自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

白河から黒磯へ(Jun-2019)

 会津田島から山を越え、白河まで下ってきた僕は、西郷にしごう村で気分よくラーメンを食べていた。時間もそれほど遅くなかったし、新白河から輪行して帰ろうかと思ったのだけど、もう少し走ってもいいなと思った。
 天気は羽鳥湖あたりからずっと分厚い曇り空で、涼しいほどだった。雨だけ、降らなければ。

 

 東北自動車道をくぐり、国道289号を横切った。──国道289号、午前中にも会津下郷町内で横切った。僕は今日、国道118号で奥羽山脈を越えてきたが、国道289号はその少し南、甲子かし峠で越える。国道は峠を甲子トンネルで越えているが、このトンネルもおよそ10年ほど前にようやく開通した難工事箇所だった。古くから甲子峠越えは計画・着工されてきたが、当初の甲子トンネルや連続する橋梁までできあがったものの、その先のトンネルを造ることができず、最終的に大幅なルート変更をしたうえで現在の甲子トンネルのルートでようやく日の目を見るにいたった。かつての甲子トンネルや橋梁はみな放棄され、今は廃道化している。そんな長い歴史を経た会津中通りとの連絡道路を横切った。
 新しすぎて、立派すぎて、綺麗すぎて──それがどことなく車向きの道だよなという自分の意識が強くて、まだ走っていない国道289号甲子越えだけど、そろそろ走ってもいいかなって思う。新潟・福島県境の八十里越が開通したら(2020年に開通? それとも2023年?)、いっそ全線、国道289号を通しで走ってもいいかなって思った。
 それからすぐに国道4号を横切って、新白河の中心街に入った。
 新白河とは東北新幹線が開通してついた駅名で、それまで東北本線の駅としては磐城西郷いわきにしごうと名乗っていた。もちろん西郷村にある駅としての名前で、新幹線の開業に合わせて駅名もあらためた。東北新幹線のホームの一部が白河市にかかっているというのはあるらしいけど、駅の所在地は現在も変わらず西郷村にある。
 新幹線駅の駅前にふさわしい大きなロータリーを通過した。
「黒磯まで行けばパスモが使えるし……」
 すっかり最近現金を持たなくなった。もちろんここ新白河から輪行するつもりでいたから、新白河からのきっぷを買うだけの現金は財布に入れてあるけれど、わざわざ現金を出してきっぷを買うことを考えると、交通系ICで改札口を通過するほうが圧倒的に楽で、魅力的だった。
 僕は新白河駅をあとにした。

 

 新白河から黒磯は、JR東北本線の駅で見ればあいだに4駅。黒磯駅を含め5駅ぶんおよそ25キロ超。鉄道に近いところを通れない部分もあるにせよ、栃木・福島の県境越えで駅間距離が長めだ。車でも走ってよく知っている道と、車で走ったことあったかなあくらいの記憶のみの道と、まったく走ったことのない新たな道とを組み合わせて、黒磯へ向かう。

 

 

  西郷村が、他の周辺町村のように大きな市と合併せずに済んでいるのは、広く村内全体、大企業の工場誘致に成功したからだろうか。そしてそれに合わせて新幹線駅を手に入れられたからなのだろうか。道路を挟んだ駐車場との人通りが途切れることのない場外馬券場の脇を抜け、宅地や商業地域の区画を抜けると、道は広大な工場群のなかに入った。工場と工場のあいだをゆく道は、それぞれの一区画が大きくて、くねくねと進むだけでも距離がかさむ。
 工場群を抜け、しばらく離れていた東北本線の線路がようやく見えてきた。そして新白河からひとつ目の白坂駅が見える。
 駅前は線路の東側にあり、そこから上り線に沿った道があるのは知っていた。車でも走ったことがあった。旧線道路と呼ばれる町道で、かつて明治から大正にかけて日本鉄道から国鉄東北線となった時代の線路跡だ。大正時代に現在の経路に付け替えられたのち、旧線跡は町道として残った。次の豊原駅まで続く、細いけどとてもいい道──特に自転車でサイクリングするには──である。
 しかしながら工業団地から抜けだしてきた僕は駅の西側にいて、わざわざ線路を越えるのも面倒だった。さらに面白いことにここは下り線が上り線とは大きく離れたところを走っていて、この下り線沿いに道を一本見つけていた。上下線が離れた場所を走る線路にも興味があったし、新たな道を開拓がてら走ってみようと思う。

