自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

川俣・山王林道・奥日光(Jun-2018)

 東武株主優待乗車証が手もとにあって、その期限が6月の30日だった。
 梅雨の折、どのタイミングで使うべきか難しい季節だった。僕は東武鉄道の株主でもなんでもなく、株主優待乗車証はチケットショップを覗いて安く出ているときに手に入れてきたものだから、使い切らないとまったくの買い損ってことになってしまう。
 今年の梅雨は空梅雨だったとはいえ、どこでもお天気に恵まれていたわけじゃないから、週末ごとに予報を見、ここなら出かけて行っても大丈夫という場所を見つけて、僕の行きたいと思う興味を加味して選んでいた。
 そんなことをしていたから、期限ぎりぎりまで東武株主優待乗車証を残してしまった。
 今年の6月30日は幸い週末だった。株主優待乗車証を使う最後のチャンスになった。
 そして驚いたことに、タイミング良く前日に梅雨明けが発表された。まだ6月だというのに……。なんでも6月中の梅雨明けは統計史上初だとか。
 天気は問題なさそうだ。

 

 

 東武電車を下今市駅で降りた。
 今日は奥日光と川俣温泉とを結ぶ、山王林道を走ろうとやってきた。
 山王林道といえばもう何年前になるだろう。10年前後になるはずで、一度だけ走ったことがある。かつては奥日光・光徳こうとく牧場から川俣温泉に抜けるルートを取った。
 あってはならないんだけど、その日僕は眠気と戦っていた。山王林道に入ったころ特に強い眠気に襲われ、ともすると居眠り運転状態で山王峠から先、川俣温泉への長い下り坂を走った。どんな道だったのか、曲がりくねっていたのかまっすぐストンと落ちたのか、遠くの景色が望めたのかそれとも最初から最後まで林のなかだったのか、広くて走りやすかったのか狭かったり荒れたりしていたのか、交通量は多いのか少ないのか、そんな何ひとつを覚えていなかった。長かったのか短かったのか、晴れていたのか曇っていたのかさえ覚えていない。そんなわけで僕には山王林道の道の記憶というものがまったくなかった。記憶がないだけじゃなく、写真さえ一枚も撮っていなかった。
 あらためて記憶に刻む必要があった。

 

 ここ下今市から大笹おおざさ牧場を抜け旧栗山村へ、鬼怒川に沿って上流に向かい、川俣温泉から山王林道に入るつもりだ。かつてとは逆のルートで奥日光・光徳牧場へ向かう。奥日光を奥から順に戻るように中禅寺湖まで下ってきて、いろは坂を駆け下り東武日光の駅で終わりにしようと考えていた。

 

 まだ、人は少ない。
 かつて快速列車だった、現在の急行東武日光ゆきが走るのはこのあとだ。急行列車はかつてのまま混雑しているようだ。僕はそれより前の普通列車でここまで来た。都内からでも、この列車に乗れる人は限られてしまうのかもしれない。だとすれば東武沿線住民の特権だ。ただ普通列車は当然、ひと駅ごとに止まり、のんびりと走る。10分後にはもう急行東武日光ゆきが追いついてくる。

 

 ホームの向こう側にあるレンガ造りの機関庫のなかで、蒸気機関車の汽笛の音がした。東武鉄道が昨年から走らせているC11型の機関車だろう。機関庫のなかにある車体を見ることはできないけれど、音だけはくぐもって聞こえてくる。庫内で反響した音が漏れてくるように。自転車を組みながらときおり鳴る汽笛を聞いていた。
 自転車が組み上がる前に、後続の急行東武日光ゆきが到着したみたいだ。改札からにぎやかに人が出てきて、駅前の活気と雰囲気は一変した。おそらく終点の東武日光へ向かう列車内はまだ混雑しているに違いない。
 とはいうものの、みなここで降りてどこへ行くんだろう。新鹿沼のゴルフ、東武日光鬼怒川温泉の観光ならわかる、じゃあ下今市ってなんだ?
 僕は組み上がった自転車に荷物をまとめ、出発した。ときおり聞こえる蒸気機関車の汽笛は変わらず続いていた。

