自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

天空の高原とダート/地蔵峠・こまくさ峠・車坂峠-その2(Sep-2017)

その1からつづく

 群馬県嬬恋村から地蔵峠に達した県道94号はここ地蔵峠でピークを迎え、長野県東御市に向かって下っていく。しかし僕の引いたルートはここで終わりではなく、さらなる上り坂に臨むことになっていた。地蔵峠から東に分ける湯ノ丸高峰林道である。

 この道が、僕の知る湯ノ丸スキー場とアサマ2000スキー場をつなぐ道。当然冬季閉鎖で、スキーにやってきたときはこの道の存在は知り得なかった。湯ノ丸に来るには東御から上がってくる必要があるし、アサマ2000に来るには小諸から入る必要がある、双方の行き来はそれぞれ下まで下りなきゃいけない、そういう認識だった。

 

 道は、湯ノ丸スキー場の斜面に合わせるように上り勾配が続いていた。僕はここまで風景美、道路美を見せてくれた県道94号を離れ、この上り勾配へ入る。

 すぐにゲートがあり、もちろん開いているのだけど注意書きがあった。メモを取らなかったので記憶だけで書くと、この林道の通行可能な時間は17時まで、高峰高原への通過に40分を要するから16時20分を最終通過とするような内容だった。

 道は舗装されているが細い。車のすれ違いは困難で、途中途中に退避箇所が設けられていた。しかしそれより勾配、こんなにきついのか。スキーのときはこんな斜面を滑り下りているのか。そうなるとたやすくこの斜面を上らせてくれるリフトという乗り物には感謝しないといけないな。

 道はつづら折りを繰り返し、何度も湯ノ丸のゲレンデを横切った。

 つまり僕はこの林道のうえを滑ったということだ。

 

 地蔵峠までの上りでかなりくたばったにもかかわらず、まだまだ上り続ける。標高1,700メートル超の地蔵峠も途中経過にすぎなかった。しかしこの湯ノ丸高峰林道もまたいい。県道94号が高度に整備された道路の造形美なら、こちらは自然のなかで通行する目的だけを追求した最小限の機能美だ。道が細いわりに車や二輪車はそこそこ通るので、さすがにぶっ飛ばして走る人はいないと思うけど、注意するに越したことはなさそう。

 

 ようやくたどり着いたピークはいよいよ標高が2,000メートルを超えた。

 こまくさ峠。

 

▼ 湯ノ丸スキー場の斜面を伝うように道は進み、つづら折りでゲレンデを何度も横切る

▼ つづら折りで進んでいく道は、狭く、退避所をいくつも備える

国有林は特別母樹林

▼ こまくさ峠に到着した

 車や二輪車の往来があるとはいっても、離合困難な林道ゆえそんなに多いわけじゃない。だからこまくさ峠に着いた瞬間、こんなにも車が止められているという事実に驚いた。

 もちろん人も多い。トレッキング・ベースになっているのだろう。2,000メートルという標高からすると軽装に見える人もいるので、周辺に簡易な散策路も用意されているのかもしれない。少しの散策で訪れられる湿原もあるようだ。まさにそう思われる道に人の列もできていた。

「ここまで上ってきたの?」

 軽トレッキングスタイルの老夫婦の紳士に声をかけられた。

「はい」

「どのくらい上るの?」

 と興味深そうに聞く。

「ここが2,000メートルなので……、長野原を出発してきたんですけど、そこが600メートルくらいだから1,400メートルほどでしょうか」

 僕は盛ることもせず、あるいは驚かせないように過少にすることもなく、答えた。予想はしたが、

「はあぁ、そんなに? すごいなあ」

 と反応する。そして紳士は横にいる夫人に「この人、自転車で1,400メートルも上ってきたんだってさ」と言う。

 よく出合う光景、会話。

 そしてたいてい、夫は少し──ときにはかなり──興味を持って話をするのが伝わってくる。自分もやってみたいとよぎっていることが表情でうかがえる。みんなそうだ。男の子はみな、自転車が遊び道具だったんだ。

