自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

愛知・三重へ(その1)(Jan-2019)

その0から続く

 

 午後1時。
 武豊駅で僕は自転車を組む。
 駅は、終着まで乗ってきた少しの客がいなくなってしまうと、僕と、迎えでも待っているのか庇の下でずっと立っているおじさんとのふたりだけになり、車通りもまったくないから、いたって静かだった。折り返しの大府ゆき列車に乗る人は、列車が着くときにはすでにホームで待っていて、彼ら彼女らが乗りこんでしまったあとは、あわただしく駅に向かってくる人もいなかった。
 乗ってきた下り列車が折り返し上り列車として出発するのが10分後で、僕が最後の荷物をまとめているときに、ワンマン列車の一連の儀式ののち出て行った。僕は10分以上、輪行解除から自転車の組み上げまでかかっていたことになる。

 

 さて、今日の道はシンプルである。知多半島の海岸沿いをぐるりと周回する国道247号を走るだけだ。僕が好む路地のような道をつないでいくこともあるいはできるかもしれないけど、まずは初めての地だ、その地を司る道路を走ってみて、その地とその道を知ろうと思う。
 武豊の駅を出発した。住宅のなかの道を進んですぐに国道へぶつかり、ここから国道247号を走る。なんだか楽に走れるなあと思った。このくらい楽に走れるように心がけたいと思ったが、何のことはない強い追い風のせいだった。僕の力なんかじゃなかった。
 左手には工場地帯が広がっていて、右手は住宅街だった。それだけの風景がしばらく続いた。特にどうということのない風景ながら、発電所の入口に中部電力と書いてあるのを見ると、中京圏へ来たんだと印象を受けた。
 交通量は少なくない。オレンジ色の中央線の片側一車線の道だけど、とはいえ走りにくいというほどじゃなかった。
 発電所を過ぎてしばらくすると、海が見えてきた。同時に右の木々のあいだに鉄道の架線柱が見えた。駅があるようで、ちょうど名鉄の白い車体が止まっていた。窓より上、屋根近くが見えるだけで、もうちょっと姿を見せてくれないかなと思った。僕が横を通り過ぎると白い電車も同じ方向へ発車した。並走したいねー、そう思ったけれど、線路は右にカーブして木々のなかへ消えてしまった。

 

 休憩がてら河和こうわ駅に立ち寄ってみると、さっき姿を見せた白い電車が止まっていた。展望席のあるパノラマスーパーだった。河和線の終着駅であるここは、小さなくし型ホームに正面改札という構造だった。しかしながら阪急梅田駅や小田急新宿駅のような大規模ターミナル駅の風格はない。それでも小さな終着駅は、ここまで鉄道路線を造り切った静かな達成感を匂わせた。
 すべての線路に車両が止まっていた。ステンレスの車両、赤い車両も止まっていた。三世代勢ぞろいだ。

 

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 駅前には師崎もろざき港ゆきのバスが客を待っていた。行き先に港と付くバスを見ると、海なし県に住んでいる僕などたちまち旅情郷愁を覚える。ああ来たな、知多半島なんだなとじわじわ感じた。

 

 河和を過ぎると交通量が減った。沿道の住宅や工場はまばらになり、やがて国道247号は海沿いへ出た。風が一段と強くなった気がする。追い風は、僕の場合速度こそ上がらないものの、楽に走れる補助力アシストになった。
 いくつか、漁港を通過していく。どれもそれなりに大きな漁港だ。河和を過ぎてからというもの、工場とベッドタウン住宅から、海のまちに、さながら舞台のセット替えをしたようだ。
 と同時に、板壁で造られた家が目に留まるようになった。横羽目よこばめもあれば縦羽目たてばめもあった。それら板壁の多くは黒く塗られていた。黒い板壁はコールタールを塗っているのだと聞いたことがある。そのほかの塗材もあるかもしれない。黒い板壁を使うのは海風に強いのだろうか。僕のところではふだんあまり目にすることがない建築ながら、新鮮ではなく懐かしさも覚えたのはなぜだろう。どこかでインパクトを受けながら見たに違いない。

 

