自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

都沢林道・前日光牧場 - 前編(Oct-2018)

 東武線のローカル系統はまったくのんびりしている。桐生線相老あいおい駅へ行こうと、裏技的小泉線経由──たいていの乗換検索で単純に検索しても出ないルートだ──で効率的に乗り継いで来られたのに、太田駅でかれこれ15分以上停車している。やれやれ昭和のころの国鉄山陰本線の鈍行列車じゃないんだ。持ってきた缶コーヒーを開けて飲むか、目を閉じているくらいしかすることがない。
 といってもあわてたって仕方ない。相老駅から乗り継ぐわたらせ渓谷鉄道は1、2時間に一本しか列車がないわけで、この列車が遅れない限り乗り損ねることはないし、早く着けたところでひとつ前に乗れるわけでもない。
 結局二本の下りの特急に抜かれ、上りの特急を一本退避した。そのあいだに伊勢崎ゆきの普通列車を接続した。もしかしたら伊勢崎線まわりでもっと効率よく来られたか? そんな疑念がよぎったが、もう考えないことにした。20分ほど止まったのち、ようやく赤城ゆきは発車した。

 

 相老駅で屋根のない跨線橋こせんきょうを渡れば、わたらせ渓谷鉄道にそのまま乗り継げる。輪行袋を抱えてその階段を上ると、快晴の青空のもと、架線のない線路にあずき色した気動車がすでに停車していた。軽いエンジン音でアイドリングして、煙をゆらゆらと吐いている。1両。──1両? この季節に? 僕は混雑を恐れてあわてたが、同じように跨線橋を渡って乗り換える人たちを抜かして乗りこんだところでどうなるものでもない、そう思いなおして階段を下りた。
 後方の扉から乗りこんで車内を見まわした。するといちばん前のロングシートでUさんが大きく手を挙げた。

 

 実に久しぶりである。今年の春、湯田中で会ったきり、それ以来である。一日通して一緒に走るとなるともう一年以上さかのぼる。自転車を並べて壁にくくりつけたり、久しぶりですねえどうですかなどと挨拶したりするうち、列車は大間々駅に着いた。ひととおり乗降が終ると、運転士が運転席を立ち前方の貫通扉を開けた。
「つなぐんですね」
「そりゃいい。この季節、さすがに厳しいですよね」
 などといっていると、前方から同じ色をした気動車が近づいてきて、ひとつの振動もなしに連結した。高崎線京急なんかガツンと揺れるのに、と驚いた。それくらい見事だった。それから貫通幌がつながれると、車内の立ち客と座っていた客が一部、前の車両へ移動していった。全体的にゆとりができた。
 まあそうですよね、と僕も笑った。
 同時に、アテンダントが乗りこんできて、車内改札を始めた。僕は相老駅で直接乗り換えたので乗車券がない。通洞つうどう駅まで行くと告げ、きっぷと、手回り品きっぷを購入する。わたらせ渓谷鉄道輪行で手回り品きっぷが必要な路線で、僕の知る限り他に静岡の大井川鉄道などがそうだ。両方合わせた運賃を支払うと、懐かしいパンチ式の車内補充券を用意した。必要箇所に穴をあけ、手渡された。なくしてしまいそうなレシート状の車内補充券を、端末経由で腰に付けたモバイルプリンターから発行する今どきの車内改札とは違う。

 

 通洞といったら、終着間藤のふたつ手前。ほぼ全線乗車の乗り鉄旅だ。輪行して着くのが10時半近くになる。サイクリングは11時近くからだろう。いいのだ。自転車も少し、鉄道旅も少し。何が何でも距離を走らなきゃとか、アヴェもう少し上げていきましょうとか、何時までに走り切らないとなりませんよとか、そんなのひとつもない僕らにとって、ローカル線の気動車に一時間揺られていても、それも自転車旅の一部なのである。
 途中の駅で弁当とカレーパンを持った売り子のおばちゃんおじちゃんが乗りこんできて、大きな声で売ってまわった。前の車両は知らないが、後ろの車両ではそんなに売れていないようだった。カレーパンがひとつかふたつ、そんなもの。まだ10時前で中途半端な時間のせいかもしれない。あるいはあれだけとがった大声であおられると手を挙げにくいようにも思う。
 鉄道はつねに渡良瀬川の上流部に沿う。群馬県内のカーブの多い入り組んだ渓谷を過ぎ、長いトンネルを抜けて草木湖を渡り、栃木県との県境近くの白い岩の転がる渓谷を眺める。そしてひと駅ごとにぐんぐん標高は上げているものの、紅葉にはどこもまだ早いようだった。色の変わり始めこそあるけれど、全体を見ればまだまだ緑だった。
 通洞駅に着くと、大半の乗客が降りた。僕とUさんも前の車両へ移動し、車内補充券を運転士に手渡した。運転士は「ありがとうございました。お天気いいですね」といった。そうですねよかったですとうなずいて答えた。気動車の出入口にはステップがあり、またさらにホームも低いから、幅の狭い折戸で輪行袋を降ろすのが難しい。──自転車? そうよ自転車よあれ、とどこかでひそひそ声が聞こえる。まあそれはいつものこと。発車を見送ってから、狭い、木枠の改札口を抜ける。見事な、国鉄時代からの木造駅舎だった。

