自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

ビワイチ(May-2019)

 そもそも僕が自ら〇〇イチなどという達成目的のサイクリングを計画するということはまずなく──どこかの島に出かけたり、湖をめぐろうとか、結果的にルートが一周になることはあれど──、したがって琵琶湖を一周したいなどという発想で事が始まるのは、他人ひとの動機によるものだ。
 それが琵琶湖となれば規模が大きい。周囲が240キロにもおよぶ日本最大の湖は、道路で全周するとなれば210キロから220キロくらいになる。そういう距離感だ。

 

 僕の妻はきわめて気分屋な自転車乗りである。いやどちらかというと自転車乗りというほどの範ちゅうではなく、趣味じゃないけど興味がわいたときに乗れるといいなと思っているだけだ。だから年に数回(月に一度乗れば年に12回乗ることになるわけだから、おそらくそれより少ない)乗る程度からの発想でこのビッグ・レイクに挑もうなどといわれると、連れていく僕のほうが負担なわけである。何しろ本人は「湖岸が気持ちよさそう」とか、「日本一を回れば達成感を得られそう」とか、それはもう自転車ムック本のグラビア写真の心地よさの延長で事を語るわけだ。
「一周二百キロを超えるんだ」と僕はいった。彼女が過去に走った最長は百キロで、距離感にかんする意識やものさしは多少なりあると思ったから。
「何とか走れないものか」などという。
 僕は悩んだ。そしてビワイチについての情報を探り始めた。

 

 同時に妻は最近ライド・イベントに一緒に出たりしている女性仲間に「ビワイチに行かないか」と持ち掛けていた。仲間とて、たかポタ(栃木県高根沢町でのライド・イベント)やBIKE TOKYOといった40キロ程度のイベントに出たくらいで、50キロ超を走ったことのない人だっている。もし行くといい出したらいったいどうしたらいいんだと頭を抱える事態になる。やれやれ、と思う。
 結果的に手を挙げたのは、S家夫妻だった。仲間のうちのひとりであり、ご主人も自転車に乗る。唯一百キロ以上の経験がある人で、妻と一緒に、いわばこのふたりで女子仲間を煽動しているようである。

 

 琵琶湖には南寄りに、湖を横断し堅田と守山を結ぶ橋がある。これを境に北湖、南湖という分けかたがあり、北湖だけを回るなら150~160キロであることがわかった。
 これだな、と思う。
 僕はそれでも不安を抱きつつ、見どころを交えながらルートを引いた。最終的には160キロを超えた。
「どうしても160キロにはなってしまう」と、僕はあきらめ半分で伝えた。
 そして10日間にもおよぶ大型連休を迎えた。

 

 気候もよくなってきたし、乗り慣れていないのだから少しサイクリングでもしようと、妻を連れ、静岡県大井川鉄道沿いにサイクリングに出かけることにした。まず新金谷駅を訪れ、国道473号、国道362号を主に、千頭へ。さらにその先、坂を上ることができたら寸又峡温泉まで走ろうとルートを作った。帰りは千頭駅から大井川鉄道輪行して新金谷駅に戻ってくる、そんなプランだった。
 しかし結果的に寸又峡温泉まで行くことはなかった。大井川鉄道の列車時刻が14時半過ぎでそれを逃すと1時間半以上ないことがわかってたから、これに乗ることを前提にしていた。緩やかな上り基調であったことも加わり、ひどくバテて千頭駅に着いたのが12時半。寸又峡への20キロ近いさらなる上りは断念した。
 これが距離にして50キロにも満たなかった。僕の不安はかえって増してしまった。それよりも妻は、寸又峡までいけないことをひどく残念がった。行ってみたかったのだそうだ。
 同じ日、S家妻が「カスイチ(霞ヶ浦一周)完走しました」と、125と示したスピードメーターの写真と一緒に妻に連絡してきた。そんな状況だった。
「まあどうにかなるんじゃね?」そう妻はいった。50キロに満たないサイクリングを終え、僕はそれをどう判断すればよいのだろう。

 

 

