自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

雨の絶景ロード / 風早峠・西天城高原道路(Mar-2019)

  もともと天気に恵まれていた日ではなく、雨が予報に現れている日だった。早いうちからそうだったから、あきらめてまたの機会にすることを内心考えてた。じゃあまたの機会っていったいいつなんだ? 延期とは重荷を背負い直すこと。都合を確認し、もう一度日程のやりくりをしなきゃならないと思うとなによりおっくうだった。なにもしないままやがて週後半になり、TVの天気予報が週末の空模様にも触れるようになったとき、「日曜日は夜から雨となるでしょう」といったのを聞き逃さなかった。あわてて早いうちから時間別天気を出しているサイトで確認する。傘マークがある。が、なるほどそれは19時以降に付けられていた。TVの予報と一致している。朝から日中、夕方までは曇りのマーク。これは行けるかもしれないなと踏んだ。
 このところしばらく天気と予定とのバランスに恵まれなかった。僕の予定が埋まっていた日は決まって好天だった。誰もが自転車日和とツイートし、青空と花と自転車の写真を次々に上げた。僕は快晴の青空をただ見上げていた。確かに自転車日和だよなと思った。そして日が明ければたいてい雨になった。そうなることも予報でわかっていた。だからはじめから自転車には乗るつもりもなかったし、そもそも触ってもいなかった。うまくいかなかった。お天気ばかりは恨んだって仕方ないと理解しつつ、でも恨んだ。ここしばらくの仕事や生活を投影しているようだった。悪循環ネガティヴ・スパイラルはどこかで断ち切ったほうがいい。

 

「気持いいくらいに晴れてるねえ」と僕はいった。
 熱海で伊東線に乗り換え、列車は海岸線を走った。断崖の地形を針で縫うようにトンネルで貫いていく。抜けるとそのたびに日の光を反射した海が輝いていた。
「予報は朝から曇りでしたもんね。一日こうであってくれると助かりますね」
 朝の普通列車伊豆急下田ゆきはリゾート21の運用。海に面した大きな窓から、並行する国道に亜熱帯の木々の並木が見えた。やがて道の駅が見え、サン・ハトヤが見えた。しまむらが見え、MEGAドンキが見えた。車掌が「まもなく伊東です」と放送した。
 伊東の駅前で自転車を組み上げる。背中に受ける日差しがぽかぽかと暖かかった。ガーミンに電源を入れながら、僕は「さてどっちへ行こうか」と聞いた。中伊豆へ向かい最終的に西伊豆スカイラインを目指すルートと、東伊豆をこのまま南下して細野高原を目指すルートのふたつを提示していたのだ。
「いやあ実はどっちも魅力的なんですよ。行ったことないですし」としろひ君はいう。「ただ細野高原ってどういうところなのかよくわからないんですけど」
 というので僕は、
「じゃあ西伊豆スカイラインに行こうか。もともと君が興味を持っていてくれたところだし」といった。
「わかりました、そうしましょう」
 僕はガーミンに西へ向かうルートを表示した。

 

(予定ルート)

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冷川ひえかわ峠、国士こくし峠、風早かざはや峠、だるま山……」
 伊東のまだシャッターの下りた商店街はいやに静かで、そのなかをゆっくり抜けながら僕はそういった。「今日越えるピーク」
「けっこうありますよね」
「風早峠まで行ってそこからが西天城高原道路。それを下ったところにある土肥とい峠からが西伊豆スカイライン。なので、今日のメインは後半だから、上手にペース配分しないと」
「力尽きたら行きつけないってことですね。気をつけないと。調子乗って後半よくタレちゃうんですよ」
 商店街を抜けると、今度は路地をあみだくじのように進んで県道に出た。
「さあ、すぐ始まるよ」

 

