自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

愛知・三重へ(その0)(Jan-2019)

 西へ向かおうと思ったのはシンプルな発想だった。僕はこの冬の18きっぷを手に、しかしながらその用途に苦慮していた。それは冬の寒さに打ちのめされていたから。僕がこれまでより寒さに弱くなったのか、それとも今年の冬が例年より寒いのか、よくわからない。でも気温を数値で見る限り、例年同様かむしろそれより暖かいんじゃないかって思えて仕方がない。とすると前者なのか? そういう結論に至りつつも、寒いものは寒いのだ。
 できれば18きっぷを輪行サイクリングで使いたかった。天気が悪ければ鉄道旅という選択肢も考えていたけれど、せっかく行くのなら自転車を持っていきたい。
 冬になると僕が出かける先として多いのが、伊豆や房総だ。暖かそうだから。じっさい何年もそうしていて暖かい実感もあるし、それはそれで間違っていないのだろう。
 でも今年は目新しいところにも足を伸ばしてみたいと欲が出た。年末年始の仕事ががらりと空いて、見事に長期連休を手に入れたというのもあったから。
「西だ。西へ行こう。西なら関東より暖かいんだ」
 そう僕は思った。ただシンプルにそう思った。しかし根拠などなかったし、関東以外の気候や気象の傾向の知識も何ひとつなかった。実に浅かった。まるで「西」という方面だけで奄美や沖縄などとひとくくりにしたような発想だった。

 

 

 1月3日。冬の18きっぷは利用期間が短いこともあって、お正月三が日でありながら、僕は期間中の週末の、ポイントポイントで発生する混雑、混乱、争いを不安視していた。たとえば東北方面なら宇都宮であり黒磯であり新白河であり郡山であり、上越方面なら水上などで起きる、次の列車への競争のごとき大移動。そんな「18きっぱー大戦争」が、西へ向かう場合に訪れる最初のポイントが熱海である。
 自転車という大荷物を抱え、それだけで不利な僕は微力な準備──それはたとえば到着直前での階段位置近くへの車両移動や、次の列車の輪行適切車両が何両目かなどといった入線時の目視とか、そんな程度だ──をしてみたものの、乗り換えてみれば拍子抜けするような空き具合だった。まるで18きっぷ期間外のふだんの週末のような光景だった。続く戦場の静岡も同様だった。その列車が浜松に近づくにしたがって混雑は増し、ようやく18きっぷ期間中らしい雰囲気を見せ、浜松からの列車は争いに負けていよいよ立って乗車することになった。続いて豊橋。乗客はまた争うように跨線橋を駆け上がった。しかしそんなことをする必要もないのだ。豊橋ゆきの3両から乗り継ぎの新快速は8両、あわてる必要もない。まして僕はその新快速を見送り、一本あとの快速に乗ろうとしている。僕は豊橋駅で楽しみにしていた駅そば屋に向かった。

 

 

「中京は寒いところですよ」
 と答えをもらった。僕は年末の休みに入る前から、西へ向かい、かつ18きっぷで行ける範囲、そしてサイクリング経験のない場所として愛知県、三重県岐阜県を候補に挙げて計画していた。それを岐阜県に住んでいらっしゃる、はてなツイッターでフォロワーのひみよし(id:himiyoshi)さんに相談として持ちかけた。暖かいところに行きたいと思って、中京方面でサイクリングをしたいと思ったと。ただし渥美半島と岡崎・足助はいったことがあるので、他にお勧めの場所を教えてほしいとお願いした。その最初の答えがそういうことだった。
 僕は半信半疑だった。確かに岐阜の北のほうは新幹線も止まる雪が降るようなところだと認識はしていたけれど、それ以外は少なくとも西日本なのだ、関東よりも西なのだ、寒いわけがないと思った。
 それから僕は何日か続けて、中部圏の天気予報を見るようになった。はじめは市町村の位置関係さえあやふやだった。それをまずイメージし、天気予報から傾向をさぐる。見るのは天気ではなく主に気温や風。なるほど教えていただいたことがリアルに数字で見え始めた。もちろん数日見たところでそれがふだんの中部圏の気候なのか今だけの寒さなのか、知るところでもないけれど、とにかく関東と変わらず、あるいはそれ以上に寒いのではないかと気づき、実感し始めた。
 僕は基本に立ち返り、寒くない場所をあらためて探そうかと計画を白紙にし、また広く行きたい場所を考え始めていた。
 しかし相談からの会話を重ねるうち、
「伊勢街道を走って伊勢詣といきませんか? よかったらご一緒します」
 とひみよしさんがいう。
 引っ込みがつかなくなってしまった。
 代案も浮かんでいるわけじゃない。考えたところで伊豆や房総に終始するばかりだった。
四日市東海道から分かれる伊勢街道は、中京圏のなかでもわりと雪は降りにくいところです。鈴鹿おろしが吹く日は寒くなり雪も降りますが」
「かつての道がそのまま、常夜灯や道標などの遺構も残っています。別名餅街道ともいって、赤福だけじゃなくていろいろな餅が街道にはあります。赤福本店だけは外せないので必ず立ち寄ろうと思いますが」
 そうやっていろいろな情報をくれる。もうあと戻りできない感と同時に、伊勢街道めぐりの魅力も僕のなかで芽生え始めてきた。
 しかしながら基本的にはひとりで、自分の興味とペースだけで走る僕は、なかなか現代の趣味自転車の方々──それは大半がロードバイクを、スポーツライドという観点で楽しんでいる──と合致する部分がない。スピードや一日に走る距離からすればなおのことだ。まして、ひみよしさんはこの年末に住まいの岐阜から東京まで一気に走ってしまった(俗にいうキャノンボールってやつだ)方で、その走力たるや桁違いで、僕が同行するなどおこがましく、ペースを乱したり、ご自身が楽しめないに違いなかったりと、ちゅうちょする要素ならいくらでも挙げられるほどだった。
 それでも「お会いできることを楽しみに」といい、集団で走ることを好まない僕を想像してか「私ひとりですし、ペースもナガヤマさんが好きに作っていただいて、止まりたいところで止まってください」などと何かと気を掛けてくれる。そして、「これがルートです」と伊勢街道を走るルートを送ってくれた。ひみよしさんには走り慣れた簡単なルートなのかもしれないけれど、緻密にトレースした旧街道はまさに地元を知る方ゆえの史実に基づく知識と経験値がにじみ出ていた。ルートを見ただけでそれがわかった。僕は力の差で負担を強いる不安を持ちつつも、その道の魅力を間違いなく感じ始めていた。
「1月4日でいかがでしょうか」
 と僕は返した。

