自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

やよい・春・西伊豆スカイライン - その1(Mar-2018)

 Mさんが、自転車に乗ろう、という。どこか、見透かしたように、まるで、タイミングを計ったように。自転車に、乗るべきだ、そんなふうであったかもしれない。僕がツイッターにログインしていないことは、伝えていたから知っていて、でもそれをどうこういってくるわけじゃなかったし、僕も改悟して前向きになり動きださなきゃと心だけでも入れ替えようとしたときだったから、なんなんだスピリチュアリストか? と思いつつ、でもなんのことはない、当人が指を骨折していて、それが治ったのだそうだ。

 ちょうど、買ったばかりの18きっぷがあった。これを使おう。そう思った。

 

西伊豆スカイラインに行ったことはありますか?」

 ない、といった。

 

 西伊豆スカイラインについて話そう。

 遠くさかのぼれば、車で走ったことはあるかもしれない。でも、記憶はない。この道を、自転車で走る道として強く意識したのは、TVプログラムの「峠/TOUGE」だった。映像の美しさは風景の美しさそのままで、直接的に、僕の感性に入り込んできた。言葉で説明されたわけじゃなく、BGMに魅せられたわけでもない。そんなものは必要ない。

 僕は、走った。

 映像そのものの直感的美しさを、見た。スケールが、違った。

 それから、何度か西伊豆スカイラインを訪ねる。そのすべてを知るには両方向走る必要があると、初め、南から北へと走った道を、北から南へと走った。別の色彩が見たいと、季節を変えて出かけてみた。すべて違う表情をのぞかせる。全方位的、全季節通年での魅力が、この道には備わっている。

 しかししばらくすると、僕はこの道へ出かけなくなった。話題に出すことも、減った。そして、この道と一本でつながる、南側の西天城高原道路を取り上げては賛美するようになった。西天城高原道路にばかり、出かけた。土肥峠(船原峠)から入り、南下した。風早峠から走り、土肥峠で抜けた。あからさまなエコひいきのように。

 西天城高原道路が素晴らしい道であるのは事実ながら、西伊豆スカイラインを冷遇していたのは、誰もかれもが持ち上げるようになったからだ。西伊豆スカイラインの素晴らしさが多くの自転車乗りから語られると、僕の興味が冬の路上で飲む缶コーヒーのように、急速に冷めていった。もてはやされればもてはやされるほど、その声を聞くたびに、僕は話題を避けるようになった。僕はただひねくれていた。不特定にたくさんの人が素晴しさを語るごとに、同調することを避けていった。まわりからこの道の名が挙がるたび、僕はあまのじゃくで、身勝手で、ひとりよがりになった。西天城高原道路を忘れてないかい、何十倍も素晴らしい、知らないのかい? ──誰も勝ち負けなど競っちゃいないのに、僕はひとり、馬鹿みたいに勝ち誇った。

 僕はやがて、周囲からの声を、情報を無意識に断っていった。

 

 西伊豆スカイラインは、素晴らしい道である。僕のくだらぬ意識など、どうでもよく。

 

 

 久しぶりの輪行。東京駅から東海道線の普通・熱海行きに乗る。そのために御徒町の貴金属街を歩いた。もちろんこんな朝の時間に誰ひとりいない。京浜東北線から乗り換え、東京駅から乗る東海道線は、いつも、寒い。4枚扉の通勤車は、駅に着くたびに外の冷気が入ってきて、どんどん温度が下がっていく。空調はほぼ入っていない。いつも、いつも、寒い。熱海から三島へ、同じ東海道線ながらJR東海。ここから空調の効いた電車でやっとあたたまれる。しかし今度は混雑だ。ここの普通電車はいつだってキャパ・オーバー。18きっぷのシーズンとか関係なしに、混んでいる。乗り換えは、いつも競争だ。でも今日は少し違って、なぜか伊東、伊豆急下田へ向かうホームへも多くの人が流れて行った。なんだったのだろう。まあともかく、あたたかい列車で三島に着いたら、ここでJRを離れる。改札口に行くと、いつだってスイカで乗り通してきてしまった客が駅員と問答している。いつもいつもだ。たいていはオジサン、オバサンが多い。混成だとさらにたちが悪い。オジサンはオバサンの手前、いいとこ見せたくて必要以上に居丈高に駅員に詰め寄る。僕は後ろで見ている。僕は18きっぷだから、有人改札を通らなきゃならない。いちいち面倒だ。改札を出て、きっぷを買い、伊豆箱根鉄道駿豆線へ。

