自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

スミマセン、達成感ってないんです……

 タイトルそのまんま。自転車に乗って誰もが口にする達成感。これが僕にはないのです──。
 きつく長い坂を上って峠にたどり着いたとき、自分じゃ走ったことのない距離をロングライドしたゴール、ひとりじゃとうてい難しい制限時間のライドを仲間と助け合いながらクリアしたとき、エトセトラエトセトラ……。あらゆる目的を成し遂げたとき、達成感が満ちあふれる。このために自転車に乗ってるんだ、つらくて苦しかったけど自転車に乗っていてよかったなあ、と実感する──。
 テレビ、紙誌書籍、ブログ、SNS、そんないろいろなところで語られる。誰もが自転車に乗って得られる大きな感情、自転車趣味の原動力。
 これが僕にはないのです。残念なことです。

 これで共感され得ない部分は少なからずあるわけで。

 うんざりするような長い坂を上り切って峠、ああやっと下りだ、さっさと下ってしまおうとそのまま通過してしまうことも少なからずある。じっくり峠を味わったり、それまでを振り返って自分を褒めてあげたり、しない。
 あるいはこの先のゴールを目指すと最長距離記録を更新、もう少し頑張ればってところでも、時間がきびしいなあとか体力的にしんどいなあとかなれば、そこですぐにやめちゃう。何キロ走ったとか、走った経験があるとか、そういうの、自分にとっちゃ全然重要じゃない。
 それとここでは何度か書いているけど、ましてスピードなんてまったく興味の範疇外。ゆえに一日走る距離だってどうしたって延びない、いつも似たり寄ったりになるのはそのせい。

 いちおう社会人の大人なので(笑)、人と一緒に走る機会はもちろん上り切った峠は立ち止まる。一緒に走っている人が「今日の距離走ると距離更新なんです」っていわれれば当然、計画通りにゴールまで一緒に走る。もうここでいいですよね、などとはいわない。そして得られた達成感には共感する。人の達成感はわかるし、満ちあふれる充実が伝わってくるもんね、それはうれしい。それが自分には湧いてこない気持ちなだけで。

 

 

 僕の場合、走ったその道とそこで得られる風景や周囲の空気がすべてを満たす。峠に向かうさいちゅうの上りの道が素晴らしければ充実感が満たされるし、峠からの風景が素晴らしければもちろんそこで立ち止まる。上り切った達成感からじゃなく、その風景が素晴らしいから。それが上りの途中にあればそこで立ち止まる。どこにあるかの違い。

 その日のルート、道の組み合わせで生まれる「物語」が僕の最重要要素。
 山が海が川が森が湖が、上りと下りが、直線とカーブが、閉塞と眺望が、どういったふうに展開し、どういったエンディングを迎えるのか。ルートはストーリィである。

 ルートは小説に似ている。あるいは映画。
 ルートを引くことはプロットを立てること。あるいはシナリオを書くこと。じっさいに走るサイクリングは完成した小説を一気に読むこと。あるいは映画を通し見すること。
 峠や距離や速度や時間はスパイスになることこそあるかもしれないけど、僕のサイクリングの原動力じゃないみたい。

 

 

 いつも共感も興味もない分野の、ただの長話にお付き合いいただいてる方には本当に感謝です。また、出かけてきますね!

 

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