自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

村上、笹川流し、鼠ヶ関(Jul-2019)

 午前2時半。車で家を出た。僕にとってふだん起きていることがない時間。外の空気に朝の独特の香りはまだない。どちらかというと夜の延長。しかしながらそれとも違う。半寝状態であてもないテレビを見続けているようなルーズさがない。一度仮眠したことでスイッチが切り替わったんだろうか。ともかく真っ暗ななかを出発した。車には自分の自転車と妻の自転車を積んだ。雨が、細かいながらしっかり濡れるだけ降っていた。僕は妻にキィを託し助手席に沈んで睡眠の続きに入る。ときどき投げかけられる言葉にきちんと返事をするでもなく、かといってしっかり眠るほどの深さもなく──その浅さは定期的に行き来するワイパーのモーター音をつねに感じ取っている気がした──、そのまま2時間近くを過ごし、目を開けたら明るくなり始めていた。
 給油を済ませてキィを受け取り、新潟県へと向かった。自転車だったら大変だろうなと思う関越トンネルへの長い上り坂をゆき、10キロを超える長いトンネルを抜ける。トンネルの向こうはもう朝を迎えていた。そして厚い雲に覆われながらも落ちてくる雨粒はまったくなくなった。坂道をぐんぐん下って越後平野を目指す。周囲はどこもかしこも水田で、測ったように美しく区画されていた。田んぼの「田」という字は、この景色を見ているとこの字以外あり得なかっただろう。関越道の長い長い下りは続き、小出、小千谷と経由して長岡に入ると路面に日が照りつけ始めた。

 

 

 梅雨は関東に雨ばかりもたらしている。梅雨だから当たり前といえば当たり前なのだけど、空梅雨の時期や梅雨の晴れ間という瞬間がみじんもなかった。東京に晴れ間が見られなくなってもう何日、とテレビで気象予報士がいっていた。
 そんななか全国の天気予報で、新潟県より北の日本海側に晴れマークが並んでいるのを見た。なんだか懐かしささえ思うサインだった。気象予報士のいうように確かに長らく見ていない気がした。
「村上に、自転車持っていってみないか」
 と僕は妻にいった。
 先日、録画しておいたテレ東のバス旅を見ていると、一行が村上にたどり着くシーンがあった。バスの接続に待ち時間があり、街散策に出かけた彼らは天井から吊るされたおびただしい量の鮭に出合う。「これ、塩引しおびき鮭だよね」と妻がいう。それは半年だったか前にテレビプログラムで見た塩引鮭の記憶だった。一緒に見ていたそのとき、「これは食べに行ってみたい」といい、それから思い出すごとに、村上にはいつ行こうかと口にしていた。僕は適当に対応しながらも、「梅雨の時期、自転車に乗れずにつまらない日が続いたら、そこで計画しよう」と答えていた。
 でもあまりにも遠く、簡単に行ける場所ではないって思った。正直新潟県ってうとくて、越後湯沢から長岡にかけての中越と、十日町から柏崎に至る上越頸城くびきのあたりなら若干の土地勘はあるものの、新津や三条、燕、新潟、さらに北の新発田や村上といった下越方面は土地勘も距離感もまったくなかった。日帰りで行けるのか、一泊で行くべきなのかも想像がつかなかった。地図で見て位置を把握しても交通事情がわからなかった。列車で行くべきか車で行くべきか、それぞれどのくらいの時間を要するのか、鉄道事情、道路事情ともよくわからなかった。
 忘れていたわけじゃないのだけど、ついついあとまわしにしていた記憶を引っ張り出したのがこの梅雨の天気だった。予報の晴れマークを見て、自転車を持っていけばほんの少しでも乗れるんじゃないかって思った。そのうえ先日の大きな地震で観光客が激減し、瀬波せなみ温泉でキャンセルが相次いだって話を思い出した。たいした力にはならないけれど、出かけることであと押しになるならそれも悪くないなと思った。ビデオ装置の裏で線を一本引いたら絡んだ配線がずるずる引きずり出されるように、いくつもの動機が絡んで出てきた。「どうだろ、村上」
 土曜日の、すでに午後だった。
「弾丸?」
 と妻は聞いた。弾丸とは、無泊で現地まで出かけるわれわれのなかでのキーワードだった。現地が遠ければ、時間に応じて当然のように深夜発、あるいは前夜発になり、休憩や交代を繰り返して出かける。この5月の大型連休に出かけた琵琶湖も、前夜21時に出た、いわば弾丸だった。
 何の計画もない状態で、翌日早朝いやこの深夜出発という突発ぶりだった。