 

 白坂駅は無人駅で、しかも西側は出入口があるわけでもないから、道は鉄道など一切関係ないという造りだった。綺麗な舗装でつながっているのは工業団地の道路の延長だからか。その道を進んでいくと大きくカーブして線路から離れていった。僕が意図した線路沿いの道も外れてしまった。
 あれ? っと思う。分かれ道あったか?
 僕はUターンして戻った。ゆるゆると道を探りながら戻る。
 ──これか?
 そこは小さな町工場の脇をゆく細い路地だった。これだ。
 僕はその道へ入った。すぐ、せいぜい数百メートルばかり行ったところで道は途切れていた。右には人の家があった。
「この人の家の道か?」
 道を間違えたかと思うのだけど、地図表示は正しい。
 よくよく見ると、細い簡易舗装路の途切れた先に、雑草に埋もれそうな砂利が見える。およそ軽トラック程度の幅のダブルトラックで、それは続いていた。
「あー……」
 僕は思わず口をついた。またやったなこれ、と思った。
 ──まあいっか。
 僕は埋もれそうな砂利のダブルトラックを進んだ。

 

 どのくらい交通のない道なのだろう。地元の人、というよりこの道に接する沿道の人が使うのがせいぜいなんじゃないだろうか。覆い被さる周りの木々が、車であれば明らかにこすれぶつかるほどだ。印象は藪化の始まっている廃道にちょっと近い。
 ただ砂利はよく踏まれて締まっているから走りにくいことはなかった。23cのロード用スリックタイヤでもきちんと乗れば滑ることはない。僕は二本の砂利のトラックと、真ん中の伸び放題の雑草と、いちばん走りやすそうなところを選びつつ、そのたびに右に左に真ん中にと移りながら坂を上っていった。上から覆い被さってくる木の枝は、腰をかがめたり頭を下げたりしてかわした。やがて架線柱が見えてきた。東北本線の線路だ。道が線路に近付くと、ちょうど架線より少し高いくらいの位置に出た。下り線だ。線路も、放っておくとまわりが藪に覆われそうな切り通しのあいだを走っていた。僕はさらに進む。線路に沿いつつもこのダートは上り続ける。しばらく走っていくと緩やかなカーブの末で、線路はトンネルに入っていた。
 僕が走る道は特にトンネルなどない。こんな細い道にトンネルを掘ることなどないだろう。おそらく鉄道がトンネルで越えている小高い丘を、上って下って越えるに違いない。
 急に砂利が深くなった。踏みしめられていない砂利にただのロードバイクのスリックタイヤは弱い。滑る。ダブルトラックの真ん中、雑草の生えたところを中心に走り、勾配を上っていった。
 地図を見ると道はトンネルのなかの線路と交差していた。坂を進み、小高い丘を上り詰めるとそこで線路を越えた。トンネルで見えないが、地図上線路の反対側に出た。ここから下りに転じた。僕はあわてて下ハンに握りかえる。
 細かめで締まっていない砂利道はかなり滑った。ときおり大きな石が浮くように路面に落ちていたりする。これに乗ってはいけない転んでしまう。枯れ枝も車線をふさぐように横たわっている。できるだけ避けるけれど、どうにもならないときは丁寧に、垂直に入るように乗り上げて越えた。
 とにかくめちゃめちゃ滑り続けている。前輪が滑って望んでもいないのにハンドルが横を向く。後輪は……もうどうでもいい。後輪が滑ったところで大事には至らない。右手に東北本線の架線が見えてきた。トンネルから出てきたのだろう。線路とはだいぶ距離があるのだろうけどなぜか近くに見える。自転車ごと滑ったらガードレールもないからそのまま線路に落ちるのだろうかと思った。架線には交流2万ボルトが流れているんだ、やれやれ。
 ようやく旧線道路が見えてきた。よかった、あそこで終る。

