自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

昇仙峡・ホッチ峠・中央本線沿線(Mar-2019)

 春になると山梨に行きたくなるのか。
 振り返ってみると去年も3月に早川町に出かけている。
 山梨に限った話じゃないんだと思う。ようは冬のあいだ凍結や雪で山に行くことができないから、そろそろ山の風景が見たいって考え始める季節なのだ。といってもまだまだ寒いし雪や凍結も残っているし、手はじめに山梨がちょうどいいって考えるのだ。栃木や群馬の県北や長野や福島の山は冬季閉鎖中が多いし(もちろん山梨にもあるけど)、そういうところは平地でさえ寒いから標高が高ければもっと寒いし(もちろん山梨だって寒いけど)。
 そんなわけで僕は山梨県の地図を眺めていた。

 

 中央本線の線路沿いを眺めていた。
 地図を見ていると、風景が浮かんでくる。行ったことがなくても、空想で。行ったことがある場所なら、記憶の残像が空想を補完して。
 これまで中央本線で鉄道旅をしたとき、その車窓に小さな道を見つけた。線路に沿うように、しかしながら真っ直ぐではなく細かく屈曲し、畑のなかや家々の脇を抜けながら、線路のそばに寄ってきたり離れて行ったり、踏切で反対側へ移って行ったりした。そんな道を窓から見ていた。そのたび、自転車で走りたいって思っていた。見どころがあるわけじゃないし観光地でもない。でもその地に根差した道が好きな僕にはじゅうぶん魅力的なロケーションだった。線路沿いの道が好きな僕にとってさらに興味を倍増させた。いつか走ろうって思っていた。
 それを思い出した。
 もちろん、見ているツーリングマップルの地図では細かい道が表されていない。だいたいの位置関係を把握したらルートを引いてみることにする。
 多くは小道だから、それらが上手くつながるかわからなかった。断片的にならざるを得ないのは仕方がない。つながらない箇所はいったん県道へ出るようにした。ときには遠まわりもやむを得なかった。鉄道線路が人家も道路もない森のなかを経由することだってあるし、地形によってトンネルで貫いてしまうことも多い。遠まわりの県道まで一度出たら、また戻ってきて線路に近い小道をつなぐ。それでも、現地に行ったら通れない道やつながっていない箇所があるかもしれない。
 そうやってルートを少しずつ伸ばしていった。甲府から諏訪へ向かう区間である。

 

 

 土曜日、朝。南越谷の駅で武蔵野線の電車を待っていた。これで武蔵野台地を環状し、西国分寺から中央線で西へ向かう。寒い朝だった。5時半、まだ空は暗い。
 列車が来るまであと数分というところで、ポツポツときた。一時的なものだろうけど、やれやれと思った。コンクリートを濡らす雨のにおいがした。それから1分とたたないうちに音がパラパラパラと変わった。黒い輪行袋のうえに白い小粒の塊が落ちてきた。あられだった。おいおいそれってって思う。これはさすがにどうよ、と。オレンジの帯のステンレスの電車が入って来た。ワイパーはほとんど動かしていない。ヘッドライトに小粒のあられが照らされていた。
 西国分寺で中央線に乗り換え、高尾へ。高尾から中央本線甲府ゆきに乗り継いだ。

 

 計画通りの乗り継ぎで、列車が甲府行きだったから今日のルートの起点を甲府にした。しかし中央本線沿いを楽しもうと意図したルートは、甲府から韮崎までのあいだがどうしてもうまく組めなかった。どこを選んでも都市部の道路だった。列車をさらに乗り継いで韮崎までというのも考えたけど、乗り換えの面倒さを覚え、同時に地図で昇仙峡が目に入った。そこは僕にとって今まで行ったことのなかった有名な景勝地だった。名前は知っているけれどたまたま行かずにいて、いつか機会があったら行けばいいよねって発想の場所だった。──まるで東京タワーみたいだ。きっかけがなければ行かない。きっかけを待っていた。僕はよく調べもせずに今日のルートに組み入れてみた。そして韮崎に抜ける道へとつないだ。悪くないルートだ。僕は道をつないだ線を見て満足した。この昇仙峡まわりを加えたので後半の距離を調整し、中央沿線サイクリングは長坂あるいは小淵沢までにした。

 