 市街地を出るとまもなく大きなカーブときつめの斜度で崖をなめるように上っていく。海が見え、まちが見える。あっという間に見下ろす位置までやってきた。冷川峠に向かう県道59号。
 太陽は、気づくと薄雲の後ろに隠れていて、存在はわかるのだけど日の光の効力は失っていた。空を全体的に見ても薄雲が広がっている。遠くの風景はもうぼんやりしていた。大室山が、その輪郭とリフトのかかる斜面でわかる。が、そのくらいまでだ。それより遠くは霞みがかって判然としない。海岸線からそう距離が離れていないのに、海のようすは明らかじゃない。予報がいっていたとおりの曇りの天気になってきたみたいだ。
 伊豆半島は高い崖が海岸線まで迫るところが多く、海岸線から少しの距離を入っただけですでに標高が高い場所が少なくない。この県道59号もそうだ。冷川峠自体はそれほど標高の高い峠ではないけど、海岸線に近い崖を急傾斜で駆け上がる。つづら折を繰り返したのち崖の上までやってくると、斜度も落ち着いて内陸へ向かうルートになる。

 

 県道59号、伊東西伊豆線。この道は僕のなかでお手本ルートといえる道で、ひとつの完成形としていつも見ている。風景変化、土地の営みや文化や香りの変化、そういったものが全線に凝縮された見事な道路。展開と演出が見事過ぎて、よくぞこのルートでひとつの県道にしてくれましたという思いがある。一本の完成された映画フィルムのようだ。
 この県道59号をまず冷川峠に向かっている。
 かつてこの区間は県道12号だった。
 県道12号は伊東大仁線として、東伊豆と中伊豆を結ぶ重要連絡道だった。有料道路の伊豆スカイラインもこの道にインターチェンジを設けた。しかしこれだけのエース級の重責ながら道路は中央線すらない狭い箇所も多く、交通基盤としては弱かった。加えて冷川峠まで上り切って越えなければならない屈曲ルートも時間を要した。エースに配するには首をかしげるような道路だったが、でもこの道に託すしかなかった。伊東と修善寺を行き来するにはこの道を選ぶしかなかった。僕の手持ちの古い道路地図には「12」の番号が輝かしく振られている。
 今この道を上っている。坂でも軽快に走るしろひ君の背中はどんどん遠くなる。親と子ほど年の違う20代は、本当はもっと勢いのまま走りたいんじゃないだろうか。無理に追いかけない僕を、ときどき振り返ってペースを落としたりしながら走っている。ヒルクライムレースに楽しんで参加する若者が、僕のようなただのんびりと旅をするだけの自転車乗りに声をかけてくることが正直わからない。けどこうやって彼は僕と一緒に走る。ときにペースをぐんと下げ、降りてきては並んだり声をかけたりしてくれる。なぜ一緒に走りたいというのか、不思議な話だ。
 自由な走りかたができるのも、この道の交通量が圧倒的に少ないからだ。乗用車がきわめて少ない。大型貨物など皆無である。一度だけバスとすれ違った。オレンジ色とクリーム色の東海バスだ。かつて県道12号だったときに設定した路線がいまだに残っているからだろう。
 伊東・修善寺間を担うルートとして、冷川峠よりも南に中伊豆バイパスがあった。有料道路で高規格な道路は、東伊豆の山稜まで上ることなく、冷川トンネルで一気に東西を貫いていた。中伊豆バイパスの償還が完了すると県道となり、交通はみなそちらへと移った。合わせて県道12号の番号もこの中伊豆バイパスへ移された。東伊豆・中伊豆を結ぶ重要交通路を託され、伊東修善寺線の名となった。
 冷川峠越えのルートはエースの座を降り、はるばる西伊豆まで至る59号の番号となった。まるで重責を担う背番号を背中から下ろしたベテラン選手のようだった。大きな背番号を背負ったベテランは、必要なときに必要な仕事をこなすいぶし銀となった。ゆっくりゆっくり上る僕にはそれまでの功績がいくつも目に飛び込んできた。道路わきに立てられた県道番号の標識はもちろん59に代わっているが、手が回らなかったのだろう、ガードレールの端に貼られたシール状の県道番号、道路標識──僕が目にしたのは「つづら折あり」の警戒標識だった──の支柱に貼られたシール状の県道番号。ここにかつての栄光の12が残っていた。僕はこれを見つけると、懐かしく、ちょっとだけうれしかった。
 そんな車通りのほとんどない道で、冷川峠に着いた。
 峠は狭い馬の背状の山稜部を垂直に貫く掘割で、両脇を石塁で固めていた。苔むしたそれは吹き付けやコンクリートで固めた法面と違う歴史と美しさがあった。道路は上りから下りへと転じる美しい二次曲線を描いていて、いくら見ていても飽きが来ない、絵に描いたような峠だった。そしていくら見ていても車など通ることがなかった。
「ひとつ目、おしまい」と僕はいった。
「けっこうきつかったですね、最初から10%とか出るし」しろひ君はメーターの斜度計を示す。
「あれ、10%だったんだ……。でもこれ小ボスかな」
「マジですか!」
「次、中ボス」
 しろひ君はヤベーと笑った。

