自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

南伊豆 大鍋越、蛇石峠、悪路(Mar-2020)

 伊豆は林道の宝庫だ。房総半島は地図をくまなく見ていくと細かくたくさんの林道が張り巡らされていて、情報もたくさんあるので"林道半島"として有名だけど、伊豆半島だって同じだ。いくつもの県道未満、、、、の道路が地図に描かれ、土地と土地、道と道を結んでいる。ただどれが何林道であるというのがわかりづらく、情報も格段に少ない。房総半島とは圧倒的な差があるのは、やっぱり首都圏からの距離の差なんだろう。アクセスがしやすければそれだけ人も訪れるし、逆もまた然りなんだ。
 南伊豆に出かけるとなると、いつだって稲梓いなずさからバサラ峠を越えて松崎に出て、国道136号でぐるっと半島をまわり、さらに県道に入って最南端の石廊崎にタッチするルートばかりだった。まるで決めつけているかのように。でも松崎から下田に抜けるルートとして、内陸を通る県道121号と、それで越える蛇石じゃいし峠というルートがあることを僕は知っていた。ルートが魅力的だった。それなのに「南伊豆といったら太平洋の大海原だろう」という、僕のなかの固定観念が邪魔をして、国道136号を選ばせてしまう。それを見ないでどうする、沿岸を満喫しないでどうする──ゆえに僕は蛇石峠に向かう機会を何度も逸していた。
 蛇石峠に行こう──もうそれを目的に決め込んで、真っ青な太平洋へダイブするダイナミックな下り坂の風景を頭の中から振り払った。それ以上南へスクロールしないように気をつけながら地図を眺めた。
 松崎から南伊豆町を抜けて下田へ至る県道なので、まずは松崎に行かなくちゃならない。松崎に出るとなると稲梓からバサラ峠か、と思う。南伊豆の西側、松崎町に至る鉄道はないから。みずから走っていくとすればもちろんいくつかルートがある。沼津から西伊豆海岸線を延々と南下するルート、あるいは修善寺から県道59号で風早峠、仁科峠を越えて西海岸に下るルート。いずれもこれだけでメインディッシュになるほどの贅沢なルートなんだけど、いかんせん距離が長くて負荷も高く、松崎に着くころにはもう南伊豆へまわろうという体力も気力も残ってない。南伊豆をまわる体力を残して松崎に至るには、バサラ峠を越えてくるほかない。
 あるときバサラ峠周辺を地図で見ていたら、県道15号の少し北を通っている県道を見つけた。県道番号は115と振られ、松崎町の県道15号から分岐して伸びている。反対側は河津町の河津七滝ななだるへ向かう下田街道を分けたあたりから伸びている。そのちょうど町界のあたりだけ県道表示が途切れているものの、細い線でつながれていた。早速気になって調べてみると、どうやら県道115号は分断県道になっていて、町界部分は大鍋おおなべ林道という道で結ばれている、ということを知った。
 これだ、これだね。そして蛇石峠に向かうならこの大鍋林道もセットにすべし、といつからか頭のなかにインプットされた。
 そうやって温めていた。
 そして木曜日、週末はこのルートに決まりだ、と思い立った。天気予報と、18きっぷと、関心とが上手い具合にクロスオーバーした。
 ルートを引くためにあらためて地図を見てみると、大鍋林道に県道の色が付けられていることに気づいた。グーグルマップでだ。つまり全線が県道115号として描かれているということだ。あらためて国土地理院の地図を見てみる。こちらも同様だった。県道として黄色く塗られている。とすると県道115号の分断区間を解消するため、大鍋林道を編入したってことなんだろう。神奈川県が、足柄峠から金時山へ向かう県道731号を断念し、金時隧道を抜ける明神林道を県道731号に編入することにしたのと同じような例だ。
 僕は新生"県道115号、大鍋越おおなべごえルート"を携えて、伊豆急行のリゾート21を河津駅で降りた。

 

(本日のルート)

 

 

