自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

都沢林道・前日光牧場 - 後編(Oct-2018)

前編から続く

 

 気楽さとはなんだろう。突き詰めるなら単独行動ぼっちスタイルに行く着くのだろうし、じっさい僕は大半がそうだ。周囲に気づかいを持って、そのぶん自分の興味をそぎ落としながら続ける旅は、僕の本質じゃない。本来の目的を手に入れられない。でもだからって、道を眺めていたいからと飽きるまでそこにいるなんて、誰に理解できる? 旅の目的は道を眺めながらただ走りたいんだって観光もグルメもない行程を、誰が理解できる? 有名観光スポットであろうが興味がわかないと心をよぎれば、ためらいもなく素通りする行動を、誰が共にしてくれる? 興味の視点が人とかけ離れているのだ。誰もが関心を持つことはそれほどでもなく、誰も気にも留めないことに強烈に心ひかれる、だから先細りのように僕の旅は単独行動が多くなる。仕方がないし、当たり前だ。
 でも僕の記事を読んで「やっぱり行きましたか、行こうと思ってたんですよ」と連絡をくれたり、僕が走りたいと思う道を検索すると、ほぼトップに自身の紀行記事が出てきたりするUさんなら気楽。同じような道同じようなところにやっぱり行っているんだってわかっている人なら、こうしてただ道のカーブが優美だからと何をするでもなくそこに居続けることが気にならない。観光地でもなければ展望台でもない、どこにだってある道の途中で、それが気を使うでもなく、Uさん自身もそこに居続けるから、かまわずそうしている。僕の興味、関心に近いのか、理解してくれているかなんだって、勝手ながらそう思っている。
 だからかれこれ、もうしばらくのあいだ県道58号のただの、、、道端にいた。

 

(本日のルート)

f:id:nonsugarcafe:20181025002743j:plain

GPSログ

 

 県道58号このあたりは最後まで整備の遅れた場所。最近まで舗装されることもなく、道路として存在しなかった。両端を結ぶ未舗装路はあったが、当然県道指定もされていなかった。古峰ヶ原で一度道は途切れ、ここ都沢林道へつながる交点からまた道が現れる分断県道だった。両者をつなぐ未舗装路は狭く、危険で、山肌に沿った屈曲の走りにくい道だった。わざわざ選んで通る車はいなかった。林道を好むバイクが走った。自転車趣味人のあいだでは、ロード不可、マウンテンバイクが適切といわれていた。
 全通した県道58号はまだせいぜい10年くらいだと思う。高規格設計は直線的で、道幅があり、舗装がきわめて綺麗だった。古峯神社から古峰ヶ原まで、あるいは前日光牧場入口から粕尾峠までの貧弱な、狭くて走りづらい、昔からの荒れた道と高規格道路が混在するさまは、二度上峠に向かう群馬県道54号長野原倉渕線に似ているなって思った。

 

f:id:nonsugarcafe:20181025002802j:plain

(2005年のツーリングマップル

 

 前日光牧場の入口までは上り基調だ。交通量は少ない。一分間に多くて数台。僕らはゆっくり、坂を上っていく。
 道端に車を止めて立っているおじさんがいた。上っている僕と眼が合い、笑って微かな会釈をする。僕もこんにちはといって返した。一度そのままおじさんを通り越し、先に進んだ。たまたま、何の気なしに振り返ってみると──だいたいこんな場所で車を降りて何をしてるんだろうって思って──、木々がはけ、広がった眺望の先に日光連山が座していた。
 そのどまんなかは、男体山だった。
「うわっ、うわっうわ!」
 僕はあわてて、しかしながら車の往来がないことを確認するとUターンして、おじさんのいるガードレールに自転車を寄せた。
 なるほどおじさんは首から大柄なニコンを下げているわけだ。
「見事ですねえ」
 とUさんもいう。
「これだけ見える機会ってったら、そうはねぇわなあ」
 とおじさんは笑った。僕もうなずく。
 パッチワークのような色とりどりの秋が一面に広がっている。確かに、何度かここを通ったとこがあるけれど、ここまで日光連山が望めた記憶ってなかった。
 道をゆく車、バイク、自転車にとっては、ただの道の途中らしい。誰ひとり止まることがなく走り抜けていく。
「あすこにさぁ、雲があんのよ。あれがなかなか取れねぇの。ほら、手前がさ、ぜ~んぶ影になっちゃってんでしょ」
 なるほど奥の日光連山は秋の日差しを受けて輝いているけれど、手前の山々は雲の影のなかにいる。方角から想像するに、細尾峠のあたりだろうか。
「あの雲、取れんの待ってんのにさ、居座っちゃってもう全然動かないんだわ」
 ──それ待ち? すごい根気だわぁ。
「こういうのさ、お金かかんでしょ?」
 とおじさんは僕らの自転車を見ていう。──自転車あるある系。
「まあなんだかんだと2、30になってしまいます」
「そうだよなあ。こういうのってのは何でもそうな。これだって50以上かかってんもん」
 おじさんはそういってニコンを持って見せた。「それがよぉ、2、3年もしたらもう古くって話になんねっつんだから、たまったもんじゃないよ」
 僕は笑って、
「沼、ですね」
 といった。おじさんはスルー……わからなかったんか。
「でもよお、あんたらもこうやって使える金があるってのは幸せなこったよ。本当に。俺だってこれにお金使って、幸せってことよ」
 そういってまた笑った。
 しばらく、三人で風景を眺めていたが、特に変わることはなかった。
 それから僕は、あの雲流れてってくれるといいですね、といいその場を後にした。

