自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

愛知・三重へ(その2)(Jan-2019)

その1から続く

 

 僕自身がルート作成に関与しないサイクリングをするのはいつ以来だろう。今、ガーミンに表示させているルートは、今回の旅のきっかけになった、ひみよし (id:himiyoshi)さんが作ってくれたものだ。なんだか新鮮。ただ、自分で引いていないルートって全体感がつかめていなくて、漠然とした不安感はある。僕が把握てきているのは数値的なものだけ、たとえば距離であったり標高であったり。でも数値だけではない道路事情や、見たり止まったり立ち寄ったり、食事や休憩や観光、そんな諸条件を加味してはじめてサイクリングの計画といえる。総合的なものだ。
 ルート作成に関与していない、イコール総合的計画を理解できていない状況のなかで、僕は「伊勢市駅15時25分発、快速みえに乗らなくちゃならないのです」などと、逆の立場ならふざけんなオイといいかねない難題を告げていた。それでもひみよしさんは「じゃあ今日のルートはかいつまんで、でも押さえるところは押さえて行きましょう」と、笑っていってくれるのだ。感謝しなきゃいけない。

 

 さて、今日は伊勢街道である。東海道から分岐した伊勢へ向かう街道で、本質は伊勢神宮への参宮道。庶民に旅行が禁止されていた江戸時代、例外とされていた湯治や参詣は恰好の旅行名目だった。ゆえに盛んに行われた大山詣や伊勢詣に、整備された参宮道は大きな役割を果たした。十返舎一九東海道中膝栗毛滑稽本として歴史の教科書には書かれるけれど、僕からすれば見事な『紀行小説』。絵心豊かな作者による挿絵もふんだんに盛り込まれ、当時、誰にもキャッチーで楽しめる、いわば『ラノベ』とさえいえる庶民の娯楽であり、同時に旅のノウハウをふんだんに盛り込んだ「あるある」でもあった。現代、自転車趣味人に見立てていうなら、ろんぐらいだぁす!といえば近いかもしれない。その弥次喜多道中がまさに、東海道から伊勢街道への旅だった。
 この伊勢街道を、東海道との追分のある四日市からスタートする。そして岐阜のひみよしさんはこの道をよく知る。精緻に旧街道をトレースしたルートは関東の僕はうなずくばかり。僕はこのルート、ノータッチでそのまま乗らせていただく。

 

(本日のルート)

 

 

 ホテルのモーニングを、朝6時半のオープンと同時に食べた。僕のタイム・リミットを意識してくれ、「できるだけ早く出ましょう」といってくれた。前日、「モーニングも食べず、走りだしましょうか」と考えてもくれたのだけど、日の出前など寒くて恐ろしくって、「いやあ寒いのは厳しいです……。せめて日の出を過ぎた7時にしましょう、モーニングも食べられますし」などと僕は水を差すようなことばかりいう。反省すべきところだけど、でも本当に僕は人より寒さに過敏でつらい。「そうですね、付いていることだし、モーニングは食べましょう」と、どこまでも譲って計画をやりくりしてくれた。
「押さえたいところは」
 と朝食の箸を進めながらひみよしさんがいう。「松阪の鶏、それから赤福本店ですね」
「鶏? 牛じゃなくて鶏なんですか?」
「せっかく埼玉から来てもらったナガヤマさんに、松阪で美味い鶏を食べさせたい」
「いいですね。松阪で鶏とは知らなかった」
「考えてみたら昨日、風来坊に連れてっちゃいましたね。鶏続きになっちゃった」
 風来坊はいわば名古屋の手羽先文化の発祥で、山ちゃんよりも古くから親しまれていたそう。ひみよしさんは手羽先といえば風来坊だそうだ。僕は山ちゃんは知っていたけれど、風来坊は知らなかった。関東進出の差だろう。
「鶏は大好きですから続いても食べられます。それに手羽先ではないのでしょう?」
「焼き肉ですね、テーブルで焼いて食べます」
 年季の入った店ですが実にうまいですというので期待が高まった。松阪で牛食べてきましたってより、鶏食べてきましたっていうほうが通ぶって自慢できそうでうれしい。
「内宮をお参りするとどうしても行って帰って1時間はかかると思うんです」
「なるほど。輪行パックする時間から考えて、駅に15時ですね。逆算すると……駅までどのくらいかかるんでしょう」
「20分くらいでしょうか」
「じゃあ赤福を14時半に出る必要がありますね。入るのを14時過ぎとして、内宮着13時か」
 このあと7時に出発して約80キロを6時間……、「めちゃタイトじゃないですか」と、ご飯に納豆をかけながら僕はいった。
「そうなんです」
 とひみよしさんが笑う。「常夜灯全部見てたら着けません」
「あのう、遅れちゃったら遅れちゃったでいいですよ。新幹線でワープするとか、考えますから」
「まあまあそれは最終手段として。ちなみにナガヤマさんはいつも時間あたりどのくらいで概算します?」
「12キロでしょうか、平地で。山なら9キロとか」
「僕も15キロか、それ以上では計算しませんが」
「でも12キロだと、80キロを6時間じゃ行けません……」
「時間のようすを見ながら、調整が必要なら調整しましょう」
「僕もできるだけがんばります」
 それでも食後にコーヒーもしっかり飲んで、じゃあいよいよ行きますかと席を立った。