 甲府ゆきは高尾駅を出るとすぐに小仏峠にかかる。明治時代からの鉄路は、坂を上るだけ上ってもう上り切れないとなったところでトンネルで抜ける。坂を上る途中、早速雪が舞い始めた。なかなか激しく降っていた。小仏トンネルを出て下りにかかってもそれは変わらなかった。でもそれを不安視はしていなかった。今日の山梨県内の予報は、東部富士五湖地方が曇時々雪だった。対して峡中峡北は曇時々晴。僕は何の根拠もなくこの予報を信じていた。だからこの雪も大月を過ぎ笹子峠を越える頃には見ることはなくなるだろうと思っていた。
 そして僕の予想が的中し、大月ではもう雪も雨も降っていなかった。道路が濡れた痕跡もなかった。よしよしとひとりで喜んだ。とはいえ晴れ間が出て暖かくなるというわけではなかった。
 笹子トンネルを抜けて、僕の大好きな甲府盆地を遠望する風景を眺めながら列車は走る。途中一本のあずさと一本の臨時かいじに抜かれ、9時前に終着甲府へ着いた。

 

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 甲府駅前で自転車を組んだ。空は明るい。しかしながら曇り。天気予報は晴れマークを並べていたけれど、じっさいはそうじゃなかった。なかなか上手くいかない。
 甲府から北西方向へ向かって走りはじめると、必然的に上り基調で、それが甲州街道を奥へと進んでいくことによる上りなのか、いよいよ昇仙峡へ向かい山へ分け入っていくゆえの上りなのか、よくわからなかった。甲府のまちの路地を抜け、川を渡ったり大きな道路との交差点を越えたりするうちに「昇仙峡ライン」と書かれた標識を見つけた。なるほど今日はこの道をひたすら上っていくのだ。
 天気予報は変わらず晴れマークを出しているけれど、天気がよくなることはなかった。曇のまま僕は昇仙峡ラインを上っていく。山梨県道7号、甲府昇仙峡線。まさに昇仙峡へアプローチするための道は、笛吹川の支流、荒川に沿っていた。どうやらこの川の上流部が昇仙峡であるよう。上るにしたがって徐々に地形も道も入り組んできた。甲府駅をスタートして10キロ、石の欄干の狭い橋が荒川にかかる。ここまでの道の規模からすると驚くほど狭い。中央線は「はみ出し禁止」のオレンジ色で引かれているけど、果たしてはみ出さずに通行する車なんているのだろうか。そこへ反対側から山梨交通の路線バスがやってきた。バスが走ると橋の幅員いっぱいいっぱいに見える。僕は渡らずにバスが渡り切るのをこちら側で待った。長潭橋ながとろばし、とあった。バスが行き、僕もこの橋を渡る。誰もいない。せっかくだから、ひとりで、真ん中を堂々と渡る。
 橋を渡りながら見ると、いよいよ切り立った岩壁の渓谷が始まろうとしていた。思わず自転車を止めた。

 

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 ちょうどこの長潭橋を境に、道は山岳路へと様相を変えた。橋を渡って渓谷沿いに進む道があったのだけど、ちらっとのぞくと車両通行止めのように見えた。自転車も走れないのかどうかはわからなかった。引いてきたルートはもともと昇仙峡ラインを引き続き走るつもりでいたので、通行止めの情報を詳しく見るまでもないと、そうしなかった。僕は荒川を離れ、本線である昇仙峡ラインをそのまま走った。道は一度南へ大きく方角を変え、千代田湖からやってきた県道104号と合流すると、ヘアピンカーブのように進路を変えてふたたび北へ向く。ちょうどここから昇仙峡まで、かつては御岳昇仙峡有料という有料道路だった。古いドライブマップを見ると青い線で描かれている。今は無料開放され、県道7号昇仙峡ラインの一部に組み入れられている。
 坂を一度下ってまた上り、再び荒川沿いに戻ってくると、対岸に岩山が連なっていた。昇仙峡ラインが高めの位置を通っているのか、渓谷の川底は望めなかったが、おそらく両岸、つまり僕のいるこちら側も岩の崖が連なっているんだろう。長潭橋から左に分かれた渓谷沿いの道を進めばそれが見られたのかもしれない。
 斜め後方に、南アルプスが見えていた。それがいちいち青くて美しかった。雪をかぶった峰々は雲のなかで霞んでいた。
 昇仙峡ラインはトンネルがいくつも続く。トンネルを抜けるとまた大迫力の岩山がせまってくる。さまざまな形の岩山が、代わるがわる登場する。連なり重なるむき出しの岩を眺めてばかりいると、目が遠近感を失いそうになる。向こうの岩とこちらの岩とが重なって見える、その重なり具合に前後感を失い目は錯覚を起こしていた。奥行きよりもむしろ並列に見える。
 なるほどこれが昇仙峡か、そう勝手に解釈した。いや、僕が解釈したのは昇仙峡という観光地ではなく、昇仙峡を行く昇仙峡ラインという道路風景として、だ。この道は迫力で押してくる。圧倒する魅力を持っている。
 昇仙峡ラインの景色を存分に楽しみながら、ときに止まって写真に収めながら、その坂をじっくり上り進めて行く。そのなかで気づいたことがあった。いやずいぶん前から気づいていた。交通量がずいぶん少ないということだ。
 僕の印象はびっしりと動かない車列だった。紅葉を求め、昇仙峡を目指してつながる車。しかしここはほとんど車の来ない道路だった。完全なるオフシーズンなのかもしれないけれど、ハイシーズンに車がつながるほどならば、オフでもある程度絶え間ない車の行き来はあるんじゃないかと思っていた。でも今はそうじゃなかった。車は思い出したように数台、立て続けに通るだけだ。それが行き過ぎればしばらく静かになる。あるいは車の多い観光地というのは、僕が勝手にいだいた印象だけでの話だったのか。
 おかげで岩山の渓谷美に抱かれた類なきワインディング・ロードをじっくり満喫することができる。
 加えていうなら、まだ新緑も芽吹かない木々が、広がる景観の邪魔をしない。緑生い茂り、あるいは紅葉が色づくころは、この渓谷の奥行きも、段を成してせまり来る岩壁も、木々の葉にさえぎられ、ここまで広く目に届かないかもしれない。僕の背中を守るようにじっと居座る南アルプスの山々も、あるいは見ることができないかもしれない。春まだ訪れない昇仙峡ラインは、道路と自然美を最大限に楽しむなら、今がハイエストシーズンなのかもしれない。
 ぜいたくだ。

