自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

中津川で栗きんとんを買い、名古屋できしめんを食べる鉄旅(Mar-2019)

 長い長い下り坂を、抑速ブレーキで下っていた。電車の大きな窓から、曇った空と霞んだ空気ではっきりしない甲府盆地の風景を望み、それはさながら映画スクリーンのようだった。残念な天気ではあったけど、見通しが利かなくても、僕はこの風景が好きだ。中央本線、笹子トンネルを抜け、甲斐大和から勝沼ぶどう郷、そして塩山へ向かう長い長い下り坂から望む甲府盆地の風景。
 人から見たら苦笑いされそうだけれど、僕は先週とまったく同じ列車に乗っている。同じ時間に家を出て、同じ時間の武蔵野線に乗り、中央快速に乗り換えて、高尾駅中央本線普通列車の列に並んだ。違うことといえば、18きっぷのスタンプがひとつ多いことと、自転車を持っていないことだ。
 こうしているのはいくつか理由がある。
 まず、18きっぷを使う機会を作らないとこのまま消費しきれなくなりそうだったから。自転車の輪行にこだわってばかりいたせいで、天候で出かけられなかったり、自分の体力のなさゆえサイクリングを計画変更してしまい、18きっぷを使う行程だったのに使えない行程になってしまったり、そんなことがあって消化が進んでいなかったから。
 それから先週乗ったこの中央本線で──中央本線沿いをサイクリングしたこともあって──、今度は車窓を楽しみたい気分になったから。
 そして、早くから週末雨の予報で、早くからその確度が高かったから。

 

 同じところに続けて行くことって、実は僕には少なくなくて、自身ではいたって不思議じゃないんだけど、まわりからは、
「えっ? またそこに行ってるの」
 って驚き交じりにいわれたりするから、自然な発想じゃないんだろうね。全国どこにでも行くことのできる18きっぷならなおさらのこと。いろいろなところに行けばいいじゃん、そういう含みがあるんだと思う。
 でも僕はどうもかなりの確率でやるようで、例えば二週立て続けに伊豆にサイクリングに行くとか、茨城へのサイクリングを計画している前の週になぜか茨城に行ってしまったとか、そんなことをするのだ。
 無意識である。意識なんてない。「立て続けに行くとさ、その土地々々の印象がぐっと強くなるよ」なんて僕がいったりしたらそれは会話のための完全なあと付けだ。
 もちろん同じ方面であっても、同じ行程、経路で繰り返すってことはないから、その時点で僕にとってはもう別の旅なのだけど。

 

 だいぶ下ってきた。次の塩山に着けばもう甲府盆地着地、、したようなもの。車窓の目線が平地レベルに近づいてきた。
 雨の鉄道旅は意外に悪くない。僕はむしろ好きかもしれない。見通しは利かないし風景もさえない。写真を撮ったところできれいに写らないし、窓が濡れたならもはや窓外もはっきり見えなくなる。駅で降りて歩くなら傘がいる。足もとも濡れてしまうかもしれない。でも何かが惹きつける。濡れた窓ににじんで映る交差点の信号機だったり、うつうつとした、あるいは苛立ちかもしれない気分のよどみが鉄の塊を通しても伝わってきそうな、ワイパーしか動かない車の渋滞だったり、頂や山稜など雲に隠れてしまっている山の風景だったり、誰ひとり歩いていない川とその河川敷だったり、雨のしずくの円弧がいくつも広がる屋根のないプラットホームだったり、そんな風景。それと静寂。雨が音を吸いこんでいく。
 塩山駅に入る。先週乗ったから、特急の通過待ちをするために側線に入ることを覚えている。扉は半自動。降りる客がボタンで扉を開き、続いて降りると今度はホームから乗ってくる。最後に乗る人がボタンで扉を閉める。すると外の音も遮断される。冷房もついてない季節だからこれでもう無音になる。115系時代の大きなMG音もしない。
 列車は塩山を出て山梨市へ向かう。沿線に見える桃の木が、花をつけようと色づき始めているのがわかった。先週見たときはまるで枯れ木のようだったのに。一週間でこんなにも変わるものなんだ。早咲きの桜はもう満開のようすだし、少しずつ花をつけつつある桜はソメイヨシノなのかもしれない。
 普通列車甲府ゆきは、先週の土曜日、臨時の特急かいじに抜かれるために山梨市で退避した。この退避ダイヤは通常なら7分接続の身延線特急を2分接続にしてしまう。終着駅甲府身延線特急ふじかわに乗り継ぐ人がどれだけいるのかわからないけど、カツカツな乗り継ぎだ。跨線橋のそば屋でカツカレーを買う余裕はない。
 そして今乗るこの列車も、山梨市で側線へ入った。なんだ今日もかいじは走るのか。そして甲府駅ではふじかわの乗客は走るのか。
 きっぱー(18きっぷで旅する人のこと)といつもより数の少ない登山客ばかりの車内も──今日の天気じゃ輪行さんはいない──、塩山、山梨市、春日居町石和温泉と一般の乗客が入ってくる。ひとりひとりがシリンダーのなかに収まり、自分の興味価値観関心事の沼にどっぷりつかって他者の侵入を許さないカオスが、それによって中和されていく。
 終着甲府に着いた。
 先週と同じ、身延線特急富士川へお乗り継ぎの方は……と割れた音で繰り返される放送を聞く。先週はここで改札を抜けた。今日は別のホームへと乗り換えた。
 下りたホームの松本ゆきは3両編成のロングシートだった。

