自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

旅の帰り道

 こうしてただ家でじっとしていると、むしろ僕は何もできないほうだということがわかります。こういうときだからこそと精力的に片づけをしたり体を動かしたり新たな勉強に取り組んだりと、アクティブに行動している方々を目にしてうらやましくも思うのですが、自分にはそれは不向きなようです。例えば長編の物語を書くなどうってつけの時間だと思うのですが、僕の場合どうやら日々の雑多な事柄に揉まれているほうが降りてくるようで、むしろ日常の合い間合い間に積み上げていくのが良い感じです。そうそう、むかし書いた中編を一本読みました。内容も忘れていたのが笑えます。
 自転車にもまったく乗れないご時世ですから、いつぞやバーテープを巻きなおしたきり触れることもなく埃をかぶっています。空気は抜け油は切れていることでしょう。あるいはパンクしてしまっているかもしれません。当分自転車紀行は書けないでしょうが、新たな時代がやってきたとき、また自転車に乗れたらいいなと思っています。元の時代に戻ることはないでしょうから。

 

 これまでの旅を振り返ってみました。ふだん振り返りなどしませんし、ゆえに過去の旅の書き起こしをすることもない──というかできないみたいです、まったく面白くなく熱量もない──のですが、思い返す程度に。
 すると面白いことに、僕は自分の旅の帰り道に関して、まったく記憶に刻まれていないことに気づきました。面白かないですが。

 

 

 何度か書いたことがあると思います。僕は旅に物語ストーリー性を持たせる癖があります。この旅はこう始まり、こう展開し、こう終るのだと。もちろん計画外や想定外の出来事は起きるのが常ですから考えた通りのストーリーにならないことも多いのですが、そんななかでも「ああこれがこの旅のエンディングなんだ」とそのポイントを感じ取り、締めくくります。締めくくってしまいます。自転車旅の場合は、自転車を降りて輪行をする駅がそれであることが多いですね。着いてみてそこがエンディングにふさわしくなければ別の駅までエンディングを探して走ったり、思いもよらぬ展開でエンディングにふさわしい出来事に見舞われたならそこからいちばん近い駅であえて旅を終えてしまったり。
 そんな物語のなかに自分を置くことが好きなのでしょう。エンディングをゆっくり味わいつつ旅全体を実感して帰ります。

 

 もちろん本来、帰路も旅の途中であるはずです。小学校の校長先生が遠足の出発式でいうように。でも僕はそんな性癖のせいで帰り道のことを覚えている旅がほとんどありません。帰り道も含めその先にエンディングを置いた場合だけです、しっかり覚えているのは。でもそんな旅はほぼないので──日常に戻される過程がエンディングにはふさわしくないと感じているのかな──、帰り道の印象がある旅がないのでしょう。

 

 もしかしたら大損をしているかもしれません(笑)。
 例えばこんな景色、記憶の片隅にすらありません……。

 

笹川流れを自転車で走ったのちの帰路の羽越本線輪行

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 また、自転車に乗れる日が来るといいですね。
 また、旅に出られる世になるといいですね。