自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

利根川の原風景と赤城山(May-2019)

 ああ先週も乗ったなあと高崎線から上越線へ。なにをしているんだいったい、という気にはならなくて、同じ方面同じような場所に立て続けに行くっていうことが僕にはけっこうあって、全然気にしない。むしろ先週と同じ乗り継ぎは印象が残っているし勝手がわかってていい。
 上越線の車内であたたかい日を背に受けていたらうつらうつらし始めた。眠い。──いけないいけない。今日は終点の水上まで乗った先週とは違い、途中で降りるのだ。渋川のひとつ先、敷島まで。それほど駅数がないからうかつに寝たら乗り過ごしちゃう。ひと駅ごとに目を開けつつ乗り過ごさないように気を付けた。
 降りてみると、ここ初下車駅だなって気づいた。

 

  群馬県北部、みなかみ町に源を発する利根川は、水上から月夜野、沼田と沼田盆地の河岸段丘を流れて片品川を合流する。そこから渋川で吾妻あがつま川と交わるまでのあいだ、東の赤城山と西の子持山のすそ野に挟まれた場所で、狭く屈曲した流域を形成している。この区間の有数の幹線道路、国道17号を車で走ることがときどきあり、その窓から眺める風景にいつも魅了されていた。国道17号は子持山のすそ野。眼下に見る利根川と、対岸の赤城山のすそ野に見るJR上越線と点在する小さなまち、田畑や緑で構成される風景は、僕が利根川上流の原風景と愛してやまない。
 鉄道で通ること幾たび、それから自転車でも一度走ったことがある。もう10年以上前だ。先週、利根川源流域のダムを結果的に──そう結果的に、はじめは坤六峠を越えるつもりでいたから──めぐっていたら、源流域に来てはいるもののダム湖ばかり眺めていて、利根川の流れそのものをほとんど見ていないなと気付き、考え始めたらここの風景を思い出してだんだんと見たくて仕方がなくなった。
 そんなわけで二週立て続けに高崎線から上越線へと輪行である。

 

 

 敷島駅はひっそりとした駅だった。僕の欲する駅の雰囲気に実にマッチしていた。利根川流域の原風景のスタートにうってつけだと喜んだ。発車する水上行きの普通列車を小さくなるまで見送り、それから跨線橋をわたって改札をくぐった。自動改札機はなくスイカタッチ機がある。出札の窓口にはシャッターが下ろされていた。無人駅。僕は出場用のタッチ機に触れ、外へ出た。
 駅前にはロータリーというか車寄せというか、小さな側道のようにスペースが設けられていて、僕が自転車を組み上げるあいだ見ていると、何度か車がやってきては同乗者を降ろしていった。決して利用者が多いってわけじゃないけど、全然おらずひと気すらないってこともなかった。
 道路を挟んだ正面には赤城田舎まんじゅうと書かれたのぼりやのれんを掲げた店があった。僕は自転車を組み上げると、その店をちらっと覗いてみた。そこには何種類ものまんじゅうが並んでいる。本日はお客様感謝デーってあって、イオンみたいだなと思いつつ、聞いてみるとウリのホワイト饅頭をいただくとホットコーヒーを付けてくれるのだという。ならばとそれを買い、店内のテーブルでいただいた。ホワイト饅頭とは白あんのおまんじゅうだった。すっかりくつろいでいるけれど、今日まだ自転車に乗っていない。

 

 駅前の道は県道255号下久屋渋川線。下久屋とは沼田市の関越道沼田インターのそば。利根川上越線に沿った、これから僕がずっとたどっていく道である。
 まんじゅう屋にコーヒーの礼をいって店を出た。
 交通量は多くない。利根川を介して国道17号と相対・並行しているけれど、バイパス的機能や裏道要素はない。全体的に道が狭くすれ違いに譲り合いが必要な場所もあったり、さらに利根川がS字状に屈曲した綾戸と呼ばれる付近に普通車一台の狭あい区間があり大型車が通行禁止であること、崩落などの災害を受けよく通行止めになること、そしてそうなると長いことから、国道17号を離れてわざわざここを走るメリットもなく、もっぱら地域の人が生活のために使っている道である。僕も車で国道17号を走っていて、渋滞に見舞われたときでも、この県道255号へ回ったことはない(いやじっさいにはかつてスキーの帰りに一度だけ迂回したことがあって、そのとき僕と同じように迂回した車が連なり、しかし対向車と離合できずデッドロックを起こし、その通過に混乱し手間取って結果的に渋滞の国道17号より遅くなったのではという事態になった)。
 そんな県道255号も部分部分ではきれいに、広くなったりしていた。特にこの敷島の駅前はきれいになっていた。やっと今日のサイクリングがスタート。北へ向かおう。