 

 ホテルの前で自転車を並べる。ホリゾンタルのクロモリが2台並んでいる。いい、美しいなと思う。ひみよしさんも並べた写真を収めている。
「じゃあ行きますね。このすぐ裏が旧東海道ですから」
「へえそうなんだ」
「なんだ、てっきりそれを知ってて、ナガヤマさんこの宿にしたのかと思った」
「いえいえ、ただJR四日市の駅からいちばん来やすそうだったから」
「そしたら、偶然ってことですね」
 とひみよしさんは笑った。
 ホテルの正面が国道1号、そのすぐ裏手に旧東海道がある。ひみよしさんについて、僕は後ろを行く。
 左折したそこは、一気に時代をスリップした。旧街道の屈曲が見事なまでに残っている。これ、ずっとこうなんですか? と僕は聞いた。そうだとひみよしさんは答える。僕は衝撃にさえ思えた。長く長く、その屈曲は続いていた。関東のほうじゃ東海道なんて多くは国道15号と1号に埋められ、跡形もない。旧街道が単体で残っているところでも商店街や住宅が、その土地を整理したときに道路をまっすぐに敷設しなおしている。こんな江戸時代の意図した屈曲は、それこそ静岡県の由比宿で見たくらいだ。それが延々と、先へ先へと続いている。まちなみは、住宅街だ。そのなかを旧街道がかつてのまま貫いているということは、土地の再整理など行わず、残しているということなのだろう。道幅だって目測おおよそ2間。まさに旧街道のまま。これでたかぶらずにいられるだろうか。いや無理だ。行こう、伊勢へ。まさに弥次喜多道中、ふたりの年齢でみるなら弥次弥次道中ってとこか。行こう。僕はひみよしさんのあとを追った。
 小さな橋を渡ると、昇ってきた朝日が見えた。四日市の工場群と、そこから立ち上る煙が赤く照らされていた。ひみよしさんも止まる。僕も止まる。打ち合わせをしたわけでもないのに。同じベクトルを持っている人だと感じた。
「やばいですね。進まない予感を強く感じます」
 と僕は写真を撮りながらいった。
「同じですね」
 とひみよしさんは笑った。
 ほどなくしていよいよ伊勢街道の起点、追分に着いた。追分は、日永の追分。そういえば去年、四日市あすなろう鉄道に鉄道旅にやってきたとき、日永という駅があった。その日永だ。
 追分の二又のあいだは塚のように盛り土されていて、道標と大きな鳥居が建てられていた。この鳥居は伊勢神宮の鳥居だそうで、二の鳥居らしい。一の鳥居はというと、桑名の七里の渡し場跡にあるらしい。
 いよいよ、伊勢街道をスタートする。