 終点の修善寺に着くころには、日も高くなってきた。今週末はあたたかいのだと天気予報はいっていた。それを見越して、冬の恰好ではなく、春向けにしてきてしまったものだから、まだ肌寒い。

 待ち合わせたMさんも、自転車を組み始めた。よく、こんなあまのじゃくで身勝手でひとりよがりのひねくれ者と一緒に、嫌になりもせず走ってくれると思う。感謝しなくちゃいけない。

 でも、西伊豆スカイラインを選んだ僕だって、こころを入れ替える意識があるのだ。

 

 

 

 修善寺を出てしばし、南下した。

 国道414号ではなく、狩野川の対岸、県道349号。いつも、地元の車が抜け道で使う程度のこの道に、なぜか他府県ナンバーもいて、そして混雑している。しばらく走ってから、土肥峠へ向かう国道136号に入るため、狩野川の橋を渡って一度国道414号に合流しようとするのだけど、この信号がまた混雑。一度では出られずに、赤に変わってしまった信号を待った。

 出口交差点を右折し、国道136号に入ると、やっと落ち着きを見せた。ここからは西へ向かおう。

 ゆるめの斜度で、上りっぱなしの道が始まった。山と山に挟まれた平地部に田畑が見える。棚田というほどじゃないけど、坂に合わせて段々を作っていた。坂を上り続けるごとに、田畑を囲む両脇の山がせまり、田畑の範囲は狭まっていく。川の流れが急になっていく。

 

 

 土肥峠へ向かうには、国道136号から分岐する、県道411号に入る。国道136号をそのまま行くと、土肥峠の下の船原トンネルを通過してしまう。西伊豆スカイラインや、西天城高原道路へ向かう場合も同様、県道411号に入る必要がある。

 というか、この県道411号という番号、西天城高原道路の県道番号だ。すでに西天城高原道路が始まっている。

 

 

「まったく見通しが効かなくて、残念ですね」

 県道411号は、杉だろうか、かなり背の高い針葉樹に囲まれている。西伊豆の、果てしなく遠くまで望めるダイナミックな山なみが、ここからは見られず、残念に思って僕はいった。

「そうでしょうか、むしろこういう風景のほうがいいじゃないですか」

 とMさんがいう。

 車はほとんど来ない。針葉樹の枯れた落葉が路肩に積っていたりして、ふだんから交通量が少ないのだろうなと想像させる。ときどき、それをわざと踏んでみる。

「最高ですよ、ここで」

 とMさんがいった。

 そうなのかもしれない、と気づく。西伊豆だからこういう風景という固定観念を植え付け、決めつけているのは僕自身なのかもしれない。

 西伊豆スカイラインの分岐が見えてきた。急に、空が広がった気がした。

「右へ、曲がりましょう。上を渡ってる橋の道です」

 

 

 

 西伊豆スカイラインに入って、進路を北に取った。

 これまでとは違う、急な勾配で、さらに坂を上る。

「土肥峠って、いったいどこが峠なんですか」

 互いに止まりそうになるくらいの速度で、坂を上る。むしろこういうところは速度を上げずに、持続できる走り方で、そして諦めないで進み続けることが大事。

「この西伊豆スカイラインから西天城高原道路に至る一本の道のなかで、さっきの土肥峠がいちばんの底なんです。だからどっちの道に入っても、上りになるんです」

 息を切らせながら話をするのは大変だ。途中に息つぎを交え、途切れ途切れに話す。「この道が、西伊豆の尾根を行く道ですから。土肥峠は、さっき走ってた国道136号、中伊豆から西伊豆の海岸に向かう途中でのピークなんです」

