自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

サンライズ出雲のおもいで

 2018年9月。
 三連休前夜の金曜日、僕は東京駅にいた。ステンレスの無機質な電車車両が行き交うホームは、その出入りに合わせて人の流れのあわただしくて、週末前夜にふさわしかった。誰もが仕事帰りで、誰もが一週間分の結果を背負っていた。それは積みあがった疲労である人もいるだろうし、やり切った成果を心地よく背負っている人もいるだろう。長いスパンの仕事の人は週末でそれが途切れないように、週明けへのコネクション・ポイントを探っているに違いない。きり良く、この週末で荷を下ろした人もいるんだろう。
 そんな日常の延長のなかに、明らかに異なったオーラを放ちつつ、電車が入線してきた。寝台特急サンライズ。シックなベージュとエンジの2色に塗り分けられた(実際には金色の帯が細く入っているので3色なのだけど)車両は無機質ではなかった。形式的ではあるけれどおもてなしの雰囲気と、旅の始まりを強烈に印象付けた。誰もが足早に行き交う週末のホームで。

 

 僕はこの列車に乗って出雲市へ向かう。

 

 

 寝台特急サンライズには、意外と乗ったことがある。ブルートレインと呼ばれた青色客車の寝台特急たちよりも。むかし、関西に仕事で赴く機会が時々あったころ、それが週末であるとよくサンライズの寝台を当たってみていたのだ。意外と取れるもので、きっぷを手に僕は日付の変わった大阪駅で列車を待った(確か0時50分ごろだった)。見慣れた大都会の中枢が、各方面の終電が出尽くして殺風景なホームに変わっていく。「サンライズ」と「きたぐに」以外の各ホームからは人が消え、それなのに残ってしまった人は何を待っているのかわからなかった。そうなると人間が物体に見えた。そんな一日を終えた大阪駅はまるで空気まで抜かれてしまった真空状態で、見たこともない寂寥せきりょうに覆い尽されていた。
 かつて大阪発東京行きの寝台列車として、急行銀河というブルートレインが走っていた。それを選択したこともあったのだけど、関西に出かけるようになったころ、わりと早いうちに廃止になってしまった。そんなわけで夜行列車で帰ろうとなれば、いつもサンライズだった。

 

 ところで寝台特急サンライズはなかなか取得が困難な列車である。毎週末そうで、連休前ともなるとプラチナ・チケットと化す。高松行きの瀬戸も、出雲市ゆきの出雲も同じだ。
 出張が決まった僕が、それからでも寝台券を手にできていたのは、「東京行きの上り列車」であったからにほかならない。金曜日の東京発下りはやはり通説のとおりだ。

 

 

「両親が出雲大社に行ってみたいっていうんで、連れてってあげられないかしら」
 と妻がいうのに生返事でばかり答え、そのままにするのがもう3年も続いていた。
 なんせ島根へ出向くだけで一大事だ。飛行機で行くといってもひと苦労、羽田まで行くことさえ僕の頭を悩ませるのだ。なぜなら妻の両親はどこへでも車で行きたいから。ドア・トゥ・ドアで行動でき、後部座席を自由に使え、周囲わきまえず話したいことが話せ、行程のすべてを私的空間プライベート・スペースで過ごせる車を望むのだ。でも僕は出雲までの運転はさすがにごめんだといった。妻も同意してくれた。が、代替案を積極的に考えられなかった。羽田までどうするかでさえ悩みの種になるのだから。モノレールに一緒に乗る両親の姿を想像できなかった。妻も僕が考えあぐねているのを察知しているようだった。

 

 

