身延山久遠寺とみのぶまんじゅう(Nov-2018)
高速を飛ばす。快適に。
圏央道から中央道へ。日曜日の午前中、下り線は快適に流れていた。
◆
そもそも知人夫妻との用があった日だった。しかし知人奥さんの親戚に不幸があり、ふたりは急きょ奥さんの実家のある鳥取に帰ることになった。予定は延期することにした。
妻ともどもの用事で、ふたりしてぽっかり日があいた。
「身延を走りたいんだけど、大変?」
と妻がいった。
「また、なんで身延?」
「みのぶまんじゅうが食べたいから」
アニメ“ゆるキャン△”で出てきたまんじゅうだ。身延駅前のお店で買い、ベンチに座って食べていたシーンがあった。
「あと身延山にも行ってみたい」
僕はかつて一度、身延山久遠寺へ行ったことがあった。しかしそのときは18きっぷを利用した鉄道旅だった。身延駅から久遠寺へは路線バスだったから、自転車で走ると果たしてどんな道なのかわからないけど、バスに乗りながらそこそこ坂を上っていたような記憶がある。残念ながら自転車で行ったことはない。
「久遠寺に行くには上り坂だと思う。どのくらいかはわからないな、行ったことがない」
「だよね。かなり上るのかなあ」
「あとはどこを起点にするかでまた変わるよ。ある程度の距離を走ると坂は避けられないと思う」
僕は知人との予定が流れた金曜日、試しにルートを引いてみた。
「これでどうだい? 50キロ弱」
「いいんじゃない? 坂は?」
「そこにあるとおり」
そういったところで、コースプロフィールから坂の想像など妻にはつかないことはわかってる。ただ説明したところでどうなるものでもないし、間違っていたらのちのち揉め事のもとだ。
「オッケー」
「行くってこと?」
「行くってこと」
僕は、自分ひとりで出かけようと、ひそかに準備しようとしていた輪行袋をしまった。
「何時出発?」「可能な限りの早朝で」──そんな前日の会話はまったく無駄なものだった。そののち高校の同窓会に出かけて行った妻が遅くに帰ってきて、早朝に起きられるはずもなく、朝起きた僕がどうするかと問うと、なんならひとりで行ってきたら、などと寝ぼけ半分でいう。おいおい……。そうならひとりで出かける輪行プランを用意しておくべきだった。そして朝早くにきちんと起きるべきだった。いや起きたのだ。起きたものの、起きられそうもない妻を見て二度寝、三度寝を決め込んでしまったのだ。もう午前8時近く。完全にしくじった。今さらルートを引いて電車に飛び乗ったって、どこへ行けるというのだ。やれやれ。
「行かないの?」
と妻がいう。もうこの時間から出かけるとなると車のほうが有利だ。あらためてルートを引くのもまた時間がかかるから、手持ちのルートを使うべきだ。といっても、車で行くサイクリングなど、もともと準備していた身延のルートくらいしかない。ならばひとりで行かずとも聞いてみたっていい。今からでも身延へ行かないかと提案した。
「時間から見て難しいようならショートカットすればいい。それができるルートだから」
自転車で出かけられるよう、もともと準備できていた。着替えて、食卓の上のありったけのパンを荷物に加え、自転車ともども車に押し込んだ。
山梨県、
◆
妻が車を運転し、僕は渋滞情報と照らし合わせる。大月を手前に、河口湖線に入り富士五湖を経由して本栖湖から山下りをするか、中央道をそのまま甲府南まで走り、富士川沿いに向かうかの算段をした。前者は本栖湖からの長いつづら折の山道が時間をかけそうだ。しかしながら後者は甲府市内から市川大門あたりまで、いわゆる市街地道路の渋滞や信号に悩まされる。僕は分岐のぎりぎりまで地図を見て、赤く染まっている甲府市内の道路から、前者の富士五湖経由の道を選択した。
「河口湖線経由で」
と僕がいうと、イエスと妻はレーンチェンジした。
南部町を起点に、行きは富士川右岸を上る。町内の道がやがて
県道804号で身延山に上ったら、県道805号で下る。宿坊を沿道にたくさんたずさえた山道のたたずまいを楽しめるかもしれない。下って
帰りは波高島から左岸を南下する。経由する身延駅前でみのぶまんじゅうが買える。これでリクエストはクリアだろう。さらに左岸を南下して
南部町に着いた。
出遅れ分をそのまま引きずって、すでに
◆
恐れていた寒さはなかった。むしろ埼玉より暖かかった。あとで知ったのだけど、南部町まで来るとむしろ静岡に気候が近いらしい。ウィンドブレーカーはいらないと見た。
南部のまちを走った。道端には南部商店街の文字が見えた。おそらくこの商店街が駿州往還の旧南部宿なのだろう。典型的地方の商店街は日曜日の昼どきに歩く人もない。
