自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

美濃たび鉄道沿線2Days - Day1 名鉄揖斐線・谷汲線跡・樽見鉄道編その1 (Mar-2020)

 僕が廃線跡をたどるときは、その土地の雰囲気やなり、、を感じ取ったり、あるいは走っていた列車から見えたであろう景色を想像して楽しんでいるので、必ずしもその路線の遺構や痕跡を見出すことに喜びを感じているわけじゃない。でもやっぱり、そういうものが見つけられれば嬉しいものだし、今回のような乗ったことのないような路線であればなお、ここに鉄道があったんだという事実をより現実的にイメージできる。
 住宅街の狭い路地を走ってきて突然目の前に現れた路盤は、すでに草が荒れ放題に伸び、年月と風化を感じさせた。でも草のあいだに覗くバラストや路盤と道路とを隔てた安全柵を見ると、ここをゴトゴトと赤い電車が走っていたのだなと自然と思い描かせた。
 岐阜は大きな街だった。ビルが並び縦横の道路に車があふれていた。都市はあらゆるものの転換が早い。廃線となった鉄道路線などまっ先にビルや宅地に造り替えられてしまうのも当然だ。ましてやもう15年の時を経ている。
 それが当たり前で、期待などしていなかった。ただここを赤や白の電車が行き来する風景を想像できたらいいなと思っていた。だから今目の前に現れた廃線跡は、古い映画作品のシナリオを、活字で手に入れて読み楽しんでいたところに、じっさいの作品フィルムが出てきたような驚きがあった。確固たる事実を認識させる力強い具体性を発していた。

 

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 岐阜駅には降りたことがある。ただ記憶があやふやだ。駅前ロータリーに赤と白の名鉄路面電車なんて保存されていたっけ?
 僕はその半円筒形の正面と丸窓の戸袋が特徴的なモ513を眺めながら自転車を組み上げた。
 それから出発する前に、北口周辺のチケットショップを探してみた。あすの帰りに使いたい、新幹線の名古屋から熱海への回数券を手に入れるためだ。けれどグーグルマップに表示されるチケットショップのうち一軒は店を見つけられず、もう一軒では熱海の取り扱いはないのだといわれた。
 今はいったんあきらめて、出発する。午後1時を少しだけまわっていた。

 

 かつて市内電車(岐阜市内線)が走っていた道からスタートする。
 いわば岐阜駅前の目抜き通りで、路面電車が走っていたようすはもう見受けられなかった。近年の都市部や観光地でよくみられる電線埋設が済んでおり、電柱がない道だった。かつては路面電車が走っていたのだから架線は必須で、少なくともそれを支える電柱は必要だったはずだ。電柱だけで道のようすはすっかり変わってしまうものだ。
 自転車は歩道の上に区切られた自転車レーンを走るよう指示されていたのでそこを行く。それに従うと、歩道に二本のブルーの線が引かれていて、どこまでも平行に続いている。まるで線路みたいだ。自転車で電車ごっこをするように、僕は引かれた二本のブルーの線のあいだを走った。
 ブルーのレールが途切れ、忠節ちゅうせつ橋で長良川を渡った。その橋を下ったところが揖斐線の起点、忠節駅があった場所だそう。複数の線路が配された櫛形ホームと市内電車との通り抜け線を持っていた配線はもう跡形もなく、埼玉県民にはおなじみ過ぎるファッションセンターしまむらになっていた。駅舎も路盤も、ホームもレールもバラストも、ここにあったことが想像できない変化で、どう見たって町なかのファッションセンターしまむらでしかなかった。
 そういうものだ。しかも岐阜なのだ。放置しておくほうが安い田舎の田畑とは違う、ここは県庁所在地、、、、、の都市なのだ。

 

 ルートはかつての路線に近いであろう路地のなかを選んでいた。古くからある住宅地のようで道はすぐに突き当たる迷路のようだった。僕はあみだくじをたどるように屈曲が続くルートを進んでいく。名鉄揖斐線はこんな手狭な住宅街のあいだをゴトゴトと走っていたのだ。路面電車車両だけじゃなくて、他の各線で使えなくなった600V仕様の車両を集めて走らせたらしいから、大きな台車の床の高い車両も走っていたはずだ。イメージするなら江ノ電が近いかもしれない。
 もう何度目かのあみだくじのクランクを経たところで、道がグリーンベルトを横切った。いやグリーンベルトと呼ぶにはおこがましい、雑草が伸び放題伸びた空地、、だった。
 まぎれもない、揖斐線廃線跡だった。

 

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 駅のホームまであった。壊されて撤去されるようすもなく、ごく自然にそこにあった。決して騒ぐことなく静かにそこにあった。
 道が廃線跡を横切るとまた見えなくなった。そしてあみだくじルートが続く。
 そうやっているうちに、さっき目にした雑で華奢きゃしゃな安全柵が目に入った。再び揖斐線に違いなかった。今度は道が安全柵に沿って続いている。単線幅の路盤が路地に並行し、続いていた。僕は揖斐線に沿って走る。レールや枕木、架線や架線柱やその周辺の電気系統や信号設備などの通信系統、そんないっさいが残っていない。ぼうぼうに伸びた草の中にバラストが見えるだけだ。踏切であったろう場所では安全柵が黄色と黒に塗られているところもあった。もちろん色はあせ、爆裂する錆に覆われていた。
 路盤だけが残っているだけでもうれしくて、並行して走っていると、勾配標識が残っているのが目に留まった。ここが鉄道線路であったことを静かにアピールする物証だった。僕はまたうれしくなった。柵があり、路盤があった。駅のホームもあった。標識もあった。こんなにいろいろなものに接するとは思わなかった。少なくとも忠節駅跡に立った時は想像もできなかった。こんなに残っているとは。忠節からわずか数キロである。
 勾配標識の先、路盤は緩い上り坂になっていた。先の風景が開けていた。伊自良いじら川の河川敷だった。鉄橋で越えるのだ。
 しかし鉄橋はおろか、橋脚や橋台のひとつも痕跡がない。僕は国道まで戻って伊自良川を渡った。離れて眺めると鉄橋を渡る電車のイメージが湧くものだけど、こうも痕跡がないとそれもできなかった。
 橋から下り、また路線跡に近づいてみると「尻毛しっけ駅自転車駐車場」と書かれた看板が残っていた。駐輪スペースもそのままだった。ただここが駐輪場として今でも機能しているのかどうかはわからなかった。止められた自転車は一台もないし、来ることのない鉄道の駅の駐輪場なんて意味をなさないのだから。そして対向式ホーム二面と複線幅のある路盤が残されていた。ホームへの階段に鎖がかけられるでもなく、道からつながっていた。僕は駐輪場に自転車を置き、ホームへ上がってみた。

