南会津から天栄村、白河へ(Jun-2019)
南会津は遠い。会津田島の駅に降り立ち、自転車を組んでもう10時だ。むしろ東北新幹線を郡山で降り、磐越西線で向かう会津若松のほうが時間距離でいうと近い。そもそも野岩鉄道が開通し、鉄道路線が首都圏と直結したのが1986年、いっぽう道路のほうは、尾頭トンネルによって栃木県内の上三依と塩原を結ぶ国道400号がつながったのが1988年、甲子トンネルで下郷と白河がつながったのは2008年のこと。いずれにしたって会津の長い歴史からすればじつに最近のことで、首都圏直結交通はか細く(林道なみの会津西街道の国道121号のみだった)、むしろ会津若松に出て、そこから郡山や新潟をへて首都圏とつながることが主流だったと聞くこの地に、そうそう容易に行けるなどと思わないほうが良いのだ。
結局、出発は10時を少し回った。こまごまとした準備を含めて15分じゃ済まなかった。時計をちらっと見て駅を発った。
南会津は高い建物がない。中心地の会津田島は、駅からすぐのところを国道が通っていることもあって、まとまって町が形成されている。それでも高い建物がない。おかげでやけに空が広く感じる。会津だ。会津へ来たんだなと思う。田島でこうなのだから南会津はみんなそうなのだ。この雰囲気が、駅前の最初の信号を曲がったときすでに、身体に入り込んでくる。いい風景だ。気分がいい。
青空のもと、すでに暑いような気もするし、しかしながら風は涼しくも感じる。空には綿あめをちぎったような小さな雲が無数に浮かんでいた。
いい滑り出しだ。
今日は隣の下郷町・湯野上温泉まで会津西街道に沿って進み、そこから進路を東に取り奥羽山脈を越える。羽鳥湖をかすめて中通りへ下る。白河を目指すが、羽鳥湖から一般的に使われる県道37号ではなく、地図で見つけた県道58号・矢吹天栄線を走ってみることにした。走る場所、線形、あきらかに秘境と見えるマイナー県道に惹かれた。
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会津西街道は、やがて新潟の海へそそぐ阿賀川に沿うように、密接に寄り添っている。国道121号、会津鉄道、あるいは旧道の県道が、川の両岸から離れることなく会津若松へと向かっている。江戸の時代の街道がここではなく山あいを経由していたことから、明治以降鉄道も道路も阿賀川沿いに移って発展し、それとともに取り残された山あいのかつての宿場集落が変化なきまま現代まで残った。偶然なる文化遺産で、今や一大観光地となった大内宿は、そんなわけで現在の会津西街道からは離れた場所にある。
そんな大内宿は特別として、ここでの交通や人びとの営みは阿賀川に沿った流域に集まっている。
僕が走る南会津から会津若松へ向かう方向は、阿賀川の流れに沿って下り基調になる。とはいえ河岸段丘が形成されている場所もあり、あるいは左右から山がせまる箇所もあり、たびたび上り返しもある。地形の変化に合わせて阿賀川は蛇行し、会津鉄道は鉄橋で何べんか川を行き来する。対岸の国道121号はロックシェッドやトンネルで地形をえぐりながら進み、僕がゆく県道347号は地形に合わせて屈曲と上り下りを繰り返す。奇渓谷として知られる塔のへつりも、この複雑な地形のほんの一部。
一帯は、平原を上手く活用して稲作が盛んだ。気候的にも新潟の上越に近いからか──スキーをやっていたころ、このあたりのスキー場に来るときは新潟の天気予報を参考にしていた──、水田が広がり、大半はコシヒカリを作っているのだと聞いたことがある。
平原とはいっても道が下りつつ、ときどき上り返しを繰り返すものだから、ゆるやかな棚田状になっている。何区画かのまとまった水田を過ぎると一段下がってまた水田。いくつかの農家が集まって小集落を作り、まわりは田畑が広がっている。緑の平面的な風景の上を、青い空が広すぎるほどに覆っていた。
ときどき会津鉄道の線路がすぐそばまで寄り添ってくる。非電化の路線ゆえ架線柱がないから、気付いたら線路がそこにあったりする。線路を横切る踏切があると、意外にも警報機や遮断機が設置されていて、小湊鉄道やいすみ鉄道で見かけるクロスマークだけの踏切(第四種踏切)は少ない。ここへ列車がやってこないかなあと期待するものの、本数のきわめて少ないローカル線で、調べもなしに列車と出合えることなどあるはずもなかった。
下郷の町に入り、塔のへつりの駅の前などを通って湯野上温泉にやってきた。