 

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 すぐに河岸段丘に広がる田畑の風景になった。田畑といってもほとんどが畑と思われ、赤城・子持の両山のすそ野に挟まれて狭い。
 上越線の線路は、僕の行く県道255号とは高さに若干の違いがあるから、見えたり見えなかったりする。そのなかを軽快な走行音を響かせ電車が駆け抜けていく。ちょうど線路の見えない場所で、高崎ゆきの上り普通列車、211系かななどと想像した。
 ちょっとした高台から下り、道路の視野が開けると、線路が見えた。上越線の複線の先に駅のホームが見えた。きっと津久田駅だ。こうして見ていると何の変哲もない駅のホームに郷愁さえ感じてくる。おそらく敷島駅と同じ無人駅であろう、地域の生活の一角にあり、その営みと人々の声が聞こえてくるようだった。新緑と常緑に包まれた風景のなか、ここに一本でも列車がやってこないだろうかって思った。でも簡単にはやってこなかった。ほんの少しだけ気になっていたサドルの向きを調整したり、ガードレールに腰掛けたりしながら待ってはみたけど、気配さえなかった。ヒバリとかウグイスとか、鳥たちが空で鳴いているばかりだった。
 利根川も、線路と同様に位置的になかなか姿が見えないのだけど、進むにつれてその姿を現した。水は澄んでいるが流れは激しかった。加えて屈曲が著しい。渋川より下流、銚子までの200キロにおよぶ巨大なスーパー堤防が、僕が子供の頃から持っている利根川の印象であった。しかしながら暴れ川坂東太郎の名にし負う利根川は、きっとこういう姿に違いないと思う。穏やかな今日のような日でさえ、強い白波を織りなし下っていた。
 難局は綾戸峡周辺で、大型車は通行禁止、利根川の屈曲に合わせて道も激しく屈折する。きわめて狭あいで右手から崖がせまり、相当崩れやすいのか吹き付けののり面の上にさらにワイヤーネットが張られていた。何十メートルかおきに落石注意の警戒標識が現れ、白いガードレールは土砂を何度もかぶったりしたようで薄汚れていた。そしていよいよ道幅も取れないとなると、岩山をくりぬいたようなトンネルに突入する。トンネルだって狭くて、低い。
 そんな難区間を過ぎると、道は昭和村に入った。周囲も穏やかな風景に変わり、沼田盆地の南端の河岸段丘の上にいることを感じさせた。僕が楽しみにやってきた区間を走り切った。そして予想通り、実によかった。

 

 満足度も高く、段丘を一段下りて利根川沿いにある岩本駅で今日を締めくくってしまってもいい気分。とはいえまだ10キロしか走っていないのだから、せっかく輪行してここまでやってきてそれもないなと実に一般的な答えを導き出し、利根川から分かれた片品川に沿い、河岸段丘を少しずつ上っていった。
 これから赤城山へ向かおうと思う。

 

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 河岸段丘をいくつも上り越えていくことと、山のすそ野をじわじわと上っていくことの違いがよくわからずにいた。いずれにしても関越道をくぐった当たりから始まった上り坂は休むことなく続いていて、坂を上ればだだっ広い平原に出て、春の日差しのもとでトラクターが何台も土を耕していた。すでに準備ができあがった畑では均等に帯状のビニールが土を覆っていた。別の畑ではレタスか何かのように見える葉が青々と育って一面を埋め尽くし、きれいな隊列を作っていた。遠くに雪を冠した青い山が背景画のようにあった。平原は、しかしながら僕が変わらず坂を上り続けていることから考えれば、どこまでも続く一枚斜面だった。延々と続くのかと思うほど広く感じた。これが赤城高原なのだろうと思った。
 その平原の先に赤い屋根がふたつ並んでいるのが見えた。なるほど国道120号の椎坂 しいさか峠だとすぐに判断がついた。峠越えでよく立ち寄ったオルゴール館の赤い屋根だ。スキーシーズンや行楽シーズンなど椎坂峠は渋滞のメッカだった。それほど高くないはないけれどきついつづら折と急坂で上らなきゃならない峠はその主因だった。ピークにあるオルゴール館は渋滞に疲れた誰もが立ち寄り、休憩し、トイレを利用していた。オルゴール館とは名ばかりに、トイレとソフトクリームとお土産で爆発的な商売をしていた。
 国道120号は椎坂トンネルが開通し、椎坂峠を経由しなくなった。ここでの渋滞は解消し、そもそも峠道を経由する人がいなくなった。今あの赤い屋根はどうなっているのだろう。もうやってないんじゃないかなきっと、そんなことを勝手に想像しつつ遠くの風景を眺めていた。