 そしてたいてい、妻は興味なさげにふうん、と答える。

「お気をつけて!」

 かけられた張りをもった声に、僕は「ありがとうございます」と丁寧に頭を下げた。

 

 休憩がてら手持ちの羊かんを食べながら峠からの景色を眺めていた。

 しかしこれだけの車がいる場所で、人の列がここにもあそこにも見られるのは必然だった。方角でいうと東のほうだろうか、これから向かう高峰高原周辺と思う山々が見える。ただ人も多いことだし、先に進むことにする。

 

 まるでマスキングテープできれいに塗り分けたように、ここから先は未舗装の道が続いていた。

 

▼ こまくさ峠から望む風景・山々

▼ ここから先へ続く未舗装の湯ノ丸高峰林道

 

 ダートは、楽しい。

 いや、乗っている自転車がロードバイクだから、決して走って楽しいというわけじゃない。乗りにくし、進まないし、砂利の形や深さによっちゃ乗ることもできない。降りて押さなきゃいけない。

 でも、未舗装路で走る旅路が、楽しすぎる。

 

 止らずにはいられない。

 天空の道。

 高峰温泉という一軒宿に出た。山小屋を立派にした旅館のように見える。

 ここまでの道がとても長かったようにも感じるし、短かったようにも感じる。長かったのは、砂利にタイヤを取られて何度も滑り、ブレーキが効かなかったりカーブを曲がれなかったり、ペダルを踏んでも空転してしまったり、とにかくどうしたって簡単には進めないし、何度も降りて押したせいだろう。逆に短かったのは、この道がもう終わってしまうのか、というしぼんだ気分にほかならない。

 ここもまた車が止められ、トレッキングのベースになっているのだろう。

 そしてバス停があった。バス停にはつばめのマークがあった。つまりJRバスだ。国鉄を代表する超特急「燕」が、C62型蒸気機関車のエンブレムになり、国鉄スワローズを生み、国鉄バスのマークになった。バスはJRになってもそのマークを引き継いだ。

 しかしここへの路線をJRバスが担っているとは。

 バス停に行ってみると一日2本の時刻表。──なんと高速道路を経由した新宿行きだ。

 急に、現世に引きずり降ろされた気分になった。

 

 高峰温泉の一軒宿からまた数キロの未舗装路、高峰高原のベースに着いた。イコール、アサマ2000スキー場であり、車坂峠だ。

 こちらもゲレンデの脇をかすめるように道が続いていたものの、どんなスキー場だったか結局思い出せずに終わった。湯ノ丸と違って、道路がゲレンデのなかを横切ることがなかったせいかもしれない。

 冬はアサマ2000スキー場の駐車場であろう場所がほかの駐車場同様、車で埋まっていた。湯ノ丸高峰林道の路肩にも何台もの路上駐車があった。つまりどこもこの一帯、地蔵峠にせよ、こまくさ峠にせよ、車坂峠にせよ、トレッキングで大人気の場所なのだ。まったく知らなかった。山はやらないとはいえ、少しくらい情報として知っていてもいいものだ。僕はまったく知らなかった。

 

▼ アサマ2000スキー場を通りながら車坂峠に到着

 もう13時もずいぶんまわっていたので、食事もしたいと思っていた。

 高峰高原ビジターセンタなる施設があり、ここで食事ができるのを調べていたので立ち寄ってみた。

 外観も中も、想像していたよりもはるかにきれいな建物だった。それは登山であれ、スキーであれ、そういった場の施設でなかなかこんなものにはお目にかかれない。

 レストランには客がいなかった。白のシャツに黒いスラックスというきちっとしたいでたちの店員にいらっしゃいませと声をかけられるものだから、すっかりポンコツ、ヨレヨレになった自分の風体を指し示し、「こんな恰好でもよろしいですか?」とつい聞く。

「もちろんです。注文だけ先にいただいて、お好きな席にどうぞ」

 僕は野菜カレーを注文した。

 場所柄、スキー場のゲレ食を想像する。お値段こそそれなり、ゲレ食並であった。でも現れたカレーはふんだんに夏野菜が載った、ボリューム満点のカレーだった。スキー場の昼どきに出合う、ルーしかないんじゃない? と疑う千円以上のカレーなどとは比較できない。