 

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 伊勢街道もまた、東海道と同じようにかつての街道筋を残していた。道は屈曲し、それに沿って家々が並んでいた。道標や常夜灯がそこかしこに残されている。じっさいこれらがすべて江戸時代から残されているものなのか、再建されたものなのかはひとつずつ止まってみるほかないけど、さすがにそれは困難だ。いちいち止まるのも、今日の行程からすると無理がある。それを承知して、ひみよしさんは確認できるそれらがあると、走りながらいちいち手で指し示してくれた。
 現代の伊勢街道は国道23号。旧街道の細緻なトレースルートは国道23号を何度も横断する。と同時に並行する近鉄やJRや伊勢鉄道を何度も横断する。これらの行き来が、地図が頭に入っていればめちゃめちゃ楽しいに違いない。
「別名、餅街道っていいましてね」
「ああそれ、調べててその名前見ました」
「昨日四日市に早く着いたんで、そのひとつを買ってきました」
 それからコンビニに立ち寄って休憩した。
「これ、なが餅っていいます。四日市ですね」
 そういいひみよしさんは四日市名物を僕にくれた。

 

「あれが鈴鹿サーキットですね。観覧車が見えますか?」
 とひみよしさんが指差す。
「ああ、見えます見えます。あそこなのですか」
 道は複雑に、徐々に海に近づきながら鈴鹿市に入っていた。さっき四日市で見た山はすっかり白くなっていたが、ここの山はまだ雪の気配がなかった。四日市で見た山は湯の山温泉の奥に座する御在所山だろうか。去年、近鉄湯の山線で終点まで行ったとき、駅前の雪にびっくりした。それを話すと、
鈴鹿の山に雪が降ると、このあたりも雪が積もります」
 という。思わず、
「寒いんですね、やっぱり」
 と口をつく。
「寒いですよ」
 とひみよしさんは笑う。
 それから何度も、国道23号と近鉄線──レール幅が標準軌なので、そう判断した──を横断した。架線のない鉄道線が見えたのは、伊勢鉄道だろうか。とにかく複雑な道だ。いや伊勢街道はシンプルな道だったのかもしれない。現代の道路と鉄道、土地の使い方が単にかつての伊勢街道と合っていないだけだ。その現代版複雑なルートを着実にトレースしていく。それとかなりの数の河川を越えている。大きな川から小さな川まで、こんなにもあるのかと思うほど橋を渡る。川の名前なんかもう覚えることもできない。
「津ですね」
「なるほど大きなまちに入ったと思いました」
「この右がちょうど駅です」
 そこには何車線もある大きな目抜き通りが貫かれていた。そんな都市部駅前でも、伊勢街道は旧来の風情のまま伊勢に向かっている。

 

「ひみよしさんはずっとクロモリなんですか?」
 走りながら、背中越しに声をかけた。
「いえ、アルミからカーボンに乗って、クロモリになりました」
「全部乗ってるんですねえ。クロモリを選ぶときはスーパーコルサ一択だったんですか?」
「マスターXなんかも見ましたよ。ネオプリも。なんやかんやで最終的な決め手はラグのメッキです」
「ステーもメッキですよね、これ。美しいなあ。やっぱりクロモリはいいですね」
「重いですけどね。あときちんと乗らないと走らない。カーボンは体調がよくなくても走っちゃいますけど、体調悪くて乗れない日なんて、クロモリはぜんぜん走らないです」
「わかります。あと雑に乗っても走りますよね、カーボンは。クロモリはだめですね」
「そうそう、それそれ」
 ──クロモリ共感。お互いペダルを止め、惰性でフリーを鳴らして走りながら笑った。
「だから東京へ向かった後半はしんどかったですよ」
 そう、ひみよしさんはこの年末、自宅の岐阜県から東京まで、この自転車で走り通した。
「すごいですよ。私はあんな距離走りませんから」
「でもいろいろな人がいろいろな場所で現れて、助けてくれるんです。それも突然に。だいたいの通過時間を予想して交差点で待っててくれたりね。一緒に走ってくれたり道案内してくれたり。本当にありがたかったです」
 僕はそんな話がちょっとうらやましかった。人望のあるひみよしさんゆえのことだ。
「松阪に入りましたね」
「津は広かったんですね」
「そう、長かったでしょう。ところで、正面に和田金って見えますか」
「ええ見えます見えます」
松阪牛の有名なお店です」
「なんかすごそうですね」
「大変なもんです。人生一度くらい行ってみたいです」
「なるほどそういう店ですか」

