自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

ぐんま民鉄旅(Jun-2019)

 土曜日は一日引きこもっていた。外に出ようとさえ思わなかった。窓外の雨をながめた朝、残りのカレーを温めて冷えたご飯にかけて食べてから、興味本位に手を付けた書き物に思いのほか没頭し、チョコレートとコーヒーとクッキーとコーヒーの周回を何周回か繰り返すことになった。ときどきあいだにハッピーターンが入った。その周回のなかで記述と確認とを何十周回と繰り返した。むいた包み紙とから箱とコーヒーかすの山を生産し、記述したファイルは~- コピー(8)まで生み出された。増えていくゴミが机を占領し、バックアップはどの段階のものかも覚えていなかった。食事も摂らず同じ姿勢のまま夜になっていた。
 翌日起きて、また同じ一日かなと漠然と考えてた。書き物の続きでまた一日過ごせばいいやと思った。「どうでもいいけど、食事はしたほうがいいと思うよ、カップラーメンでもいいから」といわれたのを覚えているから、そこからなぜまた急に鉄道に乗りに出かけようって思ったのか──。でも朝食を終えた妻を職場に送っていったそのまま、僕は車を帰路につけず北に向かわせたのだから、もう電車に乗るんだという意志は固まっていたんだろう。

 

 

『ぐんまワンデー世界遺産パス』という一日フリーきっぷがあるのは知っていた。たぶんこれを思い出したから鉄道に乗ろうって意識が浮かんだんだ。群馬県内のJRと私鉄がフリー区間として網羅されているきっぷは、調べると今利用可能な期間中だし、雨のなかの鉄道旅も悪くない(実はけっこう好きだ)から、これを使って群馬県の鉄道に乗ることにした。せっかくなら18きっぷじゃ乗ることのできない、ゆえにほとんど乗ることのない群馬県の私鉄を攻めてみようと思った。
 きっぷが、そのフリーエリア内に行かないと手に入らないのは、茨城の『ときわ路パス』や千葉県のフリーきっぷ(たぶん今はない)と同じだった。僕のところからフリーエリアで最も近いのは、東武伊勢崎線の館林である。川俣っていう小さな駅でもいいのだけど、今日の、車で行ってパーク・アンド・ライドするっていう形態を考えると、大きな駅のほうがいいように思えた。小さな駅で──それが無人駅だったりする──きっぷそのものが手に入らなきゃ意味ないし、駅周辺に駐車場がなきゃそもそもだめなわけで。
 館林起点で乗りまわれる路線を探った。東武伊勢崎線じゃなく東武佐野線で佐野に出て、そこからJR両毛線に乗り継いで桐生へ行くと、つながりよく上毛電鉄に乗れることがわかった。よしこれを採用、久しぶりだ上毛電鉄──。そしてこれで中央前橋まで行ったあとどうするか。桐生に戻ってわたらせ渓谷鉄道も考えたけど高崎に出て上信電鉄に乗る案が浮かび、選択した。思い返してみたら自転車じゃ沿線をさんざん走りまわっているのに、上信電鉄っていまだ乗ったことがない。ならば上信電鉄にしよう、決定。上信電鉄で高崎から下仁田まで行ったあと、そのまま折り返すのもなんなんで、JR信越本線の松井田あたりにバスで出られないかと探してみる。しかしながらどうもないようだった。途中からでもと富岡周辺も探してみるけど、両線を結ぶ路線バスってなさそうなのだ。意外とつながらないものだ。太川陽介と蛭子さんのように、あるいは田中要次羽田圭介のように、現地で聞けば実はあったりするのかもしれないけど、今日そのリスクを負うことはできない。ここはあきらめて上信電鉄下仁田ピストンに決める。じゃあ高崎に戻ったあと急ぎ桐生に向かって、わたらせ渓谷鉄道にも乗ることができないかってひらめいたのだけど、とても時間的に無理だった。上信電鉄で高崎に戻ったあと館林にそのまま帰ってきてすでに午後5時半、館林から家に車で帰るのに1時間半はかかることを考えれば、せいぜい現実的な時間としてはこのへんだ。
 妻が仕事に出かける準備をするのに合わせて僕も出発の準備をする。念のため再度「迎えに行かなくて大丈夫かい」と確認する。後ろの時間を決められたらそもそも計画が成り立たない。「大丈夫、帰りは部長に送ってもらうよう頼むし、最悪バスをつなぐから」といった。それを聞けて安心し、もう一度値段とフリーエリアの確認のためパンフレットのPDFを読む。去年より百円値上がりしている。どうやら長野原草津口駅から草津温泉までのJRバスがエリアに組み入れられたためらしい。館林から草津温泉まで行ったならびっくりだ。そんなことを思いつつ細かい文字に目を通していると、発売箇所のところ、「フリーエリア内のJR東日本の主な駅の指定席券売機みどりの窓口びゅうプラザ、主な旅行会社へ」という記述に気付く。「えっ!?」と声を上げる間もなく、「じゃあ送ってください」と妻から声がかかった。

