自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

美濃たび鉄道沿線2Days - Day1 名鉄揖斐線・谷汲線跡・樽見鉄道編その2 (Mar-2020)

 揖斐線から分かれた谷汲線は大きく右にカーブしながら進路を北に変えた。
 そのカーブに沿った道はないので、しばらく大野町の町なかを走った。歴史の残る町なみだ。美濃の観光地に多いうだつを備えた家も見られる。関東甲信越に多い農家のような家屋もある。新しく建てられた家もあるし、それこそさまざまな時代の家が並んで建っている。脇水路なんかふつうに流れている。
 じつは僕個人的には、歴史ある町なみを観光資源として前面に押し出したアピールよりも、こうしてただある風景のほうが好きだったりする。たまたまそのまま残っていた家とか、古民家として保存されている家が、ほかの昭和だったり平成だったりの家々と連なって町なみを作っている光景。歴史がある時点で止まったよりも、町が時代時代を生き抜いてきているふうに見えて好きなのだ。
 やがて右手から現在の大野町の中心道路である県道が近づいてくるころ、左手から谷汲線廃線跡が近づいてきた。
 町を外れ、家がぽつりぽつりとなったところに、少し距離を置いて谷汲線が並走している。広々とした田園のなか、まっすぐ路盤がある。この風景のなかを電車が走っていたらきっといい眺めだろうな、と思った。
 右手来振きぶり神社、左手に来振寺を過ぎると、大きな根尾川が近づいてきた。
 急に景色が山めいてきた。いやじっさいに道も上り勾配に入っていた。
 広い河川敷を持つ根尾川の対岸に巨大で無機質で古びた工場が見える。住友大阪セメントの工場らしいが、僕はこの手の工場を見ると『ねじ式』の金太郎飴ビルにある産婦人科を思い浮かべてしまう、つい。
 その工場から根尾川にパイプライン橋が架かっていた。古いトラスで組まれた橋が個性的で、無機質な灰色はもう赤錆に覆われて朽ちていた。何が流れているのか想像もつかない。しばらく行くと反対側に大きな採石場があって、ダンプが出入りしていた。

 

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 左手には山肌が覆いかぶさるように迫ってきて、右手は根尾川である。
 崖っぷちを川に沿うように、鉄道線路と県道が大きくカーブする。崖に逆らわないように坂を上ってかわす。それなりの上り坂だ。
 左の上方に谷汲線の安全柵が見える。もうあそこまで上ったの? というか、まるで風景が山岳ローカル線だ。まるで只見線磐越西線沿いの道を走っているみたいだ。谷汲線ってこんな路線なの? こんな坂を上っていくの?
 路面電車さえ走っていた──岐阜駅前にあった半円筒顔の丸窓電車だ──600Vの路線がこんな坂を上るのか(もっとも箱根登山鉄道もかつて600Vだった時代があり、登坂に向かないというわけではない)。

 

 坂はそれほどでもなかった。山や峠の坂道を考えるなら坂と呼ぶほどでもないんだろう。でも僕はすっかり疲弊していた。脚に力が入りづらい。上体を支える腕がしんどい。25キロを過ぎて、疲れがたまってきている。
 それと、おなかが空いているのかもしれない。
 今日、昼食はというと岐阜までの列車のなかで食べたおにぎりやパンだった。特に昼食という括りで持ってきたわけじゃなく、多めの朝食、残ったらのちの補給用にでもと思って持ってきただけだ。東京から岐阜まで何本もの列車を乗り継ぐなかで、特に朝昼の区別なく、だらだらと食べ続けてしまったようなものだ。昼食をどこかで取ろうと思ったのだけど、列車の接続時間が良すぎ、食べられるような状況じゃなかった。朝食には少し多い、でも朝昼となると若干少ない。同じようなものばかりで飽きるからと多くは持ってこなかったのだ。いつもの日帰り旅なら道中どこかで食堂見つけて食べるし。
 そう気づくと、何かおなかに入れたい衝動に駆られた。
 谷汲への道は上り坂になった。直線的な上り。あと数キロ。だけど長い。

 

 谷汲駅の見事さに僕は絶句した。保存されている駅、ホーム、車両、そのすべてが生き生きとそこにあった。保存されているというより、まるで今、駅に電車が到着したようだった。自然な光景、日常のようす、そんな場所だった。もちろん線路は少し先で切れ、電車のパンタグラフは降り、車輪は固定されている。駅に人がいるわけでもなく、改札も行われていない。でも何だろう、この生きた感触。

 

