米を見、米を食う - 魚沼スカイライン/前編(Sep-2019)
テーマがまず浮かんだ。米を見に行く、そう決めた。そう考えたのは8月に林道河原小屋三の宿線(前日光基幹林道)へ出かけた日。そこまでのアプローチで走った鹿沼市内の田んぼのなかの道で。まわりの稲穂たちはまさに金色に染まるのを目前にしていた。一部はもうこうべを垂れ始めていたし、若いやつも時間を待たずして実りを付けることを示していた。田んぼが一面黄金色に染まる、それを実感させたからだった。
広大な田んぼに米を見に行こう──それにふさわしい場所を僕は頭のなかで探した。ひとつずつ、その候補として思い浮かぶ場所をスマートフォンでスワイプするように。でももうそれは決まっていた。米を見に行こうと考えて1分もたたないうちにこの道が浮かんでいた。ほかの場所をスワイプする作業なんて、それら場所じゃなくここなのだという裏付け作業に過ぎなかった。
魚沼スカイライン。
先週の週末を飯田線の汽車旅に充てたのは、新潟県の天気が今ひとつだったからだ。18きっぷの残回数と残日程から見て、二度の週末が残っていた。僕は魚沼スカイラインに重きを置いた。天気がかんばしくないなら最後のチャンスに振る、そう考えて一週見送った。
僕は魚沼スカイラインに立った。黄金色の大地が眼下を埋めていた。さすがの魚沼とはいえ、こんなにも稲が作られていることに驚き──これほどまで大地を水田が占めているとは想像を上回っていた──、それが作りだした景色には圧倒されるばかりだった。ニッポンの米は燦然と輝き、美しいという言葉さえ飲み込むほどの威厳を、押しつけることなくただ静かに放っていた。
◆
二度目の魚沼スカイラインを走るため、列車を六日町駅で降りた。
7年前になる。その日は列車を石打駅で降り、魚沼スカイラインへ十二峠口から入った。せっかく訪れたものの、全線を走ることなく途中の県道から十日町へ下った。全線を走破しなかったのは、
まずはそのときの未走区間から制覇しようと、今回僕はまず八箇峠を目指し、六日町町内の赤茶けたコンクリートの消雪道路を走り始めた。
(本日のルート)
県道74号から六日町町内余川でほくほく街道に左折する。
この一帯の道路、その線籍や名称、愛称が歴史と経緯で複雑だ。僕が走っている道にはほくほく街道の愛称が付けられているが、これはかつての国道253号のルートである。現在の国道253号というと八箇峠トンネルを経由する
こんな感じだ。わかりにくい。
ともあれ、僕はほくほく街道を上っていた。初めから坂で、上りの苦しさに浴びるような強い日差しと残暑が加わってすっかりやられていた。魚沼スカイラインに入る前からこの状況はきつい。何度か休みを交えながら時間をかけて上っていくのだけど、そのぶん太陽はどんどん真上に昇って行った。
ムイカスノーリゾートを過ぎてからのほくほく街道県道560号区間は、ずいぶん長い
六日町を出発して一時間ばかりで魚沼スカイライン八箇峠口に着いた。
魚沼スカイラインは、初めにぐんぐん標高を稼ぐ。これは八箇峠口から入っても十二峠口から入っても同じだ。魚沼丘陵の稜線上を貫く道路なので、まずはそこまで上らなきゃならない。もともと丘陵全域を小出までつなぐ観光道路の目的だったゆえ──果ては一大観光ルートとして奥只見シルバーラインにまで接続させようとしたとも聞いたことがある──、こんな場所を通している。稜線までつづら折を重ねて高度を稼いで行く。森に覆われたりすることのない坂道は、真っ青な空に突き進んでいくようだった。
その道は素晴しく美しい。
観光道路になりきれなかったスカイラインは、集落も一切なく生活の車などは皆無、観光の車もまばらで、いちばん多いのはオートバイだった。
坂はきつくなったり緩めたり、ときにはドーナツ舗装も現れたりしながら、ようやく八箇峠見晴台に着いた。ここでまず稜線上に出たといっていい。標高約700メートル。ちなみに十二峠口から入ると稜線上に出るのが魚沼展望台で、標高は920メートル。十二峠口から入るほうが一気に坂を上らなくちゃならない。
稜線上にはそんな「展望台」と名のつく簡易駐車場を用意した場所が何箇所かある。でもどんな展望台なんかより、途中途中で開ける眼下の景色の方がはるかに素晴しい。僕はそういう場所でいちいち止まっては眺める。それは、絶景である。
魚沼スカイラインは道が広くないから、路上駐車には適さない。センターラインが、興味本位じゃないかと思うほど気まぐれに、少しだけあらわれる箇所があるけれど、基本的にそんな広さはない。したがって車で眺望を楽しむのなら各所に設けられた展望台ってことになるんだろう。でも展望台よりも道路の途中、木々の途切れから突然開ける風景の方がはるかに見事だから、ここは自転車で来るのが最適だなって僕は思う。好きな場所で止まれ、好きなだけ見ていられる。その点で自転車はいいし、この魚沼スカイラインはそのメリットが最大限に生きる場所のひとつだと思う。
そして今日は、とんでもない絶景だ。
◆
正直に話そう。
前回訪れた7年前、僕はこの風景をさほど素晴しいとは感じなかった。