 

 僕は館林市を抜け、さらに北へと車を走らせていた。東武線の駅である館林駅できっぷを入手できないのは誤算だった。むしろ気付いてよかった、出がけ直前とはいえ。
 計画じゃ館林から東武佐野線で佐野に出て、JR両毛線に乗るルートだったから、直接両毛線の駅へ向かうことにした。無人駅の多い両毛線だから、ターゲットは佐野か足利くらいしかない。JRの駅とはいえ、券売機がなけりゃさすがにそこでも手に入れられないのだから。
 しかしながら佐野では駅前に駐車場を見つけられなかった。少し離れた街なかの駐車場は、果たして駅まで何分で行けるのか、車を運転しながらじゃ計算できなかった。そもそも佐野駅東武佐野線の差し引きぶんの時間でたどり着けるのかも想像がつかなかった。いっぽうの足利は駅のロータリー脇に駐車場があるようだった。これならいい。しかも館林から佐野、足利とまわる計画ルートを三角形の一辺でショートカットできる恰好になるから、ゆとりもできる。列車の時刻を調べる。足利駅は10時11分発だった。10時。10時までに着くことができたなら間に合う。それでもぎりぎりなのが想像できる。

 

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 足利駅東駐車場に着いたのが9時57分。駐車場のおじさんに一日料金500円を支払い、いわれた区画に車を入れた。荷物を整え、傘を差さずに車を降りた。駅がすぐそこだからまあいいだろうって思った。走って駐車場を出る。おじさんが「いってらっしゃい、気をつけてね」といってくれる。僕はおじさんに軽く頭を下げた。ロータリーから駅舎へ、急いで走ったつもりだったけどけっこう濡れた。この湿気のうえ、こう濡れちゃクセ毛の頭が手に負えなくなる。もういいかって頭をあえてぐちゃぐちゃにしてみた。でもだめだ、きっとみっともない。
 券売機で目的の『ぐんまワンデー世界遺産パス』を買った。足利は栃木県なのだけど、ここが群馬のきっぷのフリーエリアに入ってるって不思議な気がする。このJR両毛線だけなぜか終点の小山駅までがフリーエリアだ。不思議だけどありがたいから気にしないことにした。今日だって純然たる群馬県桐生駅まで行っていたら果たして同じ列車に乗れたかどうかわからない。足利から乗れる。だから、ありがたい。
 買ったきっぷを自動改札に通すと赤ランプがつきゲートを閉められた。ディスプレイには係員のいる窓口へお越しくださいと出ていた。悪いことしてないのに悪いことをした気分になる。有人改札に行ってみると、ベテランの駅員もあまり見慣れないきっぷなのかしばらく眺めるように見たあと、どうぞといった。手で指し示すので僕はそのまま改札を通った。しまおうとしたきっぷに、「自動改札は通れません。有人改札をお通りください」と書いてあった。
 古い跨線橋を渡って向こう側のホームへ行く。そのときにはもう自動放送が流れていた。列車が参りますといった。ぎりぎりだったんだ。途中たまたま渋滞もなかったから今ここにいるけれど、少しでも渋滞があれば今日の計画は成立しなかったかもしれない。
 小山からやってきた普通列車は4両編成で、空いていた。全車両ロングシートで、僕はドア間の長い座席の真ん中あたりに座った。時間ぎりぎりに来てあわててきっぷを買い、改札をくぐって階段を上り下りしたらすぐに列車到着って、なんだか旅が始まった気がしない。旅のスイッチをオンにするタイミングを逸したみたいだ。