 僕の走る道に利根沼田望郷ラインが右から合流してきた。1キロに満たないほど一緒に走ってやがて左に離れて行った。昨年、この道の沼田市内の一部を走ってみたことがある。この道っていつ整備されたんだろう、そんな古くからあった道じゃないと思う。利根沼田望郷ラインは高規格な道路で河岸段丘の絶景も楽しめる。どこが起点でどこが終点なのかわからないけれど、名前もつけてこのあたり一帯肝いりで整備した道なんだろう。左に分けた利根沼田望郷ラインが美しい中央線を反射し、どこまでも続いていた。
 その先、二本松という交差点でここもまた中央線のある道路と交差した。久しぶりの信号でもあった。
 僕の記憶が誤っていなければ、この道は『赤城西麓広域農道』っていう道だったと思うのだが……。
 ずっとむかし、何度か車で通ったことがあるのだけど、ここまでやってくると青看標識にもあるいは沿道の標識にも赤城西麓広域農道の文字が見て取れたように思う。しかし今はない。二本松の交差点にも青看はあるものの、赤城西麓広域農道の文字はなかった。
 旧利根町輪組わぐみあたりから旧赤城町の関越道赤城インターの近くまで一本道路として整備されていた。とんでもなく関越が渋滞し国道17号にも波及していたとき、使ったことが何度かあった。かつてはこの近辺では統一感ある整備された規格のいい道路と見ていたけれど、今はもう舗装もずいぶん荒れている。道幅も規格も、利根沼田望郷ラインからすると古くさくて見劣りする。大規模な縦断幹線ルートを利根沼田望郷ラインに譲り、自身はその看板を下ろしたのだろうか。
 しばらく周辺に目を配っていたけれど、赤城西麓広域農道の文字はもう、一文字も見つけることができなかった。

 

 今僕がこうして進んでいる道、県道251号も『奥利根ゆけむり街道』という名が付けられている。こういった道路の愛称は誰がどのようにしてつけているのだろう。国か、まあ国ということはなかろうから自治体が付けているのか。にしても情報が出てこない。ホームページもなければ公文引用している情報も見つけられない。とはいえ誰かが適当にいい始めた名が地図に載ったりはしないだろうし、青看へ記載したり標識を立てたりすることもないだろう。どこで管理されているのか、ちょっと知りたい。

 