 

 会津西街道こと国道121号に入ってすぐに大谷だいや川を渡った。橋の上から望めるはずの霧降高原や日光連山は、雲に覆われて目にすることができなかった。鬼怒川の支流であるこの大河を越えたら国道から離れすぐに左へ。まず最初のステージは県道245号栗山今市線で大笹牧場へ向かう。

 

 

 交差点をひとつ越えるたびに、交通量が減っていく。小百こびゃくという地で、日光広域農道と交差すると、その先はまったくといっていいほど車どおりがなくなった。
 小百川を橋で渡った。すぐ目の前に大きなコンクリート砂防ダムが構え、澄んだ冷たそうな水が白く重々しく落ちていた。水の落ちる音はつねに途絶えることがなかった。こぉぉぉぉぉぉぉー……。その音はいつだってここにある。
 落ちた水はまた透明になり、石や岩のあいだをうねって下って行った。
 県道とは思えない貧弱な橋で小百川を渡って、道も細くなってセンターラインも見えなくなったころ、道は左右を背の高い杉林に囲まれた。うっそうとした木々のなかは薄暗くさえあった。空からの光は届かず、ここを走っていると実に涼しかった。車はまったく来ないし暑いこともないこの道は走りやすいことこのうえなかった。風が抜けたりすればまるでエアコンが効いているようだった。思いがけない避暑サイクリングになった。
 でも避暑は長く続かなかった。
 林を抜け、路上の日影は少なくなった。高い杉林は管理された植林だったのだろうか。ここではもう木々が道路に影を落とすことはなかった。時刻が進んで日が高くなっているのもあった。さっきまでと違い気温がはるかに高い。日差しも背中に直接照りつけた。でもそれだけじゃない。からだにまとわりついて離れない、飽和した高い湿度が一日の過ごしづらさを予感させた。

 

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 道の両側が開け、原っぱになった。原っぱには柵があり、そのなかでは馬と羊が草を食べていた。大笹牧場のなかに入ったのだ。ずっと沿っていた小百川はいつの間にか見えなくなり、影を作らない木々から抜けて周囲の山々が見えるようになった。秋の隠れた紅葉スポットだった。それからいくつかの細かなカーブを経て、この原っぱに出た。
 馬も羊も無心で草を食べていた。極限の集中力でただ草を食べていた。きっとこの道路上で車と車が事故を起こしたとしても食べ続けているに違いない。どんなに大きな音がしたところで彼らは気にも留めないだろう。地震となれば別だ。嵐だってそうだ。彼らは自然の変化には敏感だ。

 

 大笹牧場でひと休みした。びっくりするほどの車とオートバイが止められていた。それら大半は鬼怒川から川治を通り、北の旧栗山村から上がってきたか、日光から霧降高原を越えて来たのだ。僕が県道245号で会った車たちではない。県道245号は狭く走りづらい。入り方だってわかりづらい。走りやすい道と、かつて有料道路だった観光道路が、三択のうちの二択であれば、誰も狭くて連絡の悪い県道など利用しないだろう。だから僕は車にもバイクにもほとんど会わなかったのだ。
 標高千メートルを超えた大笹牧場でさえ、涼しさは感じられなかった。霧降高原の外れに位置するここも、今日の気温の高さと相殺どころかむしろ負けてしまっていた。

 

 缶コーヒーを買って手持ちの食事を食べながら休憩した。自転車もちらほら見かける。次のステージは鬼怒川。缶コーヒーを飲み終えたら出発した。

 

 

 黒部ダムダム湖の上を大げさなトラス橋(青柳大橋)で渡り、奥鬼怒を目指した。山王林道の入り口である川俣温泉間欠泉まで、この県道23号で上っていく。大笹牧場で千メートル超まで稼いだ標高も、県道245号は軽く三百メートル以上を吐き出してしまった。だから標高千メートルの川俣温泉までまた三百メートル上らなくちゃいけない。
 道は大河、鬼怒川に沿っていく。それだけの川だからか、極端にきつい坂はなかった。でもからだが重かった。なかなか自転車が進んでくれない。高湿度の空気が、軽い熱中症を起こさせ、それで疲労とだるさが出ていた。
 朝入れてきたスポーツドリンクの味にはすっかり飽きていた。大笹牧場で休憩したときに、ボトル半分ほどに残ったスポーツドリンクに、水を入れて埋めた。味は薄まったけど、一度からだが忌避した味に慣れることはなかった。