 

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 JRの踏切を渡って、もうすぐそこです、とひみよしさんがいった。それから道の左手にある小さな店の前に自転車を入れた。ここです、鶏です、といった。
「あれ?」
 店が開いていない。ひみよしさんが店のようすを見てまわる。
「11時半からだ……」
 なるほど現在11時過ぎ。まだ開店前のようだった。そう知ると余計に店がひっそり静まり返っているように。
「いやあてっきり11時かと思ってました。困ったなあ。せっかく埼玉から来てもらって、ここの肉を食べていってもらいたい」
「そうですか。残念ですね。──待ちます?」
「でもそうすると時間が押しちゃって、間に合わなくなっちゃいます。うーん」
「まだ20キロ以上ありますね。2時間……、がんばっても1時間半くらいか……」
「困った。残念」
「あと20分ちょいですけどね、残念ですね」
「いやあこれは大きいですよ。──しょうがない、行きましょうか」
 そういって出発しようとしたところ、店の戸ががらがらがらと開いて、店主が現れた。
「開けますよ。どうぞ」
「いいんですか?」
 と僕らは声をそろえていった。外で話している僕らの会話が中で聞こえたのだろうか。奇跡的だ、とひみよしさんは喜んだ。

 

 親を塩で、ひなを味噌で、とひみよしさんが手際よく頼んでいく。僕はお任せしているだけ。ご飯はと聞く店主に、ふつうでと答える。目の前には昔ながらの焼肉屋にある、ガスのロースター。
「すごい店でしょう」
 なるほど壁も黒ずんですっかり年季が入っている。
 そして肉が運ばれてきた。トングを使ってひみよしさんがロースターに載せていく。焼きながら、
「ビール飲みたくなっちゃうんですけどね」
 と笑った。

 

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 11時20分、ひと組の客が来店。開店時間の11時半を狙って数組。食事を終えて店を出た11時半過ぎにはもう駐車場がいっぱいになっていた。僕らが着いたときの静まりようはもう、想像もできなかった。
「人気店なんですね、これ待ちますね」
「いろんな意味で今日は運が良かったです」
「そうかもしれませんね」
「通常の開店時間じゃ内宮に間に合わなくなるし、来た時間がもっと早かったらさすがに開けてはくれんでしょうし」
「確かに」
 走り始めてまた見つけた道標で止まる。写真を撮っていたら後ろを近鉄特急が駆け抜けていった。ああ、旅に来ている。実感……。

 

 伊勢街道はやがて県道に吸収され、交通量の多い二車線道路になった。それでも旧街道の屈曲は残り、板壁の家々をはじめとした街道のたたずまいが続いていた。こんなにも街道を長く楽しめるなんて思いもよらなかった。走っているだけで楽しい道が一日続いている。僕はひみよしさんとの弥次喜多道中を存分に楽しんでいた。ときおり左手をマルーンの近鉄電車が走る。開けた田畑に踏轍音が軽快に響く。カタンカタンッ、カタンカタンッ。なんだか時代を越えてサイクリングをしているみたいだ。近鉄電車だって旧街道のむかしからここを走っていたんじゃないかって錯覚しそうになる。
「ナガヤマさん、餅、いけますか?」
 と前から声がかかる。
「いけます」
 餅はへんば餅。いよいよ伊勢市に入った。
 餅を頼むとお茶が供された。どうぞ座ってお待ちくださいと促され、腰を下ろした。かつて神宮へ向かう人たちがここで馬を返して参宮したことから、いつしかへんば(返馬)餅と呼ばれるようになったと説明が書かれている。お待たせしましたとそれが現れた。中にあんこの入った、軽く焼き目のついた餅。餅はしっかりしていて食べ応えがある。さっきのなが餅も餅にあんの入ったものだけど、柔らかくてよく伸びるなが餅とは食感が違う。『美味とは申しませんが、風情ある田舎の名物としてご賞味願い上げます』とへんば餅の口上。さほど甘くないあんで美味しい。2個を瞬く間に平らげた。