商店街を抜け、建物は減った。右手に富士川を望むと思っていたのだけど、意外に見えないものだった。ときどき木々が切れ、そこからは驚くほど大きな富士川が見えた。大きいとはいっても河川の流域面積が広大なばかりで、水量はそんなに見られない。白い砂利の河床を水流があちこちうねるさまが見えた。山形の最上川、熊本の球磨川と並ぶ日本三大急流だそう。その急流も、一瞬見えたかと思うとまたすぐに木々でさえぎられた。
やがて道は吸収されるように国道52号に合流した。
身延町との町界はこの国道で越える。思えば南部を出てからずっと上り坂だ。高みを増せば増すほど、近くの富士川が遠く感じる。富士川をはさんで
町界を過ぎてしばらく行ったところで県道813号の分岐が出た。信号もなかったし、しっかりとした交差点でもなかった。住宅路地の分岐にしか見えなかった。右に(813)
県道813号は、国道52号がぐんぐん稼いだ標高をすべて吐き出すように下った。くねくねと、つづら折は方位をあちらこちらに目まぐるしく変えながら下った。ときに富士川に飛び込むようであり、ときに山肌に吸い込まれるようだった。東西南北すべてを向いた。そんなつづら折はテクニカルなうえ、林道といわれても不思議じゃない細くて荒れ気味の道だった。ブレーキをずっと握ってなくちゃならなかった。国道でさんざん使った上昇のためのエネルギーは、ホイールのリムとブレーキシューの熱として消えていった。
おおむね下りきったなと思わせるところ山中に、家々が固まるように現れた。これが国道の青看標識に出ていた清子の集落に違いないと思った。ここまで来ると道にセンターラインが現れ、路面状況もよくなった。交通量も増えた。思うにこの道は、主に身延とこの清子集落を結ぶ役割を果たしているのだろう。南側町界近くの国道52号までは市道や林道だった道を一本の県道として組み入れたのかもしれない。
集落には煙がたなびいていた。家々の垣や塀のなかには重そうな柿の実が鈴なりだった。干し柿を干している家もあった。全体を染める冬褐色と、点々と鮮やかに輝く照柿色と、たなびく煙の風景は、冷たく澄んだ青空のもと、晩秋の静止画そのものだった。
標高を下げると道はつづら折も不要になって、まっすぐ富士川に沿った。峡南の富士川は、その姿が変わることもない。川幅が狭くなることもないし急激に落ちたり曲がったりすることもない。その脇を見え隠れするように、マイナーな県道が沿っている。身延の中心に向かって緩やかな上り傾斜だった。
やがてまちなかに入り、県道9号に突きあたって終わる。県道の別名、
13時半をずいぶんまわった。
「身延山には上るかい?」
と僕は聞いた。
「きつい?」
「わからない」
「でもここまで来てるからには、久遠寺に行きたいな──」
「じゃあ行こう。時間も時間だから、門前で食事しよう。そこまではなんとか上ってもらって」
進路を左に取り、国道52号を交差直進した。
トンネルをくぐると徐々に傾斜がきつくなる。身延高校を過ぎ、いよいよ久遠寺域内に入る。「総門」だ。総門は道路に架かる久遠寺の山門。バスもくぐるこの大きな山門をくぐっていく。
想像していたよりもはるかに坂は楽だった。道幅が狭いので、バスがあとから来るといやだなと思ったけど、運よくそれもなかった。かつてバスに乗って遠く感じた距離も、さほどでもなかった。
「食事にしよう」
僕は玉川楼という名の店の前で自転車を止めた。「うなぎや鯉なんかの川魚料理屋らしいけど、唐揚げが美味いってそっちが評判なんだとか」
「のれんもうなぎっぽいけどね」
久遠寺にお参りする前に、お腹を満たす。妻は軽いハンガーノック気味だった。14時なのだ、そりゃそうだ。
「決まった? 唐揚げにする?」
店のおばちゃんは、僕にそういった。僕は何もいってない。ヘルメットから自転車だと見て、唐揚げを頼むだろうと思ったのだろうか。うなぎを頼むと思わなかったのだろうか。こりゃホント唐揚げの店だわと笑った。
「はい、唐揚げにしてください。定食で」
妻は海老天丼を頼んだ。
店の大きなテレビでは、高校ラグビーの山梨県大会が放送されていた。終盤の試合はやがてノーサイドとなり、日川高校が富士河口湖高校に九十何対ゼロで勝利していた。僕はルールも知らないほどなので、これが一方的な試合なのかどうかわからないけれど、点を取ることが難しいのか簡単なのか、想像もつかなかった。そうこうするうちに、どんぶり飯をたずさえた唐揚げがやってきた。
◆
