自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

前日光基幹林道逆打ち - その2(Jun-2018)

その1からつづく

 

 さてどうしたものか。
 目の前のきれいに切られた道路舗装面を眺めた。
 悩むほどのことじゃない。進める道はない。戻るしかない。どう戻るかだ。

 

(本日のマップ)

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GPSログ

 

 前日光基幹林道の各線を走るため、今朝足利をスタートしてきた。
 日光市を起点とし、足利市を終点とする、7つの路線で構成された林道を逆からたどる、いわば「逆打ち」の旅を実践中である。
 逆からたどってひとつ目の林道長石線をクリアし、県道66号を介して旧田沼町飛駒まで下りてきたあと、ふたつ目の林道近沢線に入った。2003年に近沢トンネルが開通してから峠部は直線的に貫いているけれど、僕はこの本線ではなく旧道の峠越えに興味をいだいて選択した。鞍部では近沢林道開通記念碑を確認し、越えた峠を下ってきたところ。突然現れた藪にはばまれるも押し歩きで突破し、継続する道路を下っていたときにこの道路の終端に当たってしまった。

 

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 ガーミンのルートは続いているが道はない。たどり着くべき道は林道近沢線の本線だ。トンネルで峠を貫いてきたこちら側に出られればいい。
 向こう側へ戻るのはさすがにごめんだ。峠をもう一度越えて分け入ってきた分岐箇所まで戻ればなにもかももとどおりになることはわかっているけれど、それは避けるべき事態、どうしようもないときの最終手段だ。
 ふと、さっき右から合流してきた道を思い出した。その道も上っているように見えたからてっきり別の山の上から下りて来たに違いないと思ったけれど、じっさいにはその先下って、トンネルのこちら側出口に出られるんじゃないかと思った。
 そうであればさっさと戻る。
 下ってきた坂を上り、押し歩きした藪はもう一度自転車を降りて押し歩いた。それからすぐ鋭角状の分岐点に出た。
 ──これ、鋭角状の交差点じゃなくて、もしかして道なりのヘアピンカーブじゃないのか?
 なるほどそう思えてきた。そしてそちらの道に置いてあるバリケードは、この道に入っちゃいけないのではなく、この道から来た人に先へ行っちゃいけないという制限なんじゃないだろうか。先とはもちろん、僕が行った藪を越えて、果てはちょん切れた道路のことだ。じゃあなぜ僕が峠から下ってきた道にはバリケードがないのか。本当はふたつ置きたいところだが予算の関係だとか、エトセトラエトセトラ……うーむ思いつくものがない。
 とはいえ、やっぱりヘアピンカーブと見て解釈するにはいささか無理がある構造で、どう見ても鋭角状の三差路なのだけど、もうこれしかない、その一方の道へ行ってみることにした。
 この道へ入ったところでは確かに上りに見えたものの、カーブを曲がればすぐに下りに転じた。そして距離もなく、あっという間に近沢トンネルのこちら側の坑口に出た。それはもう何の迷いもないほどに、あっさりと。
 騒ぐほどのことじゃなかった。
 いやじっさいに騒いでなどいないが、気持ちは相当ざわついていた。ただでさえ坂が嫌いなのに、越えてきた峠をもう一度上ってもとの場所に戻るなんてあり得ない……。

 

 

 もとに戻ってしまえば何ごともなかったのと変わらない。林道近沢線の下り坂を下って、県道201号に突き当たって終わる。佐野市作原である。
 次へ向かおう。牛の沢出原線。

 

 その1で、前日光基幹林道を走るにあたって、補給はできるときに済ませておくと書いた。
 もうひとつ加えておこう。前日光基幹林道を走るにあたって、トイレもできるときに済ませておいたほうがいい。
 まずコンビニがない。前日光基幹林道は区間中に一軒もない。食べもの飲みものもそうだけど、トイレとしても利用するコンビニである。
 コンビニがない場合どうするか。よく僕があてにするのが道の駅と鉄道の駅である。しかしながら林道をめぐっていてそんなものがあるはずもない。
 補給を手に入れるのにコンビニの代わりに立ち寄るのが商店だけど、商店は明示的に利用させてくれるトイレがあるわけじゃないから、頭を下げてかくかくしかじかとお願いする必要がある。たいていはその商店宅の家庭のトイレである。そうするにしても何しろ開いている商店がなかなかないのだ、この前日光基幹林道には。チャンスは少ない。
 食事のときにトイレに寄るのは当然。ただこれは食事をする前提があってのことで、トイレがために無理やり食べるのはちょっと違う。もちろんトイレついでに、食事もいつになるかわからないからここで食べてしまおうっていうのはありだけど、トイレがためにさっき食べたばっかりなのにまた食事っていうのはないな、あえて借りるならトイレだけと頭を下げてお願いする。
 そんなわけでふつうに国道や県道を旅しているときとずいぶん状況が違ってくる。こういった林道や集落をつなぐちいさな道ばかり旅しているときのねらい目は、公園と神社だ。集落があると公園があることが多い。神社は集落じゃなくてもあるし、思わぬ山中で現れたりする。いずれも必ずトイレがあるわけじゃないけど、僕はターゲットにしている場所だ。
 それとさすがにある程度の集落や町になってしまうけど、公共施設。役所や役場、出張所やその他の庁舎、体育館や運動場、図書館や公民館など。これらも頭を下げてお願いすることになるけど、なにか買わなきゃとかなにか食べなきゃといった敷居はない。週末は開けていないところもあるけど。