 

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 久しぶりの舗装路になごんだ。わずか2キロばかりの道にどれだけ時間を費やしただろう。まあでもいいや、こういう楽しみはあっていい。未舗装や砂利道を走るのは嫌いじゃないし、みずから進んで走りに行ったりもするし。
 旧線道路はまず東北本線下り線を踏切で越える。そして鉄道線路にふさわしい、ゆるやかな均一径のカーブでゆっくり左に曲がっていく。次の豊原駅に向かって、かつての鉄道路線を行く。
 頭上を東北本線が渡っている。黒川橋梁だ。下り線は一般的なデッキ・ガーダー橋だが、上り線は美しいデッキ・トラス橋だ。上り線が、今僕が走る旧線から付け替えられた東北本線だと聞く。この大規模橋梁が大正時代に造られたことを思うと、驚く。

 

 東北本線の黒川橋梁の下をくぐると、旧線道路は美しい直線道路になる。どこまでも果てしなく目に映る。周囲に人家はほとんど見かけない。黒川の流域に沿った平地部がすべて水田だった。そのなかをまっすぐに道が貫いている。いったいどこまで続いているのだろう。ともするとどこか別の世界にねじれて入りこんでしまうんじゃないかという錯覚さえ覚えた。空に向かって出発する銀河鉄道があったなら、きっとここから出るに違いない。異次元・異世界とつながるにふさわしいほどの、美しい直線だ。
 車はそこそこ通る。鉄道の単線路盤幅か、せいぜいそれに少しの幅を加えた程度の道幅で、すれ違いや追い越しに自転車でも少しばかり気を使う。
 ずいぶん長いことまっすぐな道を走ったのちに、黒川を渡り右手の小高い丘に駆け上がって旧線道路は終った。現・豊原駅。坂道の途中から黒川の流れとその流域風景が一望できた。

 

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 豊原駅からは県道211号で那須町の中心部へ向かった。いったん線路沿いを離れる。ここも旧線道路同様、水田地帯のなかを貫いていた。那須町役場まで来ると一帯は街になった。そして雨が数滴、身体に当たったのがわかった。降るか? 間に合うだろうか。ここからまた線路沿いを走り、高久駅前を経由した。黒磯までは残りひと駅。ぽつりぽつりとしばらく身体に当たっていた雨はさいわい収まった。もちろん羽鳥湖あたりから空を埋め尽くしている分厚い雲は変わることがなかったから、いつまた雨がやってきても不思議じゃなかった。
 ゆるめの下り坂を駆け下り、道は那珂川へ出た。車がびっしり詰まった長い橋で那珂川を渡った。今日、久しぶりにこれだけたくさんの車を見た。いつ、どこからこんなにも集まって来たのか、渋滞気味の車に身体が慣れず、思わず脇の路地へと入った。もう、すぐそこが黒磯駅だ。

 

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 列車まで25分ほどあったので、駅前の和菓子店明治屋に行き、那須野ボッカをおみやげに買った。那須野ボッカはブッセのようなお菓子で、生クリームなどではなく、コクのあるバターを塗ってはさんだ古くからあるお菓子である。
 それをサコッシュ代わりに持ち歩いている巾着に入れ、肩からたすき掛けにした。なかなか、いやかなり楽しめた道だった。さすがに次からは白坂駅裏のダートはなしだな、とは思ったけど。素直に白坂駅の東側、駅前の猫の額ほどのロータリーに出ればそこから全線が旧線道路、この道はありだ。
 黒磯駅。自転車を輪行袋に仕舞い、自動改札をパスモで通った。
 そして宇都宮からやってきた折り返し列車に乗った。発車を待つあいだ、雨粒が窓に当たりはじめた。しばらくして気付くとそれはリズミカルに音を立て、窓はすっかり濡れていた。

 

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(本日のマップ)