 

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 下りに転じた県道59号を進んでいくと、左から現・県道12号が合流してきた。道は多くの交通量をともなっていた。背番号12を引き継いだエースはきっちり重責をこなしていた。
 県道59号はしばらくのあいだ県道12号と重複する。したがってこの区間はかなりの交通量のなかを走る必要がある。乗用車もいれば大型車も多い。都市部を走っていればふつうに感じる交通量だけど、冷川峠を越えて来た身には慣れがいる。
 県道12号と分かれた県道59号は、続いて国士峠を越えて湯ヶ島を目指す。
「セカンド・ステージ」
 と僕はいった。
「オーケーです」
 としろひ君が答える。
 分岐してすぐ、頭上に「国士峠この先6.5キロ」の標識があり、バスの絵に大きく赤の×印が付けられていた。車線も路肩も広い立派な二車線道路からは想像もつかないけど、大型車など入りこめない峠道が待っている。
 二車線道路は長く続かず、ほどなくして中央線は消えた。路側帯を示す両脇の白線だけが道路を導く。ふとまわりの風景を眺めると隔世の感を覚えた。まるで日本昔ばなしの絵のなかに飛び込んだかのようだ。確かに家々は現代建築に代わってこそいるものの、川と、坂に沿って段々と連なって築かれた水田、点々と桃だか早咲きの桜だか──植物に疎いのではっきりできず申し訳ないのだけど──その桃色が鮮やかに彩りを添えている。季節が進めば田には水が入り、青い稲が植えられるのだろう。やがてみなその背丈をそろえて生育し、緑の絨毯のような風景が広がるに違いない。そこへバスが、坂を下って来てすれ違った。こんな風景のなかにいるものだから、もちろん伊豆箱根バスの新しい車ではあるのだけど、それが丸みを帯びた旧式の、フロントガラスが中央で二分割されている、少しヨレ、、の出た方向幕で行先を示した、黒い煙と酔いそうな臭いを放つ、そんな昔のバスがイメージで重なった。デジャヴの旧式バスは、しかしながら音も静かに臭いもなくすれ違って行った。
 こんなところにバスか、と思った。
 僕は過疎集落路線のバスが好きだ。どこから来てどこへ行くのか。沿道にバス停を見かけるとうれしい。さっき冷川峠ですれ違った東海バス修善寺と伊東を結ぶ幹線路線だけど、ここは間違いなくこの先の集落で細々と終える路線だろう。少なくとも国士峠の坂は上ることができないのだから。

 

 道を進むと水田がやがてわさび田に変わった。周囲にわさび漬を加工・販売する店もいくつか現れた。わさびの匂いがしますねとしろひ君がいう。確かにツンとする。そういう店から漂ってくるのだろうか。
 わさび田が現れ始めたら風景はどんどんそれに変わっていった。水田はなくなった。水の流れる音がほうぼうから聞こえる。大地がわさびの緑色の葉で覆われてきた。やがて一面がわさび田に変わると、それはもう圧倒されるほどだった。山がせまって谷が細くなったぶん、幅は狭いけれど、奥からずっと下流のほうまで続くようすは壮観だった。いつのまにかわさびしかなくなっていた。
 ここが最奥かと思われる筏場のわさび田をヘアピンカーブで曲がるといよいよ勾配がきつくなった。そして川を離れて山に分け入っていくのか、道は深い森のなかに入った。道路はすれ違いも難しそうな幅員で上っていく。それでも県道標識の59番はしっかり立っている。ごくまれに車が通過すると双方が幅員のいっぱいまで寄り切る必要があった。軽自動車でさえ気を使った。なるほどこれはバスや大型はとんでもない。
 そして長い坂道を上りようやく国士峠へ着いた。

 