 

 中央本線の車両が211系に置き換わってもう数年になるはず。115系のモーター音が好きだったから、それが聞けなくなったのはさびしいけれど、直流整流子モーターを使っている車両自体が減ってきている今、やがてここだってVVVFに席巻されるだろう、211系の音だって近いうちに懐かしむことになるに違いない。
 松本ゆきは七里岩しちりいわの台地を上っていく。まさにここがつい7日前、先週の土曜日にガラスの向こうの道路から、自転車で眺めた風景だ。先週の自分と今の自分とが電車の窓をはさんで対峙する。あの道だ、まさに。指差したくなるが、思いとどまってやめる。僕はあの場所から、この211系電車を見ていた。走りながら特急あずさを目で追っていた。今日はこちらから目で道を追う。さすがにこの天気で走っている人などいない。いやもともと、こんな道を自転車が走るなんてことはない。車だって人通りだって、ない道だった。
 まるで復習でもするように先週の道を楽しんでいるなか、列車は止まった。線路の途中で。車掌が握った車内放送のマイクがざわつく列車無線の声をやたらと拾い、それからこの先の踏切で非常停止ボタンが扱われていると車掌が説明した。
 列車が線路の途中で止まっていると一段と静けさが増した。駅で特急の退避をしているときよりもはるかに。乗り降りもない。ドアの開け閉めもない。街のなかでもない駅前ロータリーもない、道などない藪と木々に囲まれた場所での停車は、圧迫の心理テストか聴覚の人体実験でもやっているような奇妙な静けさだった。芭蕉立石寺での名句では、蝉の声を引き算した「閑かさや」には空気の音、、、、が残るけれど、この車内にはそれもなかった。みな、ただじっとしている。
「ただ今上り列車の運転士が踏切の確認に行っております。安全確認が取れるまで今しばらくお待ちください」
 と車掌がいった。運転士は列車をそろりそろりと進め、当該の踏切まで行ってみるのだろうか。都会や近郊の踏切のように監視カメラで逐一状況が把握できるわけじゃないのだ。まさに人海戦術、人ごとながら大変だ。
「ずいぶん止まってるなあ、大丈夫ですかねえ」
 と少し離れた席の男性ふたり組の片方がいった。そういう“系”──鉄系のふたり組。
「大丈夫でしょう、同じ会社なんだから。待ちますよ」
 ふたりともかなりのひそひそ話ながら、空気さえ感じない車内の静寂は一言一句をやけに明瞭にした。
「いやあでももし間に合わなかったらどうします?」
 ひとりはやけに心配げだ。
「そのときはそのとき、松本まで行って篠ノ井線でもまわりませんか?」
 もうひとりの言葉を受けて、心配性氏は時刻表を繰る。篠ノ井線の時刻でも調べているのだろうか。僕が持ってきているのと同じコンパス時刻表だった。
篠ノ井線行って、それからどうします?」と心配性氏は続ける。
「温泉入ったっていいし、その場その場でいいんじゃないですか」そういったもう一方は、正反対に楽観主義のようだ。
「温泉、いいですね。でも篠ノ井線で温泉なんかあるのかな」と心配性氏は今度は巻頭の地図を見始める。
「いや温泉じゃなくてもいいし」と楽観氏は笑う。「行ったところで楽しめばいいでしょう」
「うーん」
 会話から察するにおそらく、小淵沢から小海線に乗り継ごうとしているようで、その接続を気にしているのだろう。
「まもなく運転再開となる見込みです」
 と車内放送が入った。10分少々の遅れだった。
 しばらくののち動き出し、最初のうちはそろそろと、その踏切がどこだったのかわからなかったけど、ある程度走ってからもとの速度まで加速して走った。長坂、小淵沢と遅れたまま走った。
 小淵沢に着くと、小海線が発車を遅らせて待っていた。