 

 街なか散策だけじゃ自転車というほどでもない。じゃあ少しのサイクリングを加えて、お昼の時間帯に塩引鮭を食べに街なかへ入る計画がいいんじゃないかと思った。とはいえ年に十回前後の──つまり月に一度乗るか乗らないか──気まぐれ自転車乗りを相手に、山だとか坂道だとかを挙げてはいけない。全否定が待ち受けているだけだ。それをふまえて地図を見、笹川流れという文字を目に留めた。簡単に調べてみると、美しい海の景観が10キロ以上におよぶ日本海沿いの国の名勝天然記念物であることがわかった。海岸線の国道は345号、このルートには『日本海夕日ライン』という愛称が付されている。海岸線の風光を思う存分満喫できるに違いないって確信した。そして山に上るような起伏があるわけじゃない。まさにぴったりだ。
 これをどこまで走るかだ。お決まりやこだわりの場所があるわけじゃない。とはいえ行って戻るだけっていうのは味気ない。それなら並行しているJR羽越本線を使って片道輪行するってのはどうだろう。走るなら、自転車が左側通行ゆえ海岸線に近い側をゆく北上ルートがいい。区切りを付ける明確さもないから、笹川流れを走り切り、その先で県境を越えた最初の駅、鼠ヶ関ねずがせきまでとした。ルートを引いてみたGPSiesによれば45キロ弱。悪くない距離だ。

 

(計画ルート)

 

 

 

  街はお祭りの気運が高まっていた。活気があるのはいいのだけど、中心道路が交通規制され、街なかに入ることができない。観光用にも開放されていると聞いた市役所駐車場を考えていたものの、そこへ車で入っていくことができなかった。しばらくうろうろ探しまわるほかなかった。
 朝7時半、なんとかぎりぎりだった。2台の自転車を組み、準備をひとつひとつ進めた。関東の見飽きた梅雨空からは想像できない、青空と太陽だった。
 時間にこだわっていたのはわけがあって、計画時に鼠ヶ関駅羽越本線上り時刻表を見て愕然としたからだ。8時41分、10時46分、14時12分、15時56分……。ニッポンの日本海岸大動脈を走る『本線』の列車時刻表である。臨時のリゾート快速列車を含めて、一日に9本の列車しかない。僕はてっきり一時間に1本の列車はあるものだと思っていた。烏山線じゃないんだから、と僕はいった。でも烏山線どころじゃない。烏山線でさえもっと本数がある。水郡線? 久留里線? ともかく、テレビのバス旅だけじゃなく、鉄道路線でさえこの区間をつなぐのが大変な状況なのだと知った。
 鼠ヶ関発10時46分村上ゆきの一択だった。それを逃すと午後2時過ぎ。一日の計画が大きく崩れるどころじゃない。

 