 そして満足いくほどおいしかった。

 

▼ 高峰高原ビジターセンター

▼ 窓の外、高原風景を眺めながらカレーを食べた

 たまたま時間のはざまだったのか、僕が食事を始めるとそれが呼び水になったのか、他に客のいなかったレストランが埋まってしまった。食事をする人、ソフトクリームだけを食べる人、さまざまだけど、テーブルはすべて埋まり大盛況になった。ソフトクリームは注文を聞いていると、「キャベツのソフトクリーム」らしかった。ちょっと興味がわいたけど、たっぷりのカレーを食べて、そのすきはもうなかった。

 

 

 下りは豪快だった。

 道はチェリーパークラインといい、かつては有料道路だったらしいが現在は小諸市の市道。ときおり佐久から小諸、やがて東御から上田に続こうかという台地がまるで一枚の皿のように眼下に覗く。何度か立ち止って写真に収めたりしていたものの、それでもわずかな時間で降りてきてしまった。

 道には何度も「10%」と書かれた警戒標識が現れ、その斜度が緩まる気配は最後までなかった。

 僕は下りながら何度も、小諸市側からこのチェリーパークラインを上るルートにしなくてよかったと、胸をなでおろした。こんな10%もの坂を延々と、休む場所もなく上り続けることは困難だ。標高1,900メートル超から1,000メートルまで、一瞬にして下り終えてしまった。そんな道だ。

 ──あとで調べてみると、このチェリーパークラインを使ったヒルクライムレースがあるらしい。僕は想像しただけでもう頭がくらくらする。

 

▼ チェリーパークラインから望む信州千曲川沿いの台地

▼ チェリーパークラインは豪快な山岳路と言っていい

 

 僕は今日、三つの帰路案を考えていた。ひとつはこのまままっすぐ下り続け、小諸を突っ切り佐久平に抜けて新幹線に乗る案、ひとつは東に進路を取り軽井沢へ出てそこから新幹線に乗る案、もうひとつは軽井沢から旧18号碓氷峠を下って横川から信越本線に乗る案だ。

 18きっぷで来ているので、最もお得なのは三案め。新幹線は18きっぷ自体が使えないから乗車券も含めて別にきっぷが必要になる。それもあったし、まだそれほど時間も遅くない(14時半)から、まずは軽井沢に向かってみることにした。

 国道18号までは下り切らずに、途中の県道80号で東へ。国道ではないけれど、国道18号のバイパス的道路だからさすがの交通量だった。大型車も多い。新しい道路だから国道18号よりも路肩は広めのところが多くて走りやすいけれど、起伏もある。上り下りを繰り返す。

 でもここにきて初めて、今日ずっと走っていて厚い雲で見ることのできなかった浅間山が顔を出してくれた。

 

 軽井沢の町なかはさすがにうんざりする交通量で、車はそこかしこで渋滞を繰り返していた。それでもなんとか軽井沢に着くと、僕はそのまま旧18号を走った。軽井沢からは碓氷峠までわずか数十メートル上る程度。あとは下り坂だけで横川に出られるのだ。

 軽井沢駅前の交差点を越えると、なんだか目に見えないエアカーテンでも越えたように空気感が変わった。あれほど渋滞していた道が静かになり、車の往来は数えるばかりになった。交差点ひとつ曲がったわけじゃないのに、同じ軽井沢町内なのに、別の空間へ移動したようだった。

 ちょっとだけ上ってすぐにピーク。「群馬県」と「安中市」の看板。かつては「松井田町」と書かれていた看板だ。僕は急にほっとした気分になった。なぜだろう、僕の住む埼玉県から在来線が一本でつながっている場所だからだろうか。

 

▼ 県道80号から望む、浅間山

▼ ほっとした群馬県境、碓氷峠

▼ 横川駅で、ここから輪行

(本日のルート)

GPSログ