自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

日光市へ - 前日光基幹林道(Aug-2019)

 急に決めて南栗橋ゆきの電車に乗った。天気予報の気温を見て涼しげだった嬬恋パノラマラインに行こうかと考えたのだけど、車のあてもなく、かといって鉄道アクセスの大変な場所へ、前夜の準備状況から始発に合わせて起きられる自信もなく、あっさりあきらめてリセットした。そうだ、林道の河原小屋三の宿かわらこやさんのやど線を塗りに行こう。……塗る、イコール走破済みの道を地図に色で塗る。走れば走るほど地図は色で埋まって行く──じっさいやっているわけじゃないけど。少しだけやってみたことがあって、でも紙の地図が面倒になってやめた。以前、前日光基幹林道の地図を塗ろうとしたものの、この林道と、和の代わのしろ線の2本を残して終えた。前回走ったのはもう去年のこと。残したこれらにサッと出かけて、昼でも食べてすぐ帰ってこよう。

 


 

 足尾山地の東側を巻くように日光市の和の代線から足利市の長石線まで全7本の林道で構成された基幹林道を、このとき7番目の長石線から逆にたどって行った。朝から足利を発ったにもかかわらず、前日光線を走り終えた古峯ふるみね神社で夕暮れとなってしまった。僕は2本を残して新鹿沼駅へ戻った。

 

 終点南栗橋。8両でここまでやってきた電車から向かいのホームの4両編成東武日光ゆきに乗り継ぐ。今日は日曜日。両方ともよく乗る列車だけど土曜日よりも少しだけすいている気がした。
 この東武日光ゆきで、前回終えた新鹿沼駅まで行く。

 

 ルートも引いていなかった。でも道はわかるから突然出かけても大丈夫。
 ほかにもたいした準備はしていない。ツールケースはいつも入れたものがそのままになっているだけだから、それをボトルケージに挿し、輪行袋をサドルバッグに入れサドルに下げた。ぶどう糖や塩分タブレットを財布兼小物入れのポーチに入れて背中のポケットにしまい、ボトルをボトルケージに挿し、ヘッドライトとテールランプを付け、ガーミンを付けた。朝、それだけやって駅に向かった。
 新鹿沼着。いく人かの高校生と大きなバッグを抱えたゴルファーが降りた。あと地元の一般客が数人。跨線橋を越えて改札口を出た。
 ここ数日でずいぶん朝夕の暑さが落ち着いたように思う。夏が終わりに近付いている。
 僕は組み上げた自転車で新鹿沼の駅前を出発した。

 

(本日のルート)

 

 

 鹿沼市は自転車振興に力を入れていて、街のあちらこちらで「KANUMA BICYCLE SUPPORTERS」の看板を見かける。店では空気入れや工具を無償で貸してくれたり、立ち寄るのに便利なよう店頭にバイクラックを置いたりしている。そしてそういう店が以前よりも増えている気がする。一部の主要道には自転車レーンも塗り分けされていて、まち全体に自転車ウェルカムなムードが強く伝わってくる。
 それが功を奏してか、市内でも多く自転車を見かけるようになった。宇都宮ブリッツェンや地元の競技系クラブが練習に現れたりコースを紹介したりしているのもあるだろう。それを知り、さらに自転車もたくさん集まってくるに違いない。
 古峰ヶ原こぶがはら街道入口の上日向かみひなた交差点が十字に造り直されていた。これまで鉤手クランク状だった交差点はきっと混雑のボトルネックだったんだろう。交差点の付け替えによってまるで景色が変わっていて、曲がり損ねるところだった。角には駐車場の大きなセブンイレブンもできていて、どこかのクラブがロードバイクを並べて談笑しているようすも見えた。
 古峰ヶ原街道こと県道14号は、鹿沼市のなかでも自転車のメッカといっていい。なるべくしてそうなったというか。市街地から緩やかな上り基調で続く大芦川沿いの道は、交通量も少なく信号もほとんどないため快走路である。そして古峯神社への5キロ余りのヒルクライム。さらに上って古峰ヶ原を目指せば千数百メートルの前日光。パートパートが上手くできていて区切りやすいし、鹿沼の市街地だけじゃなく小来川おころがわから今市や日光につないでいくこともできる。地形的に恵まれた道なのだ。そして今、僕も大きな集団に抜かれた。自転車乗りが集まってくる道。セブンイレブンで見たジャージとはまた別だ。
 しかしながら同時に、ひとり速度も出さず、途中よく止まるサイクリングスタイルの僕は、今のこの古峰ヶ原街道には不釣り合いになった。ここにはアスリートスタイルが似合うようだ。また別の小集団がローテーションしながら抜いていった。僕はとりあえずおはようございますといった。いちばん後ろの人だけ「ちわ~」っといった。
 そんなわけで僕は道を左に折れた。
 田園の続くこのあたりならまだ、古峰ヶ原街道に並行する道が何本かあった。ひとりそっちを走ることにした。
 そこはまるで田んぼのどまんなかに放り出されたようだった。自然と足を止める。風が流れた。