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 国士峠から下って湯ヶ島で自転車を止めた僕らは、寒い寒いと互いに口にした。上りでかいた汗が下りで冷やされたというのはもちろんあるけれど、明らかに朝の伊東駅で感じた気温とは違うようだった。湯ヶ島でイノシシを食べさせてくれる鈴木屋食堂に僕らは入った。まだ11時半前で他に客もおらず、お好きな席へどうぞとおかみさんはいった。「ストーブの近くがよくないですか?」としろひ君はいった。その席に座った。僕も同感だった。
 しろひ君は猪せいろを選び、僕はやまあらし丼(猪丼)を選んだ。
 あたたかい料理をお腹いっぱい食べて、身体も温まるだろうって期待したのだけど、そうでもなかった。汗の冷えが止まらないみたいだ。震えるほどじゃないけど、寒い。
 お会計をすると、「自転車の方は割引させてもらってるんですよ」といった。鈴木屋食堂はメニューより安い料金で猪料理をふるまってくれた。
「さあ、じゃあ次行こうか」
「大ボスですか?」
「そだね、そうかも」

 

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 店を出るとやはり明らかに寒さを感じた。朝の晴れ間はもうどこにも見られなかったし、むしろいつ降りだすか、その心配さえ覚えるほどだった。夜19時まで持たないんじゃないかと思えてきた。そしてなにより太陽のない寒さを実感した。
 湯ヶ島を出発し引き続き県道59号を行く。国道414号からの分岐箇所がわからなくてしばらくガーミンとにらめっこになった。まるで家の路地のような場所に入ると、すぐに59と書かれた県道標識が立っていた。
「これかよ、県道59号」と僕はいった。
「これですか」としろひ君はいった。
 道は湯ヶ島温泉のなかを抜けていく。川端康成とか井上靖とか、石川さゆり天城越えの制作陣とか、そんな有名逗留地だけど、情報は事前に下調べしておかないとひとつひとつが紐づかない。それゆえ僕は、温泉旅館がいくつかあるなあと旅館の建物を眺めながらそのまま通過するだけだった。
 じっくり坂を上っていく。それほどきつい坂じゃない。けれど湯ヶ島から距離が10キロ以上もある。標高差だって500メートル以上ある。つねにペース配分を考えておく。速いしろひ君にけっして引っ張られないように気をつけておかないと。

 