  もっとたくさんの人が降りるかと思った。熱海駅からリゾート21に乗って今日の起点にした河津駅は、こんなものかと思う程度の賑わいだった。早咲きで有名な河津桜はまだ桜まつりの期間中だし、新型コロナウィルスのせいで人出が鈍っているのか、驚異的な暖冬のせいで桜の時期が早まったせいなのかわからなかった。
 自転車を組み上げて河津川に沿って上ってみると、もう桜なんてどこにもなかった。桜に期待してきたわけじゃないから(むしろその混雑は忌避したいほう)がっかりしたってことはないんだけど、こんなにも早く散ってしまうものなんだろうか。これも強烈な暖冬の影響? さすがにこれじゃ桜の人出は見込めないなと思う。菜の花ロードというだけあって菜の花だけは全開で咲き誇っていた。
 僕は早々に県道14号に出て、河津川に沿って内陸へ向かった。

 

 大鍋越への県道115号は、天城越えへの国道414号・下田街道から分かれるように分岐していた。湯ケ野松崎線──まさにこの分岐箇所が県道115号の起点だ。
 ちょうど河津川から支流の大鍋川が分かれるところでもあり、いよいよ今日の旅の起点。きれいな舗装面と引かれたセンターラインが真っ白でまぶしい緩やかな曲線道路へと僕は入っていった。すぐに何本もの大きなコンクリートの支柱に囲まれた。建設中の伊豆縦貫道、河津下田道路の支柱だった。このあいだを縫うように抜けていくと、やがてセンターラインもない道に変貌した。道は大鍋川に沿って、速い流れを横目に見ながら坂を徐々に上った。県道入り口のきれいな舗装とも、半島をまっすぐ貫く高速道路とも縁遠い、小さな集落路がここにはあった。
 町にはもうない桜が、まだそのピンク色を残していた。

 

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 棚田が続く風景は素朴で、それがむしろ心に染みた。観光地化された広い棚田風景よりも、農村集落と棚田で構成された風景に自然と気持が馴染んだ。こういったところで暮らしたことはないのだけど、懐かしさに包まれた。こんな風景を走っていると自然と穏やかになれる。
 やがて視界が遮られるように木々に覆われ始めた。背の高い針葉樹林だった。スギとかヒノキと思われる、林業の山に見られる典型的な植林の森だった。
 と同時に、道路の舗装が雑になり始めた。割れ、、欠け、、が見られるようになり、路面も波打った。路肩の白線はおぼろげに消えかかり、やがて消滅した。
 そしていよいよアスファルトではない、セメントの舗装になった。
 どこまでが県道115号で、どこからがかつての大鍋林道なのか、僕にはよくわからなかった。でもこのセメント舗装の始まりが、かつての大鍋林道の始まりなのかもしれない。編入されて一本の県道となった今も、林道時代と何ら変わらない道に違いなかった。

 

 セメント舗装になると勾配もぐんと増した。ここまでゆるゆると上ってきた坂道とは格段に差があった。それもそうだろうと思う。河津町松崎町の町界にあたる大鍋越峠は標高600メートル超なのだ。手もとのガーミンが表示している標高は200メートル。それを考えただけでこの先途方もない。
 集落はもう終った。家はない。セメント舗装の急勾配と一緒に大鍋越を目指すだけだ。

 

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 舗装は絶えた。
 舗装が途切れたのか、セメントが砂利で埋め尽くされたのかはわからなかったけど、いずれにしてもダートに変わった。とはいえ走りにくいことはない。大きな石が転がっていることもないから、乗っかって転んでそのまま谷底へ一直線ということもない。僕はそのまま走っていく。
 ときどき木々を揺らす音がした。不意打ちを食らうとドキッとする。もっとも伊豆半島にクマはいない認識なので、そこまでの不安はない。とはいえこの半島に多いと聞くイノシシだって対峙すればろくでもない戦いになってしまうし、いたずら好きのシカならわざと石を蹴落として落石まがいを起こしてくる。心配しつつ耳を澄ませておくに越したことはない。とりあえず木々を揺らしているのは鳥たちのようだった。
 ほとんどがスギやヒノキの植林なので、眺望はない。計ったように並んで植えられた木々は高々と伸び、降り注ぐ日差しさえ完全に遮っていた。
 その薄暗い森のなかに、ときおりきれいに整地された棚田が現れた。棚田は稲作の水田ではなく、伊豆半島では有名なわさび田だった。わさび田は棚段によってその生育度合いが異なっていた。ある棚は植え付けが済んだばかりなのか、まだ芽から葉が開いて間もないような若いわさびだった。ある棚はわっさ、、、と葉が伸び、地面が見えないほど田を埋め尽くしていた。奥深く伸びゆくわさび田に、芸術的な美しささえ覚えた。

 