 

 左手で、鬼怒川がときどきその美しい風景を映して見せた。見事なまでに干上がっている箇所もあった。宇都宮から取手にかけての大河川の印象や、鬼怒川・川治温泉一帯のテレビ番組でも見るような鬼怒川とは一線を画した風景だった。この鬼怒川の風景はいい。こういう川の風景に沿って走るのは心にしみる。
 県道23号は新旧入り混じっていた。
 新しい区間は道もトンネルも橋も高規格で、国道121号にも存在しないんじゃないかってほどの見事さだった。たいして古い区間はセンターラインさえなく、まれに離合も譲り合いになるんじゃないかってところさえあった。そういった区間はたいてい舗装も荒れていた。川俣ダムダム湖にかかる吊り橋は古い部類だった。大型の車でなければすれ違いは可能だと思うけど、僕の前を走っていた車は、対向してきた車が渡りきるまで橋に入らず待っていた。じつに古そうな橋だった。県道23号にはいろんな顔と歴史がある。

 

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 県道23号沿いで食事をできるところを三つ四つピックアップしていた。山王林道の途中は何もないだろうという想像が容易だったから。事前に地図で見た限りでは川俣温泉に向かう途中、幸いなことにそれだけの食事ができる店を見つけられた。どこも村の食堂って感じで、どこもジビエを供した。それらを僕はガーミンに入れた。
 僕の概算の計画じゃ、この県道23号を通るのが、11時から13時にかけてだろうと思っていた。そして見事なほどそのとおりだった。県道245号から県道23号に入ったのが11時過ぎ、距離にして20キロ弱、300メートル少々の標高差を行くのに1時間半から2時間。そうなればこの道の途中どこかで食べることになるだろう。
 とはいえ、ピックアップした店の初めのほうは、まだ11時過ぎだし、大笹牧場で缶コーヒーを飲み手持ちの食事を食べたこともあって、見送ることにした。山王林道の長さも踏まえ、できればそこへ入るぎりぎりの場所、間欠泉の近くまで走ってから食事にしたいと考えてた。
 残りの2軒は川俣ダムよりも向こうだった。このふたつだなと思った。温泉街の途中だから、まずそこまで行こうと思った。蒸し暑くて体力的にも負担の多い日だけど、まあそこまでは行けるでしょ、と考えてた。
 高規格のトンネルを抜けて、川俣ダムダム湖にかかった橋の近くにひとつ、僕が地図上に立てた旗があった。走りながらどうやらそれらしき建物だと見つけた。そういえば昭和の時代の食堂っていったらあんな建屋が多かったっけ──。道路に面した間口はすべてが木のガラス戸だった。しかしそのガラス戸には白い、いかばかりか黄ばんだカーテンが、全面にわたって引かれていた。ガラス戸には定休日の札も下がっていないし、本日休業の貼り紙もなかった。今日が休みなのかいやもう店を閉めてしまったのか、それさえ判然としなかった。
 僕はあきらめて、川俣ダム湖に架かる橋を渡った。こうなるともう残りの一軒のほうしかない。

 

 川俣温泉っていうところも印象にない。それはそうか、僕がここを通ったのは前回の山王林道の続きなのだから。今回が初めて通るのと変わらない。どこが温泉街の中心で、どこに温泉街を印象付けるような大きな旅館があるのか、そんなものを見ながらここの雰囲気でも味わおうと思った。
 建物は総じて古かった。鉄骨複層階建ての建物も多い。しかし中を見るときれいさっぱりのがらんどうであったり、まるでゴミや廃材を寄せ集め置いたような、そんな建物の中だった。つまりは廃墟だった。廃業旅館が立ち並んでいた。
 複層階が並ぶ見た目、その規模からいえば鬼怒川とまではいかないまでも川治と同等には見て取れる。地理基盤を含めれば湯西川に近いかもしれない。しかし湯西川のここ近年の盛り上がりようとは対照的だった。ここの栄華はすでに過去のものだった。
 いくつもの廃旅館を目で追いながら、その道の途中に旗が立っているのをガーミンに見た。最後の食堂だった。県道23号でのチェックのなかで最後だったこともあって、ずいぶん距離があった。時間も遅くなった。13時に近づいていた。食べよう、と思った。
 しかしその旗の場所にあったのはまるでさっきの食堂のデジャヴだった。道路に面したすべてのガラス戸、そこには白いカーテンが全面に引かれていた。