 4月30日夜9時、町内のS家におもむき、夫妻の自転車や荷物を積む。予報は5月1日の午前中が雨、それ以降徐々に回復となっている。もともとは1日が好天で2日が下り坂だった。それを確認してから宿を押さえたものの、それでもようやく取れた宿泊だった。昨年は3日前に確定的な天気を見てからホテルを押さえた大型連休だったけれど、誰もが10連休となると話は違ってしまった。琵琶湖という地もあったかもしれない。観光色が強いのだ。
 そして宿泊先を予約し終えてから週間予報は次第に変わってゆき、1日が雨、2日以降が晴となった。天気に合わせたくても、宿の変更など思うべくもなかった。取った宿泊のとおり、僕らは出かけるしかなかった。
 高速道路を圏央道、東名と乗り継ぎ走るうち、日付が変わった。僕は、
「1日目と2日目の予定を入れ替えましょう」
 と伝えた。予定とは、160キロで組んだ琵琶湖大橋より北、北湖を一周する160キロのコースを1日目、2日目の半日を使って琵琶湖大橋から南の南湖を50キロで組んだコースとした計画だった。「2日目、宿の朝食を食べたあと出たのでは一周できないかもしれないから、適当なところで輪行しましょう。一周はできないけど……。もしこのあと雨が早く去るようなら、予定を元に戻しましょう」そう、付け加えた。
 しかしながら運転交代と仮眠と休憩を繰り返しつつ彦根インターチェンジを下りた午前4時、時間別天気では傘のマークがさらに15時まで割り込んできていた。

 

 結局、一日目は自転車に乗らずに終わった。予報は見事に、1時間レベルで的中して、午後3時を過ぎるまで雨だった。自転車を車に積んだまま、妻がかねてから行きたいといっていた近江神宮へ行った。それから三井寺の力餅を食べた。S家夫が京都の友人にずっといわれ続けたという日向神社へ行くことにした。行くなら電車で行きましょうといい、浜大津から京阪京津線に乗って、京都の蹴上まで行った。まさか今回の旅で京都に足を踏み入れるとは思ってもいなかった。滋賀を抜けるとはなんだか主旨を外した気分だった。また電車で浜大津に戻り、遅くなったお昼を近江ちゃんぽんにした。あとはうばがもちを買いに行ったりバウムクーヘンを買いに行ったり、おみやげを先に見つくろったりしながら一日目を終えた。おみやげめぐりの後半でようやく、雨は上がった。

 

 

米原市内の入江橋交差点で待ち合わせしましょう。湖岸沿いの県道の交差点です」
 ひみよし (id:himiyoshi) さんからそう連絡が入った。岐阜の自転車仲間でフォロワーのひみよしさんには、ビワイチに来ることがあればぜひ連絡くださいと声をかけられていた。もともと5月1日に北湖一周し、翌2日は南湖をめぐると伝えてはあった。ひみよしさんは5月1日まで出かけているから、2日に一緒に走りませんか、と声をかけてくれていた。
 その5月1日、雨の予報を受けて予定を入れ替えたことを連絡した。2日は北湖一周を目指しますと。すると、それに付き合ってくれるといった。

 

 5月1日の夜、妻に、
「一周したい? 160キロ走りたいかい?」
 と聞いた。
「したい」
 と答えた。S家夫妻も同意してくれた。5時にここを出る必要がある、といった。車を移動して、5時半には走り始められるよう、準備しなくちゃいけないといった。それでいい、と答えた。
 宿は僕らがビワイチを目指していることを理解してくれており、天気で予定を入れ替えたことを知ると、朝食キャンセルして早く出ますか? と提案してくれていた。その言葉に甘え、そして5時に出ることを告げた。チェックアウトが不要なようにしてもらい、僕らは早めに床についた。

 

 きちんと起床し、宿を5時に出ることはできたのに、自転車の準備にもたついて、スタートは5時半を回ってしまった。
米原の入江橋交差点、7時で待ち合わせ」と僕はいった。「でも無理だなあ」
「どのくらい距離があるの?」とS家妻。
「27キロ。1時間半以上かかるでしょう」と僕は答えた。
 そして無理だなあともう一度つぶやき、ひみよしさんに遅れそうだと連絡を入れた。
 出発して間もなく、太陽が顔を出した。理屈からいって東の空だろう。土地勘のまったくない場所ゆえ、東西南北方角さえはっきりしなかった。正面からまぶしい太陽が昇り始めた。とすると今は東を向いているということなんだろう。

 

 僕はビワイチ、というよりは滋賀県にやってきて期待しているものがあった。『飛び出し坊や』と称される、道端に掲げられた人形(いや看板の扱いなのか……)だ。もともと滋賀県が発祥で、その元祖ともいえる久田工芸製を見ることを楽しみにしていた。
 湖岸をトレースするように作ったルートは、県道25号を離れ、湖岸の路地道に入った。すると家々の垣根から、あるいは小さな路地の交差点から、この飛び出し坊やがこれでもかってほど現れた。一体ではなく、目に見える範囲ですでに何体も目に入る。久田工芸製を目にすることよりも、この路地に何体も連なって見える飛び出し坊や、これを楽しみにしていた。そして今目の当たりにしている。これが滋賀県だ。これが飛び出し坊やの発祥地だ。

 

 実に楽しい滑り出しだ。
 早く行く必要はあれど、彦根ではまちなかを回っておきたかった。朝が早すぎてひこにゃんに会うことはできないだろうけど、でも彦根城天守閣ぐらい目にしておきたい。市街地、堀端の道を走った。しかしながら天守閣を目にすることがなかなかできない。結局、見られたのは数回、遠くに小さく見えるばかりだった。

