自転車旅CAFE

自転車旅を中心とした紀行文、紀行小説

つくば道・八郷(Jan-2019)

 参詣道づいているわけじゃなくたまたまなのだけど、つくば道に行ってみようと思った。道はふもとの北条のまちから一里、4キロで中腹の筑波山神社に至る、江戸時代の参詣道である。
 さらに今日は筑波山系の縦走ルートに行ってみようと思ってた。
 つくば道から県道に出たのち、風返し峠へ。一度つくばねに下って湯袋峠から林道できのこ山、足尾山、一本杉峠と縦走。なにしろ日の当らない林道のはずだからどこまで行けるかわからないけど、出かけてみようと思う。林道は、湯袋峠からきのこ山のずっと手前、上曽峠までだけ走ったことがある。もっとつないで、いろいろな筑波山系の景色を見たくなったから。

 

(プランニングルート)

 

 心配なのは凍結である。それ以外は大丈夫。荒れているかもしれないけれど基本的には舗装路と聞いた。だとしたら以前走ったことのある湯袋峠から上曽峠の道の延長だろう。上りで凍結路面が現れたらあきらめがつく。引き返して下って帰ればいい。でも下りで凍結路面が現れたら泣けるな、引き返して上りって心の支えが何もない。はなから運任せ。まあ完全氷結の路面なんてないだろうから、うっすら湿気の凍ったくらいなら降りて歩けばいいか。
 確かに今朝は強烈に寒い。僕がいうとまた寒さが大したことなくても寒い寒いというからなと、僕を知る人にはいわれてしまうだろうけど、今朝は本当に寒い。天気予報は8時台も氷点下(茨城県南)なのだから、だいたい7時を過ぎれば0度を超えてくるふだんから比べれば数値的に寒いといっていいに違いない。そう考えると凍結のおそれもあるけれど、昨日が一日晴れて暖かかったはず。しみ出しもまずない季節だから、あってもせいぜい霜が付いているくらいじゃないかと思う。

 

 

 常磐線土浦駅まで輪行し、つくばりんりんロードを走っていく。
 かつてこの道を全線走ったのはもう十何年も前だった。1987年まで土浦から岩瀬まで結んでいた筑波鉄道の、廃線跡を利用したサイクリングロードは、河川敷のそれと比べて何倍も魅力的だった。駅のプラットホームがそのまま残り、大きな駅にはそのスペースにトイレやベンチを配し、サイクリングのための休憩所とした。踏切だったところには保護柵や撤去されずに埋めたままのレールがそのまま残っていた。そんなわけで当時、鉄道跡を懐かしむように岩瀬から土浦に向かって走った。ひと駅ひと駅が楽しかったのだけど、サイクリングロードとしては整備途中で、鉄道廃止時に埋もれてしまった路盤は何度かルートを失った。さまよいながら走ったらとんでもない方角に向かっていたり、はるか遠くにプラットホームの残骸を見たりした。特に真壁から筑波のあいだと、土浦駅周辺がそんな状況だった。土浦駅周辺は路盤跡が経路を持たず、住宅街の道路に埋もれてしまっていた。僕は翻弄されながら鉄道跡を追いかけ、40キロの鉄道路線の乗務を完了したのはもう夕方だった。それでも見つけられなかった駅が三つばかりあった。
 それが今は驚きの変貌を遂げていた。
 土浦駅前から矢印形状の案内標識と、路面ペイントが、もはや地図を持たずとも走れるほどていねいに行くべき道を示している。そしてりんりんロードという名のサイクリングロード構想はかつての筑波鉄道跡だけにとどまらず、霞ヶ浦にも手を伸ばした。日本で二番目に大きな湖をどれだけりんりんロードが網羅しているのか知らないけれど、つくばと霞ケ浦を合わせたりんりんロード構想はもう現実のものとなっていた。だから駅前から続く案内標識と路面ペイントは当然、霞ヶ浦にも続いていた。

 