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 大漁旗を掲げた船がいた。風の強さを示すように、旗は大きくはためき、竿は激しくしなっていた。ほかにも船がたくさん係留されている。秩序正しく整列されていた。師崎港に着いたようだ。港のようすを眺めているのが楽しくて、取り囲む漁村の路地に入りこんでみた。漁港を四方から眺め、家々のすき間を行く。狭い路地にはひしめくように住宅が建っている。家の前には台車や籠やコンテナや発泡スチロールや、そんなものがきちんと積み上げられたり、あるいはとっ散らかって放置されている。そんな道のあいだを抜けて行く。
 そのうち広い道に出て、そこはフェリーターミナルだった。すぐ目の前に浮かぶ、篠島日間賀島ひまかじまへ向かう船だった。車やオートバイが列を作って入港を待っていた。ちょうどバスがやってきて、降りた乗客はターミナルの建物に入っていった。僕も一緒になって入ってみると、けっこうな人であふれていた。港の独特のあわただしさが漂って、でもこれが日常のようすなんだと目に映った。僕もその雰囲気に身をゆだねて、自販機で買ったカップのブラックコーヒーを、待合室の椅子の一角に座って飲んだ。フェリーに乗るわけでもないのに、悪くない気分だった。

 

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 とにかく風だ。半島の国道は先端の師崎で方角を反転する。北西方向へ向かうことになった僕は、つねに風と対峙しなきゃならなかった。海に面して、ガードレールか、1メートルもないコンクリートの築堤かの道路は、まさに吹きっさらしだった。
 それでも僕は走っていく。速度がときにひと桁になりながらも、知多半島をめぐっていった。美しい海岸線と、板壁の家々の風景は、どこまでも心に入りこんできた。
 内海のまちに入った。ここはまた雰囲気を異にするまちだった。なるほど港と、そこに流れ込む内海川を基盤にした回漕、廻船のまちだったみたいだ。風格がある。そして一段と多くの板壁の家々がまちを形成していた。大屋敷もあった。思わず国道を離れ路地に入りこんだ。内海川の端に出た。うろうろしているだけで時間を忘れそうだった。
 そぞろ歩いていると、かつて見た黒板壁の風景を思い出した。小豆島だ。去年、小豆島をサイクリングしたときに、黒板壁のまちなみ、水路に沿ったこういう風景に出合った。

 

 まず、やめるならここだった。内海川に沿って上っていくとほどなくして、名鉄知多新線の終点、内海駅がある。ここから輪行すれば名古屋まで一足飛びだ。
 確かに風がきつい。僕の脚力ではまったく進めない。だからほんの2時間足らずのサイクリングでも妙にくたびれていたし、走る気持も続かない。でも内海川のほとりを、思わず自転車を降り、押して歩いていると、もう少しだけこの知多半島という場所を楽しみたい気分に駆られた。路地が国道247号に突き当たると、そこで僕は再び自転車に乗った。

 

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 少しだけ、後悔した。風がますます強くなってきている。でも海岸線の風景と板壁の家並みは心を空っぽにしてくれる。板壁の家々は東岸の武豊、河和から師崎にかけてよりも多いよう。東岸は工場群や、住宅であれば新しい住宅が多く、風景は西岸のほうがいい。海岸線きわを走る国道、板壁の家。この風さえなければ、最高のロケーションだ。
 さまざまな板壁、板塀を見るたび、つい足を止めてしまう。
 海岸線の砂地に突如、突き出すように小さな灯台が現れた。野間のま灯台野間埼のまざき灯台という表記も見かけ、さらに「ざき」の字に当てられているのが「埼」も「崎」も見かける。どれが本当の名前なのやら良くわからない。幾組かの観光客が立ち寄っているけれど、とにかく風が強い。向かい風だから泣けてくるし疲弊するしと思っていたけれど、立ち止まっていてもこんなに強い風なのかと驚いた。恋愛成就の地だそうで、南京錠を掛けるために用意された鉄柵と、ふたりで鳴らすためであろう鐘があった。ぼっちでこれを鳴らす痛い絵をやろうかと思ったけど(伊豆大島ではやった)、狭い場所で、他にいる人の視線が近すぎるのと、鐘を鳴らす綱が風であおられていて手に届かないので、やめた。ひとりぼっちがジャンプして綱を取っていたらもはや滑稽さも痛さもない。
 しかしこの寒風のなか、みんなこうして観光しているのは尊敬する。僕など自転車で来ているから立ち寄ろうと思うけれど、もし車で来たならば、この風と外気温じゃぬくぬくした車内から出る気にすらならないと思う。老齢のカップルが、女性をモデルに男性が写真を撮っている。男性が構える大型の一眼レフに女性が応ずるようにポーズを取る。強い風に帽子が飛ばされそうになり髪がすっかりなびいてしまっているけれど気にするようすはない。本職の被写体さんさながらにポージング。数カット見ていたけれど、冷えてきてしまったので先に進むことにした。