 

「宮川を渡ります。これを越えれば伊勢です」
 JR参宮線を越えてから左に折れて宮川を渡った。
 道を進むにつれ車が混み始め、とうとう車列が動かなくなった。
「なんだこれ」
 ひみよしさんは遠くを見通そうとするけれど、渋滞は果てしなく続いていた。「迂回しましょう」
「お願いします」
 こういうところは地の利のある人に任せるに限る。ひみよしさんは一本裏手の通りに入った。ほどなくして外宮の正面に出た。
 人、人、人──。
「正月でも見たことないなあ、こんなの」
 外宮に向かう人、外宮から出てくる人、駅から来る人駅に向かう人、そして内宮に向かうバスを待つ長蛇の列。とにかく全方位に人がひしめき合っている。
「外宮はどうにもならんですね。このまま内宮へ向かいましょう」
「わかりましたそうしましょう」
 また通りに戻ると、どこから続いているのやらわからない渋滞。しかも両方向だ。
「車じゃいつお参りできることやら、わかりませんね」
 と僕はいった。
 ここから曲がっていきます、と渋滞の道を離れた。路地を抜けるように走っていく。ときどき、ここを裏道として使っているのか、勝手知ったる車がアクセル全開で追い越していく。急な坂が現れ、これをゆっくり上っていく。標高にしたらわずか数十メートルなんだろうけど、今日これまでまったく坂を走っていないものだから、慣れていなくてつらい。時間にしてもわずかだったのに、息が上がった。
 気づくと車通りも人通りもない路地にいた。そしてひみよしさんが、
「ここです」
 といって自転車を降りた。
 麻吉さきち旅館──かつては遊郭だった場所が、今なお現役の旅館として営業しているのだと教えてくれた。
 急な階段路に沿って、板壁の屋敷が左右に、圧倒的な存在感を放っていた。泊まり客がいるのかいないのか、ひどくしん、、としている。しかしながらひみよしさんは、「予約もそうそう取れないようです」という。とすると、昼のこの時間はまだ客が入っていないだけなんだなと思った。
「まさに千と千尋の世界でしょう」
 とひみよしさんはいった。いわれるとおり、かのアニメに描かれた、夜のが入る前のまちのようすだ。
 急坂の左右に建てらた屋敷がつながっているから、あちらの二階はこちらの一階的構造になっている。それが幾重にも連なっている。階段路をまたぐように渡り廊下も一本かけられていた。映画のセットだといわれたら、むしろそのほうが信ぴょう性があるように思えた。
 僕らは階段路を行ったり来たりしながら、この圧倒的な木造建築の写真を写してまわった。でも結局思い通りに撮ることなんてできない。
「感じたままを写真にするのは難しいですね。これを伝え切れる写真が撮れない」
 それでも階段を上ったり下りたり、座ったりしながら、写真を撮ったり、ただ過ごしたりした。
 眺めて過ごしているうち、かの弥次喜多道中が、神宮参詣ののち伊勢で女郎と遊んだことが思い出されてきた。くだんの道中のことだからきっと女郎とトラブルを起こしたりしながら。それってあるいはここなんじゃないか? 僕はあいまいな記憶の糸に色めき立った。──が、はっきりしない。思い出せない。それが伊勢だったのか、それとも別の地だったか、あるいはその記憶そのものが勘違いか……。僕は自分自身の記憶がまったくあてにならないことを悔やんだ。もし仮にそれがここだとしたら、江戸のベストセラー滑稽本とここでひとつにつながることができる。今でいうなら聖地巡礼。いいじゃないか。ひみよしさんに聞いてみようか、いや違っていたら恥ずかしいと、いい出すことができなかった。ああなんと。きちんと事前に調べて来れば、これらがすべて一本の線に結ばれたというのに。