 まず街の北側を流れる三面川みおもてがわの土手に出た。この川を下渡大橋げどおおはしで渡る。また難読な名前だ。でも地元の人にしたら下渡山げどやまという山がここ近くにあって、軽ハイキングや遠足なんかで知られているみたいだから読むのに困ることはないんだろう。この下渡大橋の中央で、その風景に足を止めることになった。関東で見る河口付近の川とは異質なものだ。緑豊かな森のなかを蛇行しながら流れる河川は、僕の思いつく風景では渡良瀬遊水地を流れる渡良瀬川くらいだ。僕の知る河口は、どこも護岸工事がなされ、河口といえば間違いなく市街化区域にあるから当然土手化されている。大きい小さい、広い狭いはあるにせよ、どの川であれそれはテンプレート的、ステレオタイプ的風景として焼きついていた。こんな緑豊かな光景のなかを、護岸工事も施されない川の流れが、海までわずか数キロなんて、記憶の塗り替えをしなくちゃならない。朝8時前にして高く、すでに強さを感じる日差しを受けて、緑がより濃く映る風景を心にとどめたら下渡大橋の続きを渡った。
 対岸の道で三面川に沿って下っていく。橋から土手を下ると道は低木の森のなかに入った。それはほかならない、橋の上からみた緑のなかだった。ルートを引いたときの記憶では県道だったはずだ。でもまるで河川敷のなかのサイクリングロードみたいだ。狭い道を二台ばかり、車が抜かしていった。やっぱり県道なんだろう。

 

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 川を下ってしばらく行くと、JR羽越本線の線路をくぐり、国道へ出た。
 どんな道かと思った。日本海岸を行く国道となれば主要な幹線道路を想像していた。交通量が多く、ところによってそれをさばくために片側が二車線になっていたりするんじゃないかって想像していた。でも県道がつきあたり、目の前を左右に走る国道345号はまるで地元の小さな県道みたいだった。路肩がほとんどなく、中央線のオレンジ色はかすれていたりした。それでも問題なかった。交通量は決して多くなかった。
 少し走るといよいよ海へ出た。待望の日本海を見た。そして、近かった。きわめて近い場所を道路が走っている。海はじつに穏やかで、波さえないように思えた。夏の海の風景だからだろうか、比喩的に使われがちな「荒々しき日本海」という表現はひとつもしっくりこない、まるで時間を止めてしまったような海だった。
 遠くに霞んで横たわっているのが佐渡島か。そして目の前の先に大きく目に入ってくるのは粟島か。急に訪れて、地図すら広く見る間もなかったから、知っている名前を想像で並べるくらいしかできない。それくらいしか日本海上に浮かぶ島を知らなかった。
 しばらく国道345号を北上しているうちに、懐かしさに浸っている自分に気付いた。それは幼少のころからの記憶とかじゃなく、昨年目に焼き付けた風景が呼び起されてきた結果だった。海岸のきわを行く道、その沿道にある集落、家々は板壁が目に付き、平屋も多い。そういう集落が固まって現れ、またしばらく行くと現れる。昨年の夏、能代から北上した国道101号、JR五能線に沿った日本海岸の道が懐かしくもよみがえってきた。僕はなんだか嬉しくなって、ひとつの集落の路地に入ってみた。
 たった一度の記憶が「懐かしさ」という感覚を生んだりするなんて思いもしなかった。でも記憶の深さがあれば、回数や積み上がった経験や、経過した時間などに関係なく、懐かしさって感じるものなんだなって思った。
 並行してJR羽越本線が走っている。五能線とは異なり、全線電化された高規格線路を有する。それでも何キロかおきにあらわれる駅は、朽ちたおもちゃのようにちっぽけで、五能線の記憶と今見る風景とをオーバーラップさせた。

 

「もっとさ、暗くてさびしい海だと思ってたよ、日本海
 休憩で立ち寄った展望駐車場のようなところで妻がいった。アイス食べるかい、と聞くと食べるというので、そこにあったセブンティーン・アイスの自販機で買った。
 印象付けられたイメージだ。でもそういうのはどこにでもある。僕も今見ているこの海が、向こうには大陸があるのだと思って見ている。もちろん遠く離れたそれが、丸い地球上にあるわけだから見えるはずなどない。ただの広い海でしかないのに、外房で見る太平洋と違って映る。世界地図から見た経験的知識で、勝手に背後の大陸をそこに置いてみているんだと思った。
「すんごい水きれいだし、天気がいいからかもしれないけど、海が青いよね」
 だいたいさ、日本海の海が何色だと思ってたんだ? って聞くと、黒、いや黒とはいわないけど、灰色かな、といった。