 

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相老駅での跨線境乗り継ぎ)

 

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(乗車券と手回り品の車内補充券)

 

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国鉄時代からの通洞駅駅舎)

 

 自転車を組み上げながらUさんとルートの確認をした。県道15号鹿沼足尾線を上りつつ、途中分岐する都沢林道へ向かうのが今日のテーマだ。古峰ヶ原から横根高原へ向かい前日光牧場へ。ここでお昼だろうか。前日光牧場から横根山北側を巻く前日光ハイランド林道を通って県道246号草久くさぎゅう粟野あわの線へとつなぐことができればラッキー、これもまた今日のテーマのひとつ。難しいようなら粕尾峠に出て県道15号で粟野へ下ることとした。
 前日光牧場から先は、鹿沼市に問い合わせたところ通行することはできないとの回答をもらった。まあそうなんだろう。行ってみて、状況を見て考えよう。

 

(本日のルート)

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GPSログ

 

 自転車が組み上がると、あれだけいた下車客がほとんどいなくなっていた。どこかに見どころがあるのか、わからなかった。駅前は殺風景で、人の気配がなかった。足尾銅山観光はこちらで下車と車内の自動放送があったから、観光の施設がどこかにあるのかもしれない。駅もすっかりがらん、、、としてしまい、ときどきどこからか自転車が走ってきて、駅の写真を撮っていくくらいだった。自転車が来ればそのたびにこんにちはといった。

 

 

 出発すると道に見覚えがあるのに気づいた。つい先々週、三境林道から細尾峠に向かったときにここを通っていた。通洞駅に全く気付かぬまま。あのとき、昼食を取る場所をあちらこちら探していて、駅見物どころじゃなかったんだ。うろうろし、結局なにも見つけられず、気づいたら隣の足尾駅にいた。今日は足尾駅まで行かずに、渡良瀬川を渡る。川は、水が、澄んでいた。
 これから向かう山々は、列車の車窓から見たとおりまだ青々としていた。県道15号はその森のなかを上っていく。
「前に細尾峠を越えて足尾に下って、この道を上って行ったことがあるんですよ」
 とUさんがいう。「粕尾峠から古峰ヶ原へ抜けていこうと思ったんですけど、粕尾峠からまたさらに上るんですよね。その上り坂を見て、やめちゃいました。そのまま山ノ神とか通って下っちゃいました」
 僕はえっ!? と驚いて、
「まったく同じルートで走ったことがありますよ」
 といった。面白いことにUさんとはどうも走るルートが似ている。
「そのときは細尾峠が面白かったもので、あまりこの道の記憶がないんですけど……」と僕は続けた。「先のほうでね、こう左のほうへ大きなS字で上っていく箇所があって、そこを印象強く覚えてます」といい、手をひねり返しては道のイメージを示した。
「ああ、ありましたありました、覚えてますよ!」
 とUさんがいう。
 道路を、カーブで記憶している。その共有。
 しばらく上ったのち、都沢林道の入口が現れた。

 

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(都沢林道入口)

 

 しかしながら栃木県の林道で見かける山吹色の四角い林道標識がない。その代わり、関東ふれあいの道の案内板があった。泥か苔か、汚れてしまって何が書かれているのか全く読めない。あとから貼られたテプラに都沢林道入口と書いてあって、ああやはりここがそうなんだと思った。そのテプラは通洞駅からこの都沢林道を通り、古峰ヶ原湿原を経て古峯神社までのポイントが書かれている。別に関東ふれあいの道の標柱も立てられていて、通洞駅と古峯神社への距離がそれぞれ記されていた。
 道はいたってふつうの舗装林道だった。きつめの勾配でぐんぐん坂を上っていく。森のなかの道はじめじめとして、路面に落ちた枯葉や枝は湿っていた。舗装は続いているが、荒れているところがあった。大きくえぐれたように穴があいていたりする。穴は、地盤が陥没したとか、大きな落石があって欠損したとかではないように見えた。アスファルトの破片が周囲にあり、欠損は道を斜めに横切るようにあったりして、これは水の流れでえぐられた穴ではないかと思った。この道路上を水が川のように流れ、舗装など簡単に壊してしまっていると。洗い越しのように横切る箇所もあるかもしれないが、大雨や台風などではこの道を川にしてしまっているんじゃないかと見受けた。そしてそういう箇所が何度も、次から次へと現れた。
 上ってきた勾配が緩み、周囲の木立から解放された。道路に日が差し込み、周りは突然現れた平原だった。いつ、どこからか、電柱が現れた。なぜか一本、街灯が立っていた。電線のうちの一本に電話回線を引き込む端子函が付いていた。
「何なんでしょう、ここ」
 その突然現れた空間に僕は思わずいった。「電気、街灯、電話……」
「確かになんでしょうね。生活できますね」