 しばらく走ってきたりんりんロードを離れ、北条のまちに入った。懐旧の思いが湧く目抜きのまちなみは、特に縁があるわけじゃない。でも自分のなかで空想描画するノスタルジーとはこういう風景なんだろう。この通りを走るときはいつも、自然と速度も徒歩並みに落ちる。好きなまちだ。
 戦国時代に城もあったという北条、目抜きに鉤手道クランクがあったりするのはその名残だろうか。その通りのわかりにくい丁字路がつくば道の入口だ。「これよりつくば道」の道標があるけれど、いつのものかわからない。欠け落ちがほぼない石柱は、あるいは最近のものかもしれない。
 つくば道もまたいい雰囲気を残していた。板塀、土蔵造り、お屋敷から小さな家々まで、いくつも見て目を楽しませる家が並んでいる。しかしながらどれも住宅──おそらくは農家やかつて農家だった家が大半だろう──で、参詣道で楽しめるお茶屋や菓子屋のような休み処の店はない。4キロという距離のせいかもしれないし、かつてはそうだったものの畳んでしまったという例もあるかもしれない。
 目の前には筑波山が見えていて、やがて正面に筑波山神社の赤い鳥居が目に入るようになった。しかしまだ道は上り始めていなくて、あの中腹までどうやって駆け上がるんだ? という疑問が少しずつ湧き始めた。

 

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 現在、筑波山神社といえばバスターミナル「筑波山口」──かつての筑波鉄道筑波駅であり、つくばりんりんロードの筑波休憩所でもある──から県道42号で上るのがセオリーだ。というか車なら、あるいは自転車でも一般的にはこの道しかない。標高200メートル強の筑波山神社まで幾多のつづら折を繰り返しつつ、上っていく。これだけ勾配を薄めながら上って行くにもかかわらず、風返し峠まで向かうなかで最もきつい区間といっても過言じゃなく、いつもここで力を失って後半の風返し峠までは止まりそうな惰性で上っていくざまである。そんな筑波山神社へ、道の途中いまだ本格的な上りがはじまらない。まちなみ風情を楽しむかたわら、得もいわれぬ不安感が少しずつ増幅する。
 それが的中するのは、つくば道を2キロ以上も進んで、いよいよ山肌がせまっているというところだった。少しずつ上りにかかるという猶予らしきものはひとつもない。急な坂道に突如化けた細いアスファルトをゆっくり上っていく。ここまで土浦からずっと平坦路を走ってきたものだから、坂の感覚がなく、準備ができていなかった。そこへこの勾配だ。2キロ以上来ているってことはもうあと1キロ少ししかないってことじゃないか、これから200メートル近く上るってわけ? うそでしょ計算合わないって──。
 でもふつうの山坂道であれば急勾配のこの坂も、このつくば道にとってみれば、平均未満の序章に過ぎないことを、小さな一の鳥居を前に思い知らされた。

 

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 一の鳥居はハイエースなら何とかくぐれるだろうかという小さなものだった。それよりもその先の道である。舗装はセメント塗りとなり、路面には排水にもグリップにも役に立つのか疑わしい溝が横方向に切られている。くぐったハイエースが果たして上りきれるだろうか。僕はその坂道をただ眺めている。まるで親に「とっとと治してきなさい」とひとり歯医者に向かわされた子どもが、いつまでもその扉を開けられずにいるのに似ていた。まずはここまでで上がった息を落ちつけよう、それからにしようと言い訳を思いついた。誰にいうわけでもないそれを大事に抱え、一の鳥居の手前で棒立ちしていた。
 目の前を地元のおばちゃんが運転するフィットが通って行った。一の鳥居から屈曲した壁のような坂を手なれた感じで運転して行く。手なれた運転とはうらはらにフィットが悲痛さえ感じさせるように上っていく。もはや悲鳴すら上げることをあきらめた駄獣の牛のようだった。
 僕もじゃあ行くかとペダルに足をかける。入口の扉の前で、虫歯の痛みにいよいよあきらめた子どものように。
 鳥居をくぐった。勾配の感覚がわからない。座っていると脚がまわらない。仕方なくすぐに立ち上がる。ふつうに立ち上がると前輪が浮くようですらあった。あわててハンドルを押さえこむように、結果奇妙な前のめりの立ち漕ぎになった。
 立ち漕ぎが長続きすることなどない。ましてふつうの立ち漕ぎですらない。呼吸が、続かない。酸素が足りないと、吸い続けようとするばかりで、吐き出すことができない。なんて勾配だ。僕はあきらめてペダルから足を離した。
 鳥居が見えなくなって(急勾配と細かな屈曲で小さな鳥居などすぐに見えなくなった)わずかばかりで僕は立ち止まっていた。距離にしたら百メートルも来ていない。
 上りゆく道に並んだ家々の塀を眺めた。階段状に塀が建てられている。道はそれに沿っている。頭のなかの斜度感が崩壊した。この道、階段だったところを埋めるように、斜めにセメントを固めて造った道なんじゃねえの? などと言葉乱暴に浮かぶ。そんな坂を見て、どうしていいのやらわからなくなった。
 結局僕は自転車に乗っては百メートルかそれも行かないくらいで止まり、休み、を繰り返した。1キロに満たない道を8回くらい止まったと思う。なんでこんなにも上れないのか、と、なんでこんな坂が参詣道に存在するのか、と、そんなことを交互に考えた。