 

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「時間は大丈夫なの?」
「おそらく。今のペースなら大丈夫だと思う」
「でも、走り続けたほうがいいんでしょ?」
「まあそうだね」
 時間は問題なかった。ただルートを引いたときに見た後半の標高百メートル程度の坂を僕は気にしていた。それを上るための時間的余裕を持っておきたかった。だから日本海岸らしい風景の集落路地へ入ることもせず、海岸線へ下りる小さな道へ分け入ることもしなかった。沿道で気になったカフェもスキップした。先を急ぐわけじゃないけど、オンタイムだけは意識するようにしていた。
 国道345号は交通量が少ないだけにちょっと目立つ人を見かけると、あとあとまで目に付いた。休憩箇所が前後したらしい、さっき僕らを追い越していった男女のバイクがまた抜いていった。前を行く男性が気付いて左手を挙げた。僕もそれに軽く手を挙げ返したけど彼のミラーに映ったか。そのあとを追うように女性がアクセルを開けて抜かしていった。互いに目に付くようだった。
「こんなことしてるの、きっと同じ世代だ」
 と後ろの妻が笑っていった。自転車であれバイクであれ、こうやって出かけちゃ旅をする、って意味だと思う。

 

 笹川流れとは、どこが起点でどこが終点なのか。沿道に「笹川流れ」を書いた看板が増える。明確な場所の定義があるのだろうか。村上を出てすぐの国道の標柱には「笹川流れまで×キロ」と書かれていた。それはどこの地点なのだろう。
 ともかく景勝地に入ったようだった。奇岩が並ぶ光景は、それぞれに形や大きさが異なっていて、それぞれに違う見ごたえがあるのだけど、おおよそ笹川流れに入る前から、大きな岩や岩礁は目を楽しませてくれていたし、白い砂浜との対比も見事だった。それだけにどこからどこまでが笹川流れにあたるのか、どこは外れているのか、なぜ入っていないのか、よくわからなかった。
 笹川流れには、その岩礁のひとつひとつを海から楽しめる遊覧船があった。海から見ないと目にできない光景があるであろうことはわかった。きっと絶景なんだろう。遊覧船の乗り場は派手な飾りがなされ、付近に止められた船には大漁旗が掲げられていた。どうやらお祭りをやっているようだった。
 岩は明るい砂色というか土色というか、少なくとも僕が関東地方の海岸線の岩場で見るような、あるいは妙義山や昇仙峡のような岩山で見る、どす黒い重たくて冷たいイメージの岩とは違うものだった。海岸の砂が白っぽくきれいな海岸線を演出しているけれど、その砂を固めたような岩の色だった。大きなものもあれば小さなものもあった。大きなものは小島のようだった。上部を緑が覆い、木が生えているものもあった。海を遊覧船が巡っているのか、わからなかった。まだ午前9時、遊覧船には早いのかもしれない。
 並行する羽越本線を貨物列車が走っていった。赤い機関車が何十両ものコンテナ貨車を引き、走っていく。そのまま機関車はトンネルに入り、続いて貨車が一両ずつトンネルに吸い込まれていった。
 地形の関係で、トンネルが多い。鉄道も道路も同様だ。国道345号も何度もトンネルに入る。とはいえ走りにくいことはまったくなかった。古くて狭くてかび臭いトンネルなどなく、全般的にサイズが大きめだった。道路にも路肩が取られ、抜かしていく車にも不安がない。おまけに、交通量が少なくてひっきりなしに抜かれるってこともない。ワタシさあ──、と妻が後ろでいう。
「このトンネルから抜ける瞬間に外に海がブアーっと広がる景色、好き! すごくいい」
 国道345号は、そんなトンネルが次から次へと続いた。

 