日本三大門とされる三門はすぐだった。ほかのふたつはもちろん知らない。
「上の駐車場まで道がある。本堂はそこ。上まで行く?」
と僕が聞くと、
「いや、その階段を上るでしょ」
という。
「本気?」
自転車で坂を上ることはあり得ないから、というのが理由のひとつだった。確かに僕も道で上ったことはないけれど、この先きついとは聞く。20%近いところもあるとかないとか。というより僕は本堂まで行くことを含めて、この先上るかどうかを聞いたわけで……。
「ここまで来て行かないのはおかしいでしょうに」
何いってるの、といわんばかりに返された。やれやれ。
自転車で坂を上るのもかなりつらいが、階段で上るというのもつらい。加えて、階段で上ってしまったら下らなくちゃならない。自転車は上ってしまえば下りはまあ楽だ。
自転車をどこかに置かなければならない。三門の前はずいぶんと中途半端な空間だった。道路と歩道。広くはあるがすべてが人の動線になっている。
観光案内所に顔を出した。じいさんがひとりでやっている。
「どこか自転車を置かせておいてもらえませんか。菩提梯で上りたいのですが、スタンドがないもので……」
するとじいさんは優しげな小声で、
「そのさ、右の裏の柱にくくりつけておいていいから。そこの──」
と手で右に折れるそぶりを見せた。なぜ小声なのかはわからなかった。
僕は礼をいい、建物のわきにある柱を2台の自転車で挟んでくくりつけた。案内所の両脇に、ゆるキャン△のなでしことリンちゃんが等身大で立っていた。
「自転車で行っちゃったらこの門も通れないでしょう」
と妻は三門を歩きながらいった。ここには運慶と快慶がね、どうのこうのどうのこうの、とどこで得たのかそんな話を始めた。よく知らないし話半分で聞いていたので頭には入らなかった。そして腰近くまである石段の階段、菩提梯を上っていく。この厳しい石段を上り切って本堂に着くとき、悟りが開けるのだと聞いたことがある。僕のような俗物人間には何の作用もないだろうけど。
途中何度か休みをはさんで、まず五重塔が見え、それから最後の一段を上がると正面に本堂が座していた。自転車の靴で石段を上るのもなかなかしんどい。とはいえマウンテン用の靴だからそもそもできたこと、ロード用のつるっと平らな底面に大きな樹脂のクリートが出っ張って付いていたらあきらめたに違いない。
五重塔をめぐるように歩き、本堂に靴を脱いで上がった。本堂から渡り廊下を渡って祖師堂へ、さらに報恩閣まで歩いた。大きさと広さに驚きながらひと通り見てまわった。来た廊下で本堂まで戻って、外に出た。それから線香をあげた。
風が、冷たくなった気がした。
すでに15時半近い。
時間も時間だし、南部町へ戻る行程もあるし、奥之院へ行く考えはない。前回、18きっぷ鉄道旅でやってきたときも、奥之院へは行かなかった。
三門まで、今度は下る。
男坂や女坂という坂道を使う選択肢もあったが、菩提梯を下ることにした。踏面が斜面になる坂道のほうが、かえって自転車靴では歩きにくいんじゃないかと思った。
もっときついんじゃないかと思ったけど、意外に楽に下りられた。山歩きなんかすると下りがきつくて、膝(というか膝のじん帯)を痛めたりするのだけど、それもなかった。そんなわけで下りてきて安堵した。靴の底とクリートが、少しだけ気になった。
三門を抜け、案内所のじいさんに、
「ありがとうございました、助かりました」
と声をかけた。じいさんは声も出さず、しかしながら笑って手を挙げて見せた。じいさん、
宿坊群を抜け、波高島へ抜ける県道805号は、省くことにした。まっすぐ身延へ下れば10キロ短縮できるはず。もう15時半もまわり、峡谷のまちは早い日暮れを迎えていた。妻はウィンドブレーカーを着込んだ。
三門前を出発し、上ってきた道を下った。門前の店々の前を通り、玉川楼の前を通った。総門を抜けると、ふと空気が生活の空気に戻った気がした。認識による思い込みかもしれないけれど、やはり総門から先は聖域なのかもしれない、と思った。
◆
「ごめんなさい。本ッ当にほんの10分前なんです……」
店のおかあさんは、ショーケースと店の自動扉に貼った、手書きの「みのぶまんじゅう、売り切れました」の紙を示した。身延駅前、栄昇堂はまさにゆるキャン△に登場した店だ。どうやらこの一帯、あるいは県下全域で盛り上げているのか、またしても等身大ゆるキャン△キャラ、ここには斉藤恵那ちゃんが立っていた。
「せっかく来てもらったのにねえ。──自転車?」
「そうなんです。ああ残念」
と妻が答える。
「そうなの、どこからいらしたの?」