 

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 山がせまっている土地である。それほど広い平地ではないけど、平らなところはみな田んぼで、稲が夏の勢いのまま背伸びをしていた。早い連中はすでに小粒の金色をたずさえてこうべを垂れていた。そんな田んぼのなかに大きな農家がぽつんぽつんと点在していた。僕がゆく道路には脇水路があって、大芦川と変わらない透明な水が、水量豊かに勢いよく流れていた。その流れの音を聞いているだけで涼しい気分になった。心地いい。
 左手から山がせまり右には大芦川が近付いてきた。そうなるといよいよ田んぼもなくなった。対岸に古峰ヶ原街道が見える細い道になった。
 でもこの道にまったく車が来ないというわけでもない。ときおり車とすれ違い、追い抜かれる。彼らの多くは釣り客のようだった。大芦川は釣りが盛んで、彼らも車を川岸に止めるという側面からか、古峰ヶ原街道よりもこちらの道を使うようだ。アウトドアの色合いが強い車が多い。そんななかから夏めいた釣りのスタイルで人々は降りてくる。彼らにとってもこの大芦川の澄んだ水量豊かな流れは魅力なんだろう。

 

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 対岸の道も長くは続かず、僕は古峰ヶ原街道に戻された。
 清流大芦川はまだ夏だ。水遊びも見かける。少なくない。ここ数日で涼しくなった気候を思うと、この川の水はさぞ冷たいんじゃないかって思うけど、ゆく夏を惜しむようでもある。子どもたちを連れ立った大人たちも岸にアウトドア・チェアを置き、足先を水に濡らしている。少しだけ蝉が元気なように思えた。
 そしていよいよ古峯神社の巨大な一の鳥居が見えてきた。
 同時にそこがいよいよ林道河原小屋三の宿線のはじまりである。
 古峯神社への坂へ挑む人の多くが足を止める商店の自販機で──なぜかこの店が開いているのに出合ったことがない──、僕も冷たいコーヒーを買って飲んだ。
 ひと休みして、川沿いの道へ入って行く。

 

 観光資源の乏しい前日光基幹林道のなかで、唯一この河原小屋三の宿線だけがそれを持っている。というかそれを知るようになったのが最近だから、最近売り出しているのかもしれない。
 大芦渓谷である。紅葉で売り出し中である。大芦川の支流東大芦川の上流部であり、しかしながらアプローチがこの林道であるため、紅葉情報なんかだと「穴場」の冠がよく付けられる。

 

 

 僕はこの河原小屋三の宿線をずっと走りたいと思っていた。前日光基幹林道の一本として、大芦渓谷をさかのぼって行く静かな道路として、さらに鹿沼と日光(小来川でなく)とを直接結ぶ唯一のルートというのも興味があった。
 しかしこの興味はなかなか実現できずにいた。かなり長いこと、この道が通行止めだったから。
 栃木県の林道情報をよく見ていた。まだ開通できないのかと何年も待った。それがようやく5年ほど前に通行できるようになった。長かった。長くはあったけど、大芦渓谷までなら行くことができたし、その先この林道経由で日光へ行こうという人、あるいは滝ヶ原峠を越えようなんて人はほぼいなかったんだろう、誰も困ることなどなかったのだきっと。
 その秋に、友人のUさんがここを訪れている。それを知り僕は羨ましがった。とてもよかったとUさんはいった。この道の魅力を存分に語ってくれた。僕のそれまで持っていた興味にたくさんの関心事が上乗せされた。Uさんはぜひ行ってきてくださいといった。
 すっかりのびのびになった。ようやく昨年である。ただそれも前日光基幹林道を全部まとめて走ろうなどと思ったのが失敗だった。百キロを超す距離を僕が一日でこなせるはずもなかった。しかも林道番号の順通り日光から攻めていれば早々にこの道を走ることができたのに、僕は足利から攻めてしまった。結局前日光線までを終えた古峯神社で夕刻を迎え、この日時点で7林道中唯一走ったことのなかったこの林道を残すことになった。まったくもっての本末転倒だった。
 今日、突発な自転車旅とはいえ、最初から河原小屋三の宿線を目的地にした。

