自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

相鉄JR直通記念散歩(Jan-2020)

 相鉄がJRに乗り入れて都心と直結する──ずいぶん前から話題には挙がっていたものの、じっさい目の当たりにすると驚きだった。田園都市線東武の電車が走ったり、東武日光線にJRからの特急が乗り入れて日光・鬼怒川へ向かったり(ライバル関係だったわけだし)、東横線にまさかの西武電車が走ったり(敵対関係だったわけだし)、それくらいの驚きがまた去年もやってきたのだ。

 

 正直、相鉄は僕にとって馴染みが薄い。横浜ローカルだし、大和や海老名に出向くなら小田急だし、ほとんど乗ったことさえない。西横浜の友人宅へ出かけるときくらいじゃないだろうか。
 それが渋谷、新宿へやってきた。

 

 もうひとつ僕をワクワクさせるのは、延々と貨物線を経由することだ。品鶴ひんかく線と羽沢はざわ線と呼ばれる東海道貨物線を通る列車は、湘南ライナーホリデー快速なんかでこれまでも見られたんだけど、いよいよここを走るのか、と思わず唸った。
 品鶴線横須賀線に乗っているとき大きな新鶴見駅からつながる線路でよく見ていた。いっぽう羽沢線にいたっては、東海道線の生麦付近で地下へ潜っていったあと、どこを通っているのかすらよくわからない。横浜の環状2号を車で走るとき、大きな操車場(横浜羽沢駅)を見て、「こんなところに鉄道があるのか」って驚いたのだけど、それがまさに羽沢線だ。今回の直通でこの横浜羽沢駅近くに羽沢横浜国大という駅を設け、西谷からは相鉄が新線を敷設した。
 ここ、歩いてみようって思った。
 僕は武蔵小杉の駅に降りた。

 

 

-本日のルート(GPSログ)-

 

 鶴見まで横須賀線品鶴線に沿って歩く。
 早速、武蔵小杉を出た深紺の相鉄電車がポイントを渡っていった。横須賀線を離れ、ここから品鶴線に入る。横須賀線には新川崎の駅があるが、品鶴線には駅がないので、次は一気に羽沢横浜国大だ。この相鉄紺色は『YOKOHAMA NAVYBLUE』と呼ぶらしい。
 街はタワーマンションと巨大企業のインテリジェント・シティ。住む人街を歩く人が違って見える。僕などシャットアウトされそうな、相いれない異次元感があった。タイル舗装とコンクリートとガラスで囲まれた世界は、セブンイレブンでさえ違って見えた。空気が、尖って感じられた。
 武蔵小杉から新川崎にかけてそんな街が続くのだろうと思ってた。
 線路の際を歩くよう引いたルートは、線路を越えて東へ西へ移動する。これをじっさい歩いてみるとけっこう大変だ。品鶴線の何本もの線路を横切るには、場所によっては何百メートルもあるから。むかしの、武蔵野線・新三郷駅を思い出す。武蔵野操車場の両側を走っている線路に設けたホームは、上下線で何百メートルも離れていた。
 こればかりじゃない。大企業の巨大な敷地のあいだの道をひとたび間違えると、迂回にはとんでもない距離を歩かされる。この一帯、間違いに気づいたら早々に引き返すことが無難そうだ。
 新川崎駅の向こう、ヤードのなかを行く品鶴線の線路に埼京線の緑帯電車が走っていく。これもまた驚きの光景だった。埼京線はこれまで、川越や大宮からやってくると大崎からりんかい線に乗り入れて新木場へ向かっていた。横須賀線の線路など走ったこともないし、多摩川を越えて神奈川県に入ったこともなかった。相鉄線埼京線との相互直通という名目を取ったがゆえ、今こうなっているんだろう。実態はきっと何でもいいはず、湘南新宿ラインだろうが横須賀線だろうが。ただ相互直通でそれぞれの車両が行き来することを前提とすると、グリーン車のある湘南新宿ライン横須賀線では具合が悪かったに違いない。ずいぶんと離れたところにいた存在だったけど、相鉄車両と同じ10両編成、全車普通車、ロングシートで構成される埼京線を引き寄せるのが好都合だったと思う。
 市境を越えた。横浜市鶴見区に入った。
 小さな町工場が増えた。そんな路地のあいだもゆく。道は背の低いガードにつながっていて、僕は線路の反対側に抜ける。今にも機械の大きな音と油の臭いが漂ってきそうな場所。フォークリフトが警報音を鳴り響かせながら行き来していそうな場所。もちろん世の中はまだお正月休みの延長だからそんなことはなくて、どこもしんと静まり返っているけれど、今にも動き出しそうな街だった。動きのある街っていいよね。
 川崎からやってきた東海道本線を人道地下道で越える。旧東海道を歩き、鶴見川を越えるといよいよ鶴見だ。

 

