自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

沼田河岸段丘・望郷ライン(Jun-2019)

 雨が降った。マジか、と思った。雨粒が落ちて、身体に自転車に当たったとき、一時的なものであれと祈ったのだけど、天にやさしさはなかった。ポツリポツリがやがてシトシトとなり、ザァザとなった。ときにヘルメットに当たってばちばちと音を立てた。雨水が、ヘルメットからしたたる、というより流れ落ちるほどになった。服も濡れた。自転車も濡れた。雨だけじゃなく車輪が巻き上げるしぶきを浴びてずぶ濡れだった。今日はもうやまないのかとあきらめた。
 休憩をゆっくりめに取って外に出たときは、だからその青空に驚いた。
 まるで初夏の空と風だった。日差しは強い。気温も上昇傾向だったけど、湿度が低いのかカラッとしていた。濡れていた服は風を受けてみるみる乾いていった。僕はダイナミックな風景が広がる道にいた。坂を上り、その風景はますます広がっていった。朝にはない、すみずみまで澄んだ光景だった。焦点距離のきわめて短い全方位にピントが合った写真のようだった。
「雨が空気中のチリを一気に洗い流したのでしょう」
 どうやらそういうことだった。鮮やか過ぎる光景に、雨は逆に天のやさしさだったのだろうかと思った。

 

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 岐阜のひみよし (id:himiyoshi) さんが埼玉に行くんですと連絡をくれたのはもうずいぶん前だった。さいたまスーパーアリーナでのライブに行くために出かけるのだけど、せっかく行くのだったら自転車を持っていってしまおうか、そして一日早く来て、ライブの前日をまる一日サイクリングに当てようかなと考えを話してくれた。
 さいわい僕も予定がない日だった。それならばいっそ一緒に走りますかというと、話はさらに進展した。もともと土曜日の朝を移動に充て、お昼くらいから軽めのサイクリングをと考えていた計画を、一緒に走るのならとさらに前倒して金曜の夜に移動し、土曜日を朝からまるまる走れるようにします、といった。
 そこまでしてもらって申し訳ないやらと思ったものの、せっかく来た結果が大宮近辺の市街地を半日走るのもなんだし、荒サイ走ったところでふだん木曽川を走っているひみよしさんに目新しさはないんじゃないかって思った。
輪行しませんか?」
 と僕はいった。もちろん全然オッケーです、という。どうせ埼玉までも輪行で行くんですからそのままですし、といった。
 それがかえって僕を悩ませてしまった。関東以外からわざわざ来る人を、関東のどこへ連れていくべきか。
 僕がふだん行くようなところって何もない山のなかだったり海っぺりだったり、いいところには違いない(わたくし判断)のだけど、関東でなきゃならない理由がない。長野だろうが山梨だろうが静岡だろうが伊豆だろうが福島だろうが、同じようなところへ行くのだ。
 街道はどうか。悪くない。でも僕が知る旧街道はきわめて断片的で、甲州街道にせよ日光街道にせよそれをずうっと走り通せるような場所は知らない。風情はいいけど、おのおののいい箇所をつなぐのに幹線道路の大型トラックの脇を走らなくちゃならないのは忍びないし、僕自身も気分が盛り上がらなかった。
 それで決めたのが、「日光」だった。
 ベタすぎる。あまりにも、だ。しかし僕にはこれしか思いつかなかった。ただポンっと出たわけじゃない。悩んで悩んで、日光を挙げた。
 いろは坂を上り中禅寺湖畔をめぐる。ここに、僕もまだ自転車では行ったことのない半月山を加えた。時間を見ながらさらに奥、戦場ヶ原や光徳、湯元まで行くことができれば、奥日光をくまなく満喫できる。
 ひみよしさんはことのほか喜んでくれた。あまりにベタすぎることと、大・観光地、日光の人出がネガティブに働くかと思ったけど、このサイクリングに期待してくれた。これに往復の輪行プランも考えつつ、そこまでできたら期日が近づくまでいったん計画を仕舞い、ねかせた。

 

