自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

陸の最果て/山梨県早川町 - 後編(Mar-2018)

前編からつづく

 

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「そうなんです、ここがいちばんの奥地なんです。マイカーは規制されて、先には行けないので──」
 山梨県早川町探訪の旅は折り返した。奈良田の集落に戻り、そこで2年前から営まれているという古民家カフェ、かぎやに来た。この地で食事ができるところはきわめて限られる。
「自転車もだめですか」
「はい、自転車も」
 この先、広河原への道を、かぎやの若い女性店員と話した。やはり、まったく行くすべがない。
「バスだけなんですね」
「そうなんです」

 おすすめはと聞くと、鹿肉と答える。カレーとトマト煮がある。しっかりした肉を楽しむならカレー、ホロっとした感じはトマト煮のほうがいいですねといわれ、食感はどちらでもよかったのだけど、トマトを味わいたくなって、トマト煮にした。僕は酸味が欲しかったのか。
「鹿はジビエですか? 畜産ですか?」
ジビエです」
「盛んなんですか?」
「盛んですね。町でジビエ加工センターもやっているくらいです」
 鹿料理を待つあいだ、この古民家を見てまわった。見たり写真撮ったりしてかまわないかと聞くと、どうぞ、たくさん見て撮ってまわってください、といった。
 料理が運ばれてきた。小ぶりなパンがふたつ、添えられている。
「立派な建物でした。古いものなのでしょうね」
 料理を置いてくれるかたわらで聞いた。
「建物自体はかつて山中湖村にあったものだそうです。それをこちらに移築してきて、ここにあります」
 その経緯までは聞かなかったけど、ちょっと意外。
「もともとはわっぱとか、そういった地域の産物を作って即売する、民芸品店のようなことをやっていたんですけど、2年前からこの形態で食事や飲み物を出すようになりました」
「そうでしたか。──そのわっぱとかはもう、作ったり売ったりしてないんですか?」
「作っていたおじいさんやおばあさんがやめてしまって。もうできる人がいないんです」
 彼女は少し寂しそうに笑った。「それからこの建物が空いてしまって、であればここを使おうってことになりまして、中に全面的に手を入れてこういうカフェになりました」

 鹿は、やはりクセがあった。臭いといえばそうだ。でも野生の肉を食べているのだ。こうであるのが自然だし、まずいとも嫌だとも思わなかった。
 ふと、一昨年の秋、紅葉の頃に訪れた湯西川温泉の食堂で、ウチの鹿を食べなさいと強く勧められたことを思い出した。土呂部に行ったあとの下りでからだが冷え切ってしまい、どうしてもラーメンが食べたかったので、今日はラーメンでと断った。次来たときには絶対、とまでいわれた。その鹿はまったく臭くないのだという。鹿は畜産で、ジビエではない、まったく臭くない鹿を食べてほしいっていわれて、それっきりだ。じつは去年も行こうと考えていたのだけど、天気に恵まれず行けなかった。それを思い出した。ジビエたる鹿を今味わっている。であれば畜産の鹿も食べたいって思った。

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「どこから走ってこられたんですか?」
 会計をしてくれるのは僕と同じくらいの年齢の女性だ。
下部温泉からです」
「山深いでしょう」
「そうですね。それがとってもいいです。──やっぱり、日が落ちるのは早いですか?」
「早いです、だいぶ」
 女性は笑う。「午後3時くらいにはもう陰っちゃいます。周りすべて、山に囲まれてますからね」
「やはりそうですか。寒いですよね、日が落ちると」
「ええ、ぐっと」
「じゃあ、急いで下っちゃわないと」
 そう僕がいうと、また笑った。
「どうぞ、お気をつけて」

 僕が、ずっと心のなかで気にしていたこの町を、なかなか訪れなかったのは、ルートを単純往復、つまりピストンルートにせざるを得ないからだった。それだけのために踏ん切りがつかず、ずっと先延ばしにした。結果、町では中央新幹線(リニア)のトンネル掘削工事がはじまり、唯一の県道にはもうダンプがあふれていた。町の地形をつかさどる大河、早川にはトンネルの残土が積まれていた。
 遅かったのだ。トンネル掘削がはじまる前に、ここに来なくてはいけなかった。内陸にありながら最果てであるこの地を肌で感じるには、さっさとピストンルートに踏ん切りをつけ、腰を上げる必要があったのだ。トンネル工事が続く限り、ダンプは走り続ける。トンネル工事が完了する頃には、工事と引き換えに県とJR東海が約束した「早川芦安連絡道路」が開通する(はず)。それはもう、最果てではない。
 僕はリニアに反対するわけでもない(賛成するも反対するも判断するだけの知識がない)し、早川芦安連絡道路だってできてほしくないなどとは、当然だけど思ってない(住民の方にとっては悲願でしょう)。ただ僕が、最果ての地であった早川町を、最果ての地であるうちに訪ねることを怠ったことを、悔いている。自分自身の趣味と興味の範ちゅうで。