 道は最初広い二車線で進んでいた。途中にあるゴルフ場の分岐を過ぎるとやがて中央線が消えた。相変わらず裏切らない県道59号の展開だとうれしくなった。だんだんと道は細くなる、そういうことだ。
 少しずつ狭くなった一車線道路が鉱山会社の横を抜けたとき、頭上に青看標識が現れた。直進方向に県道59号が書かれ、行先に西伊豆、仁科峠とある。いっぽう右に分岐する道が描かれているけれど、道の名前や番号もなく行先さえ書いていない。しかしながらそのT字路に着いてみると、右への道は高規格な二車線道路だった。中央線もない県道59号よりもはるかに立派で、どちらが本線か見間違えそうである。地図を見ると県道411号西天城高原道路にどうやらつながっているらしい。県道番号も振られていないけれど、市道? それとも林道? 全線高規格なのか、この規格はいったいなにを意味するのか、さまざまな疑問が頭をよぎりつつ、分岐していく道を後ろへと見送った。
 その新しそうな道を分け、鉱山会社の施設一帯を過ぎると、また冷川峠あるいは国士峠を越えたときの道さながらの悪路になった。もちろん全線舗装はされているものの、路面の荒れは激しくでこぼこしている。周囲の森がいっそう深くなっていく。勾配ががぜんきつくなってきた。さらにこれまで一度もなかった斜度が現れて、いよいよ歩いているんじゃないかという速度になった。しろひ君はずいぶん先に行っている。こんな斜度でも変わらずすいすい行けるんだから見事だ。見えないところまで離れるのを気にするのか、ときおりペースを落として待ってくれる。でも彼が脚を回せば自転車はすうっと離れていく。そんなことを繰り返しつつ1キロばかりそんな道が続いた。少しだけ緩くなった坂で、
「きつかったよぉ、どんくらいあったんだ?」と聞いた。
「15ってのをちらっと見ましたね。ずっと10%前後が続いてたっぽいです」と彼はいった。
 雨が落ちてきた。顔に当たり、ヘッドライトやガーミンに水滴がついた。予報よりはるかに早い。まだ13時半だ。僕はぽつっと来ただけですぐやむかな、と期待した。しろひ君も気づいたようで「降ってきましたね」といった。
 しかし期待のとおりにはいかないもので、小さいながら落ちてくる雨は絶え間なくなった。降りだしたというよりは、雨域に入ったのかもしれない。路面はしばらく前から濡れていたように見える。ここが今降り始めたというふうではなかった。
 雨のなかを登坂する。僕は今日の全行程の事を考え始めた。
 あまぎの森放牧場が左に現れると、県道59号は見まごうほどの立派な道に突如変貌する。これはかつてこの牧場に天皇陛下行幸があったため、西天城高原道路とここまでの県道59号を整備したからだと聞いたことがある。つまり西伊豆スカイラインから続く規格で、このあまぎの森までつながっているのだ。
 いよいよ峠が近い。
「あの遠くに見えるT字路」と背中の遠いしろひ君に声を投げた。
「はい」
「風早峠ね」
「やっとですね、きつかった!」
 T字路の青看標識も、交差点も見えるのに、最後の坂がなかなか終えられない。たどり着かない。もういっぱいいっぱいだけど、あせらず上る。ようやく、たどり着く。手をかけ、足を乗せ、ステージに上ったような気分で。
「右見て。この道……」僕は切れた息でいった。
 しろひ君が右に顔を向ける。そして僕自身も道路を見る。絶景ロードは雨に濡れていた。
「なんすか、ここ」と彼は息をのんだ。
 僕は息を落ち着かせて、「この道が好きなんだ。やっぱりときどき見たくなって、ここに来る」といった。
「ヤベェこれやばい」
「路上もなんだから、ひとまずあそこへ行こう」
 道の脇のくぼ地、ハイカーの休憩する峠の展望台に自転車を置いた。
「すぐ下が海なんだよね」と僕が指差すと彼は目を凝らした。雨と雲で白んだ景色はよく見えないけど、目が慣れてくれば宇久須のまちと海、そこから広がる駿河湾がわかる。
 彼は背のデイパックから重そうな一眼を取り出した。西天城高原道路を撮り、海を撮り、また道路を撮った。それを何度も繰り返していた。
「なんなんですかこの道は」
「俺が『道がいい』からって自転車に乗るの、わかってくれる?」
「これはそうですね、わかりますね」
渋峠にも匹敵するでしょ。山田峠から国道最高地点のあたりの」
「わかりますわかります、ってかむしろ車全然来ないから、それ以上の感じがしますよ。ヤバいここ」
「よかったよかった。連れてきた甲斐があった」
 そして実は西伊豆スカイラインよりもこの西天城高原道路のほうが個人的には好きなんだ、と話した。へぇ、と彼はいった。
「天気が……。晴れてるときに来たいですね。これ青空だったらめっちゃすごいじゃないですか」
「確かにそうだ」
「また来なきゃならない理由ができちゃったじゃないですか」
「そういうもの?」と僕は笑った。
「そういうものです」
「道も覚えられたし。──単純でしょ?」
「はい。今日のログもばっちり残してますし、道は心配ないです」
 それからも彼はすげぇと連発しながら写真を撮り続けた。幸い、このときだけは雨も上がった。

 

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「あっ」
 誰もいないきれいな直線道路の途中、僕は目の前の風景に気づいて速度を落とした。「富士山……」
「えっ? どこですか」
「道のまっすぐ延長線上。見えるかな……。稜線しか見えないけど」
 彼も自転車を路肩に寄せて目を凝らす。そこには白い雪をたくさんかぶった富士山の稜線があった。すでに上部は雨雲に覆われていて、下部も霧状の雲ですっかり霞んでいる。まるで富士山の稜線の一角だけを切り取ったフォトフレームのように、そこに存在していた。
「写る?」
 道路の延長線上に一眼のレンズを向けたしろひ君に聞いてみる。あまりに白く霞み過ぎている。
「いやあ写らないですねえ」そういいながら設定を変え、何枚も写している。「──っていうか富士山もいいですけど、道がすごいんで、それを写し込みたいです」
 ああ、それそれ。いい傾向。僕は笑って心のなかでいった。

 