 

 紅葉情報で穴場といわれるのはわかるような気がした。なにしろ古峰ヶ原街道から分け入った途端、道が2ランク3ランク格落ちした。当然すれ違いだって大変なところもある。これは行くだけで大変だ。すでにクマ注意の看板を二枚見た。そんなところだから、「穴場」の冠が取れることはもしかしたらないのかもしれない。
 しかし林道定番のあの標識がないなとしばらく疑問を持っていた。それが少し行った白井平しらいだいら橋で判明する。林道河原小屋三の宿線の起点はここであった。前日光基幹林道を走っているとよく見かける全体図も、よくよく見てみると古峰ヶ原街道から分岐したしばらくの区間は通常の道──黒い線──で描かれていた。芸が細かい。
 仕切り直し、ここからスタート。

 

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 これは、と言葉を飲んだ。
 紅葉の名所、紅葉の穴場として紹介されるだけの場所だと、まだこの夏の盛りを残した季節でそれを実感させるだけのものがあった。これは秋が来たら恐ろしいことになる、そう思わせる道だった。緩やかに坂を上る林道は、つねに大芦渓谷の流れをともにし、山の木々が一帯を覆っている。もちろん今は緑一色。これがみな赤だの黄色だのに染まるのだ。この木々枝葉の量たるや、色を帯びた世界の想像がつかないほどだ。
 ときおり、秋を待てなかった小さな子供の手のひらばかりのカエデの葉が、緑色のまま道の上に落ちている。

 

 紅葉のメインステージであろう大滝は、小さな路肩の観瀑台といおうか張り出したお立ち台のような場所があるものの、ロープが張られ立ち入り禁止になっていた。その柵越しに小さく見える瀑布が大滝だと思われる。そこに立ってみようかとも思ったけど、おいらん淵のようになってもいやだからやめた。滝は、真っ白なシルクの長い布を垂らしているようだ。この林道をずっと走ってきて、いや古峰ヶ原街道のときからずっと、水の流れの音がすっかり耳になじんでしまっていたから、滝から発せられる水の音も、この川の清流の音と混じって、日常的な音にしか感じなくなっていた。それだけ、ここは水の音であふれている。

 

 大滝を過ぎると坂が急になった。いよいよ三の宿山を巻くように上って行くのだ、とわかる。道の雰囲気が変わった。穴場の紅葉スポットもここで終ったのだ、と肌で感じた。観光客はこの大滝までしか来ない。この先は車も人も通る場所ではない。真の林道の始まりだった。道もつづら折が始まった。ガーミンの地図表示を小さめにしていた僕は、つづら折が重なってつぶれてしまいよく見えないほどだった。
 舗装の質も落ちた。セメント舗装や石混ぜのアスファルト舗装になった。穴や割れといった路面の損傷も出始め、枯れ枝や落石で路上も荒れてきた。山の斜面からはそこかしこから沢が川に向かって合流してくる。いちおうどれも流れが道路の下を通るよう橋にしてあったり、橋にできないところは下にまるい土管を通していた。洗い越しはなさそうだった。ただ沢という沢すべてに砂防ダムを築いているわけじゃなかった。そうするにはあまりにも沢の数が多すぎる。砂防を施していない沢は、土石流がそのまま、生々しく山の斜面に残っていた。水が大量に出たなら、いとも簡単に土砂で道路を埋めてしまうんだろうって想像できた。山の力をまざまざと見せつけられているようだった。同時に、この林道が一度通行止めになると、長いこと解除されないのも理解ができた。
 大芦渓谷も源流域に近い。鹿沼市内の大芦川からずっとこうして遡上してきたのだけど、この川の透明さには本当に言葉を失う。どんなにその場所の水深が深かろうと、水を通して川底まで見られるのだ。深さを見誤りそうで怖い。それほどまでに澄んでいる。
 よく澄んだ水が光の反射の加減を受け、青や緑に染まることがある。あるいはその水深も相まって色味が五色や七色に見られたりすることがある。エメラルドグリーンや、最近じゃ何とかブルーと称して、神秘さが観光資源になっていたりする。写真を取れば「映える」。そういうことだ。しかしここ大芦渓谷の神秘はどうだ。エメラルドグリーンでも何とかブルーでもない。ただただ透明である。こんな透明ってあるんだろうか。これこそがまさに神秘。
 吸い込まれてしまいそうだ。