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 都市部を歩いていると、道路の左右どちらの歩道を歩いていても大丈夫って安心感がない。のんきに歩いていると先に進めなくて行き詰まることがある。交差点では自分の側の歩道にだけ横断歩道がなくて、一度反対側に渡って信号三回、コの字状に横断する必要があったり、駅前だとぐんと曲げられ大きなロータリーの大外を迂回させられたり。駅前ロータリーで下手にバス停の集まる中洲に入り込んでしまうと大変だ、出ることもできない。
 そんなわけで行ったり来たりを繰り返す。ここまでずいぶん細かな迂回をした。ガーミンに歩くべきルートを入れてきているのにだ。まあどちら側の歩道がつながっているかなんて細かい情報が入っているわけじゃないから当たり前なのだけど。
 しばらく線路を見ていない。鶴見の、JRと京急に挟まれた場所は線路から至近なのに、建物が密集していて垣間見ることもできない。久しぶりに線路を見たのは駅の南側、線路を横断する歩道橋だった。貨物線、東海道本線京浜東北線横須賀線鶴見線……、歩道橋は長く、並行する線路のあまりの多さに圧倒された。少し先では京急の線路もさらに合流しているのが見え、数えることもままならないほどだった。
 線路の西側に沿って並行に歩いた。時おり踏切を見かける。それらはおそろしく長く、何本もの線路を横断していた。果たして今鳴っているこの踏切は開くことがあるんだろうか、踏切が開いているあいだにこれだけの線路を横切る長さを渡り切れるのだろうか、そんなことを考えた。でも踏切のたもとで何人もの老若男女が列車が過ぎるのを待っているのだから、そんな心配にはおよばないんだろう。
 生麦を過ぎ、またYOKOHAMA NAVYBLUEが走っていくのが見えた。車体を沈め、地下に潜って行こうとする。いよいよ羽沢線の始まり。僕もいよいよ東海道本線沿いの道を離れ、山側へと入っていく。

 

 わずか数百メートルで、僕はその坂に辟易した。日差しのある今日、初めのうちからコートを脱ぎずっと手に持って歩いていたのだけど、ここにきて一気に汗が噴き出した。急な坂をようやく上りきると、同じだけの急坂で同じだけ下った。
 国道1号沿いに出ると道端(というか崖の壁)に湧水があった。そういえば歩き始めてからなにも飲んでいないなと気づく。ボトルも水筒も持ってきてないのでこの湧水をすくって飲もうかと考えたけど、やっぱりやめた。大丈夫なのかもしれないけど、きちんと調べていないから。水は気をつけていないと怖い。
 でものどの渇きよりむしろおなかがすき始めていた。何か食べるところないかな、と見渡す。できれば洋食屋とか定食屋がいいな。できれば経路からまったく離れることなく立ち寄れる店がいいな──。沿道を見まわしてみたものの、目ぼしい店もない。
 国道1号を信号で渡り、するとまた坂道だった。地図の上では羽沢線に近いところ近いところを選んで歩いている。しかし地図に描かれているその線路はひとつも見えない。羽沢線は地下を行くのだ。このきつい坂の下を走っているのだ。それと道を選んではいるものの、結果的には迂回しつつ線路から離れてしまっているところも少なくない。ここらあたりは住宅街の中の細い路地ばかりで、地下を一直線に貫く羽沢線のようにまっすぐは進めないのだ。
 道に迷う。それから階段が現れたりする。かなりのタフコースだ。勾配だけ見るなら、自転車だったら絶対に選ぶことのない急坂ばかりだ。見えもしない羽沢線の線路を、きわきわ、、、、をたどって沿線歩き旅、その意味すら疑問に感じてきた。上って、下りる。下ればまた坂がある。あるいは階段になる。その繰り返しと地下を貫く鉄道線路は、新たな鉄道事業ルートに果たしてどんな電車が行ったり来たりしているのか、それを目で確かめることさえできないのだ。
 かなり起伏の多い台地ゆえ、羽沢線が地下から出てくることもあった。ようやくお目見えだと喜んだのもつかの間、羽沢線の高架線はご丁寧にカバーで覆われていた。まるでシェルターのように。それも一部分なんかじゃない、全線にわたって。これじゃリニア新幹線じゃないか、と僕は思わず口にした。そんな路線ゆえ、ここを走る電車など見ることもなかった。その下を、横浜線の線路が立体交差していた。

 

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 細い路地から東横線の踏切を渡るとそこは妙蓮寺みょうれんじ。ずっと住宅街の中を歩いてきて、やっぱり食事をするところなどなかった。駅近くの店が並ぶような場所で食べなければこの先もないなと思う。僕は店の前にガラスのショーケースがある古びた喫茶店を見つけて入った。ハンバーグ・スパゲティ、850円なり。美味しくて満足して、食べ終えたらコーヒーも付けた。

 