 期日が近づき、先日ひみよしさんを連れ立ってビワイチを走ったS家夫妻が合流できることになった。それならせっかくだからビワイチメンバーで走りましょうといってくれたが、僕の妻は翌日バスケの所属チームでの試合があり、チーム主催ゲームゆえ前日からの会場設営があったりして参加できない。結果、ひみよしさんとS家夫妻、それから僕の4人で臨むことになった。
 しかし事は上手くいかなかった。週間予報が出る頃になり、毎日チェックするそれは見るたびに予報が変わった。一日雨模様になったり、曇に変わって日の一部に晴れマークが入ったりした。そんな予報を行ったり来たりした。僕はあわてた。そして念のため別の地域に出かける副案を用意した。雨に濡れた身体で輪行もつらいから、車でアプローチできるプランも立てた。車だったらサイクリング後、そのままずぶ濡れで乗りこんだっていい。嬬恋パノラマライン、沼田の望郷ライン、房総の大山千枚田を用意した。さらに日光も戦場ヶ原の三本松園地をベースにした車アプローチのルートも考えた。
 でも、副案のどれもがピンとこない様子だった。加えた日光も、三本松園地ベースの奥日光プランは反応が鈍かった。いろは坂を上らないからだきっと。いろは坂のない奥日光なんて、クリープのないコーヒーみたいなものだ。ブラック派の僕にはそれでもいいけれど、やはり日光といったらいろは坂だ。それが乗用車や大型車や大型バスで混み合い、混沌となった道だとしても。
 前日金曜日、あろうことか関東地方は梅雨入りした。ひみよしさんは観念したように、「自転車を持っていくの、やめます」とまで一度いった。自転車がない状況でいったいなにをしたらいいのか僕は困惑した。僕は天気を恨まず、ひたすらすき間のように晴れる一帯を探した。どうにかならないかと、探した。結局、ひみよしさんはダホンの小径車を持って新幹線に乗った。「何かあるような気がしたんです、持っていかないと絶対後悔するような気がして」そういってダホンを持ってきた。夜、作戦会議という名の予定決め、その段階の天気予報が昼から変わっていない──イコール、確定的な予報になったと考えた──ことから、副案のなかでも天気に恵まれている、沼田を提案した。自転車を中止して温泉でもというムードも断ち切ってみた。もしどうにもならなければ自転車を積んだまま温泉に行ったっていい。よしっ! じゃあ行きましょうなどという周囲の絶対的なハイ・テンションはなかった。なし崩し的なムードの寄せ集めだった。それも仕方がないと思った。沼田なんて日光になど及ばない、他の嬬恋や房総に比べても知名度が低く、インパクトに欠ける場所だとわかっていたから。その地の名に魅力は思い浮かばなかった。

 

 翌朝5時出発。埼玉県内を国道122号から国道17号へと車を走らせる。「こうして走ってみるとわかるとおり、関東平野ってまったく坂がないんです」と僕はいった。「どこまでないのですか?」
「本当に永遠に──(笑)。今日車で走るルートでいうと、渋川までは山は現れません。百キロ以上ですね」
 そして車がかつての子持村(現:渋川市)に入って山道を上るようになると、
「やっと山なんですね」
 といった。「気が狂ってしまうかと思いました」
「そうなんです。じっさい僕のところからではいちばん近くて筑波山か太平山。どちらも70キロ平坦路を走って行かないとなりません。同じ県内でも秩父はさらに距離があります」
「これは広すぎて厳しい。岐阜じゃあり得ない。濃尾平野にはないものです」
 旧子持村から昭和村に入る。利根川河岸段丘から赤城のすそ野をなめるように駆け上がり、片品川に向けて下る。そこでも段丘をいくつか下る。利根川だけじゃなく、片品川にも河岸段丘が形成されている。片品川を渡り、そして沼田市に入った。スマートフォンで、僕の予想が上手く当たったのを確認した。少なくとも見比べていた天気予報サイトすべてで、沼田市の天気は晴れマークか、曇マークを挟む晴れマークに変わっていた。

 

 沼田市はいっぽうで、その特徴的地形、河岸段丘をもってその方面では名を知られている。その雄となれば間違いなくタモリだろう。坂好きのタモリ氏が同等に、あるいはそれ以上に熱愛するのが河岸段丘。高校の教科書で河岸段丘の代表的地形として沼田が挙げられると、それを見たくて仕方がなくなった。そして大学入学で上京するとそうそうに沼田を訪れたほどだそう。自身の番組ブラタモリで沼田と河岸段丘を取り上げると、なるほど両者の知名度はグンと上がったように思う。マスメディア、なかでも国営放送の威力とは恐ろしいと思わせるほど。しかしそれより2年以上前、関東ローカルのタモリ倶楽部という番組で、3Dプリンタを用いて立体地図を作る会社におじゃまし、出演者が好きな場所を選んで作ってもらえるという企画でタモリ氏が選んだのは、他ならない沼田の地形だった。
 沼田は河岸段丘のまちである。