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 国道は右にカーブを切って海岸線を離れた。内陸に入るように進むと羽越本線跨線橋で越えた。ちょうど駅が見える。跨線橋から俯瞰して見ていると、なんだか置物のように見えた。駅舎も、ホームも、跨線橋も、日々の人の営み──それは乗客やお迎えの家族といった利用者や、駅員や支社の人間といった関係者も含めたすべて──が色薄くて伝わってこない。鉄道模型ジオラマで、そこに配置しただけの殺風景なそういったストラクチュアも、表情ある人形たちをテーマやストーリーを持たせて配置すると生きてくる、営みあるものになってくるっていうのを思い出した。その逆だ。本当の駅そのものがまるで配置しただけの殺風景なストラクチュアのようだった。
 国道345号が交差点にぶつかった。勝木がつぎ──とすると、今の駅も勝木駅である。
 ここから国道7号線を行く。7号は新発田から青森を結ぶ長大路線で、日本海岸の大幹線道路である。まさに道路版羽越本線奥羽本線ともいっていい。ちなみに勝木から鼠ヶ関までは国道7号と国道345号の重複区間である。
 しばらく内陸を行く国道7号は小高い丘を上り、羽越本線の線路をまた越え、長いトンネルに入る。内陸から丘陵が海岸線へと張り出し、それが半島状に延びていた。沿岸は想像するに断崖で、集落もなさそうだしアプローチする道もないだろう。自然の半島ながら、笹川流れの遊覧船もここまで来ることはないだろうから、きっと眺めることもできないに違いない。長いトンネルを出るとさらに短めのトンネルをいくつか抜けて一気に坂を下る。そして府屋の町だった。港と、他でもいくつも見た日本海沿岸集落の懐かしい風景がここにもあった。
 妻が、少しだけ離れている。僕は減速して「どした、疲れた?」と聞いた。
「お腹すいた」
 国道7号はさっきまでの国道345号と違って、圧倒的に交通量が多く、ちょっとした並走もできなかった。最小限の会話を交わす。
 考えてみたら、朝食といえば車のなかで食べた、握って持ってきた小ぶりのおにぎりひとつだけだ。弾丸ドライブの途中、どこかに寄って何かを食べたということもなければ、コンビニで食べものを買いこんだわけもなかった。夜中の二時半から車を運転して、こぶし大の小さなおにぎりひとつじゃ、さすがにお腹もすく。あとはさっき、休憩で食べたセブンティーン・アイスか。足しというほどのものじゃない。食べたものは僕も同様なのだけど、失敗したなと思った。
 何箇所かあったカフェに入ればよかったかと思った。早い時間だったけど、やっている店もあったのだから。ここ府屋でどこか開いている店に入るか。ただ、飲食店が午前9時半の時点で開いていることはまれだった。見つけられないのかじっさいまだ開いておらず看板も出していないのかがわからなかったけど、走りつつ店を見つけることは出来なかった。
 もうひとつ気にしていることがあった。鼠ヶ関は府屋から駅にしてしまえばひと駅。もう数キロだった。しかしながらルートを引いたときに見た、標高百メートルに近い丘越えをこなさなくちゃならない。府屋から鼠ヶ関のあいだは、新潟県山形県との県境でもあった。
 数キロ走るのはせいぜい20分で行けるだろうけど、百メートルまで上るのに15分程度要するだろうかと思った。現在9時半。このひと駅間に仮に45分かけてしまったとするともう10時46分発の列車までぎりぎりだ。
「とりあえず鼠ヶ関まで走ってしまわないか? あとひと駅、数キロだから。着いて、食べられるところがあれば寄ろう」
 と僕はいった。百メートルの坂のことはいわなかった。後ろから、いいよそうしようと聞こえた。

 