 

 次の林道牛の沢出原線に入るまで、しばらく県道201号を上っていく。この作原の集落内でトイレに立ち寄れるなら、そうしたいと思った。なにか見つけられればというスタンスで。
 そんなことを考えながら走っていたら、作原野外活動施設と書かれた看板を見つけた。キャンプ場、体育館、テニスコート、芝生広場などと書かれている。
 なんなのかよくわからないが、トイレがあるかもしれないと入ってみることにした。キャンプ場だと管理棟近辺でトイレがあったりする。
 入ってみるとそこは古い学校のような敷地で、門にはなにがし尋常小学校って書いてある。
 尋常小学校? 目を疑った。しかしながら門に刻まれたその文字も新しく、門柱自体とてもそんな時代に作られたものじゃなく見えた。きっとあと付けだろう。
 門を入ると校庭のようなスペース、建物は学校だ。使ってないのかまだ時期が来ていないのか、泥と苔にまみれた小さなプールもあった。僕は本館と書かれた校舎のような建物に入り、左手にあった受付に声をかけた。
「失礼します、トイレをお借りしたいのですが」
 するとその奥のほうから、
「ああ、どうぞどうぞ」
 と声がした。受付と事務をやっていそうなおばちゃんが机に向かって仕事をしていた。
 トイレを済ませて出てくると、そのおばちゃんと、もうひとりおっちゃんがわざわざ出てきた。
「どうもありがとうございました。助かりました」
 とりあえずそうお礼をいった。
「どっから来たの? 今日はけっこう暑いでしょう」
 とおばちゃんがいう。
「足利です」
「へえ、大変だぁねえ」
 僕の恰好を見て自転車だと思うのだろうか。
「で、どこまで行くの?」
「葛生です」
 僕はそう答えた。前日光基幹林道をひとつひとつクリアして進むごとにたどり着く行き先、栃木や鹿沼、はたまた日光という地名はいわずにおいた。そういうときの反応はわかっているから。
「葛生? じゃあこの山を越えていくんかあ、大変だぁ」
 結局葛生でも驚かれてしまった。林道牛の沢出原線くらいは入れて答えないと、そう思ったのだけど……。
 ──そもそも、僕はどこまで行くのだろう。
 ルートは全7林道をつないだルートにしているけれど、とうてい僕が一日で走れる距離じゃない。だとしたら何本、どの林道まで走るのか。ここ作原でもそうだし、この先でもそうだけど、林道が終わって力尽きましたとか時間いっぱいですとか、そうなってもその場でもうやーめたといえないのだ。どこだって輪行できる駅まで何十キロかは走らなくちゃならないから、その余力と時間を残さなきゃいけないのだ。
 僕はどこまで行くのだろう。そろそろおおよそでも目星をつけておかなきゃいけない。
「気ぃつけてねえ」
「ありがとうございます。ところで、こいつはいるんですか? このあたりに」
 僕は玄関に飾られている剥製を指差した。熊の剥製だ。
「熊はまあいるかもしれねけど、出てはこねえな」
「それならよかった」
 僕はほっとした。
「出てくるのは鹿と猿だ。猿は多いよ。人んとこ出てきて、畑でもなんでも荒らすだけ荒らしてくからなぁ。畑にネットかけてたってめくってとーと取ってっちまうんだから」
「そうなんですか。せっかく作ってるのに」
「猿は頭がいい。賢いんだ」
 もう一度トイレの礼をいって出ると、また「気ぃつけてなあ」と見送ってくれた。

 

 

