自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

東武矢板線跡・荒川源流(Nov-2018)

 もともと車内の暖房は弱くて輪行中もずっと寒いと感じていた。でもいざ駅のホームに降り立ってみるとそれどころじゃなくて、その空気に震えが首筋から足の先へ一瞬で駆け下り、この先の一歩を踏み出すことさえためらうほどだった。冬がいよいよ来たんだと思った。
 下今市駅に降りた。
 僕が乗る東武日光線は、観光・行楽でにぎわう急行列車ではなくそれより前の普通列車で、時間が早いから沿線以外からのアプローチは難しかったり、後続の急行より30分以上早く乗らなきゃならないくせに結局10分差まで詰められてしまう非効率もあって、比較的すいている。だからいつもこれを選んでる。大荷物持ちが、下手をすると東武日光まで立ちつくしの、混雑した急行列車というのは、さすがに嫌だ。
 車内の半分くらいの人が降り、そのうちの多くはホームにとどまった。後続の列車で鬼怒川や会津方面に向かうんだろう。改札を抜ける人は多くない。改札を抜けた人たちが車で迎えに来てもらったりしているところを見ると、大半は地元の人なんだろう。
 まだ身体が冬に慣れていないから刺すように寒い。それでも少しずつ昇り始めた太陽が僕の身体を温めてくれるのを感じた。太陽の力は絶大だ。今日一日この日差しを受けていられるといいなと思う。僕は日の当たる駅の軒下で、自転車を組み上げた。

 

 とりたててTVの「にっぽん縦断こころ旅」に感化されたというわけじゃなく、とはいえやっぱりそこで目にした東武矢板線の跡が、僕の足を向けさせた。そして荒川。番組では町内平野部を走ったが、僕はこれをさかのぼってみてもいいなと思った。

 

 

 東武矢板線はかつてここ栃木の地を走っていた鉄道路線で、僕が生まれるよりも早い1959年(昭和34年)に廃止されてしまった。だから実際にこの目で鉄道路線を見たことはない。僕が多くを知ったのは、手にした広田尚敬の写真集だった。鉄道写真家である氏のそれは矢板線の記録枚数が多くあり、見ているだけでその周囲まで路線情景を浮かび上がらせた。何枚ものモノクロ写真のなかに、豆汽車のような小さな蒸気機関車が貨客混合の列車を引く姿があり、背後に山を控えた鬼怒川沿いの平地をゆくさまはどの角度から見たってのどかで、いろんな空想を呼び起こさせた。
 同線は東武鬼怒川線新高徳駅国鉄東北本線矢板駅とを結んでいた路線だった。両端駅は今も現役の路線の現役の駅であり、このあいだに鉄道路線があったことは僕の好奇心をかき立ててやまない。よく、この場を含めて僕は「この地とこの地を結んでいる道路を見つけたことの感動と好奇心」を挙げては、いささか押しつげがましく語っているけど、これは鉄道路線でも同様だし、まさに東武矢板線などその典型だ。
 僕はその好奇心にあおられる恰好で、二度ほど東武矢板線跡を自転車で訪れている。一度は日光北街道と矢板線の通っている地を楽しみたくて矢板まで走り通したし(そのあと大田原に出て東野とうや鉄道の跡も楽しんだ)、一度は廃止路線の遺構を探したくて、新高徳から自転車で進み、ときにそれを投げ出して草藪のなかに入っていったりした。
 その地の風景が、TV映像から思い出された。

 

 一方の荒川は、埼玉県奥秩父から東京湾へ注ぐかの首都圏大河川ではなく、栃木県を流れる那珂川水系の荒川である。支流ながらなかなかの大きさの川で、東北本線がこの川を渡る絵などは広大だ。荒川と、列車を隠さないガーダー橋と背後にいる雄大な高原山が、多くの鉄道写真を美しく演出した。僕はたまたま栃木県の喜連川というところに家系の墓があり、訪れる機会があるので馴染み深い川だ。全国的にもあまた存在する「荒川」のうち、栃木県内を流れるこの荒川が取り上げられTVで目にするとは思いもかけなかった。

 

 もう冬がまぢかにせまっている。僕は冬になると寒い北方は避けがちだから、今のうち矢板線と荒川の風景を見ておこうと、ルートを引き、自転車を準備した。

 