 

f:id:nonsugarcafe:20181025002838j:plain

 

 

 県道58号を上り切れば、前日光牧場への入口だ。ここで自転車を止めて休憩を取ると、寒さを覚えた。さすがに寒いですね、とUさんにいうと、今は上りだったから身体が熱くてまだいいですけど、この汗が冷えるのはやばいですね、といった。そのとおりだ。
「ちょうど10キロですね、ここまで」
 と僕がいうと
「二時間以上かかっていますね」
 とUさんが笑った。
 ここから先は林道、細いすれ違いも困難な箇所もある道に、思いのほか頻繁に車が出入りする。粕尾峠のほうから来る車もあれば古峰ヶ原から車もある。僕らも林道に入った。
 少しの上り坂を経て、いよいよ広大な牧場が広がった。その山肌を、白い柵に囲まれた道がゆく。
 広いわりに動物の姿はそれほど見かけない。観光牧場じゃないから見せる必要もないし、僕らもそれを見に来たわけじゃない。そのいちばん奥に前日光ハイランドロッジがある。そこまで行く。

 

かつ丼を──」
 とUさんがいうと、食堂のお父さんは
「ご飯がなくなっちゃったんだよ、もう」
 といった。それから大きな業務用のジャーを開け、確認して、
「こんなもんだよ」
 と親指と人差し指を広げて見せた。
 日光ハイランドロッジは前日光牧場近辺や横根山、横根高原周辺散策で唯一の店だ。ハイランドロッジの食堂も同様、ここ一軒だけ。
 車で観光に来た人もいるだろうし、ハイカーだっているだろう。この一帯に遊びに来てここ一軒というのは、さすがにご飯もなくなるなと思った。13時にしてこれだ。
「お土産屋に人がいないんだけど」
 と食堂の扉を開けて叫ぶ人がいる。食堂がいっぱいで回らなくなって、お土産屋の人も全員参加だった昼どきに違いない。食堂のお父さんが「じゃあ俺あっちいってくっからよぉ、こっちはもう大丈夫でしょ」と他の従業員に託していた。そういう食堂もあちこちのテーブルで下げ膳が済んでおらず、手一杯だ。
 ハイカーと、物好きの僕らのような人しかもともと来ないような場所だったのだと思う。観光地に持ち上げられたり、紅葉情報で取り上げられたりして急に人が集まれば、さばききれなくなるんだろう。
 結局Uさんは僕と同じくそばにした。

 

 食事を終えて外に出ると、明らかに空気が変わっていた。寒い。
 Uさんが、いよいよ汗が冷えたのかもしれませんねといったが、気温も下がったように感じた。ウィンドブレーカーを着込むかどうするか、正直悩むほどだった。
 この先の道がどうなっているか。行けるなら押してでも行こうと思っていた。
 しかしながら結果はすぐに判明した。
 前日光ハイランドロッジの駐車場の端で、すでに車両通行止めの扱いになっていた。その先はトレッキングルートになっている。この先にある前日光ハイランド林道は、トレッキングルートの先にある。廃道化しかけた誰も通らない道であれば規制の先に行ってしまうこともある僕ながら、ハイカーが歩く道となればそうはしない。僕らはここで道をあきらめることにした。
 あきらめてすごすご自転車を押しているとそこへ、軽快なダンシングで坂を上ってきた青年がいた。驚いたことにハーフパンツだ。上半身は腕をすべて覆うアームカバーをしてはいるが、薄手のものに見えた。
「大丈夫ですか? 寒くないですか?」
 とUさんが思わず声をかけた。
「いや、寒いっす。やばいっす。何か温かいもの食べないと」
 といい、すぐさま食堂へ消えていった。その後ろ姿を見て、
「若くないとできないね」
 とUさんがいった。本当ですねと僕もいった。

 

f:id:nonsugarcafe:20181025002855j:plain

f:id:nonsugarcafe:20181025234719j:plain

f:id:nonsugarcafe:20181025002919j:plain

f:id:nonsugarcafe:20181025002933j:plain

 

 

 