 

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 日が暮れかけるのと同じくして、急激に気温が下がるのを感じた。ペダルを回しても進まないし、身体が動いて発する熱よりも、冷えた強風で奪われる熱のほうが多いように思った。何か飲みたい。ボトルに入れている水はキンキンに冷やされて触る気にもならない。コンビニを見つけた。コーヒーを飲もう、温かいコーヒーを──。
 考えてみたら上野間までなら知多新線が並行していたのだ。そこで切り上げればいいものをさらに先の常滑を目指した。意図してというよりは目指してしまったというほうが近い。何となくだ。惰性だ。
 やっぱりくたびれてしまったようで、奥田の旧いまち並みが続く路地も、入っていくことなく横目で見送った。ルートで引いてきた上野間から海岸線をつたう道も、この強風にめげて避け、内陸の丘へ向かう国道247号を進んだ。こんな選択が正しいのか怪しかった。丘へのアップダウンも風の通り道になっているようで、ぜんぜん風がゆるんでくれることがない。バイパス道のような国道は周囲に何もなく、楽しみもメリハリもなかった。
 常滑市に入って、古場町のまちなかを走ろうと国道を離れた。国道がこの先さらに内陸へ離れて行ってしまうのもあって、もともと引いていた海沿いの道へ移った。古場町もまた、古き良き板壁の並ぶまち風景だった。ただ、止まって眺めようという意欲はもうなかった。寒さと強風でこわばった身体を、止めて風にさらすのはつらかった。でもいいまちを走っていける満足感はあった。日が落ち、空がオレンジ色から藍色へと変わるなか、黒板壁はさらに黒味を増し、重厚であり泰然としていた。
 古場町から常滑駅、そう距離はもうないはずなのに、やけに長かった。

 

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(本日のルート)

 

 

「どうぞ、自転車をそのまま部屋までお持ちください」
 支配人の名札を付けた男性が、エレベーターのボタンを押して僕を案内する。「お正月でお客様も少ないですので、大切な自転車をお部屋に置いておいてください」
 四日市駅からのわずか1キロ余り、それを走っただけで凍ったように固まってしまった僕に、ビジネスホテルは本当にありがたいサービスを供してくれた。表の強風のなかでまた輪行袋にしまうというとしたらつらすぎる。
「寒いですねえ」
 と思わず口をついて出た。
「ええ、寒いです。自転車もさぞ寒かったんじゃないですか?」
「ですね。──ここ、関東より寒く感じます」
「ああ、そうですか。私もここに来る前、熊谷、市川と関東でやってきたのですが、じつはここ、いちばん寒いように思います」
 支配人は僕とふたりのエレベーターのなかで、なぜか声をひそめて見せる。
「やっぱりそうなのですか?」
「ええ。ぜひ明日もあたたかくして過ごしてください」
 エレベーターを降り、エレベーターにいちばん近い部屋を用意しましたので、といって目の前の部屋をキーで開け、床にシートを引いた。
 自転車を置くと、僕は空調を最高温度にし、自身をベッドに投げ出した。やっと、身体が弛緩していく感覚を得た。
 スマートフォンにメッセージが入っている。ひみよし (id:himiyoshi) さんだ。明日の伊勢参りサイクリングのため、わざわざ同じホテルに投宿してくれている。
 ──お疲れさまでした。お風呂でゆっくり温まってください。それから食事に行きましょう。
 僕は簡単に荷解きをし、ホテルの大浴場へ行った。末端冷え性の僕の手先足先はしもやけですっかり腫れ上がっていた。足の指は歩くと体重がかかって痛いほどだ。身体の冷えもひどい。それをお湯で回復させようとするけれど、先にのぼせてしまいそう。本当に寒さが苦手で困る。自分の体質が恨めしいと思う。

 

 まち歩き用の着替えなどがあるわけじゃないから、荷物を大きく広げる必要もない。お金とスマートフォンだけ持って部屋を出た。エレベーターに乗り、1階へ下りる。エレベーターを降りてロビーへ出る。ひみよしさんだ。顔も知らない、今ここで会うのが初めてだけど、直感的にそうだとわかる。ひみよしさんもそうだったのかもしれない。
「はじめまして」
 まるではじめてとは思えない。自然と握手を交わした。

 

その2へ続く