(本日のルート)

f:id:nonsugarcafe:20181126232518j:plain

GPSログ

 

 自転車を組み上げているときに浴びた日差しが暖かかったから、ウィンドブレーカーは着ずに走ることにした。そして今日一日、せめてこのくらいの気温であればいいなと期待した。
 まず道は日光街道の杉並木を選んだ。すぐ近くの国道121号で大谷だいや川を渡り、日光北街道──その大半は国道461号だ──で向かうほうがセオリーだろうけど、今回は杉並木をめぐってみようと考えた。しかしながらほどなくして後悔へと変わった。結局暖かく感じてたのは日差しのせいだけだった。気温はまだまだ上がっていないなか、薄暗く日差しの届かない杉並木のなかへ入ることは、この時間に残った冷気のなかへわざわざ飛び込んでいくだけのことだった。
 それでも杉並木のなかを走った時間は限られたので、冷え切らずに済んだ。杉並木を離れ鬼怒川を目指すため広い田畑のなかを走った。日差しをいっぱいに受け、暖かかった。ほっとして、さらに身体を温めるよう、ペダルをまわした。
 水田を中心とした大地はもう冬枯れの風景だった。しかしながら褐色の大地も休んではいなかった。農夫は畑に火を入れ、土を反す。そして麦の準備をしていた。栃木県は全国でも有数の麦の産地で、冬のこれからがシーズン。春を越し、初夏の5月下旬から6月を迎えると一面が目を覆うほどに眩しい黄金色に輝くのだ。実りの麦秋を迎えるため、この冬枯れのなか畑を焼きトラクターが入って丹念に畑をつくる光景があちこち見られた。
 大谷川を渡って日光北街道に合流し、大渡おおわたり橋で鬼怒川を渡る。その橋の上で歩を止めると、男体山大真名子山や小真名子山や女峰山などの日光連山が青々と光っていた。雪が遅いと聞く今年は、確かに男体山の溶岩流も白く染まっていなかった。寒い寒いと僕がいうばかりで、今度の冬は暖冬らしい。
 しばらく立ち止まっているとまた身体が冷えてきた。やっぱり自転車に乗っていると動いているぶんあったまるんだ。
 橋を渡ると、日光北街道は新高徳から来た県道77号を吸収する。この県道77号を経て日光北街道に乗るルートがまさに、東武矢板線がたどったルートである。
 橋からすぐの街道沿いに、和菓子屋・酒種まんじゅう本舗がある。営業時間は9時半からなのに、15分前にしてすでに明かりがつき暖簾が出ていた。それならまんじゅうを買おう。小ぶりなまんじゅうがショウケースに並んでいる。利休まんじゅうが黒糖だろうか、酒種まんじゅうは酒蒸しだそうだ。酒種が75円、利休など45円。その値段にびっくりする。ほかにくるみ餅なんかも美味しそうで興味を引かれるのだけど、荷物を持てないからまんじゅうだけ買ってあきらめた。
 いよいよ矢板線を走る。
 国道461号から旧道に分かれた日光北街道とX字型に交差する道路がまさにそれだ。そしてここはかつての西船生にしふにゅう駅近くだ。
 列車がゆっくり線路のポイントを分岐側に渡るように、あるいは西船生駅から列車に乗るように、僕も矢板線に進路を取った。

 

f:id:nonsugarcafe:20161124091422j:plain

f:id:nonsugarcafe:20161124092048j:plain

f:id:nonsugarcafe:20161124093405j:plain

f:id:nonsugarcafe:20161124093648j:plain

f:id:nonsugarcafe:20161124093856j:plain

 