 ただ下りばかりというのもかなりきついのだと知った。
 もう何十分、ペダルをほとんど回さずにいるだろう。

 

 横根高原方面へ回り込めなかった僕らは、来た道を戻り県道58号に再び合流した。そこから粕尾峠へ下り、さらに県道15号へ入った。ただただひたすらの下り。一時間以上かけて鹿沼市の粟野、かつての粟野町に入った。
 下っているだけというのは、姿勢も変わらず、僕らのような乗り方だとあえて下り坂でペダルを回すなんてしないから、そのあいだずうっと固まった恰好である。一時間以上もこれを続けていたせいか、変な疲労と痛みがある。凝り固まってるのだ。同じ姿勢ってのは良くない。
 だから信号待ちで止まり、あらためて発進しようとすると、身体が動かない。ついていかないようでもあり、身体の動かし方を忘れてしまったようでもあり、まごつくし、ふと今やめちゃってもいいななどと頭をよぎる。
「このあと、栃木に抜けるために大越路峠を越えるのですが、トンネルで一気に抜けちゃう現道ではなく、峠越えをする旧道に行きませんか? ルートもそれで入れてあります。ま、廃道なんですけど」
 と僕は提案した。
 旧道の入口には頑丈なゲートがあって、鍵が付いていて開閉可能になっている。僕らは脇からお邪魔する。
 しかし道を見て驚く。ゲートの鍵付き扉は当然、林道管理者がパトロールや整備のために入るためにそうしているはずだ。それが道を見ると、とうていそんなことなどしていない道だろうって見える。果たして前回この道のなかへ入ったのはいつなのだろう。路面は落ち葉や枝、石や岩で埋まりアスファルトがかすかに見える程度。場所によっては舗装面が現れて走りやすいが、森の見通しが良くて風で枝葉が飛ばされているのかもしれない。車が走った形跡などなく、管理されてそうなっているふうではなかった。
 峠への坂を上る。一時間以上も動かさなかった身体で坂を上るのはきつかった。一時間、坂を上ってきた続きでさらに坂を上るほうが、身体は動く気がする。身体の、上りに必要な神経系統がすべてオフに切り替わってしまっている。
「いやあきついです」
 とUさんもいう。

 

 道が倒木で完全に寸断されていた。これはだめだ、車など通れない。
 自転車を担ぎ、倒木の向こう側へ自転車を渡した。

 

「いい眺めですね」
 Uさんがいった。
「本当です。ここが走れなくなってしまったのは残念です」
 まさに峠の道らしく、峠までは粟野のまちが、峠からは栃木市永野のまちが一望できた。峠には開通記念碑もあり大越路の道の説明板まであった。桜の名所らしいですよ、ざっと読んだ僕はUさんにそういった。落ち葉と枝と落石で埋まった峠道を、Uさんは見ていた。

 

f:id:nonsugarcafe:20181025002949j:plain

f:id:nonsugarcafe:20181025003000j:plain

f:id:nonsugarcafe:20181025003009j:plain

 

 

 

 下った道は県道32号。これでもう東武新栃木駅まで一直線である。
 だんだんと道が広くなり車線が増えやがて舗装がアスファルトからコンクリートに変わった。ここは平日や土曜日に走ると納得する、有数のダンプ街道。走れば、というけれど走らない。サイクリングの日が土曜日だったら迷いなく歩道を選択する。そんな道だ。コンクリート舗装にしているのはそのダンプの量による轍掘れ対策だろう。ゆっくりした時間でじわじわかかる力に弱いアスファルトは、重い車が混雑で連なれば簡単に轍掘れを起こす。時間をかけて力をかければ雑草の芽でさえ突き抜けることができるのがアスファルトだ。平日の状況はほとんど知らないけれど、想像できないくらいの交通量なんだろう。轍掘れの起きない、しかしながらコストの高いコンクリート舗装が、何キロにもわたって続いていた。
「このまま帰ろうかなと思うんです」
 と、信号待ちのときにUさんがいった。
 Uさんは古河で、栃木から30キロばかりだ。
「この距離で輪行パックして、電車もわざわざ小山をまわってってなると、面倒だなって思うんですよ」
 道は東北道インターチェンジを越え、栃木の環状線を越え、市街地へ入った。古都の風情を残すまちが、小京都や小江戸といって観光で売っている。僕らは休憩に、コンビニに立ち寄った。イートインスペースでコーヒーを飲む。小京都のコンビニはイートインスペースさえ小洒落ていた。

 

「僕もついてっていいですか?」
 Uさんにそういった。
「いいですけど、何にもない道ですよ」
 とUさんは笑う。
「せっかくですから」

 

 コンビニを出るとすっかり暗くなっていた。
 前日光牧場であんなに寒かった空気は、下ってくるとウィンドブレーカーなどいらない暖かさだった。まちが真っ暗な夜の闇に包まれると、それが涼しく感じられた。