 

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「これはさすがに無理ですわ。せっかく来ていただいたのに本当にすみません」
 大鳥居の前までやってきた僕らは、宇治橋を埋め尽くした人、そして動かないその行列を目の当たりにしてあ然とした。まるで元旦の明治神宮のようだ。しかし1月4日とはいえ、いまだ初詣の人が途絶えないのは別に不自然じゃなかった。いやむしろ、さすが伊勢神宮だと思ったまでだ。
「いえいえ、こんなに人がいるとは想像してなかったですが、でも考えてみたらお伊勢さん内宮ですから、不思議じゃないですよ」
「正月でもこんなことはなかったんだけどなあ」
「外宮や周辺道路の混雑から思えば、いつもと違う状況だったのかもしれないですね。気を取り直して赤福行きましょう。──ってか、赤福まで行けます?」
「正面切っておかげ横丁はさすがに無理ですね。裏にまわります。ついてきてもらっていいですか」
 もちろん、とあとに続いた。ここも地を知るひみよしさんがいてならではだ。
 おかげ横丁は、竹下通りより混んでいた。もっとも正月に竹下通りにいったことはないので、ふだんの竹下通りと比べてのこと。一度通りに出てみようとしてみたものの、まったく難しく、もうひとつ裏に回り込みましょうと、さらなる路地を進んだ。赤福の行列に並び、餅にありつけたのは、20分くらいたったのちだった。

 

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 名古屋駅関西本線東海道本線上りのホームは端と端だと記憶していた。
 乗り継ぎ時間は9分。昨日と違い、今日は一本たりとも接続を逃すことができない。これで越谷に戻って最終の午前1時なのだ。ここから先はすべて、東海道本線うしの乗り継ぎだから、遅れがあってもきっと待ってくれるに違いない。でもここ名古屋での関西本線東海道本線は、午後5時という日常の時間でもあるし、きっと接続を取ることはないだろう。次に乗れとなるはずだ。
 快速みえは数分、遅れているように思えた。到着予定時刻にはまだ、種々の特急列車が並ぶ近鉄車両基地を眺めながら、場内信号機が変わるのを待って止まっていた。ひみよしさんが大丈夫ですかというので、「まあ大丈夫でしょう」といった。
 結局3分遅れで到着した。階段を下り、地下通路を歩く。特急ホーム、中央線ホーム、それから東海道線下り。僕はここでひみよしさんにお礼をいった。するとホームまで、乗れるのを確認するところまで行きますよ、急ぎましょうという。せかされるまま地下通路を進んでいちばん端の1番線の階段を上がった。ちょうど乗り継ぎの特別快速が滑りこんできたところだった。間に合いましたといった。よかったですね、大丈夫でしたねとひみよしさんも安堵の顔を見せた。扉が開いて列車に乗る。あらためてお礼をいった。また走りましょうといって別れた。無事、家までの道のりが確保できた。扉が閉まって名古屋の夜景が後ろに去っていく。安堵すると急に、お礼をいい足りてない気がしていた。もっときちんと挨拶しなきゃいけなかった、失礼をしてしまった。でも、楽しかった。伊勢街道は走り甲斐のある旧街道だった。見どころが多い少ないよりも、全体を走っていて街道の雰囲気がどれだけ感じられるかが僕の好みをわける。その点でインパクトのあった素敵な道だった。さあ帰ろう。車掌が金山を出ると刈谷まで止まりませんと二度いった。扉を閉めた特別快速は一気にスピードを上げた。