な車両基地を有する東武日光線の中心地だ。かつて浅草から東武宇都宮までの直通準急(通勤電車)があったころ、ここで車両の分割・併合が行われていたし、浅草から東武日光・鬼怒川へ向かう快速も止まる中継地だった。浅草からここまでの電車も多数設定され、まさに東武日光線系統の「ハブ」だった。車両基地まで引き揚げず、留置線で多数の電車の入れ替えが行われてもいた。
 僕は東武宇都宮線の線路を横切り、車両基地の壁に沿ってくねくねと走った。もちろん車両基地を眺めるのも楽しいのだけど、この道しかないのだ。車両基地が広大で、なかなか東武日光線の線路に近づけないのだ。
 車両基地には6050系のリニューアル塗色(かつての6000系快速電車カラー)の車両がいた。なかなかしっくり来ているようでもあって、急に懐かしさがこみ上げた。

 

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 線路伝いを行く道に戻れ、合戦場かっせんば駅前の踏切で線路を渡った。
 ここまで偶然ながら、すべての駅をその正面からあるいは遠巻きに眺め、同時に写真に収めつつ来た。しかしながらここからそれが難しくなる。
 新栃木を過ぎると、少しずつ山めいた里になるのだ。
 道は古くからある国道や県道が主体である。ここまで走ってきたような里道や路地は極端に減り、うまくつながらなくなる。何しろ生活道路としても国道や県道が主体で使われているからだ。もちろんバイパスが開通している区間の旧道は格下げされて市道なんかになっているけど、かつての国道や県道だ。だから里道や路地を安易に選ぶと、人の家の門に続く道だったりもする。そういった道で線路伝いをつないでいくのが難しくなる。
 ときに大きく迂回し線路さえ見えなくなる。山がちになれば関東平野の田園のような「抜け」もなくなるので、線路から遠くなくとも線路が見えなくなる。駅を眺め写真を撮ってきたのはそこを通ったからにすぎないので、駅が見えなければそのまま行く。いちいち駅に寄り道していたら時間を使い果たす。そんなわけで、新鹿沼までのあいだ、樅山駅を見逃し、撮り逃した。おおよその場所はわかっていたのだけど、走っているルートからでは望める場所じゃなかった。

 

 かつて沿線全駅立ち寄る自転車旅をしたこともあった。東海道線でもやって、東田子の浦まで行って力尽きてやめた。そういえば「はてなハイク」にひと駅ごとリアルタイムに写真をアップしていってたからきっと10年くらい前だ。川崎や茅ケ崎、平塚なんてわざわざ駅前まで入っていかなくちゃならなかったし、大船なんて迂回までして立ち寄る場所だった。鴨宮は住宅街を迷路のようにたどらなきゃならなかったし、極めつけは函南だった。東海道線丹那トンネルで貫く伊豆箱根山塊を、熱海街道の急勾配を上って越える必要があった。距離的にも時間的にも疲労がたまったころに、ようやく上りきって下った先は三島だった。三島は函南のひと駅先で、函南駅をクリアするにはわざわざ鋭角に引き返し、別のルートで伊豆箱根山塊の中腹までまた上る必要があった。行き止まりにあった函南駅をクリアした僕は、来た道を下って三島に向かった。
 そう、「クリアする」という義務感が大半を占めてくるのだ。
 もはや沿線風景を楽しむゆとりは失いつつある。どうすれば最短に、いちばん楽に、迷うことなく次の駅に行けるか、そればかり考えていた。ゲーム性はあるけれど旅情はなかった。
 関東鉄道常総線の全駅旅をやったこともあるのだけど、それはなかなか楽しかった。とはいえやっぱり義務感はぬぐえないもので、次の駅ばかり急いだ。大田郷駅から昭和前期に走っていた常総筑波鉄道鬼怒川線廃線跡など楽しむよりも、次の終点下館駅に急いでしまった。たぶん路線的風景的見どころはたくさんあったに違いない。きっと見逃していたに違いない。
 東武野田線をやってみたときはひどかった。この路線は首都圏北部から東部を円弧状に結ぶ路線で、それはまさに「都心からの距離」として地図に描かれる円に合致するような路線だ。すなわち都心から離れた、しかしながら田舎ではない首都圏ベッドタウンを結んでいて、どこをどう走っても区画整理された新興住宅地しかなかった。どこも同じような駅でどこも同じような町だった。時代の新旧はあれど区画単位に同じ形の家が建ち、決まった場所にスーパーがあった。同じような年の子を持つ家族が買い、同じような子が同じように学校に通うのだろう。同じスーパーで買い物をし、同じような夕飯を食べるのだ。大宮からわずか数駅で飽きが来て、それでも変化のない駅、変化のない町を進んだ。柏までとなんとか目指したものの、確か柏の数駅手前で力尽きた。もはや全駅めぐりは「ノルマ」でしかなかった。