 シャッターの閉まった商店でコカ・コーラを1本飲んだ。それから県道201号を上っていくと、何キロか先で林道牛の沢出原線の分岐が現れた。もう何年も前になるけど、ここに来たときはこの場所にバリケードがあった。道路崩落による通行止めと工事による規制だった。今回はそれがない。
 林道牛の沢出原線の入り口は、ガーミンがあってもわかりづらい。ガーミンのようなGPSマップもなく、地図の情報だけに頼った何年も前、この入口をよく見落とさなかったもんだと思った。
 林道牛の沢出原線も、他の林道各線と変わらずひとつの山稜を越える。愛宕山の山すそを巻くように上りながら、つながる嶺を越えて向こうへ抜ける道だ。つまりまずは上りだ。
 前日光基幹林道の全般的な特徴は細かなつづら折だ。最初の長石線もそうだった。そしてここ牛の沢出原線も細かなヘアピンカーブを組み合わせて進んでいく。それは勾配をゆるやかにするためというより、山肌に沿って道を作ったらこうなったって印象だ。思いもよらない方角へ遠回りさせられるのは、複雑な山肌地形のせいだ。勾配は基本的にきつい。トンネルで貫いた近沢線はそのぶん直線的だった。でもトンネルに入らずに僕が選んだ旧道は同じような細かいつづら折だった。
 勾配が緩くなってきたころ、右手の眺望が一気に開けた。山深く入り組んだ地形のなかで、見えたのは果てしなく続く山だ。複雑な造形が幾重にもどこまでも続いていた。地理的に考えればそれほど遠くない関東平野が見えていいように思えた。山の端から町がはじまり、さらに川や道がありそれがつながってまた町がある、それらを俯瞰する光景を期待したのだけど、ここはそうじゃなかった。山しかなかった。
 景色とともに、自分の走ってきた道が遠くまで見通せるのは気分が良かった。この先も同じように見通せた。また先へ行きたい気持ちを増幅させた。心地いい。
 道はやがて下りに転じていて、それがいつそうなったのかわからなかった。ピークを峠として名前をつけているわけでもないし、峠や町界を示すものが建っているわけでもなかった。今は同じ佐野市だけど、かつては田沼町葛生町だった。あるいはその古い町名が示された何かをまた見つけることができるかもしれないと期待したが、それもなかった。

 

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 下りに入ってもまた細かなつづら折の繰り返しだった。自分が果たしてどちらを向いているのか見失うほど、右へ左へと振られた。180度以上方向転換をするヘアピンカーブもいくつもあった。
 そして県道200号に突き当たることで、林道牛の沢出原線が終わる。
 誰もいなかった。誰ともすれ違わなかった。林道長石線のように自転車乗りのヒルクライムのメッカになっているわけでもなく、林道近沢線のように数こそ少ないが地元の車やバイクが行き来する生活道路の顔を持つのとも違った。この道には誰もいなかった。長くてカーブしかなくて坂しかなかった。いい道だった。

 

 そこはひとつのジャッジポイントだった。
 次の大荷場木浦沢線は全7路線中おそらく最もハードな路線。今この県道200号を下れば東武佐野線の終着駅、葛生に出られる。12時を少し回った。食事をしながら考えよう。

 

 

 結果、僕は大荷場木浦沢線を走ることを取った。ここまで走った長石線、近沢線、牛の沢出原線はこれまで走ったことのある道だった。それだけを走り未走路線である大荷場木浦沢線を残すのはいったい何しに来たのかわからない。そう考えた。昼食を終えて13時過ぎ、全線を2時間から2時間半で走れるか。林道の終わる山の神で15時半から16時として、そこから東武栃木駅に出るのに約40キロ。18時。完全に日が暮れることはないだろう。
 大荷場木浦沢線はこれまでの県道から分岐する形じゃなく、県道200号を走っているとそれがそのまま林道に変わる道だ。林道12キロに加えて県道200号の区間を数キロ、坂は1000メートル近くまで上らなきゃならない。ここは前日光基幹林道全線中で最も標高が高い。
 正直、どこから県道200号が林道大荷場木浦沢線に変わったのかわからなかった。道は淡々と続いた。前日光基幹林道とは同じ特色の役者をあえて揃えたのか。細かなつづら折、センターラインのない細い舗装路、ひどく遠回りな道。ここもまたこれまでと変わらない印象の道だった。
 だから、嬉しかった。
 僕は牛の沢出原線を走っているときから嬉しさとたかぶりを押さえられなかった。平野部どころか町も集落さえも見えない山だけの風景、車もバイクももちろん自転車だって一台も来ないこのひとりきりの世界に僕は浸っていた。ずっと走っていたい道だと思った。そしてまた今度も、まるで同じ顔をした大荷場木浦沢線が現れた。最初に一台、下ってきたライトバンとすれ違ったきり、もう誰とも会うことがなかった。
 ところどころ切れ間から望む風景ももはや完全な山しかなかった。方角から見て目に入るのは北西部でより高い山々ばかりなわけだからそうなるのは必然だった。森のなかの林道、木々の間から望む風景も山ばかりの道、誰ひとり人の気配がない道を僕はまたさらに二時間も楽しめるのだ。