 

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 長いつづら折を終える頃、少し斜度が緩んだ気がした。道は直線的になり、引き続き進む。周囲の風景は木々、法面加工された崖か、法面加工されていない崩落の不安を感じる崖。そればかり。
 そんななか僕はなんとなしに予感を感じていた。
 僕は予感をどうも感じる方らしい。ただ根拠がない、科学的にどうこう説明できない。それをわかってるからまずそれを口にすることはない。でも感じることがある。そしてそれが今だ。今というより、さっきからだ。
 僕は予感の強さに負けて坂の途中で自転車を止めた。ボトルケージに挿したツールケースから鈴を取りだした。
 ずっとこの予感と戦っていた。面倒だったからだ。鈴を下げることが面倒、ツールケースから鈴を取りだすことが面倒、そもそもそのために止まること自体が面倒。だいたいここは枝線の林道なんかじゃない、ここは全線舗装の前日光基幹林道のひとつなのだ。交通もある(いやないかもしれない)場所なのだ。鈴なんていらないだろうっていう思い、もしほかに誰かと会って僕だけが鈴を付けていたら恥ずかしくないか? 基幹林道だぞここ、そういう思い、そんなことと戦っていた。
 でも予感が勝った。
 ハンドルをくぐらせ、鈴を下げた。

 

 ふつうに走っているだけじゃ鈴は鳴らない。たいして鳴らないのだ僕の鈴は。ハンドルを無理に左右に切るとか、枯れ枝にわざと乗り上げるとか、鈴を指でみずからはじくとか、何かしら揺すっていないと鈴は鳴ってくれない。
 そして僕は鈴を指ではじいていた。ふだんなら鳴らないけどまあいいかと思うときもある。上り坂なら大半そうだ。わざわざハンドルを振ったり指ではじいたりするのは疲れるから。くたびれるにもかかわらず、上り坂で僕は左手だけバートップに置き、つねに鈴を揺すりながら走った。それも予感に戦い負けた結果かもしれない。
 でもそれだけ強い予感だった。そういうことだ。

 

 そいつは、僕がカーブを曲がったとき、すでに斜面を上り逃げ始めていた。
 僕は凍りつく。今まで僕のデータベースにはなかった大量の情報が一気にインサートされ始める。まず今までにない近距離である。2、30メートルくらいか。そして単独である。これまで遭遇したのは偶然にも幹線道路ばかりで──こんなところにも熊が出るのかという──、車通りだってあるような場所だった。しかしここは車もバイクも、人も通りかかることは絶対にない、そんな場所だった。大芦渓谷を過ぎて以降のこの林道はそういう道だった。加えてこれまでの熊遭遇は偶然にも誰かと一緒だった。今、僕はここにひとり。車もバイクも人も、通る可能性が確実にない場所で、斜面を上る熊の背中を見ている。データベースにはインサート文があふれ、テンポラリ領域がアラートを出しながら拡張を続ける。
 熊は子熊に見えた。体調1メートルあるかないか。幸いなことがふたつあった。まず、そいつがすでに僕に背を向け逃げているという点。もうひとつは山の斜面に崩落対策のため網状のワイヤーネットが張られ、いわばそいつは檻の向こうにいる状態だという点。
 そいつは森の奥へ消え姿が見えなくなった。それを確認すると僕はデータベースのコミットが走る前に、インサートされた情報も含め解析を始める。ダーティ・リード。読み取った情報からIFが何重にもネストする。ここには僕しかいないから、そいつは背を向けて逃げたから、でもそいつは子熊だから、親熊があらわれるかもしれないから、ここを通りかかる人は絶望的にいないから、……いくつもIFが並ぶ。深いネスト条件のなかでELSEを探す時間はない。僕はひたすらTHENだけを追求し、行きついた答えの正誤判定もせずにそれを採用した。
 逃げた。先へ、逃げた。

 

 