 雨が強くて窓がにじんでいる。外の景色がよく見えない。ステンレスの211系電車が、モーターをがなりたてて下毛国しもつけのくにを爆走している。ここではなにもなしに県境を越える。川とか、峠とか、そういうのがない。きっといつのまにか上毛国こうづけのくにに入っているんだ。雨が音を立てるほどじゃないから強烈ではないんだろうけど、それなりに降っているのが窓の濡れ具合で想像できる。この先歩くこと考えると上がってほしいなあと思う。そして3駅15分ばかりで桐生に着いた。僕は両毛線を降りた。もうここは群馬県である。
 まず上毛電鉄に乗るために西桐生駅に向かう。前橋と桐生という群馬県東毛地区を走る私鉄路線は、その両端とも他の鉄道路線にはつながっていない。西桐生、中央前橋、いずれも上毛電鉄だけの駅だ。おかげでこうして雨空のもと歩かなくちゃいけない。傘を差し、道は調べていないけど、なんとなく位置関係はわかるから、直感で駅前の信号を渡った。
 桐生駅前がいい街なみだった。古い趣きがいい具合に残されている。あえて刷新せず、維持をしているんだ。桐生はこの街なみと昭和時代の雰囲気を観光資源にしているけれど、観光客はかつてのノコギリ屋根の工場を改装したカフェや、ひもかわうどんソースかつ丼に集まる。しかもたいていは車で来るからこの駅周辺の道路は人も少ない。静かに雰囲気に浸るなら最高。歩くのに面倒な雨さえ降ってなければ。
 まっすぐやって来た道のその先に、上毛電鉄西桐生駅があった。

 

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 くすんだ杏子色の壁、二段勾配の屋根を持つ古き洋風建築は、はじめそれとわからなかった。駅前広場がロータリーというわけじゃなく、ただ広い広場だった。駅舎の窓や戸や柱はみな桜色に塗られていた。二段勾配屋根の下の大きく開かれた扉の上に、右から「西桐生驛」と書かれた銘板が掲げられている。その洋風建築の軒下で、男女の高校生が静かに話をしていた。女の子が立ち、男の子がしゃがんでいた。ふたりの取っている距離がなんだか微妙でありながら絶妙で、素敵だった。なんてことない光景がまぶしくて羨ましかった。
 中に入ればここもまた外となんら変わらない良き時間が流れていた。何もかもが古いけど、すべてが丁寧に維持されていた。建物の中央に置かれた木製ベンチも、高校生たちがいい距離感を保ちつつ適度に座っていた。古いものを残すことは、維持する行動もさることながら、こうして人が行き交うことが大切だ。こうして地元の高校生が、当たり前に駅に来てベンチに座って当たり前に列車を待っているようすを見たら、こんないいことはないなと思った。
 改札口は懐かしい木のラッチで、ホームへの行く手を阻むように閉ざされていた。折り返しの中央前橋ゆきが入線する時間になると、事務所内にいた女性がそのラッチを開けた。扉のように蝶番ちょうつがいで開閉できるようになっている古いラッチは、手入れが行き届いているようできしみひとつなく滑るように開いた。
 かつて京王井の頭線を走っていた二枚窓の車両が、終端ホームの片一方にゆっくり入ってきた。駅舎にいる高校生たちは誰ひとり立たない。着いた列車の扉が開いて終着駅に乗客が吐き出されると、一斉に改札口に向かってきて、そして抜けていった。ふたりの女性駅員が改札口に立ち、おのおの乗車券を受け取っていく。下車客がすべて改札口を抜けてしまうと、ひとりの駅員が「それではどうぞ」といった。駅舎内の待ち客が一斉に立ち上がり、改札口を通ってホームへ出ていった。静かな秩序が流れていた。