 それに、ピストンは、悪くないのだ。
 僕は奈良田湖沿いを、上ってきた県道37号を下っている。悪くない。
 まず、反対方向に走ることは、景色を変えてくれるのだ。180度入れ替わった風景、とは単純にいい切れない、違った景色を僕は目にすることになる。
 加えて、来るときに興味を持った、あるいは目にしたがなんだかわからなかった場所に、あらためて見たり立ち寄ることができるのだ。じつはそこに大きな興味ポイントであるかもしれない。一本のラインルートでは二度と通ることない場所、そういえば後悔先に立たずだった場所も少なくない。
 つまり、ピストンは悪くない。
 知らない土地なのだ。江戸川サイクリングロードを野田橋から関宿城までピストンしているのとはわけが違う。

 僕は行きに見落としていた、湯島の大スギに立ち寄った。

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 14時半を過ぎている。
 かぎやの奥さんが、午後3時くらいには陰って寒くなるといってたのもあるけれど、それだけじゃない。この県道からの派生道路に行くか、行かないかを判断しなきゃいけない。いや、行きたいわけだから、行けるか、行けないかだ。
 ひとつは雨畑地区。雨畑ダムのある集落へは、県道37号から分岐する、県道810号で入っていく。どこまで行けるのか、よくわからない。県道はその終端から井川雨畑林道につながる。井川は静岡県大井川鉄道の終点の井川だ。またこれもおそろしくも強烈な魅力を放つルートであり、道だ。そして、現在通行止めであり(徒歩も含め)、規制解除もまったくの未定である。
 もうひとつは赤沢宿。講中が、日蓮宗の総本山である久遠寺と、こちらも日蓮宗の霊山である七面山を参拝するのに開かれていた宿場。現在営業を続けている宿は1軒しかないが、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。
 どちらも、僕が今日持ってきているルートには組み入れていない。だから雨畑にせよ赤沢にせよ、距離感がわからない。どのくらいで走れるのかわからなくて、でも下ってきて夜になるのは避けたいと思う。
 だからあてずっぽうの見当で、県道37号から県道810号に入るのが15時、戻ってきて県道37号から赤沢宿への道に入るのが16時であれば、夜にならずに済むんじゃないだろうかって計算した。
 しかし、湯島の大スギを出たのが14時半過ぎ。計算は、成り立たないかもしれないと、すでに感じはじめていた。

 下りを、飛ばせればよかった。でも飛ばせる下りじゃなかった。勾配がゆるいのだ。そう、上ってくるときも苦労することはなかった。それだけ、下りでもスピードが乗るような道路じゃなかった。勾配がゆるく、距離ばかり長い。
 新倉の集落を過ぎ、小学校を過ぎる。上ってきた場所だ。ああ、そういえばこんなトンネルくぐったな、とか、このカーブ覚えてるわ、とかも思う。ぜんぜん記憶のない場所もあった。上り方向では見ていなかったんだろう。ピストンルートは記憶を補完する。

 県道810号との三差路に着いたのは、およそ15時10分だった。
 やめようか、と思った。どのくらい距離があるかもわからないし、時間も読めない。それに、雨畑って何があるんだ? ダム湖と、なんとかって滝くらいしかなかったんじゃないか?
「いや──」
 僕はかぶりを振った。
 今日の旅は、なにかがあるから行くんじゃない。陸の最果てを訪ねるんだ。道があるから走るんだ。
 県道810号の上りが、はじまった。

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 まるで静止画のようだ。
 狭小なトンネルを抜け、そこに広がった雨畑ダムと雨畑湖、立ち止まらずにはいられなかった。僕は時間を止める魔法を覚えたようだ。目に映るすべてが、いつまでたっても動き出すことがない。まるで解く魔法を覚えていないように、いくら呪文を唱えても。ここは、あらゆる景色、そして風さえ止まっている。空を飛ぶ鳥がいれば、きっとそこに浮かんだままだろう。
 吸い込まれてしまいそうだ。
 印刷してきた地図で、雨畑地区を確認した。滝は、見神(けんじん)の滝。そこまでが県道810号。さらに進むと雨畑渓谷。ここは井川雨畑林道。距離感がわからない。林道が通れるのかどうかもわからない。15時半。時間的に滝まで行くべきかどうかというところ。時間まで、行ってみよう。