湯野上温泉は全体的に小ぢんまりした温泉街で、会津鉄道の湯野上温泉駅と国道121号が阿賀川左岸にあることもあり、対岸にまとまって旅館や民宿が並んでいるのがわかる。しかしながらこちら(右岸)にも何軒かの旅館・民宿があり、喧騒を離れた落ち着きをもって営まれているようだった。華やかさはないけれど、土曜日の午前中にして何台かの車が止められているのを見て、静穏を求めるとここに落ち着くのかもしれないなどと思った。やがて県道347号は国道118号につきあたり、終点となった。ここは県道の路線名にもなっている、
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ここから国道118号に進路を取り、会津西街道、阿賀川、会津鉄道から離れて行く。やがて会津地方を離れ、低いながら奥羽山脈を越えて中通りへと向かう。
国道118号は茨城県の水戸から会津若松へ向かう国道で、その大半がJR水郡線に沿っているため、同線や久慈川の印象が強い。須賀川と下郷を結ぶ奥羽山脈越えが同じ道だったのかとあらためて気付くほど。さらに下郷から会津若松までは会津西街道・国道121号と重複区間なので印象も薄い。
でも僕はこの奥羽山脈越えの国道118号をよく知っているし、好きだ。そしてもし「坂がとても苦手だけど、雰囲気のいい山岳路を一度自転車で楽しんでみたい、楽しめるかどうかわからないけど」と思っている方なら、ここをお勧めしたい。ここ国道118号を下郷から須賀川に向けて走る
僕はこの国道118号の緑のなかを上っていった。並行して鶴沼川が流れ、ここもまた山がせまりくるまでの平地をできるだけ生かして田畑にしている。国道ながら大幹線道路というよりは生活道路で道幅も狭く規格も高くない。そして集落のなかを通過する。集落は雪国の赤や黒のトタン屋根だ。新潟県で見かけるような高床式の住宅もまれに見かける。豪雪地帯の会津を絵に描いた土地だ。
もちろん今は雪もなく、田植えを終えた水田の稲が、まだ低いその背丈を風に揺らしている。水がしっかり張られた田は鏡のように遠くの山を映していた。
山と水田と畑の緑を存分に楽しみながら、透明という概念にどこまで近いだろうと思う鶴沼川の流れを楽しみながら、スノーシェッドに覆われた豪雪地帯独特の道路形状を楽しみながら、最初の蝉峠に近づいた。峠といっても蝉トンネルで越えるだけだ。トンネルに直接つながる、大きな半円状のスノーシェッドがこちらに向かっていた。
僕は蝉トンネルには入らず、鶴沼川に沿った旧道をたどってみた。道は細く、崖がせまるここでは車同士すれ違いも困難だった。かといって道幅を広げられるだけの地盤もなく、現代技術は国道をトンネルへと導いたのだろう。周囲が少しずつ藪化し始めている旧道は、それでより一層道幅を狭く感じさせた。
数百メートル進んだところで道はふさがれていた。単管で組まれた強固なバリケードは周囲や路肩にもスペースを持たせてはいなかった。今日は散策目的ではないから突破する判断はなしに、立ち止まって飲み物をひと口飲んでから、早々に引き返した。そして全長1キロ弱の蝉トンネルへ入った。
蝉トンネルを抜けるとほどなくして天栄村に入る。天栄村は岩瀬郡に属し、したがって中通りになる。道はまだ上り坂の途中にあり、そんな区界を越えた印象もないのだけど、まあそういうことである。
天栄村に入って最初の集落が、岩瀬湯本温泉。山あいに残る古き温泉はひなびている。名前さえあまり知られていない。国道から離れた温泉路地に、小さな共同浴場と温泉宿が二軒。
この温泉路地を、かつて漫画家つげ義春が描いた。勢い引き込まれる強烈な奥深さを持つ絵は、ただの温泉路地なのに、忘れていた過去の嬉しいことや哀しいことをごちゃ混ぜに思い出させ、記憶を早送り再生させるようだった。今じゃ描かれた茅葺き屋根は多くがトタン屋根に変わっているけれど、路地の
つげ作品の情景を残す温泉となれば、そこは昭和がそのまま残っているといっていい。僕は国道から右に折れ、温泉路地へ進んだ。
懐かしき、そして愛すべき路地と、風景がそこにはあった。
僕は、自分のルート・ディレクションが毎回いけないだけなのだが、いつだってここを通過するのがお昼前後だ。行程も途中で、先もあることから、ここで入浴する機会を得られていない。一度ここで夕刻になるようにルートを設定し、温泉につかり、着替え、ペダルを漕がずに会津側に下って湯野上温泉から輪行するようなルートを作ってみたいと思った。
二軒の温泉宿、分家も湯口屋も茅葺き屋根を残し、他の一般住宅も雪用のトタン屋根を載せ、まだまだ会津同様、雪国の情景である。ここで中通りといってしまうのにいささかの違和感を覚えるのは、こういった風景があるからだと思う。