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 僕は駅を隅から隅へ歩き回った。車両をぐるっと何度も見てまわった。戸の開いている車両の中に入り、板張りの床と椅子の感触に触れてみた。ホームから降り、レールと枕木を足の裏で感じてみた。
 素晴らしい駅だ。

 

 ここ谷汲駅に着いた時間は、作ってきたタイムテーブルで見ると、きっちりオン・タイムだった。途中若干の遅れもあったから取り戻したとはいえるのだけど、この先オン・タイムのまま行くなら見学などせずにすぐ、発たなきゃならない。
 でもここをゆっくり見ずに先へ行くことはできなかった。それだけ魅力的だったし、ここにいる驚きをもっと感じていたかった。
 それと僕には秘策があった。
 今回のルートとタイムテーブルは、この先西国三十三か所のひとつでもある谷汲山華厳寺を訪れることにしていた。といってもきちんとお詣りできるだけの時間を取っているわけでもなく、有名だし山門くらい見てこようかといった程度の意識だった。それでも谷汲駅から1キロあるので、これをやめれば往復2キロ分の時間を手に入れることができる。もともと今回は鉄道沿線巡りだし、有名だからってお寺にわざわざ行かなくてもいいよねって、そんな意識がすぐに芽生えた。
 僕は谷汲駅でたっぷり時間を過ごしたのち、先へは向かわずに来た道を下った。

 

 

 谷汲口駅は樽見鉄道の駅である。
 自販機で飲み物を買って飲んだ。空腹なのだから、本当は何か食べるのが良かったのだ。ここまで下ってくる途中で見た「五平餅」ののぼりは、わざわざ右折してまで立ち寄ったのに、店がやってるのかやってないのかよくわからなかった。焼き鳥台のようなガス台が見えるも、なにも乗っていないしその周りにもなにもなく、だいたい人もいるのかどうかわからなかった。だからあきらめて早々に出てきた。空腹も満たせないまま谷汲口駅まで走った。途中、他に何も見当たらなかったし、この先も同じなんじゃないかと予感させた。せめて飲み物で糖分補給しておかないとさすがにまずいなと思った。だからといってリアルゴールドが何かの足しになるのかどうかは怪しい。
 駅のホームに人がひとり。僕は缶を片手に少し周囲を歩いた。なぜか駅の前にある旧型客車は、錆と劣化でひどく朽ち果てていた。もう何の車両だかよくわからないほどだ。静態保存というより放置に見えた。
 華厳寺の山門をすっ飛ばしたおかげで、僕は谷汲口駅に着いて10分のマージンを手に入れた。
 ほんの少しの休憩を兼ねて。これを飲み干したら行こうと、リアルゴールドを空にしたところで、ふたりほど人が駅に現れた。それに合わせるように、どこかで踏切の警報音が聞こえた。──おっ。
 結局、僕は列車を待ち、駅での乗降を見、発車していくようすを見送った。10分あったマージンは出発時、2分になっていた。

 

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 こんなに山に分け入っていくとは思いもしなかった。
 谷汲口からは樽見鉄道に沿って終点の樽見を目指す。鉄道路線沿いであることと、ルートを引いたときに見た標高(終点の樽見に向けて上り基調で、それでも標高200メートルにも届かない)から、とても山が現れるとは想像できなかった。
 道路の主要交通は根尾川左岸を行く国道157号で、僕が国道を避けるために対岸の県道255号を選んだせいもあるのだけど、入り組んだ崖に沿うカーブ続きの道になり、ときに深い針葉樹林に覆われ真っ暗になったりした。
 ──鈴がいるほどのところなんじゃないか?
 正直、本当にそこまで思った。
 車もまったく通らず、路面を針葉樹の落ち葉が埋め尽くしているところさえあった。“出て”もちっともおかしくなかった。そう思えた。そういう場所なのかどうか全く知らないけれど。
 樽見鉄道は左岸と右岸を行ったり来たりした。国道に沿ったり僕の走る県道に沿ったりした。おそらく根尾川があまりにも屈曲していて、鉄道線路では付き合いきれないんだろう。何度も橋を渡ってあっちへ行ったりこっちへ来たりしている。
 優雅にわが道を行くのは根尾川だけだ。ときにその川が見せる表情はおそろしいほど深く、吸い込まれそうだった。底まで澄んだ碧色は、宝石などよりどれだけ神秘か知れなかった。ここのところ青系か透明系の水の美しさを見ることが多かったせいか、緑系でこれほどの美しさは記憶になかった。
 川沿いギリギリから大きく回り込んできた線路が乱暴にトンネルに入っていった。まるで突き刺さるように。僕が走る道はそんなことをしないから、小さなつづら折りの坂を上っていくほかなかった。また森に包まれ、崖には倒木も放置されるような道で少し不安になった。体力も尽きてきて、早く抜けたいと思ってもさっぱり進めなかった。峠で使うような21とか23ばかり、それでも脚が動かなかった。手で引こうにも体を支え続けた疲労がたまっていて、こっちもいうことを聞いてくれなかった。
 明るいところに出て線路に沿うと、「日当ひなた駅」という看板が見えた。こんなところに駅? 坂道の途中から階段で降りるようで、ホームがどこなのかよくわからなかった。乗り降りする人なんているのかなって思った。