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 また狭小なトンネルを抜ける。
 温泉旅館が現れた。そのギャップに驚く。さっきのダム湖の光景が、あまりにも非現実的だったから。人の気配を感じるものの出現に違和感を覚えるって、おかしい。
 ダム湖に沿ってゆるゆると坂を上りはじめた。湖の枯れた部分に重機やダンプが入っている。これも残土置き場なのだろうか。それともダム湖保全整備か。まるでアメリカの建設機械のCMを見ているようだ。
 そんな光景を見ながら上り、正面に視線を移すと、集落に入っているのに気づいた。
 それはさっきの温泉旅館よりも強烈な驚きだった。
 まるで、たとえばローカル線の駅近くにある集落のようだった。時空を止めた雨畑ダムを越えてきた、最果ての地にはとても見えなかった。あるいはちょっとした里の、幹線道路から一本入った集落のようだった。
 家が、いくつも並んでいる。
 県道810号に沿って、あるいは県道から道や階段を引き、山の斜面に家が並んでいる。斜面は、重厚な石垣で固められている。庭木はどこの家もきれいに整えられていた。ある家の前には自転車とキックボードが転がっていた。ある家からは、扉が開いて4人の家族連れが出てきた。小さな子がふたり、そして若い両親が駐車場の車を出そうとしていた。女の子が僕にこんにちはーといった。僕はこんにちは、と返した。するともうひとりの子と、お父さんとお母さんがこんにちは、といった。
 僕は感動に近い昂揚を覚えていた。これほどの最果ての地に、これだけの生活がある。ここ雨畑は、さっきピストンしてきた奈良田の集落よりも感覚的にはきわめて秘境感が強い場所だった。秘境や最果てに特段のステレオタイプ的イメージすり込みを持っているわけじゃないけど──ただ全否定はできない──、これは想像の範囲外だった。山がちなことを除けば、僕の暮らす町のいくつか先の町内会とだって違いがないように思えた。でもここは山梨県早川町雨畑。越谷から5時間半かけて輪行し、そこから山に向かって20キロ近く入ってきた場所なのだ。
 硯、と書かれた看板が何度か現れる。
 雨畑は、硯や碁石に向く、いい石が採れる土地らしい。

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 集落を抜けて、カーブを曲がった先に、滝が現れた。
 見神の滝。

 近い。見事なまでに。

 水が、躍動している。

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 時間が、押している。
 滝を目にしたら、すぐに引き返そうと思った。そうできなかった。しばらくそこにいてしまった。仰ぎ見てそこに貼りつこうとする自分のからだを、引き剥がさなくちゃならなかった。時計がなかったらしばらく居ついていたかもしれない。
 15時45分。

 16時に赤沢宿の入口に着くことはもう無理だ。県道810号を下って県道37号に出られるかどうかだって怪しい。
 ここもまたそうスピードの乗らない下り。
 奈良田ピストンの戻りで思いのほか疲労したのだろうか。二の腕の裏が疲労で我慢が効かない。脇の筋肉疲労も同様だ。久しぶりに右のちょうけい靭帯炎も出はじめていた。せいぜい70キロなのに──苦笑いした。どれだけ走れなくなってるんだ俺。でも苦笑いも続かない。腕と脇の疲労で乗車姿勢自体がしんどくて、もうペダルを踏むとか回すとか、そんなこともままならない。腕と脇の疲労が、関係ないはずの脚を動かしてくれない。
 漕がないとスピードの上がってくれない下りを走る。現状維持。その程度の下り勾配でしかないのと、午後からの強めの南風が大きな抵抗になっていた。

 16時過ぎになんとか県道810号のピストンを完了、県道37号に復帰した。ここから赤沢宿の入口へはそう、距離はないはず。走る。
 町の夕刻。トラックによる、移動販売が来ていた。町の人が、ここで買い物をしている。早川町の、日常。

 赤沢宿への入口。目の前に続く細い道には、急な勾配が立ちはだかっていた。

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 こんなにも押すなんて、思わなかった。
 僕は基本的に押さない。というかこれまで押したことってほとんどない。
 それは押すことが得意じゃなく、それなら休憩して息を整えてから上るほうが、自分に合っているから。なにがなんでも上るんだっていうこだわりとは真逆。きつければすぐ止まる。上れない坂は、止まり、息を整えてから、また乗る。それを今まで繰り返してきた。そういうスタイルだった。
 でも、乗れなかった。腕と脇の筋肉疲労が、こんなに全身に影響を与えるなんて想像できなかった。いや今でも理屈がつながっていない。でも乗っていけない理由としてそれしか思いつかなかった。
 500メートル以上、坂を押して上った。1キロ押したかもしれない。見た目、そう強烈なきつい坂には見えなかった。もちろんある程度のきつさが襲いかかってくるのはわかったけど、上れない勾配じゃなかろうって見えた。それが錯覚のときも少なからずあるけど。