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 西天城高原道路を下る。
 この道は南から北へ向かうと下り基調だ。稜線部を行く道なので上り返しはあるものの、西伊豆スカイラインとの境界点、土肥峠に向けて下る。
 途中、右へのT字路を目にした。ここには青看標識はなかったけど、これは県道59号で上ってくる途中、行先も示さず右に分けた道に違いないと察した。そしてここ西天城高原道路とのT字路でも、同様に高規格な二車線道路だった。あるいは──、と思う。
 僕の根拠や事実裏付けのない推測はこうだ。
 この道は県道59号湯ヶ島風早峠区間の代替路ではないだろうか。風早峠へ向かう県道59号はあまりにも貧弱で、しかしながら道路に拡張や補強を加えることがもはやできないのではないか。したがって現道の高規格化は望めず、断念するしかないのではないか。伊豆縦貫道が延伸し、伊豆半島へのアプローチが東伊豆から東名直結の中伊豆へシフトしてきている現在、中伊豆から各方面への連絡道路はより重要になる。そこで県道59号も高規格化の必要があり、代替ルートでの実現とする。開通の暁には(開通しているようだけど)こちらの道路を県道59号とし、現59号は市道に格下げする。県道411号西天城高原道路と合流したのち風早峠までは重複区間とし、風早峠から仁科峠を経て西伊豆へ向かう現在の県道59号につなぐ。風早峠までの現道区間市道格下げするが、ただし高規格で敷設されている風早峠とあまぎの森放牧場との区間は県道411号西天城高原道路に繰り入れ充当する。
 こんなストーリーである(根拠なき私見です。伊豆市の資料を漁れば出てくるようにも思います)。

 

 さらに下ると、いよいよ西天城高原道路の終点、土肥峠に着いた。
 土肥峠はまたの名を「船原ふなばら峠」ともいい、道路標識から観光パンフレットの案内に至るまでどちらの名も同程度使われている。知れば同じ場所を示していることはわかるけれど、直感的にわかるためにはやはり統一してしまうほうがいいんじゃないかと思う。するなら僕はどちらの名前でもかまわないけど。
 この土肥峠が西天城高原道路と西伊豆スカイラインとの接点である。そして両道路のボトムにあたる。どちらから来ても下り切ったところが土肥峠だ。「峠」という意味では中伊豆と西伊豆を結ぶ国道136号でのピークであり、修善寺から来て土肥へ向かう途中でのピークなのだ。それで、峠。稜線道路である西天城高原道路と西伊豆スカイラインから見れば、峠でも何でもない。
「ここまでかな」
「はい、そうですね」

 

 

  僕らは風早峠で、「雨がやむことがなかったら土肥峠で終わりにしよう」と話していた。途中終了になること、そして何より今日のいちばんの目的だった西伊豆スカイラインを走らないことは悔やまれるけど、土肥峠まで走って雨が上がってなければ、そこで修善寺に下ろうと決めていた。西伊豆スカイラインに向かえばプラス10キロ以上、そしてここからまた標高400メートル余りを上らなくちゃならない。雨が上がればいいけど、そうでなければおよそ1時間半から2時間はさらに雨に濡れ続けることになる。

 

 今日の絶景ロードは、はじめから終りまで雨だった。

 

「また来なくちゃいけない理由ができた、ってとこか」と、僕は彼のいうようないい回しでいってみた。
「そうですそうです、そういうことです」
「まあ今度ここに来るなら、冷川峠と国士峠は通ってくる必要もないね」と僕は今日のルート設定の結果を笑った。
「今から下りる道でここまで上がってくればいいんですよね」
「そうではあるけど、でも西天城高原道路と西伊豆スカイラインをセットにしたいじゃん。修善寺の駅から南下して湯ヶ島に出れば、今日イノシシ食べたところでルートに合流できるよ」
「それってまたあの風早峠の上りじゃないですか!」と彼は笑った。
 そうだね、あれはきつい、と僕はいった。

 

「──さて、行こうか」
「行きましょう」
 県道411号西天城高原道路の終点は、実は土肥峠ではなくここから2キロばかり下った現・国道136号船原バイパスとの交点である。船原トンネルができる以前、土肥峠を越えて修善寺と土肥を結んでいた旧国道136号を引き継いでいるのだ。
 雨のなか、今日の旅のエンディングを変更して、修善寺駅へと向かう。
 結果的に、僕らは西天城高原道路を全線走破することとなった。

 

(本日のルート)