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 坂がきつい。ずうっと続いている上り坂が。
 道の難易度が高いのか、それとも自分が体調が優れずに乗れていないのかもわからなかった。とにかく漕いでも漕いでも進んでいる感がなかった。とにかくどこにも着かず、景色も変わらなかった。
 木陰で休んだ。平原のなかにいるあいだは木陰もなくて、やっと森のなかに入ったころには太陽がほぼ真上にやってきて、道に影はできなかった。ようやく右側斜面とその上の木々が作りだす木陰を見つけ、道路の右の端に寄って休んだ。坂は後ろにもこれから向かう前にも、同じようにただ続いていた。
 見た感じ、それほどきつい坂には思えないのだ。せいぜいいろは坂くらいにしか見えないのだ。なのにギアはもうないし、それでいて足は回らなかった。自転車は進まなかった。もっとも僕のガーミンは斜度計が付いているわけじゃないから、ここが何%なのかはわからない。いろは坂よりも全然きついかもしれないし、あるいは見た目どおりいろは坂と同じくらいかもしれない。その判断がつかなかった。
 トップチューブのポーチに忍ばせていたぶどう糖タブレットを口に運んだ。食べるとタブレットというよりはラムネ菓子の味と食感に近かった。バリバリと歯でかむとやがて溶けてなくなってしまう。もうひとつ、立て続けに口に運んだ。
 そんなちょっと立ち止まった休憩からゆるゆると走りだし、また変わらない坂を上った。地図を見ると、この道はこの先上りきったら一度下るということがわかった。奥利根ゆけむり街道こと県道251号はこのあと、赤城川に沿って上ってくる南郷からの道に合流する。その合流地点に向けて下るようなのだ。
 僕は奥利根ゆけむり街道と愛称の付けられた道であること、その県道251号が赤城山山頂までつながった一本道であることから、こちらが主要道路だろうと判断してルートを引いた。しかしながら片品川に沿って南郷まで入り、そこから赤城川沿いに上ってくるその道で引いたほうが、あるいは上り一辺倒だったんじゃないだろうか。遠まわりではあるけれど、そちらのほうが楽だったんじゃないだろうか。今になって悔やんだ。
 それから坂をあらためて上りはじめて気づいたことがあった。眠い。眠いのだ。輪行上越線車内で感じた睡魔は、結局そのまま引きずっていたようだった。

 

 ずっと直線的に上ってきた奥利根ゆけむり街道は、緩いカーブを描くようになり、それをいくつか繰り返してようやくピーク。手もとのガーミンの高度は九百数十メートルになっていた。ピークを過ぎると道はすぐに下りに転じた。そして左に右にといくつかのカーブを繰り返す。ときには直線で下る。どんどん高度が下がっていった。道は『止まれ』の標識で突き当るまで下り続けた。突き当たりのT字路、左から来ているのが南郷からの道だった。右はこれから先続く県道251号だった。その両方が一直線道路のようで、僕はTの突き当たりの側からやってきた。やっぱり南郷からの道で来てそのまま県道251号に入るほうがメインルートなんじゃないかと思った。そして標高は760メートルまで下っていた。せっかく上ってあっというまに吐き出した標高が残念でならなかった。また、上らなきゃならない。道はすぐに、ずっと、上り坂だった。
 変わらぬ県道251号ながら、明らかに交通量が多くなったのがわかった。車、バイク。特にバイクの数が多い。一台抜いていくと立て続けに10台は続いた。かたまって走っているようで、それが何度となく続く。車も含めてかなりの交通量がある。つまりみな、南郷からこの道を上ってきているってことだ。
 なんで県道251号を今日のルートにしてしまったかなあ……。

 

 また休憩した。上り続けていられなくて、止まった。手持ちのチョコのねじりパンを食べた。僕はそれほど途中で食べるほうじゃないので、いつも適量、ルートに応じて考えながら持ってくるのだけど、たいてい余らせていた。しかし今日は持ってきた食べ物がこれですべてなくなった。こんなことがあるのかと思った。でも、これを食べないと進めない、足が動かないと口に運んだ。
 しかし最後のチョコのねじりパンを食べても進まないのは変わらなかった。なんなんだいったい、単に坂がきついのかと思った。と同時にひどく眠かった。ああこのままだと乗りながら寝るなって予見できた。しょうがない──、まだ10分もたたないうちに道を外れた。右に林道が分かれていたのでその道へ入り、ガードレールに自転車を立てかけ、僕は横に座った。地面に座った。道の端は砂利や砂やごみの吹き溜まりになっていて座り心地が悪かった。僕は一度立ち上がり足でそれらをはらった。大してはらえるものでもなかった。竹ぼうきでもないとだめかもしれない。あきらめて僕はそのまままた腰を下ろした。ガードレールに寄りかかり頭をゆだねた。少し眠ったほうがいいかな、と思った。思ったと思うが、その言葉を最後まで頭のなかでいい切るより前に、どうやら眠りに落ちていた。

 

 