 

 

 米原市に入った。入江橋交差点、7時20分。ひみよしさんも遅れるとの返信をもらっていた。その1分後、ひみよしさんの姿を認めた。ほぼピタリ、見事なほど。僕は再会を喜びそして妻とS家夫妻を紹介した。
「どんな感じですか?」
 とひみよしさんはいった。これまで百キロしか走ったことのない妻を踏まえ、輪行エスケープする可能性を事前に告げてあった。
「なんか一周する気満々みたいで」
 と僕は苦笑いしながらいった。「もちろん輪行できるようにはしていますが」
 その一周する気満々の、妻とS家妻をまず先頭で走らせてみることにした。
「速いですね」とひみよしさんはいった。僕とひみよしさんは後方に引き、様子を見ていた。
「本当ですね。ここに来るまでよりもペースが速い」
「大丈夫ですか?」
「いや大丈夫じゃないです。一周持たないです。本人たちおそらく気づいていないだけで」
「ペースコントロールしましょう。ブレーキ気味で」
 そういってひみよしさんは先頭に出てくれた。僕は最後尾で固めた。ここから先、ひみよしさんを先頭とした隊列で、長い旅路を進めた。
 長浜のまちを抜け、木之本へ向かっていた。
 さざなみ街道こと県道331号から44号につなぎ、湖岸を離れる片山トンネルをくぐると、ひみよしさんは県道を離れ、田畑のなかを行く道を選んだ。さつきの晴れた空のもと、真っ青に一面を埋め尽くした麦のあいだを走るルートだった。少しだけ強めの風が実り始めた穂を揺らす。畑を区画するためにあるような一直線の道を僕らは走った。
 水田にはいよいよ水が入り始めている。五月の、いちばんいい風景だと思う。
 木之本で、立ち寄りとしてつるやパンを目指した。最近じゃ関東でもテレビに取り上げられることがあるこの店で、サラダパンと黒のサンドイッチをぜひ食べてほしいという。
 9時開店と聞いていたから、ちょうどよかった。しかし店は開店して間もない状況ながら、すでに店内には人が行列を作っていた。その8割以上が自転車乗りだった。店のまわりには僕が見たこともないような自転車が、そこかしこに止められている。
「こんなにはやってるんですか? 自転車」と僕は小声でいってみた。
「さすがにちょっと極端ですねえ」とひみよしさんはいう。「こんなことはまれなんじゃないかと思います」
 サラダパンは9時半に焼き上がります、とボードに記されている。
 ずいぶん時間がある。妻が、そこまで待って食べなくても、などという。まあまあといなし、ようすをうかがっていると、店員が行列に沿って声を掛けながら回り始めた。
「サラダパンはあと5分で焼き上がります」

 

 賤ケ岳旧道を上り、トンネルを越えると北からの琵琶湖を一望した。さつきの晴れ空は霞がかっているけれど、絶景だった。写真を撮ったり眺めたりする。しかしそんなことをしていると、まるで順番待ちをするかのように自転車乗りのグループが後ろに列をなした。
 僕はどうもつるやパンあたりから違和感を覚えていた。
 下って道の駅で休憩をはさむ。妻がソフトクリームを買ってくるからと、自転車を僕に託した。
 何基かあるバイクラックは僕らの自転車を止めるといっぱいになった。それ以外にも自転車がそこかしこに立てかけてある。
 自転車が多い──。

 

 

 メタセコイア並木に向かうため、ブルーアローでロードペイントされているビワイチルートを外れ、マキノ高原へ向かった。その道は、僕が引いた県道ルートではなくひみよしさんが「絶対こっちのほうがいい」という田畑と川沿いの小道で行く。バイコロジー自転車道整備事業と書いてある。
 車も来ないし、ここまでさんざんいた自転車もいない。周囲を山に囲まれたここは、近江八幡から彦根米原、長浜、木之本と走ってきた風景とはまったく違っていた。狭い平地を最大限に生かして、田畑を耕す。田植え機がフル稼働で稲を植え、トラクターが何往復もして土を耕していた。川は、小さい流れながら、澄んだ水が織りをなすように流れていた。角を何度も曲がり、橋を渡る。そのいちいちが楽しい道だった。
 そして目の前にメタセコイアの並木が現れた。

 

 マキノピックランドに立ち寄って、妻がジェラートを食べるという。
 行ってみると駐車場は車とオートバイと自転車とでいっぱいだった。人が縦横歩き回っていた。メタセコイア人気もあって、ものすごい人出だ。外にいようが店内にいようが、迷子になりそうだ。
 店内に入り、しばらく時間をおいて、コーンにふたつ、山のできあがったジェラートを持ってきた。大混雑の店内はアイスひとつ買うにも時間がかかる。さっきの道の駅しかり。ここではさらに倍以上の時間を要した。