 道は、つまり矢板線跡は、家々の庭の前だったり、工場の裏手だったり、雑木林のなかだったり、開けた田畑の真んなかだったりした。左手を日光北街道である旧国道461号が並走し、大きく南側を船生ふにゅうバイパスが走る。大多数の交通は今、バイパスに流れている。こちらはといえば古くからのルートであり、細かな起伏があって、そのたびに上り下りの坂が現れた。それほど気になる坂ではないけど、豆汽車のような蒸機でも問題なかったのかな、といらぬ心配をする。
 かつての駅を船生ふにゅう長峰ながみね荷扱所、天頂てんちょうと進んだ。天頂は国道461号船生バイパスの終点で、日光北街道の旧道と合流する。旧矢板線跡の道はバイパスの歩道になんとなく、、、、、吸収された。
 天頂交差点にはコンビニがあったので休憩することにした。大きなイートイン・スペースを要していて、冷えた身体を温めたかった僕にはちょうどよかった。それと、朝からずうっとコーヒーが飲みたかった。
 暖かさにかまけて、あるいは外の寒さに負けて、いつまでも椅子から離れられずにいた。コーヒーをほぼ飲み終えているのに、わざわざ最後のひと口を飲まないようにして、僕は日差しを受ける窓側の席で出発の契機をはぐらかしていた。コンビニエンスストアだから人の出入りは激しい。長居する人などいない。ほかに、イートイン・スペースで資材調達の長電話をしていた恰幅のいいオジサンが、電話を終え、セカンドバッグを小脇に抱えて出ていくと、いよいよ僕だけになった。10時前に店に入って、もう10時半になろうとしている。やれやれ、サイクリングをしに来たのかコーヒーを飲みに来たのかわからないな、東武矢板線の列車交換だってこんなに待つことはなかったに違いない(もっとも運行本数は片手程度で、だとすると途中列車交換などなかったかもしれないけど)。
 古いゴムのようにたるんだ気持をようやく張りなおし、外に出ると、若干ながら暖かくなっているのが感じられた。気温がいかばかりか上がったんだと思う。僕はホッとして、天頂を出発した。
 変わらず路地裏や林のなかやだだっ広い田園のなかを進んだ。かつての駅、芦場よしばを過ぎると道は突き当たる。東武矢板線はここで草のなかへ消えた。じっさいには路線跡をイメージづけることができるし、日光北街道が高台を坂の上り下りで越える箇所を矢板線は短いトンネルで越えていて、この遺構をたどることもできるのだけど、今日は遺構めぐりをしているわけではないからここまでにした。トンネルは民間会社の私有地下を通っていることもあって、まわり込んでまで見に行こうという意志もない。僕は東武矢板線を離れ、日光北街道に進路を取った。
 すぐに玉生たまにゅうのまちに入る。松尾芭蕉奥の細道で日光から大渡、船生、玉生と経ている。そして曾良随行日記に記した、
「船入ヨリ玉入ヘ弐リ。未ノ上尅ヨリ雷雨甚強、漸ク玉入ヘ着。同晩 玉入泊。宿悪故、無理ニ名主ノ家入テ宿カル。」
 つまり、船生を出て途中ゲリラ雷雨に遭いながら歩き、たどり着いて宿泊したまちだ。かつて日光北街道の宿場町だった。しかしながら芭蕉曾良には宿が好ましくなく、玉生の名主に頼み込んで屋敷に泊めてもらった、そんなまちだ。
 大きくない古くからのまちが、そのまま昭和を経て平成の現在にいたっているまちだった。かぎ型の路地をくねくねと進むようすが、街道筋の宿場の名残だろうか。でもそんな鉤路地をふたつ三つ抜ければ、まち自体を抜けてしまう規模だ。こじんまりと歴史を積み上げている。江戸時代からの建築物がそのまま残る文化財的まちもいいけれど、時代とともに変遷を経て成り立っている、生活ありきのまちの有りようも僕は大好きだ。
 玉生から県道63号に入り、いよいよ荒川とともに上る。

 

f:id:nonsugarcafe:20161124102843j:plain

 

 

 県道63号は路線名を藤原宇都宮線といい、鬼怒川沿いの藤原から玉生を経て宇都宮に至る路線である。
 僕はずいぶんむかし、短絡路の目的で藤原から宇都宮市内へ車で走ったことがある。目的がそうだったから景色を楽しむわけでもなく観光スポットを探して立ち寄るわけでもなく、そして結果からすると短絡路としての役には立たず、記憶から消えていた。現在でも大型車通行不可としている山岳部は、走行が困難なばかりで早くなく、素直に鬼怒川から新高徳まで出てきて日光北街道を使うほうが早くて楽だった。確認のためだけに走ったようなものだった。その「走ったことがある」という経験だけが、僕の記憶に残されたものだ。
 自転車では一度、部分的に走ったことがある。県民の森へ向かったときのこと。玉生から県民の森の西側入り口までの区間走破だった。いや走破というのも言葉としては不適で、部分利用という程度にすぎない。このときは県民の森を抜けて八方ヶ原に行ったのだけど、八方ヶ原の急坂の印象が強すぎて、断片さえ記憶に残っていない。
 だから初心に帰って満を持してのルーティングである。そして玉生から藤原までの全線走破と、荒川源流を目指す。