 

 

  望郷ラインは二度目だ。正式には利根沼田望郷ラインといい、群馬県北の広域農道として整備され、それにつけられた愛称だ。しかし道は昭和村の昭和インター近くを起点に、みなかみ町後閑ごかん駅の裏手が終点だ。この道を知ったとき、利根(旧:利根村?)でも沼田でもないじゃん、と思った。
 そのときのルートをベースに大幅にアレンジを加えた。前半は段丘のひとつの平地、交通量の少ないであろう路地のような道を選んだ。後半は望郷ライン。終点の後閑から逆にたどり、河岸段丘を望んだのち下ってきた白沢村(現:沼田市)までを走るルート。天気予報は傘のマークを見せなくなったが、どこの天気予報でも午後になると不安定な大気による急な雨の可能性を注意していた。予報にない雨に傘を用意するよう告げていた。ゆえに昼少し過ぎたころには走り終えられるよう、50キロに満たないルートにした。
 このルートをガーミン上に表示し、出発する。薄雲に覆われた青空が、少しだけのぞいていた。

 

  沼田から金精峠を越えて日光へ向かう国道120号を走ることなく横切り、河岸段丘の一枚の平野部の道に入った。交通量の少なかろう道は、段丘のなかの水田地帯を貫く、気持良い地元みちだった。
「なんですかここ、めちゃめちゃいいじゃないですか」
 道は、ひみよしさんにまったくなじみのない沼田という地を払しょくするだけの、強いインパクトを放っていた。同時に名前だけしかよく知らないS家夫妻の共感も大きく得られた。
 川の流れにならったゆったりとした下り基調は、途方もなく長い歴史を経るなかで形成された段丘平地の上で、見事な平面だった。スキーの言葉でいうなら見事な一枚バーン、だ。ちょっと違うけど……。
 そこの多くはまず水田だった。まだ田植えを終えて間もない水田に見える。稲の背はまだまだ低く、いっぱいの水をためた田んぼが空を映す鏡になっていた。その満たす水が大きな水路を通り、樋で脇水路へと配水されている。水量豊かで澄んだ水が各田んぼに配されていた。流れる水は勢いがあった。僕らが今、自転車で坂を下って自然加速していくように、水も下り台地を適度の速さをもって流れていた。
 水田がまるで区画されたように終ってしまうと今度は畑になった。トラクターが入って今まさに土に空気を入れているところもあれば、準備を終えて真っ平らに整えられた土や、もうずいぶん育ってかなりの長さの草が生えそろっているところもあった。その草がなんの葉なのか僕にはわからなかった。
 リンゴ畑も現れた。背の低いところで水平に枝を張り巡らせている姿は棚のようだった。リンゴ畑に入ってからしばらくは延々とリンゴばかりだった。「長野に来た見たいですわ」そうひみよしさんがいった。
 丘陵がせまり、この丘に上る道を選択したルートにしたがい、坂を上った。そこは段丘平地に広がる田畑を一望する道だった。

 

 丘陵部を上り下りしながら小さな川を小さな橋で越えた。川は発知ほっち川。薄雲のフィルターを通してやわらかくなった日差しが届いて心地いいものだから、みんなして自転車を止めて休息を取った。川が水量豊かに流れていた。

 

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 丘陵部を横切るように走るので、何度か下って上ってを繰り返した。
 そうやって走っているうちに、河岸段丘を望む場所に出た。川の流れは深く切り込まれ、見えない。幾層もの平地に田畑だけじゃなく家々や商業施設や工場が立ち並んでいる。利根川へ出たんだと気付いた。見えない川を挟んだ対岸の段丘に急傾斜の坂の鉄橋が架かっている。国道17号月夜野大橋だ。水上の町は通らずに、猿ヶ京から三国峠を越えて新潟を目指す三国街道だ。大橋梁の下に利根川は見えない。それだけ川が地形をえぐっている。

 