 

 小海線はいい。楽観氏の言葉どおり同じ会社同士だからなのだろう、確かに待っていてくれた。しかし僕は塩尻から中央本線中央西線)に乗り継ぐ。むしろ僕が大丈夫なのか。塩尻での乗り換え時間はもともと5分しかないし、しかも同じ路線名ながら会社が違うのだ(JR東海になる)。楽観氏のような楽観は、あるいはしていられない。
「これより先の到着時刻を申し上げます」 
 小淵沢を出ると、車掌は現在の遅れ時間を加味して時刻を告げていく。
「なお、上諏訪より先は定刻通りの運転になる見込みです」
 ──そうなの? 僕は根拠を知りたくて鞄から時刻表を出した。心配性氏が使っていたのと同じコンパス時刻表。
 なるほど、この列車は上諏訪で12分止まるのか。しかも特急退避などではなさそう。単なる時間調整。ならば確かに巻き返せる。僕は安心した。
 時計を目で追っていたわけじゃないからはっきりわからないけど、上諏訪を出て遅延放送をしなくなったから、そのとおり定刻運転に戻ったんだろう。
 次は岡谷ですと放送が入った。「飯田線天竜峡ゆきは10時46分……」
 飯田線か。
 部分的にしか乗ったことがない。鉄旅のカテゴリのなかでも五本の指に挙がる路線だけど、僕はかつて自転車で伊那街道を走ったときに、この線に乗りたいと思った。伊那街道と飯田線は、飯田から北、辰野までを並行する。飯田で一泊し、伊那街道を北上した僕は自転車から見たときこの線に乗りたいと感じた。ちょうど先週の僕と今週の僕のように。
 列車が岡谷駅に入ると、飯田線JR東海313系が止まっていた。思っていたより大勢の人が飯田線へ乗り継いだ。僕は松本ゆきの発車に合わせて、窓から天竜峡ゆきを見送った。
 長いトンネルを抜けてみどり湖、そして坂を下ると塩尻に着く。僕は今車内に残っているきっぱー達はどこへ向かうのか考えてみた。ひとつは塩尻乗換で僕と同じ中央西線。もうひとつはこの列車の終点、松本まで乗り通す。松本まで行ったら篠ノ井線に乗るか大糸線に乗るか。アルピコ交通に乗る人は、いるかもしれないけど18きっぷ利用と考えるなら希少だろうな。この季節なら大糸線かな。でも大糸線だと行き先によっては今日中に関東に帰ることはできなくなるし、そうなると中央西線篠ノ井線か──。
 列車は塩尻駅に着いた。いつのまにかまた遅れが出ていたのだろうか、それとも上諏訪発車時点で遅れを解消できていなかったのか、中央西線への乗り換えに2分しかなかった。列車を降り、跨線橋を走る。並行して、同業者が走る。でも中津川ゆき普通列車2両編成を見て、塩尻到着までめぐらせていた考えも、同業者との跨線橋ダッシュも、たいして意味がなかったことがわかった。席は、まばらながらすべて埋まっていた。
 まばらに埋まる転換クロスシートってやつはなかなか扱いが厄介だ。ふたり掛け席にひとり座った横──あいている席はほぼ通路側だ──にあえて、、、座るというのもなかなか敷居が高い。のぞみの自由席ならいざ知らず、また混雑度が微妙なのだ。立ち客は車両内にふたり。通路側のあいた席はいくつもあれど、じゃあどこを選ぶんだ? こういった場合、転換クロスのふたり掛けシートは、向かい合わせボックスシートの四人掛けよりたちが悪い。先客の対角線という選択肢がないから。隣に座るほかない。荷物を置いている人など、意識なく置いているのか、いやいや隣に座ってほしくないオーラの延長で置いているのか、判断がつかない。
 結局僕は鉄道好きならかっこうの、運転席後部で立っていくことにした。まあ、ありはありだ。