 

 道は上る。が、斜度はきつくない。道もセンターラインのある広めの道で舗装もいい。荒川が分けた西荒川に沿っていく県道273号を、川同様左手に分けると徐々に斜度が上がった。ちなみにこの県道273号を終点の東古屋まで行くと、どうやらそこからさっき通った船生まで下る林道がつながっているようで、情報収集してみて走れるようならいずれ行ってみたい道と、頭にインプットした。
 なるほど斜度が増し、山に入っていく風情が強まった。そして木々がおのおのの色に染まり、深まっていった。紅葉はこのあたりの標高三百メートル超が見ごろだろうか。
 荒川(西荒川を分けた東荒川)を右手の眼下に遠く見下ろした。川とは少し離れていて、道と川とのあいだには延々と広がる田畑やぽつりぽつりと人家があった。上っていくほどに左右から山がせまってくる。そうなれば田畑は狭くなり、人家も減る。でも田畑はなくならない。こんな狭くなった奥地にまで田畑を作り耕している。道が坂にかかれば棚田や段々畑を作り、そうして山のせまった土地をぎりぎりまであきらめない。どこまでもどこまでも、貪欲に耕地を求めていた。
 そんな田畑もいよいよ力尽きたころ、山がせまり川が寄り添い、道は荒川を渡った。そこには目を見張るような紅葉美の渓谷があった。ありきたり、、、、、の強さと誇らしさがあって思わず足を止めた。そして同時にここは誰にも見てもらえることのない風景なのだろうと思った。車は一台も止まることがないし、ガイドブックに載るような観光地でもなかった。自転車を降り眺めている僕を、ドライバーが怪訝そうに見て通過するようなところだった。しかしここで秋は燃え、力強さに僕は足を止める羽目になった。紅葉の大半はこういう場所なのだ。紅葉の名所と呼ばれガイドブックに載りウェブで人気を博しTVで特集が組まれ人々が集まる場所など、比率からいったら微々たるものだ。人知れず色づき、燃えるように染まり、やがて散りゆくところなど、日本いたるところいくらでもある。車で走るときっと目に留まらずに通り過ぎてしまうだろう。紅葉の空気が肌に触れることがなく気付かずに通り過ぎてしまうだろう。自転車は、五感すべてで感じる。訴えかけるものを全身で受け止めるから、つい足を止めてしまうのだ。
 しかしこんな風景は序章だった。
 県民の森の入口が、県道63号から直線的に延びていた。いっぽうの本線は左に緩やかにカーブし、進路を西に取っていた。センターラインこそ本線に引かれているものの、まるで県民の森への道におまけで付けられたふうでさえあった。木々に覆われた左へのカーブは、いよいよ山深く入っていく境界線のようだった。

 