 そうやってじわりじわりと進んでいくうちに、左手に視界が開けた。海だ。駿河湾。そこに小さな入り江がある。入り江には町があり船が止まっている。土肥港ですか? そうですね、土肥港ですね、そんな話をする。大丈夫ですか? もうだめですけどなんとか、この先土肥駐車場ってところがあるようですので、そこまで行きましょう、そこで休憩しましょう、などと話す。そして今度は右手、つづら折りの途中、南に長い、複雑な屈曲の連なりを見せる、西伊豆スカイラインから西天城高原道路を望んだ。道路好きにはたまらない、壮大な美しさだ。

 

 

 土肥駐車場にはソロのオートバイが1台、セダンの乗用車が1台止まっていた。通りぎわ、オートバイのツーリストに軽く会釈すると、彼も会釈を返してくれる。駿河湾を望む。空も海も青い。なんてリアリティのある風景だろう。

 よく、広く大きく(あるいは小さくというべきか)風景を望む、高台の展望地にいると、まるで全体がよくできたジオラマのように感じることがある。細部まで精巧に造られた模型を、俯瞰するように。なのにここはどうだろう。土肥港の入り江と町が、洋上を航行する船が、強烈な現実感を帯びて、そこにある。すべてがマッチの先ほどもない、ひとつひとつの判別などつかないちっぽけさなのに、港町の生活感が、係留された船が小波に揺れるようすが、航行する船舶の圧倒的な大きさが、僕がそこにいるように伝わってくる。現実が今、同時進行で。リアルタイム、リアリティ。現実とは、脳が作り出した幻想である──そんな論文表題をふと思い出す。光景の現実感が、交差点の信号の点滅さえ目に見えてるように錯覚させる。

「まだ西伊豆劇場は始まったばかりです。先に行きましょう」

 眺望に吸い込まれるように立ち、ときどき思い出したように写真を取っているMさんに、僕はそう声をかけた。

西伊豆劇場には、走ってきた枯れた田畑や木立に囲まれた道も入ってますよね。入れてください」

 という。なるほど、あるものすべてが西伊豆である。西伊豆はこうだ、というステレオタイプの上に成り立っているわけじゃない。もしそんなものがあるとしたら、僕が勝手に、ひとりよがりにはめ込んだ、枠だ。

「この先、戸田駐車場っていうスペースがまた現れると思うんですが、その前にピークがあるはずです」

「峠ですか?」

「いえ、峠とか、名前はないんです」

 

 相変わらず急坂が続く。

 いくつもの山稜を連なるようにつなぎ、達磨山の山腹をなめるように進む道は標高が900メートルに達する。周囲の木々はやがて少なくなり、クマザサに覆われるようになる。視界が開ける。

 ピークに達する前に小土肥駐車場がある。すべての展望地や駐車場に立ち寄っていては先になかなか進まなくなるから、ここはパスしようと思っていたのに、他の駐車場とは違い路肩が多少広くしてあるだけの駐車場とは思えないここで、立ち止らずを得なかった。クマザサで開けた眺望の向こうに、いよいよ富士山が現れた。

 自転車を立てかける場所さえない。僕は自転車をクマザサに放り投げた。

 

「浮かぶように見える、遠く白い山の稜線が見えますか?」

「見えます。あれは?」

南アルプスです」

「そうなのですね、へえ、伊豆から見えるのか」

 Mさんはそれを知ると、写真を立て続けに撮り始めた。「富士山より感動的ですね。あれ、南アルプスなんだ……。南アルプスが見られるとは」

 ピークを過ぎ、道が下りに転じると、西伊豆スカイラインの北行きのクライマックス。特に今日は最高だ。富士山がひとつの霞みもなく目の前にいる。

 西伊豆劇場──。走りたい衝動と、じっくり眺めたい衝動と、双方がせめぎ合いながら、結局立ち止まる。きりがない、そう思うのに止まらずにいられない。それこそ何百メートルかおきに、止まっている。ふだん、下り坂は走ることも気持ち良く、止まることも大変だからそのまま進んでしまうことが多いのに、今日は違う。衝動で、そのたびに下りの途中、強いブレーキで自転車を止める。ときに、逆方向に道を上りなおしてでも、その光景を見る。

 

 ──その2へつづく

 

(今回の地図)

GPSログ