 赤城山カルデラを持つ火山で、ここへ向かうルートは一度外輪山を越えてカルデラへ入る。僕が取った北からの県道251号奥利根ゆけむり街道ルートは外輪山をおよそ1400メートルで越え、カルデラ湖の大沼へ向かって下る。
 1000メートルあたりまでは直線的に上っていた道も、それを過ぎるとカーブの連続になった。大きく回り込むカーブで何度も180度の方向転換をしながら標高を稼いだ。きついのは変わらず、スピードも出るわけじゃないけど、少し眠ってからずいぶん軽く上れるように感じていた。
 サイクリング中に眠くなってしまったことは何度かある。何度もあったといってもいいかもしれない。ときにはいわば『居眠り運転』になってしまったこともあった。下りなど恐怖だ。気づくと目の前にカーブがあったり、坂を下り切ったそこまで記憶がひとつもないこともあった。下りだけじゃなく上りでもあった。どんな道だったか記憶がない。たまたま、上り切っていた。
 さすがにこれはよくないと思い、どうしても眠いときには寝ることにした。
 しかし今回はまだいい。車やバイクが多く通る県道だから。これが車通りもなく、人家も電気もない道となれば、熊や鹿や猿や猪に気をつけなきゃならない。鈴やラジオが必要な場所で眠くなってしまったらどう判断していいかわからない。たとえば先週行こうとしていた坤六こんろく峠なんてまさにそうだ。

 

 そしてようやく1400メートル、外輪山の縁まで上ってきた。
 縁を越えた反対側には大きく水をたたえた大沼が広がっていて、道路から全体を俯瞰した。
 いい風景だ。ただ木々が多くてあいだから覗き見るほかなかった。まだ葉がそれほど芽吹いていない今だからこう見えるけど、夏になり木々がうっそうとしたらこの眺めが見えるのかはわからない。
 僕は大沼をしばらく見てから、そこに向けて下って行った。
 赤城神社の真っ赤な橋までやってきて、現在工事中で渡れないとわかると神社まで行く気が失せてしまった。一度戻って裏の駐車場から行くような感じだったので、そこまでしなくてもいいやと思い、結局やめた。
 もう15時をまわっている。
 ここまで45キロ、それに6時間もかかってやってきた。
 それからお土産屋や食堂が立ち並ぶ大きな駐車場まで来て、そのうちの一軒で食事にした。味噌ラーメンを頼んだ。ここまで上ってくるあいだ暑いと思っていた風が、急に冷たくなった気がした。風が身体に当たるとむしろ寒かった。
 本当はこの先、赤城山頂記念館にあるサントリービア・バーベキューホールで昼食にしようと思っていた。それはかつて赤城山観光のため東武鉄道が運行していた、ケーブルカーの残影に触れたかったから。赤城山頂記念館はまさに、ケーブルカーの山頂駅だった。しかし午後3時をまわった今、場合によっては営業終了している可能性もある。ここで食べずに行って昼にはぐれることはしたくなかった。赤城山頂記念館は東側外輪山の鳥居峠にあり、もし食べられなかったときにまた戻ってきて食べる気力はさすがになかった。同じところを何度も上ったり下ったりするとなればもはや身体には負担でしかなかった。
 味噌ラーメンがやってきた。ラーメンにしてよかったと思った。待ってるあいだ、外から流れ込む風ですっかり身体が冷えてしまった。かなり寒い。

 

 食事を終えて外へ出ると、半袖の人も幾人かいるくらい、意外に誰もが薄着だった。どうやら僕だけが寒いと思っているようだ。かいた汗がアンダーを濡らし、それが冷えてきているんだろう。
 僕はこのあとの通り道でもあるので、赤城山頂記念館に向かった。外輪山に向かって上り。当然カルデラのなかにいる僕が、帰るためにはいずれかの道でもう一度外輪山を越えなくちゃならない。どの道を行ったところでもう一度坂を上らないとならない。
 赤城山頂記念館にあるサントリービア・バーベキューホールはまだ営業していた。はっきりメニューを確認したわけじゃないからわからないけど、何らか食べるものはありそうだった。ああここで良かったんだなと思った。しかし大沼の前にいる時点ではそれがわからなかったから、判断できなかった。
 展望台から誰もが遠景を楽しんでいた。見える風景は推測するに、大間々から桐生にかけての市街地の風景に違いなかった。そして急峻な斜面に積まれた石垣がこの建物につながっていて、まさにこれがケーブルカーのレールがありホームがあった場所だと理解できた。
 その場所をしっかり正面から眺めてみたくて、僕は赤城山頂記念館のなかへ入ってみた。しかしなかは丸々サントリービア・バーベキューホールであり、食べたばかりで食事も飲み物もいらない僕は、そこからの風景とケーブルカーの残影を目にすることができなかった。
 僕は外に出て、もう一度大間々、桐生方面の風景を眺めた。
 眼下のまちは霞みのなかまだ明るく見えたが、山の上の光はすでに赤みが帯び始めていた。もう16時になる。そろそろ山を下りないと、もっと寒さがひどくなる。
 このあとは県道16号、大胡おおご赤城線を下るつもりでいた。東武桐生線の終着駅、赤城駅を目指す。
 外輪山を八丁峠で越え、いよいよ下りである。