 

 新鹿沼の駅を通り過ぎた。駅東側の例幣使街道は選ばず、西側のちまちました道を選んだので、線路からはずいぶん離れていた。でも気にしなかったし、駅に寄ることを課してなかったから楽だった。初めて走る道をあえて選んでいるので楽しさのほうが強かった。
 次の北鹿沼に近づくころ、線路のそばに戻ってきた。
 新鹿沼から先は山のふもとの小さな町をつないでいくようになる。町というよりも集落。風景には変わらず田畑が多いけど、迫りくる山々のあいだ、狭い平地を耕しているようすがうかがえる。道もいっそう難しくなる。国道県道を避けるように作ったルートは、地図では確認したはずの東武日光線を越えるための踏切がなかったりした。
 板荷いたがの駅を過ぎ、地形に起伏が見られるようになった。鉄道は平滑な勾配を保とうとするので山を切り通しにしたり、抜け出た谷では築堤や高架線や鉄橋を組み合わせた。しかし里道は地形に逆らわず、急激な上り坂と下り坂を繰り返した。でもそれが素晴らしかった。そうやって小さな起伏をひとつひとつ越えていくたびに風景が変化するのだ。まるで回り舞台の舞台転換のように。
 板荷から下小代しもごしろ区間にはちょっとした丘陵があって、それを越えなきゃならない。そのために入った里道は、深い深い杉林の中だった。木の背丈が高く、道幅も小型乗用車が一台走れるかくらいの狭さなので杉もギリギリまで迫っていた。一瞬にして辺りは暗くなり、路面に落ちる杉の枯葉を踏みながら走った。暗くて心細ささえ覚えそうな森は、パンくずでも落としながら行きたい気分だった。森は空気が違った。マイナスイオン? そんな生やさしいものじゃなく、うっそうとした杉の息づかいによって生まれた空気。光合成といってしまえばそうなのかもしれないけど、杉が生きているその呼吸の中にいる。その中を走っている。
 線路は近いはずなんだけど、おそらく切り通しの中を通っていて見えない。杉林を抜け坂道を上りきると、今度は一気に下る。さっきまで線路より高いところにいたのに、一瞬で築堤上の線路を見上げるところまで下りた。
 下小代駅近くのそば屋で遅めの昼食をとることにした。有名店だと聞いていて、昼どきは待つこともざらだという認識だったのだけど、待つこともなかった。古民家の座敷で縁側越しの庭を眺めながらそばを頼んだ。

 

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「どこまで行くの?」
 そば屋を辞し自転車の準備をしていると、話好きそうな店のおばちゃんが声をかけてくる。この店のおばちゃんたちはみな、話好きだった。
「とりあえず今市ですね」
「じゃああとちょっとだ。ちょっとってもけっこうあるけど」
「そうですね。寒くなる前に走っちゃわないと」
「今日は風もないしあったかいからよかったなあ」
「本当、助かります」
「じゃあね、気をつけてね」
「はい、ありがとうございます。ごちそうさまでした」
 お店は自転車乗りにも慣れているのかもしれない。ここにはバイクラックがあるから立ち寄る人もきっと多いだろう。

 