 

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関東ふれあいの道の案内)

  

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(森のなかの坂道)

 

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(突然開けた一帯)

 

 またしばらく上ると橋が現れた。内篭うちのこもり橋と書いてある。自転車を止めて橋下を覗き込むと、川が流れていた。急峻で、大きな岩がごろごろしていて、川というよりはもう沢に等しい。内ノ篭川の支流で、まさに「都沢」というらしい。地図を追うと、古峰ヶ原の奥地にある深山巴じんぜんともえ宿しゅくあたりに端を発しているよう。その沢にかかったカエデの葉が、ほんの一部、紅に染まり始めていた。大振りな葉で、よくあるカエデ──僕が思うのはイロハモミジという種類だろうか──とは違うように思えた。
 全般的に岩が多い。道路上に落ちているのは、落ちて砕けた石や崩落などで割れた石ではなく、その辺にごろごろ転がっている岩そのものだった。角張ったものもあるけれど、多くは丸い石や岩だった。道を囲む斜面にそんな岩が数え切れないほどあって、これがその形のまま路面にも落ちてきているんだろう。
 水もよく出るのだろう。ここまでえぐれてしまった舗装も多かったけど、都沢に沿うようになるとウォーターガイドというゴム板が路面を横切るように埋められていた。これは道路上に水が出てしまったときに、道路を川にしてしまわないよう、水切りの役目を果たす。山の斜面から集まった水が、洗い越しのように横切ってくれるならいいのだけど、道にならって流れてしまってはそのたびに道を壊してしまう。水を路肩へ排水するためのゴム板だ。
 それでも路面は荒れている。加えて落石も多くなってきた。これだけ斜面に石や岩がごろごろしているのだから当然だと思う。かなり不安定に、丸い岩がそこにあるものも多い。鹿が蹴り飛ばしただけでごろんごろん落ちてきそうに見える。
 やがてその舗装も終末を迎えた。

 

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(都沢とカエデ)

 

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(突然の美しい小さな滝)

 

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(岩が不安定に転がっている山斜面)

 

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(いよいよ未舗装へ)

 

 内篭橋で会い、挨拶したソロハイカーがずっと前を歩いている。自転車で抜かすことができない。僕らの登坂は徒歩より遅い。姿は見えるのだけど、なぜか追いつけない。
 舗装が途切れ、ダートになってからもしばらく乗って走った。不安定になりながらも何とかバランスを保とうと頑張ったものの、長くは続かなかった。ダートの荒れぶりがひどくなったのだ。水にえぐられたのだとすぐにわかった。えぐられた路面は斜めに何度も横切っていた。もはや道路というより川底だった。いよいよ自転車を降りて押し歩く。
 道路は相変わらず途中から現れた電線が並行していて、しかし都沢林道を進んでいるなかで、この道の周りに生活があるとは思えなかった。あるいは林業の施設がかつてあって、そこへ向けて電気を送っていたのかもしれない。
 道端にはときどきプレハブ小屋が現れた。取り残されたようにそこに置かれ、もう使われなくなってしばらく経つように見えた。こういった場所が電気や電話を用いていたんだろうか。バスのような車も置かれていた。最初プレハブ小屋と見間違えたほどだ。そんな何もかもが稼働していない。もう息を止めてひっそりしているようだった。

 

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(ガレた未舗装路面)

 

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(何に使っていたのか置き去りの車)

 

 結局、乗れるような路面に戻ることはなく、ひたすら何キロか押してそのまま県道58号に出た。古峰ヶ原高原の一帯だった。舗装されセンターラインのある県道が、まるで文明都市のように錯覚するとUさんがいって笑った。
 ソロハイカーともここで合流した。おつかれさまでしたと交わし、どちらまで行くのですかと聞くと、深山巴の宿から古峰ヶ原を通って古峯神社まで行くのだという。どうぞお気をつけてと前日光へ向かう僕らとはここで道を分けた。

 

 都沢林道は役目を終えた林道なのだろうか。営みの残骸は多くはない。廃墟空間を味わうにも物足りないかもしれないけど、徐々に自然に埋もれて行ってしまう営みの跡は、残り続ける廃墟とは違った印象を実感できる。
 関東ふれあいの道に指定されているから、林道の役目は終えても完抜の道としては残るだろう。

 

 県道をここでまじまじと眺めてみるとかなりの絶景道路だった。標高が千メートルを越え、ついに山の木々は色づいた。何の変哲もない道路だけど、ずいぶんと長いこと、僕らはこの道の風景を眺めた。ボトルの水を飲んだり、休憩をしたり、写真を撮ったりするふうを繰り返しながら、飽きもせず道路ばかり眺めていた。

 

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後編へ続く

 

 

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