 

 

 近江今津でうなぎを食べお昼休憩を取った。途中で切れてしまったガーミンの電池を入れ替え、午後の部をスタートする。高い日差しがまるで夏のようだ。

「今津から輪行しちゃうっていうのは手ですよ。マキノで折り返して奥琵琶湖パークウェイを走って戻るっていうルートもありで」
 事前に話を聞いていたひみよしさんは、そういっていた。奥琵琶湖からマキノが見どころで、それ以外は大したこともない。特に西側はよくない、そういっていた。
 とはいえ今回の主旨は、妻がビワイチをしたいというものだ。S家夫妻もそれに乗ってきた。僕はそもそも一周することに関心はないけれど、それに付き合って完遂するよう努めなくちゃならない。そのためにルートも引いたし見どころも選んできた。
 しかし午後の部は、特に僕自身がひみよしさんの言葉を実感することになった。

 

 湖岸の道路はひどい渋滞だった。びっちり詰まった車列はときどき動き始めてはのろのろと進み、こんなものかという距離でまた止まった。それを繰り返していた。鉄の箱の車から、それを通して車内の満ちたいら立ちが肌に感じられるほどだった。僕はまったく意味のない幅寄せを受け、通してもらえずに先をゆく面々と離れてしまったりした。
 でも僕がいちばん苦痛だったのは車の渋滞よりも自転車の数だった。

 

 昨今の自転車ブームでレースやブルベだけじゃなく、ライドイベントも大盛況である。それらを見ては軽めのものに出てみたいという妻が、僕に出ようと誘うのだけど、僕は毎度々々断っている。
 僕は大勢のなかで走ることが嫌いなのだ。
 完走を目標としてひみよしさんが先頭でコントロールしてくれているペースは、他のグループには遅いペースである。渋滞の車と並んで走ることや信号待ちで何度も止められるごとにペースはさらに落ちる。少したてば後方にグループがぴったりついてくる。
 僕らがそういうペースなものだから、後ろでストレスを感じているのがバーエンドのミラー越しにも伝わってくるようで、それがずっと苦痛だった。車の流れに合わせてその車間に乗り僕らを追い越していく集団、それが過ぎてもまたほどなくして後ろにグループがついた。ただでさえ大勢で走ることが好きじゃないのに、僕にとってはストレスになった。
 つるやパンで多いなと思っていた自転車は、賤ケ岳、マキノとその数を増し、この琵琶湖西岸の南下ルートで最大数になっているようだった。きっとふだんからここを走り慣れているグループであろう、そろいの派手なジャージに身を包んだ身体のできあがった集団は、舌打ちを残して僕を追い越していった。それが渋滞の車列に対するものなのか、ゆっくりめのかたまりの最後尾にいる僕に対するものなのかはわからなかった。すでに次のグループが、僕のミラーには映っていた。

 

 長い長い、午後の40キロだった。

 

 

「もう終わりですね。ビワイチ完走ですね」
 琵琶湖大橋を望む道の駅でひみよしさんはそういった。
 しかしながら僕は、まだ30キロあるからと妻に小声でいった。300キロ以上走ったり、キャノンボールをやったりするひみよしさんと年に数回の自転車乗りの妻とでは、残り30キロの重みがまったく違うのはわかっていた。
 琵琶湖大橋の中央で多くの自転車が立ち止まって写真を撮っている。記念写真を撮り合ったりもしている。S家夫妻とひみよしさんも周りの自転車に交じって写真を撮っている。僕はこの時間を借りて妻の疲労とようすを確認しておく。そして方角が変わり風が向かい風になることを告げる。S家夫妻は自転車を持ち上げ、琵琶湖に臨んでいた。
 橋を渡り切ると、北に方角を変える。
 日が傾き、風が少し冷たくなった気がした。

 

 ひみよしさんが引き、S家夫妻が続く。妻はそれについていかず、徐々に距離を開ける。やがて三人の姿が遠くなり、はっきりは見えなくなる。妻が風よけになってよという。時速20キロを切る速度で風よけもないだろうけど、僕は前に出た。つねにミラーでようすを確認しつつ、あいだがあかないようにした。ひみよしさんを先頭とした三人が、ところどころで立ち止まって待っていてくれる。それからまたそろってスタート。そしてまた離れ始める。それを繰り返した。時間も、12時間を超えた。

 

 長命寺を過ぎ、車通りのほとんどない狭路、県道25号がファイナル・ロード。木々のすき間から琵琶湖を望み、対岸の山にまさに一日の日が沈もうとしていた。スタートした休暇村、そこまで「3キロ」の看板が、道端にあった。

 

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(本日のマップ)