 県道63号は上り一辺倒というわけじゃなく、少し上っては少し下るを繰り返していた。勾配がきついわけじゃないのだけど、せっかく上ったぶんをいとも簡単に吐き出してしまい、また上っては標高五百数十メートル付近を行ったり来たりするから意外にスタミナを使い果たす。疲れる。交通量は少ないからありがたいけど。
 ──にしてもこの道の風景だ。紅葉が晩秋らしく色濃く染め、そんな木々が周囲を余すことなく埋めていた。黄はきらびやかに、褐色は深く、紅は鮮やかだった。季節の流れのなかでの自然のひとコマをまさに感じられる。夏が終われば秋になりやがて冬を迎える、そういうことだしそれだけのことだ。そして道路以外の地面にはまるで敷き詰めたように落葉が埋め尽くしている。あらゆる土を覆い隠すようなこれがなにより見事だった。
 小さな橋がカーブの途中にあった。近くには駐車場があってトイレもあった。車は何台も止まっていて、でも人はまったくいなかった。この橋の下に尚仁沢しょうじんざわという荒川に流れ込む沢が流れている。その上流部に湧水群があり、その水は全国名水百選に選ばれているらしい。全国で第一位にもなったことがあるらしくて、きっとみな湧水へ行き水を汲んでいるのだろう。わき水はもういいやと思う。今年も何度かわき水に立ち寄ってボトルに入れたりしたけれど、必ずといっていいほど見かける、ポリタンクをいくつも並べてずうっと水を入れ続けている光景を見るのが嫌な自分に気付いたから。いけないことではないし否定するわけじゃない。ただ絵的に僕自身、、、が嫌いなだけだ。あとに人がいようとさらに待って並ぼうと、持ってきた数限りないポリタンクを満たすまで汲み続ける姿に醜さを覚えてしまったから。持ち切れないほど大量のポリタンクを少しずつ運びながら順番を待っている姿が美しくなく思えてしまったから。わき水は、もういい。
 尚仁沢の駐車場を過ぎると東荒川ダムが現れた。もう荒川もここまで上ってきたかと思った。大きな重量式のコンクリートダムが構えているが、ダム湖はそんなに大きく見えなかった。人もいなくて、ときおり流れる風に揺らされる以外、湖面が実に静かだった。
 ダム湖を過ぎると道は上り一辺倒に転じ、一気に標高を稼ぎ始めた。斜度もそれなりに上がり、楽には進ませてもらえなくなった。いつかは着くだろ、くらいの気持でゆっくり上った。
 この道の驚くところは変化に富んでいることだ。紅葉の森のなか一辺倒というわけじゃない。突然周囲が開けてみたり、沢が寄り添ってきたりする。開けた場所はススキ野原だったり、牧草地だったりする。牧草を作ることが盛んな土地なのか、牧草地は点々と数が多い。これから伸びゆくであろう背丈の低い葉が青々と、絨毯のように敷き詰められていた。やがて延びたら刈り取って牧草ロールにするんだろうか。
 牧草畑を過ぎればまた森に入ったり、沢に沿ったり目まぐるしく変化する。走っていてまったく飽きることがない。風景とその変化にそのつど興奮や感動させられてばかりだ。紅葉はもうこの高さまで来ると終わりなのか木々の葉はすっかり落ちて枝だけになっている。常緑の杉の木だけが変わらぬようすで立っている。
 東荒川ダムを過ぎてからは、小さな沢にバラけてしまってもはやどれが荒川本流かわからなくなってしまった。おそらくダム湖近くのオートキャンプ場のほうへと上っていく川が本流だったのだと思うけどはっきりわからない。特定の沢と道路が並行するというわけでもなく、沢が現れては消える。また現れたときにさっきと同じ沢かどうかもわからなかった。どの沢も源流に近く、上り坂を走っていて並行した沢の水がぱたっとなくなるところがあったりする。ここの沢はみな高原山の伏流水によって生まれるだろう。それが地表に現れる場所で突然沢が生まれるんだ。いよいよ荒川の源流域に来たのだ。
 時計が12時半近くになっていることに気づいて足を止めた。

 