 

 静観橋せいかんばしから旧道へのルートを取った。昇仙峡のハイライトのひとつである仙娥滝せんがたきはここから遊歩道を歩いていくようだけど、それほどの興味がわかず、先へ進むことにした。そういう観光のスポットひとつひとつよりも、むしろ道路とこの風景のセットをずっと楽しみたいと思った。昇仙峡ロープウェイにも初めから乗るつもりがなかったのでそのまま通過すると、右から昇仙峡ラインが合流してきた。旧道区間は主にお土産屋街で、僕にとってめぼしいものがなかった。唯一、かつてこの旧道が県道7号だったころの、古い県道標識(ヘキサ)が見られたのが、僕にはいちばんのお土産だった。
 昇仙峡は、昇仙峡ラインの道路が最大の見ごたえだった。いいのだそれで。僕は観光地よりも道路に魅力を感じるのだから。

 

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 夫婦木神社、金櫻かなざくら神社というふたつの大きな神社を見て、昇仙峡ラインをさらに先へ進む。金櫻神社の石段を前にここまで走ってきた県道7号は終った。ここからは県道27号がつなぐ。昇仙峡ラインの名は引き継ぎつつ。
 神社周辺に意外にも小集落が点在している。こんな岩山の急峻な地形でも営みがあることに驚いた。
 県道27号になった昇仙峡ラインは、豪快な道の連なりで山の斜面を駆け上がっていく。急な坂道とつづら折は美しくさえある。それを繰り返すうち、あっという間に神社と小集落は眼下に小さくなった。どこかから煙がたなびいている。懐かしさを覚える風景だった。上り坂で切れた息を整えつつ、しばらくこの光景を止まって眺めた。

 

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 坂を下ると甲斐市に入った。さっき甲府から荒川沿いを上りはじめたときに対岸を走っていた県道101号が上ってきていて、三差路で合流した。ここは清川という集落で、県道27号は再び坂を上りはじめる。直線の坂道に沿って、石塁で固められた田や畑が段々状に幾重にも並んでいた。けっこうな規模の集落だ。
 県道27号は韮崎昇仙峡線といい、ここからホッチ峠を越えてゆく。道はホッチ峠に向かうために左へ折れていた。直進は観音峠と書いてある。
 ──峠ってことは、その道もどこかに抜けられるのか。
 しばらく走りながら、ふと気付く。「クリスタルラインか」
 僕はもう何年も前にクリスタルラインを走ったことを思い出した。
 クリスタルラインなんて、名前からしたらどんな観光道路かと思う。西伊豆スカイライン志賀草津道路を勝手に想像する。でも行ってみたらなんのことはない、いくつもの林道をつないで一本の線にした道の総称であり愛称だった。いや、林道としてはいい道ぞろいだった。でもあのときは“臨み方スタンス”を誤った。林道を楽しむモードで来るべきだったのに、クリスタルラインという名で連想する景観や眺望ばかりを期待した。期待にそぐわないものだから勝手に落胆した。でも林道と知り、林道を楽しむサイクリングとして臨めば、間違いなく素晴らしい道のはずだ。臨み方の問題。僕はクリスタルラインをもう一度走るべきだ。