 

 鉄道で旅をしていると、沿線の道ばかり探している。自転車で走りたい道を探している。走りたい風景を探している。左右両側のようすが手に取るようにわかる運転席展望となれば余計にだ。
 特にこの中央西線は走りたい風景のひとつである。僕の大好きな「道路」「鉄道」「川」のコラボレーションがある。山岳路線らしく、つねに川に寄り添って敷設されている。塩尻を出てから奈良井川に沿って、分水嶺鳥居峠を新鳥居トンネルでくぐったあとは木曽川に沿って、このコラボレーションの風景が延々と続くのだ。加えてルートはかつて中山道時代からの変わらないもの。古くからの街道筋、そこに時代々々をへた歴史が感じられそう。
 しかしながら走っていない。走ろうと計画だてたことも、残念ながら、ない。
 道路が、国道19号しかないのだ。
 国道19号は南信から岐阜県を経て名古屋まで結ぶ大幹線国道で、ルートはこの中央西線にほぼ並行している。そして迂回路や並行路はない。
 江戸のころからここは中山道メインルートだった。明治、鉄道網を整備するなかで東京大阪間を結ぶ幹線メインルートとしてこのルートが選ばれていたこともあった。国道が整備され、鉄道幹線が東海道線として敷設されてもここに中央本線として鉄道が整備された。そのルートはすべて、この奈良井川木曽川沿いだった。そして現在に至り、ここには中央本線という鉄道と国道19号という道路しかない。他にルートはないのだ。
 例えば富士川ルートには身延線があり国道52号があるが、対岸には並行する県道がある。大井川もそうだ。しかしここには対岸にも道がない。おまけに国道はかつての一級国道、19号である。
 僕はかつてこの国道19号のいち部分を自転車で走った。その日、僕は奈良井にいて、まだそれほど有名になる前の静かな宿場町を散策していた。まちを抜けて奈良井の駅に着いてみると塩尻方面の列車は出たばかりだった。そして向こう一時間半来ないことがわかった。やれやれと観念した僕はこの国道19号を走って塩尻へ向かうことにした。
 とてもじゃないけど走りやすい道とはいえなかった。路面状況はいい。でも片側一車線の対面通行の道を、大幹線国道の交通量が途絶えることなく流れている。半分か、それ以上は大型車だ。路肩が広いところもあるけれど、大半は狭い。中央線は太いオレンジで、ランブルストリップスや反射鋲が埋められていたりする。車はそれを越えることを嫌うものだから、抜かれるときはすれすれになったりする。山岳地帯の川に沿ってカーブが多いから、車線幅を目いっぱいを使って走る。信号が少なく、流れがあるのでそれなりの高速である。そんな道を、ときに小さくなりながら走っていた。大型車が、僕を抜きづらくて後続に行列を作ってしまうこともあった。怖いという意識はそれほど持たなかったけど、危険であることは間違いなかった。同じ大型車と混在で走るなら、路肩の広い国道50号バイパスのほうがよほど走りやすかった。高速道路みたいでみんな80キロから100キロで走っているけれど、路肩に広さが確保されているから、安心感がまったく違った。それだけの高速で流れているものだから、走行気流に乗ってこの僕でも時速30キロ近くで巡航することができた。でも国道19号じゃそうはいかない。路肩に幅はほぼないのだ。
 ときどき対岸に道が現れたり、国道19号から分離する道路が現れたりした。ただそれらはやがて離れて行き、果ては行き止まりになるんだろうと予感させた。通じているか行き止まりかは、わりと雰囲気でわかる。ここにある道はみな、行き止まりの道だ。国道19号の迂回に使える道じゃない。
 駅近くになると小さな町がある。町にはどこも目抜き通りがありそれを中心にひらけ、垂直に交わる道にもひらけた。その目抜き通りはどこも、町に近づくと国道19号から分かれ、町が終るとまた国道19号に吸収される道だった。ずっと走ることができる道じゃない。どうせ旧国道19号と町を迂回したバイパス(現国道19号)の関係なのだ。
 そんなわけで、「やっぱりしんどそうだなあ」と自転車で走るようすを思い浮かべ、大型車も乗用車も絶え間なく続く国道19号を、運転席越しにずっと眺めていた。