 昼をどうするかだ。このまま走り切って、藤原まで行けばいくつか食事をするところを知っている。しかしそこまでどれだけの時間がかかるのかわからなかった。午後も時間がある程度まわれば閉めてしまう店もあるだろう。
 一軒だけ、この近くで見つけていた店があった。でもここまで県道63号を上ってきた限り、こんなところに店があるなんてとうてい信じられなかった。東荒川ダムを過ぎてからは人家も商店もひとつもなかった。人や暮らしの雰囲気が感じられなかった。こんなところでランチを食べられる店など半信半疑だった。しかも県道63号からさらに分岐を取り、市道だか林道だかを1キロくらい入った場所らしい。ここまで上がって来るうちすれ違った車など2台しかない。本当にこんなところで人が立ち寄るような店はあるんか? あったとして予約もなしに飛び込みで行って大丈夫なんか? そもそもやってるんか──。
 それでも藤原への山越えに要する時間が読み切れなかったから訪ねてみることに決めた。1キロくらいならまあいいじゃないか、と考えることにした。
 分岐した道は急な上り坂だった。路面は荒れて舗装がひび割れたり大きく欠け落ちたりしていた。県道よりも圧倒的に道幅も狭くて、車なんて来るんだろうかと思った。というよりこの道はどこへ行ってしまうのだろうと思った。
 だから目の前に大きなログハウスが現れ、そのまわりに何台もの車が駐車してあるのを見たときはにわかに信じ難かった。でも現実は車であふれていた。バイクラックがあったから僕は自転車を掛け、ログハウスを訪ねてみた。そこには人がたくさんいた。
 忙しそうにする店の奥さんらしき人を見つけ、
「予約せず突然来てしまったのですが、食事はできますか?」
 と聞くと、
「中の席は埋まってしまってるので、もし外でよければぜひ食事していってください」
 という。なるほど中のテーブルはすでに埋まっていて、外のテラスもテーブル・椅子が置いてある。外もふたつほど席が埋まっていた。坂をずっと上ってきたせいで寒くはなかったから、
「わかりました。じゃあいただいていきます」
 と僕はいい、外に出て席に着いた。
 食事を待つあいだログハウスとその周辺を眺めていた。周囲を取り巻くようにレールが敷かれていて、鉄道イベントなどに出てきそうな乗用汽車を走らせていた。どうやらあるじの趣味が高じてこんなことになったらしい。しかもすべてお手製。レールも、バッテリーで動く動力車も引っ張られる客車もみなお手製っていうのは驚きだった。構造を理解していないと造れないし、それを実現する技術だって持ち合わせていないとだめなはずだ。電気とか、溶接とか。
 バッテリーはしょっちゅう充電をしていたが、充電が済むと「走らせますよ~」と庭じゅう駆け回り、呼びかけてまわった。ここに来ている客すべて、子ども大人問わずに無料で乗せているようだ。ということは完全に趣味ってことか。乗用汽車は本格的で、途中にある踏切もセンサーで自動で作動したり、引き込み線にはポイントで分岐してそこに運転しない車両を収めていたり、下手なデパートの屋上よりもはるかに上をいっている。食事を待つ客がかわるがわる乗って何周かしてくると、また充電のための休みを入れた。
 主を見ているとそのあいだ、庭の片隅にあるシャボン玉を手にとってやり始めた。そこには「シャボン玉をご自由にお楽しみください」などと書いてあり、主は二回三回バドミントンラケットに似た輪っかで大きなシャボン玉を作ってみせると、それを近くにいた小さな子に渡した。今度はその子の番。その子もまた見事なシャボン玉を作ってみせる。風に乗ると、その子は輪っかそっちのけでシャボン玉を追いかけた。
 お年寄りから子供までたくさんの人が来て、食事を楽しみ、広い大地で遊びながら誰もが笑っていた。子どもたちはとにかく元気に走りまわり、大人たちはそれを明るく見ていた。山中の何もない人もいないような場所に忽然と現れた空間に理解が追い付かなかった。宗教施設とその信者の人ではないかとさえ思った。でもそうではないようだった。僕は真っ先に宮沢賢治ポラーノの広場を思い出した。ポラーノの広場の実態は大人たちが酒を飲み密談をする夜の広場だったけど、最初に少年たちが思い描いていた伝説の広場をイメージした。郊外の野原にあると聞くそれは、楽しくて明るくて、オーケストラに合わせて歌えばどんな人でも上手に歌うことができるという幻想だった。
 僕が頼んだオムライスを待ち、食べるあいだ、楽しんだ人はここを後にし、入れ替わりに次々車が入ってきた。駐車場にあきが出ることがなかった。ひっきりなしだ。
 店は、今年をめどに閉めるのだそうだ。奥さんの体調の関係で続けていくことが困難になり、引き継ぎ手もいないらしい。

 

f:id:nonsugarcafe:20161124111805j:plain

f:id:nonsugarcafe:20161124110121j:plain

f:id:nonsugarcafe:20161124105442j:plain

f:id:nonsugarcafe:20161124112030j:plain

f:id:nonsugarcafe:20161124122201j:plain

 

 

 