 

  かつての井の頭線の車両は、コルゲートと呼ばれる波板のステンレスボディで、全体が無塗装の銀色ながら、運転席の二枚窓の部分だけ塗装が施されていた。それが一色ではなく電車によって何色もあったから、井の頭線に乗ると何色が来るんだろうっていつも興味があった。
 その車両をそのまま導入したから、上毛電鉄の車両も井の頭時代のまま一本一本正面の顔の色が異なっていた。僕が乗る中央前橋ゆきは青紫色。雨に濡れるあじさいのような色だ。
 井の頭線の車両もワンマン対応になり、運転席後ろには料金箱、先頭車両の後ろの扉には整理券発行機があった。運転士はミラーでホームを確認し扉を閉め、電車を発車させた。
 そういえば前回上毛電鉄に乗ったときには車掌が乗っていたからいったいいつのころだろう。東武から3000系というお古のなかでも超お古という車種を譲り受け、走らせていた。車掌は乗務員室から車内に出て、つねに歩きまわりながらきっぷの確認、発行や精算を行っていた。駅間が短い上毛電鉄は、そんな作業をしていたらすぐ次の駅に着いてしまう。そんなわけで車内からでもドアの開け閉めができるよう、車内にもドアスイッチを付けていた。当然、乗務員室にあるようなやつだし、その代りを担う。一般乗客が手を伸ばせば届くところにそんな乗務員用機器がむき出しで設置されているのが驚きだった。そして車内をせわしなく行き来する車掌は、駅に着いて乗務員室に戻れないとなるや否や、そこでスイッチに鍵を差し込み扉を開けた。
 そもそも“動かなくなるまで使い倒す”東武を見てきたから、東武の中古車両が走っている時点で物珍しかったのだけど、譲られた車両がすぐにも寿命を迎えてしまったのか、気付くと上毛電鉄の車両は京王井の頭線の車両に置き換わっていた。そして車掌もいなくなりワンマン運転になっていた。
 右手に見えるはずの赤城山は朝からの雨でもちろん見えない。白く煙ったなかのどこかにある。この上毛電鉄の列車が走る大地は赤城山の長い長いすそ野の端だ。山は見えないけれど、窓の外の大地が長く斜面からそのままつながっているように感じられる。
 途中の大胡おおごという駅が上毛電鉄の中心駅で、駅のはずれに小さな車両基地が見えた。休んでいる井の頭線の姿の現役車両に交じって、古くからの機関車と、むかし走っていた電車が置かれていた。機関車はあまり見ることのない凸型で、小ささも相まっておもちゃか豆汽車のようだ。置いてあるだけかと思いきや、よく見るとパンタグラフが上がっている。きちんと走ることのできる機関車みたいだ、奥にある旧型電車車両はどうなんだろう。
 前橋市街に近づくにつれ、どんどん街なかへ入っていく。東部環状線という大きな道路を踏切で横切るあたりになると、その先は狭い路地を縫い針で縫うようにジグザグに進んでいった。すぐ目の前に住宅があったり、脇に小さな水路が流れていたりした。いちいちの景色が近かった。そんな風景のなかに、終着駅の中央前橋があらわれた。
 くし型のホームは終着駅の雰囲気を高める。私鉄のターミナル駅でよく見かける。JRではあまり見ることがない。ホームを挟んで二編成が並んだ終着駅の光景を少しだけながめて、改札を出た。さあ歩かなきゃ──。雨は、ありがたいことに上がっていた。

 