 

 奈良井の駅でパラパラと人が降りた。どういうわけか、偶然にもみな後方の車両から前にやってきて降りた。前の車両で席を立つ人がなぜかいなかった。ワンマン運転列車は運転士がいちばん前で改札をするから、先頭から降車客がクロスシートの通路に列をなす。だからいずれにしたってこの列がはけないことには僕は後方へ移動することができなかった。あいた席へ向かうことができなかった。列がはける頃には後方で立っていた人たちがすでにあいた席に座っていた。
 雨が本格的になってきた。運転席のワイパーは速く動いた。新鳥居トンネルで分水嶺を越えて、脇を流れる川が木曽川になった。雨の激しさのせいなのか、川の水は濁っていた。
 僕は木曽福島で座れるだろうと踏んでいた。そしてそれ以降であれば期待できるのは南木曽くらいしかないから、南木曽まで行くのだったら、中津川まで立ちっぱなしでも変わらないだろうと思っていた。
 木曽福島に着く前に、僕は後方の扉へ移動した。列ができても動けるようにと思った。このひと駅のあいだ、ドア越しに風景を見ていた。
 そして木曽福島で予想どおり多くの人が降り、僕は座席にありつけた。何のことはない、木曽福島は全扉扱い駅で先頭に行列ができることはなかった。そして同時に多くの人が乗ってきた。ここで座っておいてよかった。車内はむしろ立ち客のほうが多くなった。
 いい景色は、立って見ようが座ってみようが変わらなくいい。相変わらず木曽川沿いの風景は見事だし、雨に濡れた全体のようすだって素晴らしい。
 南木曽もまた、多くの人が降りた。有名な、旧中山道妻籠宿の最寄り。旧中山道はここだけ木曽川沿いを離れ、山中の馬籠峠を越える。越えるとこちらも有名な馬籠宿。旧中山道の山越えを楽しめる場所だけど、今日のこの雨じゃ向こうまで行く人はいないかな。
 13時前、列車は終点の中津川に着いた。

 