 

 最後は石段や階段だった。もう道路を造ることはあきらめました──そうにさえ思えた。自転車を担いで階段を上ると、ふだん上ってくる県道42号が走っていた。途中に工事でもあるのか、このつくば道の入口で案内をしていた警備員のおっちゃんが、こんなところよく上ってくるねえと笑った。ふた言三言話しかけてくれたけど、何を会話したのかまったく記憶にとどまらなかった。

 

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 風返し峠に着くまでにいったい何人に抜かれただろう。何度休んだだろう。体力を戻さないと、そう思いながら上った。つくば道のわずか1キロ半の上り坂で、今日一日分の体力を使い果たした。回復するかどうか怪しいものだった。でも坂はあるし上らなきゃならない。つつじヶ丘へ向かう富士見橋のループ橋が、いつもより遠く見えた。
 相変わらず風返し峠にはたくさんの自転車がいて、筑波山神社から上ってくる人、パープルラインから縦走してくる人、石岡側から上ってくる人、みんなつつじヶ丘を目指して上ったり、他の下り道へ入ったりしていく。つつじヶ丘から下りてくる人はたいてい満足げだ。彼ら彼女らもまたここ風返し峠で八方に散っていく。
 僕はつつじヶ丘には向かわない。そのままつくばね方面の下り道へ入った。

 

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 下りはとにかく温存を心掛けた。勢いに任せて下っていると結局カーブでしっかりとコーナリングをしなきゃならないから体力を奪われるし、速度が上がればそのぶん体温も奪われる。とにかくこの先、きのこ山を縦走するのだ。体力と体温の温存。筑波山をステージに駆けまわるロードバイク・アスリートたちは下り坂をのろのろのとゆく僕を滑稽に見るだろうか、かまってられない。
 かくして下り切った突き当たりが県道150号、月岡真壁線。これから湯袋峠へ向かう道なれど、しかしその上り口は『全面通行止』の看板と、全車線をふさぐバリケードで強固に守られていた。

 