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 岸根公園の中を歩いた。大きな公園で、日差しも降り注ぐ暖かい午後は公園日和みたいだ。お正月だからか凧揚げがさかんだった。こんなに誰もがそろって凧揚げをする光景を眺めたのなんていつぶりだろう。
 羽沢線はこの公園をかすめて通っているのに相変わらずその姿を見せない。ずっと地下を貫いている。
 そんながっかりモードで歩いていると、これは明らかに羽沢線だろうと認識できるものが現れた。鉄道複線幅に等しい緑地帯グリーンベルトだった。緑地帯はフェンスに囲われていてその中に入ることはできなかったが、その美しい直線が、この下にボックスカルバートを連ねた地下トンネルが埋まっていることを想像させた。フェンスには「国鉄用地につき立入禁止」と書かれた札が、文字もあせて下がっていた。なぜこの緑地帯だけ宅地化されていないんだろう、ここまで一度だって地下経路の痕跡など見せた場所などなかったのに──。住宅街の細い路地ばかり歩いてきた僕は、新鮮な気分でこの緑地帯に沿って歩いた。急な坂を上っていくと、道がちょうど緑地帯の正面に出た。地下に伸びる線路を想像させ、正面には歩いてきた岸根公園の丘を望んだ。
 その坂を上りきるとこれまでまったくなかった畑の台地が現れた。広く景色が抜け、見通しが良かった。それまでの家々の門の前ばかり、塀のあいだばかりを歩く風景から急展開に馴染めず、ここが横浜とは思えなかった。渋沢丘陵に立っている気にさえなった。正面には丹沢山系と、真っ白に雪をかぶった富士山が、澄んだ空気のなかくっきりと見えた。

 

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 気づくと環状2号に出ていて、そこはもう羽沢だった。右手の高架道路越しに新幹線の高架線が見えるようになると、左手にも高架線路が近づいてきた。まぎれもなく羽沢線だった。いつのまにか外へ出ていたのだ。新幹線は、何分かに一度、高周波のけたたましい音を立てて通過していくが、羽沢線はいたって静かだった。そして第三京浜の高架道路と立体交差すると、羽沢線から分離した今回の営業線路が現れた。まだ新しいコンクリートは真っ白だった。レールの赤さびが経年の浅さを物語っていた。スラブ軌道の真っ白なコンクリートが赤さび色をよりいっそう引き立てていた。
 そこに新駅、羽沢横浜国大駅があった。
 広く取られた駅スペースに大きな黒い駅舎があった。真新しいそれは実に現代的で、同時にクールだった。ここもまたタイル舗装とコンクリートとガラスの世界だった。これだけの広さ大きさが必要なのかよくわからないけど、そのせいで券売機や自動改札がひどくちっぽけに見えた。ちょうど電車の時間だったのか、わずかばかりの人が出入りをした。
 さあ、次は相鉄新線に沿って行こう。

 

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 新線は相鉄新横浜線という。
 この路線もまた、まったく姿を見せてくれなかった。
 選んだ道はまたきつい坂で丘を駆け上がった。鉄道線路などはるか下だった。できるだけきわきわを通っていこうと引いたルートはやっぱり住宅街の丘を駆け上がり駆け下りる急坂路だった。もともと歩いていた環状2号に戻るために階段さえ下った。環2をそのまま来ればこんな上り下りはなかったのにと後悔した。そして環状2号を横切りまた上り坂。日が暮れかけてきた。脚が上がらなくなってきた。生麦を過ぎてからずっと、こんな道ばかりだ。相鉄新横浜線はお構いなし、地下を涼しい顔で一直線に突っ走っているに違いない。
 相鉄本線に沿った八王子街道に出た。もう西谷駅は近い。
 その前に見つけたコンビニで休憩、ランチを食べて以来の水分補給をした。
 西谷駅に近づいてもなかなか相鉄新横浜線は姿を見せない。もう駅も間近に見えてきた。僕は踏切のある道から線路沿いのひどく細い路地へ入った。そこに、地下トンネルが口を開けていた。
 もう駅もギリギリである。駅のホームから至近距離で急激な下り坂を下っていた。ホーム先端付近などすでに下り坂が始まっていた。目でこうしてみると驚く造りだ。狭い用地、限られたスペースで本線との立体交差と地下トンネルへの突入を実現している。向こう側のボックスカルバートから電車が飛び出すように出てきた。緑帯の埼京線E233系だった。
 ここにも埼京線
 直通運転を開始したのだから当然なのだけど、僕には埼玉県を走るJR車両とこの横浜ローカルの私鉄がやっぱりちぐはぐに見えた。

 

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 もちろん旅はここで終りだった。ここまでが新線、昨年終りに営業を開始した新路線だ。
 でも僕はなんとなく、あまり深い考えもなくさらに先に歩いてみた。
 二俣川
 支線であるいずみ野線を分岐する、相鉄の要衝駅。ギリギリ日暮れに間に合うならと、僕は二俣川へ向けて歩き出した。