(※探していたらむかし書いた記事が残っていたので、よろしければ)

cycletrip.jugem.jp

 

 そのクリスタルライン、観音峠へ向かう林道と分かれ、県道27号昇仙峡ラインはまた急な坂に入った。少し上るとすぐに清川の集落が小さくなる。休み休み行こうと、小さな祠のたもとで休憩した。
 11%と書かれた強烈な勾配標識も現れるなか、淡々と上っていると雪が舞いはじめた。ここまで予報に反して雲が晴れることがなかったのだけど、まさか雪が落ちてくるとは思いもしなかった。雪は、中央線で越えた小仏峠に置いてきたつもりだった。
 幸い、積もる雪ではないなと身体や道路に落ちる雪を見てわかった。ただどうしたって視界もよくないし、寒いように思えた。急な坂を上っているさいちゅうは寒いなんて思うことはないけど。とはいえさっきの昇仙峡で道路にあった気温表示が「3℃」と示していたから、それより標高で300メートルも高いここは、きわめて0度に近いくらいだろう。
 ホッチ峠に到着した。

 

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 なにがあるわけじゃなかった。僕が走ってきた上り坂があり、その先に下り坂がある、それだけの場所だった。「ホッチ峠のマンジュウ石」なる説明板があった。しかしながら読んでもよくわからない。ホッチ峠とはなんなのかなど触れられたものは何もなかった。
 下りに向けてウィンドブレーカーを着た。上りで身体がすっかり温まって、暑いくらいだったけど、念のため着た。行けそうな気もしたのだけど念のため。
 そこから一気に韮崎へ向けて下った。10キロ、標高差700メートル以上をひと息に下った。いったいこのあいだ、ペダルを何度回しただろう。ほぼ漕がずにに下りてきた。25分ばかりで下ってきた。そして僕の身体は震えていた。自分じゃ震えが止められないほど凍えていた。
 なにか食べなくちゃ──。僕は手近にデニーズを見つけ、入った。

 

 

  少しでも温まるようにとちょっと辛いマーボ茄子ハンバーグなるものを食べ、ホットコーヒーを何杯か飲み、しっかり休憩を取って出てきたのにぜんぜん体が温まらなかった。標高1,100メートルのホッチ峠に上りきったときのほうが暑く感じた。標高300メートルの韮崎のほうが寒いわけもないし、雪がちらつくどころか空がすっかり明るいのに、これだけ寒いのは、下りで冷やしてしまった身体がもとに戻らないからだ。本当に下り坂の冷えって恐ろしい。身体の芯から凍えてしまったのだろう、ちょっとの飲み食いや、気温が少し高いくらいじゃ冷えが取れないのだ。
 正直、この冷えで先の行程のモチベーションが落ちているのは事実だった。午後2時をまわり、さらに走ることの意思を支えるものが見つからなかった。それでもまあこのまま終るのもなんだし(最低限駅までは行く必要もあるし)、まずは走ろうよと、ここで終えたがるもうひとりの自分に対して鼓舞した。冷えて脱げずにいたウィンドブレーカーを脱いだ。走って温める意識を高めるために脱いだ。
 ここからが中央本線沿線ルート、そもそも今回の主旨なのだから。

 

 中央本線は韮崎の駅を出るとすぐ、この地域の特徴的地形、七里岩しちりいわの台地の上を走る。韮崎市街地は塩川に沿った平地にあるので、まずこの高台へ駆け上がる必要がある。七里岩の端は断崖で、ふたつのヘアピンカーブと急坂で上っていく。藪の向こうにようやく架線と架線柱が見えた。と同時に塩川流域に広がっている韮崎の市街地をあっという間に俯瞰した。線路を越え、一度県道17号へ入る。県道17号にはこの台地を表す、「七里岩ライン」という愛称が付けられている。しばらくこの七里岩ラインで行く。
 それなりに交通量のある県道ながら走りにくくはない。武田氏の新府城跡をなでるよう抜けて行く。周囲は一帯に低く枝を広げている木々が植えられている。桃の木だろうか。まだ花はひとつもついていなかった。
 そしてこの桃の木の奥に、はっきりと、八ヶ岳の山容が見て取れた。
 ここからしばらく、八ヶ岳を正面に見ながら七里岩ラインを走った。その鮮やかさは、まるで彩度を強くし過ぎた写真でも見ているようだった。山肌はどこまでも際立って青く、雪は光るほどに白かった。まだ遠くに見えるのに、ここまでピントを合わせられるかってほど、くっきりと目に映った。春の陽光を、さえぎることなく受けているのだろう。強烈な晴天下にあるのがわかる。そして、気づくと僕自身がいるここ峡北も、見上げれば青空があった。
 いつのまに晴れていたのだろう。そういえばホッチ峠を下ってからずっと引きずっていた全身の冷えも収まっていた。