そのころ僕は、日本でも指折りの絶景道路──それは同時に有数の観光道路でもある──を走ることが最高のぜいたくと考えていた。例えば志賀草津道路の渋峠であったり、西伊豆スカイラインから西天城高原道路への連続道であったり、磐梯吾妻スカイラインの浄土平であったり、金精道路の金精峠であったりした。西吾妻スカイバレーの白布峠や、美ヶ原のビーナスラインに強い憧れを抱いているときだった。そういう有名で、誰もが口をそろえて肯定する、最大公約数の絶景ばかり追い求めていた。るるぶやまっぷるに貼った付箋をひとつひとつクリアしていくように出かけていた。そしてその風景を見、ちゅうちょなく(それは自分の感情や判断なしに)絶景だといい放っていた。自分のフィルターをかけることなくツイートしていた。いいも悪いもなかった。
魚沼スカイラインにやってきた僕は、そこから見える
確かにスカイラインの名を冠するだけあって見晴らしはいい。高い木々がないから随所で眼下の風景が見下ろせるうえ、両サイド(東側の魚沼盆地から西側の十日町盆地まで)360度の眺望が広がる類の少ないルートでもある。でもそこから見える風景が「田んぼ」であることに、まるで残念でもあるかのような感情を抱いていた。僕は自分自身を「絶景好き」などと説明していた。その僕がこの風景はたいしたことないな、などと思う。
バカか──。
◆
この黄金の大地はどうだよ。
◆
僕は魚沼スカイラインを走った。稜線はつねに上りか下りで、50メートル前後のそれを何べんも繰り返した。せっかく上ったぶんをすぐに吐き出してしまうし、下ったぶんは上らなきゃならないからいちいちしんどいのだけど、スカイラインたるすご味が上回っていた。その道をどこまで行っても眼下に黄金色の大地がついてきた。右にも左にも、名に恥じない風景が変わることなく追いかけてきた。今、魚沼も十日町も、見事な実りを迎えていた。それは、一枚の面、という眺望。
農作物に美しさやいとおしさや素晴しさを感じるようになったのは、年齢や経験を重ねているせいかもしれない。特に稲や麦が一面を埋め尽くすさまには言葉を飲むようになった。今でももちろん
その風景を求めて魚沼スカイラインにやってきた。今、想像どおりの稲の実りを見ている。いや圧倒され絶句し、震えあがるような体の中の流れを感じたことは、もはや想像を超えていたってことなんだろう。
これが、米だ。米を、見た。
◆
途中何があるわけじゃない魚沼スカイラインなので、めぼしい展望台やポイントでいうなら、八箇峠から六日町展望台、護国観音、十日町展望台、そして上越国際スキー場のゲレンデ内に至るまでの区間は、標高が650メートルから750メートルのあいだくらいでひたすら上り下りを繰り返す。平坦はまったくなくて上っているか下っているか。そして上越国際スキー場から最も南にある魚沼展望台までは上りで、ここで一気に920メートルまで駆け上がる。魚沼スカイライン中でのピークでもある。
この全線、沿線に集落もひとつもないので、当然ながら電気も来ていない。電気だけじゃなく水道も来ていない。魚沼スカイラインの全線、およそ20キロの区間で自販機もないし、水を手に入れることもできない。
今日は猛烈な暑さで日差しも刺すようだった。僕は六日町のコンビニで手に入れた水を、上越国際スキー場ですでに失ってしまった。ふだんならもう少し調整もできただろうに、暑さと痛いほどの日差しでそれもできなかった。今年8月、蔵王エコーラインを上ったときも飲み物が尽きてしまう失敗を演じている。僕は今年、ドリンクで失敗する年なのかもしれない。
蔵王エコーラインのときは友人のアンさんとアンさんのご主人とすれ違ったことで、うれしいことに飲み物を譲ってもらい(ふたりは下りだからもうなくても大丈夫、といった)、本当に救われたのだけど、今回はそうもいかなかった。自販機はなくても水くらいはあるんじゃないかってタカをくくっていたのは出鼻をくじかれた。大きな展望台は駐車場にトイレがあったが、そこに水道はなかった。護国観音には管理棟というか何らかの施設が建っているが、鍵で閉ざされていた。建物の前にはドラム缶がふたつ置いてありその底には蛇口が付けられていた。どうやら雨水を貯めているようだった。必要な水は雨水でまかなう、魚沼スカイラインはそういうところだった。
僕はひたすら我慢で上るよりほかなかった。魚沼展望台まで行けば、そこから先は全線下りであろうことは7年前の記憶に残っていた。
そして魚沼展望台。何とか走り切った。
この魚沼スカイラインに出かけるときは、西伊豆スカイライン・西天城高原道路へ向かうとき同様、飲食のじゅうぶんな用意がいる。途中に食堂もなければ商店もない。自販機ももちろん、水道さえない。
ここまでくれば、の気持は大きかった。
そしてここまでずっと追いかけてきた黄金色の大地の風景もいよいよ最後だ。僕は展望台に出て、石打まで来たここから、白く霞んで見える走り始めの六日町まで、一面の田んぼを眺めた。余すことなく米が実っていた。最後の最後まで、米を堪能させてもらった。
僕は米を食べたくなった。
(後編へ続く)