 ここまでずっと路地のような道ばかりを連ねてきたけれど、それも終り。僕らは望郷ラインの起点に立った。いや起点ではない。みなかみ町側のここは望郷ラインの終点である。いっぽうの起点は昭和村にある。とはいえ管理上の起終点であり、道をたどるものからすればどっちでもいい。ここを起点に逆ルートで望郷ラインをたどろうと思う。
 と、ここでちょっと待ったと近くの後閑駅に寄ることにした。望郷ラインの沿道には何もないことが予想できる。それは自販機ひとつすら。休憩を取るため、すぐそばの上越線後閑駅に立ち寄った。

  

 

 後閑駅の駅舎に巣を作ったツバメたちを眺めつつ、空も一緒に見上げていたら、ひどく雲が分厚いことに気付いた。さっきまでの薄雲のヴェールをかけた青空はどこにもなかった。まさかねと思う。
 トイレに行ったり自販機で飲み物を手に入れたりして休息しているあいだも、特に列車が来たりすることのない無人駅はしん、、としていた。建て替えられた無人駅は、SL停車駅だからか大きくしつらえていた。SLが来るときは駅員が入るのか、シャッターに閉ざされた事務所もあるようだった。大きくて、新しい駅舎がなお、静寂に輪をかけて見せた。時刻表には上下線とも各時のひと枠にせいぜいひとつの数字があるだけだった。1時間に一本。まあそんなものか。下り列車に※印がついた列車がある。水上駅で長岡行に接続と注釈があった。これって清水トンネルを越える列車だ。僕は※印を数えてみた。五つあった。すなわち清水トンネルを越える列車は一日五本しかないのだ。そんなものか──。

 

 後閑駅をみんなで出発し、線路端の細い道から小さな踏切を渡った。望郷ラインへのアプローチのため、小さな里道をたどった。いくつかの農家住居の前を、曲がり角を交え、湾曲しながら進む。道は坂を上っていていつのまにか線路と駅を見下ろしていた。そして望郷ラインが近付いてくる。小型車や軽トラやトラクターくらいしか走ることのできないような細い道は、高規格の望郷ラインの道路に小さなトゲ 、、のように刺さってなくなった。
 望郷ラインに合流して、ここからしばらく上り一辺倒になる。最近の道らしく、小さなつづら折はない。大半径のカーブをいくつか繰り返し、斜面を上っていく。そこが山の斜面なのか河岸段丘の段越えなのかよくわからなかった。そこへ雨粒が落ちてきた。
 来たと思った。空の鉛色から見て一度は雨が来るだろうと思った。それでも地域的なものじゃないかと考えていた。それは昨日から絶えず眺めていた天気予報で、沼田市に晴れのマークがついている時間も、隣のみなかみ町には曇マークがついていたからだった。ここは若干の雨があるかもしれない。それでもまた沼田市に戻れば雨は上がるだろうと思った。それにみなかみ町だって曇マークだったのだ。雨は一時的なものに違いないと思った。
 しかしながら雨粒が身体に当たる周期は徐々に早まっていった。ぽつん、ぽつん、だったものがぽつぽつになってきた。上り坂で速度もたいして出やしないなかで、これだけリズミカルに雨粒がぶつかるということは、それなりにしっかり降り始めているのだった。ハンドルバーに付けたガーミンとヘッドライトを水滴が濡らした。一本道だから線だけ見えればいいけれど、雨滴でにじんだ地図は、細かい道や地名を読まなきゃならないところなら読めずに苦労を強いられたかもしれない。
 すでに路面も全面が濡れていた。グレーから真っ黒に染まったアスファルトは、空の分厚い雲と一緒になって暗さを強調した。ひどく暗いなかにいるような気がした。ときどき見下ろせる利根川河岸段丘はすっかり煙ってしまい、ぼやけてよく見えなかった。カーブをひとつふたつこなしていくと、高速道路の関越道が通っていて、望郷ラインはその下をくぐっていた。築堤道路の下をゆくトンネルに入って、ひみよしさんが「少し止まりましょうか」といった。雨宿りじゃないけれど、トンネルのなかでみんなで止まった。
 僕は期待半分、なめてかかったの半分で、ポケットの荷物を退避するバッグも、防水できるようなジプロックもたまたま持って来なかった。しかしポケットのスマートフォンデジタルカメラはすでに少しずつ濡れ始めていた。ひみよしさんが防水のサドルバッグを使っていて、それにまだ余裕があるというので、入れておいてもらうことにした。それから、
「上、着ます?」
 と聞いた。ウィンドブレーカーを着込むほど、気温は低くないように思える。
「この雨をよけたところでねえ。着てもこれから上りでむれて汗でドロドロになっちゃったら考えものでしょう」
 確かに、と僕は答えた。そして一度着かけたウィンドブレーカーをしまった。S家夫妻も寒くないし着ないという。
 雨宿りというつもりもなかったけど、少しようすを見ていた。にしても変化の兆しはない。弱くなりそうな雰囲気すらないので、このまま出ることにした。