 

 穴山駅前を過ぎ、いよいよ小道へ入っていく。自分で引いたルートながら、その入口がまるで歩道か人の家への道のようで、藪のあいだに消えていく、セメントを雑に塗っただけの急な坂道がそれだと認識するのに、少しばかり時間が必要だった。
 そんな不安になるような藪のあいだを抜けると、突然周囲が広がった。七里岩ラインよりもさらに高い台地の上に出たのだ。そして左手には南アルプスが連なっていた。思わず立ち止った。
 南アルプスは朝、昇仙峡ラインを上るときからずっと目にしていた。そのときは雪をかぶった白い山稜を遠目に、霞みがかっていたこともあってぼんやりと見ていたけれど、今ここまで近づいてきた。ひとつひとつの山の名前は詳しくないのでわからない。しかしながら知らなくともじゅうぶんすぎる景観だ。きれいだ。周囲は梅だろうか、白く小さな花が満開で、そのあいだを今僕が走ってきた道が複雑なラインを描きながら続いていた。
 僕はこの中央本線沿いの道に来たことに、これでじゅうぶん満たされた。来てよかったと心から思った。いい道だ。楽しいってこういうことだ。
 そして先へ進む。道はさいわい上手くつながっていた。この手の道の場合、地図上でルートをつないで引けたとしても、草に隠れて機能しなくなったあぜ道であったり、人の家や畑や、企業の施設へ続く私道であったり、そもそも何の道路もないところだったりすることがある。ルートを作るときは迂回覚悟で引くのだけど、今回は当たりだ。全部きれいにつながっている。
 どこかで踏切の鉦が鳴っているのが聞こえる。走りながら並行する中央本線の線路を見ていた。やがて正面から真っ白なボディの特急が現れた。あずさだろうかかいじだろうか。自分と並行してこうやって列車が走っていくと小さな幸せを感じる。そしてそのまま走ってすぐ先で、また八ヶ岳が姿を見せた。青く、くっきりと。さっきよりもはるかに大きく、さっきよりもさらにはっきりと目に映る。そして中央本線の線路が八ヶ岳を背景にここに向かって伸びてきている。
 ──くうぅ、さっきの特急、ここで写真撮りたかったよ。
 そう、悔やんだ。思わず立ち止ってしまうほどに。でも、心の底から悔やんだわけじゃない。こんな風景、見られるだけで嬉しいんだから。
 このあと道はまるで八ヶ岳へ続くみたいに進路を取った。遠く山を見ながら走っていると、まるでそれが現実のものじゃないようにだんだん錯覚してきた。あまりにきれいすぎるからだ。あまりに型どおりだからだ。こちらの注文通り仕上げた完璧な背景画を、そこに置いているようだった。僕はただただ続く道を走った。
 楽しい、が、ずっと続いている。

 

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 小道は行く手を失い、県道まで出て迂回し、また小道を見つけては線路沿いを走った。七里岩の台地の上を走っていると、絶えず南アルプスか、八ヶ岳か、東方の山々が背景としてそこにあった。東方の山々の背後に控えるのは瑞牆山みずがきやまだろうか。やはり頂には雪を冠していた。これもまた美しい。こんな景色をつねに見ながら走る小道とはなんてぜいたくなんだろう。ときに中央本線の列車と並走する。僕の好きなものがみんな揃っている。こんな道だったか、今日の物語ルートは。
 ──最高。僕は周囲を少しだけ気にしつつ背伸びをした。ルート作家冥利に尽きる道だ。

 

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 午後4時をまわって日は大きく傾いてきた。すぐ先に長坂駅がある。ここで終えることにした。長坂-小淵沢間は距離もあり、小道がなく県道主体になること、線路からも大きく離れることから、今日の旅はむしろ長坂駅で終えるほうがふさわしいと思った。
 ならば、と長坂駅へ向かう道を探す。地図を確認しようと立ち止まると、思いのほか寒かった。風も出ていて、これもかなり冷たい。──もうこんな気温なんだ、気づかずにいたな。そう思わず笑った。楽しさにずぶずぶに浸っていた。駅に行くには線路の反対側へ行く必要がある。寒いな、早く行こう。駅までの道をおおよそ頭に入れると、ガーミンの表示を現在地に戻した。

 

(本日のマップ)