「埼玉です」
「えっ、じゃあこれから帰るの?」
「埼玉までは車ですけど……」
「南部町です。南部町に車を置いて、サイクリングしてるんです」
僕がそう付け加えた。
「そう、せっかく来てもらったのにねえ。お茶だけでも飲んでいって」
そんなわけで店内でお茶をもらいしばらく座った。暗くなってきたし気温が下がってきたこともあって、行ったほうがいいなあと思うものの、断るのもなんだ。それにたいした時間じゃない。栗チョコなるお菓子とかりんとうを買い、お茶のお礼をいって店を出た。16時をまわった。
帰りは富士川左岸の県道10号で行く。
夕暮れは、一度暗くなり始めると間をおかずひと息で夜に向かう。ブルーブラックのインクをこぼしたように、それがどんどん染みゆくように、あっという間に暗さで覆い尽くす。坂をひとつ上って下るあいだにまた暗くなった。車幅灯だけをつけていた車がヘッドライトをつけるようになる。その数が徐々に増え、大半の車がヘッドライトをつけるころになると、それがまぶしく見えるようになった。また坂を上る。小さな僕らのヘッドライトでは心もとなさを感じ始める。県道10号は右岸の道と違い、つねに富士川のそばにあった。夜に染まっていく富士川の屈曲の流れは、そこはかとない
内船寺は、あきらめよう。
内船駅前に、地のパン屋があった。時間が時間だったからやっていないかとも思ったが、まだ明かりがついていた。僕はその土地土地でのパン屋がけっこう好きなので、立ち寄ってみた。内船まで来ればもう、富士川を対岸へ渡るだけだ。閉店が近いのか、売り切りパンがいくつもまとめて袋に詰められて、300円で売られていた。これは安いよといって妻が生活感のある買い物をする。ほかに買いたいものもあったけれど、どれもこれもというわけにいかない。お菓子も売っているしショーケースにはケーキやその他洋菓子も並んでいる店だった。さすがにケーキを運ぶのは難しい。くるみパイというお菓子を買って店を出た。
あっという間に暗くなっていた。内船駅は、打ちつけのコンクリートの造りが、夜の暗がりのせいで冷たさを増して見えた。これで終り。車に戻ろう。僕は買ったパンをサドルバッグに詰めた。
◆
(本日のルート)
(GPSログ)
あとがきにかえて──
帰路の車は往路のようにはいかなかった。
中央道小仏トンネルを先頭にした渋滞を見た僕は、同時に東名大和トンネルを先頭にした渋滞も確認した。どちらもここまでひどいかというほどだった。紅葉のシーズンだから?
僕はまず河口湖へ向かい、そこで中央道に乗るかどうするかの判断をすると妻にいった。妻は午前中下ってきた本栖湖からのつづら折を上った。すいていた。本栖湖畔を快調に走り、本栖交差点から国道139号へ入った。日中は数珠つなぎの富士五湖大観光地道路もこの時間はまったく問題がなかった。むしろ都心への高速道路だった。誰もが行動する時間は同じだった。中央道の渋滞は短くなることがなかった。むしろ長くなっているようにも見えた。午後6時をまわった。
改善の兆しなし、と判断した僕は、「道志を抜けよう」と妻にいった。
「山中湖を半周だっけ?」
「北岸をまわって、平野から国道413号へ」
「わかった」
河口湖から山中湖、そしてそれを半周するのはやはり時間がかかる。すでに6時半になった。でもかえって道志もすいていて、楽に抜けられるんじゃないだろうか。そして相模原インターから圏央道に乗る。
平野の交差点を曲がってすぐ、電光板があった。その表示に僕は思わずストップ! と妻に声をかけた。
「法面崩落により国道413号神奈川県内通行止め」と書かれていた。
「Uターンして」
どおりで車が一台もいないわけだ──。瞬時に考えなきゃならなかった。でも瞬時に導いた答えは、ろくなもんじゃなかった。
「湖岸の道路にもう一度出て、30メートルばかり先の道。そこに入って三国・明神峠を越えよう。小山(駿河小山)に抜けられる。あとは246で」
屈曲と急こう配の道は、走るだけで相当の時間を要した。さらに小山に出て目の当たりにしたのは、まったく動かないで固まっている、国道246号だった。
並行する東名も大井松田から大和トンネルまで渋滞だし、まずその松田までとても尋常じゃない時間を要した。そこから先も東名の渋滞情報に嫌気がさし、国道246号をひたすら進んだ。渋滞ははけたものの、たくさんの交通量と信号で、進みは恐ろしく遅かった。圏央厚木インターにたどり着いたときにはもう、夜の9時近くになっていた。
考えられる選択肢のなかで、僕は最も悪いルートを選んだ。そう思う、そういうことだ。