 

 坂を上ってまず一本目、長めの三峰山トンネルがある。みなかみ町沼田市との町界で、それを越えれば何とかなるかもしれない。
 雨は、もうしとしととやむことなく降り続いていた。
「あいにくですね。読み違えちゃったみたいです」
 と走りながら僕はひみよしさんにいった。
「いやいや、むしろいいくらいですよ。少しくらい濡れてこの上り涼しくていいです」
 と笑った。「それより、この道の車の来なさはどうなんですか。めちゃめちゃ走りやすいじゃないですか」
「本当ですね。何台も通ってないですよね」
「こんなに立派なのに」
 道は路側帯まできっちりと造られた、均質な高規格道路だった。路面は凹凸も少なく舗装の欠けなどなかった。白い中央線と路側帯が雨に洗われて鮮やかさが増しているように見えた。これだけの道ながらほとんど車が通ることはなかった。遠くからの車の往来に気を配っていれば、道路上をある程度自由に走ることさえできた。
「これはいい道です」とひみよしさんがいった。
 三峰山トンネルが見えてきた。トンネル内でこの坂を上り切る。4人そろってトンネルに突入した。
 トンネルはコンクリート舗装とコンクリートの壁面処理で全体的に白っぽく、坑内を照らすオレンジ色のナトリウム灯などなくても走りやすく思えるほど、中は明るかった。ヘッドライトが照らしている輪郭がはっきりしないほど、明るいトンネルだった。距離は1.6キロもあった。でも明るいうえ車もまったく来ないものだから、何を気にすることもなく走ることができた。むしろ雨を浴びずに済むことが何よりありがたかったし、寒くもなかった。適温、というのはおかしいけど、濡れた服が寒さを覚えることはなかった。後ろを走るS家の御主人が「あ~っ、あ~っ」といって声をトンネルに反響させていた。子供じみてるなと思った。そんなことをしながら長いトンネルを抜けた。
 抜けてから下りにかかったものの、寒くなかった。少し走って凍えるようなら上着を着ようと思っていた。さんざん雨に濡れた服で冷えるんじゃないかと思っていた。でもそれもなかった。雨はやむことがなかった。むしろしっかり降っていた。ザァザとときおり音を立てた。下り坂をできるだけゆっくり走る。ブレーキが、小砂利でも噛んだのか激しい音を立てた。
 一度下りきってまた上り、ふたつ目のトンネルを抜ける。今度は池田トンネル。このトンネルを抜ければ長いトンネルは終わり。さっきと同じようにトンネルに入った。
 しかし明らかに寒い。
 僕の濡れた涼感素材のアンダーが、身体の熱を奪っていくような気がした。トンネルのなかで下りに転じた。でも速度を上げることができなかった。寒くて、風を受けることができなかった。

 

 池田トンネルを抜けて下ると、上発知かみほっちの交差点。ここの赤信号で止まった。
「初めてじゃないですか? 信号」
 とひみよしさんがいう。いわれてみれば確かに。起点のT字路にも途中にも、ここまでいっさい信号がなかった。「信号ないわ、車来ないわ、本当ここいい道ですねぇ」
「いいですよねえ」
 そう返した僕の口は若干震えていた。
 このあと、丘をひとつ越え下ったところで休憩にするつもりだった。寒くて僕はその坂を勢い付けて上った。少しでも身体が温まればと思った。でもそんなことなかった。疲れるばかりで温まらなかった。上っているさいちゅうは寒さのことを忘れたけど、上りきったらやっぱり寒さでいられなかった。僕は自転車から降り、上ってきたひみよしさんに「上着ます、ちょっと待ってください」と声をかけた。
「寒くないですか?」
 と僕がいうと、
「いや、大丈夫ですね」
 という。そして上ってきたS家夫妻に、
「寒くないですか?」
 と聞くと、
「大丈夫」
 とふたり口をそろえていった。結局僕だけがウィンドブレーカーを着た。
「見てくださいよ、すごいですよ」
 とひみよしさんがいう。上着を着るため足を止めた橋の上からの絶景を眺めた。のぞき込むと、橋はかなり高いところを通過しているのがわかった。とはいえ下に川が流れているわけではなく、入り組んだ低地をまたぐ橋だった。そこは周囲を山に囲まれた狭い平地に、水田と畑があり小さな農道が通って、ぽつんと家が建っていた。

