自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

自転車に乗らなくていい日

 週が明けると早速週間天気予報を見つつ次の週末はどうしようなどと考えはじめる。予報が晴れで、確度が高ければ、心配なく行きたいところをチョイスする。理想的な週の過ごし方だ。しかしながらそんなハッピーなことなどむしろまれで、天気に恵まれないことばかりである。そうなると無駄に思考を働かせてあらゆる選択肢を挙げ、いろんな局面を想像するのだ。どこでどんな天気になろうと対応できるように。IF THEN ELSE、IF THEN ELSE……。抜けのないプログラム・ロジックを組み立てる。IF THEN ELSE、IF THEN ELSE……。
 週末が土日の両方自由になるか。ならば予定を流動的にしておいて、天気のいいほうの日にしよう。地域によって天気の良しあしがあるか。あるなら天気の良さそうな方面へ出かけて楽しもう。それらを組み合わせできるか。土日の両方が自由で地域により天気が異なるのか。──そうして条件が加わってゆく。IF THEN ELSEIF THEN ELSEIF THEN ELSE……。抜けのないプログラム・ロジック。
 条件が生まれれば生まれるほど、情報収集の範囲が広がる。天気予報があいまいであればあるほど、キープされる条件が増える。群馬の土曜日は40%、でも確度が低いからよくなるかもしれない、日曜日はだめだ、日曜日なら千葉、とはいえ30%、むしろ風の状況から考えたら日曜日なら40%を出しているけど山梨か? まるでホワイトボードに張り出された整理のつかない付箋を眺める取りまとめ者のいないブレーンストーミング・ミーティングのように、そしてまた付箋に書き足していくように。いったいいつ、どこへ行くというのだ。絶えずウォッチしなくちゃならない天気予報の地域ばかりが増え、そしてそのぶんルートも引かなきゃならない。満足のいくルートを。──もはや無間地獄、その名のとおりのひっきりなしの苦難だ。

 

 あれ? 自転車って楽しいものだろうに。そう思うことがある。

 ピンポイントで天気に恵まれた場所を探り当て──たいていそれは好天とまではいかず、「降られずに済んだ」程度のものだ──、満足に浸ることもある。情報収集と分析と判断の結果、今週もサイクリングができたともろ手を上げるのだ。満足とはもちろん自己満足だ。
 しかし結果どこにも出かけることができない週末もある。
 選びようのない悪天候で、関東甲信越、さらにその近接まで手を広げたところで雨模様のとき。

 

 自転車に乗らない日──。
 前日、金曜日あるいは土曜日、もはや自転車の準備をする必要がない。気温を見ながら着るものの算段に何度も何度も悩むこともない。距離や標高や負荷とルート中にある店の数から持っていくべき補給食を選択することがない、それによってバッグ類をどうするかとさんざん悩んだり結局つけなおしたりする必要がない。
 明けて翌日、目覚ましの鳴らない朝を迎える。いそいそと起き出す。湯を沸かして、ドリッパーにペーパーフィルターをセットするか、気が向いたらフレンチ・プレスを使ってコーヒーを入れる。出勤する仕事の朝やサイクリングの日は余裕もないからコーヒーを飲むことはない。座って、いま入れたコーヒーを飲む。こんな朝はサイクリングに出かけない休日だけだ。洗濯でもしようかなって思う。平日の夜、週末を案じて洗濯しておかなきゃとバタバタ始めるのとはゆとりが違う。あるいは、まどろむ気分にまかせて少しだけ二度寝する。
 ふと思う。
 自転車に乗ることを楽しみにしていながら、本当は苦しんでいないか?

 

 自転車旅は外で楽しむものだから、天気に左右されるのは仕方がない。しかし同じ旅でも鉄道旅やドライブに比して圧倒的に雨に弱い。むしろ鉄道や車であれば、雨なら雨なりの楽しめる旅がある。雨にけむる渓谷の山岳路線の車窓を眺め、うたた寝を半分交えながらの旅は楽しいし、本を何冊か抱えてどこか見つけたカフェに車で出かけていくのも悪くない。でも自転車で雨となれば別だ。楽しいことなんてひとつもない。そんななかわざわざ出かけていくことはない。競技をやっていて雨のなかでも走る練習をしておかなくちゃっていうのならあるかもしれないけど、少なくとも僕の自転車旅はその真逆にいる。
 だからやむを得ない情報収集と分析と判定なのかもしれないけど、やっぱりひどい労力だ。準備もまたそうだけど、週末へ至るまでの計画が苦難だ。

 

 雨が確定、自転車に乗ることをあきらめた、、、、、週末は、なんて晴れ晴れして気持に余裕があるんだろう。「ああ、今日は自転車に乗らなくていい日なんだ」って思ってしまう。
 そういう週末も必要かもしれないね。