 突然、大きく視界が開けた。

 そしてこの眺望があるのは、斜面の木々がすっかり刈られていたからだった。目の届く他の山肌でも木が刈られ禿げ上がった地面を露出しているところがあった。あちこちに。それらは几帳面なほどきれいな区画で作業され、残された木々の緑とは定規で線を引いたような直線で区切られていた。 

 

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 ピークにはおよそ15時に着いた。また例によって名無しの峠である。そのまま止まらずに下った。最高の林道だった。単調で退屈で、何もない。誰もいない。叫びたくなるくらい気分が良かった。それが12キロも続く。なんてぜいたくな道だろう。
 あっという間に300メートル近く下って、山の神地区で県道15号に突き当たって終わった。山の神ドライブインの自販機で自転車を止めた。ジュースを一本買い、空になったボトルに一本補充した。買ったジュースをゆっくりゆっくり飲んだ。
 そして休憩ののち、あとさき考えずに僕は、次の林道前日光線に入っていった。

 

 

 全長が全7路線中最も長い17キロ超。時間を気にしていたネジが吹っ飛んでしまったのか、大荷場木浦沢線で高揚を終わらせることができなかったのか、走りたくて仕方がなかった。あるいはたかぶった神経を落ち着かせるために、もう一本林道を走る必要があったのかもしれない。山の神ドライブインの自販機で休憩したとき、下って栃木駅に向かおうという選択肢がもうなくなっていた。
 前日光線は横根山の山すそを巻くように敷かれている。これまでの林道のように峠をひとつはさんで双方の地域を結ぶのとは違い、何度もアップダウンを繰り返す。大きな標高差こそないけれど、ふたたび900メートル超まで上る箇所もある。

 

 日が傾いてきた。
 道が長いから走るだけでどんどん時間を消費していく。16時、16時半。少し休憩と道の真ん中で立ち止まったとき、空気が夜に入れ替わっていくのを感じた。
 自然界は昼の空気と夜の空気を持っている。人間の暮らす商業地域や住宅地域にいると気づかないが、その空気が入れ替わる。
 人間は昼行性。夜の空気に入れ替わったなら巣に(家に)帰らなくちゃいけない。
 空気の入れ替わりを声を持って示す夕暮れの蝉がやかましいほど鳴いている。それを聞いた鹿が起き始めたのだろう、鹿の声があちこちでし始めた。僕は何度かこの山で鹿に遭っている。鹿が多いのだ。
 目の前を猛禽類の大きな翼が、強烈な殺気を残して横断していった。速さと薄暗さでそれが何かわからなかったけど、きっとふくろうに違いない。あとを小さな鳥が追っていく。甲高い悲鳴のような鳴き声を残しながら。おそらく親鳥だろう。巣からひなを奪われたに違いない。親鳥は子供を守らなくちゃいけないが、ふくろうだって生きていかなきゃならない。肉食のふくろうはきっと自分の子供に与えるのだ。
 ──急ごう。
 夜の動物が活動を始めている。自然界では夜の世界に人間がいてはいけない。もう夜の空気が大半を占めてきた。

 

 道が広くなった。
 林道とは思えない二車線の中央線あり路側帯ありの道だ。前日光基幹林道は栃木市の山の神と鹿沼市の古峯神社がある草久(くさぎゅう)とを結ぶ道路としての側面と、もうひとつ山の斜面にある日瓢鉱山の運搬路としての側面を持っている。したがってここから古峯神社までの区間は林道にはそぐわない高規格道路になる。
 ここまでくれば人里の空気が流れる。夜の空気から逃げ切った気分になって、ほっとした。おかげで気持ちも落ち着きつつ、道路から望んだ前日光の山々の美しさに見入った。
 上り返しも含みつつ、下り基調のなかトンネルに飛び込んだ。近沢線にある近沢トンネルとこのやふれやまトンネルが前日光基幹林道にあるふたつのトンネルである。トンネルを抜ければ前日光線はお終い。古峯神社の鳥居とこの時間になってもまだまだ人のいる参道が目に飛び込んできた。
 あとふたつの林道は、残しておこう。

 

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 古峰ヶ原街道を一気に下って、古峯神社の大きな大きな一の鳥居をくぐった。左手に河原小屋三の宿線を分ける。それを目で見送り、僕はさらに古峰ヶ原街道を下り東武新鹿沼駅へ向かった。もう、ヘッドライトの照らす輪郭がずいぶんはっきりしてきた。