 2018年、夏。
 お盆の休暇週間を使って、僕は東北を自転車と輪行で旅していた。山形県秋田県青森県とめぐり、旅を終えた僕は八戸から帰路についた。休暇の日程はまだ残っていたから、焦って新幹線で帰る必要もなかった。僕は18きっぷを使い、まる一日輪行をしながら東北本線の旅を楽しむことにした。8月14日だった。
 列車のなかであてもなく、僕は翌月のカレンダーを眺めていた。祝日がつながった三連休があった。15、16、17日だった。
 僕ははじめ、そこでまた自転車で出かけることを考えた。日帰りで複数回出かけるのもいいし、泊りで出かけたっていい。そんなことを考えるなかでふと出雲が浮かんだ。出雲大社に出かける提案をしてみようか──。思い浮かんだそれは、寝台特急サンライズ出雲でアクセスするアイデアだった。
 もしサンライズに乗って出雲に行くなら、僕の気分も大いに晴れる気がした。飛行機なんかよりよほど気持が乗る。僕は早速妻に連絡を入れた。「9月の三連休、前日からサンライズに乗って出雲へ行かないか」と。
 すぐ返信が来た。間をほとんど置くことがなく。「いいじゃん、それ。行きたい。サンライズにも乗りたい!」
「なら、打診してくれないかな。寝台列車で行くプランだと強く念押しをして」
「大丈夫だよ、行こうっていえば行くっていうよ」
「だめだめ。きちんと聞いて」僕はその点を強調した。妻の両親は夜行列車など乗ったことがないのを前に聞いていたからだ。新幹線や飛行機といった公共交通機関でさえ嫌がられる可能性があるのに、夜行列車なんてあり得るだろうかってことだ。僕の独断計画とはいえ、最低限「イエス、アグリー」だけは取り付けておく必要がある。
 数分と立たないうちに返信が来た。「行くって。行きたいし寝台列車に乗りたいって」
 僕は内心、ほんまかいなと思う。いかばかりか心配ではある。でもどうせいつか行くなら、今自分の希望で押し通したっていいだろうって思った。
「でもさ、三連休前のサンライズなんて取れるの?」と心配げに妻が追記してくる。
「取れなかったらこの計画はなしだね。サンライズが取れるか取れないか、そのギャンブル性にこの計画を賭けるってのはどう?」
「わかった、いいんじゃない」
「この先、今乗ってる列車が一ノ関いちのせきに着く。9時40分くらいに。そのあと乗り継ぎ列車が10時半くらいなんだ。50分くらい時間があるんだけど、ちょうど今日は8月14日、つまり今日の10時から9月14日の特急券が発売される」
「乗り継ぎのあいだにチャレンジするってことね」と返信が来た。「期待してる!」
 そんなわけで僕は岩手県の駅で、まったく関係のない東京から出雲へのきっぷを当たることになった。

 