 

 赤城山山頂へ上る道は三本ある。
 ひとつは前橋市内から大きな鳥居をくぐって上りはじめる、県道4号前橋赤城線。アプローチの道として最もメジャーであり、ヒルクライムレースも行われる赤城山へのメインルートだ。
 それから僕が上ってきた県道251号沼田赤城線。北斜面から入ってくるルートで、赤城高原の平原を感じるには最適だと思う。
 そしてもうひとつが県道16号大胡赤城線。今僕が下っている道である。
 この県道16号は他の二本に比べきわめて交通量が少ない。
 道がなにしろ荒れている。もちろん舗装はされているのだけど、アスファルトはひび割れ、めくれ、穴が開いていた。雨が降ると水が洗い越しのようの横切ってしまうのか、路面を溝が横断していた。あるいは雨が降ったときわざとそうさせようとはじめから溝を切っているのかもしれないが、それはわからなかった。それが10メートルおきの間隔で延々と続いた。下り坂は長いものの、そんな荒れた路面ではとうていスピードなんか出せなかった。メーターの速度が20キロを越えること自体が珍しいほどだった。そんな速度でもハンドルから手に伝わる振動が痛く響いた。これほど舗装の荒れた道だから、車やバイクにとっても走りづらいに違いない。
 荒れた道ではあったけど、僕は楽しみながら走った。
 道路は木々に覆われていた。上まで覆いかぶさるように枝を伸ばしていた。そのどれもが新芽をつけていた。新緑の若萌色だった。それがずっと続く。
 こんなに新緑だけに覆われることってあるだろうか。新緑はまわりの大きな常緑樹のなかにいて、ちょうどパッチワークのようにまばらに色彩を楽しませることが多いように思う。しかしこの道を取り囲む木々たちは、どれもが若葉を芽吹かせていた。だから目に映る景色がみな薄い緑の若萌色で、それがどこまでも続いていた。
 加えて、傾いた日が赤みがかった光で山全体を照らしはじめた。まだまだ葉の少ない木々のあいだから日の光が道まで到達し、黄金色の木漏れ日になって揺れた。あるいは新芽や若葉に反射したり透過したりして、独特の輝きを得た金の光になっていた。僕は車のほとんど来ないこの木漏れ日のなかを、荒れた路面に気づかいながらゆっくりゆっくり下った。まばゆくていとおしい光の粒だった。
 道の脇の木々がはけるところがあると、眼下にまちが広がった。まちもいよいよオレンジ色に染まりはじめようとしていた。方角から見て前橋から大胡おおごだろう。遠くが霞んでいることもあって、たとえばのっぽの県庁や白く横たわるグリーンドームのようなランドマークは判別できないけど、きっとそうだと思う。僕は止まり、ただ広いばかりの関東平野を眺めた。霞みがかってなければいったいどこまで見通せるのだろう。そして目を近くに転じれば、山肌は僕がそのなかをくぐってきたそのもの、一面が新緑に覆われていた。全体を薄緑色だけで塗りあげたような不思議があった。これほどまで新緑だけに覆われた、、、、、、、、、山なんてあるだろうか。そして山全体で、その新緑で、加速度的に傾き赤みを増す日の光を反射していた。風が吹けば木が揺れ葉が揺れ、光が粒のようにきらめいた。

 はじめ、山頂で調べた赤城駅の時刻表を気にしながら下っていた。でも新緑の風景をこれだけ眺めていたら、もうどうでもいいやって思った。完全に日が暮れて下ったって、終電になるわけじゃないんだ──。
 彼方まで、山肌を巻くようにガードレールが見える。僕がこれから下っていく道だ。

 

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(本日のマップ)