 

 

 山王林道は現在、群馬県片品村までつながる、「奥鬼怒スーパー林道」の一路線となり、林道奥鬼怒線という名になった。しかし地域にはこのかつての林道名称が根強く残っていて、今でも山王林道で呼ばれることも多い。だから栃木県が林道情報を発表するさいは「林道奥鬼怒線(山王林道)」などと併記したりする。
 奥日光と旧栗山村を結ぶ総距離20キロにおよぶ林道は、今では全線が舗装されている。
 川俣温泉の方と話をしたとき、「私らはまず通りませんけどね。商売も仕入も鬼怒川に出ますんで」といっていた。目撃情報をちらほら聞く熊の話を聞くと、まず出ませんよ心配ないです、といった。
「出るのは鹿と猿ですわ。熊はおくびょうですから人前には出てきません。鹿と猿は図太いやつらです。だから堂々と出てくるんですな。こっちが車で通っても知らーん顔で道路の真ん中に立って小馬鹿にしたように見てたりします。クラクション鳴らしても気にもしないんですから大したもんですわ」
「鹿は夜行性なのでこの時間は猿ですね。気が荒いやつは襲いかかってきます。最近奥日光から市内への渋滞を避けてこっちに抜けてくる観光客の方も見えるんですけど、猿がいるってんでかわいいって止まって食べものあげちゃったりするんです。猿のほうはもうそれで人間は食べものをくれるものだと覚えちゃいますから、やらんで行こうとするとキィィっと怒って襲いかかってきますんで気をつけないとなりません」

 

 僕は念のため鈴を下げて今日のメインステージ、山王林道に入った。

 食事はまったくもってなすすべがなかった。手持ちの食べものを確認し、林道の分岐をいったん行き過ぎ、なんとか見つけた自販機で飲みものだけ手に入れた。といってもスポーツドリンクの味ももう受け付けられず、ボトルを開けてお茶に入れ替えるか水にするか悩んでから結局水を買ってボトルに埋めた。ボトルはすっかり薄まったスポーツドリンクになった。余った水はバッグにしまった。手持ちの食糧はカロリーメイトアミノバイタルのゼリーと魚肉ソーセージ2本だった。昼食なしで標高差700メートル、距離20キロ。これを越えていけば光徳牧場に出る。まあこれらがあれば行けるだろうって踏んだ。そう思うしかなかったところもあった。上りながら気分転換に峠を越えてからのことを考えた。この林道のピーク山王峠はどんなところだろう。高い位置から奥日光を俯瞰できるだろうか。光徳の森と、奥には戦場ヶ原が広がる。遠くに湯ノ湖や中禅寺湖が見えるだろうか。さすがに中禅寺湖は無理か。ちょうど左手に男体山が座する位置関係に思えるけど、それも見えるかな。下りたらすぐに食事しよう。光徳のアストリアホテルで千何百円もするカレーはちょっと違うかなあ……、ホテルのレストランなんて時間的にもう終わってるかもしれないから、三本松か赤松茶屋でうどんとかカレーってとこだろう。

 