 

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 下った角に永井酒造という造り酒屋があって、その酒蔵を移転したさいに、古い蔵を残し改装してカフェにしている。お冷は酒の仕込み水で出され、コーヒーももちろんその水で入れられる。そこでお茶にした。結局店に入って落ち着いても僕はウィンドブレーカーを脱げずにいた。どうやら池田トンネルとそこからの下りで完全に身体を冷やしてしまったらしい。寒くてしかたなかった。ホットコーヒーを少しずつ流し込むくらいしか、できることがなかった。
 ここまで降られるとは正直思わなかった。残念ですというと、ここまで全サイトの予報が外れてるんですから仕方ないですとひみよしさんがいった。晴れてりゃもっといいでしょうけど、車は来ないし信号ないし、道はいいし、なにより景色が素晴らしいし、こんないい道ないですよ、といった。きっと僕の用意した場所とルートに気を使っていってくれるのだろう。どうしたって雨はサイクリングをネガティブにする。
 ゆっくりめにお茶をし、それからお土産のコーナーでお酒を見たりお猪口を見たり、休憩に時間を費やした。
 少し薄暗い蔵のなかにいたから、外に出たときその明るさに適合できないほどだった。雨など降っておらず、空は真っ青だった。まるで何かに化かされたようだった。雨を思い出すには空が澄み過ぎていた。降っていたのだと記憶をつなぐのは、しっかり濡れて水たまりもできた地面だけだった。
 日なたに出てみると暖かい。太陽の力を感じる。まだ空にはたくさんの雲が浮かんでいて、直接日差しが届くわけじゃないのに、それでもここまで日なたが暖かいっていうのは驚く。僕は「これなら行けるかもしれない」とウィンドブレーカーを脱いだ。脱ぎながら、「全然寒くなかったのですか?」と三人に聞くが、「いや、特に」というばかりだった。
「ここから今日いちばん高いところまで上ります」

 

 タモリ倶楽部タモリが作ってもらっていた立体地図のようだった。駐車場の奥に「河岸段丘ビューポイント」と案内があり、盛り土した高台に展望所が用意されていた。驚くほど澄んだ空気と、どこまでも見えそうな遠景は、正面に片品川の河岸段丘が博物館の説明用巨大ジオラマのごとく広がっていた。右手には沼田の市街地が広がり、正面には子持山が山ひだまで見えそうなほどクリアにそびえていた。左手には、朝からすっぽりっ雲に覆われていて、絶対見えることがないだろうなと思っていた赤城山が、黒檜山くろびさんの山頂にちょんと雲を乗せただけで、広大なすそ野全域まではっきり見せていた。
「これは……すごい」
 ひみよしさんがいった。確かにそうだ。以前来たとき、ここに来ているのだけど、記憶がない。ビューポイントという展望所がまだ造られていなかったか、天気や空気がそれほどでもなく眺望が見られなかったか、この絶大なる風景の記憶は僕にはなかった。
「これは本当にすごいですよ。自転車持ってきてよかった」
「雨に降られちゃいましたけどね……」
 できるだけ雨を避けた場所を走ろうと、天気予報とさんざん格闘した僕は、それが残念だった。
「いや、これだけはっきり見える景色ですよ。雨が空気中のチリを一気に洗い流したのでしょう。一日晴れていたらこの風景は見られませんよ。雨が降ってかえってよかったのです」
 そうひみよしさんはいった。それから「これがねえ、写真に撮るとたいしたことないんですよー」といい、カメラを構えて笑った。みんなして何度も何度もシャッターを切った。

 

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(本日のルート)