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 前橋から再び両毛線。高崎ゆきは混んでいた。最初に僕が足利から乗り桐生で降りた列車も、前橋に来るころには混んでいたのだろうか。僕はドア際に立って外を眺めた。利根川を渡る。そこから北の榛名山も見ることはできなかった。雨が上がったとはいえ、まだ山の方は煙っていた。すぐそばの、背ぃ高の群馬県庁くらいは見える。
 右から線路が近付いてきて新前橋。上越線との接続である。さらに乗客を乗せ、終点高崎に着いた。
 ここから今日のもうひとつの路線である上信電鉄に乗るのだけど、時間が30分と少しある。12時も過ぎたことだし、食事することにした。といっても余裕のある時間じゃないから手軽に、駅そばで済ませようと決めていた。
 高崎駅には三箇所、駅そばがある。ひとつは乗り換え通路の新幹線改札口の前、ひとつは2番4番ホームの上、もうひとつは駅の外、上信電鉄の駅に入る脇にある。どこでもいいのだけど、むかしながらのホーム上吹きさらしでやっているところにした。何となく雰囲気が古くさくて好き。

 

 JRの改札を出て駅ビルの階段を降り、細い路地のようなところから上信電鉄のホームへ向かう。むかしプラットホームだったんだろうか、そんな造りの長い通路を歩いて改札口へ向かった。横にJRのホーム群を見ながら歩く。少し外れた先にあるホームは、京都駅で山陰本線に乗り換えるよう。
 そういえば今日は改札口でいちいち軽い緊張を強いられる。このきっぷは各社浸透しているんだろうか、みな知っているんだろうか──。きっぷには、前橋駅で押された入鋏印が押されている。なぜか前橋駅だ。きっぷを買い最初に乗った足利駅では押されず、下車した桐生駅、それから上毛電鉄の西桐生、中央前橋のどちらもきっぷを確認しただけだった。前橋駅で入ったとき、きっぷを確認し入鋏印を押された。このきっぷの運用ってどうなってるんだろう。
 このきっぷを見せ、上信電鉄の改札をくぐる。きっぷを確認しただけで、ありがとうございます、どうぞと素通しだった。
 ホームには壁に沿って木のベンチが据え付けられていた。こういった造りって懐かしい。長い長いベンチだった。そのベンチが、すき間こそあるけれど、そこそこ埋まっている。上信電鉄はけっこう利用者があるみたいだ。駅の自動放送が鳴った。

 

