自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

房総林道カフェ(Apr-2018)

「場所によっては滑落しかねないですから、危ないと思うより前に降りて押しましょう」

「逆にロードでよかったって思ってます。マウンテンだったら調子に乗って、道を外してしまってますよ」

 グラベルでも、シクロクロスでもない、純粋なロードバイク。スリックの23Cを履き、滑りながら砂利道を行く。大きな岩の落石や山斜面の崩落による道路の埋没、路盤の崩落は通行可能な道幅を狭くし、ガリー浸食による段差も著しい。トンネルのなかも崩落で埋まっている。自転車に乗っているより降りて押しているか、担いでいるかの時間のほうが圧倒的に長い。周囲は伸び放題に伸びた木々の枝が覆い被り、身をかがめて進む。キャリパーは泥で詰まり、ディレーラーには枝を巻き込んでいる。

「いったい、なにをしているんでしょう」

「いったい何をしているんでしょね」

 そうとしかいいようのない会話で笑う。

「舗装路に出たら水を買ってコーヒーにしましょう」

「そうしましょう」

 でも、舗装路って、いつだ──。

 

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  先週の湯田中合宿の二日目、一緒に走ったKさんと大型サドルバッグの話になった。これまでの後輪に擦ってしまうサドルバッグから、最近注目されたリュックにもなるタイプに買い替えたのだそうだ。僕も見て気になっていたやつである。デザインも洒落ているし、赤やグリーンなんかの色もきれいだ。それを装着して湯田中へやってきた。Kさんのものはベージュだった。これも実にいい色。取り付けの角度がまったく異なるから、これであれば後輪に擦ることもないのだそう。古いのはどうしているのですかと尋ねると、もう出番もないという。なかば冗談半分で「もらってあげますよ」というと、「穴も開いている、ボロボロのでよければあげますよ」というものだから、これはいただかなくちゃと話を取りつけた。

 ただいただくだけじゃ悪いと思った。いただきがてら、以前から興味があるといっていた千葉の林道を挙げ、行ってみます? と聞いてみた。

 本来なら一度は走ったことのある道を選択すべきなのかもしれない。でも結果的に僕が行ったことのない、行きたいと思っていた林道を選んでしまった。

 鹿野山林道、高宕(たかご)林道、渕ヶ沢奥米林道、高山林道、横尾林道、山中林道。

 それらをつないだルートを送った。70キロ。夕方目いっぱい使えば走り切れるだろうってなんとなく思っていた。

 

(本日のマップ) 

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GPSログ) 

 

 

 千葉県を走ること自体が2年ぶりだというKさんは、房総内陸のその独特の風景感にすでに新鮮さを感じていた。君津市街から緩やかな上り坂がだんだんときつくなる。そうやって丘陵部へ踏み込んでいく過程での景色がすでに目に新しい。確かに千葉の風景はどことなく独特だ。関東の他の丘陵部や山と何かが違う。その違いを具体的に言葉にできないのだけど、独特な千葉の風景だった。

 そろそろ休まないと息が続かないというところでちょうど、鹿野山林道の入り口が現れた。鹿野山林道1号線──。県道を駆け上がってくる車がこぞってその林道へと入っていく。

 よく見ると、マザー牧場へのアプローチとしてこの鹿野山林道が示されている。だからここまで坂を上ってきたすべての車が、この鹿野山林道を使うのか。この県道を上がってきた車はみなマザー牧場へ向かう車で、その車はみな鹿野山林道へ入っていった。妙な感じ。

 鹿野山林道はマザー牧場の北側、県道163号とをつないでいる1号と、マザー牧場から南へ、国道465号につながる2号(2号との表示はない)。まずはこの両線を走る。

 マザー牧場連絡道たる1号は全線舗装。千葉の林道らしい雰囲気をさっそく楽しめるものの、車の交通量が多くてわざわざ止って味わおうという気分にもならなかった。勾配もそこそこあって、坂を上ることでまずめいっぱい。登坂路が長かった林のなかを抜け、見通しのいい場所に出ると、上り切った場所で誘導員がすべての車を駐車場へ入れていた。右の草の大地では、白黒模様の牛たちがのんびり寝そべっていた。

 

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 大混雑しているマザー牧場入園口の前を、自転車を押して歩く。

 こんなところを通過したいわけじゃないのだけど、どうも2号線たる鹿野山林道の入口は、駐車場の裏手から始まるらしい。なので、入園口から駐車場のなかを横切り、何度か迷いつつその入口を探し、入った。

 この道が、よかった。

 1号線と違い、こちらは車通りが全くない。

 加えて、千葉らしい風景、丘陵部に広がる集落と田畑、切通し、トンネル、そういったものが満載の道だった。全線舗装。

 