 急峻な山の斜面、ひな壇状に家々が並んでいた。
 保存されている古い家並み越しに、暮れゆく山の空を、僕は眺めた。

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 道はまたしても上りだった。しかもけっこうきつい。
 僕はコーヒーが飲みたいって思っただけなのに……。

 赤沢宿をピストン、県道37号に戻ってから、鰍沢への青看板で左に折れた。県道410号経由の国道52号。スタートした下部温泉の駅には向かわず、この青看板にしたがえば鰍沢口に行けると思った。ルートは引いていないから、表示されている地図を頼るしかない。
 鰍沢口を選んだのは、そこから甲府のあいだ、身延線区間運転があるから。本数の少ない身延線で列車を決めていないなら、本数の増える区間に出たほうがいい。
 地図に、身延線の線路が近づいてくるのが見えた。僕は国道52号を離れ、富士川を渡って線路沿いの県道に出た。すぐに駅があった。県道の信号には岩間駅入口とあった。プレハブの待合室だけの駅舎。時刻表を見る。45分後だった。45分、マジか……、がっくりきた。コーヒーが、飲みたかった。

 僕は大きな勘違いをしていた。
 終わろうと思ってたどり着いた甲斐岩間駅は、鰍沢口駅よりも南、下部温泉や身延寄りの駅だった。それを鰍沢口よりも甲府寄りの駅だと勘違いしたもんだから、ちょっと県道を走れば、街なかを少しの距離で市川大門市川本町、そんな中心街に出られると思ってた。2キロも行かないうちに次の駅だろうって思ってた。コンビニだってすぐ途中にあるだろうって、思ってた。
 そうじゃないと気づいたのは、県道に右矢印と「落居駅」と書かれた標識が現れたときだった。岩間の駅からもう何キロも来ていた。落居という駅の名は記憶があった。鰍沢口のひとつ南の駅だった。
 身延線沿線は、鰍沢口から南になると急変し、過疎化する。特に鉄道沿線と県道沿いは何もない。コンビニなんてなくて当然だし、そして落居鰍沢口のあいだはひと山越える必要があった。これだったら国道52号をそのまま行くべきだった。まだあちらのほうが富士川に沿って町が広がっている可能性がある。

 暗いなか、もうどう走っているのかわからない。腕と脇はずっと無感覚で、自転車の乗車姿勢が取れない。上っていることだけはわかる。車が横を追い越していく。そのエアポケットを少しでも利用しようと、抜き去る瞬間にできるだけ近づいたりする。エアポケットの大きな大型車に抜かれるのなんて、なおのことうれしい。カフェインだ、コーヒーがないと続かない。そればかり頭を渦巻いた。

 結局、コンビニさえ、鰍沢口駅近くまでひとつもなかった。本当に何もない区間だった。いったん鰍沢口駅に18時過ぎに着いた。県道沿いにあると見られるコンビニまで、自転車で3分と見た。列車は、甲斐岩間駅で見た列車が追いかけてきて31分発。コーヒーを飲んで戻ってこられるだろうか。輪行準備に余裕を見て10分。──よし行こう。

 ホットコーヒーを一杯、7分間で飲むのって意外に至難の業なんだなって気づいた。僕はふだんコーヒーを15分、20分、あるいはそれ以上かけて、のんびり飲んでいるんだ、きっと。なんだかカフェインを接種するためだけに、コーヒーではない何かを流し込んでいるようだった。
 それでも少し元気になった。もちろん腕と脇の疲労はまったく回復することがないけど。来た道を戻って駅に駆け込む。急いで輪行パックする。ここから乗る客は、あとにも先にも僕しかいなかった。袋に入れた自転車を肩に担いで、誰もいない静かなホームに出ると、3分前だった。自動放送が流れるとやけに大きく聞こえた。割れかけた音のように。でもこれでふつうの音量なんだろうなって思う。やがて近づいてくる窓から漏れた光の帯。甲府行きワンマン列車。ふだんからここは乗降がないのだろうか。運転士は僕に不自然さを見せることもなく、事務的にドアスイッチを操作した。僕は乗車口のドアボタンを押し、列車に乗る。明るい車内。この扉をくぐったこの瞬間、僕は今日、最果ての町に出かけていたんだと、強烈に実感した。

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(本日のマップ)

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