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 田んぼのなかの細い里道はひたすら曲がりくねっていて、むかしむかしの家に帰る道ってこんな道だったよな、などと懐かしんだ。なんていい道なんだろうと思う。曲がりくねりながらもどこまでも続き、走っていけそうだ。
 昭和からのわずか短い時間で、ニッポンの郊外に押し寄せた都市化の波は、区画整理という名の、それは大都市東京にすら見ないまっすぐな縦と横の道に変わった。どこもかしこも、京都や奈良のような風情とはまったく異なる、ただの無機質な、規格化された直角都市になった。田んぼも、細い曲がりくねった里道もみな、区画整理という大地の下に沈んだ。僕自身、便利さや住みやすさ、暮らしやすさなんていうキーワードで、そういう地を選んで住む。こういう道を、こういう風景を、区画整理の土とコンクリートで埋め立てた土地に今、暮らしている。それが事実。
 触れたさだけで、こうやって輪行して来ているといえばそうかもしれない。でもこういった風景に身を置くことで懐旧や郷愁を覚えるということは、現代の便利さ暮らしやすさに何か置き忘れてきたものがあるんだろうなって思う。それに気づけるんだからよしとしよう。ありがたいと思おう。こういう地が残っていることに感謝しよう。
 里道は、もちろんプランニングしてきた道じゃない。県道150号の通行止めによって、湯袋峠以降の筑波山系縦走をすべてあきらめることになった僕が、地図に示された道路を直感的に選択しながら、ただ走っているだけだ。それがこんないい風景に当たるなんて。不規則な区画の田畑、そのあいだを曲がりつつゆく里道、あいだあいだに点在する農家であろう家々、そして背後に重々しく座する筑波山系の山々。感動的だ。素晴らしい。
 僕はある面、ずいぶんとほっとしていた。正直つくば道は想像していた以上に疲れ果ててしまった。ライフが何度もゼロに落ち込む状態。生身の人間はゲームのようにリセット、再スタート、ライフがフルとはなるはずもなかった。風返し峠への上りと、そこからつくばねまでの下りでなんとか回復を図ろうとしたけど、そうはならなかった。僕は縦走の繰り返される上りと下りを、走れないことを残念に思いながらも、ほっとし、素直にあきらめられた。
 だからこの感動にも値する風景と道は、残念さ悔しさを帳消しにしてくれた。この標識も行き先もない細い道を直感で選んだ僕は、「オレ、天才」とひとり悦に浸った。
 八郷町──現在は茨城県石岡市となった。筑波山近辺に何度も来つつ、こういった風景は完全にノーマークだった。
 里道がやがて県道クラスの道に突き当たり、それから道なりにまかせて走っていると実に雰囲気のいいまちに出た。角にセイコーマートを見つけ、休憩に立ち寄った。棚から温かい缶コーヒーを取りだして持つと、すっかり身体が冷えていたことに気づいた。その缶コーヒーを買って飲む。飲みながら見つけた地名は柿岡だった。まち、田畑、里、こんなにも好材料がそろっている八郷町は、あらためてここをピンポイントで存分に楽しむサイクリングを計画しようと思い立った。僕はこのまちを何度か通過している。筑波山を越えて大洗へ走ったとき、真壁から霞ヶ浦へ抜けていったとき──、みんな通り過ぎただけだ。通過のために最短経路で走りやすくスピードの乗る国道や県道を使ったに違いない。そうじゃなく、あらためてこのまちをめぐろう。

 

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 思いがけず短縮で終わったサイクリングも充実感はあった。疲労も。でもこのくらいでいい。駅に向かう途中の、地の洋食屋に入り少し遅めのランチを食べた。スープ、スキレットに乗ったトマトソースのハンバーグ、サラダ、それに煮しめがついたりするところが家庭的な洋食屋だ。それから、食後にコーヒーとデザート。
 なんだか外が薄暗くなった気がした。まだ午後の2時だというのに。窓ガラスに着色があるせいかもしれないけど、外に立てられた「ハンバーグ」と書かれたのぼりが強くはためいている。風も出てきたのだ。天気が変わるのかもしれない。
 食事を終え、店を出ると、気温が変わっていた。ぐっと下がり、風が寒さを助長していた。急いで駅へ向かおう。

 

 羽鳥駅から乗った常磐線が、朝降りた土浦を過ぎると、道路が雨に降られたことを示すよう、しっかり濡れていた。雨になるとは聞いていなかったから驚いた。とにかく電車に乗っていれば暖かい。外の雨をよそに、僕がそんな車内で一日の余韻に浸っていると、ツイッターのフォロワー氏たちが、八郷のよさを次々に返してきてくれる。山、里、神社仏閣、商店、家々、そしてそれらを走る道。どれもが素晴らしい。石岡市の約70棟の茅葺き屋根がここ八郷地区に残されていることも、教えてくれた。
 ──帰ったら今日走った道と、これらもろもろを地図でつなげてみよう。

 

(本日のマップ)