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 いったん国道465号へ入り、脇にそれ里みちを走った。

「こういう道もいいですね」

 千葉は稲作の周期が他より早い。半分以上で田植えを終え、残る田で仕上げのように田植えをしている。ゴールデンウィークの前半には終えてしまいそうだ。

「けっこう残ってるんですよ。この手の里みち。たとえば千葉市内でもこういう道ばかりでサイクリングできたりとか」

「ありですねー」

 そして高宕林道の起点に到着した。

 

 道はトンネルから始まる。扁額には「たがごいちごうずいどう」とかな書きされた、コンクリートの立派なトンネル。

 高宕林道は一部舗装路があるだけで、大半が未舗装。そしてこの高宕一号隧道を抜けた瞬間から、強烈なダートが現れた。

「おおおおおー」

「来ましたね」

 ゆっくり、乗って進む。トルクをかけてペダルを踏むと、一瞬にして滑る。ペダル、ハンドル、ブレーキ、すべてをていねいに、やわらかく操作するのがコツ。

 すぐに期待の手掘りトンネルが登場した。

 

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 ここから先、この旅はふたつの意味で進まなくなる。

 ひとつは、林道のよさから何度も立ち止まっては写真を撮ったり景色を楽しんだりすることによる。

 もうひとつは、あまりの道の崩壊ぶりに、ほとんど乗って走ることができないことによる。

 

 高宕林道は、ずっと林のなか。小糸川の支流になる沢にそって進むのみで、眺望はまったくない。

 高宕山でのハイキングコースがあるがゆえ、ハイカーは歩いている。路面を見ると、オフロードバイクのタイヤ痕もある。しかしこの道をオートバイで走るというのはかなりの技量がいるんじゃないだろうか。

「落ちても死にますけど、音、気をつけましょうね。日常的に崩落してるでしょうから、妙な音がしたらよく見ましょう」

 落ちている岩のサイズも半端ない。

 

 ──ふと、こんなところに来て、Kさんは楽しいんだろうかと、素朴な疑問に立ち返った。

「あの、こんなところ、まったく自転車にも乗れないし、どうなんでしょう。楽しいって思います?」

「楽しいですよ~。にやけちゃいますよ」

 そう、いってはくれた。

 

 反対側からやってきたハイカーに、

「この先も荒れたままですか?」

 とKさんが聞く。

「少し行くとふつうになりますよ」

 という。

 しかし行けども行けども、なかなか乗れる道にはならない。

 道の先で、黒光りする何かがうようよとうごめいていた。養蜂のミツバチの巣箱のなかのように。はじめ、なにかわからなかったが、近づくとそれはハエの群衆だった。恐ろしいほどの数。初めて目にする大量のハエに、少しおののく。

「すんごい数のハエがいます。めちゃ気持ち悪いですけど、ハエですんで」

 とKさんに声をかけた。

 僕が脇を避けるように通ろうとすると、一斉にハエが飛び去った。これもまた気持ち悪いほど。その飛び去った場所にいたのは、子鹿の死骸だった。

 生物が、やがて土にかえるには必要な自然の流れ。ハエが自然の輪廻にひと役買っているのだけど、どうしても気持ちが悪いと思ってしまう。

 とはいえ、ここにカラスはいないのだろうか。まずはカラスの力で地に返すのだと思ったが。

 通り過ぎると、子鹿の死骸はまた黒光りのハエの山になった。

 ハイカーがいったふつうになる、は、舗装路だろうか。ずいぶん先で、舗装路に変わった。

 

 高宕林道には一本の支線がある。

 行き止まりの支線には高宕大滝が流れる。ここは走っていけそう。自転車に乗り、坂を上る。

 大滝は、岩肌を水がなぞるように流れている程度。名前負けを感じる。

 支線をひとめぐりして本線に戻った。

 

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「この先、林道が終わると三島湖に出ます。自販機があったら水を買いましょう」

 高宕林道の後半は舗装路。一気に駆け抜けたいところだけどつい立ち止まって先に進まない。景色、トンネル、道の雰囲気、あらゆるものがいちいち足止めさせる。

 道で立ち止まっているハイカーふたりが、あのーすいませんと僕らを呼び止めた。

「この先って道続いてるんですか?」

「続いてます。そっちから来ました」

「トンネルがあったりとか、監視所とか」

「そうです、ありますあります」

「そうでしたか、一度行きかけたのですが、わからなくて引き返して。でもやっぱりそこしかないものですからどうなのかと思って」

 あまりの道の崩落ぶりに、その先に行けると思わず引き返したのかもしれない。どうぞお気をつけて、とふたりを見送った。

「いったい、この数キロに、何時間かけちゃってるんでしょうね」

「もうこんな時間なんですねえ」

 時刻は13時半をまわっている。

 お腹すきません? と、僕は手持ちのぬれせんをKさんに渡す。代わりにKさんは塩レモンのこんにゃくゼリーをくれた。

 舗装路を軽快に下り、高宕林道は終った。

 

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「横尾林道と山中林道は今日はおあずけですね。これほど高宕林道で時間を食うとは思いませんでした」