 今日はまず、中津川での25分の乗り継ぎを利用して、なんでもここの名産である栗きんとんを買おうと思った。それから朝ドラで有名になった五平餅を食べようと考えていた。
 駅前を出るとすぐ左手に、中津川のお土産を一手に扱う物産店があると聞いていた。すぐにそれはわかって、お土産を物色した。想像していたよりも栗きんとんが高いことに驚く。でも僕は和菓子をふだんそうそう買わないので、相場のひとつもわからない。237円と書いてある値段がどれほどのものなのか、想像できなかった。おまけに、さすがにお土産を一手に扱うというだけあって、栗きんとんを提供する和菓子店がいくつか並び、果たしてどれを選んでいいのかわからなくなった。他に栗をアレンジした和菓子もあり、さらに難解になった。さんざん悩んだ僕は、結局三つ入りの栗きんとんと三つ入りの栗きんつばを買った。
 さあ五平餅を食べよう、と物産店を出た。選択に余計な時間を費やしたゆえ、名古屋ゆきの発車時刻まで15分を切っていた。あらためて駅前を見まわすと、思いのほか殺風景だった。シャッターが下りている店も多い。少なくとも、餅の焼けたにおいや、味噌だれだか醤油だれだかの甘くて香ばしく焼けたにおいが漂ってくることはなかった。
 ──五平餅、ないの?
 僕はかつていくつか見聞きした、朝ドラ人気で五平餅の売り上げが急上昇、売り切れ店も続出、という見出しに踊らされただけだったのか。駅の構造や駅舎の大きさ、駅前ロータリーからしても中津川はこの一帯でのかなり大きなまちと見た。しかし残念なことに殺風景にも見える駅前では、焼きたての五平餅も手に入らず、少しのぞいてみようかと思う場所もなかった。
 ──国道19号はどこだろう?
 まちは他の地方都市のご多分にもれず、車中心社会になってしまったんだろう。もう駅には用がないのかもしれない。国道19号まですぐ出られるようであれば、栄えた場所があるかもしれない。しかし、10分で戻ってこられる場所にあるようには思えなかった。ロードサイドの繁栄がここじゃ肌に感じられなかった。きっと、離れているんだろう。
 どこでも、まちなかの渋滞を対策するため、幹線道路はバイパスで迂回するルートを造ってきた。遠まわりのルートであっても、交通量をまちの中心から移そうとした。結果、車社会は思惑通りにバイパスへとその流れを変えたけれど、同時に駅を中心に広がっていたまちから人の姿を消してしまった。この中津川もきっとそうなんだ、と感じた。
 時間もなくなってきたこともあり、あきらめて改札をくぐった。

 

 名古屋ゆき4両編成の快速電車は、すでに都市近郊をゆく列車かと思いきや、しばらく中津川まで見てきたような木曽川の美しい流れを車窓に見せてくれた。中流域から下流域に向かう木曽川は悠々としていた。そして光の加減で緑色に澄む水と、切り立った崖が造形する風景は、僕には意外なものだった。名古屋から一本で来られる普通列車で(快速だけど)、こんな風景が見られるとは思っていなかったから。
 それがしばらく続いたのち、ちょうど列車が愛知県に入るころからだろうか、周辺は住宅地を中心とした都市化された風景に変わった。乗客が増え、列車はスピードを上げ、停車時間も効率的に短い時間となる都市型のダイヤに乗って走った。立ち客がいっぱいになると向かいの窓も見通せなくなり、外の風景はわからなくなった。快速列車の通過駅も確認することができなくなった。

 

 お昼はきしめんにしようと思った。
 名古屋駅のホームにある「住よし」。これまで何度か食べたことがあり、何度かこれだけ食べるために名古屋まで来たことがあった。
 今日も、似たようなものだ。
 しかしながらこの快速名古屋ゆきで名古屋まで行ってしまうと、実はあとの行程がうまくいかないのだ。金山で乗り換えないとならない。
 僕は今回、来る前からそれじゃあ金山できしめんを食べられないのかと探していた。そして、あった。あったのだけど、それは名鉄の駅のホームだった。名鉄の改札のなかにあった。
 悩んだ。改札外か、JRのホームにあれば事足りるのにと思って。入場券で名鉄のホームへ入るか。そんな代わりの案を考えつつ、悩んだ。
 そして僕は結論を出した。金山から豊橋まで、名鉄に乗ることにした。

 