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湯本集落は、細く長く続く集落で、学校や村の施設、神社や人家が点在するように連なり、国道118号に沿って途切れずに続く。次の田良尾という集落まで一帯で連なっているようにも見える。小さくまとまるようにある山村集落が多いなか、ここはちょっとした街道といってもいいほどだ。道は相変わらずの上り基調ながら、勾配があらわれ、頑張って上ってやがて疲れてくるころに平坦になり休ませてくれるという、優しさ構成のまま羽鳥湖に向かっていった。
もう少しで羽鳥湖というあたりで、左に「
のちに知るが、フォロワーのぽん太りん (@ponchancha1017)さんが同日のほぼ近い時刻にここを走っていた。ルートもいくつかクロスし、オーバーラップしていた。そして彼はまさにこの県道235号に入っていった。
──やっぱり。ええ道や。いつか行かなくちゃ。
僕は左に分かれて行く道を見送った。湖南──つまり猪苗代湖へと向かう道である。
右手にまるで土手のように見えてくるのが羽鳥ダムである。じつに土を積み上げて造ったダムなものだから土手に見えるというか土手そのものだ。鶴沼川の川面に近いところからこのダムの築堤上への坂を上る。上り切るとこのダムによってできた羽鳥湖である。羽鳥湖は湖面を揺らすことなくそこにあった。静かだった。いやに静かなので、むしろ殺風景といってよかった。誰ひとり観光客がいなかった。ルアーをロングスローで投げ込んでいる人もいなかった。立ち止まっているのは僕ひとりで、ときおり通る車も国道118号をそのまま通過し、曲がって県道37号を行く車も止まることがなかった。誰ひとりこのダム湖には興味を示さないようだった。
一大リゾートエリアとして名を馳せる羽鳥湖ながら、それらはみな湖頭に集まっている。別荘地も、ゴルフ場も、スキー場も、ペンションビレッジも、道の駅だってすべて湖頭側にある。本来羽鳥湖を語るならそちらなのだ。ここ湖尻側には殺風景なアースダムがあるだけだ。出発したときのきれいな青空が消え、いつのまにか分厚い雲に覆われたグレーの空が、殺風景さをさらに助長していた。
しばらく道は羽鳥湖畔を行く。特に目を引くものはない。ただひたすら穏やかな湖面があるだけだ。そして羽鳥トンネルに入り、抜けると鳳坂峠へ向かう上り坂にかかった。上りはじめた緩やかめのつづら折りの途中で右に分岐する道路があらわれる。
いよいよ県道58号・矢吹天栄線である。
国道と県道の分岐なので「┣」状に書かれた青看はあらわれるが、わかりにくい。上り坂を行く自転車でスピードなどないに等しいから、その分岐を道路にマッチングする時間はたっぷりあるけれど、車だったら判断にまごつきそうだ。カーブの出口につけられたT字路は突然あらわれた。
鳳坂峠へ向かう国道118号から分かれて県道58号に入り、メルヘン街道という名の羽鳥湖畔をゆく道との分岐点で、県道58号通行止めの案内看板を目にした。一瞬まずったかと思ったが、そこには平日通行止めと書かれていた。僕は「平日だけか、よかった」と胸をなでおろした。土曜日である今日が平日にあたるのかどうか、そんなことまで考えもおよばず、勝手に休日と解釈した。道路に通行止めのバリケードや閉ざされたゲートはない。そのまま県道58号を進んだ。
数百メートルも進むと、道はあっというまに深い森に包まれた。
ガードレールはしばらくあったが、ある程度行くとあったりなかったりした。道は細くセンターラインは初めからなかった。1.5車線程度の幅で上り坂にかかった。少しばかり急な上りで、小さなヘアピンカーブをふたつばかり越えると、ガードレールのない道路から真下に上って来た道が見えた。見えはするものの、それはいま自身で上ってきたからであって、深い森の木々と草に覆われて道路は隠れてしまうほどだった。
県道というより山を切り開いた林道のような雰囲気で、入りこんだ森は驚くほど深かった。吸い込まれてしまいそうな樹海といってもよかった。そして何種類かの鳴き声が絶え間なく続いていた。ひとつは蝉であろうと思った。じぃーーーーーとずっと鳴り続けた。ただ、蝉だという確信もなかった。ひどく声が低いのだ。じっさい虫の鳴き声って鳴いているわけじゃなくなにか物理的な行為でその音を出しているわけだけど、これは違うようにも思えた。どこかの洞を反響させているようだった。つまりのどがあって、そこで共鳴し声として発しているように感じる低い鳴き声なのだ。姿を見ればわかるだろうか。蝉でも鳥でも、何かしら実体がわかれば何がどんなふうに鳴いているのかわかるように。しかし僕の目には何ひとつ映らなかった。鳥の姿も虫の形も目にとどめられなかった。僕は360度全域から鳴り響く何らかの鳴き声のなかを走った。ひとりでうすら怖くもあるけれど、なんだかそれも楽しかった。