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 空腹による明らかなペースダウンをしながらも、15分で鼠ヶ関に入った。
 いったいどこに百メートルの丘越えがあったかわからなかった。ずっと海岸沿いの平地だった。県境を示す看板ひとつなく、いつ県を越えたのかさえわからなかった。僕は県境越えの自信すらなくなってしまった。鼠ヶ関の町に入った──、そう妻に告げた。拍子抜けはまるでキツネにつままれたようだ。
 どこか食べるところないだろうか、といいながらさらにペースを落とす。妻は、とりあえず駅に向かっていけば? 何かあるかもよ、と後ろからいった。
 国道を離れ、駅への道へ向かう。その道すがら、県境がどこにあったのかわからなかったと話す。いや、鼠ヶ関も新潟県だったのかもしれないといった。県を越えてゴールにしようと思ったんだけど、勘違いだったかもしれないと。でも車は庄内ナンバーばっかりだよこの辺、という。確かに。あ、ほら、と妻が指差す。そこは新聞販売店で、看板には山形新聞、と書かれていた。

 

 結局駅に着いたのは午前10時前だった。そして駅の周辺は何もなかった。開いている店などなく、それどころか店の構えをしている建物さえなかった。駅前広場に数台の車が止められているが、ひと気はなかった。駅舎内が待合所になっているものの、当然人などいない。無人駅ゆえ駅員もおらず窓口もなかった。改札も、乗車駅証明書を発行する機械さえもなかった。
「まあいいよ、このまま乗るだけでしょう? 乗って村上に戻って塩引鮭食べようよ、それでいいよ」
 と妻はいった。空腹になると機嫌が悪くなる妻は、あきらかにご機嫌うるわしくなかった。
「でもお腹は確かにすいたし……。コーラでも飲もうか」
 僕は少しでもカロリーと腹の足しを手に入れようと、自販機に行った。見ていたらコーラよりリアルゴールドが飲みたくなってしまい、そっちにした。ベンチに戻ってはいよ、と手渡すと、「コーラじゃないんかい」といわれた。

 

 それから僕は二台の自転車を輪行袋に仕舞い、それも終えてしまうとふたりして時間を持て余した。僕は途中にあったカフェに入ってモーニングでも食べればよかったと話すものの、どのくらいの時間で走り切れるのかわからなかったんだから仕方がないよという。それだけいうと特に話すこともないので、黙ってベンチに座って時間が過ぎるのをただ待った。
 そうそう、ルートを引いたときに見た標高百メートルの丘越え、暇な待ち時間に調べてみたら、勝木と府屋のあいだで、国道7号に合流してからの場所だった。半島に続く丘陵をトンネルで越えるため上った坂だった。いわれてみれば坂を上ってきた。そして実際には標高はせいぜい30メートルといったところだった。GPSiesの標高は丘の上の標高を計測していて、ここの地点のトンネルが考慮されていなかったようだ。いずれにしても途中の距離を経路と照らし合わせればわかることだった。僕は県境というマジックにまんまと引っ掛かった。山越えイコール県境にある──単なる思い込みだった。府屋から鼠ヶ関のあいだは海沿いの平坦だったから、計算した時間で走れたのだ。それがわかっていたら、府屋でひと休みして店を探すことだってできたのだ。

 

 ようやく時間になり、キハ47を2両つないだ村上ゆきがやってきた。列車はワンマンじゃなく、車掌が乗務していた。2両編成すべてのドアが開いて、僕らは後ろの車両に乗った。ワンマン車じゃないからそこに整理券発行機もなかった。乗車駅証明もない駅で乗ってどうするのかと思っていたら、発車後すぐに車掌がやってきた。村上までというと、鼠ヶ関から村上までのきっぷを発行してくれた。それからすぐに前の車両へ移って行った。鼠ヶ関から乗車した他の客の精算をするために。ひと駅ごとにこれをやるんじゃ大変だ。
 村上まで50分。正面の窓に海が広がった。ここまで走ってきて、ずっと見てきた海だった。腰をおろしてゆったり眺めると、こんなにも青かったのかと驚いた。あるいは真っ青な空を反射して、海が青く輝いているのかもしれなかった。深夜からの長い移動を経て、僕が強引に手に入れた梅雨の晴れ間の一日が窓の外を流れていた。

 

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(本日のマップ)