 

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 僕は今回、ルートに合わせた簡単なタイムテーブルを作ってきていた。
 それはある程度時間を意識しながら走らないとならなかったからだ。最終的に縛られる時間は樽見鉄道の時刻で、およそ1時間半に一本の列車に照準を合わせないと計画が立たなかったからだ。
 目標にしている列車は樽見発16時38分の上り列車。樽見駅でこれに乗ることができないようなら、1時間20分後の列車にするか、終点の樽見駅まで走らず、途中駅でサイクリングを終えて列車を捕まえるかになる。
 タイムテーブルはこの列車を意識して作っていた。しかしながらどう努力しても16時40分になってしまう。でもそれじゃ計画が成り立たないから、無理を承知でなんとか15分縮めた。結果、16時25分着できるタイムテーブルを作った。完工日ありきでスタートするブラック・プロジェクトのスケジュールみたいだ。
 岐阜駅で手早く旅支度を整えたおかげで、タイムテーブルよりも20分早くスタートできた。それなのに尻毛駅跡でほぼオン・タイムになってしまった。岐阜駅前を出発してわずか7キロなのでひどいつまずきである。これはさすがの僕でもまずいと気づいた。
 原因はふたつある。
 ひとつは、明らかにタイムテーブルの設定速度が僕の許容範囲を超えていること。タイムテーブルに時間を置きながら、正直無理じゃないかって感じていた。もともとが僕のポテンシャルよりも高かったにもかかわらず、そこから15分縮めたというのはもはや、机上の空論でしかなかった。でも列車の時間がある以上能力を超えて頑張るしかないんだよ──ああ聞いたことがあるよこれ、僕も一度くらいいったことがあるか? これは間違いなく炎上させるプロジェクト・リーダーだ。
 もうひとつは、予想以上に見どころたくさんの揖斐線に、いちいち足を止め、自転車を置き、見てまわっているからだ。いちいち先に進まないのだ。ようは、楽しいのだ。

 

 黒野駅跡に着いた。
 もういいだろ、先に進まなくちゃといい聞かせながらここまで走った。でも廃線跡が見えたり、道のカーブ半径が鉄道っぽい、、、、、といちいち足を止めてしまう。いい聞かせているのに、何度もだ。
 この区間のタイムテーブルを作ったときの計算速度がゆるめだったのか、予定より3分遅れで済んだ。ただそれでも僕には厳しい設定だった。時間に追われると疲れるし、そればかりに意識がいく。ようやく黒野駅に着いてほっとして足をつくと、どっと疲れが押し寄せた。せっかく来て好きなだけ楽しまないんじゃそもそも旅の目的から外れているし、いいことじゃないじゃん、と思う。仕方ないにせよ。

 

 黒野揖斐線の大きな途中駅で、さらにここから本揖斐に向かっていた。同時に、谷汲線の分岐駅だった。
 この谷汲線揖斐線黒野から本揖斐までのあいだが同時に廃止され、数年にわたって揖斐線の終着駅にもなった駅だ。
 黒野駅跡は現在、黒野駅レールパークとして駅舎やホームが保存、整備されている。
 今回、旅の出発前にこの駅の配線図を見た。検車区もありそれなりに大きな駅だった。その駅舎と、2番3番線に使われていた島式ホームが残されていた。駅舎内には出札口が残り、ガラス窓の真ん中の会話用の穴──これビデオフォンって呼ぶのか!──も健在だった。出札口の上には運賃表が掲示されている。文字の書体からして往時のままだ。列車時刻表もある。こちらは書体も今ふうで、なにより本揖斐方面と谷汲方面の時刻が書いてあるから、ミュージアム化されたのちに作られ、掲げられたものだろう。外に出てホームへと歩いてみる。「2」の番線札だけが残っている。線路もそこだけ残っている。他はレールもはがされている。ただこの2番線の線路は、レールはともかく、枕木がどうも使われていたものとは思えない。汚れていないし木でもなさそう。大きな電車車両を支えるには華奢すぎるように映った。そのわきに発条転轍器スプリングポイントがあるが、ポイントレールがあるわけでなし、そもそもホーム内で分岐器があるには不自然な場所だから、おそらく移設されたんだろう。
 駅舎内にカフェがあった。20キロ弱走ってきたから休憩したかったけど、時間ばかりが気になる。ひととおり見たら終りにすることにした。ホームではお母さんに連れられてきた男の子が走り回っていた。

 

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 さあ急ごう。ここから谷汲線へ乗り換えだ。

 

(本日のマップ)

 

(つづく)