 お盆休みのみどりの窓口は混んでいて、まだ9時50分だというのに5人ほどの人がブラインドを下ろした窓口の前に並んでいた。 僕はその状況に慌て、自転車を部屋の隅に置いて、急いで申込用紙を記入し、列の後ろに並んだ。7番目だった。急に不安になった。
 しばらくして若い駅係員が出てきて、先頭の人から順に声をかけていた。見ているとどうやら、指定席券売機で買える内容のものはそちらへ誘導しているようだった。僕だってそれで買えるならそちらに行きたい。でも寝台券は指定席券売機で買えないことを知っていた。
 さばけない内容なのか、客がどうしても窓口がいいとごねるのかわからないが、列から人が抜けることはなかった。ようやく3番目のおじいさんが抜けた。が、指定席券売機の操作要領がわからないみたいで、御用聞きしていた若い駅係員の手を一から借りることになった。
 彼が列に戻り僕のところにたどり着いたのは9時56分だった。前の人までと同じように申込用紙を見る。内容が指定席券売機で買える内容なら「こちらでお願いします」というのだ。僕は彼がいう前に、
「これは向こうでは買えませんよね」
 といった。彼はしげしげと申込用紙を見る。僕も大したことは書いていない。9月14日、サンライズ出雲、東京から出雲市、ツイン×2、それだけだ。一発勝負、第二希望はない。
「あの、ちょっとこちらへいいですか」と彼はいった。事を察知したような目だった。彼に促されて僕は列を外れた。おいおい、なに? と思う。順番、どうなっちゃうの、と思う。隅の記入台に行き、申込用紙をふたりして眺める。
「ええと寝台券だけでいいですか?」と彼。
「はい。とりあえず取れたらはじめて計画立て始めようと思ってるんで、乗車券はそれから買います」
「あと3分ですね。──これ、預からせてもらっていいですか」と彼はいった。
 僕は「どうぞ」、そういうしかなかった。列も外れてしまったし。列は10人を超えていた。彼はうなずくと、通用扉から窓口の向こう側へ消えた。僕は隅の記入台に取り残された。
 10時、ふたつある窓口のひとつのブラインドが上がった。先頭のおじさんが窓口に片肘をつきながら窓口氏とやり取りを始めた。
 10時02分。僕の申込用紙を持って奥に消えた若い駅係員が、通用扉から戻ってきた。そして申し訳なさそうな表情を見せる。
「申し訳ありません。ツイン逃しました」その表情には悔しさもにじんでいた。裏に行った彼は僕の希望列車をマルスで叩いてくれたようなのだ。「本当、すみません──」
 僕は驚いた。
「いえいえ、列車が列車ですし、日も日ですから」彼の行動にかえって恐縮し、そう答えた。
「今でしたら場所が離れてしまうのですが、同じ号車で4つソロがご用意できます。いかがでしょう」
「お願いします」僕は即座にいった。語気も強かったかもしれない。一瞬、妻に確認すべきかと思ったけど、状況が僕にも伝わってきていた。取ることが先決、確認してノォといわれたなら帰ってから払い戻せばいい。
 彼はすぐさま窓口の向こうに消え、しばらくしてまた戻ってきた。10時05分。
「押さえました。お支払いは」
「カードでお願いします」
 僕は慌ててカードを出す。
「ありがとうございます。もう一度お待ちください」
 次に彼が戻ってくるときには、手に寝台券が4枚あった。
「なんだか大変な面倒をかけてしまってすみません」僕は記入台でサインをしながら彼にいった。
「いいえ、本当はツインのところ、ソロになってしまって申し訳なかったです」
 彼はそういった。それから彼は記入台の上に寝台券を並べた。3枚を横に並べ、1枚を右端の寝台券の上に並べた。
「こういう位置構成になってしまいました」といい、指でそれを示す。「下段が3つ、おひとりさまがその上で、上下になります」
「わかりました。全然オーケーです」と僕はいった。そして
「ありがとう、よく取れましたね」
 と頭を下げると、彼はようやく笑った。

 

 

 妻もはしゃいでいたが、妻の両親もはしゃいでいた。まるで遠足にでも行くようだった。待ち合わせした東京駅には1時間も前に着いていたといい、まだ開いていた地下の広い駅弁売り場でこれでもかと弁当を買っていた。妻経由で僕にもふたつ回ってきた。こんなにあってもと思ったけど、夜食用と朝食用だといわれたので、礼をいって受け取った。ゆっくり入線する車両を見て、「窓ひとつひとつがベッドなんだ!」と驚いているので、「そうですね」と僕もいう。もっとも今はいいけど、明日の朝になれば眠れなかったくたびれたという感想が容易に想像できるので、出雲市駅でレンタカーを手配していた。
 でもこの車両、この寝台を見ていると、僕自身も嫌でも旅の気分が盛り上がってくる。
 扉が開き、車内へ入って部屋番号を確認する。妻が両親に部屋の位置や扉の開け方やトイレの場所やなんやかやをしきりに話している。僕も部屋に入り、荷物を置いて窓際にきっぷを置いた。

 

 きっぷを見て、一ノ関駅の若い駅係員を思い出した。彼には感謝しかない。

 

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