 

 天気予報を毎日追いかけ、もう好天間違いないだろうと確信を持った3日前に四日市での宿泊をブックした。あとは1月3日をどうするかだ。
 ──知多半島へ行ってみようか。
 一日ゆうに時間があるわけではないから半日くらいで、距離感や道の状況など経験値もないから、どうとでもフレキシブルに行程を変えられるところ。幸い知多半島名鉄が各所に路線を伸ばしているから、自由に終えて輪行してしまえるのが利点だと思えた。
 地図を開く。刈谷あたりで東海道線を降り、時計まわりにまわって行くのがよさそうだ。師崎もろざきが先端。そこから方角を変え、少し行くと内海うつみ駅がある。もう少し走れたなら、今や中部国際空港との大動脈となっている常滑線が走っている。僕は地図を見ながらルートを引き始めた。
 武豊たけとよ線──。
 僕の目に触れたのは、線を引いていた国道247号が交差した、JRの路線だった。
 都市部にぽつんと残る、気動車盲腸線──。
 僕は地図を時刻表に持ちかえ、同じように東海道線から乗り継いで行って、一日の行程に影響のない範囲で武豊線に乗ることができるか調べた。
 行ける。武豊線大府おおぶ駅から30分ごとに出ていて、いたって不便さはない。
 僕は武豊線の終点、武豊駅を起点にサイクリングを始めることにした。武豊線に乗る。また楽しみが増えた。
 と同時に、時刻表を見ていて列車番号に「D」が付いていないことに気付いた。「G」あるいは「F」が付けられている。これって僕の知る範囲から外れていなければ、都市部近郊を走る電車に付されるものだ。まさかねえ、そんな設備投資、これまでしてなかったのに今さらないよねえなどと思いつつ、調べてみると驚いたことにそのとおり、武豊線は電化されていた。
 気動車じゃなくなったと知った時点でほんの少し興味は薄れたけれど、目的とする場所とそこを走る未乗の鉄道があるのだから、やめましょうという理由にはならなかった。
 僕はできあがったルートをガーミンに入れた。そのとき、ひみよしさんから連絡が入る。
「実は4日朝、四日市まで出向くのが大変だったので私もホテルを取っていたのです。ナガヤマさんのことだからここかなあなどと考えて取ったら、本当に同じホテルでした」

 

 

 豊橋から乗った快速は、浜松方面からの接続列車がなかったせいか、18きっぱーは皆無だった。地元の客を乗せて三河路を疾走する。そしていよいよ大府。武豊線は配線中央の島式ホームが専用の棲家すみかだった。すでにワンマン2両編成の313系が待っていて、確かに見慣れ過ぎていて味気なさはあったけど、その場で東海道線とは明らかに違う異彩を感じ取った。同時に未乗の路線に向かうワクワク感が湧いてきた。
 ワンマン列車の独特の、いくつかの儀礼をこなし、大府駅を逆方向へ出発した。ベッドタウンの住宅地と工場地帯のあいだを抜けて行く雰囲気が不思議だった。少なくとも都市部や近郊の大動脈路線とは異な路線だった。鶴見線? テイスト的には近いけど、同じともいえない。面白い。工場の脇へ線路が分岐して消えて行った。構内貨物か、こういうのいいなあと架線のない線路を目で追った。そのうちのひとつを地図で照らし合わせてみた。すると驚いたことに構内の貨物じゃなく、衣浦きぬうら湾を鉄橋で渡り、対岸の高浜や碧南へと至る線路だった。武豊線のバックにはすごいやつが控えている。碧南では知立から刈谷を経てやってきた、名鉄三河線と数百メートルしか離れていないところを走っている。驚きの路線があるものだ。
 13時。僕は終着の武豊に降り立った。

 

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その1へ続く