 正直、これより先はまったりした気分で、落ち着きを取り戻す時間だと思っていた。この先は今市、日光。典型的な地方の町の風景が続く道になるだろうと。いってしまえば楽しくもないありきたりな道。だから今日はもうエンディング、映画でいうならエンドロール的に一日を振り返る区間だと考えてた。
 それが嬉しいことに外れた。
 幹線道路を避けていた。この区間、線路に最も近いのは国道であり県道であった。そんな幹線道路を選ぶか、それとも線路を少し離れてもいいから里道を選ぶか悩んで、後者を選んだルートだった。
 特に明神みょうじん駅から下今市駅にかけての区間の道は感動的でさえあった。落ち葉と枝で荒れた道を走り、森に入る。それを抜けて線路沿いに出たりする。落葉の森は道路一面を枯葉で埋めているところさえあった。思わず足を踏み入れてみる。ふかふかだった。まるで上質のスプリングのベッドのように柔らかく、適度に反発した。その一歩一歩が心地よくて、どこまでも道を外れて行ってしまいそうだった。
 森を抜けると線路沿いの耕作地に出た。西日でオレンジ色に染まった架線柱が妙に旅情を増していた。踏切が鳴る。電車が来るぞ……、僕は自転車を止めてカメラを構えた。6050系普通列車、2両編成。ここは車窓からもきっと見ていたはずだ。もちろん覚えてなどいないし、気に留めたかどうかもわからないけど、線路沿いにはこんな素敵な魅力があふれているのだ。いつだってこの辺を走っているときは例幣使街道を走り、今市をとにかく目指していた。その先の日光や鬼怒川に向かうために、最短で今市へ着くことばかり考えていた。でもそれゆえ、こんな場所さえ見落としていたんだ。もちろん日光や鬼怒川に目的を持って出かけるのはそれで正しいのだけど、そればかりになるとこういった心揺さぶるポイントに目が向かなくなることを思い知った。あるいはほかでもあったんじゃないかって急に悔やまれた。
 2両編成の電車が行ってしまうと、踏切は開き、また鳴り出すことはなかった。
 例幣使街道(国道121/352号)も走った。さすがにすべてを里道でつなぐのは無理だった。しかし日光街道に直結する高規格の板橋バイパスができ、かつての杉並木の中を走る車はほとんどいなかった。まるで里道の林の中の延長のように、例幣使街道さえ楽しめた。
 しばらく走って、脇道があり、そこで例幣使街道の杉並木を離れた。

 

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 今市ではずいぶん線路から離れてしまった。仕方がない、今市周辺はかつての旧街道の要衝でもあり、それが現代の国道に引き継がれて幹線道路の入り組む町だからだ。里道を選んだ僕は下今市駅上今市駅も通らず、町からも大きく外れていた。住宅が点在する一帯は水田地帯のようで、その中を抜けていった。
 線路が見えた。でもそれは東武日光線じゃなかった。今市から大谷だいや川に沿った狭い平野部を並行して日光へ向かう、JR日光線だった。これもまたいい風景だった。めったに来ないであろうJR日光線の踏切が鳴り、視界の真正面に入ってまぶしい夕日を受けた逆光の205系電車が、日光に向けて走っていった。

 

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 落ち着きを取り戻し一日を振り返るための時間、あるいは映画のエンドロール、それはとても短かった。今市から日光までダウンを兼ねてゆっくりと、今日一日を思い返しながら流そうと思っていたのに、大谷川沿いの県道に出た場所は終着東武日光駅までほんの数キロの場所だった。
 最後の東武日光を目指すあいだ、1分ごとに夜が空を染めていった。旅の終りの寂しさが徐々に気持を覆うようだった。ヘッドライトが照らす範囲も1分ごとにその境界を色濃く浮きだたせていった。それがまた寂しさを助長した。終っちゃったな、って思った。
 左に東武日光線の架線が近づいてきた。奥に、東武日光駅の山小屋風駅舎が見えた。ライトアップされているのか明るく浮かび上がっていた。線路は、東武日光駅への急な左カーブを曲がるとプラットホームに入ってその旅路を終える。僕もそのカーブに合わせるように、道を左に折れた。
 到着、東武日光──。

 

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(本日のルート)