 三島湖近くの自販機で買った水を、Kさんが持参したジェットボイルで沸かす。お湯を沸かすことに特化した優れた製品だという。じっさい、びっくりするくらいすぐにお湯が沸騰する。

 それを、まるで封筒のような形をしたコーヒードリッパーに注ぎ、コーヒーを入れる。房総林道カフェの開店。

 渕ヶ沢奥米林道の途中。道端に自転車を投げ止め、周囲の丘陵部を眺めながらコーヒーを飲む。標高はせいぜい300メートル程度。なのにひどく山深く見える。緑の山々が連なるばかりで何もない。道路に腰を下ろし、それだけを見ながら、コーヒーを飲んだ。

「この先、高山林道っていう道に入ったら、国道に出ましょう。410号。長狭に出て、長狭街道で保田に向かいましょう。

 コーヒーをゆっくり飲むあいだ、通り抜けた車はわずか2台だった。

 

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 カフェを店じまいして、先へ進む。もう15時になろうとしていた。

 渕ヶ沢奥米林道は全線舗装。その道から高山林道が分岐する。高山林道はダートだが、しっかり踏み固められた道で、砂利に滑らないよう気をつけて走れば乗っていける。明るい林道だ。

 この高山林道を、国道410号に出るために途中で分けた。

 道の途中、国道410号が目に入った。とんでもなく下のほうを通っている。

「あそこまで下るっていうのが信じがたいですね」

 林道はずいぶん高いところを通っているのだと実感した。

 行きましょうか、と急で細い屈曲の道を下った。近くに見える国道が遠い。標高差を吸収するのに迂回を繰り返して距離が長いよう。下りても下りても合流できない。

 ずいぶん時間をかけて、国道に合流した。

 どこに行っていたのだろう、まったく違う世界から帰ってきたみたい。車の走る、ごくふつうの道路に出ただけで、今までの林道をめぐっていた時間が宙ぶらりんになって存在している。

 

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「保田の道の駅で食べましょう。小学校を改装してできた道の駅で、給食みたいな食事ができます」

 長狭のセブンイレブンで軽く口に入れた。ここから先を、もともと考えていた竹岡経由で上総湊に出るルートから、長狭街道でそのまま保田に抜けるルートにしましょうと僕がいい、食事もまったくしていないしという話でKさんがいった。

グーグルマップで見ると17キロ少々。

「1時間ですね。17時前くらいか」

 と僕は計算した。「横根峠っていう、標高は高くないんですけど名前がついている峠があります。房総には他に名前を付けたくなるような峠がたくさんあるんですけど、何にもないこの県道のピークに名前がついてるっていう……」

 僕が通ったのはもう10年位前だろうか。あいまいな記憶しかない。Kさんも大山千枚田に行ったときに通ったはずだけど覚えていないという。

 しかし気にすべきは横根峠だけじゃなかった。鴨川市と富津市の市境や、他にも横根峠と同等の百数十メートル標高のピークがある。横根峠だけ意識しておけばいいやと思ったものだから、いらぬ負担になる。

 

 給食は、なるほど学校の教室にあるような机と椅子で、アルミの食器で出される食事を食べるのだ。給食らしい揚げパンなんかもある。ナポリタンが食べたいと思った。ナポリタンを頼むと、

ソフト麺になりますがよろしいですか?」

 と聞かれた。なるほどソフト麺。給食だ。

 千葉アドベンチャーロードを堪能していたものだから、やっと、遅い遅い昼食にありついた。

 

 

 すっかり薄暗くなっていた。

 房総に多い、水色とブルーで塗り分けた木造駅舎は、休日の終りのセンチメンタルをじわじわと心にしみこませてくる。保田駅も同じだ。

 駅には人がたくさんいて、駅舎内のベンチがみなうまっていた。軽ハイキングの恰好をした人が多いが、そうでない普段着の人もいる。地元客と思える人はほとんどない、明らかな観光客。自転車をばらして輪行袋に詰め、駅舎に入れば僕らもそれと変わらない、休日の、一日の終りを感じさせる側の立場になる。時間まで、列車を待つだけ。

「よかったんでしょうか、あんなめちゃめちゃな道」

「よかったですよ」

 本音半分、社交辞令半分、くらいだろうか、多少プラスマイナスはあれ。

 さすがに選んだ林道がディープすぎた、と思う。高宕林道。最後の高山林道くらいのダートであればちょうどよかったかも。ロードで、ダートもガンガン走ってしまうKさんでよかったと、あらためて安堵する。ちょっとした未舗装路でも、荒れ路面でも嫌う人がいると聞くから。

 話しながら、数年前に走った、南房総の畑林道を思い出す。あのときもほとんど押し担ぎだったな、似たようなものか、と苦笑いが浮かぶ。

 

 千葉行きの普通列車が入ってきた。そこそこの混雑。そこへ駅舎にいた人がみな乗り込んだ。もう、外はすっかり暗くなった。