 僕にはつまらないながら持論があって、鉄道旅でその地方地方を感じたければ、私鉄に乗るべしと思っている。JRでは洗練されすぎてしまっている、あるいは中和され薄まっているその土地ごとの文化や営みや独特の雰囲気が、私鉄に乗るほうが圧倒的に強く感じられる。そう感じる。
 だからむかし仕事で大阪市内への出張があったころ、少し早い新幹線に乗り、京都で降りていた。そこから七条まで歩いて京阪電車で大阪へ向かっていた。仕事先が淀屋橋にあったから好都合だったのだけど、ぞくぞくとするような関西の空気が肌から入ってくるのがたまらなくて、それからこのルートで出張するようになった。同じように京都で新幹線を乗り捨てて、新快速で大阪まで行ったこともあったけど、それとは比較にもならなかった。濃い。濃縮されている、というよりこれが本来なんだろう。新快速が薄まってしまっているんだろうってわかった。
 同じように大阪から神戸へ行くのであれば阪神か阪急を使った。やはり想像したとおり、濃く根付いた文化や営みに触れることができた。そして同じ行き先なのに阪神と阪急には違う車内の空気があった。面白かったし発見だった。それじゃあと次に大阪へ行くときに、京都から四条まで行き、阪急で行ったこともあった。これもまた京阪とは違う空気を感じられた。すべて、新快速じゃ何ひとつわからないことだった。ある鉄道旅で、大阪から名古屋まで、近鉄を使ったことがあった。しかも特急ではなく快速急行で。区間利用の多い列車は乗客の乗り降りに合わせて目まぐるしく空気が入れ替わった。大阪、奈良、三重、愛知、それらがみんな違っていた。
 乗っている乗客から繰り出される雰囲気というのももちろんあるのだろうけど、鉄道会社による、地域やインフラに合わせた鉄道運行の文化や工夫と、それによって築きあげられた暗黙の不文律や慣習が、それを強くさせるんだと思う。関東ではブザーである車掌から運転士への合図が電鈴であったり、戸閉め時に運転士も窓から顔を出してホーム上の安全確認をしたり、そういったちょっとした違いだ。複雑な運行経路の線路や駅のホームの運用の仕方、ホームでの乗客の並ばせ方から、駅の案内表示にあらわれる、内容から言葉使いの一言一句まで、文化や営みや独特の雰囲気を感じさせてくれる。それが、私鉄だ。

 

 名鉄である。
 乗ると決めた時点から、金山駅でJRの改札を出て名鉄のきっぷ──金山から豊橋まで1,110円だった──を買い、改札を入るまでわくわくしてたまらなかった。
 もう十年以上前、深夜バスで知多半田までやってきた僕は、確か4,000円だった名鉄の一日フリーきっぷを買い、とにかく名鉄電車に乗りまくった。知多半島をくまなくまわったり三重県の湾岸部まで出かけたり、岐阜のまちや山中にまで行った。それでも全路線はとうてい乗りきれなかった。大きな鉄道会社だと実感した。そしてこの名鉄文化を一日浴びまくった。いい一日だった。充足して名鉄の改札を抜けた。確か、蒲郡駅が最後だった。そんなことを思い出した。
 改札を抜け、ホームへの階段を降りると赤い電車が止まっていた。ずばり名鉄である。これを見ただけで僕にとっては異国感を強くさせる。JRの、オレンジ帯の電車では感じられないこの地の空気が、全身に入ってきた。

 

 立ち食いそば屋はホームの最も名古屋寄りにあった。「かどや」といった。長い金山駅のホーム、電車が止まる場所ではないホームのはずれだった。そこまで歩く。そのあいだにも二線のホームを最大限に生かして電車が入ってきては出ていく。中部国際空港ゆきが来てあとから反対側に豊川稲荷ゆきが来た。中部国際空港ゆきが出るとすぐに常滑ゆきが入ってきた。僕は立ち食いそば屋に入り、きしめんを注文した。そして待つあいだ、豊川稲荷ゆきと常滑ゆきが同時に出ていった。目まぐるしい。まさにこれが名鉄。これを見ているのがいちばん楽しいしこれを見ているだけでいい。神宮前と名古屋のあいだにあらゆる方面の電車が集まってきて、そして分かれていく。これを複線の線路で最適にさばく。僕から見ると神技だ。名古屋の人たちはこの運用を身体で理解し、自分が乗るべき方面、電車に迷いなく乗る。驚くほどシステマティックであり、完成された秩序だ。この区間、数駅間の太い幹から細かい枝葉のように路線がほうぼうに広がる名鉄ならではだ。
 立ち食いそばの店のカウンターで男性がひとり昼食を取り、奥で男女がつまみを食べながら呑んでいた。男性が日本酒だか焼酎を呑み、女性は生ビールを呑んでいた。これが名古屋だ。駅のホームの立ち食いそば屋で酒が飲める文化。少なくとも関東の駅そばじゃ一般的ではない。店のようすを眺めているうちに僕の前にきしめんが置かれた。ガラス戸の外には右に河和ゆき、左に東岡崎ゆきが入ってきた。
 うまい、と思った。値段はちょっと高め、500円。確か住よしよりも高い。でも美味い。住よしより好みだ。電車の時間を気にしつつ、一気に食べる。ああ美味しい。食べ進めていると、JR東海道線のホームに特別快速・豊橋ゆきが入ってくるのが見えた。JRで豊橋に行くなら乗るべきだった列車。名鉄はあとわずかだけ余裕がある。
 丼を手に、思わずつゆまで飲んだ。またふたり、男女の客が入ってきた。「生ふたつね」──やっぱり立ち呑み屋なんだ。
 僕は丼を置き、ごちそうさまといって店を出た。満足。