 思い出したようにセメント舗装が現れるときがある。でもそれはとても気まぐれで、たいていはすぐに消えてなくなってしまう。そんな舗装と未舗装を繰り返しつつ、ダート路は明らかに砂利が大振りになり、雨によってえぐられた縦溝がいくつも現れるようになった。僕はできるだけ自転車に乗っているように心がけたが、えぐられた溝が掘られ、尖った大きな砂利がタイヤを蹴飛ばし滑らせるようになると、さすがに降りて押した。そして進めば進むほどそんな荒れた路面が多くあらわれるようになった。
 進むにつけ路面状況は悪くなり、乗って走るより降りて押す時間のほうが多くなってきた。単調な杉林のなか、ときどき姿を見せるわさび田があまりにも立派で、じゅうぶんに手がかけられているようすがわかって感動した。すでに四輪駆動の軽トラックでも入っているのが難しい道路状況になっているのに、見事なまでに整然としていた。急峻な山岳の斜面に切り取るように作られたわさび田は、観光農園で見るようなわさび田とはあきらかに一線を画していた。実用的で機能に徹した美しさがあった。僕は休憩を兼ねて何度となく足を止め、その美しさに見入った。

 

 時間をかけ、ずいぶん上ってきた。森は植林からやがて自然林に変わってきた。背の高いうっそうとした常緑から、低木で冬の葉のない林になってきた。そうなると木々のすき間からわずかながら遠くの風景が望めるようになった。そして開ける瞬間が現れると、山々の連なりが姿を見せた。今僕がいるここよりもさらに高い山々が青空のもと日差しを受けて輝いていた。地図と方角から照らし合わせると、天城の山々に違いなかった。
 それからほどなくして県道115号のピーク、大鍋越にたどり着いた。ようやくだった。まだ河津を出て20キロにも満たない。もう12時半をまわり、出発して3時間になろうとしていた。

 

 大鍋越周辺は、ちょうど伐採を終えた時期なのか、変にだだっ広い抜け、、があった。そしてここに一本、地図にはないがずいぶんと立派な林道がつながっていた。

 

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 救われたのは、松崎町に入ってからの下りがすべて舗装路だったこと。表面のならされていないセメント舗装は手にかかる振動が半端ないけど、上りの河津町内で続いたような荒れダート、ガレ、土砂だと乗ることさえできない。滑らせて走るっていっても限度があるし、道幅が狭いうえ、片側ははるか谷底だから、逆ルートだったら大変だったなと思った。
 山は相変わらずスギやヒノキの植林で、一帯がまるごと林業の山だと想像させる。ゆえに薄暗く日の光もほとんど入ってこない。ざらざらしたセメントは一様に滑りやすいから気を使って下りる。
 そんな道をループするクラブミュージックのように下り続けた。もうどれだけ繰り返したかわからないくらいのリピートで、ブレーキとハンドリングとペダルの左右の天地入れ替えを機械化して続けていた。そこへ突然家が現れた。周囲が開け明るく日の光が注ぐ。まるで長い長いトンネルでも抜けたかのように、突然集落に飛び出した。
 舗装もアスファルトに変わっていた。もしかすると県道115号とかつての大鍋林道との境界点だったのかもしれない。

 

 集落に入ってから点在する家々が途切れることはなかった。こんな山の中なのになまこ壁の蔵があって、松崎に来たことを実感した。それを3キロばかり進むとひなびた温泉に出た。東海バスでよく見かける柱だけのバス停が立ち、「野天風呂」と書いてあった。ズバリ過ぎるバス停の名前だな──。よくいえばひなびているけど、悪くいえば掘立小屋のような温泉宿がそこにあり、若い女の子ふたり組が駐車場から現れた。中年カップルの乗った車が上がってきて駐車場に入っていく。温泉は、思いのほか人気を博しているのかもしれない。
 大沢温泉といった。なるほど松崎を県道15号で走っていてその名を見たことがある。そうかここに出たのか。県道115号、大鍋越は前後のつじつま合わせもできて、起点から終点までの旅を終えた。

 