 さすがにじっとしていたら冷えてしまったので、ウィンドブレーカーを着込んだ。食事のさいちゅうに日も陰ってしまった。相変わらず駐車場いっぱいのログハウスをあとにし、一度坂を下って県道63号に戻った。
 ここから藤原を目指す坂は、さらに強烈な坂だった。つづら折も現れた。片側交互通行の工事区間が現れ、信号があるものの、それとは関係なしに交通整理のオッチャンが案内していた。行け、と赤灯で指示された。そこは舗装まで剥いだ未舗装路で、小砂利の急斜面を上るのに技術を要した。何度も後輪を滑らせ、速度の維持ができない。なんとか乗り切ると、出口側で交通整理しているオッチャンが、
「頑張ンなあ。この先もずうっと坂だよ、おん~なじような」
 といった。
 マジですかあ? と僕はいい、しばらく会話したのちにその先へ挑んだが、そのオッチャンのいったことはまさに正解で、苦しい坂を淡々と上ることになった。でもそれをもってもあまりある風景だった。目まぐるしく展開する風景の県63劇場は変わらなかった。道はより細くなりセンターラインが消え、勾配がきついからつづら折カーブなど高低差も大きい。大型車の通行を規制するのも仕方ないだろうと思わせた。でも規制どころか車とまったくすれ違わない。そしてまた牧草地が広がった。今度は強烈な広さだった。これはもはや高原風景じゃないかと思った。のちのち調べるとそこは豊月平放牧場という放牧場だった。
 それからも坂はきつい上りを続け、ようやくピークにたどり着いた。
 峠の名もなく何の碑もなかった。ただの上りから下りへの切り替えでしかなかった。でもそれもまたヨシかなと思った。目まぐるしく変わる道路風景に、こうやってごく自然な「上り切っただけの場所」としてピークが存在するのも、悪くないじゃないかと思った。自転車を止め、僕はスマートフォンを取りだした。4G電波が来ていた。取り出したスマートフォン鬼怒川温泉駅新藤原駅の時刻表を調べた。

 

f:id:nonsugarcafe:20161124134652j:plain

f:id:nonsugarcafe:20161124135717j:plain

f:id:nonsugarcafe:20161124141809j:plain

 

 藤原へ向けての県道63号はひたすらの下りだった。15%なんて標識も現れた。

 

 ガーミンに表示されている、僕がもともと引いてきたルートは日光がゴールになっている。下った藤原からさらに20キロ以上、走る。でも、やめた。この県道63号の素晴らしさに感動してしまった。上りはしんどかったけど、それにあまりある美しさと展開だった。下りもそうに違いないと思った。そして実際にそうだ。急で、テクニカルだから、ブレーキから手を離すこともできないし、スピードを上げることもできない。でも上ってきたときと同様、いろいろな風景が目まぐるしく展開する。下れば下るほど冬枯れがやがて紅葉に移り変わっていく。ウィンドブレーカーを着ていても寒いけど、でもそれ以上だ。すごい、すごいと僕は声に出した。誰も通らない、僕だけの貸し切り。
 この道を下ったのち、鬼怒川温泉街を経由し小百をまわって日光に出ることにどれだけ意味がある? 観光地の車とその交通量に揉まれながら走ることが今日の旅の締めくくりだなんて面白いはずがない、この道でエンディングを迎え、今日の旅を終えるんだ、僕はそう思った。
 この道を下り切った藤原に、東武鬼怒川線が来ている。そこで好都合な列車があるのなら残りの20数キロなんて切り捨ててしまおう。今の余韻のままで輪行しよう。

 

 県道63号は会津西街道の国道121号に突き当たる形で終わった。藤原宇都宮線であるから県道としてはここが起点だ。さらに新藤原の駅までほぼ下り。上手くすれば漕がなくたっていい、数百メートルだ。
 誰もいない駅に着き、僕は旅の余韻のままに自転車をばらしてパックした。誰もいない改札口でパスモをタッチして、東武鉄道には珍しい構内踏切を渡って、誰もいないホームに立った。下りホームには出発を待つ会津田島ゆきが停泊しているが、扉も開いていないし乗客も乗務員もいなかった。この駅全体、誰もいなかった。しばらくののち、ホームのスピーカーにかすれそうなほど乾ききった音の自動放送が流れて、それから一分半くらいの間を置いてトンネルに二灯のヘッドライトが見えた。AIZUマウントエクスプレス──会津若松から長距離を直通してきた会津鉄道気動車だ。いいじゃんいいじゃん、と僕はいった。キハで締めくくるなんていいじゃん、と僕はいった。

 

f:id:nonsugarcafe:20161124143837j:plain

 

f:id:nonsugarcafe:20161124145800j:plain