 山王林道は、川俣温泉の間欠泉から上り始めてピークの山王峠までおよそ15キロ強の距離がある。標高差は700メートル余り。それほどきつくない勾配で淡々と上るタイプの山道かと想像していた。しかし実際には道の途中に平坦もあれば短いながら下り坂も何度かあった。だから本当のところは標高差が獲得標高そのものじゃない。起点とピークから求める数字上の勾配とは異なる。
 これはきついなあと思う場所もあり、止まる。止まったときに少しずつ手持ちの食糧を口に入れた。止まってカロリーメイトを食べ、また止まってアミノバイタルを飲んだ。
 上って、止まるのだけど、景色は変わり映えしない。男体山ファミリー太郎山と三岳の山すそを縫いながら南下していくルートで、目に映る山の峰々がいったいどこなのか僕には見当もつかない。山には詳しくないのだ。それがわかればまただいぶ面白かろうに。
 川も湖も町も集落も見えるものはない。ただただ深まった緑に覆われている脈々と連なる山だ。
 これをつまらないと見るか。
 僕は意外と好きだ。いやむしろ最近、絶景の眺望よりもこういった何もない、変化なく退屈に続く道を選んでいないか? 意外と、ではなく、相当好きなのだはないか?
 間違いなく、楽しんでいる。僕は楽しんでいる。
 道には意味がある。機能がある。それが人も住まない、電気も来ていない、山のなか眺望もない、方向感覚すら見失いそうな場所にある道にだって意味がある。機能している。絶景の眺望を持つ道路が圧倒的なインスタ映えでもてはやされ、有名林道がガレればガレるほど特定趣味層マニアの心をくすぐり、そんななか特徴もなく変化もなく退屈なだけの道は関心さえ得られない。でも僕はむしろ最近そういった道に関心を持ってやまない気がする。

 

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 できれば止まるのは百メートル上ったごとにしたいと思っていたけど、そうもいかなくなってきた。標高のぶん気温は下がっている実感はある。でもやっぱり湿度なんだ。湿度が高いと気温25度であっても熱中症を発症するのだそうだ。からだが熱を持ったとき、それを冷やそうと汗をかくわけだけど、その汗が気化することでからだが冷却できる。しかし湿度が高いときは汗が気化してくれないから、からだの熱は取れることがないからだ。それが続くと熱中症を発する。
 さいわい頭痛や気分の悪さはなかった。けだるく、力があまり入らないだけ。
 何度か水で埋めて8倍か10倍くらいになっただろうか、ボトルのスポーツドリンクが美味くなくて仕方ない。

 

 山王林道は序盤ゆるめのS字カーブの組み合わせ、中盤が数えきれないほどの屈曲つづら折、終盤は直線的でトンネルもある構成。山すそを山に近づくように地形に沿いながら、山にたどり着いたらその山肌を縫うように上り、上り切ると山稜部の通りやすい場所を選んで進む、そういう構成だろうか。
 もしカーブごとにい・ろ・はと振っていったら、いろは四十七字など使い切ってしまいそうなつづら折もようやく終わった。道は直線的に進む。小さな小さなトンネルも現れた。トンネルなどあとになったら忘れてしまいそうなほど印象もない。いよいよ山王峠か──。直線的になった道を進み、そう思った。
 山王峠……じっさいの峠は登山道で三百メートルほど進んだ先にある。その入口がこの林道での峠。何があるわけでもなかった。
 じっさいの峠ではないから碑や看板があるわけでもないのは仕方ない。しかしここから光徳の森も、戦場ヶ原の原っぱも、男体山も湯ノ湖も金精峠へつづく日光白根山も、何ひとつ見えなかった。
 でもね、満足。これでいい。こういうのはこういうので好きだ。大好き。僕は光徳牧場へ向けての下り坂へかかった。 

 

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 光徳の森のなかの道は涼しかった。朝の県道245号もそうだったけど、木々によって日差しがさえぎられた道って涼しく感じる。僕は気温より湿度を肌で感じてしまうほうだから、森や林のなかは湿度が低いんだろうか。その道で、毛クズひとつ付いてない真っ白に輝くパールホワイトの品川ナンバーポルシェカレラが追い越していった。高原避暑地に入ったんだなと勝手にイメージ付けする。
 光徳の森の道もやがて国道120号に突き当たることで終わった。
 車の量が比較にならない。大観光地、奥日光。進路を左に取り、戦場ヶ原を走る。左手には男体山が、夏の深い緑色で存在感を示していた。数キロで三本松園地だ。さあなにか食べよう。

  

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本日のマップ

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GPSログ

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