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 松崎で食事を済ませたあと、県道121号に乗った。初めての道は新鮮だ。南伊豆松崎線という路線名で、南伊豆町の下賀茂に出る道だ。これから蛇石峠への道ながら、山へ向かっているとは思えないハッと息をのむほど美しい直線道路が続いている。白破線の中央線がその"ストレート感"をいっそう強調した。この直線道路を進んでいくとやがて、蛇石峠9kmという青看標識が現れた。
 じわじわと勾配が始まり、徐々に斜度を増した。やがて上るのもしんどくなると、その斜度が延々維持された。体感的に7%から8%といったところか、最近このくらいの斜度でももうきつくて仕方がない。蛇石峠のほんの少し手前、眺望が開けて、ここまで上ってきた道を一望した。こういう道路の光景、好きだ。

 

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 実は今回のルート、もうひとつのお楽しみを組み入れていた。蛇石峠の先で県道121号から分岐し、伊豆半島では珍しいダム、青野大師ダムまでをつないでいる鈴野林道だ。蛇石峠を越えて下りに入る。下りの途中、割と早いうちに分岐があるのだけど、これがわかりにくそうだった。そして入念に調べてルートに組み入れたにもかかわらず、案の定行き過ぎてしまった。
 下り坂での行き過ぎはやはり一度ちゅうちょする。しかも最終的にはまたこの県道121号に戻る道なのだ。別に行かなくったってという気が起きる。
 それでも何とか意志を持ち直して折り返した。アスファルト舗装の軽快な下りは、折り返せば負担の大きな上り坂だった。距離にして500メートルばかり、標高にして何十メートルかをもう一度上り直し、鈴野林道の入り口を見つけた。これ下り方向からじゃまずわからんな──薄暗くなった分岐点に立った。
 鈴野林道は全線舗装の林道だった。舗装は県道115号の松崎町側と同じようにセメント舗装で、重たい車が走ったらひび割れしそうなもろさを感じた。ただ道には木々や竹がなぎ倒れ、道路をふさいでそのままになっているくらいだったから、車の往来はしばらくないんだろう。僕は自転車を降り、身をかがめて自転車も横にしつつくぐり抜けた。
 ここもまた針葉樹が植林された森のなかで、その高さや常緑の葉のせいと、午後4時をまわった時間のせいとでひどく薄暗かった。河津町松崎町もそれほど林業が盛んな印象がなく──それは切り出した丸太を運び出すトラックの往来とか、切ったらそのまま加工してしまうような製材所を道端に見ないってことだ──、これだけ広い範囲の山を植林で覆っていることがどうしてもマッチングしなかった。
 セメント舗装がされているとはいえ、折れ枝や落石、土砂流出が多く、安定して走れるほどじゃなかった。それらを避けるように気をつける必要がある。
 林道は一度上って一度下り、もう一度上った。ピークは二度あった。どちらも山肌に沿って敷設した道路が地形のアップダウンで二度上ったというだけで、ふたつの峠というわけじゃなかった。上りきったら道が下りに転じているだけで、峠らしささえなかった。そういう場所じゃないんだろう。
 山肌に沿ってグネグネと進み、周囲は薄暗い針葉樹林であるせいで、方向感覚を失った。どちらを向いているかもよくわからないまま走っているうち、パッと正面の木々が晴れ、眼下にダムが見えた。青野大師ダムだった。

 

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 南伊豆町から伊豆急下田駅のルートはエピローグだ。エンドロールを終えたあとの余韻を楽しむ道。国道136号の交通量を避けるため、内陸の県道119号を選択した。走りやすかったし空いていた。けど標高百メートル級のピークが二度あったのは事前準備不足で、ようやく上りきった。下って駅直前の国道136号に合流する。下田の駅前から多々戸浜や吉佐美までびっしり渋滞するようすが記憶に染みついていることもあって裏にまわったのだけど、合流した国道136号は何事もなかったかのように流れていた。不思議だった。こんなこともあるのかと驚いた。オフシーズンゆえかもしれないし、新型コロナウィルスのせいで出足が鈍いのかもしれない。とするとわざわざ選んだ裏の県道がすいていたのもこのせいだったのかもしれない。国道が混めば裏道となる県道も混雑する。国道がすけば裏道もすく。基本的な構図である。
 かくして伊豆急下田駅に到着したのは17時半だった。まだ春分の日を迎えていない三月、すでに薄暗さに覆われていた。
 それほどひと気のなかった駅構内が、一時的に活気立った。東京からの特急が着いたみたいだ。
 スーパービュー踊り子……。ああそういえばこのダイヤ改正で運用終了、いよいよラストランだ。
 伊豆で見慣れた特急車両を見納めしつつ、自転車を解体してパッキングした。

 

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