峠には何もなかった。名前もついていなければ目印もなかった。ただ上って来た道が下りに転じているだけだった。少し先に白河市の市章があるだけだった。反対側には天栄村の村章があった。道が上りから下りに変わっただけで、深い森のなかにいることは変わらなかった。
どのくらい森のなかにいたんだろう。
時間の感覚を失ったような気がした。
いつか、どこかのタイミングで森を抜けた。そこから道は広くなり、やがてセンターラインもあらわれるほどになった。
森は人間が持っているいろいろな感覚を狂わせる。時間感覚、平衡感覚、方位感覚。自転車が勝手に加速していくことで下り坂だと認識するけれど、もしそれがなかったら下りなのか上りなのかさえあやふやだった。道がつづら折じゃなかったとしても、自分がどちらを向いているのか見当もつかなかった。手もとのガーミンで、地図をノース・アップ表示しているから南東に向かっているのだろうとわかったけど、それがなければ何も拠りどころがなかった。そんな道をどれだけ走ったかわからないまま、空が開けた。森を走るあいだ、一台の車ともすれ違わなかった。もちろん、ひとりの人とも出会わなかった。時間感覚を取り戻すため、時計を見た。
隈戸川と、それに沿ってやがて広くなる平地に田畑が見られるようになった。家があらわれ、集落が見られるようになった。田畑も多くはやはり水田だった。会津で見た光景と変わらなかった。しかしながら風景が違った。家々のせいだろうか。僕は会津から中通りに抜けたのだと感じた。
道はずいぶん広くなった。鮮やかなコントラストの白線が中央に引かれ、そしてまっすぐに田畑のなかを貫いていた。美しすぎるほどの直線道路がこれも県道58号だった。どこまでも続くようにさえ思えた。ついさっきまでの深い森を忘れさせるほどだった。
僕は
今は白河市の市道だろうか、路肩の反射板が入ったポールにはかつての「大信村」の表記が残っていた。村道だったということだ。今日は国道294号を走らないルートにしようと思ったこと、西郷村までショートカットで上手いこと行こうと思ったことから、市道をいくつかつないでは乗り換えていった。なかには林道まがいの道もあった。舗装はされているが、杉の森林地帯を走るつづら折には杉の落ち葉が大量に落ちていた。軽トラックの幅程度、杉の落ち葉がはらわれて、ダブルトラックのようになっていた。せいぜいそのくらいしか車が通らないんだろう。
一度分厚い雲に覆われた空は晴れることがなかった。羽鳥湖あたりから続く薄暗い空は変わりもしなかった。
それなのに、変に明るさを感じていた。
中通りの雰囲気なんじゃないかと、僕は思っていた。
けっして会津が暗くて中通りが明るいといい切るわけじゃない。ただ明確な空気感の違いがある。それによるものだと思った。
行政上は天栄村からすでに中通りである。でも僕の感じた区分けは違っていた。通過した県道58号の深い森が、分け隔てていた。週のうち5日は誰も通ることができないあの森によって、明らかに分界されていた。奥羽山脈の南のはずれに位置する峠もあった。名前もなく区切りもない、ただの森のなかにある上りと下りの境目だった。それを過ぎ、一気に森を下って──それこそ後ろを振り返ることなく──、抜け出た場所は違う空気を持っていた。
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いい道だった。県道58号・矢吹天栄線。
たとえばこの分界越えを、国道118号鳳坂峠で越えたなら、同じように空気感の差を感じられただろうか。あるいは羽鳥湖畔をめぐり、羽鳥湖高原のリゾートエリアから県道37号で下って来たら、差を捉えられただろうか。
──わからないな。けれど今日この県道58号にターゲットを絞ってやってきてよかった。久しぶりに気持のいい道を走った。そう実感した。
僕はつないできた市道でいくつかの小高い丘を越え、最後に100メートルばかりの丘を上りつめて西郷村に入った。坂を一気に下り、県道37号・白河羽鳥線にぶつかった。羽鳥湖の高原リゾートから下りてきた大型観光バスが何台も連なって横切っていった。今日の道は同じ羽鳥湖へ向かう道ながら、県道37号とは明らかに違うストーリィを持った道だった。僕の前の信号がグリーンに変わった。僕は連なった大型観光バスの後ろを追いかけるように、左折して県道37号に入った。
(本日のマップ)