 滝ヶ原峠。
 県道277号・小来川清滝線の峠であり、河原小屋三の宿線の終点でもある。
 ここまでくれば相当少ないながらもまれに車通りがある。長かった。その場所から4キロ以上あった。林道は最高点に近かったようで、この滝ヶ原峠に向けて平坦から下り基調だった。僕は何度も振り返りながら、ハンドルに下げた鈴を鳴らし続けた。強く、鳴らし続けた。音を絶やさないよう鳴らし続けた。下り基調でもスピードは出せなかった。路面の損壊、落石、枯れ枝……ハンドルを取られたり乗り上げての転倒、万が一の滑落は命にかかわる。僕はスピードを上げたい欲求──それは欲求ではなく恐怖──を抑え、前を見てブレーキをコントロールした。左手は鈴を鳴らし続けてるから右手でフロントブレーキばかり操作した。一度だけ例外ケースのロジックが頭をよぎった。Uターンして鹿沼方面へ戻るべきだったんじゃないか。ここまで通ってきた道で状況もわかるし下り基調になる──。そのエクセプションをキャッチしたのは遭遇地点を過ぎてから500メートルくらいだった。しかしもう遅かった。Uターンしてあの場を再び通過することなどありえなかった。危険だと判断した。行けといわれても恐ろしくでできやしなかった。だから前へ前へ進むほかなかった。先の道がわからなくても前へ進むしかなかった。ときどき後ろを振り返りながら前に進んだ。長くてどうしようもなくつらかった。手もとのガーミンの地図に見えるのは自分が今いる白線だけだった。この林道河原小屋三の宿線を示していた。県道や国道の黄柑色で描かれた線はいつまでも現れなかった。ほかの熊にだって気を付ける必要があるはずだった。この前日光地区、中禅寺湖裏から細尾峠を経てこの一帯、熊が増えていると聞く。僕には滝ヶ原峠に出るまでは確実に人と会うことがない、その実感があった。この林道には車もバイクも人も来ないのだ。ほかの熊からも含めて、とにかく僕は滝ヶ原峠まで逃げ続けなくちゃならない。そうやって、走った。ようやく、ガーミンに県道277号の黄柑色の線が見え始めた。
 まるで僕は真っ白だった。ほっとしたというのとは違う。放心状態だったのかもしれない。なにもない。無だった。僕は走って来た道を振り返り、しばらく見つめ続けていた。何秒も何十秒も、確実に動きのないその風景を、、、、、、、、、、、、、見ていることで、ようやく自分に落ち着きを取り戻せるようだった。
 考えられることも判断もできないなか、半ば義務的に、取材の記録を残すように、いつもしていることの延長のように、僕は河原小屋三の宿林道の終点の看板を撮った。

 

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 県道277号を下った。日光市の日帰り入浴施設やしおの湯まで、結局一台の車とすれ違うこともなかった。それでも県道を走っているという安心感があるのか、あるいはもう予感が消えたのか、気分的には楽だった。
 ちなみに林道和の代線は今下ってきた県道277号に統合されていて、つまりこれを下り終えることで塗り上げが完了する。僕の、前日光基幹林道の色塗りは、ここで終った。

 

 日光市内は日曜の午前中だというのにもう混雑が始まっていた。東照宮の駐車場入口、神橋の交差点、どこも夕方と変わらない混みようになっていた。
 日光は今日も活況である。
 どこかに腰を落ちつけたかったけど、かつてオープンしたての頃に自転車で立ち寄ったらとても喜んでくれ、よくしてくれたカフェも、最近繁盛ぶりが度を越して相手などしてくれないほどになったし──何しろ「今日のメニューはこれだけです!」と店頭のブラックボードに掲げられてるほどだった──、イートインスペースのあるファミリーマートは相変わらず外国人にそこを占拠されていた。揚げゆばまんじゅうも長蛇の列で食べる気にならず、結局そのまま東武日光の駅に着いてしまった。
 自転車を置き、改札口の電光板を見た。11時31分発──。15分後。
 乗るか。
 急いで輪行パックを始める。ハンドルの鈴を外してツールケースにしまった。鈴だな、そう思った。カーブを曲がった瞬間、鉢合わせにならずすでに熊が斜面を逃げ始めていたのは、カーブの手前にいる時点から聞こえていた鈴の音に反応したからに違いないって思った。もちろん僕は熊に詳しいわけじゃない、むしろ疎い方だといっていい。でも鈴だったんだろうと思った。鈴の音がなければ鉢合わせだった可能性は高い。わざわざ止まって取り出して下げ、走っているあいだじゅうわざわざ指ではじいて鳴らしていた鈴の音。
 パッキングを終え、まだ数分あったので待合室にある売店に行ってみた。午前中だからだろう、駅弁がたくさん並んでいた。いつもここに来るのは夕方や夜だから、駅弁なんて残っているのを見たことない。これを買おう。しかしこうたくさん並んでいると逆に選べないものだ。
 僕はすいている電車のボックス席に座り、窓際のテーブルに買ってきた駅弁を置いた。