 

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 日当駅をタイムテーブルのポイントに置いていた。確認するとまたしてもオン・タイム、16時ちょうどだった。
 行ける、と思った半分と、無理だ、と思った半分だった。樽見駅まで7.1キロ、25分を設定していた。7キロなら走れんじゃね? と思う心と、ギアがまったく上げられない現実とがあった。僕の平均速度は頑張ってるなって思うときで16キロぐらいなのだ。ふだんならルートの内容にもよるけれど、走行12キロ、トータル9キロで時間をイメージする。それなのにこのタイムテーブル、きっと平均18キロで時間を出してるよな……。ここに来てブラック・プロジェクトリーダーのツケが回ってきた。
 終点樽見までの途中、駅はふた駅。それらならまず大丈夫だろう。でもここまできて終点にタッチできないのも悔しく思える。
 とりあえず、ひと駅ひと駅進もう、と思った。

 

 まず高尾駅を過ぎた。左手の、線路の築堤しか見えないところに「高尾駅」と書いた看板があった。駅舎なんてもちろんないし、どこにホームがあるのかもよくわからなかった。
 線路とクロスし坂を上る。ちょっとした坂でもぐんと速度が落ちる。のどがガラガラで、空腹を通り越して気持が悪かった。頑張って上ると線路と同じ高さまで出た。そこに「根尾谷断層」の看板。──ああ、調べたよここ、見た見た、と思う。じっさい作ってきたルートにもウェイポイントとして入れてあった。大きな断層ずれを起こした活断層で有名な場所らしい。もしかすると今上った坂は断層を越えたのかもしれない。
 右に水鳥駅が見えてきた。みどり、と読む。途中駅としては最後だ。16時19分、あと2キロ。──あ、行けんじゃね? そう思った。そのまま、進んだ。
 随所に「淡墨うすずみ桜」の文字が現れる。そう、ここ樽見の名所らしい。さぞ素晴らしいに違いなかった。関東が三分から七分くらい咲き始め、中京はそれより遅れているとは聞いているけど、きっと時期的にそれなりの美しさが見られるはずだ。やはりここも、ルートのウェイポイントに入れていた。
 でももちろんそんなものは目もくれず駅を目指した。手もとのガーミンで見る限り、もうチェッカーフラッグが立っているのが見える。県道を右折するとコンクリートの築堤が見えた。──よしっ。

 

(本日のルート)

 

 

 僕は大垣駅に着くとまっ先に自販機を探し、コーンスープを買った。コーンスープを買おうとずっと思っていた。
 樽見鉄道に乗るあいだ、ずっと全身がしびれていて、気持が悪かった。寒気がするわけじゃないのに、悪寒に似たものを感じた。あったかくてしょっぱいものを体に入れたいって本能的に思っていた。本当なら鉄道旅を存分に味わう輪行だったのに、ずっと体調と戦っていた。長い長い1時間だった。

 

 結局僕は樽見駅を目前にして道に迷った。引いてきたルートは駅の位置にポイントしただけで、それは駅前ロータリーじゃなかった。国道に接するようにあった駅前だったのに、僕は民家の並ぶ集落のほうに進路を取った。進むと鉄道の築堤はいつの間にかなくなっていて、間違いだと気づいた。それから築堤の見えるところまで戻り、しかしながらどこから駅に入るのかがわからなかった。青いボディのキハがアイドリングしているのが見えた。僕はこの段になってやっとガーミンの地図を拡大した。初めからそうすればよかったんだ。
 タイムテーブルの樽見駅に置いた時間は16時25分。これは16時38分発の列車から輪行パッキングを逆算したギリギリの時間だった。着けるはずだった。道に迷わなければ──。
 16時29分、僕は終着樽見駅に着いた。

 

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(つづく)