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 やってきたのはなんだか見たことのある形だった。自社車両でも西武からの譲り受け車両でもない、上信電鉄では見たことのない車両だった。すぐわきのJRの留置線に「横川」の幕を出して止められているJRの107系とまったく同じ形だった。こんな車両をJRから手に入れたのか、と思った。
 ちょっとだけ残念だった。まさかJR107系が来るとは思わなかった。上信電鉄を走っていることも知らなかった。別に路線に乗ることが第一目的だからどの車両が来ようが違いはないのだけど、でも自社車両でも西武の旧車でもない、どちらかというと僕にはなじみのある車両が来てしまったものだから……。
 下仁田ゆきは立ち客も出しつつ高崎を出発した。上毛電鉄と同じ、ワンマン運用。無人駅では最前部の扉だけ扱って、運転席後ろの運賃箱を使って降車客の精算をする。最初の駅で列車交換。見ると旧西武の車両だった。次の高崎発の列車だ。並んでいるところを見て、なるほど107系は都合がよかったのかもしれないと思った。もともと西武から来た新101系は20メートル3扉車で、それ以外に走っている自社車両も同様。JRや大手私鉄の20メートル車の多くが4扉車になっている現在、3扉車の107系であれば扉位置は変わらないから。
 地元利用の乗客が徐々に降りていき、少しずつ車内にすき間ができた。そして上州富岡でほとんどの乗客が降りた。世界遺産富岡製糸場のなせる力か……。すっかり空いて、同じ車両に残ったのは僕とふたり組の乗客、それから乗ってきたおばあさんで計4人になった。
 列車は千平せんだいら駅に着いた。実はこの駅にかつて自転車で立ち寄ったことがある。旧下仁田街道をトレースするようにサイクリングしていた日で、ちょうどここを通った。この駅は他の上信電鉄の駅とは明らかに雰囲気が違っていた。開けたところにポツンとある──それは関東平野のはずれを思わせる──古びた駅が多いなかで、まるで山あいの秘境駅のようだった。駅舎はなくうっそうとした緑に覆われたなかにホームが片面で存在するだけだった。いすみ鉄道久我原駅にもちょっと似た、突然駅が宇宙から降ってきたような印象があった。
 駅は細い道がアプローチしていて、周囲に住宅もあった。そういうふうに見ると秘境感は薄いのだけど、駅の下仁田側の線路の先を見ると、まるで違う空間に入りこんでいくように見える。地図を見るとわかるのが、ここから先、いっさいの道路のない箇所を走っていくのだ。人家も皆無だ。つまり上信電鉄の線路だけが通っている、、、、、、、、、、、、、、、区間である。
 僕が自転車でここを訪れたとき、この先の線路はホームから見てお終いだった。ここから先の線路はどんなところを通っていくんだろうって目に映る光景から思いをはせたものの、線路に沿って行ける道はひとつもなかった。シングルトラックや登山道のような道さえなかった。見ているだけで、その線路の先がどういう光景なのかあふれる興味を止められなくなったのけど、どうすることもできなかった。僕は駅のホームにアプローチしている集落の細い道に戻り、本来の目的であった旧下仁田街道(現:県道195号)を走って下仁田に向かった。
 同じ車両に乗っていたおばあさんがここで降りた。ここの集落のどこかで暮らしているのだろうか。乗る人はなかった。おばあさんがホームに降りたのを確認すると、運転士は扉を閉めた。いよいよ最後のひと駅、この緑に覆われた線路に入っていく。
 その区間はけっして長くはなかった。おそらく1キロにも満たない。それでも緑に覆われた、左右の見通しのない異空間は僕を興奮させた。サイコーじゃん、サイコーじゃん、僕は言葉にしかけた。が、まだ車両内にはふたり組の乗客が残っているから出かかる言葉を沈めた。小半径の曲線をゆっくりと走っていく。車輪がきしみ、また次の曲線へ入る。右に曲がって次に左に曲がった。左手の緑が一瞬切れたとき、眼下にかぶら川の渓谷が見えた。富岡の手前で渡ったきり、その姿を見ることのなかった川を一瞬見切った。短い直線区間に入るとポイントで右に線路を分けた。短い複線区間ののちまた合流した。どうやら小さな信号所だったようだ。出発信号機があるのも確認した。こんなところに信号所があるのか、知らなかった。気付かずに過ぎるほど小さな信号所だった。それから電車は小さなトンネルに入った。
 トンネルを出て細かなカーブをまたいくつかこなすと、国道254号が近付いてきた。道路に沿って街が形成されている。国道の向こうに鏑川が流れている。あの、変に閉塞的な、、、、、、区間を忘れてしまうほどふだんどおりの光景だった。もう、ふつうの上信電鉄だった。終点、下仁田です、と、自動放送が流れた。

 

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 下仁田の駅周辺の街が好きだ。妙義山和見わみ峠に自転車で行くとき、わざわざ国道254号を離れ、この駅周辺の路地を走る。車で来ているときは用でもない限り入らない。そういう路地だ。道は広くない。
 散策にあてがない。行くところがあるわけでもなければ決めたルートもないから、路地をあみだくじでたどるように曲がったり進んだりした。いくつも飲食店がある。しかもどれも魅力的だ。そのうちのいくつかは食事に入ったことがあり、いくつかはない。なんだか全部制覇してみたい気分になる。飲食店がみな国道沿いへ行ってしまうなか、ここ下仁田の町はこんなふうにみんなを待っている。

 

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 15分。午後5時に足利の駅に戻るには、上信電鉄をピストンするしかなかった。一本前の下り電車に乗ることができたらここで昼食にすることもかなっただろう、それが残念だった。古びた駅に戻る。
 上り列車はさっきの電車の返し、乗ってきた107系だ。まあそれも仕方がない。僕は改札口できっぷを駅員に見せる。駅員はきっぷを取り、入鋏した。──入鋏? ここで? それはJRのような日付入りスタンプじゃなく、かなり使いこまれた、重々しい鋏だった。ぱちん、、、、と音がして、それが妙に心地よくて、懐かしかった。

 

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