 

 ホームの案内表示を見ると、快速特急豊橋とある。快速特急とは十数年前にフリーきっぷで名鉄をひたすら乗りまわしたときにはなかったような気もする。先に右手に入っていた中部国際空港ゆきが出ていった。そして少し遅れて左手に快速特急豊橋ゆきが入った。
 乗った車両は前半分がクロスシートで後ろ半分がロングシート。へえ面白い。そう思うのもつかの間、続々と乗車が続き、車内なかのほうへ押し込まれた。JRの特別快速が1分早く出発して行くのが見えた。
 よく確認もせずに乗った。車内奥へ押し込まれたから、案内も見られずこの列車がどこに止まるのかわからない。ダイヤ上、JRの豊橋始発浜松ゆきに乗れることがわかっているだけ。列車はすぐに神宮前に止まった。そうだね、神宮前は止まるわな。次は知立と放送された。
 神宮前を出ると、中部国際空港や河和へ向かう常滑線が築堤を上り、グーンと右にカーブして離れていった。空港から来たのか特急車両がカーブから入ってきた。複雑怪奇、パズルのようなダイヤが魅力だ。どこからどこへ走っているのか、ついつい地図で補完する。

 

 そういえば今年の正月休み、思いついたように知多半島をサイクリングし、この名鉄輪行した。翌日伊勢参宮街道を走ろうと、はてなブログ仲間のひみよし (id:himiyoshi) さんと待ち合わせるため、さらに四日市へと移動した。やっぱりこの日のサイクリングでも、名鉄赤い電車にいちいち反応している。

nonsugarcafe.hatenablog.com

 

 知立を出て東岡崎に止まる。新安城もスキップとはめちゃ飛ばすなぁ。東岡崎に着くと車内が半分くらいになった。空席もいくつかできた。扉が閉まる。停車時間も最低限で小気味いい。そしてドアの上の電光板を見ると、「次は 豊橋」と流れた。
 次って豊橋なの? 僕は驚く。へえ、神宮前からたった三駅。そうなんだ……。
 クロスシートに腰掛けてた男性が弾んだようにあわてて立ち上がり、扉に走った。もちろんもう閉まっている。列車は動き出した。扉に両手をついて、ただ後ろに去っていく東岡崎のホームを見ていた。そういえばスマートフォンを夢中になっていて使っていたようだ。降り損ねたのか。でも、もう豊橋まで止まらないよ……。これはきついなあ。──男性のやるせなさがあまりにも強く周囲に伝わっていた。

 

 豊橋駅では5分の乗り継ぎ。名鉄を終着で降りてJRに乗り換え。ふたたび18きっぷの旅に戻る。まだ全然乗客がいない浜松ゆきの列車に乗った。あとはひたすら東海道線、まだ6時間もかかるけど、今日の旅も終ったようなものだ。楽しかったな、と思う。雨模様の一日も、全然悪くなかった。
 名鉄はほんの45分だったけどナイス・アイデアだった。名古屋に来た感が十倍増しになった。中央本線──甲府盆地の風景とか、なんだかもう昨日かそれ以前のことみたいだ。いろんな景色見られたな。天気悪かったけど、最高だった。
 普通列車が定刻になっても発車しない。しばらくして車掌が放送を入れた。
「発車時刻を過ぎておりますが、豊橋までの特別快速のお客様を待ちまして発車といたします。今しばらくお待ちください」
 そして向こうのホームに特別快速の313系が入ってきた。あれだ、金山で先に発車していったやつだ。──なんだか、ちょっとだけ勝ったような気分になった。

 

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